小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 22日の朝、ロンドンの地下鉄ストックウェル駅の地下鉄車両内で同日午前10時すぎ、警察当局により男性が射殺された。詳細はまだ分かっていないが、前日の同時爆破テロに関連した人物、ということだ。

 警官らが射殺した場合、独立調査会が立ち上げられ、詳細を精査するというのが一般的流れで、現在こうした調査の段階にあるようだ。

 今日は午前中から午後2時ぐらいまでロンドンの中心部にいたが、在英日本人の人から、「物騒なので、家族から帰国するように言われ、迷っている」という声を聞いた。

 一方、午後3時半頃〈日本時間の午後11時半頃)、ロンドン警視庁のトップらが会見を行った。

 最も衝撃的だったのは、21日の爆破事件に関わったと見られる4人のCCTVの画像だ。i以下に貼り付けるが、もし本人を知っている人がいたら、一度で誰か分かってしまうだろう。非常に早いスピードで捜査が進んでいるが、CCTVの威力に、英メディアのレポーターらも驚いているようだ。

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by polimediauk | 2005-07-23 00:14 | 英国事情

再度のロンドン・テロ


 ロンドンで、21日の昼から午後にかけて、また爆破事件があった。

 私がそのニュースを知ったのは午後1時20分頃。ロンドン市内のシンクタンク英王立国際研究所で、過激派イスラムに関する講演が予定されており、スピーカーとなる博士を囲むランチに出ていた。主催者の一人と話をしていたら、プレス担当の人が入ってきて、「話をさえぎって申し訳ないが、今三箇所で爆破があるという予告があった」と言った。〈実は既に爆破事件が起きていたが、その時は予告だけだと思っていた。〉一瞬、沈黙になった。「ちょっと失礼」といって、何人かが自宅に携帯で電話をかけだした。

 午後1時半に講演会場に移る際にも、「予告だそうですけどね」という感じだった。実際に爆破があったことを知ったのは、テレビを見てからだった。

 講演が終わったのは午後3時頃で、研究所に来るときには地下鉄ピカデリーサーカス駅を使っていたが、既に閉鎖されていた。出口に数人いる警察官が、困っている乗客にどのバスを使ったら目的地にいけるのかをアドバイスしていた。

 私も少し歩いてバスに乗ったが、非常に混雑していた。英国のバスは基本的にエアコンが入っておらず、窓も少ししか開かないので、中が暑い。

 警察の車がサイレンを鳴らして走り回り、警察官も数が多い。バスに乗っていると外の様子が良く見える。もし爆破が起きていたら、数百メートル先で誰か傷を負った人がいるかもしれないな、と思った。空気が非常にびりびりしているような感じだった。物騒な、一種異様な雰囲気があた。毎日のようにこういう状態が発生している国に生きている人は、一体どうなるのだろう、と思ったりした。

 実際の講演はマーハ・アッザムという人の「過激派イスラム:脅威を定義する」というもの。アッザムさん〈女性〉はアルカイダのイデオロギーの研究などが専門の1つ。

 前回のロンドンテロは英国で生まれ育ったイスラム教徒が実行犯とされているが、何故先進国に住む若者がこうしたテロを起こすのか?に関して、博士の分析は:

―西欧の一般大衆の目を引きたい
―一種のカルトになりつつある。受難者として注目される。
―アイデンティティーを探している若者性質が、イスラム教にアイデンティティーを感じる。

 また、イスラム教過激派の一部が、テロで西欧に打撃を与える、何らかのインパクトを与えることに成功できることが分かり、道を見つけた、と感じていることを背景としてあげた。

 質疑応答の最後のほうで、「英国で生まれ育ったイスラム教徒」という若い男性が、「英国政府が悪いからテロが起きた、と責めるつもりはないが、今回の事件をきっかけに、英国自身も何らかの意味で自分の行動を省みる、という議論があってもいいのではないか。どうしてこうした議論がでないと思うか?」と聞いた。

 何故か、博士はこの点を明確にしなかった。

 後でこの男性に声をかけてみると、「自分は普通のビジネスマン」だという。「今回のテロの後で、その原因を在英イスラム教徒のコミュニティーに見つけ出そうとする報道ばかり」であることに、不満だと言う。「ムスリムコミュニティーにもそれなりの反省点はあるが、一方で、英政府側が外交方針などをいったん考えなおす、何故こんなことになったのかに関して自分自身を振り返る、といったことをしてもいいのではないか。自分は英国のイラク攻撃をすごくいやだと思った」。

 王立研究所は、2,3日前に、イラクなどの外交政策が今回のテロ攻撃に関連ある、とする報告書を出している。これは新聞各紙に大々的に報道された。この報告書に限らず、イラク戦争が今回のテロを起こしたとは言えないが、背景要因としてはあったという見方が強くなっている。「自分の都合の良い理由で中東の政府とつきあってきた歴代の英政府のダブル・スタンダード」を、ロンドン市長ケン・リビングストン氏が、今週のBBCの朝のラジオ番組で指摘している。

 21日に起きたテロの情報だが、爆破未遂犯を捕まえることに警察当局は全力を集中させている。一部の地下鉄は動かないが、バスは全て運行する。

 
by polimediauk | 2005-07-22 08:38 | 英国事情

「テロを政策として利用する政府が悪い」

 アフガニスタンのカルザイ大統領が訪英し、ブレア英首相などと会見した。20日、ロンドンの王立国際問題研究所で講演を行い、1時間強の間、ジャーナリストや研究者、政府関係者らとの質疑に応じた。

 大統領になる以前からこれまでに何度なくロンドンを訪れており、「また来たの?」と英役人から言われるほどだ、と講演を始めた大統領が選んだテーマは「グローバル・テロリズムとアフガニスタン」だった。

 「ロンドンの同時爆破テロが起きた時、テロで家族を亡くした人たちの痛みが一番良く分かるのがアフガン人ではないかと思った。私達も随分長い間、テロに悩んできた。しかし、今回のロンドンのテロとアフガニスタンの大きな違いは何か?それは、ロンドンのテロでは、BBCや英タイムズ紙などのメディアが連日、大きく報道する。アフガニスタンの場合は、女性、子供達、罪のない市民たちがたくさん殺された。しかし、世界に報道されない長い年月があった」

