小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 今、英国のテレビでは、ダイアナ元皇太子妃が事故死から10周年の追悼式典が生中継中だ。バッキンガム宮殿に近い陸軍近衛騎兵隊の礼拝所で行われた。500人ほどが招待され、出席。ハリー(ヘンリー)王子が母親のことを思う、短いスピーチをした。「最高の母親だった」と。じーんとくる瞬間だ。

 次から次へとボーイフレンドをつくり、最期はハロッズのオーナーの息子と休暇に出かけ、パパラッチがいることを承知で毎日水着姿を披露していたダイアナ妃。子供の側からすると、こういうことは関係ないのかもしれない。

 招待された参列者の中には、歌手のクリフ・リチャードやエルトン・ジョンやバージンの創立者リチャード・ブランソン氏、テレビ・キャスターのデビッド・フロスト氏などがいた(ブレア元首相、ブラウン首相も)。友人たちであったことは間違いないのだろうけれど、家族+チャリティー団体のメンバーのみなどにできなかったのだろうか。故人は有名人と仲良かったということを示すためか。

 別世界の価値観に思える。

 今、約1時間ほどの式典が終わった。


              ーーーー


スカーフ着用をめぐる政治対立の深層 オズダルグ教授に聞く【下】

ベリタ 2007年07月12日掲載

 トルコのスカーフ問題の解決策とは何か?著書『トルコのベール問題─公的世俗主義と大衆のイスラム主義』(1998年)などで、フェミニズムの観点から政治の流れとスカーフ着用の意味を追ってきた、アンカラにある中東工科大学のエリザベス・オズダルグ社会学教授にひきつづき聞いた。 
 
――大学では着用の自由を認めるべき 
 
 ―トルコの世俗主義は行過ぎていると思うか? 
 
 教授: それがまさに私が本の中に書いたことだ。現在、イスラム系政府であることもあって、世俗主義グループの組織化に熱心な人々もいる。例えば、先日、(トルコの首都)アンカラで集会があり、イスラム系グループに対する反対の声をあげた人々がいる。現在の首相が大統領候補になることを希望していたため、軍部をはじめとする世俗主義からの反発が大きなデモ行為に発展した。エルドアン首相の妻はどこに行くのでもスカーフをかぶる。デモは、大統領に立候補するな、すれば問題が起きることを警告していた。 
 
 大統領は国家の最高の職であり、国家と一体だ。国家の維持、国家の価値観の維持がこうしたグループにとっては非常に重要となる。非常に保守的なグループだ。 
 
 ―しかし、近代的な、政教分離社会では、スカーフをかぶろうがかぶるまいが、自由なはずだ。 
 
 教授:そうなるべきだ。イランでは着用が義務だ。世俗主義者たちは、もしスカーフ着用を許せば、トルコ全体がそうなってしまうと懸念する。このグループは支持者を増やしている。 
 
 少なくとも大学では着用が自由になるべきだ。そうすれば、もっと自由にこの議題に関して議論ができる。スカーフ着用は必要ないと思うイスラム教徒もたくさんいる。現状では自由な議論ができない。 
 
 ―小中学校では宗教の授業はあるのだろうか? 
 
 教授:ある。道徳教育と宗教研究と呼ばれている。しかし、学校で教えられている宗教は、本当に宗教的な人からすると、物足りない。表面的だからだ。宗教教育はいらないと考える人もいる。宗教は任意で選ぶ科目であるほうがいいと思う。 
 
 ―言論の自由を奪う法律として、301条が国内外でずいぶんと話題になっている。この法律の違反で有罪となったアルメニア系ジャーナリスト、フラント・ディンク氏が、1月末、世俗主義者の青年に殺害された事件は未だ人々の記憶に新しい。トルコの言論の自由をどう評価するか? 
 
 教授:言論の自由はもちろんある。しかし、トルコ人らしさを規定する301条は、自分が進めたい特定の議題を持つ人々、特に軍部や民族主義者たちに利用される可能性がある。こうした人々は、ゆるく設定されている301条を使って、(ノーベル賞文学賞の)オルハン・パムク氏やその他の作家など、トルコでは大きな論争を呼ぶクルド人への抑圧やアルメニア人の虐殺問題を自由に話す人々を攻撃するために使っている。 
 
 トルコ人らしさの定義は難しい。検察や判事がこの法律をどのように解釈するかによる。いかようにも解釈できる。民主主義を嫌う人、トルコが自由になって欲しくない人、EUに加盟して欲しくないと思っている人が、それぞれの政治的目的を果たすために使う。 
 
――なぜ首相の妻は着用を止めないのか 
 
 ―エルドアン現首相はどのような人物か。 
 
 教授:イスラム系政党AKPの党首でもあるが、党のイデオロギーはリベラルではない。伝統を重んじる、保守政党と言っていいだろう。結党は2002年だった。 
 
 イスラム系政党の政治家たちは、EUへの加盟が自分たちへの自由を保証するものと見ている。自由な社会、といっても宗教の面から自由な社会を目指す。 トルコのイスラム系運動は常にEU加盟には反対だったがエルドアン氏とその支持者はEUへの加盟を達成しようとした。加盟のためには、リベラルにならざるを得なかった。経済の自由化など様々改革を進めた。 
 
 ―5月の大統領選を巡り、トルコは大きな政治危機の状態に入った。何故100万人規模のデモが多発したのか? 
 
 教授:きっかけはエルドアン首相が大統領候補となることを希望していたからだった。大統領職はトルコでは非常に、非常にセンシティブな問題だ。大統領は世俗主義そのものだ。エルドアン氏の妻はどこに行くのでもムスリムとしてのスカーフをかぶる。これが大きな問題だった。トルコでは公式行事に政治家が出席するとき、妻も出席する。妻がスカーフをかぶるようでは、招待されない。与党は副首相を大統領候補に出したが、これもうまくいかず、11月の総選挙が今月末に前倒しとなった。与党側はこれで心機一転を狙っている。 
 
 ―7月末の総選挙はどうなるか。 
 
 教授:代わりになりそうな政党がないので、現在の与党が政権をまた握るだろう。(注:実際、そうなった。)
 
 ―首相の妻はスカーフをかぶることを止めないのだろうか? 
 
 教授:止めないと思う。個人の非常に深い問題だからだ。比較できるものが他にないかもしれない。ムスリムとしてのスカーフは自分のアイデンティティーの一部だ。政治目的で脱ぐわけにはいかない。 
 
 女学生の中にはスカーフをかぶることを許されないというので、欧州人権裁判所に訴えた人もいる。支持は得られなかった。欧州の裁判所は、トルコの憲法裁判所が訴えを却下した点に何の問題も見られない、とする判断を下したからだ。 
 
 ―裁判に負けたということか。 
 
 教授:そうだ。女性たちは大きな望みをかけていたのだが。欧州を見ると、イスラム嫌いが強い。この問題に関してはリベラリズムを期待することはできないのだろう。 
 
 私が見たところでは、欧州裁判所がトルコでスカーフをかぶらないということは高等教育を受ける権利を否定された状態であることを、本当に分かっていたのかどうか、疑問だ。私立の大学でもしスカーフ着用が自由なら、そこに行く可能性もあった。しかし、トルコでは私立でも国立でもスカーフ着用を許す大学はないのだから。 
 
 大学でのスカーフ着用をまず許可するべきだと思う。大学とは様々な概念を自由に議論をする場所なのだから。公的機関で働く場合に一定の規制があるのは理解できるが、大学でダメといえば、女性が高等教育を受ける権利を否定することになる。多くの人がこの問題に怒りを感じている。 
 
 フェミニスト運動の面からすれば、女性が大学に行き、専門職に就くことを望むのか、家庭に入ることを望むのか。欧州のフェミニストたちはトルコのスカーフ問題にもっと目を向けてもいいのではないか。 頭が良く、インテリジェントな女性たちは、宗教的であるという点以外は他の女性と同じなのだ。 
 
 ただし、全身をおおい、目だけが見える(イスラム教徒女性が身に着ける)ニカブについては、私は許容しない。公的場所では互いの顔が見えるようにするべきだ。(この項終わり)

by polimediauk | 2007-08-31 21:06 | トルコ

 8月29日、トルコの新しい大統領の就任式があった。

 大統領が決まるまでに政局は二転、三転した。新大統領は元外務大臣(で、英語が流暢ということで欧州では人気の)アブドラ・ギュル氏である。

 トルコにとって、ギュル氏の大統領就任は大きな意味を持つ。それは彼がイスラム政党出身だから。

 トルコの国民はほとんどがイスラム教徒だが、1923年の共和国としての建国以来、世俗主義・政教分離を国是としている。

 私(トルコに関して新参者)が見たところでは、「国民はイスラム教徒だが、徹底して世俗主義を通そうとしている」部分の苦しさがあるようで、「大変だなあ・・・」と思ってしまう。

