小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 〈今、英国では、ロシアのウクライナへの天然ガス輸出問題が非常に大きな関心ごとになっている。ロシアに対しては、懐疑の目を向ける雰囲気がすでにあり、今回の件で、「ほら、やっぱり民主的ではない・まったく別の価値を持った国だ」というような機運ができつつある。昔、サッチャー首相が、当時のソ連のゴルバチョフ大統領を「話ができる人」--正確な表現ではないかもしれないがーーとして西側に紹介したことになっているが、その逆のケース、つまり、プーチン大統領が、「ほら、やっぱり話のできない人だった」、とでもいうような雰囲気である。今後の報道の動きを見たい。また、今BBCのラジオのニュースを聞いていると、英ムスリム評議会の代表がインタビューされているが、「あなたにはイスラム過激主義に染まる若者達をどうすることもできないんでしょう?」という質問が繰り返されている。ドキッとするぐらい、失礼な言い方だ。非常にネガティブなトーンだ。英ムスリム評議会は政府寄りというか、いわゆる「優等生」として受け止められてきたように思うが、7月のロンドンテロ以降、トーンが変わってきた。このトーンの変化がつらい。)

「コーランを好きなところに置く自由もないの?」

c0016826_2282826.jpg〈上の発言をしたのは、オランダのアヤーン・ヒルシ・アリ議員。右の写真。)

 オランダ・アムステルダムで昨年11月開催された放送業界の国際会議NEWS XCHANGEは、司会や発言者の多くがCNN,BBC,ロイターなど、米英メディアが中心で、あまりオランダ色が出ないままに日程が進んだ。

 ようやく「これぞオランダ」と思われるトピックが出てきたのは、会議二日目の午後のイスラム教を巡る報道に関するセッションだった。

 しかし、パネリストの一人に、オランダの政治家で自称元イスラム教徒の女性アヤーン・ヒルシ・アリ氏を呼んだために、「イスラム教報道はどうあるべきか?」という中心議題には十分な時間が割かれなかった。

 ヒルシ・アリ氏はオランダで最も知名度の高い政治家の一人だ。彼女が脚本を書いた「服従」という短編映画の監督テオ・ファン・ゴッホ氏が、イスラム教徒過激派の青年に、2004年に殺害され、これ以降、どこに行くにも厳重警備下にある。作品はイスラム教を批判しており、監督を殺害した青年は、「イスラム教の名の下に」犯行を実行している。また、ヒルシ・アリ議員にも殺害予告を出していた。

 代わりにセッションの中心となったのは、「服従」という作品がいかにイスラム教徒を侮辱しているかというアラブ系ジャーナリストらからの批判と、ヒルシ・アリ議員の反論で、感情的な言葉の行き交いに終始した。

 セッションが終わったあと、アラブ首長国連合国からのジャーナリストは、興奮が冷め遣らぬ様子で、「私たちの会議が、あの女性のために、ハイジャックされたんだ。こんなことは許されない。私達は、ジャーナリズムに関して話すためにここに来たのに」として、ほかのジャーナリストたちに怒りをぶちまけていた。

 一部の参加者のヒルシ・アリ議員に関する不満感は、セッション開始前から始まっていたようだ。午前のセッションが終わり、ランチ・ブレークに出る参加者たちに、主催者側は、やや早めに午後のセッションのために席に戻るように通告された。「特別なチェックが必要になりますので、お早めに」。

 昼を終えて会場に戻ろうとすると、入り口には、空港で使われるようなボディーチェック機材が並べられていた。全員がこれを通らなければ中に入れない。不満の声が参加者からあがりだした。

 のろのろと会場内に参加者が戻り、イスラム教報道に関する、午後のセッションが始まった。

―メディアの役割

 議題は、20001年9月11日の米国大規模テロ以降、イスラム教徒への恐怖感=イスラムフォビアの増大が指摘されているが、メディア報道はこうした動きを悪化させる役割を果たしているのではないか、という点だった。もし悪化させているのであれば、メディアの側に何ができるのか?

