小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 日本は参院選のニュースで一杯のようだ。今日付け英各紙は日本の新聞が報道したことをまとめた感じだが、結構まともにスペースを割いている。

 昨晩(英国の)の時点で日本の新聞の英語版を見たところ、私の古巣だったデイリーヨミウリにはまだ解説のような記事がなく、APの記事をたくせん載せていることに驚いた。紙面ではAPもロイターもよく使っていたが、ウエブでもOKとなると、ブランドとしての「デイリー・ヨミウリ」はどうなるのだろう?アサヒ・コムの英語版には解説記事が載っていた(こちらの昨晩時点)。アサヒコム英語はインターナショナルヘラルド・トリビューンの一部になっている。日本の新聞の英語版には外国陣がすごく入っている感じがした。悪くはないが(世界の英語メディアではそうしているところが、たくさんあるので)、自前で出せないものかなあと思う。結局、英語で解説を直ぐに読みたいなら、BBCになってしまう。といってもBBCもふかーいものはなかったけれど。

 アルジャジーラの記事に戻る。ドーハでアラビア語版の編集局NO2の人に取材した。

ベリタ2005年11月06日掲載

<アルジャジーラはいま(下)> 「西欧メディアの二重基準に挑戦」 ジャバーラー副編集長 
c0016826_5405846.jpg カタールの24時間放送の衛星テレビ、アルジャジーラは、報道が偏っているとか、故意に残酷な映像を流している、という批判をイラク政府や米政府などから受けてきた。それに反駁するため頻繁にメディアに登場してきたのが、報道内容と質の統括をしている副編集長アイマン・ジャバーラー氏である。激務のあいだをぬって日刊ベリタのインタビューに応じてくれた同氏は、西欧メディアのダブルスタンダード(二重基準)を指摘し、「視聴者の求める真実を追究するためにすべての重要な意見を提供するのが、アルジャジーラの編集倫理だ」と強調した。
 
 エジプト生まれのジャバーラー氏は、アルジャジーラの1996年の放映開始からのスタッフの一人だった。一時はアルジャジーラを離れ、アラブ首長国連邦の衛星テレビ局アルアラビヤの立ち上げに関わった。その後、アルジャジーラに戻り、副編集長に。アラブ諸国のテレビ界に長年関わってきたジャバーラー氏は、業界の流れとアルジャジーラの編集方針や今後を聞くうえで最適任者とされる。 
 
▽カタールのピラミッド 
 
―アルジャジーラの出現で、アラブ諸国のテレビ界は変わったと思うか? 
 
ジャバーラー氏:間違いなく変わったと思う。はっきりと変わったと思う。生ぬるいお湯の中に嵐を起こしたのがアルジャジーラだったと思う。だからこそ、多くの視聴者が見てくれたのだと思う。表現の自由への地平線を開いてくれた。民主主義を求めている人へ道を開いた。自由なメディアを求めている人々にとって、ひとつの具体例となったと思う。政府が運営していない、初めてのアラブのチェンネル、独立した視点を持つチャンネルだからだ。 
 
―「独立」メディアというが、アルジャジーラはカタールの国家元首ハマド首長が声をかけて設立され、運営資金の殆どは政府が負担している。カタール政府から編集上の干渉、あるいは報道規制はないのか? 
 
ジャバーラー氏:幸運なことに、これまでどんな干渉もなかった。カタール政府とアルジャジーラの間で、カタールにとって、アルジャジーラは非常に重要な、大きな存在だということが理解されているからだと思う。エジプトのピラミッドのようなものだ。エジプト人たちはピラミッドを支配できない。自分たちの思い通りにピラミッドを使おうと思っても、できない。ピラミッドのおかげで、エジプトの名が世界中に知られている。 
 
 カタール政府も同じことだ。アルジャジーラが、現在のように自由で、偏向なく、客観的に、政府にとってではなく視聴者にとって重要なトピックを報道している限り、アルジャジーラはカタールの目印になるし、エジプトにとってのピラミッドのようなものになる。カタールにいるということが1つの恩恵であると考えている。 
 
―母国のエジプトではどんな仕事を? 
 
ジャバーラー氏:ジャーナリストだった。エジプトのテレビ局で働いていて、首都カイロではBBCで働いていた。カイロ支局が閉鎖される2,3ヶ月前まで働いていたが、BBCといってもアラビア語放送だった。サウジアラビアが資金を出していたが、実際の運営はBBCだった。しかし、サウジアラビア側とBBC側で編集権をめぐっての意見の相違があって、閉鎖になった。 
 
 カイロ支局が閉鎖されて、恩恵を受けたのはアルジャジーラだった。アルジャジーラを設立したスタッフの大部分はこのBBCアラビア語放送から来た人たちだった。結局のところ、一つの組織から違う組織に移った、というわけだ。 
 
▽すべての重要な意見を紹介 
 
―アルジャジーラは、「ある意見、他のもう1つの意見」(the opinion and the other opinion)を出すことをモットーにしているそうだが、全ての意見を出す、ということか? 
 
ジャバーラー氏:全ての重要な意見を紹介するようにしている、という意味だ。「全ての」意見ということは、無理だろう。バランスのとれた番組のために様々な意見を出していく。 
 
―イラク戦争では、アルジャジーラがイラク市民や米兵など、負傷した人あるいは亡くなった人の無残な光景を画面に出したとして、米政府側は非難していたが、こうした批判をどう思っていたか? 
 
ジャバーラー氏:西欧のメディアの中で、どのメディアがそうだったかをここでは特定しないが、例えば、コソボ戦争の時を思い出して欲しい。西欧のメディアは、血の出るシーン、亡くなった人の姿などを頻繁に放映していた。今でも、イラク戦争以外のどんな戦争の際のシーンにも、たくさんの血が出ている状況、残酷な場面はたくさんあると思う。 
 
 つまり、(アルジャジーラのイラク戦争における報道を批判する人は)ダブル・スタンダードなのだと思う。 
 
 アルジャジーラは、イラクの状況を、他の状況と全く同じように報じる。画面上にたくさん血のシーンを出したいなんて、思っていない。しかし、画面上に出さなければならないシーンというのはあるものだ。真実の一部を隠すことはできない。真実、真実、真実のみ、を出すべきだ。血が出るシーンを出さないようにすれば、状況によっては、真実を隠蔽することにもなる。 
 
 例えば、イスラエル・テルアビブで、爆発が起きたとしよう。西欧のメディアを見れば、たくさん血が出るシーンが放映されている。こんな場面を見たら、多くの人が怖がるだろう。爆弾で吹き飛ばされた身体の一部が転がっている場面も出ている。アルジャジーラもこうしたシーンを出すし、西欧のメディアもそうする。こんなときには、なんの批判もない。 
 
 しかし、イラクということになると、アルジャジーラが批判される。私達は、アルジャジーラ内で定めた編集の倫理方針に従って作っているのに。忠実に従って作っているのに。鮮明になりすぎる場面は入れないし、必要がなければ、血が出るシーンも入れない。そこで何が起きているかを示すものでなければ、入れない。新たに何かを付け加えるような意味がある場面でないなら、カットする。 
 
▽英語放送も編集方針は共通 
 
―世界中のメディアを見ると、西欧のメディアの声が大きすぎる、支配的であると思うことはあるか? 
 
ジャバーラー氏:それは疑う余地がないと思う。しかし、アルジャジーラの存在で、随分変わってきたと思う。それでも、いまだに西欧は政治的に世界最強であるし、従ってその発する声も大きい。 
 
―米国で大規模テロが起きたのは2001年9月11日だった。テロの首謀者と目されていたウサマ・ビンラーディンのビデオ映像をアルジャジーラは独占放映して世界の注目を浴びた。一方では、米政府側からは、アルジャジーラがテロリストグループと何らかの関係があるのではないか、と疑念の声も上がった。今でも正しい選択をしたと思うか? 
 
ジャバーラー氏:ウサマ・ビンラーディンのインタビュー映像を世界で一番最初に流したのはどこだったか覚えているだろうか? 
 
―BBC? 
 
ジャバーラー氏:違う。ここで名指ししたくないが、非常に有名なアメリカのネットワークだ。(注:ABCのこと)当時、確か1998年だったと思う。このテープの中で、ビンラーディンは、アメリカ人や西欧をターゲットにしている、といったようなことを言っていた。米テレビ局で放映され、これを通信社各社が使った。当時は何の問題もない、と見なされた。 
 
 しかし、ビンラーディンの声を、自分たちが聞きたくない、または一般大衆に聞かせたくないという政治的決定がなされたとき、問題がおきた。アルジャジーラがこの決定に従っていなかったからだ。アルジャジーラは従っていない、この決定に耳を貸さないのだ、と批判の声があがったのだ。 
 
 私達がビンラーディンのテープを流したのは、何らかのメディア倫理に反していたわけではなかった、ということだ。非常に著名な米ネットワークが、1998年の時点で既に同様のインタビューテープを流していたのだから。政治的にこうしたテープの放送が禁止されると、今度はアルジャジーラも放映を止めるべきだ、とする考え方がある。ブッシュ米大統領が「世界は2つに分かれている、私達と同じグループにいるのか、テロリスト側にいるのか」と大衆に呼びかけた。世界中を真っ二つに分けてしまった。独立メディアであるアルジャジーラはどうしたらいいのか? 副編集長としての私は、どちらかのグループに属するべきだろうか? 答えはノーだ。アルジャジーラの編集倫理こそが私達の法律だ。私は中立であるべきだし、そうであるならば、2つの陣営の発言のどちらも画面上に出すべきだ、と考えた。 
 
 アルジャジーラは政治的動機を持った組織ではない。メディアの組織だ。政治的ゲームを演じる準備はできていない。自分たち自身の倫理基準を持っているし、視聴者の意見を大事にしたい。全ての重要な意見を画面に出す、というのがスタンスだ。 
 
 世界中でビンラーディンを捕まえようとしているとき、ビンラーディン自身が言いたいことがあるかもしれない、視聴者がそれを知りたがるかもしれない。これがアルジャジーラがビデオ映像を出した理由だ。プロパガンダのためではない。 
 
 テープ入手前に、組織の中の同僚などと議論をしていた。もしビンラーディンの映像が手に入ったら、使うべきかどうか、と。アルジャジーラが自由なメディアだとするならば、画面上に出すだろう、ということに疑いはなかった。 
 
 
―来年度からアルジャジーラは英語放送を始める予定であると聞いた。英語放送に関して、どう見ているか? 
 
ジャバーラー氏:アルジャジーラはアラビア語放送であったためにこれだけ多くの視聴者を得て成功できた、という部分があると思う。しかし、アラビア語であるがために世界中でアルジャジーラの番組を見れない人もたくさんいる。そこで、視聴できる言語を加えよう、ということになった。西欧のメディアが使う同じ言語の、英語を使うことになった。 
 
―アラビア語放送と英語放送の建物は違うが、編集方針は同じか? 
 
