小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 European Journalism Centerの30日付配信メールによると、アルジャジャーらがパキスタンの公用語として使われているウルドゥー語版の放送を開始するようである。世界中には1億1千万人のウルドゥー語を話す人がいる。当初はパキスタンのウルドゥー語人口をターゲットにし、次第に欧米のウルドゥー語を理解する視聴者に広げてゆく予定だという。正確な開始時期は書かれていない。

 ウルドゥー語放送は、ドバイに本拠を置くARYデジタル・ネットワークのとジョイント・ベンチャーになる。ARYデジタルは、アフリカ、欧州、北米、中東に11チャンネルの放送を流しており、世界最大規模のウルドゥー語テレビ局だ。

http://www.ameinfo.com/76550.html

 一方、ロイターは、デンマークのラスムセン首相がイスラム教の預言者ムハンマドの政治風刺画に関して、謝罪を拒否したというニュースを伝えている。

 リビア政府が在デンマークの大使館を政治風刺画に抗議して閉鎖し、イスラム教の国でデンマークの対応に怒りが高まっていることに関し、首相は、29日、デンマークのユランズ・ポステン紙はイスラム教徒を侮辱する目的で風刺画を掲載したのではない、と述べたという。昨年9月、ユランズ・ポステン紙が一連の風刺画を掲載してから、デンマーク政府は、一貫して表現の自由を弁護してきた。

 この2,3日前には、サウジアラビア大使館がデンマーク大使を帰国させている。

 デンマークの通信社 Ritzauの29日の報道によると、ヨルダン川西岸でも抗議のデモが起きており、パレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタのメンバーらが、近隣に居住しているデンマーク人の立ち退きを要求しているという。デモの参加者達はデンマークの旗を焼き、パレスチナ当局に対し、デンマークとの外交関係を破棄するよう要求した、という。

 デンマーク国内で行われた調査によると、調査に参加した人の中で79%が首相は謝罪を表明するべきでなく、62%がユランズ・ポステン紙は風刺画の掲載について謝罪するべきではない、としているという。

http://today.reuters.co.uk/news/newsArticle.aspx?type=worldNews&storyID=2006-01-29T224859Z_01_L29575168_RTRUKOC_0_UK-RELIGION-LIBYA-DENMARK.xml&archived=Fals

(追記)
 夕方のBBCのラジオで、ユランズ・ポステン紙の風刺画を依頼した、担当デスクがインタビューされていた。やはり、イスラム教に関する表現の自由度に制限がある状況に対して、くさびを打ち込む、というか、これに挑戦するためにやった、ということだった。表現の自由=正しい、という姿勢である。BBCの記者の質問がなかなか良くて、「預言者を冒涜するような風刺画を何故載せたのか」と聞かれ、「冒涜するような表現だったとは思っていない。デンマークの常識からすると、それほどではない」とのこと。次に、「何の公的利益があって、やったのか?」と聞かれ、ちょっと言葉に詰まったが、「公的利益のためにやったのではない。表現の自由のためだ」と答えていた。

 私にはどっちが正しい、と判断はできないが、「表現の自由=正しい」ということだけでやるのはどうかなあ、と思う。

 現物の風刺画を見てみたいものだ・・・。
by polimediauk | 2006-01-31 00:18 | 欧州表現の自由

価値観の衝突

 イスラム教の預言者ムハンマドの政治風刺画を、デンマークの新聞「ユランズ・ボステン」紙が昨年9月掲載し、イスラム教諸国及び国内でも抗議のデモなどが起きている、という話を先に書いた。http://ukmedia.exblog.jp/i27 デンマークの人口約540万の中で、イスラム教徒は15万人ほどいるといわれている。今年に入って、ノルウエーでも、表現の自由を支持する、としてある雑誌がこの風刺画を掲載した。

 一方、26日付のBBCオンラインによると、サウジアラビアでは、「預言者への侮辱」の事態に関して、デンマーク政府が何もしていない、という理由でデンマーク大使を本国に送還した、という。

 ユランズ・ボステン紙は、掲載直後、新聞自体と、担当した複数の風刺画家らがイスラム教徒からの脅しを受けた。掲載に関して謝罪はしたものの、イスラム教に関する表現の自由の限界を試すためだった、と説明。

 イスラム諸国の政府は、デンマークのラスムスセン首相に抗議したが、「デンマークの新聞に、これを印刷しろ、これを印刷するな」と指示することはできない、と答えてきた。

 そこで、26日、サウジ政府が、「預言者ムハンマドが新聞によって侮辱されたことに対し、デンマーク政府が十分な注意を払っていない」ために、大使を送還した、と発表。

 デンマークの食品会社アリア・フーズは、BBCの取材に対し、風刺画のおかげでサウジアラビア内のデンマーク製乳製品のボイコットの呼びかけがテレビや新聞などを通じて起きているという。

 翌日、アリア・フーズは中東諸国の新聞に広告を出し、イスラム国でのデンマーク製品のボイコットをやめるように訴えた。

 これまでのところ、ユランズ・ボステン紙や首相の「生半可な謝罪」は、イスラム諸国の政府にとっては、十分に真摯なものとして伝わってないようだ。例えばユランズ・ボステンは掲載を謝罪しながらも表現の自由のテストだ、と述べており(結局、正当化している印象は否めない)、首相も、イスラム諸国からの大使10人が何らかの行動を求めても、表現の自由と報道の独立の点から、大使らの思うような行動を起こしていない。新年のスピーチでも、首相は表現の自由を実行する責任を述べていた。かといって、抗議を受けたからといって、原理原則を曲げることは許されないのだろうから、こういう形が精一杯だった、という見方もできるが。

 表現の自由がビジネスにも影響してきたとあって、デンマークの経済団体がユランズ・ボステン紙に風刺画掲載を決定したことに対する謝罪を紙面で表明するべきだ、と要求している、というが、この先どのように展開するか、まだ分からない。

