小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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「一体この事件がどんな意味を持ち、私たちはどうすればいいのか、今でも分からない」

 今回は、イスラム教徒の女性の処遇を批判した短編映画「服従」(テレビ放映)のプロデューサー、ハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏のインタビュー。この映画がきっかけとなり、テオ・ファン・ゴッホ監督がイスラム教鍵思想の青年に殺害されたのは昨年11月だった。制作会社を訪れると、あるコーナーにはファン・ゴッホ監督のいろいろな写真が飾ってあった。制作会社は、フェン・デ・ウエステラーケン氏と監督が二人で作ったものだった。私は、氏の監督評を聞いているうちに、どことなく、日本のビートたけしを連想していた。

―何故この映画を作ったのか?

ファン・デ・ウエステラーケン:(政治家でイスラム教批判を続けている)アヤーン・ヒルシ・アリ氏への尊敬から、この映画を制作しようと思った。彼女のことをよく知っていたし、監督が作りたいと思っていた。3人で、どのように映画を作り、どの対象に向けたものにするのかを話し合った。通常、映画制作の中で監督は大きな決定権を持つが、この映画に関しては、共同作業的だった。社会的、政治的な賞賛の思いがあったのと、ヒルシ・アリ氏が友人だから作った、ということになる。(注:ヒルシ・アリ氏は脚本を担当。)

―ファン・ゴッホ監督は急進派と言えるか?例えば、イスラム教が後進的だ、として批判していたと聞いたが。

ファン・デ・ウエステラーケン:テオは急進派ではなかった。挑発する人、と呼んだ方がふさわしい。コラムやエッセーやディベート番組などで、相手を挑発・刺激することを好んだ。人々の本音を引き出していたし、この点ですごく優れていた。オランダでは、最高に優れたテレビのインタビュー番組をやっていた。これが彼のメインの仕事だった。相手を挑発しながら、その人の本音を引き出していた。右にしても左にしても、強い言葉を使うのが手法だった。

―それでは「右派」ではなかった?

ファン・デ・ウエステラーケン:右派ではない。右派とか左派とか、彼をどちらかの側に入れることはできない。長い間、オランダの社会民主党のメンバーだったが、後でスイッチして、メンバーにはならなかったが、自由党に共感していたようだ。

 テオの家族は、政治関心が高かった。主に左派といっていいだろう。社会民主的、リベラル左派。非常に英国的な手法を実行していた。つまり、ありとあらゆることをディベートする、それを政治の場で生かそうとする、という点だ。

―監督の父親はどんな仕事を?

ファン・デ・ウエステラーケン:今83歳。諜報情報機関の通訳だった。母親も政治に関心が高く、姉妹は政治家だった。

―「服従」の反響について、どう思ったか?

ファン・デ・ウエステラーケン:最初この映画を作ろうとしたときは大きな反響があるとは思っていなかった。実際に放映されたときも、その時点でというよりも、新聞がその後にいろいろ書いたために大きくなった。議論が起きたが、内容は、脚本を書いたヒルシ・アリ議員に関するものだったし、テオに関してはそれほどの言及はなかった。何らかの問題がおきるかもしれないとは思ったが、議論があって、最初はそれだけだった。(殺害というような)こんなことになるとは、誰も思わなかった。事件は放映から2ヶ月後で、映画に関して人々はほとんど忘れていた頃だった。

―英国ではイスラム教徒を表立って批判すると、按配が悪いような、政治的に正しくないという雰囲気がある。オランダはどうか?

ファン・デ・ウエステラーケン:オランダでも同様だ。

―現在、イスラム教徒に関する論調は変わったか?

ファン・デ・ウエステラーケン:変わった、確かに。

 オランダと英国が違うと思うのは、例えイスラム教徒に批判的なことを言うのが政治的に正しくないとしても、それでも表立って議論がなされているのではないか。イスラム教徒がテレビでインタビューなどに出ているのが証拠だ。問題の所在がはっきりしている。オランダでは、もっと隠されている。誰も触りたがらない危険なトピックだ。触らないうちに消えて欲しい、と思うようなトピック。

 だからこそ、テオが映画監督として、これを外に出したいと思ったのだと思う。殺害事件後、イスラム教批判の論調は過激化している。

 オランダで欧州憲法の批准のための答えがノーになったのは、憲法がどうこうでなく、人々が現政府を嫌っているからだ。政府を信頼していない。政治家への不信。政治家だけでなく、誰かトップにいる人に対する不信。この国が統治されていることに対しての不信、不満。こうした不信感は全ての意味で過激的な動きにつながっていくと思う。極右や極左や生まれる土壌を作る。

―いつ頃からそうした不信感が強まってきたのか?

ファン・デ・ウエステラーケン:政治家ピム・フォルトウインが(2002年に)殺害されたが、その少し前からオランダは変わってきたのだと思う。フォルトイン氏のような、やや議論を巻き起こすような人物は世論調査でも人気が高く、もし暗殺されていなければ、きっと選挙に勝っていただろう。これはオランダでは驚くべきことだった。オランダの政治は何も変わらないと言われてきたからだ。安定しているコミュニティーだと言われてきた。もはやそうではない。だから、とても変わったのだと思う。

―ファン・ゴッホ監督は、この暗殺に関する映画「05・06」を作ったが、何故作ろうと思ったのか?

ファン・デ・ウエステラーケン:この政治家を良く知っていた、という点がまずある。また、殺人事件では、簡単に、いろいろな説を作ることもできる。陰謀説など。映画の題材として最高だった。

―監督がフォルトゥイン氏の映画を作ったので、監督自身が極右派と言われたフォルトゥイン氏の考えに同意していた、という見方があるが?

ファン・デ・ウエステラーケン:違う。映画は、政治的意見を述べたものではない。純粋に、政治的スリラーだ。パラノイアのスリラー。二人はある事柄に関しては意見が一致していたが、他の点に関しては意見が一致していなかった。テオは政治家フォルトゥイン氏を好んだのは、フォルトゥイン氏が率直で、オランダで、本格的政治的議論を始めた人だったからだ。テオは率直に意見を表明することが好きだった。典型的なオランダ式というのは、自分の意見を明瞭に大きく言い過ぎないことだった。テオは米英のような政治のやり方が好きだった。問題を表に出して、オープンな議論をするやり方だ。

―オランダの多文化主義が失敗した、という人もいるが。

ファン・デ・ウエステラーケン:当たっていると思う。真実だ。多文化主義、というのは実は御伽噺のようなことだ。オランダに限らず、フランスでも、実はモノカルチャーで、典型的な、西欧の、民主主義の、キリスト教の、ジェスイットの、呼び方はどうであれ、そういう文化なのだ。

 多文化主義というのは表面的なもので、例えば通りにある食べ物屋のようなものだ。いろいろな料理があるが、これで「多文化主義」と呼べるだろうか?

 ある国を多文化主義で変えることはできない、本当に多文化主義にしたいのだったら、イスラム教の法律をオランダの法律の中に組み込まないといけない。しかし、それはここでは通用しないし、機能しないと思う。

 私たちは、異文化に対して寛大過ぎた。周囲の様々な異なる文化に対して、妥協しすぎた。移民たちを無視していた。移民たちに移民の学校を与え、住居地区を与えれば、それですべてがいいのだ、としていた。結果的に、移民たちを孤立化させた

―じゃあ、多文化主義というのは神話だろうか?

ファン・デ・ウエステラーケン:全くそうだ。典型的な、社会的、民主主義的間違いだ。

―殺害の朝に起こったことを教えて欲しい。11月2日の朝、監督は自転車に乗っていた、ということだが。

ファン・デ・ウエステラーケン:その日は、配給先に最新映画のラフカットを見せることになっていた。自宅からここまでは自転車で15-20分かかる。殺害された場所の近くに自宅があった。

―殺害されたと聞いたとき、どう思ったか?