 ギュル氏の妻はどこに行くのでもイスラム教のスカーフをかぶるという。これは政治家ギュル氏からすると、困ったことになるらしい。妻でさえも。大統領が国の行事に出席するとき、妻が同伴すると、その妻がスカーフをかぶっていては、「困る」ことになる。

 ギュル氏の妻は、新しいスカーフのデザインを製作させているという。モダンなスカーフの形を模索中のようだ。

 トルコのスカーフ問題に関して、アンカラにある大学の教授(もともとはスエーデンの人)に聞いた話(ベリタでは今年7月掲載)を流してみる。

            ***

ベリタ 2007年07月08日掲載

スカーフ着用をめぐる政治対立の深層 オズダルグ教授に聞く【上】

  イスラム系与党公正発展党(AKP)と世俗主義の擁護者との間で大統領選を巡る対立が政治危機となっているトルコだが、軍をはじめとする世俗派と親イスラム教勢力との闘いは80年前のトルコ共和国の建国以来、継続した動きとなっている。

 国是となっている政教分離主義を脅かす存在の象徴となるのが、国民のほとんどがイスラム教徒のトルコで女性がかぶるスカーフだ。フェミニズムの観点から政治の流れとスカーフ着用の意味を追ってきた、中東工科大学のエリザベス・オズダルグ社会学教授に現状を聞いた。 
 
―都市化とイスラム政党の躍進 
 
 ─現在、トルコでは、世俗主義の徹底のため、公務員や大学生はイスラム教徒の女性がかぶるスカーフの着用を許されていないと聞く。教授の著書「トルコのベール問題、公的世俗主義と大衆のイスラム教」(1998年出版)には、トルコの世俗化がさらに進み円熟すれば、宗教が個人的な領域に属することが広く認知され、どこでスカーフを着用していようと問題にならなくなるとする結論が書かれていた。現状をどう見るか。 
 
 エリザベス・オズダルグ教授:この本を書いた90年代半ばから終わりにかけては、事態がもっと良くなると思ったので明るい展望を書いたが、今はそれほど楽観的ではない。 
 
 ―当時はどのような状況だったのか? 
 
 教授:1994年の地方選挙、95年の総選挙で親イスラム系の福祉党が票を伸ばした。総選挙では20%以上の票を得て最大政党となった。右派の政党とともに1996年、連立政権を発足させた。ところが、イスラム勢力の伸張を快く思わない軍部が97年の2月頃から圧力をかけはじめ、6月に権力を手放すことになった。 
 
 ―何故福祉党が勝ったのか?世俗勢力が強すぎたので国民はあきあきしていたのか? 
 
 教授:それも1つの理由だ。しかし、もっと大きな理由はトルコ社会で起きていた急速な変化だ。都市化が急速に進み、地方から多くの人がやってきて、都市部の労働者階級が増えた。1970年代の初めまでは、人口全体の30%から40%が都市部に住んでいたが、それ以降は4分の3、あるいは70%の人口が都市部に住むようになっていた。地方出身の人々は、伝統的な中流階級の考え方とは異なる後進的な価値観を持っていた。何がトルコかという定義も異なっていた。伝統的な宗教の価値観が政治に反映されることを望み、スカーフ問題はその1つだった。 
 
 一般的に、人が地方から都市部に移り住む時、伝統主義を持ち込むだけでなく自分自身の価値観をもっと認識するようになる。新たな都市部の住民たちは、女性たちはムスリムのスカーフをかぶるべきだと考えた。世俗主義者や(建国の父となったケマル)アタテュルク時代を守りたい人とは、衝突することになった。 
 
 最初のイスラム系政党「国家秩序党」ができたのは1969年末だった。しかし、1971年の3月には軍部が干渉し閉鎖された。1972年には同じ政党だが今度は「国民救済党」として結党。1973年の総選挙では、国政選挙に初めて参加したにも関わらず、政党は12%の票を得て、大きな支持を得て、連立政権が発足した 
 
 こうして常にイスラム系政党への支持が続いてきた。この流れをくむのが現在政権を担当する公正発展党(AKP)だ。 
 
▽「国家の安全保障」問題としてのイスラム勢力 
 
 ―5月の大統領選以降、軍をはじめとする世俗主義者とイスラム系勢力支持者との間の対立が特に目立つ。これまでに2度クーデーターを起こし政権交代の鍵を握った軍部が、4月末声明文を発表し、軍は世俗主義の絶対的な擁護者であると宣言した。イスラム系政党の与党から大統領候補者が選出されればトルコ国家が危険な状態になると述べ、与党の動きをけん制する脅しとして機能した。トルコが民主国家なら、何故軍部のこのような力の誇示が許されるのだろう? 
 
 教授:政治介入のための媒体を持っているからだ。国家安全保障会議だ。これには、軍の司令官と、首相を含め主要閣僚ポストが参加する。国家の安全保障に関わる問題を討議する。しかし、「国家の安全保障」とは何か?様々な定義があるだろう。もしトルコのイスラム主義者を戦闘的組織と定義すれば、国家の治安への脅威ともなる。超世俗主義者たちはイスラム系勢力をそう定義したがる。 
 
 ―イスラム文化の奨励という面ではどうか? 
 
 教授:1997年2月、安全保障会議はイスラム教の導師(イマーム)を教育する学校の数を減らすことを討議した。当時の政府が、文化政策の一環としてイマームを育てる学校の設立を奨励していたからだ。軍と世俗主義者は、このような学校の奨励は反動的なイスラム主義がトルコで権力を握ろうとしている証拠だ、と解釈した。そこで、安全保障会議は政府に対しこの問題で圧力をかけた。政府は連立政権だったので、こうした学校の設立を好ましく思わない人も一部にいた。数ヶ月圧力を与え、時の政権が崩壊してしまった。 
 
 スカーフ問題は、トルコの世俗主義を巡る対立で象徴的な問題だ。宗教教育の問題でもある。 
 
―大学ではスカーフ着用の自由はない 
 
 ―国立の大学ではスカーフをかぶってはいけないことになっていると聞くが? 
 
 教授:そうだ。私立の大学もそうだ。全大学が高等教育委員会の監督下にある。スカーフをかぶらないようにというのは規則であって法律ではない。政府機関で働く場合、勤務者には特別規制が課され、イスラム教のスカーフはかぶれなくなる。 
 
 実は、1982年以前には大学ではスカーフに関わる規制はなかった。必要がなかったからだ。誰もスカーフをかぶって大学に来る人はいなかった。イスラム復興運動が拡大し、スカーフをかぶる学生が増えたので、大学でスカーフをかぶらないようにという規則が導入された。それが1982年だった。 
 
 ―教師もかぶってはいけないのか。 
 
 教授:そうだ。教師はもっとかぶるのが難しい。 
 
 ―もし学生がスカーフをかぶっていたらどうなるのか。 
 
 教授:教師あるいはスタッフは懲罰委員会にこれを報告する義務がある。学生は警告を受ける。もし行動を改めないと、第2、第3の警告が出る。それでもスカーフをかぶり続ければ、大学から追放される。 
 
 1980年の軍事介入で政権が交代し、1980年代には一種の解放的な気分があった。最初の選挙は1983年だった。祖国党と呼ばれる政党が勝利した。党首はトルグド・オザルというリベラルな人物で、宗教熱心でもあった。オザル氏はすべてにおいて自由化を進めようとしたが、1993年、心臓病で亡くなった。その後、女学生を擁護するために発言をするほどの勇気がある人はいない。 
 
 現在、状況はかつてもよりも厳しい。私が本を書いた時は、スカーフ問題が解決できると信じていた。そうはならなかったが。 
 
 ―何故女学生はスカーフをかぶりたいと思うのか。 
 
 教授:イスラム教の教えが、女性にスカーフをかぶることを勧めていると解釈しているからだ。身体を覆い、信心深く見えるような装いをすることを宗教上の義務だと思っている。そういう風にコーランを読み、イスラム教の1つの伝統だと思っているからだ。 
 
 ところがトルコの一部の人は、特に世俗主義者たちは、スカーフの着用は宗教上の表現ではなく、戦闘的イスラム教を表している、と見なす。「我々とは異なる、非世俗主義的体制を導入しようとしている」、と。学生たちは普通の女性であることを示そうとしているのだけなのに。 
 
―世俗主義者たちの矛盾 
 
 ―スカーフをかぶらない女学生たちは、スカーフをかぶる女学生たちのことをどう思っているのだろうか。 
 
 教授:私が書いた本の表紙の写真には女学生が写っていて、スカーフをかぶっている学生も、かぶらない学生も一緒に座っている。学生同士では問題にはならない。 
 
 問題は教師たちだ。世俗主義を非常に固く信じている。教師は、スカーフをかぶる女学生を攻撃したり、スカーフを脱ぐように強制する。 
 
 ―教師たちは、イスラム教信奉者たちがトルコの近代化の進展を妨げていると見なすのだろうか? 
 