まず、米コンサルタント会社コミュニケ・パートナーズ社が、クエート政府の依頼で調査した「イスラム教徒とイスラム教徒に対する西欧の認識」と題するリポートを発表。

これによると、西欧人のイスラム教に関するイメージはメディアによって育成されることが多く、メディア側の知識が不十分なために、イスラム教をテロリズムや戦闘場面と結び付ける映像や、ベールで顔を隠す女性たちやモスクの様子などステレオタイプを植え付けるような報道が主流になっている。主に否定的な文脈の中でイスラム教を語ることが多いため、好感を持つ宗教として認識される比率が他の宗教に比べて低いという。

 会場では11分の作品「服従」の中の約2分ほどが上映された。足元までを隠す黒いブルカを身にまとった女性が、男性たちから受けた暴力を語る。ブルカの中央部分から女性の裸身が見えるようになっており、コーランの文字が体の一部に描かれていた。

  在英のアラブ系新聞「アル・クアズ」紙編集長アブドル・バリ・アトワン氏は、作品が「文化的過激主義だ」とし、「挑発的、侮辱的、嫌悪感を感じる」と表明。

 アラブ系女性ジャーナリストの数名も、「私たちはイスラム教徒だが、決して男性に服従的だとは思っていない。映画は私たちを侮辱していると思う」とする主旨の意見を述べた。かなり感情的に高ぶっている様子が見て取れた。

 話を聞いていたヒルシ・アリ氏がかばんからコーランを取り出し、一旦床に置いたところ、トルコのドーガン通信社のブルクン・イミル氏が「私はイスラム教徒ではないが、コーランを床に置くべきではないと思う」と注意。「どこにコーランを置こうと勝手だ」とヒルシ・アリ氏が答える場面もあった。「全く、コーランを置く場所を決める自由もないのか」とヒルシ・アリ氏はつぶやく。

 ヒルシ・アリ氏が自由に映画を作り、意見を表明する権利があることは認めるが、作品そのものはイスラム教に対する侮辱だと、アルジャジーラの女性ジャーナリストが言うと、ヒルシ・アリ氏は、「イスラム教徒がイスラム教の名の下で間違った行いをするとき、自己を批判する必要があると思う」と反論。

 議論はもっぱらアラブ系ジャーナリストらとヒルシ・アリ議員との間で進み、欧米のジャーナリストは全くといっていいほど、口をはさむことができなかった。ヒルシ・アリ議員の一挙一動に対して、アラブ系ジャーナリストらからの反撃があまりにも激しいので、あっけにとられた感じもあった。

 セッションの終わり近く、やや唐突のように、「表現の自由は守られるべきだ」とBBCのジャーナリストが発言。ヒルシ・アリ議員への援護ともとれた。これに対し、会場の一部から拍手が起きた。

 私は、あまりにも場違いな、しかし耳障りのいい優等生的発言に、呆然とした。

 おそらく、このBBCジャーナリストの住む英国であれば、「表現の自由、報道の自由」を叫んで支持は得られるだろう。しかし、ここはオランダだった。

 表現の自由が保障されているはずのオランダで、一人の映画監督が殺害された。イスラム教の批判をすれば、死とまではいかなくても、なんらかのリスクが伴うことを覚悟しなければならない、という思いは、オランダの表現者の間で共有されているのではないか。実際、コラムニスト二人が、イスラム教徒と見られるグループからの脅しを受けて、イスラム教批判を停止している。

 逆に、英国では、政治家がその表現行為の結果、24時間厳重警備付きを余儀なくされるような状況は、少なくとも今現在はない。いわば、自分が何を言っても安全度が高い国にいて、「報道の自由」「表現の自由」を言っても、表面的にしか聞こえないように、私には思えた。

 宗教、特にイスラム教が絡んだ場合の表現の自由をどうするかは、西欧諸国のメディアが悩むところだ。セッションでの熱い議論の行方を目にすると、「表現の自由の堅持=善」という物差しだけで現状を切り取っていいものかどうか、疑問がわいた。

 ヒルシ・アリ氏は、「服従」パート2の脚本を書きあげたことを報告した。今度はイスラム教と同性愛者についての関係を描いたという。司会のオランダ国営放送NOSのワシントン支局長チャールズ・ホーエンフイヤセン氏が、「次回作も、前回同様、挑発的な手法を使った作品になるのか?」と聞くと、ヒルシ・アリ氏は、「そうだ」と答えた。「前回のような挑発的な手法を維持するのですね?」とホーエンフイヤセン氏が同じ質問を繰り返す。ヒルシ・アリ氏はこれにもうなづいた。

 セッションの後、何故「服従」が「挑発的」であったと繰りかえしたのかをホーエンフイヤセン氏に聞いて見ると、表現の自由を重要視するオランダ社会の常識から言っても、「作品は度を越していた」からだという。

