小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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英国の児童肥満とタブー


 イングランド人のものの見方などについて書いた本Watching the English (by Kate Fox)に、何故天気に関しての会話が多いのか?の説明があった。きっと天気のことを話すのが好きなんだろうなあ、ガーデニングも生活の一部だし、こういう事柄が好きなのだろうと思っていた私は、「会話を作るきっかけ、あなたと話がしたい、あなたに関心を持っていますよ」という意味だという解説を読んで、はっとした。「決して天候のことを話したいからではない」とまで書かれてあった。常識的に考えれば分かるはずだったかもしれないが、気づかなかった。

 今、児童の肥満について(大人もだが)、結構英国では話題に上ることが多い。その中で、特に先ごろ大きく報道されたのが、ある家庭の8歳の太った少年。親が監督できないということで、もしかしたら親と引き離されて特別施設に入れられる可能性もあった。

 最終的には免れたのだが、この少年の生活の様子を見て、驚いた人は多かったに違いない。何と、テーブルについてご飯を食べないのだ。家の中に食卓がないようにも見えた。ソファーに座り、大きな皿を持って食べるのだ。これはテレビ用だけだったのかどうか?そして、父親がおらず、母と兄弟だけ。子供の問題を取り上げる時、結構シングル・マザーの家庭が多いように、メディアだけを見ていると思える。・・・と書くと偏見と思うだろうけれども、この家族に関しては、あきらかに母親が何らかの精神的圧力のために、子供にまともな食事を与えることができないようだった。母親が病気で、母親自身が食卓でご飯を食べないようなのだった。家の中もかなり足の踏み場がない感じで、母親が片づけをすることができない状況にあることが、自明だった。さらに酷だが、低所得・シングルマザー、教育程度低し・・・という非常につらい状況の家庭なのだった。

 そうすると、誰の目にも明らかなのは、太った子供はとても可哀想なのだけれど、もっと大きな問題は家庭にあって、お母さんがまず幸せにならないと(それは知的刺激かもしれないし、お金かも知れないし、男性のパートナーかもしれない)健康的な食事をとることができない、ということだ。本当にめちゃくちゃな量の食事を子供は取っていて、お母さんは「食べ物を与えると息子が怒るから」といって、テレビカメラになみだ目で語っていた。

 しかし、母親の酷な状況を、メディアは表立っては言えないし、言わない。もっぱら息子が食べる様子をカメラで映し、英国全体の肥満児の問題に広げて話す。政府が家庭内の問題にどこまで踏み越えるか、など。英国の大きなタブーは、家庭内のいろいろな問題が、「シングル・マザー、教育程度の低さ、低所得」が大きな要因であると分かっていても、これを言ってはいけないことだ。

 「英国ニュースダイジェスト」に、児童肥満について書いた原稿に言葉を加えた記事を貼り付けたい。

肥満児が急増中
 誰が子供たちを救えるのか?

 英国では、成人ばかりか児童の間でも肥満が増加している。現在ほぼ10人に1人は肥満児の範ちゅうに入るとされる。2月末、8歳で90キロの少年が、その肥満のあまり家庭で栄養的に十分な食生活が与えられていないとされ、母親の元を離れ、特別な施設に保護される一歩手前まで行った。児童にとって肥満は行政介入が起きるほど重要な「病気」であることが浮き彫りになった事件だった。

 イングランド北西部ウオールセンドに住む8歳の少年が、最近、英国中の注目を浴びた。体重90キロのコノー・マックレディー君が、もし親が体重減少のために適切な手段を取れない状態だと認定された場合、行政の手によって母親の元を離れ、ソーシャルワーカーの管理下におかれる可能性が出てきたからだった。

 地元市役所は児童法に基づきコノー君の保護に乗り出したのだが、多くの英国民にとって、行政介入が考慮されるほど児童肥満が深刻な問題になったことを示す事件となった。

 コノー君は親の怠慢で同年の児童の4倍もの体重になってしまっただろうか?そうだとしても、果たして行政が、本来は親が面倒を見るべき分野に介入するのは良いことなのかどうかー。

ーコントロールできない親たち

 市役所がコノー君の処遇に関して決定を出す直前、取材に押しかけたテレビクルーは、コノー君が体重を減らすためトランポリンをしたり、ソファーに座りながら、母親のニコラ・マッケワンさんが作ってくれたフライド・ポテト、ベーコン、バター付きパンにむしゃぶりつく様子を映し出した。

 コノー君のある日の食事とは、朝食はチョコレートが入ったコーンフレーク、11時のスナックがトーストと七面鳥のハム、昼食がソーセージ、ハンバーガーと大量のフライド・ポテト、夕食はヨークシャー・プディング4枚と肉類で、間食が「ウオーカーズ」のポテトチップ4袋で、20分毎にビスケットや他のスナックだという。

 シングル・マザーのマッケワンさんは、「野菜やフルーツを食べなさいと行っても聞いてくれない。餓死されるわけには行かないから、好きな加工食品を与えている」と語った。レポーターが「このままだとコノー君は死んでしまうわよ」というと、マッケランさんは「分かっているけど・・」と涙ながらに答えた。レポーターの「死んでしまうわよ」というのは、精一杯の抗議、訴えだった。これ以上強くは言えないのだろう。

 「子供をここまでの肥満状態にさせるのは児童虐待の部類に入る」、と児童肥満に関するチャリティー団体「子供成長財団」のタム・フライ会長は述べる。「親の責任が問われるべきだ。犬だってこんな風には扱われない」。

 保健省によると、11歳以下の肥満児童は1995年の9・9%から2003年の13・7%に増加。原因は運動不足や高カロリーの食事だ。児童の肥満は心臓病、糖尿病などにつながる可能性が高く、ガンにもかかりやすいと言われている。さらに、肥満のために同級生にいじめられたり、憂うつ感、自尊心の低下、発達の遅れなどにも関連してくる。

 児童の肥満の原因は親の責任だけではなく、栄養分が低く高カロリーの食品を子供を対象に24時間マーケティングする食品会社の責任を批判する声もある。どれほど親が体によい食品を子供に勧めても、お菓子や甘い飲み物への誘惑が強すぎる、というわけである。こういう考えは日本からすると、驚きといっていいだろう。

 しかし、こうした声を受けて、マースやスニッカーズなどのチョコレート・バーを販売しているマスターフーズ社は、12歳以下の児童向けの広告を行わないという方針を発表している。

 2月末、市役所の児童審議会は、マッケワンさんには「子供のために家族ぐるみで努力する兆候が見られる」とする判断を発表。これでコノー君は母親の元で暮らしていけることになった。児童の肥満をどのように誰が防ぐべきなのか、考えさせられた一件だった。

―肥満メモ

 National Obesity Forumによると、児童の肥満の原因は、肥満を引き起こす遺伝子の影響(まれなケース)、高カロリー、高脂肪分が多い食事、運動不足(徒歩で学校に通う児童の減少、テレビ観賞の増加など)、親が太っている(食事や運動の習慣などに影響)、低社会・経済層に所属することだ。

 何故児童が肥満にかかると困るのか?それは、BBCによると、病気(心臓病、糖尿病、ガンなど)にかかるリスクが増大、高血圧、リューマチ発症傾向が高い、寿命を7年減らす、憂うつ感、睡眠阻害、他の児童からのいじめ、自尊心の低下、身長が伸びにくく、発達が遅れがち、成人後も子供時代の食習慣などが継続するためだという。

 対処方法は、バランスのとれた食事、1週間に5回以上、毎回30分以上の運動、行政や非営利団体などによる支援で家族ぐるみで取り組む。場合によっては、主治医の指導の下で薬品摂取だ。

 肥満を英語でOBESITYという言葉を使うが、これは極端なあるいは病的な肥満を指す。肥満度はBMI(BODY MASS INDEX)(体格指数または肥満度指数)で測る。体重(kg)÷(身長(m)の2乗)。20以下が体重不足、20-25が標準、25-30が体重超過(OVERWEIGHT)、30以上が肥満(数値は調査機関によって若干変わる)。1980年、肥満は女性で8%、男性で6%だったが2004年時点では全体で24%となった。肥満はリューマチ、心臓病、糖尿病などを引き起こす可能性が高い。

 イングランド地方だけで肥満が原因で亡くなる人は毎年約3万人。国民健康保険サービスは、肥満関連の病気の医療費として毎年5億ポンド(約1兆1千万円)を費やす。医療費も含めての肥満に関わる全費用は約74億ポンド(約160兆円)で、肥満解消が国家的課題の1つになっている。

by polimediauk | 2007-04-30 22:34 | 英国事情

ー「ネットで読むだけでもいい」

 ロンドンの外国プレス協会で、24日、「新聞は瀕死状態か?」というタイトルのディスカッションがあった。パネリストとして参加したのは英テレグラフ紙のウイリアム・ルイス編集長、米インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(本部パリ)の記者エリック・ファナー氏、インドのタイムズ紙のロンドン支局長ラシミー・ロシャンラル氏、フランスの経済日刊紙ラ・トリビューンのアンドレア・モラウスキー氏。何故かヘラルド・トリビューンの記者のみがやや自信なげでそれほどおもしろいコメントがなかったのだが、最後までテレグラフ紙ルイス編集長への質問が絶えず、熱狂の雰囲気の中でイベントは終わった。