 教授:そうだ。そういう論点で議論を進めている。イスラム系グループを「反動者」と呼んでいる。現実に全く即していない。 
 
 トルコにも確かに反動者たちはいる。しかし、この大学では、女学生が専門職に就くために近代的な教育を受けている。この点だけをとっても、反動者ではないことが分かる。このような女性を反動者と呼ぶのは、論理が破綻している。 
 
 何故スカーフをかぶるのかに関しては、いろいろな説明がある。兄弟や父親に強制されている、(厳しい戒律のイスラム教宗派を国教とする)サウジアラビアかあるいは他のイスラム諸国からお金をもらってかぶっている、など。お金をもらう代わりに住居費の援助を受けている、奨学金をもらっているなど。 実際、こういうことをする団体が存在する可能性はある。 
 
 しかし、この本を書くために学生たちと話をし、その後調査を継続すると、学生は自分の意思でスカーフをかぶることを決めていることが分かる。専門職に就くことを強く望んでいるのに、大学ではスカーフ着用禁止令があるという奇妙な事態になっている。 
(つづく) 

by polimediauk | 2007-08-31 01:38 | トルコ

 英俳優・喜劇作家クリス・ランガムが、8月2日、児童ポルノ・サイトから画像をダウンロードした行為で有罪となった。7月から始まった裁判では、問題となった画像が公開され、衝撃を受けた女性陪審員が泣き出す場面もあった。ランガム事件の顛末をたどりながら、ネットでアクセスする児童ポルノの影響と背景に注目してみた。

 英国で児童ポルノ・サイトの取締りが急速に進んだのは5年前だ。米国主導で始まった大規模な摘発作戦(「オペレーション・オー」)だ。有料児童ポルノ・サイトの閲覧のために使ったクレジット・カードの情報を基に利用者を探し当てるもので、英国には約7000人の利用者がいたことが分かった。

 医者、教師、ソーシャルワーカー、警察官まで含まれた利用者の中に、喜劇俳優クリス・ランガムがいた。1999年、米テキサス州を本拠地とする「ランドスライド」社に29・95ドル(約3000円)を払い、「欧州ロリータ・セックス」と題されたサイトにアクセス。その後も数年に渡り、児童ポルノサイトにアクセスし、画像をダウンロードしていた。

 ランガムの逮捕は2005年11月だった。BBCのコメディー番組での優れた演技を評価され、英コメディー賞の最優秀俳優賞を受賞してから数日後の逮捕となった。
 
―「調査のためにアクセスした」

  今年7月開始された裁判で、ランガムはサイトからのダウンロードを認め、「コメディー番組の調査のためだった」と説明した。「自分は児童性愛主義者ではない」と繰り返した。

 何故児童ポルノ・サイトにアクセスしたのかを法廷内で聞かれ、ランガムは自分の虐待経験を告白し、人々を驚かせた。両親と共に一家でカナダに移住後、自分が8歳の時に「赤毛の男性」に性的虐待を受けたと話したランガムは、法廷ですすり泣いた。

 虐待に関して「強い恥を感じ」、ポルノ・サイトの児童が「自分の兄弟のように思えた」と述べた。サイト内容をダウンロードしたのは、児童ポルノに対して「強い怒りを感じれば、自分の心の奥深くにある問題を解決できるかもしれないと思った」と答えた。

ところが、ランガムが自分のコンピューターにダウンロードしたビデオの一部が裁判所で公開されると、内容が極度に衝撃的であったために女性の陪審員が泣き出し、裁判が一時停止される場面もあった。

8月2日、ランガムは児童ポルノ・サイトの内容をダウンロードした行為で有罪となった。9月14日、量刑が発表される。

  有罪判決後、サイトにアクセスし、内容をダウンロードしただけで有罪とは「厳しすぎるのではないか」という声が一部に出た。オブザーバー紙の8月5日付で、コラムニストは「ランガムは児童ポルノ・サイトを見たために有罪となったが、児童虐待を行ったわけではない」と書いた。

しかし、児童保護団体はこうした見方に反対だ。児童虐待を防止する活動を行う英「NPCC」の代表は、BBCの取材に対し、「見るだけでも子供の品位を落とす重要な犯罪。アクセスすることで児童ポルノ業界の需要拡大にも貢献するので、虐待される児童が増えることになる」と述べている。

ランガム事件は「最期の事件」ではない。この後も、次から次へと似たようなケースが報道されている。(英国ニュースダイジェスト掲載分に加筆)

―CHILD PORNOGRAPHYとは

  児童が被写対象となったポルノを指す。英国では児童保護法(1978)の下、18歳未満の子供のわいせつ画像を配布あるいは宣伝目的で撮影、撮影を許可、作製、所持、上映、配布、宣伝すれば違法となる。「作製」とはサイトからのダウンロードも含み、アクセスだけでも犯罪につながる疑いを持たれる。刑事裁判法(1988)の下、こうした画像をいかなる目的でも所持すれば違法だ。

 日本の児童買春・児童ポルノ禁止法では、他人に販売や提供目的で児童ポルノの画像を所持すると処罰されるが、収集目的の単純所持は罪に問われない。この点から、アクセスだけで、つまり見ただけで逮捕・拘束・取調べを受けるという英国のニュースは、日本の常識からすると異様に見えるかもしれない。

 児童ポルノ・サイトを監視する英国の非営利団体IWF(インターネット・ウオッチ・ファウンデーション)によると、児童虐待の画像を掲載しているとして報告を受けた31,776件の中で、約3000件が重度の児童虐待行為(子供同士や大人と子供の間の性器挿入を含む性行為や動物を使った残虐な性行為など)の画像を扱っていた。

 IWFの調べでは、児童ポルノ・サイトの設置先国は米国が54・3%、ロシアが28・2%、アジアが7・4%、欧州が7・9% (英国は1%未満)、その他が約2%。

 児童ポルノ・サイトへのアクセスを制限するBTのソフトが一日に接続を遮断する回数は、3万5千回。IWFが2006年の1年間で、報告を受けた件数は31,776。犠牲者のほとんど(80%)が女児で、91%が12歳以下の子供たちだった。

逮捕されたセレブリティー①
俳優クリス・ランガム

私生活:58歳、2度結婚し子供が5人
職業:俳優、作家、監督、プロデューサー
経歴:1960年代末、喜劇俳優スパイク・ミリガンのテレビ番組で人気を博したことを皮切りに、数々の人気コメディー番組に出演。1981年テレビ界のアカデミー賞と言われる米エミー賞を受賞したが、アルコールと麻薬依存症で一線から遠ざかる。90年代に入って依存症を克服し、喜劇作家としても活躍。BBCのコメディー番組「ヘルプ」と「ザ・シック・オブ・イット」で2005年、英コメディー賞の最優秀俳優賞を受賞。2006年、「ザ・シック・オブ・イット」で英BAFTAテレビ賞で最優秀コメディ演技賞を受賞。
性犯罪との関わり:2005年11月末、ネット上の児童ポルノ利用者の捜査で逮捕される。2006年5月、児童のみだらな写真の作製容疑と複数の性的暴行容疑で起訴。2007年7月から裁判開始。8月、ネットから児童のみだらな画像をダウンロード(作製)した行為で有罪となる。暴行容疑は一部が取り下げられ、他は有罪に至らなかった。性犯罪者リストに名前が登録。9月14日、量刑が発表予定。

逮捕されたセレブリティー②
ミュージシャン、ピーター・タウンゼント

私生活:62歳、別れた妻との間に子供3人。パートナーの女性と暮らす。
職業:ロック・ミュージシャンで、バンド「ザ・フー」のメンバー
経歴:両親共に音楽家で、1960年代、イーリング・アート・カレッジ在学中に友人らとバンドを組み、ザ・フーの結成に発展。初期のヒット作は「アイ・キャント・エクスプレイン」、「マイ・ジェネレイション」など。映画にもなったロック・ミュージカル「トミー」を作った。
性犯罪との関わり:2003年1月、児童ポルノ・サイトにアクセスしたことが発覚し、逮捕。サイトにクレジットカードを使ってアクセスしたことを認めるが、目的は自伝や本を書く「調査のため」と説明。逮捕前に、幼少時に虐待を受けたことをエッセーに書いていた。4ヶ月近くの捜査の結果、所有するコンピュータに違法画像を保存した形跡は発見されなかったため、警察からの警告のみで不起訴に。性犯罪者リストに名前を登録された。
by polimediauk | 2007-08-27 20:41 | 英国事情