 二日間の会議終了後、簡単なカクテル・パーティーがあった。アラブ系ジャーナリストたちは、まだイスラム報道のセッションの話をしていた。かつてカタールの人気衛星放送アルジャジーラで働き、現在はアルアラビアの広報ディレクター、ジハド・アリ・バルアウト氏は、「私もパネリストの一人になっていたが、ヒルシ・アリ議員が参加すると聞いて、抜けたんだよ。ジャーナリズムの話にはならないと思ったからだ」と話す。

 床にコーランを置いた行為は、イスラム教徒にとって、「かなり侮辱的行為」だが、それでも、「あれは英訳されたコーランだったから、まあ、許せないことはないが」。

 会場のビジネスセンターで、コンピューターに向かっていた一人は、セッションで、イスラム教徒の女性達たちは「服従的存在ではない」と述べた女性だった。

 「ヒルシ・アリ議員は、イスラム教徒の女性たちを馬鹿にしている。イスラム教徒の女性たちを助けたいのであれば、彼女は全く逆のことをしている」と語る。

 「ヒルシ・アリ議員の言っていることをよく聞くと、アメリカのネオ・コンサバの人と全く同じことを言っているのよ。言い方が全く同じーイスラム教は民主主義と相容れない、後進的だ、とね。表現の自由といえば、西欧ではもてはやされるけど、冗談じゃないわよ」。

 とにかく、徹頭徹尾、熱く、真剣だ。

 メディアのあり方という議題からははずれたが、今欧州で最高に関心度の高いトピックであるイスラム教に関して、それぞれの本音が見事に出た、という点では、非常に貴重なセッションでもあった。〈続く;最終回は「新興ニュースメディア」〉
by polimediauk | 2006-01-04 02:33 | 放送業界

ブレア首相のビデオ


c0016826_2324126.jpg ブレア英首相はエジプトで家族と休暇を過ごしている最中だが、首相官邸からメールが届き(登録すれば誰でも受け取れる)、ブレア氏が自分の一日を語る、という趣旨のビデオクリップができたことのお知らせだった。

 http://www.number-10.gov.uk/output/Page8849.asp

 首相のイメージ・アップ作戦(野党・保守党に39歳の若い新党首デビッド・キャメロン氏が登場したので,対抗策?)なのかな?とも思う。話している内容は特に意味がないが、野党党首などからの質問を受ける「クエスチョン・タイム」〈毎週水曜日)に言及するあたり、キャメロン氏をかなり意識している。

 しかし、一国の首相のビデオというより、テレビのコマーシャルのようでもあり、この人は本当に自分の声を聞いたり、画像を見たりするのが好きな人なのだろうなあと思う。

 戦略として作ったビデオではあろうが、あまりにもイメージのみで、メッセージ性のなさに愕然とする。こんなに軽くていいのだろうか?

追記

 3日付各紙によると、やはり保守党首キャメロン氏を意識してのビデオ、という意味合いが大きいのではないか?ということだった。ただし、首相官邸の広報は、「開かれた政府」のトップに位置する官邸の仕事を伝える、という目的があったとしている。また、首相は一体どんな一日を過ごすのか?という問い合わせも多く、これに答えた、としている。ウエブサイトを通じて首相宛にメールを送れるようにもなっているが、本人が返事を書くのでなく、官邸スタッフが答えるそうだ。

 保守党キャメロン氏を意識して・・・という根拠の1つは、「野党のトップと首相としての仕事は随分違う」といった表現があるのと、与野党の議員から質問を受けるクエスチョンタイムで重要なことは、あらゆる問題に関して事実・情報を首相自身が掴んでいることで、これは保守党党首で首相だったサッチャー氏に学んだ、と述べている点だろう。

 また、椅子に座って自分の仕事振りを離す様子は、いかにも親しい友達にしゃべっている雰囲気があり、これもブレア首相が記者団によく使う手法だ。

 ビデオの存在は、2日付の大衆紙サンがまず報じた。ブレア氏・現政権はスクープをサンにちょくちょく提供している、というのが定説だ。
by polimediauk | 2006-01-03 02:36 | 政治とメディア


悲観論と楽観論

 オランダ・アムステルダムで昨年11月開催された放送業界の会議NEWS XCHANGEで、中国に関する報道を検証したセッションはやや平行線の議論になり、その前のフランスの暴動報道の米英メディア対仏メディアの平行線の議論をほうふつとさせるものとなった。