 「世界はグローバルになった。貧しい国、金持ちの国、どこでもテロが起き得る。アフガニスタンで起きることが、ロンドンやニューヨークでも起きる」

 「ソ連軍がアフガニスタンを占領し、アフガニスタンの人々は抵抗運動を始めた。ソ連はアフガニスタンに異なるイデオロギーを押し付けようとし、アフガニスタンの人々がイスラム教徒である部分を取り去ろうとした。この抵抗運動に参加した義勇軍が、ソ連軍が去った後、国内に残り、過激派になっていった」

 〈注:過激派の一つタリバンが、アフガン全土を90年代半ば頃から支配。タリバンはアルカイダ幹部などを国内にかくまっていた。米軍を中心にした多国籍軍の作戦によりタリバン政権は崩壊。〉

 「1993年ごろから2001年まで、過激派による国内のテロは続いた。モスクや学校が燃やされたりした。でも、世界は誰も目に留めなかった。もしこのとき、こうしたテロが撲滅されていたら、米国の2001年9月の大規模テロも起きなかったもしれない、と考えることがある」

 「地球規模のテロが起きる原因は、個人の一人一人にあるのではなく、宗教の問題でも、イデオロギーの違いによるものでもない。イスラム教徒であることも関係ない。国民がイスラム教のアフガニスタンでもテロはずっと起きていたことを思い起こして欲しい。キリスト教徒だけでなく、世界中の多くのイスラム教徒がテロで殺されている」

 「テロを根絶するには、世界中の国が誠意を持って、テロをなくするよう一致団結することだ。政府が、テロリズムや宗教を、その時々の都合の良いポリシーの1つとして、使ってはいけない。これがテロを作るのだから」

 ・・・以上は講演の一部抜粋だが、「政府がテロをポリシーの一環として使っているから、テロがなくならない」という説には、妙に説得力があった。この「政府」をカルザイ氏は複数で使っていた。「過去の」アメリカ政府を指しているのは明らかとCBSのジャーナリストが後で語ってくれた。

 最後の質問が、チャンネル4というテレビ局の記者だったが、「テロをポリシーの一つとして都合のいいように使う政府が悪い、という話だったが、では、アフガニスタンと国境を隣接するパキスタンをどう評価するか?パキスタンはテロをポリシーとして使っている〈悪い〉政府だと思うか?あるいは、テロ撲滅に力を入れようとしていても、まだ十分に実行しきれれていない国だと思うか?」と聞かれた。

 米ブッシュ大統領の「テロの戦争」の同盟国として扱われたパキスタンだが、ロンドン同時テロの爆破実行犯の数名がパキスタンの過激派イスラム学校に通っていたことなどが分かり、テロリズムの温床となっているとして英国内でも大きな批判が出るようになっている。

 大統領は答えるのに窮してしまう。聴衆席にいた外務大臣と言葉を交わした後、「パキスタンとはこれまでに協力をしてきたが、さらに協力をしていきたいと思っている」と答えた。

 この「さらに」が深いらしい。前に座っていた中東ジャーナリストが「パキスタンにはかなり不満を持っている、ということだ。テロをポリシーとして使っている政府とは、パキスタンのことだ」と周りにささやく。チャンネル4の記者に、「どう思う?」と聞くと、「全くその通り」。

 講演の前の紹介によると、冷戦時代にアフガニスタンに旧ソ連軍が侵攻したのは1979年だったが、カルザイ氏は82年ごろからソ連の軍事支配に対する抵抗運動に参加したという。92年にはゲリラ各派により樹立された政権に入り、米同時テロ後の米英軍によるタリバン掃討作戦が始まった2001年末、親族のいるパキスタンから祖国へ戻り、暫定政権に参加。2004年のアフガニスタン史上初の大統領選挙で当選した。
by polimediauk | 2005-07-21 07:38 | 英国事情

「もう記者の仕事はしたくない」

 18日、ロンドンにある外国プレス協会でBBCの記者たちと協会メンバーのジャーナリスト達との懇親パーティーがあった。雑談めいた話になるが、今回の爆破テロに関し、それぞれの視点があった。

 インドのタイムズという新聞の特派員で10年ほどロンドンに住む女性記者は、爆破テロの実行犯とされる4人のうちの3人がパキスタン系英国人だったということで、「英国のパキスタン人は自分たちでコミュニティーを作り、孤立化している。年齢の高い人は英語が旨く話せない人もいる。多くがパキスタンでもどちらかというと田舎から来ているので、都市生活に慣れていない。イングランド北部のブラッドフォードなどの『アジア人』コミュニティーを訪ねてみて欲しい。貧しくて、固まって住んでいるから、通りにいると、怖くなる」。随分と偏見に満ち満ちた意見に聞こえるが、「インドの」記者の発言ではこういう風になってしまうのだろうか。

 モロッコ人のジャーナリスト(在英30年ほど)は、「随分コメントを聞かれて、ものすごく忙しかった。何故今回の事件が起きたか?ああいう青年達は社会から疎外されている部分がある。でも今回、ある意味では外国のテロリストでなくてほっとしたんだ。英国人だったから、これからどうするべきかを考えるいい機会になると思う。今回の青年たちは、とても頭がいい。大学に行っているし、G8が開催されているときに爆破テロを行った。おかげで、G8が全く目立たなくなった。目的を達した。ものすごく頭がいいやり方だ。これからも起きるか?起きない、とは言えない」。

 イラン人の女性ジャーナリストは、「あの青年達はまだ子供のようなもの。裏で操る外国のテロネットワークを撲滅しない限り、駄目だ」。

 日本人特派員「テロ事件勃発以来、ものすごく忙しい。時間を争って原稿を出している。競走はかなり激しい。あまり寝る時間がない」。

 スペインのラジオのジャーナリスト「英国人のテロ事件後の反応に驚いた。スペインだったら、人々は泣き叫ぶ。英国人は冷静だと思った」。

 フランス人の経済紙のジャーナリスト「普段は英仏間でいろいろあるが、今回は気持ちが一つになったと思う。大戦の時を思い起こさせた。それは、窮乏に耐えながらも、一丸となって戦う、というスピリット」。