ジャバーラー氏:共通の編集方針だ。同じガイドラインを使うので、一緒に働くことができる。日本にスタジオがもしあったとしても、同じだ。一緒に働ける。 
 
 編集上の様々なことに関して、時々英語放送のスタッフと会議をしている。物理的に場所が違うだけだ。 
 
―英語放送とアラビア語放送とはライバルという人もいるが? 
 
ジャバーラー氏: 視聴者の層が違う。競争にはならない。利害も一緒だ。明日も会議をするし、お互いに助けあう。 
 
―日本の視聴者が心待ちにしている。 
 
ジャバーラー氏:予定されているクアラルンプール支局では、日本のこともおそらくカバーしていくと思う。 
 
▽ライバルはインターネット 
 
―アルジャジーラの将来の方向は? 
 
ジャバーラー氏: 視聴者の幅を広げたいと思っている。これまでは、いわゆる知的な視聴者がメインだったので、もっと広げたい。アラブ世界は変わっており、若者はインターネットに高い関心を持っている。今のところ、他のアラブメディアで大きなライバルというのはないと思っていて、従ってライバルは、どんどん影響力を増しているインターネットだ。 
 
 ここで働いている、若いスタッフに話を聞くと、彼や友達からすれば、アルジャジーラや米CNNは政府機関のよに見えるらしい。スーツを着て仕事をしている人全てが政府関係の人のように見える、と。大きな組織に働く人たちであると認識しているようだ。一方、インターネットは、自由な感じがあるという。こうした若い世代にも見てもらいたいので、いろいろ策を練っている。次世代のメディアとして、もっとインタラクティブな面も入れていきたい。既にあるスポーツチャンネルも、視聴者はスポーツ番組をもっと気軽な娯楽番組として見たがっているようだ。 
 
 ニュースを、視聴者の方に持っていきたい。ニュースに影響を受けるのは視聴者自身であるからだ。アラブ世界では人々の政治参加はあまり大きくはない。慣れていないのかもしれない。アルジャジーラは政治を視聴者に持っていきたい。政治がいかに重要なものかを分かってもらうために、画面に出していきたい。しかも、もっとアクセスしやすい形で出せないか、と考えている。 
 
―拡充するための資金は十分か? 
 
ジャバーラー氏:今言ったようなことを実現するのに、それほど大きな投資は必要ないと思う。例えばネットの拡充とかは巨額の資金は必要ない。 
 
▽最も難しい質問 
 
―最後に、一日をどんな風にして過ごすのか? 
 
ジャバーラー氏:なんて難しい質問だろう。最高に難しい!困ったな…。 
 
 私の一日は朝起きてから寝るまでが仕事だ。たいてい、電話にかじりついている。そうでないときは、起きている間はアルジャジーラを見ている。時間があれば、ネットをチェックする。朝起きて洋服を着る間にネットを見て、サイトの内容をチェックする。何が起きているのかを理解しようとする。昨日のニュースと今日のニュースの違いはどこなのか、など。ニュースのフォローアップのため情報を収集する。 
 
 会社に来てからは、いくつもの会議に出る。会社に来るのは朝8時ごろ。編集長と仕事を分けてやるようにしている。会議を始め、コンピューターを見て、番組を作っているプロデューサーにコンタクトをとったりする。今日のラインアップ、来週のラインアップなどの会議だ。 
 
 午後5時ごろ、ニュースの後の反省会のような会議に出て、そのあと、1時間ほど家に戻る場合もある。その後で、戻ってくる。番組を見たり、メールをチェックしたりして、夜通し、仕事部屋にはりついている。ニュースの内容に関してコメントを言ったり。私の仕事が終わるのはニュースが終わるとき。カメラが止まるとき。帰りは遅いので、家に着くと、ぐったりしている。勤務は週に6日ということに、就業規則上はなっている、といっておこう。 

by polimediauk | 2007-07-30 20:15 | 放送業界


 日本の参院選の結果が英各紙で報道中だ。自民党が大きく負けたことが焦点だ。BBCによると、年金問題が主原因とされている。

  BBCのニュースサイトで、ユーザーが自分の意見を述べるコーナーがあって、これがなかなかおもしろい。様々な意見が出ている。こういうのがあって、「良かったな」と思う。誰か(ニュースの重要さを決める人・分析する人)がニュースの専門家として意見を述べ、それを聞く・読むのもおもしろいが、世界中に住むユーザーがそれぞれ感想を述べる分もあると、おもしろさが増すと思う。

http://newsforums.bbc.co.uk/nol/thread.jspa?threadID=7001&&&edition=1&ttl=20070729173207
 
 上記のアドレスで、右のコーナーを見ると、どれくらい意見が寄せられて、どれぐらい拒否されたかが分かる。こういう本数を示すようにして、「透明化をはかっている」と、前にBBCのインターネット部門の人が言っていた。

 日本の新聞でも紙面では投書欄があるけれども、多くの英国の新聞はウエブサイトの記事に簡単に自分の意見をつけることができる。他の媒体で自分の意見を述べるのもいいが、既存のメディア媒体のところに行って思ったことを書ける、というのは、言論空間がオープンで(ルールはあるとは思うが)いいように思う。日本の新聞もそうならないかなと首を長くして待っている。


 (追記:雑感)

 しかし、今日本にいらっしゃる方がうらやましい。いろいろ言っても、やはり母国は懐かしい。

 日本で、「格差社会」が問題になっていると聞く。

 英国にいると、(インドや中国と比べると格差は小さいのかもしれないが)いろいろなクラスの人、人種の人がいて、てんでばらばらである。未だに、「貧困」が政治の争点になっているのには驚くばかりだ。

 「英国人らしさ」というのはあまりないのかもしれない。かつ、「ブリティッシュネス」を政治家は言うのだが、これを言うたびに、国民の多くから反発をくらう。「ブリティッシュネスはこれだ」ということで、定義をすることを、多くの人は嫌うようだ。

 今回の野党の勝利は、自民党への不満票だけなのかどうか。本当に政権交代を望んでいる人はいるかどうか。

 どの政党でも、よりよい日本になればいいのだが。国民がより良い生活ができるような。

by polimediauk | 2007-07-30 01:37 | 政治とメディア
c0016826_21444475.jpg   私のアルジャジーラ(英語)との関わりは、2005年に始まった。それまでは数少ない日本語のアルジャジーラに関する資料を読み返し、自分もいつかは本拠地のあるカタール・ドーハに行ってみたいものだと漠然と思っていた。機会があって、05年、訪れることになった。当時は広報室の人も非常に親切で、「日本人がやってきた」ということで珍しがられ、日本のブログやネット状況に関しても知っている限りのことを話した。

 現在はアルジャジーラに関する日本語の本も数冊出ているようだ。私が特におすすめなのが、前にも書いたが、ヒュー・マイルズという人の書いた「アルジャジーラ・報道の戦争」で、訳も非常にうまい。私自身、知らなかったことがたくさん書かれてあった。

 2005年の訪問記、2006年、ロンドンでのアルジャジーラ英語社長インタビュー(既に05年に会っていたので再会だったが、広報会社の人がぴったりくっつき、非常に緊張した中での取材だった。笑顔がこわばってしまった・・・)、07年、ロンドンでのアルジャジーラ英語ロンドン支局長の会見の様子を順に流してみたい。

ベリタ2005年11月05日掲載

<アルジャジーラはいま(上)> 「米政府からスタジオ閉鎖命令が」?

 中東諸国を中心に視聴者が世界に4500万人いると言われる、カタールの衛星テレビ、アルジャジーラ。米国同時多発テロの首謀者と言われるウサマ・ビン・ラーディンのビデオ映像を、テロ直後の2001年10月にスクープ放映し、アラビア語以外の地域でも認知度が一気に高まった。米ブッシュ政権からは「テロリストの手先」と見なされ、米国からの圧力もうわさされるが、当のアルジャジーラは中立、公平を基本方針に、今日もニュースを流し続けている。独自の映像が米大手テレビ局や英BBCなどに配信されることも少なくない。欧米の情報支配に風穴をあけた新興メディアは何をめざしているのかをさぐろうと、カタールの首都ドーハのスタジオを訪ねた。 
 
▽砂漠の中から24時間放送 
 
 アルジャジーラは、よく「中東のCNN」といわれるように24時間放送のテレビだが、アラビア語であるために、日本の視聴者からすると、やや遠い存在かもしれない。そもそもドーハ、というとどんなイメージがあるだろうか? 
 
曲がりなりにも「首都」であるから、高層建築物が建ち並ぶ様子を期待すると、やや違ってくる。中東諸国の中で最大級の店舗面積を持つといわれるショッピングセンターがある地域には、確かに高層ビルがいくつかあり、都市の喧騒を垣間見ることができるものの、これは例外だ。ドーハ市内のほとんどでは、広い砂漠の中に建物がぽつん、ぽつんと散在し、ややさびしげな光景が続く。こうした建物のほとんどは新築か建築中。地元の英字新聞を読むと、ドーハでは今、建設ラッシュが起きているという。 
 
 人口約70万人のカタールだが、人口の80%以上は首都ドーハとその近辺に集中している。大部分は仕事を求めてやってきた移民労働者たちで、生粋のカタール人は、約8万人ほどと言われている。 
 
 ドーハではアルジャジーラの存在を知らない人はほとんどいない、と言っていいかもしれない。朝、ホテルのフロントに「テレビ局のアルジャジーラに行きたい」というと、住所などを言わなくてもすぐ車の手配をしてくれた。車で約10分の場所にあるアルジャジーラの建物の隣には、まだ鉄筋コンクリート状態の建物があった。「あれが、英語放送のスタジオになる」とインド人の運転手は誇らしげに話す。アラビア語のアルジャジーラに加え、来年から英語放送のテレビ局アルジャジーラが活動を開始することになっている。 
 
 車の中で、広報担当者の名前をもう一度確認しているうちに、タクシーは、国境付近の検問所を思わせる白いゲートに近づいた。ゲートの前には、大きな銃を腕に抱えた警備員が立ち、こちらをにらんでいる。一抹の不安が心に広がる。スタジオに入るには、「ゲート・パス」が必要だということは既に聞いていたが、広報担当者の名前を告げるだけで、分かってくれるだろうか? 
 