性犯罪と英メディア-1

 英国で最も忌み嫌われる存在の1つが、児童性愛主義者(ピーダファイル)だ。

 実際にはそうではなくても、そうらしいという噂がたっただけで、住民の攻撃対象になることさえある。
 
 著名俳優の逮捕・裁判を通じて、児童に対する性犯罪が再び注目を集めた。

 そこで、ベリタに出した性犯罪と教師に対する記事(昨年1月掲載)と、この俳優の裁判を巡る記事(英国ニュースダイジェスト紙今年8月末掲載)を、採録してみる。(関連トピックは以下にもある。参考までに。 http://ukmedia.exblog.jp/2046954/ )

 英国の新聞で報道される調査結果によると、「敵」は家庭の外にいるのではなく、親戚やあるいは家族(父、義父、兄など)というケースが大部分だという。教会の牧師が男児に対する性犯罪を長期間行っていたという例もよく報道される。

 少し前に、タイムズ紙だったと思うが、父親が娘に性的虐待をした後、いったんは家を出されたものの、しばらくして妻の了解の上、家に戻ったという話が載っていた。すごいなと思っていたら、今度はこれがテレビ番組になり、今月放映された。チャンネル4の「フォーギブン Forgiven」という番組で、母親(俳優が演じる)がナレーターとなって、事の次第をつづる。息苦しいような番組だったが、「娘が父を必要としていた」、「夫を愛していた」ため、夫が性犯罪者の矯正コースを1年間受けることを条件に、夫を家に戻した。

 自分の娘が夫に性的虐待を受けていたら、一体自分はどうするか?あるいは自分が男だったら、娘に性的行為を働くだろうか?その後で、家に戻れるものかどうか?娘だったら、どうしていただろう?と自問自答の1時間半だった。各紙のテレビ評でも非常に高い評価を与えていた。

 日本のテレビ局でこれを誰か買わないものだろうか?

 ちなみに、私が妻だったら、家に戻すことには抵抗がある。自分の愛というよりも、娘の気持ちや将来を考える。しかし、父親不在という状況をどうやって埋めるのか?答えはないが、ドラマでは娘の気持ちの解明が欲しいようにも思った。

 以下のベリタ記事は、英国の状況に関してだが、英文ではすべての人物が実名(一人はイニシャルのみ)で出ていたが、日本での報道ということで、アルファベットにした経緯がある。

―――

ベリタ2006年01月18日掲載

教師の性犯罪歴めぐり揺れる英国
魔女狩り思わせる報道続く

 性犯罪で有罪となった、あるいは性犯罪につながる可能性がある行動で当局から警告を受けた教師らが、英教育相の認可の下職場復帰をしていたケースが明らかになり、英国全体に大きな波紋が広がっている。
 
 英メディアの間では「問題教師」の名前や個人情報を探し当てるスクープ合戦が続き、教育相の辞任要求も出た(注:後、辞任した)。顔写真が大きく報道された教師の一人は、「私は児童性愛者ではない」と地元紙に語ったが、こうした声がかき消されてしまうほど「魔女狩り」の雰囲気は強まる一方だ。
 
 始まりは、2005年12月末。日曜紙の「オブザーバー」に、性犯罪の前歴のある人物が西イングランドのノーフォーク州にある学校で働いているという、電話での「タレ込み」だった。オブザーバー紙が地元の警察に確認をとると、州内ノーウイッチにある学校が新規雇用をした教師に対して、警察側が「懸念を表明していたこと」が明らかになった。 
 
 2006年1月8日、オブザーバー紙が教師の名前を明かさずに第一報を報道した。9日には大衆紙デイリー・メール紙が、この男性体育教師A氏(34)を実名で報道した。 
 
 英国では、教師の雇用には教育技術省や警察が管轄する犯罪記録局が「問題なし」とする証明が必要となる。教育技術省は性犯罪も含めた何らかの理由で子供を教える仕事に就くことを禁止する人々の名前や身元情報が載っている「リスト99」という一覧表を管理している。教職に制限を受けている場合、どのような雇用条件であれば職場復帰できるのかも書かれており、現在15000人の名前が登録されている。
 
 犯罪記録局は性犯罪に関わった人物(教師も含む)の記録「性犯罪者登録」を管理しており、約29000人の個人情報を保持している。英国では性犯罪に関連する件で有罪になるか、警察から警告を受けた場合、72時間以内に地元の警察に名前と住所を通知する義務があり、これを怠ると罰金か最長5年の禁固となる。 

 雇用手順としては、教育省が管理するリスト99に名前が載っていない時点で最初のハードルをクリアしたことになるが、この後、性犯罪者として登録がなされているかどうかを犯罪記録局に確認する。 

 この過程にはかなりの時間がかかるため、学校側は志願者がリスト99に載っていないことを確認したうえで、とりあえず雇用し、犯罪記録局からの確認を持つという形をとる。

 リスト99に名前が載っていても、保護基準裁判所に訴えれば、条件付きで職場復帰も可能であるため、過去に性犯罪者として有罪になっていても、あるいは警察から警告を受けた人物でも、親や生徒の知らないうちに学校で教えていた例ができることになる。
 
―児童ポルノサイトへのアクセスだけで登録 

 名前を公表されたA氏は、児童ポルノのウエブサイトにアクセスしたという理由で、2003年警察から警告を受け、性犯罪者登録に名前が載っていたが、子供に教えることを禁止するリスト99には載っていなかった。児童のわいせつ画像のサイトにアクセスしたというだけでは、教師の職につくことを禁止するリスト99に登録するには十分ではない、と教育省は判断したからだ。 
 
 A氏は教育省に対し、教職継続のための書簡を書いてもらうことを依頼し、2004年、教育省は、A氏が「子供に何の脅威も与えない」「信頼に足る人物」であることを保証した。 
 
 A氏は2006年から勤務を開始したヒューイット・スクールに対し、過去の事情を説明し、教育省からの手紙も提出した。学校側は教育省からの手紙が教師としての勤務には何の問題もない証拠とみなし、氏を雇用した。 
 
 しかし、学校側は、後に地元の警察からA氏の雇用に関して懸念を持っているとする連絡を受け、調査を開始する。正式雇用を延期としたため、男性教師は自ら辞職した。学校に勤務したのは、結局ほんの数日間だった。 
 
 A氏のケースがメディアで報道されると、「何故こんな教師に職場復帰が許されたのか?」とケリー教育相の不手際を責める声が出た。親たちが、このような形で職場復帰を許された教師は、現在何人いるのかと問いただし、教育相が正確な数を提供することができなかったため、これに応える形で、メディアが問題教師達の名前、身元情報を探りだした。 
 
 現在までに、少なくとも他に3人の「問題教師」がいるとメディアは報じている。一人は男性科学教師のB氏(52)で、男子児童のわいせつ画像を所有していたために1996年に有罪となり、リスト99にも名前が載った。 
 
 B氏は保護基準裁判所(リスト99に登録された教師などの名誉回復のための調停の場として設置された)に訴えた。裁判所は、B氏の男子児童に関する感情は「同性愛的、児童性愛的で不適切」だが、「女性には全く興味がない人物」とする評価を出した。2001年、当時の教育相が「女子高でのみ教える」ことを条件に職場復帰が許された。 
 
 英ITVテレビの取材の中で、B氏は「教えている生徒の親たちは私が教師であることについて、ハッピーだといってくれている。自分は性犯罪を犯していない」などと語った。 
 
―女生徒と結婚した教師も問題に 
 
 BBCオンラインを含め、顔写真が新聞各紙に大々的に掲載されているのが男性数学教師C氏(59)だ。 
 
 C氏は1980年、15歳の女生徒にわいせつ行為を働いたということで有罪となり、60ポンド(約12000円)の罰金を払った。C氏はこの女生徒を直接は教えていなかったが、女生徒の家に花を送ったことから事態が発覚。後にこの少女と結婚。3人の子供をもうけ、結婚生活は19年間続いた。2000年には詐欺と窃盗罪で有罪となり、2年半の禁固刑の後、02年釈放された。 
 
 C氏は03年から05年まで、イングランド北東部の3つの学校で教えていたが、学校側が同教師の過去の有罪の経歴を知る度に、停職処分になっていた。

 2005年5月、教育省はC氏の過去には「重大な懸念がある」とはしながらも、職場復帰を禁止しないという手紙を出し、同年9月からは英南西部ボーンマスにある学校で教えていた。しかし、現在は調査が終了するまで休職扱いとなっている。 
 
 C氏は「ステップ・ティーチャーズ」という臨時教員を斡旋する会社から推薦されて雇用された。各紙の報道によると、ステップ・ティーチャーズの責任者ジェームズ・ニューマン氏は、求職者が現時点で学校で教えるに足る人物かどうかという観点から判断しており、性犯罪に関する有罪も含めて、過去の経歴だけを持って求職者を差別しないようにしていると述べた。 
 