 香港のテレビのジャーナリストは「朝の9時ごろ、あのテロが起きたとき、もう会社で働いていた。あわてて現場にかけつけて、レポートした。すごい状況になっていた。もう記者の仕事はしたくない。ああいう現場をリポートするような仕事は、いやだから。」

 昨日のブログで書いた、BBCの「ニューズナイト」で、オランダのテレビのプロデューサーにインタビューをしたキャスター(こちらではプリゼンターという)のギャビン・エスラー氏もいた。

 エスラー氏がインタビューしたのは、昨年殺害されたオランダの監督テオ・ファン・ゴッホ氏の友人だったプロデューサーのハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏。殺害実行犯は若い移民2世で、イスラム教過激派グループのメンバーとされる男性だった。「自国で生まれ育った」「イスラム教徒の移民」という点が、英国とオランダの事件の共通点だ。

 エスラー氏は、どうもインタビューがうまくかみ合わなかったと言い、「ファン・デ・ウエステラーケン氏は全く別なことを考えているようだった」と述べた。「あまりオランダの事件のことは知らないが」と付け加えた。

 英国政治やメディア業界では、他の欧州の国に関する知識や関心が意外と低い(あえて「意外と」とつけるが)ことに、やや驚く。外国では中東やアフリカなどに関する知識のほうが深いかもしれない。アメリカや、欧州でもフランスなどだとしょっちゅう話題に上るがオランダとなると、一気に知識・関心は低くなるようだ。例えばだが、フランスで何かの件で取材したいとき、英ジャーナリストらに聞くと、誰かしらを(少なくとも知っている誰かを)知っている。しかし、オランダとなると、また話は違ってくる。
by polimediauk | 2005-07-20 00:49 | 英国事情
 ロンドンのテロ同様、イスラム教徒の男性が関わったのがオランダの映画監督殺害事件だった。オランダの移民状況とは?

(以下は、昨日に引き続き、「新聞研究」7月号に掲載された文章の再録です。最後に「7月の裁判」とありますが、中旬に既に開かれ、26日には判決が出る予定です。)

―移民に対するまなざしの変化

 ファン・ゴッホ監督殺害事件がオランダ全体を大きく揺るがせた背景には、増える移民とオランダ国民の移民人口に対するまなざしの変化がある。

 オランダの移民の歴史を振り返ると、16世紀から18世紀にかけては、スペインやポルトガルから来たユダヤ人、フランスのカルバン派プロテストタントなどの避難先になり、宗教的寛容のある国としてオランダは世界的に知られた。20世紀に入るとかつてのオランダの植民地だったインドネシアや南米のスリナム共和国からヒンドゥー教者、イスラム教信者が入ってくる。

 1970年代には、労働力不足を補うため、モロッコやトルコなどから期間限定で労働者を調達した。この最後のグループの移民たちは主にイスラム教徒で、期間限定の雇用を想定していたため、オランダ政府はオランダ語や文化の知識の習得を奨励しなかった。

 期間が過ぎても「新移民」たちは帰国せず、オランダでの長期滞在を希望するようになる。家族の呼び寄せが始まり、移民人口がさらに増える、という流れとなった。移民たちは都市部の特定の地域に固まって住む傾向を持ち、女性は頭にヘジャブ(スカーフ)を巻き、男女ともにイスラム教伝統の衣装を身にまとう人も多い。

 人口が約1600万人のオランダで、移民人口は現在約10%。しかし、アムステルダム、ハーグ、ロッテルダム、ユトレヒトなどの大都市では30%近くに上る。(ちなみに、日本で最も外国人比率が高いといわれる群馬県大泉市では15%。)

 昨年発表された、移民に関する議会の調査報告書は、移民の第一世代がオランダ語を十分に使えないので孤立している、オランダ文化になじんでいない、オランダ語や文化を強制的に学ばせる試みは大部分が失敗に終わっている、第2-第3世代の移民たちは親がやってきた国の文化に忠誠心を持ちがちで、これがオランダ社会の十全な一員として受け容れられることの阻害要因になっている、と結論付けた。

―9・11米大規模テロ

 しかし、異なる外観、異なる価値観を持っていても、こうした違いを受け容れるのがこれまでのオランダだった。もともとプロテスタント、カトリックの両国民がおり、「柱条社会」とも言われるように、国民はそれぞれの信条をベースにして、それぞれのグループの学校、新聞、労働組合、クラブなどに所属し、いくつもの柱が社会に存在してきた。現在ではこの柱は厳格なものではなくなったが、メディアや利益団体、学校教育などにその名残があると言われている。複数の柱が存在する社会、つまり、多文化が同時に存在する社会で、それぞれが別々に存在していたので、摩擦を避けられる、というのが利点だった。

 オランダの憲法第一条は「人種、信仰、性、そのほかのいかなる理由からも人は差別されない」としている。異なる文化・価値にとやかく干渉しないのがオランダ社会とすれば、異なる服装や習慣を持つイスラム教徒のモロッコ人やトルコ人を批判することは、「あまり好ましくないこと」と考えられてきた。例え日常生活の中でイスラム教徒の隣人に人々が違和感を抱いていても、こうした違和感を拾い上げるような政治家、政党は皆無といってよかった。

 イスラム教徒過激派が関わった、01年9月11日の米国大規模テロが、オランダ国民のイスラム系移民に対する見方を大きく変えた。イスラム系移民の批判はもうタブーではなくなった。「イスラム教は後進的だ」「新規移民の流入を禁止するべき」と訴えた右派政治家ピム・フォルトゥイン氏が、幅広い国民からの支持を得るようにもなってゆく。

 オランダ政治の空白を埋めたと言われるフォルトゥイン氏は〇二年の総選挙直前の五月六日、動物愛護家に暗殺されてしまう。(ファン・ゴッホ監督の遺作はこの暗殺事件を扱ったものだった。)