 案の定、広報担当者の名前とこちらの所属を書いたメモを運転手を通じて渡してもらうが、「パスがないと入れない」と警備員は言っているようだ。日本の会社のように、まず会社を訪れ、訪ねる先を受付に告げ、そこで何らかのパスをもらう、という経過を想像していた私は、自分がいかに甘かったかを思い知らされた。銃を腕に抱えたまま、こちらをにらみ続ける警備員は、ゲートの中にいる同僚に、アルジャーラ本社の誰かに電話をかけさせているようだ。どきどきしながら見守っていたが、「駄目だ。通せない」。私は、すぐに入れると思っていたので、携帯電話を持ってきていなかった。無理に突破しようとすれば、発砲することも辞さない構えで、警備員は立ちはだかっている。運転手が、ホテルに戻って、電話をかけて出直しましょうと、あきらめたように言う。 
 
 15分後、ホテルに戻り、フロントからアルジャジーラの広報担当者に電話をかけてもらう。電話口に出てくれたので、事情を話すと、「既にゲートにゲートパスを送っておいたのに」という。「本当に、送ったんですね?」と念を押して、もう一度、タクシーに乗った。 
 
同じ道を通ってまたゲートに戻った。運転手に事情を話してもらうと、また誰かが電話をかけている。「ファックスで確認書を送ってもらえるよう手配したそうです」と運転手が教えてくれる。10分ほどたって、運転手が、ゲートの男性から手渡された紙をもってきた。アラビア語で書かれた一枚のファックス用紙。私の名前のところだけがローマ字だった。この紙がゲートパスだった。 
 
▽最新設備で英米メディアにも映像配信 
 
 アラブのトップ・メディアのひとつ、という割には小さな玄関先だなあという場所(実は裏玄関だった。表の入り口はあまり使わないそうである)に、国際広報担当のターヒル・ホルズック氏が待っていてくれた。「ようこそ、アルジャジーラに」といって手を差し出す。ホルズック氏は南アフリカ共和国出身で最近アルジャジーラに勤務を開始したばかりだ。アラビア語は不得手だそうだが、仕事には全く支障がない、という。 
 
 細い廊下を通って歩き出すと、間もなくしてスタジオに着く。昼時のせいか、誰もいなかった。「実は、スタジオ閉鎖令が出たんですよ」とホルズック氏。「誰がそんなことを?」「最近のアルジャジーラの報道が米政府の怒りを買ってしまい、今朝、急遽、閉鎖命令が出たんです」。 
 
 米政府がアルジャジーラの報道を快く思っていないことは周知だが、アルジャジーラ本部のスタジオ閉鎖という大胆なことが果たして可能なのだろうか?カタールの主権を度外視できるわけがない・・・半信半疑で、数秒考えているうちに、ホルズック氏はにやりと笑い、「冗談ですよ。」 
 
 そのスタジオは古いもので、現在は6月に完成した新スタジオで作業が行われているという。数台の機材が並ぶスペースとニュースキャスターが座る部分とに分かれているが、小ぶりな印象を受けた。「エジプトのムバラク大統領がここを訪れたとき、あまりにも小さいので、驚いた、と聞いています」とホルズック氏。 
 
 廊下に戻って、両端にある数々の小部屋を見ていったが、それぞれが会議室、編集室、ミニ・スタジオなどになっている。白いアラブ風装束を着ている男性たちが機材を使っているのを見て、ああ、中東の国のテレビ局に自分はいるのだな、と思い出していた。数は少なかったが、女性も働いていた。 
 
 最新設備を駆使したスタジオも見学させてもらったが、丁度著名キャスターがニュースを読み出す直前で、何度も咳払いをしたり、頭髪をなでつけているのが印象的だった。 
 
 アルジャジーラが撮った映像は、自社だけでなく、世界中の著名テレビ局が欲しがる。このため、アルジャジーラで放映後に即座にBBCやCNNなど他局に送れるような設備も整えてある、という。 
 
 イラク政府の反感を買って、アルジャジーラのバグダッド支局は現在閉鎖されているが、イラクの状況の映像には「不自由しない」とホルズック氏は言う。現地にストリンガーやボランティアの記者、情報提供者が無数におり、映像や情報を送ってくれるからだという。「支局がなくても、アルジャジーラのイラク報道の水準の高さには誇りを持っている」。 
 
 アルジャジーラが生まれたのは1996年11月。当初は1日に2-3時間の放映だった。現在は24時間の衛星チャンネルで、ニュースは1日に約15時間。依然としてニュースが中心のチャンネルとなっている。従業員は記者、制作者、総務や経理を含めて1250人以上となっている。  (つづく) 

by polimediauk | 2007-07-28 21:47 | 放送業界

「開かれた司法制度を」

新聞やテレビ局などの編集長らで構成する「ソサエティー・オブ・エディターズ」
http://www.societyofeditors.co.uk/index.php
ボブ・サッチェル代表

 (*英国では、後の裁判で被告が不当な扱いを受けないよう、事件報道には法廷侮辱罪などを通じて規制がかかる。多くの場合、逮捕後、あるいは裁判開始時点で容疑者に対する報道に規制がかかる。容疑者・被告に不利な報道を陪審員が読み、評議に影響することを避けるためだ。)

―5月末、ゴールドスミス法務長官(当時)が、英国の法廷侮辱罪の事件報道への適用を緩和するとも受け止められる発言を行なった(*注1)。どう見たか。

サッチェル氏:報道の自由と報道侮辱罪の適用に関して非常に真剣な懸念があることを、分かってもらえたのだろうと思う。常日頃から適用緩和を訴えてきたので、うれしかった。

―何故今になってこのような発言が出たのか?

 おそらく、私たちの議論を聞いて、その論旨が強いと思ったのではないか?最後に会ったのは発言があった講演の1週間前だったけれども、こちらの論を繰り返した。インターネットもあるし、ニュースは地球規模、24時間になっている、古い法廷侮辱罪をつかってもうまくいかない、と。

 英国では、裁判の開始時と最後に評議結果を出す時に、裁判官が12人の陪審員に対し、裁判所での証拠を基に決断するように、と言う。私自身もたくさんの裁判に出席した。そこで思うのは、陪審員たちは、実際に裁判所で聞いたことのみを基にして、判断を下そうとしている。陪審員は自分に課された義務を非常に真剣に受け取めている。

―メディア界と政府のコンタクトは頻繁に行なわれているのだろうか?

 そうだ。私自身、ソサエティー・オブ・エディターズの代表として連絡を取り合うことを率先している。心地良すぎない範囲で連絡を維持することが非常に重要だ。意見が不一致となることもしばしばあるが、知的で、友好的な不一致だと思う。
 
―メディア側は法廷侮辱罪をどう見ているか?

 ある報道が「重大な偏見を与える大きな危険性がある時」、法廷侮辱罪が適用される、と定義されている。この定義を難しいと思う人もいる。重大な偏見や大きな危険性のことを本当に真剣に考えたら、容疑者の逮捕時から一切の報道ができなくなる。しかし、国民は逮捕以降、最も容疑者に関して知りたがる。こんな時に規制がかかるのは、おかしい。メディア側は米国のように何でも報道できる状態を望んでいるわけではない。しかし、状況が改善されることを望んでいる。

 私たちが法務長官に言ったのは、24時間のグローバルニュースの時代に、もう一度現状を見直す必要があるのではないか、学問的調査をする必要があるのではないか、ということだ。陪審員がどのように結論に至るのか、報道の悪影響があるのかないのかを調査するべきだと言ったのだ。

―英国では陪審員がどのように評議結果に至ったかを取材・調査できないと聞いたが。

 確かにそうだ。違法だ。陪審員には生涯守秘義務が課せられるし、メディア側も名前や連絡先を知らされないので、こちらから連絡のつけようがない。

―とすると、調査をするには法律の一部を改正しなければならないのか?

 そうだ。現在の法律の範囲内で、あるいは法律を修正することによって、法務担当者や政府側が調査を行い、人々がこの点に関して議論を行えるようにするべきだ。今のところ、情報が少ない。情報がなければ、法廷侮辱罪が正しいかどうかの議論が十分にできない。

―英国民は法廷侮辱罪に関連して報道規制を少なくするという、メディア側の姿勢を支持しているのだろうか?

 国民がメディア側を支持することは非常にまれだ。英国ではメディアは高い地位にはない。今回のメディアの立場を理解してもらうには、非常に洗練された、難しい議論が必要だ。最終的には国民の知る権利や開かれた司法制度の確保に関わる問題で、メディアのために特別なお願いをしているのではない。
 
 法廷侮辱罪は司法制度が公正に行われること目指すが、司法制度の第2の原則は開かれていることだ。メディアが国民のために報道することに対しても「開かれて」いるべきだ。

 家裁の問題もある。現在、家裁の審判にメディアは出席できない。正義が行われていないのではないかという疑いがある。民主主義体制の心臓部にあるのは、公正で効率的な司法制度だ。人々の司法制度への信頼感を生み出すためにも、開かれているべきだ。

―メディアが容疑者が有罪か無罪かを決め付けるような報道を行なうなど、「メディアによる裁き」への不快感が国民の間にあると思う。これをどう見るか

メディアが裁いたとは思わない。どのような場合でも、容疑者が裁判所に連れていかれ、そこで裁きが行なわれる。

 近年、英南部で小学生の少女2人を殺害したイアン・ハントリーの事件でも、確かに様々な報道が出たが、裁判所でハントリー自身が自分の殺害行為を認め、判決が下った。あなたの言いたいことは分かるが、メディアが裁いたわけではないと思う。犯罪を行なった人たちがメディアで厳しく報道されたことを、それほど「可哀想に」と思う必要はないのでは。最終的には12人の陪審員が、裁判官から偏見を入れてはいけない、新聞やテレビで見たことに影響されてはいけない、と言われて評議をするのだから。

 英国の場合学問的調査がなされていないので、逸話で判断するしかないけれども、これによると、陪審員たちは裁判官の言葉を真剣に受け取っている。陪審員は法廷の中で出されたものだけを基にして判断するようにという規則を厳密に守っているようだ。裁判官はまた、もし少しでも疑いがあったら、「疑わしきは罰せず」にするように、という。これが不正義が行なわれないようにする、安全装置になる。

―ゴールドスミス法務長官は退任した。今後どうなるのか。

 この議論は政治家や裁判官たちと長年続けてきたので、また最初からやり直さなければならないのかもしれないが、議論をあきらめてはいないと思っている。

 メディアに規制をかけるのは非常に危険な動きだ。理想的な世界では規制は全くないほうがいい。メディアの活動に制限を作ってしまうと、必ず基本的な価値観である、言論の自由を侵害してしまう。どんな制限でもそうだ。

 しかし、司法制度が公正に行われるために審理の公開性やメディアの報道範囲に規制がつくこともあると思う。もしジャーナリスト側に責任と分別を求めるなら、司法制度のほうも、「開かれている」部分を厳守するべきだ。報道への規制は、絶対に必要なものだけにするべきだ。私たちは裁判所にカメラを入れるべきとも言っている。

―現在は、人権擁護の視点も考慮に入れる必要があるが。

 そうだ。しかし、人々が人権に関して言う時、現在は、主に個人の人権の擁護のことを言っている。欧州人権条約ができたのは、第2次世界大戦後で、ヒットラー、スターリンなどの暴君から人々を守る、ということだった。今は、人権の法律のほとんどは、個人の人権を守るという意味で解釈されている。もちろん、個人にも人権がある。しかし、個々の人権は、私の考えるところでは、一般大衆の人権・権利の上に来るべきではないと思う。