 まず、ルイス編集長(37歳)は元ファイナンシャルタイムズの記者で、サンデータイムズにいた後、テレグラフに来たのは2005年。編集長になったのは昨年の秋から。印象記になるが、英国の上流階級のようなアクセントでしゃべりだしたので、??と思っていると、段々くだけたアクセントに変わっていく。時々英政治家がそうなのだが、わざと米国人っぽいしゃべり方とかフレーズを入れる感じで、こういう話し方は今時のこういう年齢の人に流行っているのかなあと不思議だった。最後まで参加者の注目を集めっぱなしだった。

 この中で私が強い印象を持ったのは、
―テレグラフの「ウエブ、紙などの区別をしていない」点。どっちが先か、つまりスクープ掲載のときなど、どうするのか?としつこく聞かれていたが。ある新聞のインタビューでは、ルイス編集長は「ネットで読んで、後で新聞を買ってくれなくてもいい」とまで述べている。
―テレグラフやフランスの新聞もそうだが、「新聞を作る側が傲慢だった。朝に出す紙用に作ればいいと思っていた」という点
―仏トリビューンの試みで「ネットと紙媒体の記者が時々仕事を交代でやっている(紙の記者がネットの業務をするなど)」。

 テレグラフは新聞自体で「お金を稼いでいる」と言っていた。これは珍しいようだ。インディペンデントも(ガーディアンも?)、新聞自体でお金を稼ぐことが難しいと聞いている。広告に頼らず、という意味かどうか?聞こうと思ったが時間切れだった。

 テレグラフは英国の新聞の中でも一番最初に(1994年)ウエブサイトを始めた、と紹介されていた。

 テレグラフ・ルイス編集長「今、新聞は瀕死の状態にはないと思う。世界的に見ても、米国と欧州を除けば、発行部数や新聞の数そのものは増加する傾向がある。今まで新聞業界にいたのは16年だけれど、今が最高にエキサイティングで、業界にはダイナミックな動きがあると思う」

 「テレグラフの例をとっても、毎年新規卒業者を雇用するのは一人か二人いればいいほうだけれど、今年は10人採る予定で、面接中だ。テレグラフは爆発的に伸びようとしている、と言っていい」

 「デジタル世界に読者と広告が移っているので、こちらもデジタル世界に入ることにした(最近のマルチメディア戦略のこと。昨年秋から、ロンドンのビクトリア駅近くに引越しをして、マルチメディアを主眼にした新しいオフィスで編集をしている。)これで、直ぐに、主眼となる紙媒体に影響が出てきた」

 「雑誌を見ても、読者をたくさん得るには、まずオンラインのウエブサイトから、という動きがある」

 (テレグラフの読者は50歳以上と言われているけれども)「45歳以下の読者の多くがスポーツ記事にたくさんアクセスしている。ビジネス面も同様だ」

 「テレグラフは年老いた人が読むもの、退屈だ、というイメージがあるかもしれないが、そうではない。テレグラフという一つのブランドを広げる、そういう意味でのマルチメディア戦略だと思っている」

 「テレグラフを1つの媒体だと見ている。『プラットフォーム・アグノスティック』という考え方をしている。どんなプラットフォーム、つまりはどんな形でもいい、と。読者がテレグラフをどうやってどこで読んでもいいように、と。(英国で大人気の携帯電話)ブラックベリーで読んでもいいと思う」

 「今までを振り返ると、テレグラフのスタッフは、人々が朝起きて新聞を読むという習慣だけに合わせて新聞を作っていた。一日に一度の機会のために作る、という意味で怠け者だった」
 
 「現在は、読者は王様、と考えている。経営陣も考え方を変えた。読者が何を欲しがっているか。例えば、サイトで提供されている映像クリップには、毎月60万件のダウンロードがある。新聞社にとってはまったく新しい領域だ」

 「編集長への手紙(=読者欄への投稿)もマルチメディア戦略を実行してから2倍に増えた。今は毎日1000通手紙をもらう。その90%は電子メールでくる」

 「もっと読者をデジタルの金脈につれていきたい」

 「ウエブサイトでヒット数が大きいトピックに関しては、次の日の紙面で扱いを大きくするなどができる」

 「今は新聞産業の黄金の時代だと思う。これまで、新聞業界の態度は傲慢だったと思う。自己満足の世界だった。これはデジタル時代で変わらざるを得なくなったと思う。変わるべきか、変わらざるべきかではなくて、変われない新聞は惨めな死が待っていると思う」

 インターナショナル・ヘラルド・トリビューンのエリック・ファナー記者「業界の怠慢は確かにあったと思う。営業利益率が24-30%だったし、これでいい、と」、「米国の新聞業界は英国とは違う。全国紙が少ないし」

 「新聞が瀕死状態にあるのかどうか?そういわれているけれど、実際に死んだ・つぶれたところは今は(米国では)ほとんどないのではないか。これが20-30年前だったら、統合合併で消えるところは結構あったと思うけれど。そういう意味では、新聞は生き残っているのだと思う」。

 インドのタイムズ紙のラシミー・ロシャンラル氏「1838年創刊の伝統的新聞だ。発行部数は310万部で、英語での高級紙という意味では世界で最大の部数と思う。ただし、インドでは、ブロードシート(=高級紙)というよりも、よく言われるのが『ブロードロイド』つまり、ブロードシートとタブロイド(大衆紙)がミックスしている新聞だと言われている」

 「新聞が瀕死状態かどうか?昨年末、米タイム誌が、『マン・オブ・ザ・イヤー』に出した人物のことを思い出してほしい。その人物は『あなた』つまり読者だった。マイスペース、他SNSも大人気だ。つまり、読者・ユーザーが作ったコンテンツが人気で、これが新聞を変えたと思う」

 「メディア王マードックは、新聞を『ニュースの提供者』と呼んだ。『会話をする場所』であるべきだ、と。新聞は読者が馬鹿であるように(=一歩下の存在として)扱っている、と」

 「新聞の部数は米国で5%、欧州で3%、日本でも2%減少している。ところがインドでは急成長だ。広告も2004年では紙媒体で15%伸びた」

 「紙の新聞は中間地帯にある存在として私は考えている。例えば、ウエブサイトに流し、これを携帯電話にも流す。あるいは携帯で真っ先に記事を出す。紙媒体に載せる時は、グラフをつけたり、情報を付け加えたり、解説をつける、と。これをまたサイトに戻す時、関連記事のアドレスを入れるなどしてさらに詳しくできる。ここで一回りして、終わる、と」

 ラ・トリビューン紙のアンドレア・モラウスキーロンドン支局長「フランスの新聞はずっと景気後退状態が続いてきたのだけれど、少しずつ回復しつつあるとも見ている。この間の大統領選の投票でも投票率は80数パーセント。これほど高いことはなかったと思う。何か行動を起こそう、という機運がある」

 「確かに、新聞業界の中には怠慢さがあったと思う。しかし、段々ここでも動き出そうという機運があると思う。経済に目を移しても、大きな投資をしようという方向になってきている」

―テレグラフではビデオははどんな感じで提供しているのか?

テレグラフ・ルイス編集長「ビデオはサイト上で見れるようになっており、英商業テレビITVのニュース部門ITNと提携を結んでいる。例えば自分たちが作った経済番組を毎日昼12時半から出している。編集はITN。クリケットなどスポーツのビデオもある。短いけど、見やすい。コストがゼロでできる(注:どのような意味でコストゼロというのか、不明だった)。ビデオでお金をもうけている」、「記者は原稿を書くだけでなく、映像、音声情報用にニュースを作る」

―前の所有者(詐欺罪で裁判中)ブラック卿のスキャンダルで読者は減ったか?

ルイス編集長「うーん・・・。最近テレグラフに来たばかりなので、前のことは分からない。でも、いつでも数字は上下する。しかし、テレグラフに傲慢さなどがあったことは確か。ここ5年で目が覚めた状態になったと思う。ライバルはグーグルやヤフーになった」

―テレビの影響で新聞に人気がなくなったと言えるかどうか?

 ラ・トリビューンのモラウスキー支局長「テレビの影響はあると思うけれども、これだけで部数が落ちたわけではない。フランスでは地方の新聞が強い。地域社会に根をはっている。しかし、ネットの人気の影響はあるかもしれない。特に、フランスでは今ブログが大人気になっている」

 インド・タイムズのロシャンラル氏「インドではテレビのチャンネルは100あるが、これが新聞の発行部数に関係あるとはいえない状態だ」

―クロスワードが好きな読者に関してコメントが欲しい。英国で人気の無料紙も質が高くなっているが、影響はあるか?

 テレグラフ・ルイス編集長「クロスワードは実は結構重要だ。ちょっと変えようとしたら、読者からかなりの反響があったので、おいそれとはできないと思った。オンラインのクロスワードパズルクラブというのを作っている。有料でメンバーになれるのだが、これが非常に人気だ」、「無料紙だが、質に関してはなんともいえないが、ある一定の層の人に人気のある媒体、と言っておこう。テレグラフは別のものを提供できる」

―マルチメディア戦略といっても、一人の記者がいろいろやらされたら、質の水準を維持できるのか?

 ルイス編集長「それはまだ実験中」。

―紙媒体に出る前にネットで出すことの是非についてどう思うか

 ルイス編集長「紙とネットの区別をしなくなった。読者が何を欲しているかを起点に考える。自分のことを考えるのでなく、読者のことを考えると。作り手を中心にするのではなく。昼休みに情報を欲しい人もいる。スタッフは会社に来て、それから夕方までをかけて新聞を作っていた。自分が中心だった」

―52人、新オフィスに移動するときに解雇したと聞いた。人が少なくなってマルチメディア戦略を実行できているのか?