 氏の急逝にも関わらず、率いた政党は大人気となって議席数を伸ばし、一旦は連立与党の一翼も担うほどとなった。

 その後、党首亡き後求心力を失ったフォルトゥイン氏の政党では内紛が続き、〇三年、急遽総選挙が行われた。現在の政権はキリスト教中道右派のキリスト教民主勢力(CDA)、左派労働党らの連立で、フォルトゥイン氏の政党は与党参加をしていない。

 しかし、どの政党も国民の気持ちを代弁するために移民規制策を全面に出し、オランダの政治は全体的に右派化しているのが現状だ。新聞の投書欄でも反イスラム系移民の声が堂々と掲載されるようになった頃、ファン・ゴッホ監督の殺害事件が起きた。

 殺害者となったブイエリ容疑者はオランダ語をマスターし、高い教育を受け、オランダ社会に溶け込んだイスラム系移民の一人、と周囲から目されていた点が、輪をかけての衝撃となった。


―表現の不自由

 「服従」のプロデューサーであるファン・デ・ウエステラーケン氏によると、ファン・ゴッホ監督の殺害後、「表現の自由度に深刻な問題が呈された」。

 「人の口を封じるのに、何人もの人を殺すテロをする必要はない。たった一人が一人を殺すことで、目的が達成されるーこれを殺害事件が実証した」。国内外から「服従」の完全版上映の声が絶えないにも関わらず、製作会社として部分上映のみを行っているのは、「一緒に働く仲間を危険な目に合わせたくないためだ」と言う。

 「事件後、オランダのアーチストや表現者たちがイスラム教に関連するトピックへの発言には気をつける、という雰囲気が出来たと思う。影響はまだ続いている」。

―寛容、多文化主義の神話

 現在のオランダ社会で、「寛容精神」が「やや薄れた」、と指摘する声は多い。

 オランダ最大の日刊紙「デ・テレグラーフ」のウイレム・クール記者は、ゲイ天国と言われたオランダで、5月、ゲイのアメリカ人ジャーナリストがイスラム系住民のグループに殴打されるという事件が起きた例をあげ、「イスラム系移民とそのほかの国民との間の亀裂は深い。どちらの側にも感情的な言動が目立つ。政府側もこれをどうしていいか分からない、といった状態が続いている」と指摘する。

 一方、元日刊紙「フォルクスクラント」の記者で、現在はアムステルダムの歴史に関する著作を手がける作家ピエール・ヘイボアー氏は、「オランダのリベラル精神、寛容性に関して、国外の人は幻想があるのではないか」と釘を刺す。「原理、理想として寛容精神が存在したのではなく、もともと、異なる宗教、価値観を持つ世界中の人々と貿易をするため、つまり、実際的な、商業上の理由がベースになっている。買い手がプロテスタントかどうかなど、気にして入られない。買ってくれるどうか、が重要だった」。

 商業上の理由の寛容さと、国内にはカトリックとプロテスタントという異なる宗派が十七世紀の建国当時から存在していたため、社会存続のためには、宗教的寛容さが必要だった、という。

 また、イスラム系移民たちが「問題」とみなされる現在のオランダで、「多文化主義の失敗」を表明する政治家も多いが、実は多文化主義そのものが神話、幻想だった、という声を知識人らから多く聞いた。

 まず、ヘイボアー氏は、オランダには真の意味での多文化主義は存在しない、という。「過去20-30年の間で、異なる文化を持つ人々が移民の形でオランダに入ってきたが、お互いに『融合』して、一つの文化を作り上げたわけではない。異なるバックグラウンドの人々が、それぞれが隣に住みながら、お互いに干渉しないで生きてきたからだ」。

 ファン・デ・ウエステラーケン氏は「もし人がオランダの多文化主義が成功していた、と考えるとしたら、全くの御伽噺だ」と言う。「オランダに限らず、フランスでも、実はモノカルチャーなのだと思う。典型的な、西欧のキリスト教をベースにした民主主義文化なのだと思う」。

 アムステルダムの通りを歩けば、ありとあらゆる国の料理を代表するレストランがある。「しかし、これを多文化主義とは、もちろん言えないだろう。本当に多文化主義にしたいのであれば、例えばイスラム教の法律の基本概念を現在のオランダの法体制に組み込む、ということまでしないといけない。しかし、国民がそれを望んでいるとは思えない」。

 一方でヘイボアー氏は、「オランダの伝統的寛容精神が崩れた」と結論付けるのは「早計ではないか」とする。

 「オランダは、過去五百年、様々な人種、価値観の人々を受け容れてきた。突発的事件はこれからも起きるだろうが、長い目で見れば心配していない」。

 ファン・ゴッホ事件以降、若いモロッコ系移民に対する人々の目は厳しいが、「アムステルダムの通りで、こうした若者たちがアムステルダム訛りのオランダ語を話しているのを聞くと、オランダの将来に中長期的に楽観できる」と述べている。

 7月、継続中の監督殺人事件の裁判が再開する。人々の脳裏から事件の印象が消えるのは、まだまだ先になりそうだ。
by polimediauk | 2005-07-19 18:29 | 欧州表現の自由

関係は「修復」したか?