―労働党への資金融資疑惑の報道で、今年3月、時の法務長官はBBCに対し、報道差止め令を出したが。

BBCに対して差止め令があったので、当局側が何かを隠しているのではないか、という疑念が起きた。

―BBCへの差し止め令の後、同様の報道がガーディアン紙に出た。報道後、特に何か大きな悪影響があったとは思えないのだが。

 そうだ。英国の問題は、こういうことが起きると、秘密にすることに取り付かれてしまう。知識は権力であるし、古い中国のことわざで、「もっと知れば、もっと統治が難しくなる」と。政府側がこうした態度を取れば、人々は疑念を持つようになる。誰かが情報を隠そうとしているな、と。

 最終的には、オープンで正直であるほうがいい。そうすれば、メディアの側にもそして国民の側にも、政府や警察、裁判所などの団体が、「特別な理由があって、今回はこの情報を出せないが、後で出せる」と言った時、これを受け入れやすくなる。ここまでくればもうけものだ。しかし、私たちはまだこの段階まで行っていない。人々は非常に疑り深いし、政府の側にも秘密主義があるからだ。メディアも含めて、学ぶ必要がある。まずオープンであること、そしてメディアが責任を持って行動することだ。

――

*注1:この件に関しては前回の原稿参照
* ゴールドスミス英法務長官の講演の原文を研究などの目的で入手希望の方は、メールでご連絡を。ginkokoba@excite.co.jp
by polimediauk | 2007-07-27 22:50 | 新聞業界
 日本では、2009年から裁判員制度が導入される。

 日本新聞協会によると、「市民が参加する新しい裁判員裁判を念頭に、編集委員会は年内をめどに、報道のあり方について基本方針を自主的に作成する方向で検討に入った。取材方法も、最高裁と協議している」という。

 英国は陪審員制度を長年採用しており、事件報道の場合は後の裁判で被告に不利な判断が下されることがないよう、法廷侮辱罪に抵触しないようにという配慮が求められる。

 そこで英国の現状を「新聞協会法」(7月17日号)にまとめた。最終稿に加筆したものと関連インタビューを載せていきたい。

 法廷侮辱罪の理解のために Media Law for Journalists by Ursula Smartt (Sage), Media Law by Peter Carey and Jo Sanders (Thomson), Media Law by Geoffrey Robertson and Andrew Nicol (Penguin)などを参照にした。最も参考になったのは実際に関係者にインタビューして得た情報だった。

 話を聞けば聞くほど、意見は二手に分かれた。侮辱罪を大幅改正して報道の自由を広げるべきだ、という声と、侮辱罪はそのままでもこれを厳しく適用し、報道できない部分を死守するべき、という声だった。

―――

英・法廷侮辱罪見直しの声
「陪審員に予見」説に疑問

 英国では法廷侮辱罪に、見直しを求める声が高まっている。インターネットの普及による一国での報道規制の限界のほか、裁判が報道から一定の時間を経て始まるため、陪審員に与える予見にも疑問が呈されている。この機運とともに、法廷侮辱罪のこれまでの運用と限界、報道機関の対応をまとめた。

 ゴールドスミス英法務長官(当時)は5月末、ロンドン市内で講演し、「公正な司法審理と、表現の自由とのバランスについて、メディアと定期的に論議したい」「報道の陪審員への影響を調査したい」と述べた。この発言は事件報道に関し、規制を緩和する可能性を示唆したと報道関係者に受け止められた。

 「報道側の要望に応える講演だった」。新聞やテレビ局などの編集長らで構成する「ソサエティー・オブ・エディターズ」のボブ・サッチェル代表は、こう評価した。同氏は講演の一週間前、法務長官に法廷侮辱罪の不合理さを説いていた。

 サッチェル氏は、法廷侮辱罪を「時代遅れだ。英国でしか適用できない規制には意味がない」と指摘する。インターネット上にニュースが24時間、地球規模で流れるなか「報道規制は英司法当局が情報を隠していると見られ、司法制度への信頼を損なう」。

法律を厳守すると、逮捕時から一切、報道できないことも問題だと話す。「読者・視聴者が事件に関する情報を最も求める時の規制は、知る権利に反する」

 メディア法が専門のダンカン・ラモント弁護士は、裁判までに人々の記憶から報道内容が薄れる「フェイド・ファクター」を、法廷侮辱罪の限界だと述べた。

 具体的には、昨年末の英東部イプスイッチでの女性連続殺人事件を挙げた。当初、容疑者として逮捕された地元男性の映像や名前が大きく報道された。侮辱罪に抵触する可能性を何度も、法務長官から警告される。間もなく、別の地元男性が逮捕。この公判が来年一月、開かれる。事件の発覚から約一年後となる。「報道は過熱気味だった。それでも、詳細を覚えている陪審員は少ないのではないか」。

 ランカシャー・イブニング・ポスト、ニューズ・オブ・ザ・ワールド両紙などで長く法廷を取材したサッチェル氏は「陪審員は、裁判官の注意を真摯に受け止め、公判で示された証拠や証言だけで判断するよう努めている」と言う。「陪審制度は、公正な裁判のために導入された。陪審員の判断を信頼すべきだ」

■陪審員への報道規制

 現行の法廷侮辱罪は、陪審員への取材を厳しく制限する。男女の構成比率や最後の評議結果の報道は許されるが、その他の情報(人種、職業など)は法廷で公開されず、報道も不可。写真撮影やイラストによる描写も不可だ。評議の結果を理由にした嫌がらせなどを防ぐためだが、報道機関は評議の検証手段すら持たない。

 西ロンドンで治安判事を務め大学でメディア法を教えるウルスラ・スマート氏は語る。「陪審員の匿名性の厳守で自由な議論が保証される。陪審員制が英国の司法審理の公正性の根幹となっている」。

 一方のサッチェル氏は、「任務が終了すれば全てを話せる陪審員制度を持つ米国に倣うべきとは思わない」としながらも、報道が陪審員にどのような影響を与えたかに関する調査を支持。法廷へのカメラの導入も目指すべき、という。「報道規制は少なければ少ないほうがいい。どんな規制も言論の自由を狭めることになる」と語る。「司法審理の公開度を高める方向で制度を見直すべきだ」

 「民主主義社会は、公正で効率的な司法制度が中核となる。開かれたものであってこそ、信頼を得られる」

 ロンドンのゴールドスミスカレッジでメディア法などを教えるティム・クルック講師は、さらに一歩先を行く。「法廷侮辱罪は抑圧的なアナクロニズムで、広い範囲の検閲だ」。メディアの刑事事件報道に何も問題はないと言う。報道が正確、不正確、偏見を持たせるものであったに関わらず、陪審員が影響を受けることはない、と言う見方だ。「陪審員は眼前に提出された証拠に集中すると思う」。

 また、日本には、英国の法廷侮辱罪に関連するような報道規制は必要ないと言う。陪審員(日本では裁判員)裁判官と一緒に評議を行なうことになるため、裁判官のプロフェッショナリズムや厳格さに支援を受ける。偏見を与えるようなメディア報道は裁判の進行の過程で無視される、と言う。「もし唯一の規制があるべきとすれば、それは、その裁判が終わり、全ての評決が出るまで陪審員が事件に関して(外部に内容を)出さないということだけで良い」。

―「メディアは裁判官ではない」

 法廷侮辱罪は1981年の成文化まで、慣例法を基に運用されてきた。70年代初めのサリドマイド事件での適用は、現在にも影響を及ぼす。

 ドイツで50年代、睡眠薬サリドマイドが販売された。英国でもこれを服用した妊婦から、多くの奇形児が生まれる。60年代、製薬会社への訴えが相次ぐ。この和解金額などをめぐり71年から400件近い民事訴訟が発生した。

 サンデー・タイムズ紙は72年9月、「十分な治験後に売り出すべきだった」「補償金の額が不十分」など、製薬会社の対応を批判する連載を始めた。民事訴訟が続く中での報道は、「重大な予見」を与えるとの製薬会社の訴えが認められ10月、差し止め命令が出される。しかしタイムズ紙は「公益性がある」と主張して控訴審で勝訴し、約1週間後に命令は解除された。

 11月から73年2月までに再度の差し止め命令と解除が繰り返される。最終的には3月、最高裁(上院)で差し止め命令が確定した。

 上院裁判官は「新聞やテレビが裁判所の役目を果たすことは避けるべきだ」と述べた。扇情的な報道が「メディアによる裁判」と呼ばれる1つの契機となった。

―自主対応、法的手段で対抗

 法廷侮辱罪は、陪審員に「重大な予見」を与える「重大な危険性」があると判断された報道に適用される。具体的には容疑者の前科や容疑者を有罪と見なす報道(過剰報道、扇情的な報道)などが該当する。

 しかし実際には、裁判官の判断に委ねられる。報道機関は自主的な報道対応や、法的手段などで対抗してきた。論議を呼んだ事例は次の通り。

―過去を上回る「予見」が決め手

 テールフォース事件

 デーリー・メール紙のコラムをきっかけに全国紙5紙が95年、人気女優ジリアン・テールフォースさんのパートナーの男性が、かつて暴力事件で有罪になっていたと報道した。男性が、タクシー運転手に対する別の暴力事件で裁判所に出頭する矢先のこと。有罪ならば、終身刑になる可能性もあった。

 公正な審理が行なわれないとして、裁判は一時停止された。法務長官は、前科を報道した全国紙に法廷侮辱罪の適用を求めた。新聞社側は控訴した。

 上級審は、これまでの報道を上回る「重大な予見」は与えなかったとして、侮辱罪を適用しなかった。「重大な」予見の有無が、決め手になることを鮮明にした。

―夜ニュースで抑制し適用回避

 ITN事件

 ITNは95年、夕方のニュースでアイルランド人二人が警察官殺害事件で逮捕されたと伝えた。一人はアイルランド共和国軍(IRA)の一員で、テロリストとして収監されていたものの、脱獄していたとも述べた。翌日付の全国紙早版と地方紙も「IRAの脱獄犯が警官を殺害した」とした。一方、夜のITNのニュースと全国紙の遅版は、IRAのことにはふれなかった。侮辱罪の適用を考慮したとみられる。

裁判は、殺害から9か月後に始まる。報道は陪審員に重大な予見を与える重大な危険性があるとして、弁護士は裁判の一時停止を主張。侮辱罪の適用を求めた。

 この申請は却下された。当時、IRAをめぐる報道は多く、特定の人物に関する特定の報道の印象は薄いことや、公判までに時間が経っていることに加え、報道が全国紙は早版、ITNも夕方ニュースにとどまったことなども理由に挙げた。