 ルイス編集長「52人退職したのは事実だが、新しい人もたくさん入れているので、トータルではそれほど人が減っているわけではない。海外支局も増やしている。もっとお金を使っている」

 ラ・トリビューンのモラウスキー支局長「ネットと紙媒体のどちらを先にするかは編集部でもずい分話題になった。2本足で歩く、という考え方をしている。つまり、紙媒体とネットとが両足。どちらかが先に行ったり、後に行ったりするが、最終的に全体が進めばいい、と。最初はラフでオンラインに出し、後で紙媒体で詳しく書く、という風に仕事の内容が変わったと思う。また、社内的には、紙媒体の記者が、例えば1週間に一度オンラインのみで働くなど、交流できる体制がある」

 テレグラフ・ルイス編集長「例えば、読者が何をいつ読みたいかを考える時、訃報の例をとれば、昨日はロシアの元大統領エリツイン氏が亡くなった。テレグラフにとって、長い訃報記事は重要。私が一読者だったら、3000字ほどの長文の訃報記事を、夜寝る前に読みたいと思うだろう」

―ネットに先に出すのは、例えスクープでもそう言えるのか?具体例を出して欲しい。

 ルイス編集長「昨年末、BBCの経営委員長がライバルのITVに突然移籍するというスクープがあった。スクープの最初はブルーベリー(携帯電話)に出した。それからウエブサイトに。その後が紙媒体だった。紙の時点では読者は解説を読みたがっていた。ここで問題だったのは、誰がそのスクープをブレークしたかだった。テレグラフのスクープということで、他のメディアも報道した」
 
 「時間によって、読者が欲しいものが違う。午後4時、私たちは『運転の時間』と呼んでいる。A4サイズのPDF版形式で「テレグラフPM」という媒体をダウンロードできるようになっている。これで基本的な、通信社が出すような感じのニュースを出す。昼休みには、ビデオクリップを見たい人が多いので、これにあわせる。夕方から夜にかけてはサイトを見る人がピークになる。サイトを見て旅行プランを立てる人も多い。私たちの懸念は、もしサイトに載せたら新聞を買わなくなるのではないか?ということではなく、スーパーサイト(ウエブサイト)を作ることを狙っている」

―ウイリアム王子と交際相手のケイト・ミドルトンさんが別れたというスクープを他の新聞が出したけれど、このスクープをもしテレグラフがとっていたら、どんな風に扱ったか?

 ルイス編集長「読者が何を欲しがるか。まず、紙媒体だと、このようなトピックをテレグラフの1面で大きく出すと、読者は敬遠する。ミドルトンさんのきれいな顔写真のアップなどもあまり好まれなかった。オンラインの読者はトップにしても構わないようだったけれども。オンラインの読者の80%は紙媒体の読者とは違うタイプ」

―大衆紙サンやデイリーミラーが大きなスクープを出すけれども、ああいうスクープでも、テレグラフではネットに出し、それで他の新聞が後追いしても、本当に構わないのか?

 ルイス編集長「サンやミラーが何をやっても構わない。テレグラフはテレグラフ。読者層が違う」

 ・・・質問はどんどん増えるばかりの中で、時間切れとなったが、ひとしきり人がいなくなった後で、ある人が、「ルイス編集長はテレグラフの宣伝に来たみたいだったね」と一言。


 
by polimediauk | 2007-04-28 00:15 | 新聞業界

 注目されてきたロンドンの無料紙だが、問題も出てきた。あまりにも配布数が広がり、ゴミが増えて困っている、というのである。ゴミ処理用の費用を誰が払うのか、市当局かあるいは出版社側か?という点がしばらく話題になっていたが、今度は、大量のあまった新聞を、配布員がゴミ箱に捨てている映像がユーチューブに出たようで、これはロンドンライトとザロンドンペーパーという2つのライバル無料紙を出している出版社同士の戦いのような感じになったが、今週になってまた別の問題がでてきた。

 それは、もし大量の新聞を捨てているのであれば、新聞の発行部数を毎月出しているABCのデータは果たして信頼できるのか?という点だ。

 http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/london/6584889.stm

 26日付のFTなどの報道によれば、ABCが調査を開始したという。今後の成り行きが注目される。

 今、例えばロンドンの駅構内を歩いていると、前はスタンドに「メトロ」無料紙が積み上げられているだけだったが、最近は新ロンドン無料紙(昼以降になるので夕刊紙となるのだろうが)の配布員たち数人が待ち構えている。外で配られるのは、適当にかわしやすいけれども、構内でやられると、ちょっと怖い感じもしていた。ぼうっと歩いていると、急に近づかれる感じだ。これからどうなるのか?

 以下、「北アイルランド」の最後の回である。(次回は24日に行なわれた、新聞の将来に関するディスカッションの様子を伝えたい。)

―無法地帯

 ベルファーストの郊外にある「ウエーブ」は、「テロ活動」などで家族を失った人々のための支援組織だ。週に何度か集まり、お茶を飲んで他愛のない話をしたり、マッサージなど心身をリラックスさせるサービスも受けることができる。ほとんどが女性たちで、夫や兄弟を「テロ」で失った人たちだ。付き合いが長くなると、お互いがカトリック系なのか、あるいはプロテスタント系なのか分かることが多いというが、自分たちからはどちらの住民なのか、どのグループの攻撃で家族を失ったのかを詳細には語らないという。

 プロテスタント系武装集団が根城にしているシャンキル通りには、「シャンキルの殺し屋たち」と呼ばれるチンピラ・グループがかつていたという。「私の夫はシャンキルの殺し屋たちに殺されたのよ」と50代後半と見られる女性が語る。「でも、殺した人は捕まっていないの」。そばにいた女性も、「私の場合もそうなのよ」と相槌を打つ。

 北アイルランドで多発した暴力事件で、遺族が苦しめるのは、犯人が「捕まらない」、「正当な裁きを受けない」ことだという。

 圧倒的にプロテスタント系が占める警察にカトリック系住民は心を許さず、警察に頼るよりは「自分たちの身を守ってくれるカトリック系民兵組織」に頼るからだ。また、いずれの場合でも、人々の口は堅い。誰が犯人かをたとえ分かっていても、それを警察に告げれば、必ず復讐される。

 1972年、北アイルランド北部の都市ロンドン・デリーで「血の日曜日」と呼ばれた事件が起きた。英軍が武器を持たないデモ参加者に発砲し、最終的に13が命を落とした。英軍側は群集側が先に発砲したと主張するのに対し、犠牲者の肉親は英軍側が最初に手を出したと反論。巨額の費用をかけた実態調査の後も、未だに誰が最初に発砲したかは明らかになっていない。

 この事件は例外でない。真犯人が誰かは分かっていても真実を明るみに出すことでさらに暴力事件が起き、自分や家族への報復行為があると思うと、人々の口は重くなるばかりだ。

 今年1月、カトリック強硬派でアイルランドへの帰属を望むシン・フェイン党は、宿敵と見なしてきた北アイルランド警察を承認することに合意した。「警察を承認」とは一見奇妙に聞こえるが、プロテスタント系住民が圧倒的な割合を占めてきた警察組織をシンフェイン党はこれまで認めていなかったのだった。

 この合意の直前、北アイルランドの警察オンブズマン組織が、現在の警察の前身だった王立北アイルランド警察の特別部隊が、1991年から2003年の間、プロテスタント系ギャング集団を情報筋として使う代わりにギャング手段によるカトリック住民への暴力行為を見逃していた、とする調査書を発表した。警察の記録の一部が破棄されているため、証拠不十分ということで警察官の中で処分される人は誰もいない見込みが高い、と報告書は結論づけた。警察側とプロテスタント側との癒着を明らかにした衝撃的な結論だったが、意外というよりも「やっぱり」という思いを誰しもがした。

 「実際に手を下した警察官たちを責めるのは簡単だ。しかし、警察最上部の支持がなければできなかったのだと思う」とオンブズマン組織のトップ、ヌアラ・オロアン氏は報道陣に語っている。

―アイルランド共和国は手を差し伸べるが

 北アイルランドの現況は、元を正せばイングランド(現在の英国)のアイルランド侵攻が始まりと言えるが、英国が北アイルランドから手を引き、南北が統一されれば問題が解決する、といった状況ではもはやなくなっている。南と一緒になりたくないという住民が北アイルランドにいる限り、英政府が恣意的に退くことは不可能だ。

 1998年の和平合意は、南北の統一は北アイルランドの住民が合意しない限り実現できないこと、アイルランド共和国が憲法を修正し、北アイルランドの領有権を訴えている部分を取り除くことを定めた。これを元にアイルランド共和国では憲法修正を行い、領有権の主張を手放した。

 アイルランド政府は今年1月、北アイルランドへの巨額投資計画を発表。教育分野や、ダブリンとベルファーストなどをつなぐ道路、ロンドンデリーにある空港への投資を含む。「投資は歓迎だが政治的目的が背後にないことを望む」とプロテスタント系政党民主ユニオニスト党のピーター・ロビンソン氏が述べると、アイルランド政府は「北アイルランドと英国の絆の土台を弱めるのは目的ではない」とした。南北統一に言及することで、北アイルランドで無用な反発を引き起こさないよう、気を使いながらの返答だった。