 ロンドンでの同時爆破テロの実行犯グループの大部分は自国で生まれ育ったイスラム教徒の男性たちだった。まだ犯行の動機は分かっていないが、国内のイスラム教過激派グループやパキスタンにあるイスラム教の学校が何らかの形で思想的な影響を与えたのではないか、という仮説が有力になっている。

 外国からやってきたテロリストではなく、「自国で生まれ育った」という点がポイントで、今後いかにして同様のテロ行動を防ぐことができるか?に関心が集まっている。

 「自国で生まれ育った」「イスラム教徒の」テロ行動・殺害行動の象徴的先例ともいえるのが、オランダで昨年末起きた、映画監督殺害事件だ。7月中旬の裁判では、イスラム教徒過激派グループに所属していたと見られるムハンマド・ブイエリ被告が「イスラム教の名の下での犯行だった」「もし釈放されれば、同様の行動を起こす」と法廷で語り、オランダ国民にとっては新たな衝撃となった。26日には裁判の結果が出るが、終身刑になる見込みとされており、かつ他の受刑者から隔離された状態にするべきだ、という声も出ている。

 ロンドンのテロの実行犯グループの大部分がパキスタン系英国人で、リーズ市出身だったため、地元のイスラム教コミュニティーに何らかのバッシングがあるのでは?という懸念が出てきた。今のところ、今回の事件があったからといって、英国でイスラム教徒とイスラム教徒ではない人々の間に大きな亀裂ができたとはいえないようだが、ここ2,3年の間にイスラム教徒の移民対先住のオランダ人という対立が表面化したと言われているのがオランダだ。

 BBCの夜のニュース解説番組「ニューズナイト」では、殺害されたオランダの監督テオ・ファン・ゴッホ氏の友人でテレビのプロデューサーでもある、ハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏をインタビューしている。

 この番組の中で、BBCのキャスターは「ファン・ゴッホ監督殺害の後で、現在ではイスラム教徒と非イスラム教徒の市民との間の関係は修復しましたか?」と聞いた。「修復するとは、どういう意味ですか?」とファン・デ・ウエステラーケン氏は聞き返している。キャスターが質問を繰り返し、答えは、「修復するどころか、亀裂はますます深くなっていると思う」だった。そんなに簡単に衝撃が消えるわけがない、と言いたそうな感じだった。

 オランダでは、表現の自由が暴力で封じ込められた、という面での衝撃も大きかったようだ。

 先日、オランダの各地を訪ね、ファン・デ・ウエステラーケン氏を含む知識人らにインタビューした。その時の様子をいくつかに分けて紹介させていただきたいが、まず、日本新聞協会が出している月刊誌「新聞協会」の7月号に掲載された記事を再録させていただきたい。(この中で、「イスラム教徒の移民」は原文のまま「イスラム系移民」と表記されていることをお断りしておきたい。)

ーーーー

オランダ社会の「寛容精神」の行方 ―映画監督殺害事件に揺れる表現の自由

 異なる価値観に対する寛容精神を自負するオランダで、昨年十一月、ショッキングな事件が起きた。著名画家ビンセント・ファン・ゴッホの遠い親戚にあたり、人気コラムニスト、トークショーのホスト、映画監督のテオ・ファン・ゴッホ氏が、自宅のある東アムステルダムから仕事場に向かう途中、イスラム教徒の移民の男性に殺害されたのだ。監督は同年八月、イスラム教を批判した短編映画「服従」を製作していた。

 この事件はオランダばかりか欧州全体を震撼させた。まず、表現の自由が侵されるのは、欧州社会の根幹を成すリベラルな価値感からは到底許せない事態だった。また、増えるイスラム系移民の融合策に悩む欧州各国にとって、この殺害が「移民」、しかも「イスラム教徒」が引き起こしたために、一つの象徴的事件として受け止められた。

 事件から八ヵ月後のオランダでは、現在も衝撃の余波が消えていない。ファン・ゴッホ氏が毎週コラムを書いていたフリーペーパー「メトロ」は、今日に至るまで、氏の顔写真の他は白紙のコラムを印刷し、暴力で表現の自由が封じ込められたことへの抗議を表明し続けている。社会の中のイスラム系移民に対する視線はより厳しいものとなっており、オランダの寛容精神の揺らぎや、多文化主義の失敗を指摘する声もある。首都アムステルダムを訪ね、現状と今後を探ってみた。

―メッセージ性を持った殺害

 殺害事件を振り返ってみる。昨年十一月二日朝、ファン・ゴッホ監督は、新作映画「〇六・〇五」の打ち合わせのため、自転車で、友人と設立したテレビ・映画製作会社に向かった。何もなければ十五分ほどで会社に到着する予定だったが、アムステルダム市役所の前を通りかかったところでイスラム教徒過激派の一員でモロッコ系移民のムハンマド・ブイエリ容疑者が発砲。向かい側の道にたどり着いたものの、さらに数発の銃撃により死亡。ブイエリ容疑者は監督の喉元をかききり、胸に手紙をナイフで留めた。

 手紙はイスラム教徒たちに向けて書かれており、映画の脚本を書いたソマリア出身で元イスラム教徒の女性政治家アヤーン・ヒルシ・アリ氏〈オランダ存任〉、米国、オランダ、欧州への聖戦を開始するよう呼びかけていた。事件以前からイスラム教のモスク、学校などへの放火、逆にキリスト教系学校などへの放火や攻撃が相次いでいた。

 容疑者が保持していたメモにヒルシ・アリ氏への殺人予告が書かれていたため、氏は数ヶ月身を隠さざるを得なくなった。現在でも厳重な警護がついている。ヒルシ・アリ氏のみばかりか、以前から移民やイスラム教徒に対して否定的な発言をしてきた右派政治家ヘールト・ウイルダース氏も、近年イスラム過激派から殺害予告を受けており、ヒルシ・アリ氏同様に厳重警備下にある。

―教材として製作された「服従」

 「服従」は約十一分の作品で、国営テレビで放映された。現在、二分ほどの短縮版がインターネットなどで見ることができるが、全体像の公開は行われていない。五月にイタリアで上映されたが、これも短縮版だった。アムステルダムにある「服従」の製作会社コラム・プロダクティーズを訪れると、「視聴のみ」という条件付で、全体像を見ることができた。

 映画は、比較的シンプルな構成となっている。イスラム女性の伝統衣装で、床までの丈の黒い「ブルカ」に身を包んだ女性が、部屋の中央に立ち、自分のこれまでの人生を神に向かって話す、というもの。顔面は目だけが見えるようになっている。黒い装束は通常、女性の体全体を隠すものだが、この映画の中では首から下の中央部分が黒いシースルーの布になっている。肌色のパンティーは身につけているものの、乳房、足が透けて見える。