―評議中に記事、罰金科される

 リーズ・サッカー選手暴行事件

 サンデー・ミラー紙は2001年、リーズ・ユナイテッドのサッカー選手による暴行事件で、被害者の父親のインタビューを掲載した。陪審員が、判決を評議していた中でのこと。父親は暴行の背景に、人種差別があると訴えた。陪審員に重大な予見を与える可能性が高いとして、裁判は一時停止され、数ヵ月後に陪審員を新たに選出し再審理された。

 取材した記者は、掲載を裁判終了後となると父親に約束していたことも明らかになる。同紙は編集長が引責辞任した。7万5000ポンド(約1800万円)の罰金と、侮辱罪適用(2002年確定)にかかった費用10万ポンドの負担も命じらた。

―陪審員に対しBBCが取材

 05年3月、ロンドンの地下鉄工事をめぐる汚職疑惑裁判が停止された。21か月と裁判が長期化し、陪審員や被告に健康を害する者が出たことなどがきっかけ。停止から3ヵ月後、陪審員の1人(実名報道)がBBCに連絡し、ラジオでストレスに苦しんだと訴えた。陪審員への取材・報道は珍しい。
 
 陪審員には裁判終了後も、評議内容について守秘義務が課されている。しかし、感想を話すことには規定がない。BBCは「評議内容でなく、個人の感想のみを述べた取材は法廷侮辱罪に反しない」、と判断しての報道だった。法務長官は侮辱罪適用に動かなかったが、これをメディアの勝利と見るか、法定侮辱罪の適用が恣意的に行なわれていると見るかは判断が分かれている。

 昨年9月にもBBCは、殺人事件で陪審員を務めた2人が事件の感想を話すインタビューをテレビのドキュメンタリー番組で放送。1人は実名で登場した。

―英国の法廷侮辱罪とは

 1981年、成文法となる。①司法審理の品位の維持②容疑者・被告に公正な裁判を保障する③陪審員に予見を与えない――の三点を目的とする。司法審理の開始後の報道を対象とする。

 「審理の開始時」は、刑事事件では容疑者の逮捕時、逮捕状発行時、起訴時など。民事事件では公判時期の開始決定時あるいは開始時などで、必ずしも一律ではない。違反には、罰金か最大で二年の禁固刑が科される。禁固刑は、ほとんどない。

 英国のメディア法をまとめた「Media Law for Journalists」(Sage社)は、 ①起訴判断の批判、例えば控訴局の判断や検察側の証言者の批判②判決の憶測③被告の前科や、性格が悪いなどの逸話――を適用されやすい報道に挙げる。「十分に取材して背景を伝える報道は、公益にかなうとの理由で適用を免れることもある」

 適用の申請には、議論を呼び起こす目的で公益にかなうと判断したなどと反論することを勧めている。
by polimediauk | 2007-07-26 23:13 | 新聞業界

 英テレビ界の捏造問題の激震がまだ続いている。GMTVという朝のテレビ番組を放映する会社のトップが引責辞任したと、今朝ラジオで聞いた。視聴者がクイズに参加するために電話をかけるコーナーで、既に勝利者が決まり、視聴者には勝つ見込みがない間も、電話線がつながっていたなどの事態が生じていた。BBCなどでも、複数の視聴者参加番組で同様の動きがあった。GMTVは電話をしてきた視聴者にはお金を返す、とも言っている。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/6914999.stm

 BBCの秋の番組の予告編を巡る話題も続いている。

 予告編の中に、ある写真家が女王の写真を取ろうとしている場面があった。写真家は女王に王冠を脱ぐように言い、この場面の後で、女王が急いで廊下を歩いている場面をつなぎ、あたかも「女王が写真家の言ったことに頭に来て、部屋を出て行った」ように見えた。しかし実際は「急いで廊下を歩く」後に、「写真家が女王に王冠を取るように言う」流れになっていた。何故実際の流れと逆にしたのかの経緯を、元BBCのNo.2ウイリアム・ワイアット氏が調査することになった。

 BBCのためにこの番組を作っていたRDFという製作会社の人物が「海外の顧客向けに編集した」と「告白」したが、まだ全貌が十分に分かっていない。ワイアット氏の調査結果は9月にでるそうだが、何故これほど長くかかるかも疑問だ。

 デンマーク風刺画事件の一部の最後は、「ポリティケンPOLITIKEN」という新聞の編集長のインタビューである。これは、風刺画を掲載したユランズ・ポステン紙とはライバル関係にある。

 2006年2月、コペンハーゲンを訪れた時、すんなりとインタビューが決まったが、ポリティケン編集長は海外メディアに積極的に会い、事件の顛末に関わる自説をPRしていたようだ。「一つの見方」として読んでいただければ幸いである。

「表現の自由を支持し続ける」 
(ベリタ2006年04月16日掲載 )

c0016826_1853344.jpg デンマークの保守系新聞「ユランズ・ポステン」が掲載した、イスラム教預言者ムハンマドの風刺画事件を、ライバル紙「ポリティケン」はどう見たのか?「揺れるデンマーク」の最終回として、編集長トゥア・セイデンファーデン氏に、改めて事件の分析と今後の予測を聞いた。同氏は、風刺画は基本的に間違いであり、デンマークのイメージを失墜させたとしながらも、「表現の自由は支持し続ける」と述べ、表現の自由の将来について語った。
 
──風刺画を見て、どう思ったか。 
 
セイデンファーデン氏:基本的には、間違いだと思った。法律を犯しているわけではなく、表現の自由、報道の自由の範囲内だったとは思うが、私からすれば、自由の趣旨を間違って使っていたと思う。一切の肯定的意義はなく、純粋な挑発行為だった。 
 
 デンマークではイスラム教徒は少数グループだ。この中のさらに少数グループである、強い信仰心を持った人々を挑発する、という故意の目的があった。掲載をしたユランズ・ポステン紙自身の説明によれば、近代的、民主的な社会に住むイスラム教徒たちは、嘲笑されることを受け入れなければならない、という。こんなことは不必要で間違っている。 
 
▽デンマーク政府の責任大 
 
──ポリティケン紙はどのように対応したのか。 
 
セイデンファーデン氏;私が呼ぶところの、「馬鹿げたことと連帯をする」ことにした。表現の自由には、間違いをする権利、馬鹿げたことをする権利が含まれていると思う。従って、ユランズ・ポステンは表現の自由を間違った風に使ったとは思うけれども、この点から、ユランズポステンを弁護することにした。 
 
 ユランズ・ポステンが掲載に関して謝罪をするべきだとは思っていない。ユランズポステン自身が間違ったと思うなら、謝ればいい。しかし、そう思っていないなら、謝る必要はない。 
 
 ポリティケン紙自身は預言者ムハンマドを戯画化してはいけないと考えているわけではなく、場合によっては、ムハンマドに関する風刺画を出すこともあるかと思う。 
 
 しかし、ここまで大きな事件になった唯一の理由は、ユランズ・ポステンのせいではなく、デンマーク政府に責任があると思う。 
 
──その根拠は? 
 
セイデンファーデン氏;中東諸国の大使らが、首相との会談を要求したとき、他の国の政府だったらこれを受け入れて、大使らに対してこう言ったはずだ。「掲載をするかしないかは新聞が決めることだ。政府は関係していない」、「もし政府に決定権があったら、掲載はしていない。このような結果になったことを、嘆いている。デンマーク及び世界の人々の宗教に対する感情を攻撃するようなことを、デンマーク政府としては、しない」、と。実際には、政府は会談さえしていなかった。非常に致命的な、外交上の間違いだ。 
 
 この最初のつまずきの結果、デンマークのイスラム教指導者たちが掲載に対する抗議の支持を求めるため、中東を訪問する仕組みができてしまった。 
 
──イスラム教指導者たちの中東訪問こそが問題を大きくした、というのが通説のひとつだが。 
 
セイデンファーデン氏;私は外交上の間違いの方が大きいと思う。1つには、中東諸国には一般的に言って表現の自由はなくメディアの規制がきついが、風刺画事件が外交問題になったので規制をはずした、という流れがある。例えばエジプトの大手メディアがこの問題を報道するようになったのは、風刺画が外交問題になって、政府がこの問題を報道してよい、という態度を明らかにしたために、報道されるようになった。 
 
 また、イスラム指導者たちは中東で新聞社の編集長、政府高官らに会っているが、訪問した国の政府、外交官の助けがなければ会えるわけがない。訪問者たちは、デンマークのイスラム教人口の中でもごく少数のグループを代表している。実際にモスクに足を運ぶのは1000人程度といった規模のグループだ。中東諸国はヒエラルキーの社会だから、こうした少数グループの代表らが、通常は中東のトップグループに属する人々に自力で会えるわけがない。外交筋の助けがあったと考えるのが自然だ。 
 
 中東の大手メディアが風刺画事件を大きく扱うようになると宗教指導者たちはこの問題を無視することができなくなり、金曜礼拝でも話題に上ることになった。事態は誰も止めることができない速度で拡大していった。 
 
 風刺画が掲載された背景には、デンマークの政治が反移民を打ち出すようになっている、という事情がある。 
 
──2006年2月、ドイツとフランスの新聞が風刺画を転載した。デンマークの事情を考えると、状況をやや間違って解釈したと思うか? 
 
セイデンファーデン氏;ある意味ではそうだ。自発的な連帯精神を示したのだろう。ユランズポステンが攻撃されている、として、同じ風刺画を転載することで攻撃の圧力の重荷を共に背負う、と。 
 
 理解できる反応だが、私は転載は間違いだったと思っている。結果的に、火に油を注ぐことになったからだ。イスラム教諸国と欧州との対立を拡大した。やるべきではなかったと思う。例えば、フランスのル・モンド紙がしたようなやり方が良かったと思う。 
 
 ル・モンドは、独自の風刺画を掲載した。ムハンマドの顔を描くかのように見せながら、ひげの部分が文字になっていて、「預言者を描いてはいけない、預言者を描いてはいけない・・」と、繰り返した文句になっていた。非常に頭のいいやり方で、預言者を実際に描いたわけでなく、文字でやった。しかし、風刺画になっていた。 
 
 イスラム教は表現の自由の中で例外とはしないが、知的に風刺するべき、というのが私たちの姿勢だ。 
 
▽失墜したデンマークのイメージを回復を 
 
──読者の反応は? 
 