 アイルランド共和国も、かつての支配者英国も和平の進展への支援者として北アイルランドを外側から見守る格好をとっている。

―未来

 現在の英国では、「テロ」と言えばイスラム教過激主義者による「テロ」を思い浮かべる人がほとんどだ。先の警察と暴力集団との癒着を明らかにした報告書は注意を喚起したが、英国本土でIRAなどによる「テロ活動」が事実上停止している現在、人々の北アイルランドに対する関心は高いとは言えない。

 北アイルランドは次第に「無関係irrelevant」になった、とする論調を英国で目にするが、いわば問題の当事者だった英国でもそうなのだから、英国以外の国際社会からすると、北アイルランドはますます遠い存在だ。

 武力の衝突に関する報道の続くイスラエルーパレスチナ問題などに比べても、北アイルランドは「忘れられた場所」になってしまったとも言えるのかもしれない。

 2002年以来停止している自治政府も、ここ数年で何度も再開直前まで行ったが、プロテスタント系政党とカトリック系政党が互いを責め合い、合意決裂に至った経緯があるため、大きな期待を抱く人は少なくとも英本土では多くない。

 自治政府の活動が停止しても、北アイルランド議会の議員たちは給与をもらい続けているため、「税金の無駄遣い」と見る向きも多い。「自分のことを自分でまともに解決できないとは」と嘆く見方もある。

―統合学校

 「北アイルランドで唯一明るいニュースがあるとすれば、『統合学校』を希望する親が増えていることかしら」と、英週刊誌「エコノミスト」に北アイルランドの分析記事を書く、ジャーナリストのフィオヌアラ・オコナー氏は言う。

 北アイルランドの子供たちのほとんどは、カトリック系かプロテスタント系かいずれかの学校に通い、大学や会社に入るまで異なる宗派の住民同士との交流はほとんどないが、1981年、カトリック、プロテスタント、他の宗派・宗教、無宗教の子供たちが一つ屋根の下で勉強する学校ができた。別々の教育体制やコミュニティーに所属する中で生まれる、互いに対する無知、偏見、憎しみを自分の子供たちには決して経験して欲しくない、と考えた親たちが作った統合教育学校だ。

 最初に設立されたラーガン・カレッジ(日本では中学から高校に相当)から現在までに統合学校の数は小中学校を合わせて58校となった。北アイルランドの全小中学校数からすると約5%で、ほんの一握りともいえる。それでも、既存の宗派の学校に入れたくないと考える親は増えており、2005年には統合学校への入学希望者500人を「断らわざるを得なかった」と、統合学校の運営を助ける団体「NICIE」のマーケティング・マネジャー、デボラ・ギルバンさんは言う。

 統合学校の成り立ちは親の意思が出発点だった。「統合学校」として政府から認定を受け、親が教育費を払わないで済むように運営費を税金でカバーしてもらうためには、ある程度の生徒数と一定期間継続して運営できることを証明しなければならない。認定が降りるまでの間、統合学校は「統合学校基金」を通じて協力者から資金を募り、これを運営費にあてる。

 ブレア英首相も訪れたと言う、統合学校の一つ、へーゼルウッド中等統合学校を訪れてみた。校内の壁の一部にあったモザイク画の一つには銃がモチーフとして描かれていた。

 集まってくれた数人の生徒たちは、「学校では宗派が違っても全然関係なく勉強したり、遊んだりする」と声をそろえる。

 「放課後、家に連れてきて遊ぶこともあるよ」と一人の男生徒。「でも(同じ宗派の友人同士が行く)地元のクラブには一緒に踊りに行ったりはしないかな」。

 「同じ教育機関に通ったからといって、全ての問題は解決しない。統合学校に行っただけで差別や偏見が全て消えるなんてことはないし、学校に期待を持たせすぎないほうがいい」と、自分の子供も統合学校に通わせた、「エコノミスト」ジャーナリストのオコナー氏が言った言葉を思い出した。

 学校から外に出るために校門まで歩く途中の道で、近隣の建物と学校を隔てる高い柵が付けられていることに気づいた。柵の上には鉄製の突起物がついており、校門以外の場所からは絶対に入らせないぞ、という意思を感じた。何故これほど頑丈な柵を作る必要があるのか。柵も銃のモザイクも、ベルファーストに住む子供からすれば見慣れた光景で、ことさら気にならないのだろうか。

 統合学校はカトリック、プロテスタント系住民の両方から反発を受けやすい、とNICIEのギルバンさん。カトリック教徒から見れば敵であるプロテスタントの子供がいる学校であり、プロテスタントか見ればその逆だからだ。子供の数が少なくなり、生徒の取りあいとなっている北アイルランドでは、生徒が統合学校に行けば自分たちの学校が閉鎖される状態を恐れる学校もある。しかし、理想として統合学校を支持する声は高まるばかりだ。

 2001年から03年の間に北アイルランドで行われた「オムニバス・サーベイ」では、81%の人が統合学校は平和と和解に役立つと答えている。2005年の「ライフ・タイムズ・サーベイ」では、現実には北アイルランドの90%の地域がカトリックかプロテスタント居住区に分かれているものの、79%の人は異なる宗派同士が混在する地域に住むことを望んでいるという結果が出た。

 現実は希望とはかけ離れており、3月末再開予定の自治政府も今後どうなるか予断を許さない。未来図は不明だ。しかし、数世紀いさかいが続いてきた北アイルランドは、今、自力で新たな将来を作る産みの苦しみの時期にあるのかもしれない。(終)


                   ***

 この後、カトリックのシン・フェイン党とプロテスタントのDUPは共に自治政府を形成することに合意し、5月8日から新政府発足予定だ。何と、シン・フェイン党のアダムズ党首とDUPのペイズリー党首が並んで写真を撮られるのは今回が初めてだったようだ。
 
 それでも、2人は一つの線上にならんでおらず、机はV字型に並べられ、V字の片方にペイズリー氏、片方にアダムズ氏が座り、向き合うけれども一つ机をシェアしたわけではない、という座席構成になったという。まだまだ苦労は続くが、こういうレベルのことで悩むようだったら、まだいいことに違いない。
by polimediauk | 2007-04-27 02:02 | 政治とメディア

 やはり、ルーシーさん事件が一面に出ていたデイリーテレグラフ。「ルーシーに正義なし」という見出しで大きな写真が出ている。中は9面で、父親の会見の話で「これは正義ではない、と父語る」という見出しの記事、織原被告のプロフィール(イラストつき)、東京のナイトクラブの話、別面では女性コラムニストが、ルーシーさんの父親が45万ポンド(約一億円)の「お悔やみ金」を織原被告側から受領したことを非難する記事が。
 
 ルーシーさんの両親はこの事件のこともあって、離婚している。父親は何度も日本に出かけ、その過程でお金をもらったようだ。これが批判されている。元奥さんもこの点を批判している。家族がばらばらになってしまったのだ。

―イングランドのアイルランド支配

 北アイルランド問題の元をたぐると、イングランドのアイルランド侵攻にさかのぼる。

 南北のアイルランド人たちがよく使い、イングランドに住む人が「またか」という顔をするのが、「イングランド(英国)がアイルランドを800年間植民地支配してきた」という表現だ。イングランド人側から見れば、「全くアイルランド人は昔のことを良く覚えている。そんな昔のことを今言っても始まらないだろう」という思いがあるのだろう。

 しかし、どこの国の歴史を見ても、あるいはどのような社会でも、支配された、抑圧されたあるいは虐げられた側の方はその経験を長い間忘れないでいるものだ。

 「800年」というのは、12世紀のイングランド王ヘンリー2世が、ノルマン人に支配されていたアイルランドに侵攻した時から数えた場合だが、イングランドがアイルランドでの実権を本格的に持ち出したのは ヘンリー8世が1541年にアイルランド王も兼務した時からだったと言われる。ヘンリー8世はアイルランド的なものを許容せず、イングランドのやり方への同化を強要した。

 当時のイングランドは世界の植民地支配をめぐってカトリック教国スペインと争っていた。イングランドは英国教会を体制としており、スペインがカトリック教徒の多いアイルランドを足がかりにしてイングランドを侵略するのではないかと恐れた。

 波多野裕造氏の『物語アイルランドの歴史』によると、アイルランド、スコットランド、マン島のケルト系住民(ゲール人)の族長らに対しては、イングランド王への忠誠を誓うものには領地保持を許可し、師弟をイングランドに留学させることでイングランド化を進めたという。氏によれば、この結果、「アイルランドが次第にそのケルト民族的特質を薄め、やがて言語(ゲール語)すら失ってしまう結果になったことは否定できない」。

 イングランド王は反抗するものからは土地を没収し、イングランドやスコットランドからプロテスタント移民の植民を奨励した。波多野氏は、「アイルランドの国内の少数派であるプロテスタントと絶対多数のカトリック教徒の対立、相克」の深まりを指摘しているが、まさに現在の北アイルランドの状況が既にこの頃から出来上がっていった。

 17世紀、オリバー・クロムウエルが指導者の立場に着くと、徹底したカトリック教徒弾圧策を実行。1697年から1727年の刑罰法ではカトリック教徒に対し土地所有の制限、公職就任の禁止、選挙権の没収などが実行された。