 パネリスト・発言者らは、中国の報道環境は当局による統制がきつく、国内のジャーナリストは思うように報道できない、とするグループと、当局による規制は以前に比べて大分緩まっており、やり方を工夫すれば、何でも報道できる、とするグループとの二手に分かれた。

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)のアジア・デスク、ビンセント・ブロセル氏は、中国の報道環境に悲観的な見方を持つ。当局による統制がきつく、特に国内のジャーナリストは思うように報道できない、と証言。

 一方、中国の大学でジャーナリズムを教えるピーター・ガーフィールド氏は、現在の中国では「ほとんど何でも報道できる。西洋のような調査報道もある」と肯定的な見方を示した。

 CNNの北京支局長ジャイミー・フロクルツ氏も、「十年前まで検閲は厳しかったが、大分変わってきた。政治問題では限界があるかもしれないが」と続けた。

 香港に本拠地を置く衛星テレビ局フェニックス・チャイニーズのロンドン代表ウエンガン・シャオ氏は、「政治的問題も含めて、当局とは何の問題もなく取材・報道を続けている」。

 チャイナ・インターアクティブ・メディア・グループのトップ、ファン・ハン氏は、衛星放送のリンクでつながった北京からの参加で、中国の検閲に対する西欧の解釈は、まるで映画のようにドラマチックな検閲かもしれないが、実際はやや違う、と指摘した。

 ハン氏が発行する雑誌「タイムアウト」がレズビアンを扱った時、中国当局はあまり良い顔をしなかったが、最終的には発行できたという。「一つ一つの事例を挙げれば、中国はひどい、変わっていない、と見えるかもしれないが、実際には変わってきている。長い目で見ることが必要」。

 ブロセル氏は、中国に変化が起きていることを認めたが、「政治を自由に話せない状況はまだ存在している。国民によるデモは頻繁にあるが、これもほとんど報道されていない。また、ネット利用も、農村に住む人などを含めると、アクセスできない人の方が大部分だと思う」。また、ネットへの当局の検閲があり、ヤフー、BBCなどのサイトの閲覧が一時ブロックされた、と報告した。

 CNNのフロクルツ氏は、中国内で週に100万人がアクセスする自社サイトに対し、中国政府がブロックを掛けているとは思っていない、とし、ガーフィールド氏は、「どれほど統制しようと思っても、すぐにアクセスする方法ができていくのがネットの世界。それほど心配しなくてもよいと思う」と述べた。

 果たしてどちらが中国の現況を伝えているのか。ハン氏は、「自分で何が真実かを判断するしかない。二次情報をうのみにしてはいけない」と警告した。

―故意に悲惨な?ビデオ

 セッションの途中で、BBC北京特派員ルパート・ウイングフィールドーエイズ氏による、中国の一人っ子政策を批判するレポートが上映された。ある村で、二人目の子供を身ごもった女性を、当局の役人が捕まえにくる。いったんは身を隠すものの、当局に捕まった女性は、病院に連れて行かれる。注射を打たれ、二日後に赤ん坊は死んでいた。なんとも陰惨な話だが、村人たちの様子をほとんど夜の暗闇の中で撮っており、悲惨さを過度に演出するトーンが目に付いた。

 ウイングフィールドーエイズ氏が悲痛な面持ちでクリップを紹介する中で、私は次第にこうしたトーンに居心地の悪さを感じるようになっていた。一人っ子政策を徹底実施するための過酷な状況は嘘ではないとは思うが・・・。

 そんなことを思っているところに、オランダ国営放送NOSの外国ニュース担当のウーテル・ツワルト氏が、「果たして私たちは十分に中国のことが分かっているのか」と声をあげた。

 「これまで中国の報道の自由の現況に関して、様々な発言を聞いてきて、疑問が出てきた。つまり、中国に限らず、西欧諸国はかつて帝国主義時代に植民地に対してそうしたように、自分たちの考えや見方を押し付けているだけという面はないのだろうか?中国の一人っ子政策にしても、これに賛同する人も随分いるという面もあるのではないか?」

 ロイターの国際ニュース部門のトップ、デビッド・シュレシンガー氏はツワルト氏に同意すると述べ、国土が広い中国では、「私たちが知らない場所もたくさんある。理解できていない部分もたくさんある」。CNNのフロクルツ氏も、欧米メディアが中国の問題を単純化する傾向があることを認め、ともすると、中国脅威論が主になりがちな欧米メディアの報道に一石を投じた。