ファン・デ・ウエステラーケン:直後から最初の月は何も考えられなかった。様々なことが起きて、静かにその影響を考える時間ははなかった。新聞を読む時間もなかった。私にとっては、ショックは後からきた。オランダ社会に何が起きるのだろうか?と考えるようになった。一体この事件がどんな意味を持ち、私たちはどうすればいいのか、今でももちろん分からない。

 表面的にはノーマルになったようにも見えるが。しかし、元に戻ったというのはうそだと思う。今でも、オランダ社会の底では、今回の事件が起きた原因に関連した要素が渦巻いていると思う。危険だと思う。

 殺害は洗練されたものだった。電車を爆破したとか、大量に人を殺したのでなく、たった一人の人物の殺害だった。一人の人を殺すだけで、表現者たちは書いたり話したりすることに対して非常に注意深くするようになった。この点では洗練された爆弾(スマート・ボム)が表現の自由に影響を及ぼした、といえる。

 私は、今後似たようなことが起きても、驚かない。イギリスやフランスでも起きるかもしれない。というのは、これはとても簡単なやり方だからだ。たった一人をピックアップすればよいのだから。

―オランダがこれからどうするかを欧州が見ている。

ファン・デ・ウエステラーケン:そうだ。問題なのが、オランダ自身がどうしていいのか、答えを見つけていないということだ。答えを見つけることはできないだろう。答えがあるかどうか?これは大きな問いかけだ。状況は悪くなるかもしれない。

―「服従」(2004年8月、テレビ放映が初公開)は、後の劇場公開では、数分の短いバージョンだけだった。フルバージョンの公開はされなかったが、その理由は?

ファン・デ・ウエステラーケン:ここで働く人々を危険な目にあわせるわけにはいかないからだ。それで、映画全体を外に出すことはしないことにした。

―「服従」で黒いブルカを着ているのは、女優か?

ファン・デ・ウエステラーケン:そうだ。米語でしゃべっている。英語にしたのは、脚本を書いたヒルシ・アリ氏が決めた。テレビだけでなく、アムネスティインターナショナルなどと一緒に特別上映をしたいと考えていたからだ。

―映画はかなり挑発的だ。特にイスラム教の人々はかなり衝撃なのではないか?

ファン・デ・ウエステラーケン:もちろん、議論を起こすためには、強い表現が入ったものを見せないといけない。もしかしたら、ある人々にとっては、強すぎる、ということもあるだろう。挑発的なことをしようとしたら、リスクがあることを覚悟している。

―監督は、プライベートでも挑発的な人物だったか?

ファン・デ・ウエステラーケン:仕事以外では、そうではなかった。非常に友人思いで、一緒にいて、楽しく、ワインを飲んだりした。テオがいなくなって、人生がつまらなくなった。テオはいつもこのオフィスに来ていた。

―遺族は?

ファン・デ・ウエステラーケン:14歳の息子がいる。今でも(殺害された場所に近い)同じ場所に住んでいる。

(「服従」はネット上では以下のアドレスで全編が見れる。)
http://ayaanhirsiali.web-log.nl/log/2292608
by polimediauk | 2005-10-31 15:22 | 欧州表現の自由

科学的探究でなぞを解く?

 インドでもテロと見られる爆破がおき犠牲者がでているが、7月7日のロンドンテロが何故起きたのか?英国では解明の努力が続けられている。

 先週、BBC2の「ホライゾン」というテレビ番組枠で、何故7月のテロが起きたかを「科学的に探究」する、とした番組が放映された。

 心理学の専門家、英軍に長年務め現在は英軍で働く人への精神面でのアドバイスをする人、英領北アイルランドでテロ活動を行っていた人、イスラム系テロに関わった数十人に何らかの共通点がないかどうかを探った人など、それぞれが専門知識を持ち寄った。(名前のメモをとればよかったのだが、記憶にたよった報告になるが・・・。)

 改めて分かったことは
―「宗教」というのが必ずしも要因ではない。宗教やそのほかの事柄を通じて、小さな親しいグループが出来上がり、グループ内のプレッシャーが、自爆テロの強行という結果につながる。
―実行者は、アルカイダなどのテロ集団から指示があったケースは全体の20%ほどで、ほとんどが、自分たちで物事を決め、行動に移している。中央からの指示を必要としていない。
―爆発物の生成は比較的簡単に、ネットなどからの情報で可能。
―テロ犯の社会的バックグラウンドは様々だが、決して貧困が第一の理由にはなっていない。むしろ、生活は中流以上で、本人たちも大学出など、ある程度の高学力である場合が多い。
―家族や周囲が、本人がテロ行為を考えていることを気づかない場合も多い。(ただし、7月7日の実行犯の場合は、1人の妻が、家に帰らなくなったために何かおかしい、と感じていたという。妻は、実行犯だった夫が浮気をしている、と思っていたそうである。
ー調査の結果、テロ犯には、誰でもがなりうる可能性がある、ということ。

 そして、7月のテロ犯らが集まっていた、地元のスポーツクラブの前に立った心理学者は、「地元のモスクにいた長老や、あるいは過激思想を持つイスラム教徒たちに刺激を受けた、というよりも、実行犯の青年たちがこのスポーツクラブに集まって、友人として親交を深めていたことのほうが、何故同時爆破テロが実行されたのかのなぞを解く鍵がある」と述べた。

 つまり、ピア・プレッシャーというか、友人同士の結束があって、途中からはもう抜け出ることができなくなる、というのである。これに加えて、軍隊にいた経験を持つ専門家も、戦場では自分も、そして小さなグループの中にいる仲間も一心同体で、相手を倒すことに集中するので、自分ひとりが抜けることはできない精神状態になることを説明する。かつて英空軍特殊部隊にいて今はコンサルタントとなったアンディー・マクナブ氏も、同様のことを言っていたことを思い出す。「どうやったら、19歳で人を殺すことができたのか?」という、大胆な問いをあるジャーナリストがしたところ、マクナブ氏は、「自分のチームにいる仲間を絶対に失望させたくない、仲間を絶対に守らなければならない、という強い思いがあった」と答えている。

 この番組が探し当てた要因が正しいか間違っているかはそれぞれが判断するとしても、夏の間、「悪いのは、英国のイスラム教徒の指導者たちだ。指導が十分に行き渡っていなかった」とする論調や、「悪いのは、イスラム過激派の思想を広める、外国からの亡命者たちだ。追放しろ」という声があがっていた。こうした、いわば「直後の反応、判断」が、いかにある意味で性急な論理だったのかもしれないようなことが、分かるような番組のつくりになっていた。

 一方、10月30日付のサンデー・テレグラフ紙は、7月のテロの実行犯の1人、22歳のシェザード・タンウイール氏の父親の初のインタビューを載せている。息子のほうは英国ウエスト・ヨークシャーで生まれ育ったものの、父はパキスタン出身。遺体をパキスタンに埋めに、国に戻ったところのコメントである。

 「私の知る限りでは、誰よりもイギリス人らしい青年だった。スポーツの道を進もうとしていたし、最後の夜も、クリケットを楽しんだばかりだった。まずちゃんとした形で埋葬を行いたいが、何故息子がこんなことをしたのか、どうしても突き止めて、世界に発表したい」と述べている。

 タンウイール氏の遺体が家族に戻されたのは25日だったという。パキスタンの村での埋葬には、300人ほどが集まった。

 父は、「英メディアはひどく偏向している。イスラム教徒に対して憎悪を持った報道をしている」と語っている。「私たちイスラム教徒を、殺人者たちだと呼んでいた。これ以上悪く書けないぐらいの表現を使っていた」。

 サンデーテレグラフのこの記事には、タンウイール氏の顔写真と、パキスタンの墓場で、誰か(タンウイール氏の父かと思わせる人物)が後ろ向きに座っている写真がついている。