 風刺画は12が1セットになっており、ムハンマドをテロリストに見立てたものもある、という。

 価値観の衝突はなかなか収まらないだろう。
by polimediauk | 2006-01-29 02:00 | 欧州表現の自由

(写真はサミと、サミの5歳になる息子)

c0016826_19465220.jpg アルジャジーラのカメラマンで、2001年12月、アフガニスタンに取材に出かける途中でパキスタン当局に拘束され、現在、キューバのグアンタナモ米軍基地にテロ容疑者として拘束されている男性がいる。スーダン出身のサミ・アル・ハジ(通称サミ)だ。「テロ容疑者」といっても、正式な容疑が確定しているわけではない。
c0016826_1948452.jpg                                                         
 昨年10月、アルジャジーラ英語版ネットhttp://english.aljazeera.net/NR/exeres/021AA43D-0DC8-4EC1-835E-41EEBF47C27A.htm で、サミの記事が掲載され、弁護士が明かしたところによると、サミは米側から、アルジャジーラ内の情報提供者になってほしい、アルジャジーラがアルカイダと関係している、と言って欲しい、とプレッシャーをかけていたそうである。(この記事の日本語版は、ライブドアの海外ニュースでも翻訳・報道された。)米軍のスパイになれば何でも願いがかなう、といわれたが、これを拒絶したサミ。拘束されてから既に4年が経つ。

 アルジャジーラの同僚がサミを釈放するためのキャンペーンを開始し、私が書いている「日刊ベリタ」でも今日から記事の掲載を開始した。(関心がある方はwww.nikkanberita.comへ。)

 24日付のロイターの報道によると、ニューヨークに本部を置くCommittee to Protect Journalists(CPJ)という団体が、米軍に拘束されているジャーナリスト2人の釈放を呼びかけている。

 まず、一人がアブドル・ユニス・フセイン氏で、米CBSニュースのイラク人カメラマン。昨年4月5日、イラク北部のモースルでの衝突事故を撮っている際に負傷、後、米軍に拘束されたという。現在はイラクの刑務所に拘束されている。もう一人がサミで、CPJは、アルジャジーラの35歳のカメラマンで、2001年12月、取材のためにアフガニスタンに入ろうとしたところ、パキスタンとの国境付近でパキスタン当局に拘束され、後米軍に引き渡され、今はグアンタナモにいる、と紹介している。両者共に仕事でその場にいたにも関わらず、現在まで拘束されていることになる。

 また、今月22日まで、8ヶ月に渡ってロイター・テレビに映像を送っていたカメラマンが米軍によって拘束されていたが、何の容疑も確定しないまま釈放。CPJは、米軍に、拘束の理由を明らかにして欲しい、と要求している。 拘束されていたのは、30歳のイラク人のフリーのカメラマンで、サミル・モハメド・ヌーア氏だ。バグダッドの(悪名高い)アブグレブ刑務所と、イラク南部のキャンプ・ブッカで拘束されていた。

 Source: http://www.nytimes.com/reuters/news/news-iraq-journalists.html?_r=1 Reuters, New York Times (名前を登録しないと全文が読めないのでやややっかいだ。)

 英インディペンデント紙の中東ジャーナリスト、ロバート・フィスク氏は、今月末マンチェスターで開催された読者との交流イベントで、あまりにもイラクは危険になっているので、ジャーナリストとして仕事がほとんどできないぐらいになっている、と発言していた。ホテルで缶詰状態になっているか、あるいは危険を顧みず、外にでるのか?自分の命とどちらが大事だろうか?と常に天秤にかけて考える、と言う。

 サミの困窮状態を終わらせるためのキャンペーンに参加するには、以下のメールにメッセージを(英語)):
freesami@aljazeera.net
ahmadi@aljazeera.net
by polimediauk | 2006-01-27 19:42 | 放送業界

 「グアンタナモは矛盾」だ

 興味のある人はずっと追って来たかもしれないのが、キューバにあるグアンタナモ米軍基地の「テロ容疑者」収容所のニュース。「容疑者」といっても、正式な容疑はなく、長い人では4年近く拘束されている。

 米国主導の「テロの戦争」の一環で、2002年1月頃から、アフガニスタンなどで捕まった人が送られてきた。拷問が行われている、という説もある。

 米国外に飛ばした人たちなので、米国法は適用されず、人権も無視・・ということが報道されてきた。

 ブッシュ政権の超法規的措置として、散々批判されてきたが、昨年11月辺りから、ブッシュ氏の盟友ブレア英首相も、さすがに、「そろそろ閉鎖するべき・・・」という声を、小さいながらもあげてきた。

 小さいながら、というのは、私が11月に聞いたのは、国会答弁中だったが、実際、声が小さかったのである。「いずれ閉鎖されるべきなんだから・・・」と。よく注意していないと、聞き逃すほど。

 今年になって、先週、ブレア首相がグアンタナモ収容所は「矛盾だ。永遠には維持できない。難しい状況だが、いつかは終わりが来ることをたいがいの人は分かっていると思う」と、また国会で発言。

 そして、今日、毎月一度の首相会見があったのだが、ここでも、「いつか閉鎖されるんだから・・・」といったのである。

 世界中で、ブッシュ氏と一番仲がいい外国のトップというと、ブレア氏だ。イラク戦争にともに突入したのも英国。

 グアンタナモ閉鎖が近い!?

 メルケル独首相も、今月、雑誌のインタビューで閉鎖を呼びかけていたが、ブレア首相が言った、というのは、結構大きいと思っている。
by polimediauk | 2006-01-24 07:17 | 政治とメディア

「涙だけ」

 堀江社長が23日逮捕され、英時間夕方時点で、英新聞各紙(ブロードシート紙)のウエブをチェックすると、ロイター、APなど通信社電と組み合わせたような記事が載りだしている。何故かテレグラフはすぐに見つからなかった。(紙には出ているだろう。)

 昨日の記事にコメント、トラックバックを下さった方の発言内容が非常に含蓄のあるものだった。

 一つには、昨日どうもうまく言語化できなくて書かなかったが、つまり、「新聞によって裁かれたくないし、裁かれるべきでない」(トラックバックしてくださった方)の思いは、十分私も同感する。

 また、FTの論調というのは「偏り」があって、あくまで「資本主義を信奉するFTの」見方であるので、その主張を差し引いてみる必要があるかと思う。「ひとこと言わせてください」さんの、「所詮、証券市場という狭い窓から日本を眺め、傲慢な資本家の理屈を振りかざしている」という部分は、少なからずあると思う。「搾取の場を日本に求めている」という姿勢も、これまで、別の記事を通して、私も感じた。

