小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 ロンドン、グラスゴーとテロ未遂事件が続けて起きたため、イスラム系テロ対策をどうするかに話題が集まっている。イスラム社会では、お決まりのようにムスリム・カウンシル・オブ・ブリテン(英ムスリム評議会)の代表が「テロは許されない行為だ!」と声明を出すはめに陥り、テレビやラジオの討論番組には若きイスラム教徒たちが呼ばれて質問を受けたり、お互いに批判しあったり、「あの容疑者はとってもいい青年だったけど、アルカイダのビデオを見ていた」と証言する元友人たちが出る・・・という流れになっている。

 そして、イスラム教徒を「穏健派」と「過激派」に分ける。「穏健派はいいけど、過激派は困る、90%以上が穏健派だけどね・・・」と政治家たちが話す。と同時に、イスラム教徒たちは「僕たちは一人一人違うし、穏健派と過激派に分けるのもナンセンスだ」という。両方の議論がかみ合っていない。

 欧州に住む全員にとって、イスラム教徒の件は、いかに隣人と生きるか、つきあうかの問題のような気がする。西欧側からすると価値観が違うかのように見える(本当はそれほど違わないし、衝突も本当は少ないと私は思っているけれども)隣人といかに生きるか。イスラム文化に関してはたくさん無知と偏見がある。リベラルと自認する西欧人と話してみれば、100人が100人、イスラム文化に偏見があるように思える。(逆に、西欧文化の価値観で生まれ育った私・私たちには欧米文化を必要以上に良いものと見なす考え方があるのだろうが。)

 問題は、幻想だったかもしれないが、西欧人には自分たちはリベラル、民主主義、異なる価値観に寛容のようなイメージがあって、ところがイスラム文化に関しては、受け入れることができないのが本音だが、その本音を言えないか、あるいは自分が偏見を持っていることを容易には認めない。「偏見を持つことは恥ずかしいこと」だからだ。

 いかにして、イスラム教徒の隣人と衝突なしにやっていくか、互いの価値観を認めて生きていくか、時には自分のこれまでの価値観や文化を相手に合わせるために変えていけるかー欧州は今こうしたプロセスの渦中にあると思う。非常に大きな流れだと思う。

 欧州を笑ってばかりもいられない。日本人である私が日本にいたら、少数民族の価値観のために、(国内の大多数を占める)日本人の文化・価値観を変えることに同意できるか?(ひょっとしたら、日本人の方が自分自身を変えやすいのかもしれないが。)

 いずれにしろ、イスラム文化との付き合い方(に苦しむというの)は非常に欧州的な問題ではないかと思う。先日、米国に住む学者がロンドンに来て、オランダのイスラム移民に関する講演を行った。先住オランダ人とイスラム教徒の国民の間で価値観と衝突が起きていて、これが問題になっている、ということを9年近くかけて調査した本を出した人だ。オランダに住む学者との共同研究だ。

 講演の後、この学者のところに行き、イスラム文化との価値観の衝突が起きているのはオランダばかりでなく、欧州のほかの国でもそうだ、というような話になった。どうしたらいいのか、処方箋を聞きたい、と言った。隣にいた、英国に住むイスラム教徒の若い青年も、「アドバイスが欲しい」という目で学者の言葉に耳を傾ける。学者は、大きいため息をつき、「一言だけ言いたい。私が住むカリフォルニアで、よく使う言葉だ。チル・アウト(まあ、落ち着けよ)」。

 私は、頭が空っぽになるのを感じた。チル・アウトできないから苦しんでいる。自分自身が譲れないと思う「何か」を持っているからこそ、苦しむ。「考えるのをやめろよ」と言われた思いがした。

 いずれにせよ、何かが欧州で起きている。欧州専門の学者だったら、もっと的確に何が起きているのかを言えるのかもしれないが、私は残念ながらそうではない。そこで、衝突があった現地に行って、人に会って、話を聞いてみようと思った。生の言葉を聞きたかった。

 そういうことを2005年ごろからやりだした。もっと早く出たかったけれども、なかなか資金繰りがうまくいかなかった。

 このテーマの「ルポ」ものを主にベリタに書いてきたが、今回、ある程度ブログに出してもよいという許可が出たので、次回から順次出していきたい。(一部は既に「オランダの表現の自由」の項目に出ているが。)