 タンウイール氏は昨年11月パキスタンに行き、そこで、4人のうちの別の実行犯モハメド・さディク・カーン氏(主犯とされている)と会い、3ヶ月滞在していた。この間に、カーン氏は、後にアルジャジーラテレビで放送されることになった、「我々は戦争状態にある。私は兵士だ」とするビデオを作っていたと見られている。このビデオの中で、カーン氏は、英国のイラク戦争参戦を非難し、これが彼の自爆テロの理由だ、としている。

 また、英国の主要な鉄道の駅では、空港のチェックイン時のような、ボディー・スキャンやX線検査などのチェックを行う計画があるようだ。これもサンデーテレグラフによると、だが。
by polimediauk | 2005-10-31 02:05 | 英国事情
10月から、ライブドアニュースで、アルジャジーラの英語ネットから、翻訳記事が出ているが、キューバにあるグアンタナモ基地に拘束されている、アルジャジーラの記者の記事を興味深く読んだ。以下に一部を貼り付けるが、グアンタナモ基地に拘束されている、米国からみて「テロリストかもしれない人たち」の処遇には関心を持って、追ってきただけに、感慨深いものがあった。

 この中に出てくる、クライブ・スタッフォード・スミス弁護士は、英国人拘束者の釈放に向けての運動にも関わってきた人で、よく英国のテレビにも出演してきた人だ。それだけに、一定の信憑性を持って、この記事を読んだ。「密告者になれ」というのが、米政府の方針かどうかはこの記事からだけでは分からないが、現場で取調べというか、そういう作業に従事している人は、どんなこともいうはずである。続報が読みたいような気がする。(全体はライブドアニュースで見ていただきたい。http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1461407/detail)


アルジャジーラの密告者に成るよう強要  米軍が拘束中の同社カメラマンに
 【アルジャジーラ特約28日】アルジャジーラのカメラマンで、スーダン国籍のサミ・ムヒ・アル・ディン・アル・ハジ氏が今、正式な起訴、裁判もないまま、約4年間にもわたって米軍グアンタナモ基地に収監され続けている。米国人のクライブ・スタッフォード・スミス弁護士がこのほど、アル・ハジ氏と2カ月ぶりに面会、同氏の近況、米軍による取り調べ状況、そして同氏解放の見通しなどをアルジャジーラに語った。

 アル・ハジ氏はアルジャジーラの要請を受けて2001年10月、米英軍の空爆が続くアフガニスタンに入ろうとした際、米軍に拘束され、その後グアンタナモ基地内に移送、収監され、厳しい取り調べを受けている。

 同弁護士は「アル・ハジ氏は無実」と強調した上で、アル・ハジ氏が取り調べで暴行や性的虐待だけでなく、宗教的迫害も受けるなど、劣悪な環境に置かれていると明らかにした。

 さらに、同弁護士は、米軍があらゆる脅迫材料を使って、アル・ハジ氏にアルジャジーラの内部情報を流す”密告者”になるよう強要し、最終的には同氏に「アルジャジーラはアルカイダと関係している」と”供述”させようと企んでいると言明した。

 スタッフォード・スミス弁護士との一問一答は次の通り。

 ―アル・ハジ氏に対する法的手続きは進んでいるのか。

 「残念ながら、何の進展もない。米政府は法的手続きを故意に遅らせている」

 ―アル・ハジ氏の近況、特に身体、精神面の状態はどうか。

 「今回の面会は2カ月ぶりだった。アル・ハジ氏は家族の状況を知りたがり、アルジャジーラが同氏の妻と5歳の息子をカタールのドーハに移し、世話していることを喜んでいた。アルジャジーラがグアンタナモ基地に収監されている”囚人”たちの惨状を世界に報じたことも喜んでいた」

 ―アル・ハジ氏に示されている罪状には法的根拠があるのか。

 「法律論からすれば、何の法的根拠もない。罪を犯したというのではなく、”敵側の戦闘員”とされているだけだ。米国内ではこのような罪名など通用しない。米軍は同氏がアフガニスタンに入ろうとしていたと主張している。それは事実だが、米軍は同氏がアルジャジーラの命を受けていたことには全く触れていない」

 ―アル・ハジ氏が拷問や虐待を受けた形跡はあったか。

 「身体的、性的虐待だけでなく、宗教的迫害を受けた。最もひどかったのはアフガニスタンで拘束された時で、頻繁に殴られ、性的虐待を受けたという。顔には傷が残っている。グアンタナモ基地でも同様で、特に、コーランへの冒とくに抗議すると、暴行は激しくなるという」

by polimediauk | 2005-10-28 02:50 | 放送業界

「オランダ社会の根幹部分で大きなことが起きているわけでない」「しかし、欧州全体に、少数の、非常に狂信的な人々がいる」

 左派系「フォルクスクラント」紙の元記者で現在は作家のピエール・ヘイボアー氏に、昨年11月のテオ・ファン・ゴッホ氏殺害事件の影響を聞いた。

―モッロコからの移民2世の青年が、イスラム教が女性蔑視だとする短編映画「服従」を作ったゴッホ監督を、「イスラム教の名の下で」殺害した。オランダ社会への影響という点から、これをどう見るか?殺害者が移民の青年だったという点から、オランダの多文化主義政策が失敗した、という人々もいたが。

ヘイボアー氏:監督殺害は、外国の人が思うほどには、オランダ社会の中で重要なことではなかったと思う。外国からすると、そう見えた、と。今回の殺害事件は、この国が過去20年間でやってきたことの、単なる帰結だったと思っている。

 まず、歴史をさかのぼると、オランダが生まれたのは、1600年代だった。元々、7つの地域の共和国だった。当時オランダを支配していたスペインと戦うために結束し、独立戦争を80年間行い、独立した。農業や商業が生活の基盤だった。

 商業が生活様式であるということは、つまり、オランダの歴史、寛容の歴史は、イデオロギーでなく、お金を儲けるためだった、ということだ。

 私はオランダ南部の炭鉱の町に生まれた。父親は炭鉱夫だった。1920-1930年代、ポーランドやチェコ、ドイツから移民が入ってきた。私が生まれ育った町にもこうした移民たちがやってきたが、全く問題なく受け入れられていた。みんな働き者だった。寛容とは関係なく、経済の問題だ。

 今でも、オランダ人はある一定の仕事をしたがらない。それで、南の国からやってきた人がやるようになった。アフリカで劣悪な環境で暮らしてきた人々は、もっと良い環境で暮らしたいという望みがあったし、自分の子供たちがよりよい生活ができるようにと願って、欧州にやってきた。

 インドネシア、スマトラ、などオランダの元の植民地からも移民やって来たが、オランダのパスポートを持っていたから、来ることが容易だった。インドネシアなどから来た人々は、元々ホワイトカラーで、オランダに来て、良い官僚になっていった。問題は、新しい移民、つまり1960年代から70年代、オランダ政府が北アフリカ諸国、例えばモロッコなどから呼び寄せた移民たちだった。

 こうした新移民たちは、オランダ人が通常やりたがらない仕事に従事した。5年働いてから、国に帰り家を買う、というつもりで、どんどんやって来た。

やがて、こうした人々は年をとりオランダに住み着いた。子供ができた。この子供たちが問題となった。第2世代、あるいは3世代の子供たちだ。

―何が問題となったのか?

ヘイボアー氏: 例えば、2-3世代のモロッコの人たちはよい教育を受けておらず、オランダ語も十分でなかった。また、若いモロッコ人たちは、自分たちがモロッコ人であるのか、オランダ人であるのか、分からないままに育った。先住オランダ人のようにフットボールチームに入ってプレーをすると、自分はオランダ人だ、と感じることができても、フットボールをしていないときの自分は誰なのか?と。

 失業率がこうした青年達の間では高く、行き場所がない場合が多くなった。行くあてがなく、良い仕事もオランダ社会では見つけられない、と。そうすると、そのうち、ある瞬間が訪れる。例えば、誰かが、「君はイスラム教徒だ。イスラム教徒であることの意味が分かるか?犠牲者になるな。闘って、勝つんだ」といわれる。そこで間違った方向に進んでいく。

―オランダ政府は、新移民の青年たちが社会にもっと融合するために、もっと何かをするべきだったと思うか?