 教員斡旋会社には、求職者に過去犯罪歴がないかどうか、あるいはリスト99に名前が載っていないかどうかを確認する責任がある。「ステップ・ティーチャーズ」は、C氏を雇用した学校側に詐欺罪などの前歴を伝えていなかったことが分かった。 

 その理由は、個人データ保護法の下で、斡旋会社が犯罪記録局から得た個人情報を学校側に伝えることを許されていないためだった。斡旋会社は、C氏の個別面談と、教育省からの職場復帰可能とする書簡をもとに、C氏が「子供を教える職に適していると判断したし、今でもこの判断は変わっていない」と述べた。 
 
 C氏は、地方紙の取材に、「私は児童性愛者ではない。子供に危険な人物ではない」、「自分が間違ったことをしたことは知っており、後悔している。しかし、他の人が考えるように、物事は白黒にはっきり割り切れるようなものではない」と説明した。

 C氏はリスト99にも性犯罪者登録にも名前が載っていない。1980年の事件は、こうしたリスト作成以前に起きたからだ。 
 
 もう一人、詳細は明らかになっていないが、H(62歳)というイニシャルの男性教師も、過去に性犯罪を起こしながらも、教育の職場に復帰していると報道された。 
 
 教育省は過去30年間で、性犯罪に関連した、あるいは警告を受けた教師のケースのファイルを見直す事を決めた。同様のケースが現在のところどれくらいあるのかは、まだ公表されていない。メディア報道は10件ほどとしている。 
 
 数が正確に分かっていない一つの理由は、教育省、警察、社会保障サービスなど、様々な機関が注意が必要な教師のリストを作成しており、合計では7つに上る。あるリストには載っていても他のリストには載っていないという事態が起きているという。 
 
―性犯罪者の自宅襲撃も 
 
 英社会で今回の事件が大きな衝撃を持って受け止められている背景には、2002年、英南部ケンブリッジ州ソーハムで小学生女児2人が殺害された事件がある。

 逮捕されたのは、少女たちが通っていた学校の管理人だった。この男性は強盗容疑の他、10代の少女数人に強制的に性行為を行ったとして数回、告訴されていた。しかし、犠牲者らが後で告訴を取り下げるなどをしたため、有罪に至ることはなかった。こうした情報は雇用した学校側には伝えられていなかった。 
 
 ソーハム事件後、独立調査委員会が設置され、情報の一元化を推奨していたが、実現化されていない。 
 
 今回明らかになった「問題教師」たちが、職場復帰後、何らかの性犯罪を起こした例はない。しかし、多くの子どもの親にとっては、ソーハム事件の衝撃が大きく、教育省の対応を非難する声は高まるばかりだ。 
 
 たとえば児童ポルノのサイトにアクセスした過去を持つだけなど、その「犯罪」の程度によっては、一生涯の職場復帰を禁止するのは人権の観点から問題があるとの声がある一方で、性犯罪はもちろん、何らかの犯罪にかかわった教師は、職場復帰を全面的に禁止すべきだとの強硬意見も少なくない。 
 
 英国では、性犯罪者に対する恐れ、嫌悪感が非常に強く、いったん「児童性愛者」とみなされると、職を見つけることがむずかしいばかりか、住民からの攻撃にあう場合もある。 
 
 2000年、性犯罪の前歴のある男性に8歳の少女が殺害された時、大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドが児童性愛主義追放運動を起こし、通常は警察や特定の地域団体のみに公開されている性犯罪者数十人の名前、顔写真などを公開した。この結果、該当する人々の自宅などを地域住民が襲撃する、といった事件が相次いだ。 
 
 一連の報道の後、A氏は妻と2人の子供と共に、秘密の場所に住居を移し、現在警察の保護下にある。C氏も、住居を移したという。 (次回は児童ポルノサイトからのダウンロードで有罪となったクリス・ランガム事件。)
by polimediauk | 2007-08-26 20:55 | 英国事情

―新聞社前での銃殺 
 
 トルコのアルメニア系ジャーナリスト、フラント・ディンク氏(52歳)は、今年1月19日白昼、イスタンブールにある週刊紙「アルゴス」の事務所がある建物の前で、何者かに銃撃され死亡した。「アルゴス」はアルメニア語とトルコ語の新聞で1996年に創刊。ディンク氏はこの新聞の発行者だった。 

 ディンク氏はトルコが否定する、第1次世界大戦中のオスマン帝国の「アルメニア人虐殺」に関する記事や発言で、刑法国家侮辱罪301条で起訴され、2005年に執行猶予付きの有罪となるなど、数度の訴追を受けていた。

 トルコ警察が翌日逮捕したのは17歳のオギュン・サマスト容疑者だった。地元紙の報道によると、少年は知人の民族主義組織のトップ、ヤシン・ハヤル氏に殺害を依頼されたという。ヒュリエト紙によると、サマスト容疑者自身は、後の警察への供述の中で、ディンク氏が「トルコ人を侮辱したために殺害した」と述べている。

 2月上旬になって、サマスト容疑者が、拘束後、トルコの治安機関職員数人と、トルコ国旗の下に並んでいる映像がテレビ放映された。背後には近代トルコ建国の父ケマル・アタテュルクのポスターが貼られていた。国家体制の中に今回の殺害を間接的に支持する動きがあった可能性を示唆する映像として受け止められ、「ディンク氏殺害事態よりも、この映像の方が重い」とする地元メディアの報道が続いた。 
 
―刑法301条、政府は改正示唆も 
 
 第1次世界大戦中、トルコに住んでいたキリスト教徒のアルメニア人の大量殺害を「虐殺」と定義するかどうかは、国によって意見が分かれる。アルメニア人側は、オスマン帝国による殺害や飢えで約150万人が亡くなったと主張し、「虐殺があった」としている。トルコ側は、大量のアルメニア人が内戦や世界大戦の中で亡くなったことは認めつつも、「虐殺ではない」がその公式見解だ。トルコでは、アルメニア人虐殺があったという認識は刑法301の違反で国家侮辱罪の対象になる。

 刑法301条は、トルコのEU加盟交渉を開始するために行なわれた一連の刑法改革の一環として、2005年6月に施行されたばかりの新法だ。これまでにこの条項にからんで昨年ノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムク氏を含めた60人近くが訴追されている。
 
しかし、ほとんどが取り下げなどの結果になるため、一説には、トルコのEU加盟阻止を狙い、表現の不自由さが内外に宣伝できるように、検察や裁判所が著名な作家たちを次々と訴追している、という見方もある。

 EU加盟を望む現政権は、適用基準の見直しや条項改正を示唆する発言を出している。
 
―世俗主義を守れと数百万人がデモ 

 5月中旬、トルコ第3の都市イズミヤで、イスラム系大統領の誕生に反対するデモに150万人が参加した。「トルコは、永遠に世俗主義国家であるべきだ」、「トルコがイスラム国家になって欲しくない」とデモ参加者は訴えていた。ギュル外相の大統領昇格を目指すイスラム派与党のAKP党をけん制したもので、アンカラでは50万、イスタンブールでも100万人の同様のデモが、これに先駆けて起きていた。

 一ヶ月前にも同様の大規模デモがあったが、これは、次期大統領候補として立候補を予定していた、与党党首で首相のエルドアン氏へのけん制だった。軍部が世俗主義の継続が脅かされることに懸念を覚えるという声明を出し、首相は立候補を断念せざるを得なくなった。与党は代わりにギュル外相を立候補させたが、世俗派野党が初の非世俗系大統領の誕生に反対し、議会内で投票をボイコット。大統領選挙は無効となった。エルドアン首相は秋に予定されていた総選挙を7月に前倒し、国内の求心力を高めようと計画しているが、トルコは大きな政治危機の状態にある。

 首相や外相夫人はともに熱心なイスラム教徒でどこに行くのでもムスリムのスカーフをかぶる。現在イスラム教スカーフの着用は公的場所では禁止されているため、スカーフ着用の夫人の存在は世俗派からすると、トルコをイスラム教国家にする兆しとして、大きな脅威とも映る。

 トルコのタブーは、建国の精神である世俗主義や国家の公定史観を批判すること。「国家の威信に挑戦する声を上げたものは倒される」(トルコ文学の翻訳家モーリン・フリーリー氏)。

 トルコは今、表現の自由という観点からは、薄氷を踏むような状況にあるのかもしれない。(つづく・次回のスカーフ問題は、来週の新大統領決定後に出します。)
by polimediauk | 2007-08-26 03:01 | トルコ

―放送内容にも規制 
 
 案内をしてくれた映画作家ゼイネル・ドアン氏がかつて編集長だったのが、同じくディヤルバクルにある地方テレビ局「ギュン・テレビ」だ。

 元々は1994年、「メトロラジオ・テレビ」として始まり、2001年に「ギュン」(「日」の意味)となった。ディヤルバクル市の人口は約55万だが、近隣に住む150万人の視聴者向けに、一日に16時間放送を続けている。 
 