 1801年、アイルランドは連合法の下、大英帝国の一部となったが、19世紀を通じてアイルランド自治への動きは止むことはなく、アイルランド島全体ではアイルランド民族主義者(ナショナリスト)と英国への帰属を望む人々(ユニオニスト)との対立が激化してゆく。

 流れを変えたのはいわゆる「イースター蜂起」(1916年)で、武装男女約千人がダブリン中心地を占拠し、アイルランド共和国の設立を宣言した。この蜂起は英軍によって鎮圧され、間もなくして反乱指導者らが処刑された。これが反イングランド感情とナショナリスト運動への同情を一気に高めたと言われている。

 1919年から21年までのアイルランド独立戦争の後、21年末、英国・アイルランド条約が交わされ、英連邦の中の自治領としてアイルランド自由国が建国された。一方プロテスタント系住民が多く住む北部アルスター地方の6州は北アイルランドとして英国の直接統治に入ることになった。38年、南のアイルランドは新憲法の下で共和国として主権国家となり、現在に至っている。

―不信感の歴史
 
 在ベルファーストのジャーナリスト、デビッド・マッキトリック氏と歴史家デビッド・マックビー氏が書いた『メーキング・センス・オブ・ザ・トラブルズ』によれば、プロテスタント系住民が過半数の北部6州が北アイルランドになったことは、この地域に安定を必ずしももたらさなかったという。

 プロテスタント系知識層は英政府がいつかは北部を南部と一緒にする政策を打ち出すのではと恐れ、北アイルランド内ではカトリック系住民が南部と協力して自分たちに攻撃をかけるのではないかと懸念。カトリック系が人口比率の中で増えて行き、中産階級になってゆくと、貧しいプロテスタント系住民からは嫉妬や疎外感も出るようになった。

 一方のカトリック系にしてみれば、新たな枠組みの中でアイルランド人としてのアイデンティティーが否定され、圧倒的にカトリック教徒が多い南部から切り離されたことで、政治的に無力感を感じるようになる。さらに、1920年代以降の約50年間、プロテスタント系が政治、行政上の支配権をほぼ独占する中で、自分たちが雇用、住宅、政治上の権利などで差別されていると感じたが、実際この懸念は現実に裏打ちされたものだった。

 1969年を機に、米国の市民運動に触発されたせいもあって、政治、雇用、住宅面で差別を受けていたカトリック住民による大規模なデモ、アイルランド共和国軍(IRA)などの民兵組織による「テロ」、これに対抗するプロテスタント系住民による攻撃や民兵組織による「報復テロ」が目立つようになった。

 住民たちの暴力の目に余る過激さに、当時の北アイルランド政府(プロテスタント系政党が独占)は、英政府に軍隊の導入を要請。カトッリク系民兵組織や過激住民らは、昔から続いた独立戦争の一環として、英軍を占領軍と見なし、英政府支配を支持する王立アイルランド警察(現在の北アイルランド警察)やプロテスタント系住民への攻撃を続けた。これに対抗してプロテスタント系民兵組織、アルスター義勇軍やアルスター防衛協会も同様に攻撃を繰り返す。こうして、69年以降の「トラブル」と呼ばれた約30年間の暴力行為の結果、約3600人が命を落としたと言われている。

 様々な政治的紆余曲折の後、98年の和平合意が成立し、北アイルランド史上初めてカトリック系とプロテスタント系政党による連立政権が成立した。

 宗派の違いによる互いへの憎しみや不信感は消えたわけではない。

 IRAやプロテスタント系自警団・民兵組織の暴力行為は望んだようには収まらず、何度か「停戦」宣言が出てはこれを取り消す、という流れがあった。
また、先述のように連立政権はIRAのスパイ事件(現在真相は未だに不明)をきっかけに、「信頼感を失った」とするプロテスタント系政党が連立政権から離脱する動きを見せ、現在も自治政府は機能停止状態だ。

 地元の新聞を開けば、カトリック系住民がプロテスタント系住民の恨みをかった、あるいはその逆のケースなどで傷害あるいは殺人事件が起きるのは珍しくない。

 駐留英軍に対する地元民の反英感情も未だに根強い。2004年、北アイルランドに派遣されたスティーブ・マックグリン歩兵は、他の兵士数人とパトロール中、全く何の威嚇行為もしていなかったが、どこからともなく集まったカトリック系住民の一群に追いかけられ、命からがら逃げ出したことを自著『スクワディー』(「新兵」の意味)に書いている。(つづく)

by polimediauk | 2007-04-25 19:41 | 政治とメディア

 「メディア」ということからかなり離れてしまうので恐縮だが、北アイルランドのことを新しい雑誌「Ripresa」(リプレーザ、社会評論社発行)に書いた。創刊からまだ2号めが13日、発売された。(1期2年8冊という期間限定雑誌で、定期購読は4冊(1年分)送料込みで6000円。一冊1400円。申し込みはリプレーザ社 ripresa0211@yahoo.co.jp。小型B5サイズの雑誌だが、最近日本ではこういうサイズがはやっているのだろうか?「ベリタ」もこの大きさだし、日本の家族がたまたま送ってくれた雑誌「WILL」もこのサイズ。横になって読むと読みやすい大きさとは思うけれど・・・。)

 北アイルランドの話は結構説明がしずらいというか、分かりにくい。5月8日から自治政府が復活するので、もし興味のある方は、その背景として見てもらえれば幸いである。(3月の選挙の話に触れているが、原稿は2月上旬時点で書いたもの。ご了承ください。)

北アイルランド:忘れられた場所のアパルトヘイト

―ベルファーストの悲劇
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 「アパルトヘイト」──。英領北アイルランドの中心都市ベルファーストに住むプロテスタントの牧師ノーマン・ハミルトン氏は、北アイルランドの現況をこう呼ぶ。

 かつて、南アフリカ共和国で白人と非白人を差別的に規定した人種隔離政策アパルトヘイトが強制的に北アイルランドで実行されているという意味ではない。カトリック系住民とプロテスタント系住民とがそれぞれ宗派ごとに固まって住み、お互いの行き来がほとんどない傾向が近年ますます強まっている思いがする、と言うのだ。

 ハミルトン牧師の自宅は、ベルファーストの中でもカトッリク系住民とプロテスタント系住民の争いが特に頻発したアルドイン地区近辺にある。北アイルランドのガイドブックが観光客に足を踏み入れることを勧めない場所の1つだ。

 私がアルドイン地区を初めて訪れたのは2002年だった。英外務省が主催した在英外国人ジャーナリストのための取材旅行に参加した私は、ベルファースト市内のあちこちで、英国旗やアイルランド共和国の国旗が掲げられていることに気づいた。英国旗はプロテスタント系住民の、アイルランドの国旗はカトリック系住民の居住地を指すことを、観光バスのガイドが教えてくれた。

 プロテスタント地区とカトリック地区の間にある広場の一角にバスが停まると、両宗派の住民が信奉する自警団の団員が覆面をし銃を構えた様子を壁画に描いた建物が並び、プロテスタント、カトリックの陣地を示す旗が互いに向き合うように掲げられていた。子供たち数人が広場を横切っていく。頭上にはそれぞれの旗が翻っているのが見えた。

 現在でも続く対立の象徴を子供たちは毎日目にし、学校に行き、遊びに出かける。何と残酷なことか、と胸をつかれる思いがした。この光景が、その後何度か北アイルランドを訪れるきっかけとなった。

 2001年、アルドイン地区でカトリック、プロテスタント両派の大きな衝突が起きた。カトリックのホーリー・クロス・ガールズ小学校に通う少女たちは、毎朝、プロテスタント系住民の家が片側に並ぶ一本道を通る。9月初旬、この一本道にプロテスタント系住民が立ち並び、少女たちにつばをはく、悪態をつくなどの行動に出た。プロテスタント系住民によればカトリックの住民が家の窓に石や火炎瓶を投げつけて威嚇行動に出たので、自衛として反撃に出ただけだと言うのだが。

 泣きながら通学路を親と共に進む少女たち、親や子供を脅かそうと罵詈雑言を吐くプロテスタントのデモ参加者、プロテスタントやカトリックの自警団の脅し、ものものしい機動隊の防御活動は、連日メディアで報道され、異なる宗派同士の醜いいさかいの様子が北アイルランド中に伝わった。

 5年半前の出来事を、ハミルトン牧師は「本当にひどい事件だった」と振り返る。現在、アルドイン地区で大きな衝突は見られないという。「何もない、普通だということでは、何の記事にもならないでしょうね。申し訳ない」、と筆者に微笑む。

 それでも、北アイルランドの約170万人の人口をほぼ2分するプロテスタント系(53%)とカトリック系(43%)の住民がそれぞれ一定の地域に住み、交流をしない傾向は強まっていると指摘する。「一言で言うと、アパルトヘイトだ」。

 2001年の国勢調査を見ると、ベルファーストのアルドイン地区には圧倒的にカトリック系住民が多く、プロテスタント系は1%だけ、逆にプロテスタント系が多いシャンキル地区ではカトリック系は3%のみとなっている。ベルファーストだけに限らず、北アイルランドの大部分の地域ではいずれかの住民が宗派ごとに固まって住む傾向がある。多くの人が自分が所属する宗派同士で住んだほうが安全だと考えるからだ。ある地域で少数派となれば、いじめや暴力行為の対象になりやすく、それぞれの宗派の自警民兵組織(実際は「暴力団」と言ったほうが近いのだが)に、出て行けと様々な脅しを受けることも珍しくない。