 「ライブドアとモラルハザードや若者に対する影響」、というのは、ライブドアに関する全部の英新聞の報道をチェックしたわけではないが、英メディアではどこも書いていない視点だと思う。

 FTがある意味でおもしろいのは、ライブドアや日本経済の行き先に(あるいは他の国の経済でも同様なのだが)、最も関心を持って報道している英新聞、という点だ。証券市場、金融市場、国際ビジネスなど、自分の(あるいは企業の)金が増えるか増えないか、ということに関心のある人が読者であり、「生活がかかっている感じ」があるのだと思う。他の新聞を読んでいて、それぞれにスタンスが違うが(保守派、左派など)、編集方針の根底にあるものは何なのか?と考えることがある。FTの場合は、「金」「資本主義の興隆」なのだろう、名前が既にそうだが・・・。

 そこでまたFTを見ると、23日付で、東京にいるナカモト・ミチヨ記者のHorie’s rags to riches story might be a mythという記事が出ている。今日の流れを書いているが、その中で、「逮捕されたにも関わらず、堀江氏には多くの支持者がいる」と指摘。堀江氏は「僕の世代を代表している。逮捕は本当に恥だと思う」と、大阪の若者がテレビのインタビューで答えた様子を紹介している。

 記事の後半では、ライブドアの帳簿を承認した監査人に関心が移るだろう、と見ている。一連の出来事は、堀江氏のビジネス手法に対する批判をさらに強めることになった、としているが、この手法というのが、「企業を成長させるためにM&Aを使うなどといった、合法的なビジネス手法も含む」、と。

 最後に、「東証に上場されている決済会社インボイス社のキムラ・イクオ氏」のコメントを紹介している。氏は、「多くの企業が証券取引法違反に関わっている」、「ベンチャー企業だからといって、ルールに十分な注意を払っていない、とするのは誤解を招く恐れがある」、と言っている。

 どことなく、ややライブドア支持のような印象で終わる記事だ。(ライブドアに限らず、最後のキムラ氏のコメント内容は、私自身もそう思ってはいるが。)他の新聞の逮捕記事でも、最後の文章が、「堀江氏は自分のブログで、何ら違法行為はしていない、と書いている」としている場合が多かった。

 一方、23日付のFTのLEXコラムは、「ライブドアの最後の日も近づいている」という文章が入る記事になっており、淡々とこれまでの経緯と暗い将来の展望を書いている。最後は、「インターネットの成功者の若者が逮捕され、小株主が最後に得るのは涙ーそれ以外には何もない」と、前回に引き続き、あくまでクールに終わっている。
by polimediauk | 2006-01-24 04:13 | 新聞業界

ライブドア 英報道


堀江氏:それでも起爆剤?

 ライブドアのことを、通常の新聞のサイト以上に、ブログで書いていらっしゃる方がたくさんいて、その1つ1つが非常におもしろい。「ライブドアの実質支配とは」 http://inthepaper.exblog.jp/d2006-01-「ライブドアと嫉妬心」20http://chou.seesaa.net/article/11899769.html

 英新聞でも経済面でかなり大きく報道されてきた。この中で、大きな流れの1つ、というか、ある特徴があることに気づいた。日本の新聞はウエブで読むだけなので、もう既に日本でも指摘されている点かもしれないが。

 まず、ライブドアに対する熱狂的関心はもちろん英国では基本的にはなく、「ライブドア=悪人=有罪」的なトーンが少ない。1つの企業であるライブドアが、「例え良くない・間違ったことをしていたとしても」(このとき、「例え・イフ」というところに力が入る)、ライブドア自体が悪いことをしたであろうことが悪いのでなく、日本全体のシステム、例えば東証のトレーディング・システムの頼りなさ、会計制度の不正確さ、不正確な会計でもビジネスが成り立っていた日本の金融業界全体が、「悪い」、「問題あり」とする姿勢だ。つまり、ライブドアが悪いのでなく、日本のシステムが悪い、それも「伝統的なシステム」が悪い、と見る。

 そして、ライブドアのような新興企業の成長が(こうした企業が成長したのには、「西欧式」のビジネスを日本が「ようやく」採用したために可能になった、として)、今後も止まらないことを願う・・というトーンである。

 ファイナンシャルタイムズの堀江氏のビジネスのやり方に対する(堀江氏だけでなく、楽天や村上ファンドなども含めているのだろうが)絶大なる信頼にやや圧倒される。

 まず日曜紙「オブザーバー」の22日付記事。Scandal fails to halt Tokyo’s rising sumsという記事で、途中から

「―ライブドアの次は何か?

・ ・・・ライブドアと堀江氏が様々な容疑で有罪になるかどうかを判断するには早すぎる。しかし、イタリアのパルマラート事件や米国のエンロン事件のように、同様のスキャンダルは他国でも起きたし、コーポレート・ガバナンスの改善のための圧力として働いた。日本でも同様の結果が起きる可能性があるーライブドアが例外であるかーーどうもそうらしいがーーあるいはもっとある病理の一部であるかどうかは別としても。

投資会社のF&Cによると、今回の事態は、日本企業が独立した監査体制をもつ必要があることを物語っている、という。コーポレート・ガバナンス部門のディレクター、ロバート・バーリントン氏は、「日本の『法定監査役statutory auditors』の有限責任について、かなり懸念を持っている。この監査役達は企業の取締役ではなく、独立性も欠如しているので、リスクがでる可能性がある。社外取締役の方が、必要な監督の役目をはるかによく果たせると思う」。

日本では、一部の企業は西洋式の説明責任を導入しているが、多くの場合は外部の株主といえば、企業の所有者であるのだからその利益は守られるべき、というよりも、いらだちとして見なされている」


 この後、東証の力不足に関しての表記に続いている。

 ファイナンシャルタイムズの19日付のLEXコラム。

 「株価操作疑惑で当局が捜査中の日本のインターネット企業ライブドアの犠牲者のリストは長くなるばかりだ。まず、株価が落ちた。東証は取引時間を短縮した。今度は、疑惑取引に関連した投資会社のトップが自殺した。