セイデンファーデン氏:他の多くのデンマーク人同様、非常に混乱していた。デンマークが、これほど大きな国際的な関心ごとの中心にいたことはない。デンマーク人は世界中に旅行をして、歓迎されてきた。デンマークから来た、といえば、少なくとも人々は微笑んでくれた。デンマークのことをあまり知らない人でも、少なくとも肯定的なイメージがあった。 
 
 それが、突如、もはやそうした肯定的なイメージは持てないような状況に遭遇した。非常にトラウマチックな経験だった。これに加え、デンマーク製品の不買運動が起き、デンマークの安全保障にも危機感が出てきた。非常にショッキングな事態だった。 
 
 デンマーク国民党が支持を増やした、とも言われている。短期的には、ここ数年続いてきた、反移民の論理を補強することになったと思う。長期的には影響は複雑だ。例えば、何らかの形でデンマークの外の世界と関わりを持つ人々は、いろいろ違ったことを考えている。デンマークのイメージが低下し、本当に問題だ、と考え、風刺画の掲載が本当に必要なことだったのか、と疑問を抱く人もいるだろう。 
 
──将来は? 
 
セイデンファーデン氏;紙面上で、コペンハーゲンにモスクを建設することを提案している。否定的な議論の流れを変えたいと思ったからだ。表現の自由をどうするか、謝罪するべきかどうか、など、譲れない点に関して人々は議論を続けてきた。私たちは別の議題を提供したい。イスラム世界に対して、デンマークは自由と寛容精神の国であり、イスラム教徒はデンマークに居場所がある、ということを示したい。 
 
──表現の自由の将来に関しての意見を聞かせて欲しい 
 
セイデンファーデン氏;私は表現の自由の将来に関して、心配していない。私が心配しているのは、他にいろいろある。コミュニティー同士の関係がどうなるか、デンマークの国際的プロフィールがどうなるか、デンマーク人が海外に出たときに、危険な目にあう確率が増えるのではないか、イスラム教世界の中で狂信主義が強くなるのではないか、などだ。 
 
 今回の事件で最も悲しいのは、世界中の過激なイスラム教徒、イスラム諸国の政府、穏健なイスラム教徒を団結させたことだ。少なくとも、ムハンマドを侮辱するべきではない、という点では、過激派も穏健派も同意するからだ。 
 
 しかし、例え結果として良くない動きが出たとしても、私は表現の自由を支持する。支持するに足る良い理由があればよかったのに、と思う。 
 
 例えば、インド系の英作家サルマン・ラシュディー氏が、1989年、小説「悪魔の詩」を出版し、当時のイランの最高指導者ホメイニ師は小説がイスラム教を冒とくしたとして著者の処刑を呼びかけた。「私は当時、別の新聞の編集長だった。連帯感を示すために、問題となった「悪魔の詩」から長い抜粋をして、これを掲載した。「悪魔の詩」は非常に複雑な、芸術的な深みがあり、表現の自由を守るという点から連帯するまっとうな理由があった。 
 
 不幸なことに、今回は賛同に足る理由はなく、悪いケースだった。それでも、表現の自由を支持することに変わりはないが。(第一部終わり)

 (明日以降、日本での2009年からの裁判員制度発足に絡み、陪審員制度を持つ英国の法廷侮辱罪と報道のあり方について出してゆきます。)

by polimediauk | 2007-07-25 18:56 | 欧州表現の自由

 デンマークであったイスラム教徒の数人に聞くと、一方でイスラム教が生活の中心になるという人がいるかと思うと、「自分は世俗派イスラム教徒。イスラム教のバックグランドを持つ、というだけで、生活上はまったく関係ない」という人の二派に分かれた。

 デンマーク自体がキリスト教国でありながら、無神論者が多いということなので、お国柄にあっているのかもしれないが、欧州に住むイスラム教徒の中で、最もイスラム教徒らしくないイスラム教徒、いわば最も欧州社会になじんでいるのがデンマークのイスラム教徒のような気がした。

 ほとんどのデンマーク国民にとって、2005-2006年の風刺画事件以前は、イスラム教徒は遠い存在であり、議論にも上らない感じだったのではないか。つまりイスラム教徒の国民の社会への融合度が非常に高いので、という意味で。

 見た目にもその感じは表れる。英国にいると、イスラム教徒の人はそれらしい感じ、つまり男性だったらあごひげがあるし、女性もイスラム教の装束を身に着けていたりする。デンマークはそれが少ないように思った。一見したところ、まったく見分けがつかない。おそらく自然にそうなったのだろう。
 
ベリタ2006年04月12日掲載

「沈黙するムスリムの声を取り上げたい」

 連載の6回目で紹介した穏健派ムスリム作家タビシ・ケアー氏は、イスラム教徒であることを明確にして議論に加わることを提案した。これを一歩進めたのが、シリア出身のイスラム教徒の国会議員ナッサー・カーダー氏が旗振り役となった市民グループ「民主ムスリムネットワーク」だ。民主主義、人権、法のルールを宗教上の価値観よりも優先することを基本精神とする。

 風刺画事件でムスリム・非ムスリム市民の間の対話を進める必要性が強く叫ばれるようになったこともあって、2006年2月の旗揚げから、2ヶ月で1500人以上が会員となった。カーダー氏と共にネットワークを立ち上げた世俗派ムスリムのファティー・エルアベド氏にコペンハーゲンで話を聞いた。
 
―これまでの経歴は? 
 
エルアベド氏 イスラム教のバックグラウンドを持つパレスチナ人。デンマークには17年暮らしており、結婚し、娘が1人。現在、民間企業で、人材コンサルタントとして働いている 
 
―ネットワーク形成までの経緯は? 
 
 過去7-8年、デンマークーパレスチナ友好協会の副会長として活動してきた。政治家ナーサ・カーダー氏もパレスチナ人なので、つながりができ、二人で新ネットワークを立ち上げることにした 
 
―あなた自身は、「穏健派ムスリム」か? 
 
 違う。例えるなら、世俗派ムスリムだ。カーダー議員も含め、様々な国の出身の私たちにとって、宗教は日常生活の上では何の意味もない。他のデンマーク人たちも、キリスト教徒とは言っても、文化としてキリスト教であるだけだ。その意味で、私たちは、イスラム教の文化を共有するだけのムスリムともいえる。

 イスラム諸国に行くと分かるが、全員が非常に信心深いというわけではない。全員が日に5回拝むわけではない。私はアルコールを飲むし、妻はデンマーク人だ。多くの先住デンマーク人同様の暮らしだ。デンマークのイスラム教指導者たちは、イスラム教を文化として共有しているだけのムスリムは存在しない、というだろう。イスラム教徒かイスラム教徒でないかだけであり、それ以外にはないのだ、と。しかし、こういう見方は現実を反映していない。 

 「ユランズ・ポステン」紙による風刺画の掲載に抗議するため、指導者たちは昨年末中東諸国を訪問した。彼らはデンマークのムスリムを代表しているわけではないーこの点を、ネットワークを立ち上げることで、はっきりさせたかった。 
 
―いつ頃から構想を? 
 
 以前から同様の団体を作ろうと思っていたが、年末、立ち上げを決心した。2006年1月中旬ごろには、興味を持つ人は60人ほどだった。2月4日、国会で設立のための最初の集会を開いたとき、集まったのは250人になっていた。

 それからは毎日のようにメディアで紹介されて、現在会員は1500人ほどで、賛同会員が5000人ほどだ。デンマーク人の投資家や銀行などが資金援助もしてくれた。 
 
―どんな人が会員、あるいは支持者なのか? 
 
 さまざまな国の出身者がいる。イラク、レバノン、トルコ、パキスタンなど。女性、先住デンマーク人もいる。 
 
―具体的には、どんな活動を? 
 
 まだ詳細を決めていないが、社会の相互理解を促進するためのワークショップも一案だ。 
 
―2月13日、首相との会談があったそうだが? 
 
 首相の政策に同意しているわけではないが、社会融合と相互理解のために共に行動を起こそう、という話をした。先住デンマーク人たちと、ムスリム市民との間の懸け橋になりたい。やることはたくさんある。 
 
―「世俗派ムスリム」としては、風刺画を見て、どう思ったか? 
 
 確かに世俗派ムスリムではあるが、反感を持った。特に、頭に爆弾がついているのがいやだった。ムハンマドが描かれていたこと自体がダメだと思ったわけではない。 
 
―政治的挑発だったと思うか? 
 
 そう思った。私に対してではないが、宗教熱心な人たちに対しての挑発行為だと思った。2001年9月11日の米国大規模テロ以降、多くの人がテロとイスラム教を結び付けるようになった。ムハンマドとテロとを結びつけるような風刺画は、この点から、特にダメだと思う。侮辱されたように感じたのは確かだ。今回の風刺画は、信仰に対する敬意の欠如から起きたのだと思う。 
 
―ネットワークの名称には「ムスリム」とある。「デンマーク民主ネットワーク」なら賛同するが、「ムスリム」とついているので、入るのに躊躇する、というムスリムの声を聞いた。あえて「ムスリム」という枠で、自分のアイデンティティーをくくりたくない、という理由だ。また、イスラム教指導者たちのグループと反対位置にあることになると、デンマークのムスリム人口を二つの極端なグループに分断してしまう、という懸念もあるが。 
 
 20万人のイスラム教徒がいれば、20万人の異なる意見があるだろう。

 国内のムスリム人口を二分するつもりはない。むしろ、これまでは議論の場に出てこなかった、沈黙していたムスリムたちの声を集約したい。私自身、イスラム教や社会融合に関しての議論に、これまで全く参加してこなかった。「声なき過半数」の一部だった。ずっと眠り続けているようなものだった。自分が参加しなくてもいいだろう、と思っていたからだ。 

 しかし、もはやそうではなくなった。毎年、状況は悪化するばかりだ。今このようなネットワークを立ち上げなければ、今後、イスラム教徒に対する憎悪感がどんどん強くなるだろう、と思った。デンマーク人たちが見てきたのは、過激なイスラム教徒だけだった。自分がここにいること、世俗的なムスリムとして生きていることを示すこと、声をあげるときが来た、と思った。自分たちの物語を外に向けて語ることは、これまでなかったが、今がそのときだと思った。何かをすることが重要だった。強くなるばかりの憎悪をとめるために。 
 
―詳細は決まっていないというが、大まかな方向性として、どんなことを考えているのか? 
 