ヘイボアー氏:そう思う。

―しかし、人々の生活にあれこれと干渉したら、社会は寛容ではなくなるのではないか?

ヘイボアー氏:私は、ただのジャーナリストだ。歴史が過ぎるのを、外から見ているだけだ、

 しかし、オランダ社会は、500年以上も、他の国や他の社会から来た人々や様々な異なる思想を何とか消化してきた。これからもいろいろあるとは思うが、現在問題とされていることも、解決してゆけると思う。

 現在のオランダ社会に怒りをもつ若いモロッコ人たちも、20年も経てば、オランダ人、アムステルダム人になると思う。若者たちが話をしている様子を小耳に挟むと、すっかりアムステルダムのアクセントで話している。希望を持っている。

―監督殺害事件を最初に知って、どう感じたか?

ヘイボアー氏:ひどいことが起きた、と思った。狂人がオランダ映画監督にひどいことをした、と。オランダでは、殺害は頭の狂った人が行った、という解釈になっている。

―しかし、殺人罪で終身刑となったブイエリは、オランダ社会によく溶け込んでいたと聞いている。高い教育も受けていた、と。

ヘイボアー氏:彼の人生の中で、何かが起きたのだと思う。完全に変わってしまう何かが。オランダの情報機関でもその変化のきっかけをつかめていたかどうか?

 いずれにせよ、事件が起きてから、後で批判するのは簡単だ。簡単すぎる。「気づくべきだった」「ああするべきだった」とか。

 最も重要なことは、そして私が確信しているのは、オランダ社会の根幹の部分で大きなことが起きているわけでない、ということだ。

 何が起きているかというと、スペインを含めて多くの欧州の国々で、少数の、非常に狂信的な人々がいる、ということ。こうした人々が狂信的行動に出ようとしている、ということだ。

―欧州でキリスト教とイスラム教との衝突が起きていると見ているか?

ヘイボアー氏:そう思う。しかし、これに関して、自分は何らかの分析や答えを言える人間ではないと思う。

―しかし、この社会に生きていて、こうした衝突を、個人のレベルではどう受け止めているのか?

ヘイボアー氏:本音部分で私が感じているのは、オランダ云々ではなく、何かこの問題に関して発言しようとすると、自分がイスラム教に関して、否定的なことを言ってしまいそうな点だ。

―オランダ人として、それは言いたくない、ということか?

ヘイボアー氏:言いたくない。

 あえて少し言うと、例えば、イスラム世界では、若いイスラム教徒の男の子たちが、学校で授業時間の半分を使って、コーランのことを勉強している。西欧では、90%の学校の時間を使って、子供達は様々な学科を学習をしている。学校の50%の時間でコーランを学習しているイスラムの世界は、遅れを取っていると感じるのではないか。欧州人やキリスト教徒の人たちが前に進み、自分たちは後ろになる、と。後ろになると、怒りを感じたり、アルカイダになったりする。こういう面が、私が考えるところの、問題の一部だと思う。

―移民をこれ以上増やすな、とした政治家ピム・フォルトゥイン氏が暗殺された事件をどう思ったか?右派だったと言われているが?

ヘイボアー氏:極右派だったと思う。動物愛護家の左派の人に殺された。私自身は、驚かなかった。オランダでは、自分の言いたいことを非常に明瞭に表現する彼のような政治家がいるし、一方では、動物や環境に非常に心を傾ける人も多いからだ。

―しかし、人々が自由に意見を表明できること、つまり言論の自由が重要とみなされている国で、政治家がその姿勢や発言ゆえに殺害される、映画監督が殺害されるというのは、嘆かわしいことではないだろうか?発言をして、殺されるとは。オランダは、寛容精神の国ではなかったのか?

ヘイボアー氏:オランダを、「寛容の国」ということで責めるのはいけない。

 フォルトゥイン氏のケースは、彼は極右の男だった。発言内容ややろうとしたことががケアレスだったと思う。これをどうやって止めるのか?殺人を弁護しているわけではないが、彼は非難されるべきだったと思う。何らかの形で、ピム・フォルトゥインはストップされるべきだったか?イエスだ。銃を使って殺害しようとは思わないが。

 政治家暗殺事件はオランダ固有の出来事ではない。彼は極右の人間だったし、代償を払ったのだと思う。殺害を弁護しようとは思わないが、何故誰かが彼に対して銃の引き金を引きたいと思ったのか、理解できる。

 この殺害事件は、オランダの寛容の精神とは全く関係ない。オランダが、突然違う国になったわけでない。ドイツやベルギーでも起こりえた。政治家のフォルトイン氏が挑発したのだと思う。挑発するような人間だった。(2000年ごろの)オランダの政治界は挑発者を非常に強く必要としていたのだ。政治が機能するには、オランダが、揺り動かされる必要があった。

 それまでは、何も起きていないのがオランダの政治だった。議会は羊の群れのようだった。何でもイエス、というのが政治家だった。

―オランダの政治は、右化していると思うか?

ヘイボアー氏:目下のところはそうだ。現在の政府が中道右派だから、つまり右ということだ。皆が次の選挙を待っている。

―外国の報道機関が、「オランダは寛容の国」と呼ぶことをどう思うか?

ヘイボアー氏:オランダの寛容というのは、お金儲けに関わっている。理想や原理じゃない。実際的理由。商人は寛容でないといけない。買い手がプロテスタントかどうかなんて、関係ない。

―多文化主義をどう思う?

ヘイボアー氏:存在しない。言葉だけ。多文化主義社会は存在しない。

 オランダでは、かなり異なるバックグラウンドの人々が、一緒に融合した状態で生きているのではなく、それぞれが隣同士に住んでいる、と考えて欲しい。そうすることで、衝突を避けてきたのだ。それぞれの異なる文化的背景のもとで、自分たち自身の生活をする、と。闘わない。これが大きい。

 
by polimediauk | 2005-10-27 19:25 | 欧州表現の自由
 BBCオンライン(25日付)によると、BBCの海外放送BBCワールドサービスが、2007年からアラビア語のテレビ放送を開始する。当初は一日12時間のみの放送となる。

 ワールドサービスは、現在、英語と他の42言語でニュース報道を提供しており、英外務省から運営費が出ている。国内のBBC放送は視聴者からの受信料で主に運営がまかなわれており、ワールドサービスのほうは国民からの税金で提供されていることになる。2005-2006年分の運営費2億3900万ポンドのうち、年に1900万ポンドほどがアラビア語放送に使われる予定。

 一方、ブルガリア語、クロアチア語、チェコ語、ギリシャ語、ハンガリー語、ポーランド語、タイ語など主に東欧の言語での放送を来年の3月で停止する。ワールドサービス側は第2次世界大戦を機に始まった東欧の言語での放送をいったんやめるということだ、と説明しているが、組合の1つは、これを批判している。つまり、資金を欧州の言語での放送からアラビア語での放送に移す、という事態を、「世界の人々は、BBCワールドサービスが政府の思惑に従って動いた」と見るのではないか、というのである。ワールドサービスのトップ、ナイジェル・チャップマン氏は、「政治的思惑はない。放送者であることが仕事だ」としている。

 チャップマン氏は、中東諸国でアラビア語のテレビ放送に対する強い関心があり、BBCワールドサービスは既に信頼された放送局としての地位を得ている、と述べている。BBCのアラビア語のラジオ放送の歴史は60年に及び、ウエブのBBCオンラインもアラビア語版が既に存在している。