 この女性の後ろに、白いウエディングドレスを着たもう一人の女性がいる。背中にはコーランの文章が書かれている。顔や背中には殴られた傷跡があり、痛々しい。

 黒いブルカ姿の女性は、初めての男性との出会い、強制された結婚生活、父親の友人にレイプされたことなど、これまでの自分の人生を語る。殴打された女性の顔、コーランの文字、シースルーの装束から透けて見える女性の体の映像を見ながらこの語りを聞いていると、「人間性を否定され、理不尽な状況にいるイスラムの女性たち」というメッセージが強く浮かび上がってくる。

 使用言語は英語で、どうしてオランダ語ではないのかを「服従」のプロデューサーのハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏に聞いて見ると、「元々、ムスリムの女性たちの処遇に関して、世界の各国で議論をするための素材として製作したため」ということだった。

 「服従」を作るきっかけは、監督と政治家ヒルシ・アリ氏が友人同士で、彼女のアイデアを形にすることにかねてからイスラム教を批判していた監督が同意したからだという。

 自分自身もイスラム教徒だった下院議員のヒルシ・アリ氏は本人の意思とは無関係に強制的に結婚相手を決める制度から逃れるためにオランダにやってきた。イスラム教は女性たちを「赤ん坊を産む機械として扱っている」として批判し、「イスラム教の教義はリベラルな民主主義とは合致しない」というのが持論だ。「メトロ」の五月二十七日号のインタビューの中で、殺害予告が今後も続いても、「服従」の中でイスラム教の女性たちが不当に扱われている、とした主張を撤回するつもりはない、と語っている。

 6月中旬には、BBCのインタビューの中で、続編製作の意思を表明した。


〈続く)
by polimediauk | 2005-07-19 00:46 | 欧州表現の自由

何故か起きたかの解明努力

 7日のテロから1週間経ち、あっという間に4人の実行犯の名前が解明された。アル・カイーダ系ではないか、というところまでは判明したようだが、「何故テロを?」という部分が十分に解明はされていない。

 今回はやや雑感めいた話になるが、昼の12時に2分間の黙祷がイギリス中であった。私も黙祷したが、インターネットやテレビ、新聞などで情報は世界中に伝わるものの、やはりその場で生きていることからくる物事の衝撃というのは、なかなかメディアでは伝わりにくい。やはり、英国の外の人からすれば、犯人が誰でどんな爆弾を使ったのか、国際的テロのネットワークとはどんな関係があるのか、といった情報、あるいはテロの危険にあわないようにするにはどうするか?といった点に対する関心が高いかと思う。あるいは、実行犯がイスラム教徒だったということで、英国のイスラムコミュニティーがどうなるのか、といった点だろう。

 もちろん、英国に住んでいる人もこうした情報は知りたいわけだが、それ以上に、一番強く心にあるのが、実行犯も含めた犠牲者に対する思いと、何故「普通の青年たち」、いわば自分の隣人と言ってもいい人たち、電車で隣に座ったことがあったのかもしれないぐらいの身近な人が、テロを起こしたのか、だ。今後のために「何故」を知りたい、というよりも、「何故身内がこんなことをしたのか、知りたい」という感情がある。実行犯が英国で生まれ育った人たちであったということで、「他人事ではない」という思いがある。

 亡くなった方々も、もしかしたら、ロンドンの電車の中で隣同士に座ったことのある人だったかもしれない。今は、もういない。

 非常に身近な話なのだ。

 2分間の黙祷では、体がびりびりするような思いがし、後でメディアがよく言っていたように、確かに、「全員が一つ」になっていたと思う。

 しかし、ブレア首相が黙祷しているシーンをテレビで見たとき、私は怒りが出てきた。

 前回、国民が1つになったのは、数百万が反対の声をあげたイラク戦争開戦前夜だった。ブレア首相は全くこれを聞き入れることがなかった。「英国には異なる意見を表明する自由があるから、すばらしい」と言っていたのだった。「国際法に違反している」(実は、「国際法」という概念そのものに、あやふやな部分がある)など、散々批判されたにも関わらず、開戦に持ち込んだ。イラク戦争は英国に限らず、イスラム教徒だけにも限らず、世界の様々な国、人から非難された。

 テロが起きると、「反テロ法を急に厳しいものにしたりは、しない」といっていたのにも関わらず、そうした動きになりつつある。

 54人のテロの犠牲者は痛ましく、命は重い。しかし、たった4人の爆破テロ実行犯の行動で、そしてまだその行動の目的は分かっていないが、反テロ法を厳格化するのだったら、何百万人がデモなど民主的行動で抗議を示すよりも、テロの方が、英国の政治家を動かせる、ということを示すようなものだ。

 -イスラム教の若者たちの声

BBCの夜のニュース番組「ニューズナイト」で、英国ムスリム協会のタミミ博士という人が作った、短いビデオを放映した。協会に属する若い人たちに、今回のテロをどう思うか?をインタビューして、自分なりに「何故?」を分析したものだ。

 タミミ氏によると、4人が自爆テロを起こした理由には、「政治の失敗、イスラム教徒が世界中で殺されている事実、過激派の動き」などがある。

 政治の失敗とは、英国の外交政策を指し、中東のパレスチナ問題などが解決されていないこと、英政府の力が十分ではないことに加え、イラク戦争をあげている。(前に、イラク戦争は今回のテロに関係ないと思う、と書いたが、今になってみると、確かに背景要因としてうなずけるように思っている。)

 英国ではイラク戦争開戦に対する反対の声が非常に強く、それでもブレア首相は開戦に踏み切った。デモなどの民主的抗議が何の効果もないことへの絶望感が、若者の間で広まった、とタミミ氏は言う。

 また、イラクのアブグレイブ刑務所での米兵によるイラク人捕虜への虐待、キューバの米軍グアンタナモ基地での同様の虐待、イラク戦争で現在までに10万人以上のイラク人が亡くなったこと、など、「世界中でイスラム教徒が殺されている、傷を受けていることに対する悲しみと怒り」もイスラム教徒の若者の間で共有されている、という。