 次の焦点は、不正会計を承認したと言われる監査人に移るだろう。日本の監査人たちは、粉飾会計を見破る点に関して、あまり良い評判はない。政府が緊急援助をした化粧品会社カネボウで会計不正があったし、破綻した山一證券やもっと小さな企業のケースもあった。通常、不正会計は事が済んで大分経ってから発覚する。カネボウの場合は4年かかった。ライブドアの捜査は、2004年末に行われた発表分に関する疑惑だ。

 米国のように、日本は2001年のエンロンスキャンダルの後で会計ルールを厳格化した。エンロンの場合は、米監査会社のアーサー・アンダーセンが崩壊した。日本でこうした改革が行われたのは2年前で、戦後最大の会計改革だった。しかし、まだ問題は残っている。日本の伝統的なシステムである、あいまいな規制構造に慣れている世代が、もっと厳格なルールの適用に苦労して取り組んでいる最中だからだ。厳格な会計ルールを適用しようとしても、十分にパワーのある独立監視団体が不在であるので、不十分になっている。監査人たちは、告発者にはなりたがらないのだ。りそな銀行の危険な資金繰りには虚飾が施され、ある一人の監査人が会計書類に署名するのを拒絶するまで続いた。りそなはその後、2兆円の公的資金を使って、救命された。この監査人は、自殺した」。

 (読んでいて、恐ろしくなるコラムだ。)

 21日付のフィナンシャル・タイムズの社説。Japan at crossroads

 「曲がり角の日本」

 「日本の成長エンジンが丁度加速してきていたとき、困惑するような音が聞こえてきた。今週、貪欲なインターネットの会社ライブドアに対し、金融不正疑惑で当局の捜査の手が入ったのだ。2日後、東証は、システムの能力を超えるオーダーが入り、取引の終了時間を早めざるを得なくなった。

 一連の出来事は、かつて退屈だった日本株式会社の外観を粉々にした。経済は通常に戻りつつあったが、水面下では、全く通常ではなかったことを示唆している。

 ・・・ライブドアは悪名高い企業となったが、それは、由緒ある放送局フジテレビを昨年乗っ取ろうとしたライブドアの派手なトップ、堀江氏が国民的ヒーローになったからだ。この試みは失敗に終わったが、日本の伝統的ビジネス・エスタブリッシュメントを震撼させた事件だった」。

 FTは、日本では、保守派と変革派との間とのせめぎあいが続いており、東証の経営陣(保守派)が、「近代的な資本市場の現実に、追いついていない」としている。変化の一例は出来高にも現れており、「何千人ものデイトレーダーたちが、ライブドアの株を売ろうとした。小規模の株を扱うトレーダーの数は急速に増えており、昨年は市場の出来高の半分がこうした取引だった。大部分がインターネットを通じて取引をするトレーダーたちだ」。

 「日本は曲がり角にいる」とするFTは、日本には2つの道があり、一つは「伝統的な、仲間内だけの、内的思考のビジネス型の資本主義」を続けることで、もう一つは、「抑制のない西欧型資本主義」の実行だ。日本がこうした岐路に立っているという現状こそが、「ライブドア事件の真に重要な点だ」としている、

 そして、この事件の2つの要素が別物だと区別することが大切だと主張する。つまり、「堀江氏が何らかの違法行為を働いたのかどうは、検察当局、そしてあるいは法廷の問題」であり、「敵対的買収も含めて投資者が合法に自分の権利を行使して業績の悪い企業を改造する」、つまり堀江氏がやってきたビジネス手法の評価とは「別の問題」。

 「コーポレートガバナンスが弱い」ために、経営陣をかばい、効率性の悪さや規制の甘さをないがしろにしてきた企業が多すぎる、として、「結果は、リソースを間違ったところに投入したり、資産を非効率に使ったり、変化する、競争が起きる状況に適応することができなくなる。犠牲になるのは株主だけでなく、一国の経済全体だ」。

 「西欧の資本主義を完全に実行に移すのが最適の解毒剤になる、とは言わないが、もう一つの選択肢よりはいい」として、改革の動きを挫折させてはいけない、と呼びかけている。「競争を奨励する規制体制、オープンな市場、より高い透明性を通じて、もっとよりよく資本市場が機能するようにするべきだ」。

 (堀江氏あるいは彼に代表される最近の新興企業の動きを日本経済の起爆剤と見るスタンスは、まだ変わらないようだ。)
by polimediauk | 2006-01-23 10:01 | 新聞業界


(ライブドアの話、グーグルの話など、私も追っている。ライブドアに関しては言葉がまだ出てこないが、ベリタで見つけた、「ライブドアの今後とマーケットのゆくえ」が今のところ、一番参考になった。http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/ae4cf02ae32202c92262203c5b624ad5)


違う気持ちの持ちよう

 ブログをはじめて、書き方や書くときの気持ちの持ちようも変わった。

 紙媒体に書くときと比べ、ブログではやや話し言葉に近い。コピーライターの糸井重里氏が筆者に語ったときの言葉を借りると、糸井氏が毎日自分のサイトにエッセーを書くとき、言葉を「ストックでなくフローで使う」、と聞いた。考えて、自分の中で練った言葉でなく、頭に浮かんだ言葉でつづっていく。「考えたことでなく、思ったことを書く」。

 私の場合故意にそうしているわけではないが、紙媒体で発表したものをそのままの形でブログに出すと、文章がかっちりしすぎて硬いような印象を受ける。

 また、会社に勤務していた時分は、原稿の中で「私は」という言葉を極力入れないようにしていた。「私はこう思う」とする流れの文章を入れずに自分の言いたいことを書く、というのが部内の文章スタイルだったように思う。

 こうした文章の書き方が、ブログの読み手からすると不透明・自分の立場をはっきりさせない、として映るらしいことを書き込まれたコメントから知った。少年犯罪の報道に関しての項目で、日本と比較しながら英国の例を書いたところ、私自身としては、少年犯罪の報道はどうあるべきと思うのか、と聞かれた。私としては、「どうあるべきか」を読者がそれぞれ判断するための材料としてブログを書いていたつもりだったが、自分の意見を明確にすること、つまり筆者のオピニオンを読み手が求めていることに気づかなかった。

 一方、この一年でいくつかのトピックに関しては、読者からのコメントが長い論争に発展した。

 1つは中国の反日運動に端を発した、日本の歴史問題である。南京大虐殺は果たして「虐殺」と言える内容だったのかどうか、BBCが「第2次世界大戦中の日本軍による残虐行為」を証明する写真の真偽、東京裁判の妥当性などに議論が発展し、読者同士でコメントが行き来した。