 トルコでの放送は元来トルコ語のみに限られてきたが、少数民族に文化的及び言語上の権利を与えることがEU加盟交渉で必須とされたため、2001年、憲法が修正された。その後のいくつかの改革政策の後で、放送で使用される言語に関する新法が施行され、2004年からクルド語での放送が可能になった。クルド語は「1つの方言」としての位置づけだったが、国営テレビTRTが放送を開始した。 
 
 ギュン・テレビを含む民間放送業者数社は早速放送認可を申請したが、様々な書類提出の義務付けなどの条件がつき、申請は直ぐには降りなかった。認可を得ずにクルド語放送をした放送局は罰金を課せられたり、放送免許が取り上げられた。同じくディヤルバクルにある「ART TV」が、2003年8月クルド語のラブ・ソングを放映したところ、「国家の不可分の統一の原則」を侵害したということで、2004年3月、閉鎖に追い込まれている。 
 
 ギュン・テレビも定期的に迫害にあっている。あるシンポジウムの中継で、出席していた2人の政治家がクルド語とクルド人のアイデンティティーが認識されるべきだ、と発言したところ、1ヶ月の放送停止にあった。 

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 ギュン・テレビのジェマル・ドアン編集長によると、放送認可が下りたのは、申請から2年後の「2006年3月24日」だった。 
 
 放送許可といっても放送時間は非常に限られたものだった。「テレビでは一日に最長45分、1週間では4時間まで。ラジオは一日に最長1時間で、1週間で5時間まで。トルコ語に翻訳する必要も課せられるので、トルコ語の字幕をつけることが必須。ラジオは後で翻訳した番組を放送する」。 
 
 放送内容にも規制がつき、ニュース、音楽、伝統文化のみが放送を許される。子供用の番組や映画は禁止だ。テレビの場合、字幕をつける必要もあって許可された時間内に放映するには事実上生中継は難しく、録画・録音された番組のみの放送となる。 
 
 「内容を広げるよう、今申請しているところだ。政府の考え方を何とかして変えたいのだが」。 
 
 「トルコにいるクルド人はクルド語を話すなと言われてきた。国民がばらばらになるから、と。私はそうは思わない。クルド人の人権の問題なのだと思う」とドアン氏。 
 
 ドアン氏は既存のクルド語放送拡充に加え、ネットでの番組配信も将来的に計画していると言う。 
 
 トルコに住むクルド人の間で人気が高いのが、デンマーク・コペンハーゲンに本社を置き、ベルギーからクルド語番組を放映している衛星テレビ局「ロッジTV」だ。「鳥インフルエンザの到来を刻々とクルド語で放映したので、母親たちがずい分助かったと言っていた」。

 ロッジテレビは昨年秋、一時トルコからは視聴不可能になった。ドアン氏やトルコに住むクルド人の間では、「トルコ政府が通信をブロックした」というのが定説になっている。 
 
 クルド語放送のテレビ局と聞いて、24時間クルド語を放送していると思った私は、1日に45分のみ(ラジオは1時間)という規制に驚き、落胆もした。特に、ラジオ番組では後にもう一度翻訳した番組(トルコ語)を放送する、というやり方に滑稽ささえ感じたが、それでも冗談ではなくこれが現実なのだ、と思い直した。それにしても、これで「クルド語放送が許可された」と言えるのだろうか?

―「僕はサムライだ」

 トルコ語の通訳を買って出てくれたメティン・オゼリクさんと共に、取材の拠点にしていたクルド文化センターに戻った。オゼリクさんと目が合い、「トルコに住むクルド人って大変だね。言葉を使っちゃいけないし、放送時間だってあんなに短いとはね」と言うと、オゼリクさんはにっこり微笑み、「僕たちはここで生まれ育ったんだ。もう慣れてるから、たいしたことはないんだよ。ずーっとこのままなんだから」。 
 
 オゼリクさんは文化センター内にある、ディヤルバクル観光事務所の職員だ。「ディヤルバクルのことを世界中の人に知って欲しい。通訳として助けたい」と声をかけてくれたのだった。米俳優トム・クルーズが出演した「ラスト・サムライ」にすっかり感銘を受け、「僕はサムライだ!」と自己紹介した。日本のサムライのように、誇り高く生きたいのだと言う。 
 
 クルド語の規制は「特に1980年代が一番ひどかった。家の中でも、友人同士でもクルド語を話していけない雰囲気があった。今は普通に話せる。学校や病院、銀行、駅、政府の建物の中とか公的な場所では今でも話してはいけないけれどね」。 
 
 「それでも状況は大分良くなったし、もっと良くなって欲しいと願っている。母国語や文化を維持することは非常に重要なことだと思っている。僕たちの子供のたちの世代にとってもそうなんだ。これからもっと良くなるー僕は楽観主義者だよ」。 
 
―消された声 

c0016826_22391241.jpg(ディヤルバクルの商店街の一角)
 
 ディヤルバクルでは紀元300年頃から作られたという長さ5キロほどの城壁が旧市街を囲んでいる。夜になると城壁の一部に明かりがつけられ、少年たち数人がサッカーをしている様子が、ホテルに戻る車の窓から見えた。 
 
 通りには小さな店が建ち並ぶ。金物屋、乾物屋、駄菓子屋などの店内には裸電球がつき、日本で言うと戦前を思わせるような雰囲気があった。 
 
 ギュン・テレビのドアン氏はその日午後8時から、クルド語放送があると言っていた。ホテルのテレビからギュン・テレビのチャンネルが映ることを確認して、時を待った。 
 
 時間通りにチャンネルをつけて見た。画面の様子から、あるトピックに関して街頭インタビューをしていることが分かった。しかし、不思議なことに音声がほとんど出ないのだ。画面も粗い粒子が流れまともに顔かたちが判別できない。私は他のチャンネルを回してみた。全て画面は通常通り映っていた。私はチャンネルをもう一度ギュン・テレビに合わせた。コマーシャルになっても、「ザー、ザー」という音が出るばかり、画面の識別不能は変わらなかった。どこかで誰かがスクランブルをかけているような画面だった。 
 
 もちろん、「たまたま」このチャンネルだけをホテルにあるテレビが映し出さなかったのかもしれない。しかし、「もし」これが何らかの形での番組遮断だったとしたら、検閲されるとはこういうことか、ある番組の視聴を不可能にさせるとはこういうことか、と思った。何とか画面の動きを識別しようと目をこらしながらも、ある番組、あるテレビ局の放映がブロックされた時の恐ろしさが胸に迫る思いだった。 
 
―「パラノイア」 
 
 在ロンドンの非営利団体「カーディッシュ・ヒューマンライツ・プロジェクト」が出版した『トルコのクルド人』の中で、著者ケリム・イルディズ氏は、「文化面や言語の面でトルコ政府が行った譲歩は一見画期的であるが、よく見るとEU加盟のためのリップサービスに過ぎなかった」と指摘する。 
 
 トルコは未だに国家主義を推進することに力を入れており、クルド人の文化的・言語上の権利を拡大させれば、トルコ共和国が分裂してしまうという「パラノイア」に捕らわれている、と言う。

 トルコ当局はクルド人の文化的・言語上の権利の拡大をすれば、クルド人反政府武装組織に力をつけさせ、反政府武装攻撃を加速させると考える、と見ている。これに対し、著者は、むしろ文化的状況を緩和すれば、クルド問題に関する「平和的、恒常的」解決につながる、と主張する。 
 
 この本のメッセージはどうやらトルコ政府あるいは民族主義者たちには届かないようだ。 
 
 2月、ディヤルバクル市のある地方自治体のトップが、自治体の職場内でクルド語も含めたほかの言語の使用が可能になるべきだと発言した。 
 
これは、トルコの外に住む人からすれば、それほど大きなことのようには聞こえないだろう。

 しかし、「国を分裂させるような価値観や考え方は危険であり、特にトルコ民族が住む国がトルコという公式見解を揺るがせるようなアイデンティティーの表現は、例えそれがいかに平和的でかつ穏健なものであっても、国家の品位を脅かす」(『トルコのクルド人』)とするトルコでは、国家の存在を危うくする問題発言となる。この件は裁判に持ち込まれ、審理が継続している。 
 
 昨年11月、EUが発表した、EU加盟のためのトルコの改革進展報告書は、ディヤルバクルを含む南東部で人権侵害が続いていると指摘した。トルコ語が母語でない子供たちへの言語教育が不十分で、特にクルド人が母語を学ぶ教育機関が現在存在しないことに懸念を寄せる。一方、クルド人が集中して住む地域から離れると、私自身が取材した中では、クルド人への文化的抑圧を問題と考えている人は少なかった。