 さらに、過激派の浸透が一部の若者たちの間で見られるという。

 タミミ氏は、若いイスラム教徒の男性たちに、インタビューを試みる。1人は、「ロンドンのテロで人が亡くなった。しかし、イラクではもっとたくさんの人が毎日殺されている。ロンドンとイラクの、どちらの人の命が重いのか?人類愛の見地からは、どちらも等しく重いはずだ。しかも、英兵が殺していることに、怒りを感じる」。

 「過激派の行動を許してはならない。イスラム教の過激派も、白人中心主義の過激派も」ともう1人が答える。「怒りを感じても、普通はテロには走らないと思う」。
 このインタビューの前には、実行犯がいた北部の都市リーズで、白人ら30人ほどが集まり、最初は静かに飲んでいたが、途中から警察との小競り合いになったこと、また通りの建物の壁などに、人種差別的な落書きが出たことが報道された。

 私はオランダでのイスラム系移民の動きを少し追ってきたが、オランダと英国とを比べると、イスラム系移民への視線が随分違う。

 テロが起きた直後から、政治家のトップらは実行犯はイスラム教徒かもしれないと見当をつけていたようだが、イスラム系コミュニティーがバッシングに合わないようにという配慮が常になされてきた。

 オランダでは、昨年11月、イスラム教徒を批判した短編を作った映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム教徒過激派に殺害された。このとき、政府閣僚は「多文化主義は失敗した」「我々は移民に対して寛容すぎた」と言ったのである。また別の閣僚は、「イスラムとキリスト教徒の戦争が始まった」とも言った。

 オランダの事件がいかにオランダ国民にとって衝撃だったかは想像に難くないが、それにしても、ここまで言われたら、イスラム系移民は全て否定されたようなものだ。はっきりと、「異質だ、社会の一部ではない」といわれたようなものだ。
 
 英国では、そういうことが全くなかった。特にロンドン市長が、ロンドンは移民がいて成り立っている場所であること、様々な人種が住む国際都市であることを強調してきた。

 今回のテロのイスラムコミュニティーへの影響だが、英国とオランダを比較した場合、イスラム系の人々が一歩(か2歩かあるいはそれ以上か)深く英社会の中に入っているようで、おそらくその差が出てくるのではと思ってみている。

 ただ、現在のところは、多くの人にとって、「身近な隣人がテロを起こした」という部分のショックが大きく、これが何を意味するのか?は理解するのに時間がかかりそうだ。ショックが大きいとき、これをそしゃくするのに時間がかかる場合があると思うが、丁度そのような状況があるように思う。ただし、メディアの報道によって、思わぬ方向に進む可能性もあるが。

 最後に、たまたまロンドンに滞在していたニューヨークの元市長ジュリアーノ氏も、ロンドン市民がそれほどあわてず事態に対応していたことなどを誉めており、メディアでも、ロンドンは「禁欲的・ストイック」に事態を処理したと書かれてあるのを読んだ。

 確かに、IRAでのテロの経験があるということもあるが、それに加えて、もし日本と比べて大きな違いがあるとすれば、私は2つあると思う。

 それは、英国民全員が、「必ずテロはあるだろう、リスクはあるだろう」と思っている点がまず、ある。「もし起きたら」でなく、「いつ起きるか」だった。

また、もう1つは、あまり簡単にパニックにならない。何故?といわれても、説明が難しいが、極度の私見になるが、おそらく、一人一人がてんでんばらばらにいろいろなことを考えており、お上の言うことをそのまま信じない国民性がある。テロで大変だが、それはそれ、として、自分で考えて生きていく。

 「禁欲的に、パニックにならずに」行動をしている英国民に、「さすが英国人」という表現が英国以外のメディアで見られたが、テロの時の様子をもってして「英国的・禁欲的・第2次世界大戦で一丸となって耐えたのを思い出させる」とか、「他人に言われたくない」という女性に、週末、あるレストランで出会った。

 「英国人的」として、ひとくくりにまとめらるのが、「いやでたまらない」ということだった。
by polimediauk | 2005-07-15 08:24 | 政治とメディア
目撃者の証言を募るため

 ロンドンのテロの実行犯と見られる男性4人に関する情報を、英警察当局が徹底収集中だ。その内の1人の顔写真をタイムズが1面で載せた。3年ほど前に教育関係の記事用に撮影したものらしい。

 調査を続けている1人の写真で、運転免許証からとったものと、監視カメラCCTVが捕らえた写真を、当局がメディアに送付した。CCTVが撮ったものが思ったよりもかなりはっきり写っていて、実はやや驚いた。CCTVというと、イメージ的に白黒で画像状態も悪いように思っていたが、カラーだとかなり鮮烈になる。

 また、ロンドン警視庁のブレア氏が、14日昼の会見で、犯行は「アルカイダ系の自爆テロだ」と明言したそうである。

 以下に、記事と写真を載せる。教室の写真はBBCからで、他の二つはロンドン警視庁が配った写真。この2つは、地下鉄の駅などでも警察官らが目撃者から情報を得るために使われているようだ。

 アル・カーイダ系組織の自爆テロ…ロンドン警視庁長官
 【ロンドン=飯塚恵子】ロンドン警視庁のイアン・ブレア長官は14日、記者会見し、ロンドンの同時爆破テロ事件は自爆テロだと初めて公式に明らかにした。

 長官はまた、「事件は、国際テロ組織アル・カーイダのあらゆる特徴を示している」と述べ、アル・カーイダ系組織によるものだと断定した。

 一方、ロンドン警視庁は14日午後、実行犯4人のうち、2人は英国中部リーズ市に住んでいたシェザード・タンウィア(22)、ハシブ・フセイン(18)両容疑者であると、初めて氏名を公表した。フセイン容疑者については、顔写真と監視カメラの写真を公開し、市民からの情報提供を求めた。また、事件の死者が1人増えて53人となったと発表した。

 英BBC放送などは14日、実行犯の1人で、最後まで身元が不明だった4人目の男はジャマイカ生まれで英国籍、30代前半のリンジー・ジャーメイン容疑者だと報じた。捜査当局は13日夜、ロンドンの北西約60キロのエイルズベリー市の家屋1か所を家宅捜索しており、この家がジャーメイン容疑者が直前まで住んでいた場所だと見られている。