 拾った生の声を届けたい。


 追記:「チル・アウト」の言葉が頭から離れなかったが、講演の質疑応答の中で、ムスリムのジャーナリストがいて、「あなたの本は処方箋を書いていない。こんな本を書けば、イスラムフォビアが増えるばかりだ」と言った。当の学者はしばし沈黙し、「ほらね、こんなコメントが議論を止めさせるのです。私の人生のモットーを聞きたいなら、一言だけだ。アイロニーだ。人生はアイロニーだ」と言ったのである。私は今、この言葉をかみ締めている。彼が言いたかったのは、オランダは70年代、モロッコやトルコから労働力を入れた。数年して母国に帰ってもらうつもりだったが、オランダの人権団体などが外国人労働者の権利を守るために働き、結局は長期滞在となった。家族を呼ぶようにもなった。モスクが必要だ、学校が必要だ、と言えば、税金を使って支援してきた。その結果が、こうだ(関係が悪化)、ということを言いたかったのだろうと想像した。善意をつくして相手のためにやったつもりが、感謝もされない状況になってしまったのだ。まさにアイロニー。皮肉だ。深いな、と思った。
by polimediauk | 2007-07-05 07:22 | 欧州表現の自由

   ロンドンやスコットランドのグラスゴーでテロ未遂事件があり、8人が逮捕され、そのほとんどが国民健康保健サービス(NHS)で働いていた人だったということで、驚きが広がっている。その一人はヨルダンから来た若い医師で、ヨルダンにいる父親が、「信じられない」と息子の写真を手に語っている様子がテレビや新聞で報道された。

 動機など詳細はまだ分かっていないのだが、いろいろな説が飛び交っている。英国に来てから何らかの過激主義に染まったという説や、アルカイダの軍事訓練キャンプで訓練を受けたという説、英作家で、最近英女王からナイトの爵位を授与したサルマン・ラシュディ氏がイスラム諸国で大きな反発を引き起こしたことから、称号授与に触発されたのではないか、という説さえある。

 英国・欧州は例えばイラクなどに比べると平和で、多くの国民が「何故テロ行為に走らざるを得ないのか?」を理解するのに一苦労しているように見える。それほどの切羽詰った怒りはどこから来るのか?と。前にデンマークでイスラム教徒の若い男性に話しを聞いていたところ、彼の観察によれば、国内のイスラム教徒にもいろいろいて、国が内戦状態だったところから来た人は、暴力も1つの抗議手段として考える可能性があるが、自分たちはデンマークで生まれ育ち、どれほど国の政策に怒りがあっても、テロなどの行為に走るのは想定外だ、と言っていた。いずれにしろ、分からないことが多い。

 ここ3週間ほど、作家ラシュディ氏への爵位授与問題が何かと話題になっていたのは事実だ。私自身、ラシュディ氏の本を読んでいないので、一体どれほどイスラム教徒を怒らせる本を書いたのか、心情的に真に理解することができないのだが、背景資料として、今出ている「英国ニュースダイジェスト」紙にまとめてみたのが以下である。ラジオやテレビ番組を見ていると、彼の小説を読んだことがあるかと聞かれて、答える人は結構少ない。「難解」、「つまらない」という人もいる。ラシュディ氏はニューヨークとロンドンを行ったり来たりの生活で、今でも英国民の税金で警護がつく。この点がいやだ、という人もいる。日本では、氏の「悪魔の詩」を翻訳した方が殺害されたということでも有名かもしれない。

 昨年7月、ラジオ・ネザーランズで、最新作のことを語っているインタビューがあったので、その一部も入れた。

―イスラム諸国で怒りが沸騰「悪魔の詩」の著者への爵位授与問題


 小説「悪魔の詩」の著者で英作家のサルマン・ラシュディ氏が英女王からナイトの爵位を授与されたことで、イスラム諸国に怒りと反発が広がっている。小説はイスラム教の預言者ムハンマドの生涯を題材にし、ラシュディ氏は1989年、当時のイランの最高指導者から死刑宣告を受けた。今回の爵位授与をイスラム諸国はイスラム教徒に対する「挑発行為」とし、英政府に授与撤回を求めている。事件の広がりを追ってみた。

―サルマン・ラシュディ氏とは?