 かつてBBCは、サウジアラビアが所有していたオービットという会社とともに、アラビア語のテレビ放送を開始したことがあったが、編集権の問題から1996年失敗に終わっている。

 このとき、BBCに雇用されたスタッフの一部が、現在の衛星テレビアルジャジーラの中心的存在になっていったことは、よく知られている。

 アルジャジーラの方は、逆に来年3月頃から、英語でのテレビ放送の開始の準備中だ。名物英キャスターのデビッド・フロスト氏を雇うなど、やり手のスタッフをどんどん引っ張っている最中だ。アルジャジーラ・インターナショナル(英語放送)のロンドン支局長スー・フィリップス氏に、どんな人材を採っているのかと聞いたことがあったが、「とにかく英語に堪能な人が欲しい」と言っていたが。
by polimediauk | 2005-10-27 06:16 | 放送業界

「オランダ人にそれほど深い寛容精神があったとは思えない」

オランダの映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がモッロコ系移民でイスラム教徒の青年に殺害されてから、来月で1年になる。イスラム系市民への視線は依然として厳しい。

 今回から、何回かに分けて、今年5月から7月中旬までに、オランダの各都市で行ったインタビューを載せてゆきたい。インタビューは、「新聞研究」7月号と「世界」10月号の記事執筆のために行われたものである。

 また、忘れないうちに紹介しておきたいのが、殺害事件の1つのきっかけになったといわれる、故ファン・ゴッホ監督の「服従」という短編映画のクリップである。まず短いクリップと意見が残せるようになっているのが以下のアドレスで。

http://www.ifilm.com/ifilmdetail/2655656?htv=12&htv=12&htv=12

 また、全編は以下のアドレスで。

http://ayaanhirsiali.web-log.nl/log/2292608

                         *****

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(テオ・ファン・ゴッホ監督が殺害された場所の裏手にある、アムステルダム市内の公園)

 インタビューの第1回目は、オランダで最大の発行部数を誇る日刊紙「デン・テレグラーフ」のウイレム・クール記者。今年オランダに戻るまではロンドン支局長だった。テオ・ファン・ゴッホ氏とは面識があり、イスラム教批判をしていたファン・ゴッホ氏の擁護派。やや保守・右派的見方をしている人物。

―オランダ国民の間に、移民に対する不満が広がっていると聞く。何故か?

  クール氏:移民の人口が増えていることが一因だ。特にオランダの4大都市(アムステルダム、ハーグ、ロッテルダム、ユトレヒト)では、これから4-5年も経つと、過半数が移民になるだろうといわれている。モロッコ、トルコ、スリナム共和国からの移民が多い。

 こうした移民たちの中には、非常に保守的な考えを持つ人々がおり、オランダ国民の多くは懸念を抱いている。例えば特別な衣服に身を包み、ゲイの結婚に否定的で、安楽死も支持していないからだ。先住オランダ国民と移民のオランダ国民との間で、文化の衝突が起きているのだと思う。

 大都市に住む人々には、第2次世界大戦が終わってから自分たちが守ってきたもの、作ってきたものを失いたくない、という思いがある。新しい人が来て、自分たちの価値観を壊してしまう。そうなって欲しくない、と思っている。

 また、近年やってきた移民たちは、オランダの価値観に十分に適応していない、とも感じている。社会の一部になっていない、と。例えば、モロッコの人などは、モロッコの国籍を失わず、オランダとモロッコの二重国籍になっている。オランダの国民は、「移民としてきたなら、どうして新しい国の国籍にならないのか?」と思う。「どうしてオランダ国民にならないのか?」「家の中で何をしようとそれはその人の勝手だが、オランダ語をどうして上手に話さないのか?何故、良い教育を受けようとしないのか?」

―オランダの「寛容精神」はどうなったのか?

 クール氏:オランダ人にそれほど深い寛容精神があったとは思えない。オランダの法律は、国民同士がお互いに良く話すことを基本としていた。しかし、新しい移民たちとオランダの国民たちは話をしない。これが衝突の最大の原因だと思う。

―オランダ政府が、移民と先住民との間の衝突を少なくするために、もっと手を講じる必要があったと思うか?

  クール氏;そう思う。

 例えば、教育制度にも間違いがあったと思う。モロッコ人の子供であれば、授業でアラビア語が使われる。私はいつもこれに反対してきた。オランダにいるのだから、オランダ語を学ぶべきだ。もしここに住みたいなら。子供はオランダの将来なのだから。

 宗教的狂信主義も怖いと思っている。オランダは小さなポケットのような国だし、オランダのほとんどの人は全く宗教的ではないのだから。この点でも文化の大きな衝突が起きている。

―テオ・ファン・ゴッホ監督の殺害後、言論の自由など、国内の雰囲気は変わったと思うか?

クール氏:そう思う。

 例えば、昨日(5月中旬)アムステルダムでデモがあった。ゲイの人のデモだった。女性も含めて多くの人が参加をしており、通りかかった人々にキスをしていた。最近、ゲイの人たちが袋叩きにされたり、といった事件が起きていたので、ゲイである自由を守る、という趣旨のデモだった。こういうときに移民は参加していない。

 オランダの寛容の文化に、これまでにないほど大きなギャップが起きているのだと思う。寛容精神を保持する人と、こういうデモやゲイを認めない人との間に溝がある。溝があることは、いいことだとは思わない。私は、融合があるべきだと思う。しかし、現時点では、関係がよくなく、今までにないほど、二つのグループが大きく分かれている。それぞれのグループは互いを理解できなくなっている。大都市だけの問題ではなくて、小さな村でも同様だ。人々は、互いに相反するグループの人々を嫌いになっている。これはいい方向ではないと思う。また、政治家たちは、こうした現状をどうしたらいいのか、分からないでいる。

 オランダは、移民に対してあまりにも優しすぎたと思う。移民に対して、もっと何かをオランダに提供するよう、求めるべきだった。

 もう既にオランダは人で一杯だ。新しい人を入れるよりも、まずここにいる人たちに対して教育をしなければならない。移民達は、オランダ国民であるとはどういうことなのかを学ぶべきだ。オランダの価値観を理解し、オランダを自分の国と思えるように。特にモロッコ系の人はとても貧しいので、教育、トレーニングして、オランダ社会の一員になれるようにする。その後で、また新しい人を入れることを考えるべきだ。

 まず最初にここにいる人(移民)を助けるべきで、そうしないと、先住オランダ人と移民たちとの間で社会的、経済的ギャップが存在することになる。移民たちはギャップがあまりにも大きいので、社会に同化できない状態にいる、とファン・ゴッホ監督は考えていたし、多くのオランダ国民もそう考えている。

 左派を含むほとんど全ての政党が右化している。左派政党でさえも、(極右派とされ、2002年に暗殺された)ピム・フォルトゥイン氏のようなことを言うようになった。

―フォルトゥイン氏氏は極右派だったと思うか?

 クール氏:それほど右だったとは思っていない。移民に対して、オランダから出て行け、とは決して言わなかったからだ。移民たちはここにいていい、と。現在いる移民たちを皆で助けよう、と言ったのだ。すべての不法滞在者を合法にする代わりに、新しい移民は入れない、と。まず今の移民を助けることが大切だ、と。

 オランダの歴史を見ると、裕福で、かつては世界の海を支配していた。国民の40%が移民だったこともある。だから移民を恐れているわけではないが、当時の移民はスペイン、フランス、ロシア、ドイツから来ており、良い教育を受けていた。企業に勤めていたり、商売をやっている人たちだった。今、モロッコから来た人々は高い教育を受けていないし、貧しい人々だ。農夫だった人も。大きな違いがある。

―オランダの「リベラル」の考えはどこから来たか?