 ロシアのプーチン大統領の言論統制とチェチェンの独立運動の関連に関しても、チェチェン問題に詳しいジャーナリストと素性は不明だが時々コメントを残してくれていた読者の一人との間で、コメントの応酬が数日にわたって続いた。

 両方のケースで私は時々論争の中に入ったが、最終的には、「ではブログの書き手の小林はどっちの側につくのか?」と問われた。私は、「それぞれの見解に一理ある」と本音を述べたが、会社員時代の「中立であろうとする」精神が体に染み付いていることに自分自身意外な思いがした。

 刻々と発展する事件に対して、瞬時で思うことを書いて発信できるのがブログの特徴だが、自分自身が事件の近辺にいたとき、すぐに言葉が出ないこともある。

c0016826_1321279.jpg

        (ガーディアンの、テロ発生翌日の1面)

 7月に起きたロンドンでのテロがその具体例だった。

 朝8時過ぎに起きた爆破テロで、アルカイダが関連しているという報道がある、とブログに書いたのは午前11時。テレビやラジオにかじりついて時を過ごし、ある程度まとまった解説などを出そうとは思うのだが、膨大な量の新しい情報がどんどん入ってきており、流れを追うのに精一杯だった。ロンドンの中心部から自宅までは電車で20-30分で、親戚がテロに巻き込まれた可能性もあって、まともなことを書く気持ちの余裕がなかった。

 日にちが過ぎて、少しずつ書くようになるのだが、メディア報道に関して分析する、という本来のブログの目的から離れ、テロが自分や知人に起きるかもしれないという緊張感の中で、見たこと、体験したことを書いた。

―将来

 ブログ・ジャーナリズムの将来像に関して、私自身は確固とした結論が出ていない。未だ実験中、というところだ。ブログ人口全体、ひいてはブログ・ジャーナリスト(ブログを言論発表の手段の一つとする人)の絶対数が増えれば、ブログ・ジャーナリズムの位置、果たすべき役割が現在よりも自明となり、次第にその定義ができていくような気がしている。

 私が「英国メディア・ウオッチ」を始めたのは、自分が取材で得た知識で原稿に入らなかった部分が死蔵されてしまうことが耐えられなかったのが大きな理由だったと書いた。

 昨年取材したトピックの一つに、オランダの表現の自由とイスラム教徒の移民に対するネガティブな状況があったが、長いインタビュー取材の全貌をいくつか書いた原稿の中で明らかにすることができなかった。「英国メディアウオッチ」ではそのいくつかを出したものの、ふと、本当に必要とする人に情報が届いていないことに気づいた。

 それは、日本の読者にオランダの状況を伝えることも大切だが、オランダに住む人、特にイスラム教徒の若い青年たちにこそ、オピニオンメーカーの人たちが取材中に何を言ったのかを知るべきだ、と思った。取材で知り合った人と協力しながら、英語版のブログを立ち上げ、インタビューの全貌などを掲載していくことを考えている。オランダだけにするのか、他のトピックも入れるのか、まだ構想を練っているところだ。また、情報発信するけでいいのかどうか、もっと直接的に困っている状況を何らかの形で好転するようなことに力を入れることはできないものか、思いをめぐらせている。

―糸井氏の2000年の記事

 以下は、2000年2月、英字紙「デイリーヨミウリ」に掲載された記事の日本語版である。(和訳は私自身がしたもの。若干編集・補足した。この内容は「ほぼ日刊イトイ新聞」のアーカイブやウエブ上でグーグルすると、でる。また、中に、一日のアクセス数が18万とあるが、現在は100万ほどになっているようだ。)

 http://www.1101.com/today/2000-02-29.html 

 何故私が糸井氏のインタビューをすることにしたのか?どこかの新聞記事で、自分のネットサイトを立ち上げた、という話を読んだのだと思う。その新聞記事が良く書けていたようで、とてもおもしろいことをやっているように、思えたのだった。

 とりあえずサイトを見に行って、たまに読んだ感想のようなことをメールにして送っていたようだ。その時、取材の中で知るのだが、糸井氏とスタッフが、送られてきた全部のメールに目を通していたことを知らないままに、送っていた。

 当時、私は夜勤の後などにメールを送ることが多く、それがいつも午前2時から4時ごろの間だったと思う。丁度糸井氏やスタッフが一番じっくりメールを読む時間だったらしい。そんな偶然が重なって、取材の申し込みをメールですると、すぐOKになったことを覚えている。

 カメラマンと一緒に事務所に着くと、こたつがあって、そこに座って、話を聞くことになったのだった。

 6年前の(!!)記事を読み直して、スピリット的に影響を受けていたことに、改めて自分自身、驚いた。(といっても、私はクリエイティブなタイプではなく、このブログと「ほぼ日」の共通点は、全くないのだが・・・。)

 
ネットで新しい道を見つけた

 インターネットは、クリエーターとその作品を変えることができるだろうか?

 糸井重里氏は、そうできる、と信じている。

 日本で、最も知られたコピーライターの一人である糸井氏は、「ほぼ日刊イトイ新聞」、文字通りほぼ日刊のイトイ新聞というホームページを開設してから、彼自身が確実に変わったという。その名に反して毎日更新されているホームページは「ほぼ日」として知られ、毎日約18万人がアクセスする。

 40代後半になった糸井氏は、メディアで仕事をしているといっても、必ずしも好きなことを何でも書けるわけではない事に気がついていた。年月が過ぎ、書く技術は卓越したレベルになり、何が書かれるべきかを見つけることができた。自分が何をしているのかも正確に分かるようになっていた。それでも、自分の企画や仕事のやり方が拒絶される事態を避けることはできなかった。

 「コピーライターですから、請負仕事なんですね、その逆ではなくて。ですから、自分の案が一番いいものだと思っても、相手が良くないと言えば、ボツになってしまうんです」。東麻布にある鼠穴ビルの彼の事務所で、糸井氏はこう語った。