 1947年、インドの首都ムンバイ(当時はボンベイ)で、裕福なイスラム教徒の家庭に生まれる。父はビジネスマン、母は教師。著名な英寄宿制私立校ラグビーで教育を受け、ケンブリッジ大学では歴史を専攻した。ロンドンの広告会社に勤めた後、作家に。処女小説「グリムス」(1975年)はそれほど評判にならなかったが、「真夜中の子供たち」(1980年)で名声を得る。この小説で1981年にブッカー賞、1993年には同賞25周年の最優秀賞を受賞。殆どの小説がインドやパキスタンが舞台。「悪魔の詩」(1988年)はイスラム教の預言者ムハンマドの生涯をつづったもの。この小説でイランの当時の指導者から死刑宣告のファトワを受け、一時潜伏生活を続ける。徹底した世俗主義者で、イスラム教徒の女性がかぶる顔を覆うベールは「女性を限定する」と批判。最新作は「シャリマー・ザ・クラウン」(2005年)。2007年、文学への貢献を評価され、英女王からナイトの称号を授与される。

―「テロ行為も正当化される」

 インド生まれの英作家サルマン・ラシュディ氏が、6月15日、英政府からナイトの爵位を授与された。ラシュディ氏は、イスラム教の預言者ムハンマドの生涯を題材にした小説「悪魔の詩」(1988年)で良く知られている。イランの当時の最高指導者ホメイニ師は、この小説がイスラム教を侮辱したとして、ファトワ(死刑宣告)を出し、ラシュディ氏は潜伏生活を余儀なくされた。

 当時、英国内でも波紋が広がり、イスラム教徒市民の一部が英国の旗を焼くなどの抗議運動を行なった。1998年ファトワは事実上解除されたが、現在でも英政府がラシュディ氏の身辺保護を継続中だ。

 今回の叙勲はラシュディ氏の文学界への貢献が評価されたものだが、イスラム諸国の間で、「イスラム教を冒涜した小説を書いた作家に爵位を授与するのはイスラム教徒への侮辱」として、大きな反発を買った。デモはパキスタン、イラン、マレーシア、インドネシア、アフガニスタンなどで発生し、エリザベス女王の人形や英国の旗を焼く行為もあった。

 パキスタンのハク宗教問題担当相は、「預言者ムハンマドの名誉を守るために自爆テロを起こしたとしても、正当化されると思う」とさえ述べた。また、パキスタン議会は英政府に叙勲の撤回を求め、経済団体はラシュディ氏を殺害すれば巨額の懸賞金を提供すると発表した。

―「ラシュディ氏への支持は不変」

 イスラム諸国からは集中砲火のラシュディ氏だが、支持者も多い。文学団体PEN英国支部のジョナサン・ヒーウッド氏は、ラシュディ氏が死刑宣告を受けた80年代、氏の文学を支持したPENの姿勢は変わらない、と述べる(BBC)。「ラシュディ氏は世界文学の巨人だ」。

 英政府も、「英国は言論の自由を擁護する」、叙勲は「英社会の中のイスラム教徒を讃える意味もある」として、パキスタン政府の叙勲撤回を拒否した。

 しかし、氏の文学は「難解」、「つまらない」、「英国を批判してきた作家に何故英女王が称号を与える必要があるのか」、とラシュディ氏への叙勲を疑問視する声も英社会にある。国内のイスラム教徒の間でも「世界のイスラム教徒を不要に刺激した」、「テロの危険性を増やした」、「過激な他国のイスラム教徒の抗議デモと英国に住む自分たちが同一視されやすい。不快だ」と指摘する人もいる。

 イラン政府から死刑宣告を受けたラシュディ氏と「悪魔の詩」事件は、近年、欧州で頻発する、言論の自由とイスラム教の価値観の衝突の先駆けだった。

 2004年にはイスラム教徒女性の悲惨な境遇を描いた短編映画「服従」の映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏がアムステルダム市内で、イスラム教過激主義に傾倒していた移民二世の青年に銃殺された。「イスラム教の名の下に殺害した」とした青年は終身刑になった。