 さらに批判の矛先は、BBCのビデオに及んだ。

 もし当局の締め付けが劣悪なものであるならば、クリップで素顔が画面に出ていた女性、及び同じ村の人々に対し、番組放映後に当局から何らかの干渉があったのでは、とする質問が会場から出た。「女性たちに、現在、何らかのバッシングが起きているのではないか?」という質問に、BBC記者は、やや言葉につまり、「女性たちは自分から外国メディアに話したがっていた」と説明した後で、「放映後に何が起きたかは、分からない」とした。

 CNNのフロルクルツ氏は、「私たちだったら、女性たちの顔にピクセルをかけて素性が分からないようにしたと思う。人権侵害が疑われる素材では、情報源のプライバシーを守ることが常に重要だと思う」。

 セッションも終わりに近づき、中国の報道環境に関して議論は一つに集約されなかったものの、中国には中国の物事の進め方があることをフェニックス・チャイニーズのシャオ氏が説明し、私自身は考えるヒントをもらったように思った。

 シャオ氏によると、土地収用問題の報道を巡って、自社の担当デスクが一旦は投獄されたが、「デスクは投獄を覚悟しており、すぐ釈放された。投獄されたことを問題にするよりも、最終的に番組が放映されたことこそが、報道の自由化が進んでいる証拠だと思っている」。

 「基本は、報道が客観的であれば、当局にも一目置かれる」。また、中国で物事を前進させたいときには、「一方向にまっすぐ押すだけでなく、たまには後ろに引いたり、横に移動したりなど、様々な動き方をするのが中国式だ」と述べ、ストレートに門戸開放を要求するような「西欧式」では必ずしもうまくはいかないことを指摘した。

 しかし、「中央政府のレベルでは干渉はほとんどないが、地方レベルでは自由度が低いことは確かだと思う」と結んだ。 〈続く:次回は「イスラム報道」〉

―補足

 補足として、年末から年頭にあった、中国の新聞「新京報」の編集長更迭とスタッフのストの記事を付け足したい。

 時事通信によると、「新京報は2003年11月発刊。街頭で売られるタブロイド判の新タイプの日刊紙として人気を集め、農村からの出稼ぎ労働者の問題や、新型肺炎(SARS)流行後の動向などに関する独自取材に基づく報道で注目された」。

 ガーディアンによると、新京報の民衆の抗議運動の取り扱い、賃金未払いが数ヶ月続いた後で経営陣を殺害した移民の建設作業員への同情的な記事が、政府当局の反感を買った、としている。中国政府高官は、「新聞は、その報道が社会的・経済的影響を持つことに十分に注意を払って欲しい」、「大衆を教育し、適切なガイダンスを与えることが新聞の役割」であり、「規律正しさを保ち、規則に従わなければならない」と、12月29日の会見で述べている。

 結果として、時事通信もガーディアンも、この新聞の編集姿勢が保守的なものに変わるだろうことを予測している。

 以下、時事通信の経過記事

2005/12/30-01:26 「新京報」記者らストライキ=幹部更迭に抗議、署名運動も-中国
 【北京29日時事】中国・北京で発行される日刊紙の中で独立性の強い報道で知られる「新京報」の楊斌編集局長ら幹部3人が中国当局から解任され、これに抗議する同紙の記者ら100人前後が29日午後から執筆拒否など職場放棄に入った。解任撤回を求める署名運動も始まった。同紙関係者が明らかにした。中国メディアでストライキは極めて異例。 
 楊編集局長らは、中国当局による締め付け策に絡み更迭された。複数の新京報関係者は取材に対し、「30日は出勤しない」と語った。30日以降の新聞発行に関しては「新聞を見てほしい」と述べた。
 編集局長ら幹部の更迭後、新京報に出資している保守的傾向の強い日刊紙・光明日報から後任が派遣されるとの見方が出ている。
 新京報は2003年11月発刊。街頭で売られるタブロイド判の新タイプの日刊紙として人気を集め、農村からの出稼ぎ労働者の問題や、新型肺炎(SARS)流行後の動向などに関する独自取材に基づく報道で注目された。