 「例えば、野球の選手で言えば、ホームランを打ちたいと思っていてもバントを打つように言われ、何故自分が野球の選手になったのか分からなくなった」。

「いつもそんなことを言われていると、ヒットも打てなくなりますよね。恐怖感があった。」

 糸井氏は、生き生きとして役に立つものが外に出ず、クリエーターが一番いいものと思ったものではない情報が出る、という状況は不当だ、と感じたという。「新しい表現の方法を見つけなければ、自分の価値がなくなる。自分が自分を好きになれなくなる」。

 以前、西武百貨店向けに「おいしい生活」というコピーを書いたことがあった。このコピーを自分自身が実行したことになったのかもしれないが、糸井氏は、インターネットを新たな表現の場所にすることにした。インターネットで、自分が本当に言いたいことを外に出す機会を得た。文章の書き方も変わってきたという。

 糸井氏は、「ほぼ日」に、毎日コラムを書いている。これまで600回にもなった。「ほぼ日」のスタッフとともに、毎日来る約80通のメールを読み、数通には返事を書く。このプロセスを楽しみ、他の何ものにもかえられないと考えている。

 しかし、この新しい生活をすぐ見つけたわけではない。広告の仕事を続けながらも、糸井氏は、趣味に(特に釣り)心を傾けた。この頃、一番楽しかったのは、友人や知人との会話だった。

 「例えば友達がふらっと来て、昨日起きたこととかを、お互いに話すときに、その時の会話がいくら面白いものであっても誰も他には聞いてないんですよ」。
 
 こうした会話が再現できるような場として、インターネットを表現手段として使える、と思った糸井氏は、6ヶ月間、スタッフとともに計画を練り、1998年6月、「ほぼ日」を始めた。

 糸井氏がインターネットに書くときと紙媒体に書くときでは、心構えが違う、と言う。それは、言葉を「フロー」と考えるか「ストック」と考えるかによる違いである。

 ネットに書くときは、「友達に話すように書くんです。時々、前に何を書いたか全部覚えていないことがあります。言葉を、ストックでなくフローとして使います。そっちの方が、動いているから面白い」。

 現在のところ、なるべく早く書くようにしているという。「時間をかけて書くんだったらやめた方がいい。考える、でなく、思う、で書きたい」。

 2月7日、糸井氏は、「震えるということば」について書いた。新聞にある精神科医の話が載っていたのを読んだという。自閉症の子供に何とか言葉を発してもらおうと精神科医は苦心するが、うまくいかない。ある日、子供が、いやな質問をされる度に、言葉を発する代わりに膝を震わせることに気づいた。

 糸井氏はこの箇所にショックをうけたという。氏はそれまで、どんなことでも言葉で表現できると考えていたからだ。

 氏は、今、この「震える膝」に相当する思いを書こうとしているのだという。文脈や文章の美しさを犠牲にすることになっても、「まだ思いが新鮮なうちに書く」のだ。例え言葉でうまく表現できなくても、「ほぼ日」の読者は彼が表現したかったことを分かってくれるだろう、と思っている。

 「ほぼ日」は、糸井氏が自分で書く日替わりのエッセーで始まる。心に浮かんだトピックついて書いたものだ。このエッセーの後、その日の新しいコラムを紹介してゆく。コラムニストは、ものまねの清水ミチコ、漫画家のみうらじゅん、ニュースキャスターの鳥越俊太郎から、学生、会社員など様々だ。あるコラムニストは、学校を辞めてアメリカの映画界で働くことを希望する中学生だ。コラムニストたちは、日常生活で起きたことについて書くが、そこには何かしら「驚き」がないといけない。

 誰をコラムニストにするかに、糸井氏は最も頭を悩ませるという。金銭的報酬はないが、それでも、どのコラムニストも情熱を持って書いてくる。例えば、ニュースキャスターの鳥越氏は、ニュースの中で面白いと思ったことに関して毎日書く。自分の番組を持つ鳥越氏には、人前に出る機会は既に十分ある。しかし、それでも無料でコラムを書くのは、自分が重要だと思うことについて好きなように書けるからだという。お金をもらったら書かないかもしれない、と言っているそうである。

 鳥越氏は、先日、番組「ザ・スクープ!」の中で「ほぼ日」を取り上げた。放送後、67万人が「ほぼ日」のサイトにアクセスし、一時アクセス不可になった。糸井氏は、「ほぼ日」が、既存マスメディアの形を取らないマスメディアになったように感じているという。

 ウエブサイトは、読者に課金するようになっていないので、糸井氏は、コンピューターや電話、人件費のために広告の仕事を続けている。どうやって経費をまかなうかが、常に悩みの1つだ。

 最近、糸井氏は、読者に対してこれまでとは違った見方を持つようになった、と書いた。何年も、不特定多数の人々に向けて、マスメディアを使って広告コピーを書いてきたが、初めて、しみじみと、個々の顔や心を持った、いろいろな年代の情報の受け取り手の存在を感じることができるようになったという。「ほぼ日」をやっていなければ、分からなかったことだという。

 糸井氏が、毎日のエッセーの中で元気がないと書けば、読者は、「自分も元気がない」、と書いてくる。または、「元気がなかったけど、今は元気」と書いてくる。困った読者について書けば、看護婦をやっている人が困った患者について書く。そんな時、自分と読者の人生がつながっているのを、糸井氏は感じる。読者の反応が、糸井氏がウエブサイトを続ける際の原動力になっている、と言う。

 「日曜の夕方、日が落ちて何となくしんみりしているところへ、読者からのメールをもらって、感動して泣くこともあるんですよ」。

 「読者からメールをもらうと、今でもびっくりします。 書いたものが本当に読まれているな、と。嘘をつけない、と思います。正直にしないと。」

 もしサイトを閉じることになったら、読者は怒るだろう、と糸井氏は言う。読者のエネルギーを集めたら、「発電所を1つ作れるかもしれないほど」。「ほぼ日」をやっていて、「たくさんの人数の人が集まっている」こと、そのエネルギーを「日々実感している」という。


(この項終わり)



 
by polimediauk | 2006-01-22 01:42 | プロフィール+ブログ開始理由

「情報の死蔵」

 ブログを始めたのには、もう1つ違う面からの理由があった。それは、一種の「水子」を世に出したい、という思いである。

 2000年、私がまだ会社員であった頃、ブログではないが自分のサイトを立ち上げたコピーライターの糸井重里氏が、私に「水子、たまっていませんか?」と、取材の後に聞いたことがあった。書きたいけれど書いていない原稿、企画、自分で没にしたあるい没になった原稿を、氏は「水子」と呼んだのだった。