 同年、フランスの公立学校で、イスラム女性のスカーフをはじめとする宗教色の強い服装の着用が禁止する法律が施行。学校での宗教色排除の是非に関し大きな議論が起きた。フランス国内外のイスラム教徒を中心に抗議デモも起きた。

 2005年、デンマークの新聞がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画12枚を「表現の自由に挑戦する」目的で掲載した。国内のイスラム教導師が中東諸国を年末歴訪したことで、翌年、世界的事件になった。抗議運動で数十人が死亡している。

 昨年9月には、ローマ法王ベネディクト16世が、ドイツの大学での講演で「ムハンマドがもたらしたものは邪悪と非人間性」と発言。世界中のイスラム教徒の強い反感を買った。「不快に思われたことを非常に申し訳なく思う」と、法王は後、謝罪した。

 世界中のイスラム諸国で抗議デモが発生する様子はテレビでも頻繁に放映され、人々の記憶に残っている。ラシュディ氏が女王から直接称号を授与されるのは今年年末。抗議問題が再燃するのは必須となっている。

―ファトワとは

 イスラム法に基づく勧告、宣告、見解を指す。死刑宣告と解される場合もある。元々は正しいイスラム法解釈、法的決定を意味し、権威ある法学者(ムフティー)が、イスラム教徒の公的なあるいは家庭の法的問題に関する質問に対する返答として、口頭あるいは書面で発する。ファトワ自体に法的拘束力はないが、高位のムフティーの発するファトワは聖戦(ジハード)の呼びかけや君主の改廃など政治的な目的に使われることもある。

「悪魔の詩」から爵位騒動のこれまで

1988年 小説「悪魔の詩」出版
1989年2月 イランの最高指導者(当時)ホメイニ師が小説の著者サルマン・ラシュディ氏と発行に関わった者に死刑宣告のファトワを発する。ファトワの実行者には高額の懸賞金が提示された。ラシュディ氏、英警察の保護下に入る。
同年6月 ホメイニ師死去。
1991年 小説の日本語訳を出した筑波大学助教授五十嵐一氏が何者かに殺害される。欧州数カ国で翻訳者らが何者かに襲われる。
1993年 トルコ語翻訳者の集会が襲撃される。37人死亡。
1998年 イラン政府が、ファトワ撤回はしないが、今後関与しないと表明。
2006年 イラン政府、ファトワは永遠に継続すると宣言。(ファトワ発行者のみが撤回できる。)
2007年6月15日 エリザベス女王がラシュディ氏にナイトの爵位を授与。
同年6月17日 イラン外務省が爵位授与を非難
18日 パキスタンで抗議デモ。エリザベス女王の人形焼かれる。パキスタン議会、爵位授与撤回を求める決議案を採択。宗教問題担当相がラシュディ氏への自爆テロを正当化する発言。
19日 イラン、パキスタン政府が授与に関し、英政府に抗議。
20日 ベケット英外相が、イスラム世界の怒りを「遺憾」と表明。
21日 パキスタンの民間イスラム聖職者団体がアルカイダ指導者オサマ・ビンラディンに、イスラム戦士の最高位「神の剣」の称号授与。


―ラジオ・ネザランズの昨年7月のラシュディ氏のインタビューの一部から
http://www.radionetherlands.nl/features/amsterdamforum/20060730af

―イスラム教あるいは宗教が本来暴力的なものだ、という見方についてどう思うか?

ラシュディ氏:「私たちがイスラム教の過激主義と呼ぶところの現象には、ほとんど神学理論がないと思う。何を言っているかを見ると、コーランの内容にはほとんど関係ない。宗教というよりも政治哲学が入っている。世界中の他の国に対する嫌悪感や自分たちになされたことに対する怒りなどの方が多い。・・・キリスト教を含めて、どの宗教にもこういう問いを発するべきだ。つまり、宗教なのか、それとも政治運動なのか、と。今日、この2つの間の境界線が非常にあやむやになっている」。
by polimediauk | 2007-07-04 19:36 | 英国事情