 クール氏:17世紀になると思う。カトリックとプロテスタントが2つの大きな宗派で、両者が協力していく必要があった。これが宗教的寛容の元に。また、オランダ人は貿易業者で、世界中と商売をしていた。様々な異なる価値観の人々とビジネスをしており、お金を儲けることだけに大きな関心を持ってきた。イングランド人とは違う。イングランド人は大きな軍事力があった。オランダ人はお金を儲けることのほうに関心があった。商売の相手が違う価値観を持っていても、構わない、と考えたのだ。

―殺害されたファン・ゴッホ監督に面識があったと聞くが、どんな人物だったのか?

 クール氏:自分のテレビ番組を持っていて、コラムを書いてもいた。一個人としては、一緒にいると、すばらしく細かなところにまで気が届く、親切な人物だった。非常に良い教育を受けていた。公的には物議をかもし出すような、挑発的なことを言ったり書いたりした。残酷で、意地悪、人を侮辱することを愛していた。

 外国では誤解されていると思う。すばらしい映画をたくさん作った。「服従」もその1つ。この映画は、オランダ文化の水準からいえば、決してやりすぎだとは思わなかった。

 反ムスリムと言われたが、イスラム教徒を主人公にした作品も作ったし、モロッコ人に大きな役も与えた。彼のことを反ムスリムとか反モロッコ人というのは、当たっていないと思う。

 しかし、イスラム原理主義を嫌いだと言っていた。反女性で、反ゲイで、世界を支配しようとしているからだ、と。私は彼を100%支配する。

 私はピム・フォルトゥイン氏も知っていた。(2002年に暗殺されたとき)そのニュースを英BBCのスタジオにいる時に、知った。フォルトゥイン氏の政党の最初の10人の候補者を見ると、他の政党よりも、黒人やイスラム教徒の人の割合が高かった。外国の報道機関は彼を人種差別主義者というが、彼は人種差別主義者ではなかった。全然。

 女王の日とか、大きな国民的イベントの日を見ると、かつてはいろいろな人が集まっていたが、今は、多くの人たちが自分のグループの人たちだけで行く。非常に悪い状況だと思う。
by polimediauk | 2005-10-21 05:18 | 欧州表現の自由

「みんながこの男の死を望んでいる」の意味

イラクのフセイン元大統領に対する裁判の初公判が19日、イラクの首都バグダッドで開かれることになるが、有罪の場合、判決後30日以内に死刑になる可能性もある。死刑を妥当と見るかどうか、英BBCオンラインが識者と読者に意見を聞いた。

 多くのイラク人は国民に大きな苦しみをもたらしたフセイン元大統領が、なるべく早く死刑になるべきだ、と思っているとBBCは指摘しながらも、一方では、死刑となった場合、一種の復讐と見なされ、新法治国家としてのイラクに国際社会が疑念を持つ可能性も出てくる、としている。

 イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)のバハ・アルワキル氏は、「もし有罪になったら、早急に死刑にするべき」派。今回の裁判では、1982年、バグダッド北方のドウジェイル村で起きたイスラム教シーア派住民の虐殺事件で起訴されているが、もし全ての犯罪の裁判結果を待っていたら、この先「永遠に待つ」ことになるからだ。

 「これまでに、元大統領の独裁政権下で、何百万人もの人々が犠牲になってきた。イラク国内で、家を焼かれたり、家族の誰かを処刑されたり、戦争で命を落としたり、身元不明になっていない家庭などないくらいだ。この暴君を殺すことで、正義が行われた、ということを国民に見せる必要があると思う。『新しいイラク』を作ろうとするなら、35年間もの間残忍な行為や犯罪を犯してきた男とその仲間たちが罪を負わずに済む様にできるわけがない」。

 また、氏は、いまだに、フセイン元大統領を怖がっているイラク国民も多く、こうした人たちのためにも、死刑にすることが重要だ、と述べている。

 毎日のように自爆テロや武装集団が引き起こす暴力事件で人々が亡くなっている中で、「フセイン元大統領が亡くなったからと言って暴力事件が一度に止まるとは思わないが、裁判が長引けば長引くほど、暴力事件は増える一方になると思う」。

 一方、人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」の国際法担当のリチャード・ディッカー氏は、正義が実行されるためには、「例え被告がいかに残忍な犯罪に関わっていたとしても、弁護団は被告が無罪であることを証明するために活発な弁護を行うことに力を注ぐべき」とする。もしこれが正しく行われないと、国民の復讐心は満足させることはできるかもしれないが、裁判は政治ショー化してしまう。

 死刑は、「人間の、生に対する権利を侵害する、残酷で非人間的な罰則だ。どれほどフセイン元大統領に憎しみを持っていても、だからといって死刑にしてしまう、というのでは、法治国家以前の古代の風習に戻ってしまう」。

 有罪となっても、元大統領は控訴する権利を持つべきだし、もしこの権利が保障されないと、「イラクは何も変わっていない」と思われるだろう、と述べた。

 BBCオンラインに寄せられた読者の意見の中から拾ってみると、

 「イラク人がどうするかを決めるべきだ。私達西欧人が死刑を非人間的な行為だと見なしても、イラク人はまた別に考える可能性もある。西欧式の考えをイラク国民に押し付けてはいけない」(ドイツ)

 「どんな人間も死刑になってはいけない。どんな宗教を信じていても、人間には一旦死んだ人を生き返らせる力を持っていないのだから、命を奪ってはいけない」(英国)

 「問題は、裁判が合法でフェアかどうかだ。外国に駐屯している占領軍が、裁判を行えるなんて、一体どうしたことだろう。誰が米国にこんな権利を与えたんだ?米国はまずイラクを去り、イラク人に全権を返すべきだ。かつての独裁者をどうしたいのか、イラク国民に決めさせるべきだ。イラク国内の裁判所で有罪で死刑と結論づけたのならば、死刑が妥当だ。21世紀、国家の元首が犯罪を起こし、逃げ切ることはできないことを世界に示すことができる」(サウジアラビア)

 「まだ裁判が始まっておらず、冒頭陳述も、弁護も聞いていないのに、死刑にするべきかどうかを問うなんて、本気なのか?」(英国)

 「イラン人の私としては、イラクの法律に従って、フセイン元大統領を裁いて欲しい。しかし、英国、米国、サウジアラビアなど、この悪い男をイラン・イラク戦争の間に支援した欧米や中東諸国の政府も同時に裁かれなければ、真実が明るみに出ないと思う」(カナダ)

 「みんながこの男の死を望んでいると思う。正義のためじゃない。後で本でも執筆して、いったい誰が最初に自分を助けてくれたのかを明らかにしたら、困るからだ。フセイン元大統領の手を染めている血は、米国、英国、そのほか、1960年代後半からこの政権を支援してきた多くの西欧の政府の手にもある」(タイ)

 「クルド人としては、フセイン元大統領が国民に何をしたか知っている。元大統領は、信条や宗教に関係なく、たくさんの人々を殺してきた。どんな暴君でも正義の名の下に裁かれるべきだ。しかし、私は、フセイン元大統領は生き続けるべきだと思う。見つかったときのような小さなねずみの穴のようなところに入れておき、過去30年間苦しめてきた国民が平和に暮らしている様子を目撃するべきだと思うからだ」(英国)。