 英PA通信などによると、捜査当局は、事件に関与したとしてエジプト生まれのマグディ・エルナシャール容疑者(33)の行方を追っている。リーズ市の郊外、バーリー地区にアパートを借り、事件の首謀者と見られるパキスタン系の男に自宅の鍵を渡し、事件の数日前に姿を消したという。バーリー地区からは、事件直後に捜査当局の手で爆発物が発見されている。

(2005年7月15日1時12分 読売新聞)

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(モハメド・シデク・カーン容疑者。教員補助として働いていたという。)

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(ハシブ・フセイン容疑者ー運転免許証より)
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(同じくフセイン容疑者。CCTVの画像。)
by polimediauk | 2005-07-15 02:40 | 政治とメディア
 イギリス時間の昼の12時、日本時間の午後8時から、ロンドンの爆破テロによる犠牲者を悼むため、2分間の黙祷がある。地下鉄は止まらないが、沈黙の時間となる。

 14日付タイムズ紙は1面で、「殺人者が教室にいた」という見出しをつけ、爆破実行犯とされる4人のうちの1人が教室にいる写真を載せた。英国で生まれ育った人間が、爆破テロを起こした、ということで、大きな衝撃と波紋が英国中に広がっている。
by polimediauk | 2005-07-14 19:21 | 政治とメディア

過激派的行動を絶つ努力

 英国で生まれ育った4人が7日のロンドンの爆破テロを犯行を起こしたとすると、これからも同様のテロを計画している人はいるのではないか?、4人だけで計画を実行に起こせるわけがないから、首謀者が裏にいたのではないか?さらに、4人が住んでいたコミュニティーの中のショックと動揺をどう解消するのか?――これが、若い4人の男性が実行犯だったらしいという情報が出た後の英国の関心ごとだ。

 13日の朝のラジオの番組「TODAY」によると、例えば、4人だけで犯行を起こしたとは考えにくいのは、、たとえテロをする意志があっても、プラスティック爆弾を入手し、実際に行動に移すには、かなりの知識と経験が必要だと見ているからだという。外国のテロ組織からのヘルプがあったのでは?という説もある。(確証はない。)

 チャールズ・クラーク内務大臣がインタビューされている。

―4人の若い男性たちが爆破テロの実行犯だったらしい、という情報をどう受け止めたか。

クラーク:驚き、ショックだった。イスラム教徒のコミュニティーのリーダーたちとの話し合いを続けていたが、他の全員がショックだったと言っていた。

 まず、2つのことを考えた。4人は警察や諜報情報機関の記録では、レーダーにひっかかっていなかった。何故なのか?諜報能力を高めないといけない。今日、欧州の情報機関・テロリズム機関の代表らと会議をする予定だ。

 もう1つは、あるイデオロギーが、個人に過激な行為をさせる、その仕組みをもっと解明したいと思った。

―普通の若者がこのような行為を働いたことに関してはどう思うか?

 クラーク:ある意味では、よくあることだ。2001・9・11の米国大規模テロでも、実行犯は比較的良い家庭、良い教育を受けた若者たちだった。貧困が過激派を作り出しているのではない。

 これを防ぐには、1つには諜報情報の精度を高めることと、該当する例えばイスラム系のコミュニティーが、こうした行為にもっと毅然とした反対の声をあげることだ。若者の心に過激な行為を説く説教師に注意している。原理主義に対し、イスラム教のコミュニティーのリーダーたちが、強い非難の声をあげることだ。

―しかし、これまでもそうしてきたのではないか?
クラーク:確かにそうだ。7日のテロの直後も、それだからこそ、イスラム系コミュニティーのリーダーたちがテロを強く非難した。民主主義の私たちの社会の基本を脅かす原理主義に対して、厳しくあたらないといけないと思う。

―例えば、国務大臣として、危険な人々を国外退去させる、ということも考えているのか?

 クラーク:それも考えている。社会の基本的原理を脅かす人はここにいるべきではない。しかし、一方では表現の自由などを守ることもしなければならないから、バランスを守るのが難しい。

―国外退去、という手段は、英国籍の人には使えない。

クラーク:その通りだが、例えば表現の自由は保障されないといけないが、それでも、人に過激行動を起こさせるような表現は許されないと思う。

―どうやって普通の若者たちが過激派になってゆくのか?例えば元ロンドン警視庁のトップだったスティーブンス卿は、約3000人の英国の若者が、アフガニスタンなどにあるウサマ・ビンラーディンの軍事トレーニングキャンプに出かけたといっているが。

クラーク:数は確認できない。また軍事トレーニングを受けたかどうかもはっきりいえない。しかし、たくさん出かけているのは確かだ。ただ、その中でも過激行動に走るのは、ほんの一握りだ。先の4人の男性たちも、ほんの一握りの、ほんの一部だ。誰かが裏で彼らを動かしているのだろう。まだこの4人が爆破テロの犯人だったと断定はできないが。


―4人の後ろにはテロ組織が存在していると思うか?

クラーク:たった一つのテロ組織かどうかは分からない。アル・カイーダも変わっており、世界に様々な形で発生している。4人がどの特定の組織と関係があったのかは、まだ判明していない。

―この4人のほかにも、新たにテロを起こす英国籍の人がいると思うか?

クラーク:他にもいるかもしれない、という前提で、人は自分を守らなければならないと思う。

―欧州のテロ調査関係者との会議では何を話すのか?

クラーク:連携をさらに高めたい。情報をさらに共有したい。通信情報にもっとアクセスできるように。また、爆発物を調査し、その識別を精査したい。

最後に、私たちの社会の民主主義、自由経済、表現の自由、多文化を「まちがっているもの」とする人々がいる、ということ。これを破壊したいと思っている組織が存在している、ということ。破壊されないための方策は、社会の中の自由をいかに保つかとのバランスをとることを要求される。バランスをとることが難しい。
by polimediauk | 2005-07-13 20:12 | 政治とメディア