 EU加盟交渉を機に改革がさらに進展することに、トルコのクルド人たちは一筋の望みをかけている。(つづく)
by polimediauk | 2007-08-24 22:40 | トルコ

 トルコのファンは日本に多いようだ。私がトルコに興味を抱いたのは欧州に住んでからだ。

 新たな大統領が近く決まる予定(紆余曲折の過程を経て、秋の総選挙が夏に繰り上げられたりなど、大騒動となっている)で、成り行きが注目されている。

 オンラインのベリタと雑誌ベリタの最新号(4号)に、「トルコ、表現の自由の行方」というテーマで数本記事を書いた。若干情報を足したものを流してみたい。

 トルコで、日本式あるいは欧州式の表現の自由はあるか?と人に聞くと、聞く相手によって答えは違う。どうしてこうも違うのか、と思うほど、違う。

 一般国民の(トルコ人の)間では、特に政治運動に関わらなければ、それほど表現の不自由を感じている人は少ないのかどうか?現地で知識人の数人に「欧州並みの表現の自由はある」と断言され、ロンドンでトルコ通に聞くと、「かなり限定されている」と言う。

 いずれにしろ、現地での会話を伝えたい。

世俗主義の徹底が
表現の自由のあしかせに
母語を禁じられたクルド人、
射殺された記者


  今年1月末、アルメニア系トルコ人ジャーナリスト、フラント・ディンク氏がイスタンブールで民族主義の若者に射殺された。トルコではタブーとなっている、第1次世界大戦中のオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺があったと書いたことが引き金となった。

 葬儀には言論の自由が踏みにじられたことへの悲しみと怒りにかられた、約10万人のイスタンブール市民が集まった。

 欧州連合(EU)加盟をめざし民主化に向けた改革実行中のトルコで、「表現の不自由さ」が生じるのはアルメニア人問題だけではない。

 少数民族クルド人は母語の使用を数十年にわたり厳しく制限され、90%以上がイスラム教徒のトルコで、ムスリムのスカーフの着用は公的場所では一切禁止。国是の世俗主義が表現の自由の足かせにもなっている。トルコが一員となることを熱望するリベラルな西欧社会の価値観が許されない国内の現状と背景を探ってみた。

―ディヤルバクル

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(写真:映像作家ドアン氏と仲間たち)

 チグリス川に臨むトルコ南東部の都市ディヤルバクルは、トルコからの分離を求める反体制組織クルド労働者党(PKK)がかつて活動拠点としてきた場所だ。つい最近まで、観光ガイドブックが「行かない方がいい」、「行くなら十分に注意するように」と表記していた。

 1980年代半ば、政府はディヤルバクルを中心とした南東部に非常事態宣言を出し、政府軍及び反政府組織加担者など5万人近くが命を落としている。

 PKKの指導者アブドラ・オジャランは1999年に逮捕され、PKKは停戦宣言(2004年に破棄)を出した。これに呼応して政府は2002年に非常事態宣言を解除したが、今年もディヤルバクルを中心に何度かPKKの一派による列車爆破、警察への発砲などが発生している。

 空港に迎えに来てくれた、クルド文化センターの映画作家ゼイネル・ドアン氏は、「妹の家があいているので、そこに泊まって欲しい」と勧める。既にホテルを予約してあるからと言っても、「キャンセルすればいい」と言う。丁寧に断っても繰り返すので、何故かと聞くと、「安全じゃないから・・・」。 
 
 あまりの用心深さに、これは女性が一人で旅をしているためなのか、あるいはこの地方特有の歓待方法なのか一瞬戸惑ったが、反政府運動に関わりのない市民、外国人旅行者でも決して例外とはされず、何らかの事件に巻き込まれる可能性を考慮してのドアン氏の発言だった。 
 
 全世界で約3000万人いるとされるクルド人は独自の文化と言語を持つ民族だ。トルコ(約1500万人)、イラク(400万人)、シリア(100万人)、イラン(700万人)にまたがって住む。クルド人はトルコ全体では人口の20%を占める。

 1923年建国のトルコ共和国は、トルコ国家としての単一のアイデンティティーを作ることを重要視し、非トルコ人の国民の同化策を進めた。

 1920年代から30年代にかけて起きたクルド人の反乱はトルコ軍によって鎮圧されたが、同化に意を唱えるクルド人、反乱に関係したと見られる村人たちは処刑されたり、住んでいた村から強制移動させられた。

 トルコ憲法によれば、「トルコの国民はトルコ人」。公式言語はトルコ語のみが認められ、クルド語教育や放送などは厳しく制限を受けた。1980年代の軍政時代にはさらに文化的状況は厳しくなり、クルド語の教育、放送、出版が禁止された。

 トルコが加入を望む欧州連合(EU)の民主化要求にならい、近年は教育や放送条件が緩和されたが、自由にクルド語が教えられ、テレビやラジオで聞けるかというとそうではない。

 クルド語の教育、メディアに関わる人たちを訪ねてみた。 

―クルド語は外国語扱い
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 マザハル・アクタシュさんは、長年教師として勤務してきた中学校を昨年退職し、仲間と共にクルド語の調査研究をする団体「クルディ・デル」を立ち上げた。「クルド語の学習が許可されたのは、ほんの2、3年前」という。

 アクタシュさんが10代だった1960年代後半、クルド語の自由な使用を求めて、10万人近くが政府に署名と嘆願書を送ったという。「関係者は牢獄に連れて行かれた」。 
 
 「図書館には基本的にクルド語の本はなかったが、もしあったとしても、「クルド語はトルコ語の一部だ」と書かれていて、『いつかはトルコ語に吸収される』という文脈だった。政府の息がかかった人が書いたのかもしれないね」と笑う。書店にはたまにクルド語の本が出ることもあったが、政府側が「反政府的意図がある」として没収したという。 
 
 「一ヶ月ほど前に友人がバスに乗っていた。バスの運転手がクルド音楽をバスの中でかけた。乗客の中にはトルコ人がいて、バス停の近くにいた兵士にこれを報告した。乗客全員と運転手が警察署に連れて行かれ、運転手は罰金を払った」。 
 
 しかし、クルド人が圧倒的多数派のディヤルバクルでは、兵士もクルド人ではないか、何故反クルド的態度をとるのかと聞くと、アクタシュさんは「確かにクルド人が多いが、トルコ共和国の兵士として訓練を受ければ、精神はトルコ人と同じになるんだ」。 
   
 クルド人でもクルド語を話したくないという人もいるという。「クルド語を話したがために父が牢獄に連れて行かれた、という人もいる。こういう人は話したがらない」。 
 
 「クルディ・デル」は有志からの募金で運営されている。クルド語を成人向けに教えるコースも提供し、様々な方言があるクルド語を統一するための辞書作りにも取り組んでいるという。 
 
 アクタシュさんは、教師時代、自分も生徒たちもクルド人でありながら、学校では全てトルコ語で教えることを余儀なくされた。母語が自由に使えない事態は「頭に来る。自分の言葉が話せないのはつらい。悲しい。泣くしかない。自分の言葉を話したいし、教えたい」

 現政権の改革路線のおかげで、「今では(街中で)クルド語を話しても良くなった。テレビやラジオの放送もある。私はこれは成功だと思っている」

▽不当な扱いの撤廃めざすクルド語市民メディア

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 M・エミン・イルディリム氏は、クルド語の新聞「アザディヤ・ウエラット」の編集長だ。編集長になってからは2年ほど。ディヤルバクル近辺では最初のクルド語の日刊紙だ。販売部数は約1200部。

 元々、「ウエラット」という週に1回発行された新聞で1992年に創刊されたが、1年後には「政府の圧力」で閉鎖された。政府側は「反政府組織クルド労働者党(PKK)のプロパガンダとなっている」と主張した。1994年からは現在の名前で再出発した。

「他の新聞との違いは、ライターとオーナーが一般市民であり、市民のためのメディアであること」とイルディリム氏。自分自身も大学院生で、電子工学を勉強している。これからもジャーナリズムを続けたいという。

「アザディヤ・ウエラット」紙には20人の記者がいるが、顔ぶれは頻繁に変わる。「プロパガンダ紙になっている、として政府が様々な圧力をかける」からだ。「常に政府側からは不平不満が出る。罰金を払わされる」。書かなくなる記者もいるという。

 政府側は何が不満なのか?