今回の特別法廷の仕組み、問題点などを詳細に調べた報告書を、王立国際問題研究所が出している。(アドレスは以下。非営利利用は無料。保存しようとすると新しいアクロバットを買うようにメッセージが出る場合があるので、印刷するだけがいいかもしれない。)


http://www.chathamhouse.org.uk/pdf/research/il/BPtrialhussein.pdf

BBCの、公判に関する簡易な説明は

http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/3850989.stm――

時事通信のニュースが詳しかったので貼り付ける。

2005/10/18-22:46
フセイン元大統領を告発=大量虐殺や化学兵器使用で-イラン
 【テヘラン18日AFP=時事】イラン政府は18日、イラクで19日にサダム・フセイン元大統領に対する裁判の初公判が開かれるのを前に、イランとしての告訴状をイラク政府に送ったと発表した。罪状にはイラン国民に対する大量虐殺や化学兵器の使用が含まれている。
 カリミラド法相は、告訴状について「原告はイラン国民全員だ。(フセイン元大統領の)犯罪はイランの全家庭に影響を与えた」と強調した。フセイン元大統領がイランの油田を狙った1980~88年のイラン・イラク戦争では、毒ガスなどの使用で多数のイラン人が殺害された。(了)
2005/10/18-16:01
独裁者を断罪へ=フセイン元大統領、19日に初公判-イラク特別法廷
 【カイロ18日時事】サダム・フセイン元イラク大統領に対する裁判の初公判が19日、首都バグダッドの特別法廷で行われる。2003年4月のフセイン政権崩壊、同年末の元大統領身柄拘束を受けた今回の裁判は、24年間にわたり独裁権力を振るった元大統領の犯罪をイラク人自身の手で裁くもので、歴史的な裁判となる。
 元大統領は1982年にバグダッド北方のドゥジェイル村で起きたイスラム教シーア派住民140人余りの虐殺事件で起訴された。ラマダン元副大統領ら元側近3人、旧支配政党バース党関係者4人の計7人も起訴されており、有罪の場合、いずれも死刑を言い渡される可能性がある。 
 安全面への配慮から、裁判を担当する5人の判事の名前は公表されていない。また、法廷が開かれる具体的場所も明らかにされていないが、警備が特に厳重なバグダッド中心部の通称グリーン・ゾーン内とみられる。裁判は厳戒下で行われ、元大統領は防弾ガラスに覆われた被告席に座る可能性がある。テレビ中継があるかどうかは明らかでない。
 関係筋によれば、初公判は判事が罪状などの文書を読み上げる程度で、元大統領への尋問もないとみられる。ただ、元大統領が特別法廷を批判して発言することはあり得る。元大統領の弁護人ドレイミ氏は、元大統領との接見が制限されているなどとして、審理の先送りを求める考えを示している。(了)

by polimediauk | 2005-10-19 00:26 | イラク

 9月中旬、縦に細長い「ベルリナー型」に紙面のサイズを変えた英ガーディアン紙の9月の発行部数が久しぶりに40万部を超えた。前回40万部を超えたのは2003年5月だった。英新聞の発行部数を記録するABCの報告を各紙が14日紙面で伝えた。(ある月の発行部数は次の月の中旬頃にABCが発表する。)

c0016826_459443.jpg ガーディアンの9月の発行部数は40万4,187部で、売り上げは1年前と比較して7.4%上昇した。ちなみに、昨年8月の発行部数は34万1,968部だった。

 左派系ガーディアンのライバル紙となるインディぺデント紙は前年に比べて約1%発行部数を減少させ、26万2,552部だった。日本の全国紙と同様の大判ブロードシート紙であるデイリーテレグラフ紙は、ブロードシート紙(高級紙)の中で最大の発行部数を誇るが、9月はやや部数を増やし、90万4,283部だった。

 インディペンデント紙と同様に小型タブロイド判に紙面のサイズを変えて発行部数を伸ばしてきたタイムズ紙は69万9,425部で、前年同月に比べて、6%の上昇だった。一方、経済紙のファイナンシャル・タイムズは殆ど変わらず43万8、538部だった。

 発行部数が下がり続けてきたガーディアン紙は、9月12日、ベルリナー判になった。フランスのル・モンド紙などと同様の大きさだ。

 ガーディアン紙は新サイズ発行のために、8000万ポンド(約160億円)を使っている(ガーディアン紙によると)そうである。

 英国に帰ってきて、ベルリナー判の紙面を手にしてみての印象だが、横幅が大分縮小されて細長くなったので、手に持ちやすい。フォントも、軽い自体に変わったようだ。

 ただし、実際に紙に印刷してあるガーディアンに比べると、ウエブ上で見れる紙面そのまま(デジタル判)の方が、色が鮮明で「きれいだな」と思う。

 紙に印刷されると、色味がやや抑えたように見える。(あくまでもデジタル判と比較した場合だが。)結果的に、デジタル判の方が、見栄えはいい。(実際に手に取れる紙の新聞のほうが、読みやすいことは歴然としているだろうけれども。)

 紙が「本家」と見るのが普通だろうし、デジタル判も購読が可能だが、やはり紙で何部売れるか、が勝負になるのだろう。しかし一方で、余談めくが、ガーディアンのアラン・ラスブリジャー編集長は、事あるごとに、「ネット(ウエブサイトでアクセスできるガーディアン)と紙の新聞のどちらを取るか?どちらが本当のガーディアンなのか?と聞かれたら、自分としては、ネットの方、といいたい」といった発言を繰り返している。あくまで余談だが。

 もう1つ気づいたのが、やはり紙面のサイズが小さくなったので、広告が今まで以上に大きく見えてしまう。大判ブロードシート紙のデイリーテレグラフを開くと、大きな広告が、心なしかガーディアンのようには目立たない。新型ガーディアンの場合、どうも、大きな広告がやや重そうに見える。小型タブロイドとなったタイムズやインディペンデントも、最初の頃は同じような感想を持ったとは思うのだが、既に目が慣れてしまったのと、両紙がそれぞれに工夫をしているので、大きな広告が目立たないようだ。(いかに、小さな紙面上に、圧迫感をもたせないように大きな広告を出すかにかなり知恵を働かせているのだと思う。)

 驚いたのが、ガーディアンでは今まで、「G2」というタイトルで、フィーチャー記事をまとめた小冊子を紙面に挟んでいたが、これがものすごく小さくなっていたこと。これまでは、B4ぐらいの大きさだったが、今回はA4サイズの小冊子となった。通常、このサイズはテレビガイド(新聞についてくる)などに良く使われている。

 それにしても、保守系テレグラフ紙が、ぱっと見ただけでも、どうも品がないように見えるのは何故だろうか。1面の写真の選び方や色使い、三面にゴシップ的なトピックを大きく載せるなど、残念な印象がぬぐえない。


(写真はガーディアンの10月1日号表紙。DVDがついてくる、などの販促も、ガーディアンに限らず、英各紙はかなりやっている。)
by polimediauk | 2005-10-17 05:18 | 新聞業界

「イラクは無政府状態に」「西欧諸国の関与が続く限り、平和はない」、英紙中東ジャーナリスト


 新憲法案の国民投票が開始されたイラク。

 自爆テロが横行してきたイラクは無政府状態に陥っており、駐留外国軍が国内に存在する限り、平和はやってこないー左派系新聞「インディペンデント」紙の中東専門ジャーナリストが、警告を発している。

 2年前のイラク戦争開始後も、身の危険をかえりみず何十回とイラクを訪れ、多くのイラク市民に取材をしながら原稿を書いてきたロバート・フィスク記者は、新刊「文明のための偉大な戦争―中東の征服」(仮訳。原題はThe Great War for Civilisation: the Conquest of the Middle East)の出版を記念して開かれたインディペンデント紙主催のイベントの中で、新憲法への国民投票が行われるイラクの今後を語っている。この模様は13日付のインディペンデント紙で紹介された。

 フィスク記者によると、イラクのほとんどの地域が無政府状態になっており、イラク人武装勢力が国内を支配している。バグダットの通称旧連合国暫定当局(CPA)管理区域「グリーンゾーン」から500メートル離れた地域でさえも、イラク武装勢力の支配下にある、という。 (私も書いている日刊ベリタの斎藤力二郎記者が伝えるところによると、イラクでは、国民投票開始直前にも同国の指揮命令系統の乱れを象徴する交戦事件が相次いで発生している。)


 過去何世紀にも渡る、西欧による、中東地域への「継続した、集中した関わり」が「多くの中東のイスラム教徒たちが我々西欧を嫌う理由だ」、「私たちは(こうした関与の歴史を)終えることができる。中東諸国は終了する側にはないのだ」。