2005/12/30-19:53 姉妹紙の編集幹部も更迭=記者ら集団辞職の動き-中国・広州
 【香港30日時事】30日付の香港紙・明報などによると、中国広東省の広州で発行され人気を集めている日刊紙・南方都市報の夏逸陶・副編集局長が突然解任された。同紙は、編集幹部更迭に抗議して記者らがストライキを行った北京の日刊紙・新京報の姉妹紙。副編集局長解任に反発した記者らが集団辞職する動きを見せているという。
 明報によれば、南方都市報を発行する南方報業グループは27日、夏副局長の解任を職員に通知。炭鉱事故の責任を問われた広東省幹部の処分を大きな扱いで報じたことが「不適切」とされた。
 南方都市報は独自性の強い暴露報道などで知られ、当局が不快感を抱いていたといわれる。新型肺炎(SARS)再発を報じた際には、当時の編集局長が汚職の疑いで拘束されている。

2005/12/30-17:15 記者の抗議続く=新京報、通常通り発行-中国
 【北京30日時事】中国紙・新京報の編集幹部更迭に抗議し、記者がストライキに入った問題で、参加した約100人の記者らの一部は30日も出勤せず、抗議を続けた。しかし、関係者の一人は「(ストのことは)何も話せない。あすどうするかも決めていない」と話した。事態の沈静化に向け、締め付けが強化されているとみられる。
 同紙は30日朝、通常通り発行されたが、これまで掲載されていた編集幹部のリストは29日の紙面から消え、楊斌編集長ら幹部3人の更迭を事実上裏付けた。
 香港紙によると、編集幹部更迭は共産党宣伝部の指示によるもの。同紙の報道に「誤りがあった」と指摘され、親会社に当たる日刊紙・光明日報に人事面の介入を命じたという。
 新京報は今年6月、河北省で土地収用を拒否した住民が襲撃され、6人が死亡した事件を独自に報道するなど、調査報道に力を入れると同時に、積極的な改革を主張する論調が目立っていた。

2006/01/01-08:35
「新京報」抗議のスト沈静化=編集長のみ更迭か-中国
【北京31日時事】中国紙・新京報の編集幹部更迭に抗議し、記者らがストライキに入った問題で、参加者の大半は31日までに職場に復帰し、事態は基本的に沈静化した。関係者の一人は同日、「すべては正常に戻った」と述べ、取材・執筆活動を再開したことを明らかにした。 
 香港紙によると、当局側は今回の問題が内外に波紋を広げたことを考慮し、更迭は楊頻編集長1人にとどめ、当初予定していた他の幹部2人の更迭については保留することで決着を図ったという。独立性の強い報道で知られた同紙の編集方針などは今後、修正されるとみられる。

by polimediauk | 2006-01-02 21:05 | 放送業界

「パリは燃えていたか?」

c0016826_2156328.jpg 昨年ややこのブログでも触れたが、11月にオランダ・アムステルダムで開催された放送業界の国際会議(News Xchange)の様子を、何回かに分けて紹介したい。骨格となる原稿は新聞通信調査会報1月号(1月1日発行http://www.chosakai.gr.jp/index2.html)に書いたものだが、見たことをできるだけそのままの形で紹介したく思い、感想・印象部分を増やした。

 英語圏に住んで時折感じることだが、米英系、つまりいわゆるアングロ・サクソン系のものの考え方、メディアの発想では理解できない、あるいはカバーしきれない現象が世界ではたくさん発生している。ややもすると、その圧倒的リーチゆえに米英メディア=ユニバーサル・メディアと考えがちであるが。

 では、「米英メディアとは、何なのか?」「どんな価値観があるのか?」を定義するのは、なかなか難しい。具体的な事象を紹介する必要が出てくるであろうし、これだけでいくつかの原稿になってしまう。そこで、「調査会報1月号」に出した原稿では、この部分を殆ど書かず、会議の経過の具体例の紹介に集中した。

 しかし、実際に、2日間にわたった会議の中で、最も強く現れたように私が思ったのは、「いかに米英メディアの報道に限界があるか」だった。

 この「限界」だが、例えば、英国でイスラム教、イスラム教徒に関する新聞記事などを読むと、結局は、「よくわかっていない」のだろうなあと思うことがしばしばある。私自身がイスラム教に詳しいわけではない。しかし、「分からないことに関して、書いている」という印象は伝わってくる。