 といっても、北アイルランドの住民たちが信仰熱心なあまりにいがみあっているのではない。元をたどれば、カトリック教国だったアイルランド半島にイングランド(後の英国。プロテスタント)が勢力を伸ばした過去の歴史があった。半島の南は独立への歩みを進め、現在はアイルランド共和国となった。欧州連合(EU)の加盟国となり、EU助成金や外国企業への投資優遇策を提供しながら経済成長を遂げ、首都ダブリンはロンドンをしのぐほどの多彩な国籍の人々が働く、国際的な都市となった。

 一方、プロテスタント系住民が多く居住していた6州は「英領北アイルランド」となることを選択。地理的には南同様アイルランド半島にいながら、政治的な所属は海の向こうの英国、というねじれ現象が続く。

 それぞれの宗派を代表する政治家の間でも互いへの不信感は非常に強く、アイルランド共和国政府と英政府の支援で1998年成立した北アイルランド自治政府は、2002年以来機能停止状態だ。今年3月には総選挙が開かれ、自治政府再開が予定されているものの、今後の成り行きは確実ではない。(続く) 

by polimediauk | 2007-04-25 07:44 | 政治とメディア

 英国で奴隷貿易廃止法が施行されてから、今年3月末で200年。過去を振り返る記念行事が英国内でたくさん開催され、奴隷貿易で巨額の富を得た英国が数百年前の行為に関し公式謝罪をするべきか否かの議論も様々なものが出た。

 廃止から200年といっても、昔のこと、として片付けるわけにはいかないのは、その影響が、現在の英社会でも健在だからだ。元奴隷の子孫で英国人となったアフリカ系住民に対する人種差別は度々指摘されてきたし、世界中で奴隷状態で生きる人が未だにいるのも現実だ。

 英国の邦字紙「ニュースダイジェスト」4月12日号に書いたものに、若干付け加えて、謝罪是非の背景を考えてみたい。

―「奴隷貿易」とは

 16世紀から19世紀にかけて、ポルトガル、スペイン、英国、フランスなどの欧州諸国やアフリカの貿易商が、西アフリカ居住のアフリカ原住民を奴隷化し、アメリカ大陸などに移動させた「大西洋奴隷貿易」が行なわれた。最初に大西洋奴隷貿易を始めたのはポルトガル人と言われる。(同様の奴隷貿易はほぼ同時期、アラブ及びアフリカ人の貿易商によっても実行されたようだ。)

 「大西洋奴隷貿易」は、欧州、アフリカ、新大陸との間の「三角貿易」とも呼ばれる形をとった。貿易商は繊維製品、ラム酒、武器、雑貨などを西アフリカに持ち込み、これを奴隷と交換。奴隷は大西洋を渡り、砂糖生産のためのプランテーション(農園)に労働力を必要としていた西インド諸島やアメリカ大陸に運ばれた。貿易商はここで奴隷たちを砂糖、綿、コーヒー、タバコなどの原材料と交換し、欧州に持ち帰った。

 奴隷売買を通じて貿易商人たちは巨額の富を手にし、中でも英国は18世紀末までに世界の奴隷貿易を牛耳る程になっていた。奴隷貿易で得た富は産業革命の原動力にもなり、現在の英国の発展は奴隷貿易のおかげとも言える。例えば、現在のイングランド銀行の建物とかは、この時の富でできた、と言われている。

 ガーディアンが数字で奴隷貿易を振り返った表を作っていた。これによると、大西洋奴隷貿易の継続期間が300年、奴隷にされた西アフリカ人の数が1200万、アフリカから西インド諸島への旅で命を落とした奴隷の数が125万、奴隷貿易廃止法施工後、奴隷が船内で見つかったときに船主が払う罰金は100ポンド(1万2000円ぐらい)、奴隷制度廃止で西インド諸島の農園所有者に支払われた補償額の総額は2000万ポンドだったが、解放された奴隷への支払額はゼロだった。1760年、貿易商が男性奴隷一人を売った時の金額は50ポンドで、当時はこれで1年食べてゆけたそうだ。

 アフリカにとっては、アフリカ大陸の約2500万人が奴隷貿易で売買され、社会的・経済的発展が遅れたといえるだろうし、英国にとっては、巨大な富を得た、18世紀、19世紀の産業革命に大きな貢献をしたとも言える。リバプール、ブリストル、ロンドンは奴隷貿易で大きく発展した。
 
―廃止に力を注いだ英国

 奴隷貿易の廃止に最も力を入れたのは英国だった。18世紀頃からキリスト教徒のクエーカー派が中心となって廃止運動が起きた。熱心な英国国教徒でもあったウイリアム・ウイルバーフォース下院議員の尽力もあって、1807年奴隷貿易廃止法が成立。(このウイルバーフォース議員William Wilberforceの話が、ハリウッド映画になっている。原題「アメージング・グレース」。映画評を見ると、「歴史的事実がめちゃくちゃ」というのが多い。ハリウッド映画は結構、歴史をねじまげるというのが、英国では定説だ。)

 しかし、その後も貿易は継続し、貿易商たちが罰金額を減少させるために上陸前に奴隷たちを海に落とす場合もあったという。1827年、奴隷貿易は海賊行為と見なされ、死刑で罰せされることになった。大英帝国領域内で奴隷の売買は禁じられたものの、奴隷をそのまま所持する場合が多い状態が続いた。1833年奴隷制度廃止法で英国領内での奴隷制度が禁止され、翌年、全ての奴隷が自由の身になった。19世紀後半までに他の欧州諸国や米国も奴隷制度を撤廃した。

―謝罪か否か?

 3月25日は奴隷貿易廃止法成立から200周年となったが、英政府が謝罪をするべきかどうかで議論が沸騰した。

 ブレア政権は、英国は奴隷貿易に対し「深い悲しみと遺憾の意を表明する」とする声明を出したが、公式に「謝罪する」と言ってはいない。首相は「既に謝罪を表明した」と会見などで語ったが、「完全な公式謝罪をするべき」という声が、英国国教会トップやアフリカ系英国人の一部から出た。

 リビングストン・ロンドン市長は「公式謝罪をしない英政府の態度は卑しい」、「ロンドンの全ての指導者たちが・・・私と共に、このひどい犯罪におけるロンドンの役割を謝罪して欲しい」と述べている。

 一方、謝罪反対論者たちは、「自分は奴隷貿易と全く関係ない」、「自分が関わっていなかったことを謝罪しても無意味」、「過去よりも現在の奴隷制度排除に集中するべき」など(オブザーバー紙の投書欄、4月1日付け)の意見を寄せた。

 結局、一部の政治家が謝罪したが、謝罪はしなくていいというのが一般的見方としてた、私は受け止めた。

 国家的な謝罪が必要なのかどうか?英国でも誰に聞くかでずい分意見が変わるのも事実だ。

 知識人の間では、謝罪する・しないにしろ、一種の罪悪感は存在しているように思える。また、例え自分が関わっていないことでも、英社会全体として、罪悪感を「感じるべき」「そう思っているふりをする」(ここまで言うと、はっきり書きすぎた気もするが!)という部分も、あるように思う。あくまでも私の印象だが。

―現在の意義

 数百年前に起きた奴隷貿易を今振り返ることに、どんな意義があるのだろう?

 黒人人権団体などは、「元奴隷の子孫であるカリブ海系、あるいはアフリカ系英国人が、英社会で差別を受けている現状を見る限り、過去を回顧し、反省する意義がある」と主張している。

 差別というと、何か社会が奴隷の子孫に差別をしているかのようにも聞こえるが、心の中のコンプレックス、というのもある。

 オブザーバーに黒人系英国人の実話が載っていた。http://arts.guardian.co.uk/art/news/story/0,,2042280,00.html

 これを読んで初めて、私は肌の色が違うことでいかにコンプレックスを持って英国で生きているかが良く分かった思いがした。例えば、肌の色がブラウン系であったり、鼻がアングロサクソンのように、鼻筋が通った形であると、「より良い」と見なされる、というのである!

 また、英国の黒人の若者が、カリブ諸島にでかけ、自分たちの祖先がいかに奴隷として扱われたかを探る、というテレビ番組もいくつかあった。その中の1つで、自分の祖先を奴隷として使うことで金持ちになった、農園主(の子孫)と話し合いの場を持つ。女性の黒人の若者が、「ひどい扱いをしてお金をもうけておいて、自分はその富の上に乗って生きていることを、あなたは何とも思わないのか」と、詰問する場面が印象に残っている。農園主側は困っていた。「昔はそうだったのだ、今とは違う社会構造、意識があった」と説明しても、女性は、気持ちがおさまらない様子だった。(私自身は、現在の農園主に対し、こうした詰問をするのは必ずしも正しくないと思っている。この若い黒人女性が、英語で農園主と話し、テレビでそれが放映されること自体、ある意味では、かつての奴隷たちが力をつけたことの印だし、互いに和解をして前に進むしかないように思うのだ。)

 世界に目を広げると、どの国でも奴隷は違法だが、奴隷状態にいる人は現在でも存在する。米報告書「ハーバード・インターナショナル・レビュー」が明らかにしたところによると、2002年時点で、ナイジェリア、インドネシア、ブラジルなどで強制的な隷属状態に置かれている人は少なくとも2700万人いるとしている。

(参考資料はBBC,ウキペディア、ガーディアン、テレグラフなどの英各紙)