 フィスク氏は、米英の政治家たちが本気でイラクに民主化をもたらそうとしているかどうかに関して疑問をはさみ、外国軍がイラクに駐留する限り、本当の平和はやってこない、とした。「中東では、確かに人々は西欧型の民主主義をいくらかは欲しいと思っているだろう。人権も少しは保障されたいと思っているだろう。しかし、同時に、我々から自由になりたい、とも思っている」。

 「アメリカ人はイラクを去らなければならないし、実際、去ってゆくと思う。しかし、本当には関与をやめないと思う。従って、これからも砂が血に変わる、という状況が続くと思う」。

 フィスク氏は、治安状況の改善策として、米国側がイラクの反乱軍と話し合いの機会を持つことが大切だ、と指摘する。「しかし、どうやってそんなことができるのか?私自身、分からない。国連や国際赤十字など、間をとりもつ役割を持つ団体の建物が爆破されているのだから。イラクを民主化するというプロジェクトは終わったのだと思う。イラクの大部分は無政府状態だ」。

 イラクの市民に実際に話を聞いてきたフィスク記者の目からは、イラクに民主主義を導入し、そのために憲法の国民投票を行う、といった西側の指導者が成果としてあげる動きは、多くのイラクの国民にとっては、「現実性のないもの」にしか聞こえないという。

 バグダッドでは女性や子供たちは身代金目当てや奴隷にさせられるために誘拐されるかもしれないので、家にじっとしており、多くの国民は電気が止まらないように自家発電の装置を動かすためのお金を調達するために死ぬほどの努力をしており、「部屋で憲法の国民投票に関して議論をしている」といった状態ではない、とフィスク氏は述べる。

 また、「グリーン・ゾーン」付近でさえも治安状態が非常に悪いため、取材活動を続けるジャーナリストたちの身にも危険が迫っているという。「バグダッドに行く度に状況は悪化しており、こんな場所で取材ができるのだろうか、と毎回自分に聞いている。つまり、こんな危険を冒してまで、原稿を書くべきなのか?と」。

 一方、フィスク記者は、英テレビが戦場の惨状をそのまま放映しないことへの不満も漏らした。「(ベトナム映画の惨状を描いた)米映画『セービング・プライベート・ライアン』や他の映画を観てほしい。頭部が切り落とされるシーンも出てくる。本当に頭部が切り落とされたら、テレビのスクリーンでは放映されない。テレビは(イラク戦争を開始した)政府にべったりしすぎているのではないか」。

 戦争で亡くなった人々の無残な様子が鮮明なカラー写真で新聞各紙に掲載された点に関し、こうした報道は亡くなった人々の人間としての尊厳を傷つけたことになるのでは?というイベントの会場からの問いに、フィスク記者はこれに同意せず、「亡くなった人々は、私たちジャーナリストに、自分たちの身に何を起きたかを記録して欲しいと思っていると思う」と述べた。

 政治家の側でなく、常に市民の視点から記事を書いてきたフィスク記者だが、ジャーナリストの基本は客観性を保つこと。イラク戦争の悲惨な様子がフィスク氏の客観性を鈍らせることはないのかどうかを聞かれ、「大量殺戮の現場に遭遇したら、人は強い怒りを覚えると思う。私もそうだ」と答えている。
by polimediauk | 2005-10-15 18:08 | イラク
 知っている人は知っているとは思うが、今、読売オンラインで、「米国メディア事情」という特集記事が掲載されている。

http://www.yomiuri.co.jp/net/feature/20050928nt01.htm

 米新聞業界の概観と、ニューヨーク・タイムズのウェブサイトのレオナルド・アプカー編集長や米国新聞協会のジョン・キンボル事務局次長などにインタビューしている。内容は、メディアの将来に興味のある人にとっては、非常に参考になる。直接見ていただきたいが、個人的におもしろいと思ったのは、記事(文字)だけでなく、インタビューのビデオクリップが入っている点だ。字幕付き。これこそウエブができることの1つ、と思った。NYタイムズ、米新聞協会などの考え、インタビューした人の言葉をそのままで伝えている。

 以前から、ある事件、出来事に遭遇したとき、あるいは誰かを取材したとき、これをそのまま、丸ごと、その場にいない人に伝えることはできないものか、と考えていた。テレビカメラ、あるいはビデオカメラで現場で撮って、それを流せばいい、ということに究極的にはなるのだろうし、実際、テレビ局に働いている方はそれを実行しているのだが、私が考えていたのは、言葉はかたいが、情報の(さらなる)民主化、ということだった。

 自分が何かの情報を得たとき、それを、できるだけ生の形で出すことで、多くの人の間で、共有できないものか?と。そうすると、自分の情報が(大げさに言うと)社会の情報になってゆくのでは、と。・・・こういうことは、既に既存の雑誌、新聞、テレビなどがまさにやっているのだろうし、これをブログやネットニュースなどでもやっているのだろうが。

 「米国メディア事情」のビデオクリップを見ていたら、まるで自分がそこにいて、取材をしているような感じがした。行ったこともないのに、NYタイムズのオフィスにいるような。臨場感が楽しい。

 別件で、雑感だが、11日の英時間昼ごろ(日本時間午後8時ごろ)から、ブレア英首相の毎月の定例会見が英首相官邸で開かれる。内外のジャーナリストからの質問を受けるために、毎月1時間強の時間を割いている。おそらく、イラクからの撤退問題に関しての質問が出る。「イラク政府が英国を必要としている限り、イラクに英軍をおく」と言って逃げ切る可能性は高いような気がするが・・・。

 もう1つ、気になっているのが、イスラム教徒の国民に対する英メディアの論調の移り変わりだ。

 一ヵ月半ほど英国を離れているが、日本に来る直前から、論調が変な風に進んでいるなあとやや感じていた。

 例えばだが、BBCの看板ドキュメンタリー番組「「パノラマ」が、穏健派といわれる英ムスリム協会の指導者の徹底批判を中心にした番組を、8月、放映した。いつもはバランスのとれた、優れたドキュメンタリーを作る枠として、高い評価を受けており、私もいつも感嘆して見ていたが、この回に関しては、偏っているように見えた。実際、ムスリム協会の指導者の「指導力不足」のおかげで、若いイスラム教徒の青年たちがロンドン・テロを起こした、という声は少なからずあったと思う。指導力不足が理由なのかどうかに関して、様々な意見があるものの、こうした番組の主張が正しいか、正しくないかは、いったん置いておくとしても、一視聴者としてみていたときに、いつもは冷静なナレーター(プレゼンター)のジョン・ウエア氏が、かなり感情的になっている様子であることに、いささかショックを受けた。(ムスリム協会はBBCに抗議をし、BBCはこれを受けて調査を開始。「偏向していない」とする報告書をかプレスリリースかを出した。BBCは、こうした時に、トピックがセンシティブであればあるほど、「偏向していない」とする傾向が強い。悪しき傾向だ。EU報道など、プライドがそれほど傷つかないトピックの場合は、「偏向している」とBBCの経営委員会経由で報告書を発表する時もある。いずれにせよ、額面どおりには決して受け取らない基本スタンスが必要だ。)

 つまり、英社会全体に、イスラム教徒に対する否定的な見方が(大手メディアの中にも)強くなってきているのではないか?

 英社会は「・・・こうだ」と、一つの見解にまとめられるほど単一化はしていないとは思うが、メディアがどう報道するか?を注意してみていないと、社会全体がある種のムードで一杯になり、それが「事実」とほぼ同義語になる可能性も出てくる。

  中旬ごろ戻る予定だが、イスラム教徒に対する論調の変化(もしあれば)を注視したいと思っている。

 

 

 

 
by polimediauk | 2005-10-11 10:55 | 新聞業界