 また、中国に関する報道、時には日本のある現象に関する報道など、ずれている、あるいは偏向しているのではないか?と感じる場合もある。

 世界中の全てのことを熟知しているわけにはいかないだろうから、ある現象を理解できないとしてもそれ自体では問題ではない。しかし、米英メディアが、「自分たちはここまで調べ、これに関してはこう思う」というスタンスでなく、「絶対にこれはこうだ。同意しないなら、あなたが間違っている」というスタンスをとりがちな傾向が問題であるように思う。自分たちの価値観=ユニバーサルな価値観、と考えているようである。

 1つの具体例が、イスラム教の女性が着る黒いブルカ〈体全体を隠し、目だけが見える〉だがこれに関して、「それなりの意味もあるかもしれないが、でも・・・」という声を、西欧の人から聞いたことがない。イスラム教徒の女性は「絶対に」しいたげられており、ブルカは絶対にダメ、絶対に認められない衣服になる。ブルカがいいか悪いか、という議論ではなくて、一旦こうと決めたら、「ひょっとしたら、違う見方があるのではないか?」と思わないようなところがある。

 しかし、自分たちの価値観=ユニバーサルな価値観というスタンスで世界の事象を報道するとき、見逃すものが大きいのではないか。この点が、いくつかのセッションを通して、如実になったのが、News Xchangeの会議だったように思う。(http://www.newsxchange.org/)

――以下、第一日目の、24時間ニュースのセッションから紹介していきたい―――

「報道のあり方」で立場の違い鮮明に
―放送関係者がオランダで国際会議

 「放送業者による放送業者のための」国際会議News Xchangeが昨年11月10日と11日、オランダ・アムステルダムで開催され、世界50カ国から約500人の放送関係者が集まった。欧州放送業者組合が各国の放送業者と協力の上で主催し、2002年、スロベニアの首都リュブリャーナでの初回から数えて今回は4回目となる。

 開催前日にはヨルダンの首都アンマンで爆破テロが起き、57人が死亡するという事件が起きた。予定を変更して自国に戻る報道関係者も出るなどし、緊迫感が漂う中で会議は開始された。

 国際報道をめぐる諸問題に関して様々な意見交換が行われたが、議論の過程で度々浮上したのが、「何が本当に起きているのか」「何を報道するべきなのか」を正しく探し当て、これを偏見なく報道することの難しさだった。

 メディアのジャーナリズム観が違うと、何が報道に足る事実なのか、これをどう報道すべきか、も変わる。取材の自由が限定される場合や取材者側に思い込みがあったり、知識不足があれば、正確な現状把握は困難になる。

 こうした点から、会議中に特に顕著になったのは、米英メディアの限界ではなかったか、と思う。

 フランス、中国、イスラム教の報道に関するセッションから、参加者たちの発言内容をたどってみる。

―パリは燃えていたか?

 フランスでは、昨年10月末から1カ月ほどの間、移民を中心とした暴動事件が続いた。CNNやBBCをはじめとした英語圏のテレビ局は、1万台以上の車が放火され、多くの建物が破損攻撃を受けた様子を全世界に向けて連日報道した。暴動を1968年のフランスの反政府運動「五月革命」になぞらえたり、「パリ(あるいはフランス)は燃えているか」といった、第2次世界大戦末期、ヒットラーがパリ破壊をドイツ軍司令部に命じた言葉をもじった表現をテロップに多用した。

 フランスの24時間ニュースのテレビ局LCIのトップ、ジャン・クロード・ダシエー氏は、CNNなどの「アングロサクソン系」の海外メディアには事件の分析が少なく、暴動の様子も現実より大きく報道されていた、と指摘。報道は、パリ全体が暴動のために機能停止に陥っていたような印象を与えたかもしれないが、「実際には、生活はいつものように続いていた」。

 一方、英スカイ・ニュースの執行編集長ジョン・ライリー氏は、放火シーンをあまり大きく扱わなかったフランスの報道に驚き、「英国でもし同様の事件が起きていたら、二十四時間、執拗に放映し続けていただろう」と述べた。

 ダシエー氏は、「私達の仕事は、穏やかに、合理的に事件を扱うことであり、火に油を注ぐような報道はしない、と決めていた。ジャーナリズムのプロとして、状況を分析することに力を注いだ」。LCIのテレビクルーが暴動の中心地の一つに出掛けたところ若者たちに歓迎され、「良い映像をあげるよ」と言われ、眼前で車に放火したエピソードを紹介し、「メディアのために若者が放火行為をする流れを作ってはいけない、と思った」と反論した。