 デンマークの社会融合政策に関わりたい。首相と会談の機会も持てたし、融合のためにアイデアを出したいと思っている。4月中に、何らかの具体的な活動策のアイデアをまとめる予定だ。 (続く。次回は第1部の終わり:ポリティケン紙の編集長インタビュー)

by polimediauk | 2007-07-24 20:57 | 欧州表現の自由

 欧州に住むイスラム教徒を話題にするとき、政治目的を果たそうとするイスラム教徒、あるいはいわゆる過激派とされるイスラム教徒の声ばかりが聞こえてくるような気がする。メディアを見る限りは、だが。

 そこで、今度は「穏健派」・あるい「普通の」イスラム教徒は何を考えているのか?という疑問が出る。

 声高に何かを主張するのではなく、目立つでもなくひっこむわけでもなく生きている人の声は、なかなか外には出にくい。

 この点について、思いを語ってくれた人がいた。

 デンマークの首都コペンハーゲンから快速電車で3時間ほどかかる、オーフスというところで話を聞いた。(ベリタ2006年4月8日掲載)



「穏健派の声は封じ込められた」

  デンマーク紙が掲載したイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画がきっかけとなって、イスラム教徒による抗議デモやデンマーク国旗への放火、大使館への襲撃、デンマーク製品の不買運動などが世界中に広がったのは、2006年2月だった。

 死者も出るほどだったが、4月にはいると、事態はひとまず終息を迎えた。デンマーク国内に住む20万人と言われるイスラム教徒の国民は、一連の事件を通して、欧州に住むイスラム教徒としてのアイデンティティーに思いを巡られたようだ。

 デンマーク西部にあるオーフス大学で英文学を教え、小説「バスが停まった」(仮訳。原題はThe Bus Stopped)の作家でもある、自称「穏健派ムスリム」のタビシ・ケアー氏は、自分たちの声を代弁する人が、デンマーク国内で誰もいないことに強い不満感を感じた、という。「穏健派の声は封じ込められた」と題するコラムを英ガーディアン紙やデンマークの新聞に寄稿したケアー氏に、思いを語ってもらった。 
 
▽異文化を子ども扱いするデンマーク 
 
――風刺画を見てどう思ったか? 
 
タビシ・ケアー氏:残酷だな、と思った。風刺画を掲載したユランズ・ポステン紙は、何故もっと優れた風刺画家を使わないのだろう、と思った。例えば、ターバンを巻いたムハンマドと思われる人物の風刺画で、ターバンの先に爆弾がついていた。最も冒涜的と言われている風刺画だが、このターバンはインド式のターバンであって、アラブ式のターバンではない。理解が不十分なままに風刺画を出した点で、デンマークが異文化を持つ相手を小さな子供として扱う、いつものやり方が出ていると思った。 
 
――どういう意味か? 
 
ケアー氏:つまり、デンマーク側が「何でも知っている」、ということで、自分とは違うグループに属する相手の意見を全く聞かずに、自分たちだけで議論のトーンを設定していく、という意味だ。相手を、自分で考え、決定できる存在とは見ない、ということだ。 
 
 別の例としては、昨年末、風刺画に関して、主にアラブ諸国の大使らが首相との会談を要求したとき、首相はこれを拒否した。デンマーク以外の国では、首脳は大使らと会談の機会を持ち、その後で、「国内法の制約から、独立メディアに圧力をかけることはできない」、として遺憾の念を表明し、ひとまず事態を収拾しただろう。しかし、相手側にも何らかの考えがあって会談を求めた、とは考えないデンマーク政府側は会談を拒否してしまった。実質的に、デンマーク国内、アラブ諸国、及び世界の様々な国の穏健派ムスリムたちの声に耳を傾ける機会が失われた。 
 
 風刺画に抗議するために中東諸国を訪れた一部のイスラム教指導者たちの行為に、大部分のデンマークに住むムスリムたちは共感を持てなかった。国旗を焼くなどの暴力行為にも同意はできず、誰も私たちの声を代弁することができないままだった。穏健派ムスリムたちの声は封じ込められた、と思った。 
 
――風刺画事件が国内で議論を起こす良いきっかけになった、と見る人もいるが。 
 
ケアー氏:知識人のレベルでは、様々な議論がでてきているが、一般の感覚では、まだまだ感情的な意見が強い。落ち着くまでには時間がかかると思う。私の知人の中では、不必要な挑発行為だったと見る人もいる。 
 
――何が背景にあるのか? 
 
ケアー氏:国内の政治状況を見ると、反移民感情が強い。ターゲットになっているのは、イスラム教徒だ。一般的に、移民に対して、「もしここに住みたのなら、文句を言うな」という圧力がある。もちろんホスト国のルールを守るのは基本的なことだ。しかし、だからといって、自分の意見を変える必要はないはずなのだが。法律を遵守する範囲で、それぞれ異なる意見を持つ権利があると思うのだが。 
 
 表現の自由とは一体何なのか?まず個人とは何か、を考えてみると、個人は1人だけで存在しているのではなく、社会の中で生きている。社会の中の個人は、他の個人との関係性の中で生きている。何でも制限なく表現していいとはならないだろう。 
 
▽穏健派、非穏健派双方との対話を 
 
――欧州に住むイスラム教徒の国民とホスト国の欧州の間で、「文明の衝突」が起きている、という見方もあるが? 
 
ケアー氏:そういう言葉を使うことで、対立状況が作られているように思う。自分の敵を作ることで、自分の立場を政治的に確固としたものにしたい、という人々が、互いにそうしているのではないか。 
 
――「穏健派ムスリム」として、できることは? 
 
ケアー氏:ホスト国側と、穏健派ではない同胞のイスラム教徒側との両方との対話の機会を持つことだ。片方だけに話すと、もう片方から敵だと思われる可能性もある。両方と話すことで、両方から敵だと思われる可能性もあるだろうが。お互いに敬意を持って相手に接し、過激行動に走らずに物事を解決するためには、両方の側と対話のチャンネルを持つことが大切だ。 
 
――イスラム教は西欧型民主主義とは合致しない、という見方をどう思うか? 
 
ケアー氏:まず、私はイスラム教の教義の専門家ではなく、普通のイスラム教徒としての意見だということを了解していただきたい。 
 
 民主主義と合致する、しない、という点は、イスラム教の教義のどの部分に焦点をあてるか、によると思う。どの宗教も、聖なる存在をトップに置くとしたら、民主主義とは合致しない部分が出てくる。キリスト教にしろ、ユダヤ教にしろ、神が物事を決定してゆくとすれば、民主主義とは相容れない。 
 
 イスラム教は、一概に民主主義的か反民主主義的かで割り切れないと思う。他の全ての宗教がそうであるように、非常に複雑だ。 
 
――イスラム教は、女性を男性より一段低く扱っている、とする批判があるが? 
 
ケアー氏:この点は、確かに問題だ。しかし、熱心なイスラム教徒でフェミニストの人もいる。また一方では、女性たちはある種の特別な衣類を身にまとうべきだ、と信じているイスラム教徒もいる。 
 
 穏健派のムスリムたちが、女性の地位などを、人権の立場からどうやって変えていくのかを、他のムスリムたちと議論していくべきだ。人類の半分を占める女性たちに同等の権利を認めない、ということがあってはならない。 
 
――イスラム教が生活の中心にあって、イスラム教の法律を厳格に実行した社会を望む人々は、キリスト教がベースになっている西欧ではなく、イスラム教の国家で暮らしたほうがいいのでは、という意見があるが。 
 
ケアー氏:私も全くそう思う。もし非イスラム教国で暮らすことでその人が不幸せになるのなら、イスラム教国で暮らしたほうがいい。 
 
――ご自身は、イスラム教徒であって、デンマークで暮らすということに、不都合を感じているか? 
 
ケアー氏:全く感じていない。多くのデンマークに住むイスラム教徒たちも同様だと思う。デンマークの政治などに不満を持っているが、ここに住むことを望んでいる。時々、もしデンマークの政策に同意しないなら、自分の国に帰れ、という人がいるが、間違っていると思う。デンマークで起きていることに関して、同意しないことがあったら、議論をすればいい。 
 
 非常に宗教熱心な人は不満感が強いかもしれない。しかし、穏健派ムスリムたちがこうした人々に話しかけることで、不満感をポジティブな感情に変えるようにすることが重要だ。 
 
 今回、穏健派ムスリムは、一部のイスラム教徒の暴力行為に対して、「自分はイスラム教徒ではない」といってしまいたいような状況にあった。また、これまで、「イスラム教原理主義は自分とは関係ない。自分は宗教的熱心というわけではない」、「わざわざ自分がムスリムである、と表明もしたくない」という態度をとってきた。しかし、これでは、問題は解決しない。ムスリムであることを明確にして、議論に加わっていかなければならないと思う。(つづく) (第1部の6回目)

by polimediauk | 2007-07-23 18:52 | 欧州表現の自由

 ブレア政権の「メディア操作」の最後を出そうとしていたら、BBCの番組捏造(新たな分)が昨日発覚し、ひどいことになっている。

 BBCは既に、子供向け番組「ブルー・ピーター」で捏造があって、7月9日、通信業規制団体オフコムから罰金を課せられており、12日にはエリザベス女王に関わる番組の編集ミスで女王に謝罪したばかりだった。

 そして18日、受信料支払い者の代表としてBBCの番組の質の水準を監視する「BBCトラスト」が会議を開き、「新たな捏造」が公表された。

 発覚したのは人気募金番組「コミック・リリーフ」をはじめとする、子供向け番組を含めた6番組で、いずれの場合も番組は視聴者に電話をかけて募金活動やコンテストに参加することを呼びかけたが、番組は既に録画済(!!!)であったり、架空の人物や製作側の一員を視聴者から選ばれた人物と紹介していた! 1つのパターンとなっていたのだろう。恐ろしいことである。何人も(何十人も)の人物が関わっていたことになるだろう。

 悔しいのは、ここまでになっていたら、通常の会社だったら、誰かが責任を取って辞めるか、上場されていたら、株価が大きく下がるなど、何とかこちらの不満感をあらわす手立てがある。ところが、BBCの受信料支払い者(=自分を含めた、英国に住む人)はこれがすぐにできない。免許の一定期間の取り消しとか、できないものか。受信料の減額とか。BBCの「自助努力」にすがるのみ。悔しいことしきりである。

 別項で詳細したいが、とりあえず、ブレアの(下)である。

――――

ブレア政権のメディア操作(下)

―イラク戦争とメディア

c0016826_1948279.jpg イラク戦争は国民の大きな反対があったにも関わらず開戦となったという点と、諜報情報の誇張があった点から、ブレア政権に対する国民の失望感、不信感の高まりにつながった。

 9・11米同時多発テロ以降、「テロとの戦い」で米国と緊密な共闘体制をとってきた英政府は、最初の「戦い」としてのアフガニスタン侵攻の後、次の照準となったイラクへの侵攻を国民に納得させる必要にかられた。

 イラク侵攻に対する国内の慎重論、根強い反対論を説き伏せる意味もあって、政府はイラクに関する諜報情報をまとめた報告書を2度作成した。その一つ、02年9月の報告書には、イラクは「大量破壊兵器の一部を命令から45分以内に実働状態に出来る」とする部分が数箇所あった。ブレア氏がこれを議会で発表し、翌日の新聞は、大衆紙を中心に「45分で英国が攻撃される」とする見出しが躍り、国民の恐怖心を煽った。後の調査で、キャンベル氏、ブレア氏が「45分」という見出しが大衆紙に出るように力を注いでいたことが明らかになっている。