英国ニュースダイジェスト
電子本

http://www.news-digest.co.uk/news/component/option,com_wrapper/Itemid,25/
by polimediauk | 2007-04-22 03:31 | 英国事情

 昨晩、チャンネル4で、「Secret Life」というタイトルで、児童性愛主義者のドラマがあった。元水泳のコーチで、7歳から12歳ぐらいの少女達をレイプしていた男性が、刑務所に6年間いて、社会に戻ってくるという話。欧州では児童性愛主義者というと最も忌み嫌われる存在の1つ。タブーのトピックでもある。社会に戻ってきてもなかなか受け入れられず、自分の心の闘いとも格闘する主人公。遊園地にいた12歳の少女と話す場面では、身体が身震いするほど怖い感じがあった。最後は悲劇的に終わるけれども、誰か日本のテレビがこれを買って日本でも放映してくれないかと思う。日本ではあまりなじみが無いトピックかもしれないが、欧州でいかに大きな問題になっているか、その背景が分かる。

 見ている間に思ったのは、実際の被害者やその家族はこのドラマを見ないだろうし、ドラマが作られたことに怒りを感じているだろう、と。私がもし被害者かその家族だったら、見ないし、怒るだろう。どうしても、主人公に同情的な描き方にならざるを得ないからだ。それでも、例え視聴者の一部に不快感を与えるとしても、この問題に関して一般の人がいろいろ考え、児童性愛主義者の社会復帰やあるいは量刑などに判断を下す時などに役立つ意味もあるだろう。テレグラフの番組評は、「良いドラマとは言えないが、価値あるドラマ」と、今日付けの紙面で書いていた。

 例の米国の学校射殺事件で、NBCが犯人のビデオを放映したことで、英国ではちょっと批判的な視線があるのだが、これこそ本当に遺族にとってはいやな、つらいことだったろう。この事件のビデオを出すか出さないかの件、私はまだ考えがまとまっていないのだが、もしNBCで出さなかったとしても、ネットで流れることはあるだろうし、少なくとも「止められない現実がある」ことは認識せざるを得ない。

 オーマイニュースで、この件にからんで、海外特派員の話がある。かなり手厳しい!!

http://www.ohmynews.co.jp/news/20070420/10331

 一つ感じたのは、特派員は(日本に限らず)限られた人数の配置が多く、いざ事件が起きても、いろいろな理由から飛べないことも多い。実際に現地に入るかどうかは本社の決定によるだろうけれども、現地の新聞や通信社の報道などを使うのは、1つの報道の方法だと思う。これ自体は悪くないと思う。複数の情報源を使った場合、特定せずに「現地情報によれば」と入れてもいいだろうし。特派員が書いた記事は(日本だけではなくて)、必ず、情報源がどこかを入れていると思う。ただ、ルポもの、あるいは一対一のインタビューものなど、「実際に記者が現地に行って、誰かに会った・取材した」記事の場合、もし記者が実際には行っていなかったらこれはダメだと思うけれど。それ以外だったら、情報源を入れて、「今、xxではこんなことが起きている」というのを、読者に分かりやすいように書いてもいいと思うのだけれど。・・というか、そうなっているはずだけれど。

             ****

 テレグラフのオフィスを見学させてもらった話を少し前に書いたが、編集内容などは、新体制(昨年秋から新オフィスに移転し、編集長も新しい人に代わった)の下で、一体どうなのか?という部分を、テレグラフでずい分長いこと働いている知人に聞いてみた。

 新しい所有者(今詐欺罪に問われているブラック卿から、金持ちの兄弟バークレー兄弟に代わった)になってどうなのか、新編集長はどうなのか、と気軽に聞いてみたが、結構熱い答えが返って来て、驚いた。

 今デイリーテレグラフの発行部数は約90万部で、100万だった時から比べると落ちているけれども、高級紙の中では最大だ。また、過去数ヶ月の部数の伸びを見てみたのだが、ほかの高級紙が数パーセント単位で下がっているのと比較すると、微減というだけでも、悪くはないように見えた。

 それでも、働いている側からすると(特に年配のスタッフからすると)、めちゃくちゃなような思いがある、という。

 まず、あくまでこの知人の見たところでは、新たな所有者のバークレー兄弟は、「これまでのテレグラフのスタイルが大嫌い」という。テレグラフのメインになる読者層は、「白人、保守党支持、中流、高齢」。(現在でも、編集長自身によると、50歳台が多いという。)そこで、これまでのスタイルを踏襲する、勤務経験の長いスタッフを中心に、人員削減。(実際、新オフィスに移転する前に300人ほどが削減、移転前後では60人近くが削減あるいは希望退職。)

 そして、ネット中心の新メディアに力を入れ、若者層にもアピールすることを主力にしたそうだ。それで、マルチメディア戦略(紙、オンライン、音声や映像クリップを同時に作る)を重視したオフィスの配置などをした。

「 穏健、じっくりとした分析・解説記事」というスタイルは現在では好まれず、今までよりももっと「右」。そして、dumb down, つまり何でも分かりやすく噛み砕く、あるいはレベルを下げる。

 テレグラフのライバルは、もはや他の高級紙ではなくタブロイド紙「デイリーメール」なのだと言う。張り合ってさらに「右」に受けるように、と。

 うすうすそうだろうとは思っていたけれども、中で働いているスタッフから聞くと、やはり衝撃だった。

 昨年秋から現在までに、外報や国内ニュースなどの、いわゆる「面デスク」がほとんど全員変わってしまったという。「こんなこと、あってもいいのだろうか?」

 新編集長のウイル・ルイス氏は36歳―37歳。最近テレグラフに勤め出したばかりなのだ。ルイス氏は一体どんな感じか?「若くて、良い青年だし、みんなとうまくやっていると思う。でも、何かが足りないように思う」。

 「何か」とは?

 「テレグラフに限らず、どの英国の新聞の編集長も、それぞれ、自分のアジェンダーー議題、目的、主義主張いう意味かーーがある。こうしたい、こういうことを強く信じる、という部分が。情念のようなものがあるべきだと思う。新聞を引っ張っていくような。今の編集長は、保守党支持という意味ではこれまでと同じだと思うけれど、強い思いがないように思う・・」。

 ルイス編集長のことは新聞で読むだけだが、バークレー兄弟あるいは新経営陣からすると、使いやすいのかなあなどとぼんやり思っていただけだった。「情念・アジェンダ」の話で、知人の見方が当たっている・当たっていないにしろ、一つ一つの新聞のスタンス・主義主張が全く異なる英新聞界で、編集長となるからには、自分自身の「何か」「思い」があるべき、という見方は、なるほどな、と思った。つまり、会社員(だけ)であってはいけない、ということも意味するのだろう。
by polimediauk | 2007-04-20 21:50 | 新聞業界

長崎市長の殺害 


 長崎市長の殺害のニュースが出た時、頭に浮かんだのは以前にも長崎市長が銃撃されており、昭和天皇の戦争責任に関連する発言が引き金だったのではないか?ということだった。言論の自由がまた封じ込められたのかと思うと、怖かった。

 しかし、今回はまた別の文脈での殺害だったのかもしれない。

 ベリタには無料記事(以下)が出ており、日本のメディア批判となっている。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200704180705133

「長崎市長射殺事件でまた焙り出された日本メディアの体質 昭和天皇の戦争責任発言を黙殺」という見出しで、コラムニストが記事を書いている。「ベリタの見解とは別」とのこと。

 18日付高級紙の取り扱いを見ると、タイムズ、ガーディアンともに、やくざの犯行であること、交通事故がらみのトラブルが犯行の元であったらしいことなどが説明されている。(インディペンデントは何故かウエブでは探せなかった。)BBCウエブニュースでは、最後の段落で前の市長の銃撃のことが入っている。「昭和天皇に戦争責任があったと市長が発言し、極右派に銃撃を受け、重傷をおった」とあった。

 最もく詳しいようだったのがデイリーテレグラフで、「40年後、政治家の暗殺がまた日本に戻った」という見出しで、政治家の暗殺事件の流れを振り返っている。1920年代、1930年代、第2次世界大戦直前には暴力を行使して政治家を黙らせようとする動きが頻発し、「闇の谷」あるいは「暗殺の政府」などと言われていた時期があった、としている。

 いずれも扱いはそれほど大きくないが、何しろ米国の学校の銃殺事件(32人)やイラクで亡くなった人の数(150人)が多すぎる。たった一人でもその意味するところは衝撃的で深いが、ロンドンでニュースを追っていると、本当に殺害事件があまりにも多い昨日、今日だ。

 (追記訂正:元市長が銃撃を受けた、という点を変えました。)
by polimediauk | 2007-04-19 00:03 | 政治とメディア

 ウイリアム英皇太子とガールフレンドのケイト・ミドルトンさんが「別れた」というのが今のところ、こちらではトップニュースになっている。サンが報道したようで、BBCの方は分かれた理由を、あまりにもメディア報道が過熱したのが一因、とされている。詳しいことは当人同士でないと分からないし、本当に別れたのかどうかも不明だけれども。これ自体も過熱報道の一環である、ということはないのか、どうか。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/6554841.stm