 LCIを初めとしたフランスのテレビ局は、暴動を悪化させたくないという政府の意向に沿うために報道を抑制したのではないか、という疑問が、米英メディアの参加者から出たが、ダシエー氏は、これを否定。「責任を持って報道することは重要」で、暴動状況を必要以上にセンセーショナルに扱えば、移民排斥を訴える「極右政治家たちに反移民キャンペーンの理由を与えることになる」と判断したという。「バランスの取れた報道をすることが必要だった」。

 LCI同様に、不必要と思われる放火シーンを放映しないことにした仏テレビ局アンテナ2のパトリック・ルコ氏は、当初、暴動の中心となったパリ郊外が「私たちの範疇外で、あまりなじみなかった」ので、暴動の衝撃が制作スタッフにぴんとこない部分もあった」と内部事情を披露。しかし、「パリは燃えているのか?それともメディアが行くからそうなのか?」を問うとき、「たいていは後者だった」、ので、メディアが事態を悪化させる流れは避けるべきだと考えた、と述べた。

 議論は米英メディアと仏メディアの正面からの対決の様相を見せた。

 「『バランスを考えて抑制した』というが、私たちが放映しないと、他のメディアが放映してしまう」「放火シーンを出さずに、どうやって大衆に何が起きているのかを知らせるのか?」という声が、CNNや英ITV,ロイターのジャーナリストらから出た。「絶対にフランス側はおかしい」というトーンがにじみ出た発言が続き、「報道の自由」、「表現の自由」を抑えるのは信じられない、という思いが伝わってきた。


 発生中の出来事を、メディア側が自己規制することなしに、そのまま伝えることこそが真のジャーナリズムと考える米英メディアの参加者の主張はフランス側には受け入れられず、議論は平行線となった。

 このセッションでは、24時間ニュース報道のありかたも考えさせてくれた。出来事を刻一刻とそのまま伝えるのがいいのか、24時間ニュースであるがゆえに出来事の発展に影響力も大きいのだから、一呼吸置いての報道がいいのか、どうか?だ。

 BBCのニュース部門のトップ、ヘレン・ボーデン氏は、24時間ニュースのチャンネルBBC24と、通常のチャンネルBBC1でのニュース報道とを比較した場合、「BBC1ではニュース情報の正確さに関して、視聴者の期待は高く、間違いは許されない。BBC24では、視聴者も心得ていて、私たちが出来事の発生を逐次伝えていることを知っているので、たとえ情報内容に後で間違いがあったことがわかっても、許容してくれる」と述べた。

 「ただ、24時間ニュースの場合、どこまでが事実で、どこまでが未確認情報なのかが、視聴者の目に明確に分かるように報道するようにしている」。

 現在、世界で24時間ニュースのテレビ局がいくつあるのか?

 会場内で正確な答えをあげる人はいなかったが、News Xchange側では75としている。

 セッション後に、汎欧州のテレビ局ユーロ・ニュースのニュース部門のディレクターで在フランスのルイ・リバ氏に、彼自身のフランスの状況分析を聞くと、「今回のフランスの暴動が1968年の反体制の動きと同じとするのは大げさ」と考えている、と述べた。仏メディアには国内報道機関としての役割と責任があったので、報道抑制をしたと分析。

 しかし、仏テレビ界の「抑える」報道姿勢は、海外ニュースになると事情が違ってくる、という。例えば、昨年8月、ハリケーン「カトリーナ」が米南部を襲ったとき、仏メディアは米国社会で貧困層がいかに苦しい生活を強いられているかにかなり力を入れて伝えていたという。「今回の議論の裏には、24時間ニュースでの、米英メディアと仏メディアの闘いの要素もあったと思う」。

 翌日の英ガーディアン紙は、「仏テレビのトップ、暴動報道を検閲したことを認める」という見出しのついた記事を掲載。仏側が暴動場面を「検閲」していたことイコール悪、という見方だ。

 米APオンラインは、「仏メディアはより少ない暴動映像を使用」とする記事で、仏テレビ界の抑制報道を伝えたが、それぞれのテレビ局に取材し、「放火映像の抑制は自己検閲になるのか、それとも報道に責任を持つことなのか」の判断を、読者に委ねる形をとっていた。〈続くー次回「中国報道」〉
by polimediauk | 2006-01-01 21:54 | 放送業界