 03年3月、イラク侵攻は議会で承認され、まもなくして開戦となった。同年5月末、BBCラジオのアンドリュー・ギリガン記者が政府報告書の「45分で実働状態にできるとした箇所は間違い」だったが、報告書を書いた統合情報委員会への官邸からの命令で挿入された、と報道。続けて、「メール・オン・サンデー」紙上で、圧力をかけたのは官邸のキャンベル氏だったと名指しした。キャンベル氏はこれに激怒し、BBCに対し謝罪と情報源の開示を要求。BBCは匿名の取材源の情報開示を拒否し続けたものの、7月、情報源だったデビッド・ケリー国防省顧問は、国防省広報が名前をメディアに「自主リーク」した後、自殺した。

 自殺の経緯を巡る状況を調査したハットン独立調査委員会は04年報告書を出し、「問題となった箇所が間違いと知りつつ報告書に挿入した事実はなかった」としてせいふによる情報操作を否定し、BBCのジャーナリズムに不十分な部分があったと指摘した。委員会は、ブレア氏も含め70数人の証人から事情を聞いた。テレビ中継や写真撮影は許されなかったが、関連書類や証言内容の書き取りもすべてウエブサイトで公表した。

 委員会の報告書は、表現を強めるようにという官邸(事実上キャンベル氏)の要求に、政府文書(当時)が「潜在的に影響を受けた」可能性も指摘していたが、ハットン委員長が政府を厳しく非難をすると思っていたメディアは委員会の結論を驚きをもって受け止めた。インディペンデント紙は「ごまかし」という一言を一面に載せて批判。BBCは当時の経営委員長と会長が引責辞任した。

 同年夏、今度は開戦までの諜報情報の正確さをバトラー調査委員会が調査。スカーレット統合情報委員長に対し、官邸側からイラクの脅威を誇張するよう圧力があった、報告書内の諜報情報の信憑性には大いに疑いがある、と結論づけた。ブレア氏が「ソファー政治」と呼ばれるように、官邸のソファーに少人数の側近を集め物事を決める政治運営のあり方も厳しく批判した。

―メディア戦略批判への対応

 スピンに対する国民の批判が高まり、01年の総選挙では投票率が大幅下落。政治不信の度合いが強まっていることを察知したブレア政権は、当時ガーディアン・メディア・グループの最高経営責任者だったボブ・フィリス氏に政府の情報管理に関する報告書をまとめさせた。

 04年1月発表の報告書は、政府、メディア、国民の間の信頼感が崩壊していると指摘。政府の国民に対する意思疎通手段としてメディアに過度に依存するべきではない、官邸コミュニケーション戦略局長としてのキャンベル氏(スピンに対する批判の高まりを受けて、03年8月末、官邸職を辞任。しかしブレア氏の顧問役は非公式に継続)が公務員に指令を出す役割を担うべきでなかった、と批判した。

 一方、同年6月にはジャーナリスト、ジョン・ロイド氏が「メディアが政治に何をしているのか」と題する本を出版。メディアが政治に対する偏向した、否定的な見方を変えないため、英国で健全な政治議論が起きないとして、メディアを批判した。国民の政治不信の原因が政治家側でなくメディア側にあると結論づけた点に特徴がある。

―最後の審判

 6月中旬、ブレア首相(当時)は過去10年間のメディアと政治の関係を総括する講演をロンドン市内で行なった。24時間ニュース体制の中でメディアは常時競争にさらされ、正確さよりも衝撃度の高いニュースを求める傾向を指摘。「他社に遅れをとってはいけない」という思いから、「凶暴な野獣」の一段となって取材対象に襲いかかっている、と述べた。

 こうしたメディア環境は配慮が行き届いた政治議論の発生を妨げていると説明し、政治家とメディアの関係は修復が必要なほど悪化していると語った。ブレア氏は、自分自身も政治メディアの現況を作り出した「共犯者」と認めたが、ニュー・レーバーの初期、メディアの機嫌取りや説得に力を入れたのは「野党時代に敵意あるメディア報道があった」ためで、「他に選択肢がなかった」と弁解した。

 翌日のメディアは一斉に反論。ブレア氏が指摘した政治報道の問題点の主要な部分に関しては「一理ある」という評価が大部分だったものの、「スピン、縁故主義、ソファー政府、イラク戦争を巡る決定的に間違った判断の責任はブレア氏にある」(フィナンシャル・タイムズ紙)と指摘して、ブレア氏自身が加害者とする見方が支配的だった。

 インディペンド紙の政治記者アンドリュー・グライス氏は「ブレア氏は最初に報道機関を征服した。その後、報道機関は反旗を翻した」と題する記事の中で、「野党時代に非常にうまく働いた(メディア)戦略は、ブレア政権にとって消えない汚点と墓碑銘になった」と締めくくっている。

 野党時代から、いかに自分たちのメッセージを好意的に受け止めてもらえるかに心を砕き、高度に組織化されたメディア戦略を実行してきたブレア氏だったが、皮肉にも、政権の終わりには「これはスピンではない」という言葉さえ、一種のスピンと受け止められるようになっていた。

 ブレア氏が政権についた1997年、支持率は一時90%を超えた。世論調査Ipsos-Moriの今年6月の調査によると、29%がブレア氏を首相として信頼すると答え、68%が政府は自分の都合の良いように統計の数字を変えているとしている。

 ブラウン新首相は「政治への信頼感を取り戻したい」と繰り返して述べている。ブレア氏が軽視してきた議会や官僚の役割りを取り戻したい、とも語っている。果たして、ブレア政権とは大きく一線を画した、新たな政治とメディアの関係を構築できるのか、注視に値するだろう。(終わり)

(関連インタビューをおりを見て、出していきます。)

【主な参考資料】
・Westminster Tales (The Twenty-first century Crisis in British Political Journalism) by Steven Barnett and Ivor Gaber (Continuum)
・ “The News Media and the Public Relations State” by Dominic Wring in “Developments in British Politics” (Palgrave Macmillan)
・“Political Communication and the Mass Media” in “British Politics”by Robert Leach, Bill Coxall and Lynton Robins (Palgrave Macmillan)
・“The Unfinished Revolution” by Philip Gould (Abacus)
・“The Labour Party” by Steven Fielding (Palgrave Macmillan)
・“What the Media Are Doing to Our Politics” by John Lloyd (Constable and Robinson)
・“Obscure Scribblers: A History of Parliamentary Journalism” by Andrew Sparrow (Politico’s)
・ブレア首相(当時)講演テキストhttp://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/6744581.stm
・ランス・プライス氏のブレア政権のメディア評(ガーディアン紙上「メディア・トーク」)http://blogs.guardian.co.uk/organgrinder/2007/05/media_talk_for_friday_may_11.html
「ケリー博士の死をめぐるBBCと英政府の確執:イラク文書疑惑の顛末」(蓑葉信弘著、東進堂)

by polimediauk | 2007-07-19 19:48 | 政治とメディア

 多様性を自負する英メディアが何故政治のプロパガンダを拒絶できなかったのか?

 背景にあったのはメディア環境の激変と言われている。

 英国では、90年代以降、政治報道のアウトレットが大きく拡大していた。各紙は政治報道の頁を増やし、24時間ニュースのテレビ局もスカイ、BBC、ITN(90年代半ば時点)があった。報道局は視聴率争いに明け暮れ、オンラインニュースも人気となり、インパクトの強いトピックが常時必要とされた。

 マンデルソン氏やキャンベル氏は「スピン・ドクター」と呼ばれるようになった。「スピン」とは、ニュースの文脈ではある出来事に自分たちにとって最善と思われる色をつけることで、スピン・ドクターとは、「政党の(後に政府の)広報担当者」を指す。

 フィナンシャル・タイムズ紙6月12日付けによると、この10年間で政府の広報担当者はそれ以前の10倍の3000人以上に増えている。

 スピン・ドクターの仕事は通常、表には出ない。スピン・ドクター側が選択するトピックは、国民が気づかない間に政府側に都合の良い文脈で紹介されるのが最善だからだ。

 しかし、01年9月11日、米国で同時多発テロが発生し、「(これほど大きなニュースが出たので)悪いニュースを消すには丁度いい」と、スピン・ドクターの一人、ジョー・モア氏が電子メールに書いた。これが大きく報道され、既に国民の中にあった政府のメディア・スピンに対する反感は一層強まった。

 政府のメディア戦略を便利だと思う記者がいる一方で、お気に入りの仲間に入れなかった記者の間では不満が高まった。

 政府は政策の出し方・見せ方にばかり力を入れ、実質的な中身や政策実行の面では努力が足りないのではないか、とする批判も出た。これに対し、キャンベル氏らは「見せ方に力を入れるのはメディアの方ではないか」と批判。メディアとスピン・ドクターたちの関係は、時が経つに連れて敵対的になっていった。

 先のグールド氏は、ある目的のために政党にとって最も最善な方法で政策などを提示することは「批判の対象であるべきでなく、むしろ誇りだ」。

 しかし、こうした見方は少数派だ。多くの英国民にとって政治への不信感を表す際に、真っ先に出るのがこの言葉だ。ブレア政権といえばスピン、という表現がすっかり定着した。

 自分自身もこのメディアチームの一員だった、先のプライス氏によると、政権取得から二、三年経ち、「労働党内でもこうした『メディア操作』はやり過ぎなのではないか、という声があがったという。「何とかしなければとは思っていたが、伝えたいメッセージがあり、これが思うようにメディアに出るという状態が非常に効果的だったので、続けていた」と語っている。

 一方、首相就任当初から「オープンな政府を目指す」としたブレア氏は、政治に関わる情報の公開という点ではいくつか初の試みも行っている。

 ロビー記者と呼ばれる議会詰めの記者に対し、歴代の官邸広報官は定期的にブリーフィングを行ってきたが、ブリーフィングがあること自体が非公表という旧式な世界だった。

 ブレア政権下では「官邸広報官によると」と書くことが許され、02年からは官邸内で行っていた朝のブリーフィングの場所を外国プレス協会に移動。出席はロビー記者だけでなく、記者証を持つ者であれば国籍を問わずにオープンとなった。

 互いに馴染みのある政治記者と官邸広報官との間の時には緊張感をはらんだ議論の習慣は、これで終わったとするロビー記者は少なくなく、「キャンベル氏の一部政治記者へのいじめ」(通信社PA記者談)とする声も出た。

 また、毎月、ブレア氏は官邸で1時間強の会見を実施。年に2回、英議会の特別委員会で、内政面や外交面での政策実施の過程に関し議員から質問を受ける機会も設けた。

 どちらの場合もブレア氏の受け答えはテレビ放映された。05年からは情報公開法が施行され、公的機関が持つ情報を市民やメディアが公開請求をしやすい仕組みを作った。

 こうしたオープン策にも関わらず、政治に関する情報が正しく国民に行き渡ったかと聞かれて、これを認める国民は少数派だ。イラク戦争開戦を巡る情報操作の暴露がこうした認識を作り上げていた。(下につづく)
by polimediauk | 2007-07-18 05:07 | 政治とメディア