 一方、米国のオルタナティブ・メディアで「デモクラシーナウ」というのがあり、これの日本語版が最近始まった。関係者の知人からリリースが送られてきていたので、そのままだが、転載したい。衛星&ケーブル局の朝日ニュースターで、毎月の第1・3 ・5土曜の夜9:00から、一時間の枠で番組が放送されているという。

http://democracynow.jp/


「デモクラシー・ナウ!」を日本語でお届けします

 ニューヨークのダウンタウンから毎朝発信されている一時間の報道番組「デモクラシー・ナウ!」は、地域ケーブルのパブリック・アクセス・チャンネルやコミュニティ・ラジオ、衛星放送などさまざまな形態の非営利公共放送が協力した全国配信ネットワークのパイオニアであり、北米500局を結ぶ最大のシンジケートを形成しています。企業スポンサーをいっさい受けつけず、あくまで市民の側にたち、民衆の目線から日々の重要な出来事を取り上げているのが特徴です。

 特に力を入れているのは、「War&Peaceレポート」と呼ばれる反戦ニュースです。アメリカの外交政策による直接の被害を受けている世界各地の民衆の声、フリーの国際ジャーナリストによる報道、市民運動や平和活動の担い手、アーティスト、学者、文化人など、アメリカの商業メディアがほとんど取り上げない人々の主張や視点を紹介しています。また番組に登場する人々が、真っ向から対立する立場を掲げて真剣な討論を展開する場面もしばしばです。

 この番組は1995年にパシフィカ・ラジオの選挙報道番組として、同局生え抜きのジャーナリスト、エイミー・グッドマンを中心に始まりました。その後パシフィカの内紛にまきこまれて独立し、チャイナタウンのDCTV(ダウンタウン・コミュニティ・TVセンター)に拠点を移し、2000年からはテレビ番組となりました。9/11以降の好戦的な世論と政府批判の自粛の中で一貫して反戦姿勢をくずさず、逆に大きな支持を獲得していきました。いま日本では「戦争」に対する考え方を大きく切り替え、国家のあり方を国際社会においても国内体制においても大きく変化させようという動きが着実に進んでいます。私たち一人一人の責任が重く問われ、じゅうぶんな知識と熟慮を経た行動が求められるこの重大時局において、デモクラシー・ナウ!の揺ぎない反戦のメッセージを伝え、そのスピリットを感じ取っていただければと願っています。

              ***

 私たちは、この番組を日本に紹介したいと願い、昨年秋から具体的に動き始めました。12月にNYの本部を訪れ基本的な話し合いをした後、日本でこれをどのように実現させていくか、試行錯誤を繰り返してきました。その過程で、さまざまな方々に相談し、アドバイスをいただき、協力を約束していただきましが、ようやくその成果を具体的に示すことができるようになりました。

 4月から、わたしたちのデモクラシー・ナウ!の日本語サイトが正式スタートしました。http://democracynow.jp/

 ここには、毎日のニュースのトップページが日本語で表示され、ニュースサマリーのヘッドラインと個別トピックスの紹介が載ります。ここを覗いていただければ、ニューヨークの市民運動や独立メディアに携わる人々が、今どんな事件に注目しているかが瞬時にわかります。それと並行して、重要なトピックスの一部を取り上げて字幕をつけ、動画配信を行なっていきます。
http://democracynow.jp/stream/
 第一回はジミー・カーターとパレスチナ問題、紛争解決への新たな展望についてのトピックスを載せました。今後は毎週末に少なくとも30分のトピックスを加えていきます。

 ウェブサイトのほかに、放送も始まります。

4月7日土曜日から、衛星&ケーブル局の朝日ニュースターで、毎月の第1・3 ・5土曜の夜9:00から、一時間の枠で番組を放送します。
http://asahi-newstar.com/program/democracy/

 また、インターネット・テレビ放送を行なっているOurPlanet-TVでも、隔月に一つのトピックスを取り上げてくださいます。
http://www.ourplanet-tv.org/


 上のサイトを開いてみて、少し見ただけの単なる感想だが、米国ではメインのメディアでは強い政府批判の記事や、大企業批判の記事があまり表立ってでない、という前提があるのだろう(か)。政府側や大企業が新聞社を脅すというか、一定の記事は出ないような無言かもしれない圧力がある、ということだろう(か)。

 そういう意味で、米国のオルタナティブメディアは強い政治的な意味もあるのだろう(か)。

 英国ではそういった感じはあまり少ない。これは私の滞英年数がまだ浅いせいもあるかもしれない。テレビ・新聞・ネットで、ありとあらゆる論点が出ているような気がする。特定の大企業の無言あるいは有言の圧力のおかげで、ある記事が大手新聞に出ない、ということもないように思う。政府に都合の悪い記事は大手メディアに満載だ。

 ただ、常にどこの国、メディアでもそうだろうけれども、その国あるいは文化の特定の考え方、視点があって、何がトピックになるのかがずい分変わる。そういう意味で、「出ていない論点」がある可能性もある。英国の大手メディアは基本的には言論の自由+お金が原理ではないかと思う。あるトピックを扱うことで、発行部数や視聴者が増えるのかどうか、言論の自由の観点から必要なのかどうか。
by polimediauk | 2007-04-14 19:41 | ネット業界

 現在の教育問題のことを詳述するほどの知識が、今のところあまりないのだが、日英間の認識のギャップで、驚くことの1つがこの問題だ。
 
 安倍首相が英国の教育改革のことを誉めたということで、英国の教育を学ぼう、という考えが日本(の一部)である、と聞いたからだ。驚愕した、と言ってもいいかもしれない。

 英国のメディアを見ると、誇張されているかもしれないが、いかに教育の質が低いかを嘆く記事が満載だ。前にも若干このブログで書いたけれども、1990年代半ば頃、私自身が会社員であった時に、教育問題を担当していたことがあって、ちょうどゆとり教育を文部省(当時の)や中教審がプッシュしようとしていた時だった。詰め込み主義はいけない、情報を学ぶだけではだめで、もっとゆとりを持ち、自分で考え、自分で物事を決める力(「生きる力」?)をつけさせるべきだ、と。

 ゆとりを与える、つまり授業数などを減らした場合、学力が落ちることもあるのではないか、それでもいいということか?と私は中教審の当時のトップ、三浦氏に、会見場で聞いたことがあるのだが、「それでもいい」という答えだった。この考えを当時の文部省の人が全員合意していたかどうかは分からない。それでも、それまでの教育体制に何らかの限界を感じ、切羽詰って「ゆとり」と言い出していたように記憶している。

 英国(イングランド)では1989年から全国一斉のカリキュラムが導入された。私の少ない知識から言うと、それまでは全国的にはばらばらだったということを示唆する。日本から考えると、信じられないぐらい、ある意味ではいい加減な気もする。統一されていなかったということなのだろうか。

 いずれにしろ、サッチャー氏の教育改革や一斉カリキュラムの導入などは、日本をならったはずなのだ。私自身、全国学力テスト、共通試験など、ずい分いろいろなテストのために準備し、ランク付けがされたり、文部省がOKを与えた教科書を使って、勉強したことを記憶している。

 つまり、大雑把な言い方だが、英国の場合、「ばらばらを統一させた」流れがあったようだ。一方の日本が受験地獄に苦しむような「ぎちぎち体制にゆとりを持たせようとしていた」。(教育に詳しい方でもっとご存知の方はどうぞご教示ください。)全く違う方向の流れがあったと私は認識している。

 現在の英国(イングランドーウエールズ地方)の教育は、現地からすると、質が低く、読み書きの能力が低く、不登校やドロップアウトもドンドン増えている、という評価が一般的なように思う。

 といっても、英国の教育改革の原理そのものを模倣する、参考にすること自体が悪いとは思わない。(日本では、英国の教育改革をならうと、日本の教育制度や社会ががたがたになる、と脅すような記事もあるようだ。しかし、日英の子供や社会構造が同じであるはずがなく、やり方でいかようにもなる可能性はあるだろう。)

 それにしても英国の教育を学ぼうとする日本、というのは非常に不思議だなあと思っていたところ、読売新聞が「教育ルネッサンス」で英国の教育事情をじっくり書いていた。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/

 最新の記事は、「教育水準局(OfSTED)トップの首席勅任監査官として、厳しい学校監査を敢行した」クリス・ウッドヘッド氏へのインタビュー。

 若干抜粋すると

 
「私たちは日本の教育をまねようと努力してきたのに、今は日本がまねようとしている。面白いですね」

 英国は70年代から、手厚い福祉政策などが災いして経済は低迷、失業者が街にあふれていた。「当時は学校によって学力差があり、私は教師の力量に大きな不満を持っていた」。国家の決めた教育カリキュラムはなく、何をどう教えるかは地域や学校に委ねられていた。

 さらに、「知識よりも子供の主体性や創造性に重点を置く児童中心主義が横行し、学力低下に拍車をかけていた」。中等学校を出ても自分の名前さえ書けない若者も少なくなかったという。「教師に努力を促し、国の学力水準を上げるには、日本の学習指導要領にならう必要がありました」

 (中略)

 イングランドの11歳児の20%が読み書きができず、20万人が第1希望の中等学校に入れないといった最近の調査をあげ「学校の努力が足りない。保護者に約束した教育ができていない」

(以上抜粋)

 この中の「児童中心主義」にも注目したい。この悪弊を私自身、英国で元教育関係者から聞いた。

 英国の教育の現状を見ると、社会のいろいろなことがまたよく分かるような気がする。

 英国の教育改革を誉めすぎたり、あるいは「まねしたら荒廃に陥る」というような脅しの記事の両方ともに注意したいものだ。
by polimediauk | 2007-04-11 20:37 | 政治とメディア