 糸井氏が「ほぼ日刊イトイ新聞」http://www.1101.com/index0.htmlというサイトを1998年に始めたのは、彼自身が「自分が本当に書きたいものが書けない」と感じていたからだったという。コピーライターは商品を売るためにコピーを書く仕事だが、商品を販売する会社=クライアントが気に入ったものでないと、当然だが、コピーを使ってもらえない。「自分としてはこっちのコピーの方がいい、と思っても、それが使われるとは限らない」。

 こうした状況がこれからも続くようであれば、良いコピーを書けなくなるのでないか、と怖くなったという。そこで、自分がおもしろいものを思うように書ける自分のメディアをネットで持つことにした、ということだった。

 私自身は、「本当に書きたいものが書けなかった」というわけではなく(年の功で、どちらかというと書きたいものを書かせてもらっていたが)、「水子」と言われて、はっとした思いがあった。「書ききれなかったもの」は、書き手の側に書く機会が数多くあるかどうかに関係なく、必ず存在するからだ。

 自分自身もフリーランスのジャーナリストである中岡望氏は、フリーランサーの場合は特にこうしたケースが多いのではないか、と見ている。

 いくつもの月刊誌に米国を中心とした国際政治の原稿を書いている中岡氏は、昨年10月、ブログ「目からウロコのアメリカ」http://www.redcruise.com/nakaoka/で、「フリーのジャーナリストがメディアで書き続けるのは大変なこと」で、それは「問題意識を持っても、それを発表する場がないことが多いため」だ、としている。

 彼自身は、「幸いにも書くチャンスに恵まれてきた」が、「それでも、書ききれない情報や問題意識があります。従来ですと、そうした情報は死蔵され、いつか机の片隅で忘れられるのですが、ブログという発表手段を得たことで、常に自分の問題意識を新鮮な形で」持ち続けることができた、と書いている。

 「情報の死蔵」という箇所を読んで、うなづく部分があった。

 私がブログを作りたいと思ったのは、直接的には、原稿を書く過程で取材した英メディア界のキーパソンのインタビューやそのほか取材や調査で知りえた情報を、なるべく生に近い形で、読者の元に届けたい、という強い思いがあったからだ。

 「ジャーナリスト」ということで、様々な人に取材をするものの、原稿で使うのは取材中に知りえたことのほんの一部だ。一部だけ外に出して、他の大部分は自分のところに「死蔵」されたままで、果たしていいのだろうか?

 取材で私に付き合ってくれた人は、私個人に会うために時間を割いてくれたのではなく、情報が広く社会に広まることで、何かがよりよくなることを願って、会ってくれたはずである。もしそうであれば、何らかの形で私の取材結果を還元するべきではないのだろうか?私物化するものではないのではないか?そんな思いが日々強くなっていた。

―ブログを始めて

 2004年の12月20日から、いよいよブログを開始した。

 読者層はコメントを残してくれた人から判断するしかないのだが、高校生、大学生、大学関係者、20代―30代で海外情報に興味を持っている人、かつてあるいは現在メディア界で働いている人々など。特に後者が多いようだ。この内訳は私のブログの読者層だけでなく、おそらくブログの読者の大半がこうした人々である可能性が高いように思う。

 読者の方が、私より熱心にニュースを追っていたり、ある事柄に関して詳細な知識を持っている場合は、非常に多い。圧倒的といってもいいくらいだ。私のほうが情報が早い・・というケースはむしろ、少ないぐらいかもしれない。事実が間違っている場合、そっと匿名で間違いを指摘してくださる方もいる。(なんという、心遣いだろうか!!本当に足を向けて寝られないぐらいである。)

 また、中には、関連ニュースを探し出してくれたり、私の書いた内容よりも一歩突っ込んだ分析を書いて「見に来てください」という方、「こういう点はどうなっているのか?書いてください」、とリクエストされることもある。一例が、9月中旬、私が日本に一時帰国中でタイムズの小泉首相のインタビューを読んでいなかったことがあった。早速これを指摘され、靖国神社参拝に関する項目が含まれたものだったので、一問一答の全文を急いで訳して出したこともあった。

 自分のブログに来る読者にはメディア関係者が多いが、それ以外の分野で働いている人、あるいは大学生、大学院生もいる。また海外で活躍するフリーランスのジャーナリストたち。読み手として訪れた人たちのブログを私自身が読みに行くと、様々な表現、様々な分析、知識、情報が披露されている。書き手・読み手は、ブログ・ユーザーとして、同じ立場にいるのを感じる。(続く)
by polimediauk | 2006-01-21 01:29 | プロフィール+ブログ開始理由

ブログの目的とプロフィール

 英国では、自由がありすぎるのではと思えるほどのマスコミ(=メディア)が強大なパワーを発揮しています。報道の自由があるとされる国ですが、政治家や金持ち、メディア関係者自身が自分たちだけのグループを形成しており、例えば不正を行ったジャーナリスト自身をたたく・・・という自浄作用はやや弱いようにも見受けられます。その時々のニュース、トレンド、背景などを解説記事やインタビューなどでつづります。

筆者: 小林恭子(こばやし ぎんこ) メール ginkokoba@googlemail.com
1958年生まれ。ロンドン在住。大学では映画理論を専攻し、卒業後はどの職業に就くべきか見当がつかず、アルバイト生活。1985年、ようやくファースト・ボストン証券会社(当時)に勤務。英投資顧問グローブ・インターナショナル(当時)の調査部勤務の後、読売新聞社の英字新聞「デイリー・ヨミウリ」にて、教育、経済などを担当し、2001年末より渡英。フリーランスで国際政治、英メディア業界に関する原稿を日刊ベリタ、経済誌、新聞業界紙、アルジャジーラ英語サイト、英国邦字紙「ニュースダイジェスト」などに寄稿。


何故ブログ?

 このブログを開始して、約1年になる。

 まだまだ、これ!という確固とした形が決まっているわけではないが、細々と続けているうちに、1年が過ぎた、という感じだ。当初の目的は、自分が取材で知りえた情報をできる限り全部(というのは無理なのだが)伝えることだった。

 私が仕事で取材として会った人は、個人的に私に話すために会ったのでなく、何らかの形で、広く情報が伝わることを願って、何らかの役に立つことを願って、会ってくれている。ほとんどの場合、原稿の中で使うのは、話を聞いた中のほんの一部だ。残りの部分を、私が、ただ単にファイルにいれて、そのままにしておいていいのだろうか?いや、良いわけがない、という思いがあった。

 この当初の目的はまだ十分に達成されておらず、何とかしたいと思っているが、「フリーランスのジャーナリストでブログをやっている人」の気持ちはどういうものか?という点を、日本新聞協会が毎月発行している「新聞研究」という雑誌の1月号に書いた。自分のことを書くのは非常に難しく、四苦八苦だった。また、トータルのアクセス数では一日に数万から数十万の読者を持つ方が他にたくさんいらっしゃるので、私でいいのだろうか?という思いもあった。

 それでも、とりあえず、書いてみた。

 以下は、その時の原稿に、書ききれなかった部分を足したものである。

 最後に、「ブログジャーナリズムはどうなるか?」を書かないといけなかった。これが難しかった。私自身、予測ができないからだった。最後の最後まで、いろいろ恥ずかしかったが、とりあえず、「そういうことで・・・」。

 (補足で、ブログ立ち上げのための、もともとのインスピレーションを与えてくれた糸井重里氏を2000年にインタビューした記事も載せた。)

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 2004年12月末から、ブログ「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」を開始して、1年になる。英国のメディア界の動きやその時々の時事トピックを紹介、解説するブログだ。合計で約5万人の方が日々のエントリーを読みに来てくれた。

 1年で5万というのは本当に微々たる数字であろうと思う。

 しかし、その日のエントリーを書き上げ、送信ボタンを押すとき、私の原稿が不特定多数の人に読まれるであろうことへの期待、緊張感、楽しさは、かつて新聞社に勤めながら、はるかに多くの読者に向けて最終原稿を送ったときの緊張感や楽しさに決して劣るものではない。

 気軽に書ける部分はあるものの、ブログ名には私の名前を出しているせいもあって、書いたものには、通常私が紙の新聞や既存のメディアに原稿を書くときと同様の責任を感じる。原稿を送った後で、「自分の言ったことは本当に真実を伝えているだろうか?」と心配になり、書き直して再送信することもしばしばある。(結果的に、何度か似た内容のものを受け取っている方もいらっしゃるかもしれない。この場を借りてお詫びしたい。)

 フリーランス・ジャーナリストの立場から、何故ブログをやっているのか、を書いてみたい。

 その前にまず私の経歴だが、2002年1月までの12年間、読売新聞英字新聞部に所属し、英字紙「デイリー・ヨミウリ」を編集していた。主に教育、経済などを担当しながら、取材から執筆、紙面制作などを一通り経験した。かつては組織内の記者として書き、現在はフリーで書いていることになる。

―簡易ソフトの出現と参加型ジャーナリズム

 ブログ開始のきっかけは、大きく2つある。

 1つには、2004年の時点で、エキサイトを含め、大手サーチ・エンジンが無料のブログ・サービスを提供していた点があげられる。これ以前にも、簡単にホームページを作れる、ということで多くのサーチ・エンジンやポータルサイトが、ユーザーにホームページを作るスペースを提供していたが、簡易日記風ホームページ=ブログのソフトは格段にシンプルにできていた。

 個人で通常のホームページを作った場合、なかなか人が読みに来てくれない点が悩みだが、ブログの場合は、日記が更新されるたびに、運営しているサーチ・エンジンの共用スペースに題名と共に登場する。また、読者がコメントを残したり、トラックバックで自分自身のブログに相手のブログ内容をつなげたりなど、書き手と読み手が直接情報のやりとりができる。

 当初は週に一度発行する形のメールマガジンを考えていたが、字が主であまり画像を入れないのが普通であることが気になった。かつて新聞社で紙面制作も含めた作業を手がけていたせいか、原稿に写真・画像をつけたい思いが強かった。

 また、自分自身、あまり長いメールが送られてくると、読むがつらい。友人、知人からの手紙は長くても構わないが、果たして、海外の政治やメディアに関しての分析が定期的にメールボックスに送られてきた、人は読むだろうか?少なくとも、私は読まないかもしれないな、と漠然と感じた。

 ニュースなどの情報をネットで得る若者が増えている・・といった表現をよく見聞きする。自分は「若者」ではないのだが、情報をネットで読む・見ることにあまりにも慣れてしまったので、政治やメディアの分析情報もウエブサイトの体裁か、テレビの解説番組など、何らかのビジュアルな情報の一環として受け取る形が最もしっくりくるのだった。

 実際に、ブログがおもしろそうだなと思ったのは、共同通信の編集委員湯川鶴章氏の「ネットは新聞を殺すのかブログ」http://kusanone.exblog.jp/だった。

 氏は、既存メディアのみがジャーナリズムを担うのでなく、一般市民を巻き込んだ「参加型ジャーナリズム」を提唱していた。たくさんの人が氏のブログを訪れ、コメントを残し、トラックバックをしていた。時には個人攻撃ともとられかねないコメントにも、湯川氏は丁寧に返事を書いていた。太っ腹な人だなあと正直感じ、敬服した。

 どこまで太っ腹になれるか分からないが、自分もやってみたいと思うようになっていた。 (続く)
by polimediauk | 2006-01-20 06:57 | プロフィール+ブログ開始理由


 16日にロイターが開いたイベントで、駐英中国大使がスピーチをするはずが、参加者のリストを見て、とりやめた、という話を、前回書いた。

 インディペンデントの17日付報道によると、問題となった2人の記者とは、2000年に創刊された、Epoch Times (ウイキペディアによると「大紀元」)という中国語の新聞のジャーナリストだった。

 ウエブサイトによれば、中国以外では、「世界最大の発行部数の中国語の新聞」、だという。現中国政府の政策を批判する報道も多いのだという。

 英語版 http://www.theepochtimes.com/index14.html
 ウイキペディア http://en.wikipedia.org/wiki/The_Epoch_Times


 追記

 日本語もあります!!(yyz88さん、ありがとう)

  http://www.epochtimes.jp/
by polimediauk | 2006-01-18 18:48 | 政治とメディア