 「PKKのアブドラ・オジャラン指導者(逮捕後、終身刑となり受刑中)の写真を大きく載せたり、政府批判をすると問題になる」

「私はPKK支持でも政府支持でもない。しかし、オジャランを『指導者』と書いただけで『プロパガンダ』と言われてしまう。トルコでは言いたいことが言えない」

 「クルド文化や言語は禁止されるべきではない。非常に重要だし、この新聞には大きな使命があると思う。(クルド語の教授は学校では教育課程の中に入っていないので)、新聞を通じて、クルドの文化、民話、言葉そのものを教えるという役目も担う」。 
 
 本当にPKKの機関紙ではないのかと、PKKとの関係を聞くと、イルディリム氏はどう言おうかと一瞬迷っているような様子を見せたが、思い切ったようにこう述べた。

 「この地域ではPKKに息子を出した人が必ず周囲にいるのが普通だ。この点から、支持するのは自然だ。PKKに関係しているという疑いで多くの人が投獄されてきたことも指摘しておきたい。重要なのは、(クルド人の分離・独立を求める)オジャランを支持する署名が300万集まったことだ」。 
 
 イルディリム氏自身、何故この新聞に関わっているのだろう?「クルド人に対する不当な扱いが起きている。私の心がこうした状況に何かを感じる。私は人々のために役に立ちたい」。 
  
緊張した面持ちで話をしてきたイルディリム氏に、編集室の様子を見せてもらった。

 午後8時頃になっていたが、数台のコンピューターが置かれ、書きかけの原稿、資料、辞書などが散在していた。既に他のスタッフは帰宅した様子だったが、女性が一人だけ残っていた。

 イルディリム氏と共にカメラに向かってもらいながら、「イルディリム氏は、厳しい上司ですか?」と聞いてみた。二人ともが笑い出す。「上司ではないんですよ」と女性。「ここには誰も上司はいないんです。みんなが平等だから」とイルディリム氏。やっと顔がほころんだ。(つづく) 
by polimediauk | 2007-08-23 23:58 | トルコ

「壊れた社会」英国


 短かった一時の夏の暑さがどこかへ消えてしまったようで、英国では夕方になると初秋を思わせる涼しさが続いている。あっという間だったなあと思うばかりだ。

 今度の総選挙がいつあるか、まだ未定だが早ければ今年10月、あるいは来年春、という話が出ている。休暇から戻ってきた野党保守党のキャメロン党首は、「社会崩壊」が最も大きな争点になる、と昨日テレビで言っていた。

 英国の壊れた社会と結婚制度の廃れに関して、8月21日発売の投資雑誌「zai(ザイ) 」(ダイヤモンド社)10月号に、コラム記事を書いた。書店で見つけたら手に取っていただけたら幸いだが、犯罪率の上昇やシングル・マザーが増えている状態に多くの政治家が危機感情を抱いている状況を説明した。

 英国(=欧州一般)は日本に比べるといろいろな意味で自由度が高いように思うけれども、その自由度の高さゆえに、問題も出てくる。

 前に、イランで拘束された英水兵たちがメディアに体験談を売ってお金をもうけたことを書いたが、この時も感じたが、社会の様々な分野で権威の崩壊というか、「社会には一定のルールがあって、国民・住民はこれを順守する」という暗黙の了解がどこにもであると思うが、英国ではこれが段々崩れてきているように見える。ルールの内容自体が変わっている、ゆるくなっている感じがする。

 その理由は、知人らによると、1つには1960年代以降の権威主義の崩壊・社会変革と言うが、どうだろうか?

 生活してみると、「崩れ」が目に付く。日本と比べるから「崩れ」と思うのかというと、英国人自身も気づき、何とかしてもう少しきちんと立て直そうと思うのだが、これがうまくいかない。「社会には一定のルールがあって、・・・」などと言おうものなら、反発される。権威主義を徹底的に嫌う流れがある。とにかく、「リベラル」であることが重要とされる。

シングル・マザーが増えたって、「個人の選択の自由」なのだ。若くして犯罪者となり、刑務所に入れられたら、「環境が悪かった」から、となる。子供が甘いものを食べ過ぎて、肥満児になって困ると嘆き、「子供が食べたいと思うような広告を出す製菓会社の責任を問う」。

 英国では結婚をせずに子供産む男女が増えている。現在、子供全体の40%ほどが婚姻をしていないカップルから生まれた子供たちだ。日本は殆ど全員の子供が結婚した夫婦から生まれている。この点だけ見ると、日本は非常にガチガチっとした社会にも思える。結婚してからでないと子供を産まない・産めないと考えるなら、出産率はなかなか上昇しないのではないかと心配にもなる。どっちの国が住みやすいのかは個々の判断で違うだろう。

 資本主義の国、同じ先進国といっても、日英は微妙に違い、決して同じではない。
by polimediauk | 2007-08-22 02:35 | 英国事情
イラクのアブグレイブ刑務所で起きた、イラク人拘束者に対する米軍の虐待事件を記憶している方は多いと思う。

 昨日、BBCのラジオ4「ザ・チョイス」という番組で、虐待事件を明るみに出した米兵(現在は民間人)の、英国でのはじめてのインタビューが放送された。
 http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/6930197.stm

 ジョー・ダービーという男性がその告発者。番組を聞いてみると、告発後の人生が相当につらいものであったことが分かる。

 どのようにして写真に出くわしたかと聞かれ、イラクで従軍中のある日、後に逮捕される別の米兵からいろいろな写真が入ったCDを渡されたという。最初は観光写真のようなものがあったけれど、後で有名になった、人間ピラミッド(イラク兵を裸にし、ピラミッドを作らせて、米兵がカメラに向かって笑っているなど)の写真やそのほかの虐待の写真があった。

 あまりの衝撃に、建物の外に出て、タバコを吸って頭を冷やさなければならなかったという。これをどうするか、2-3週間悩んだ。思い切って、マニラ封筒に入れたものを、しかるべき部署に渡す。「こんなものが置いてありました」と最初は言っていたようだが、そのうち、2-3時間詳しく聞かれて自分が見つけたということが明らかにされる。

 ダービー氏の部屋は当時ドアがなくて、ドアの代わりにレインコートをかけていただけで、写真の中にいた米兵にのどをかっきられるなど、殺されるかもしれないと思いながら数週間が経つ。そのうち、関係した米兵たちが連れ去られたので、一安心していたところ、食堂で仲間と食事をしていたときに、テレビでは写真をきっかけとした虐待事件の公聴会の様子が放映されており、ドナルド・ラムスフェルド氏が、「ジョン・ダービーに感謝する。おかげでこうしたことが明るみに出た」と、名指しされてしまった。(後でラムスフェルド氏から手紙が来て、「匿名にするようになっていたことを知らなかった」と書かれてあったそうだが、ダービー氏はこれを信じないと語っている。こういう時のスピーチは事前に周到に準備されたものであるし、当時軍のトップだった人物が知らないわけがないからだ。)

 ダービー氏はそっと食堂を抜け出したという。

 一方、ダービー氏の米国の地元では、妻がメディアに追い掛け回されていた。妻はまったく何が起きたのか知らなかったという。また、地元では、ダービー氏は何と「裏切り者」、「イラク人のために米兵を裏切った奴」とされて、憎しみの対象になってしまった。

 妻は町を離れ、米国防省に連絡を取り、保護を求めた。ダービー氏にも連絡がきて、氏は突如イラクから去ることになる。

 夫妻は新しい場所で居を構え、仕事も変えた。最初の半年間は政府の警備がつきっぱなしの生活だったという。

 現在でもふるさとには戻れないダービー氏だが、告発したことを後悔したことは一度もないという。すごいなと思った。

by polimediauk | 2007-08-08 18:15 | イラク
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 アルジャジーラ英語放送への前評判は高かったが、なかなか放送は開始されなかった。そんな中、社長インタビューがOKになった。2005年夏、ドーハで会い、その年の秋にもオランダで会う機会があったが、インタビューは初めて。

 インタビューの場所では、横には広告会社の女性がいて、一語一句を書き取り、こちらをじっと見ていた。本当に緊張したインタビューで、笑顔がこわばりっぱなしだった。(写真はアルジャジーラインターナショナル提供)

ベリタ2006年04月20日掲載
インタビュー
「途上国拠点に360度の視点を持つ国際放送局に」

ビデオジャーナリストの募集も検討 アルジャジーラ英語版社長に聞く

 カタールの衛星テレビ・アルジャジーラが2006年6月(と当時思われていた)、英語放送を開始する。開局から2006年で10年目を迎えるアルジャジーラは、アラビア語圏で人気が高い。英語放送は新たに発足した「アルジャジーラ・インターナショナル」が提供する。カタール・ドーハを拠点とする同社のナイジェル・パーソンズ社長(55)によると、英語放送は「360度の視点を持つ国際放送局」を目指すという。ロンドンに出張中のパーソンズ社長に、放送開始までの秒読みの状況と編集方針に関して聞いた。 
 
▼24時間放送・65%は生のニュース 
 
 ―放送はいつから始まるのか 
 
 「技術的な問題が解決次第、始める。本拠地はアラビア語放送同様カタールの首都ドーハに置くが、他にロンドン、クアラルンプール、ワシントンから番組を放映するため、世界4ヶ所をスムーズにつなぐ技術的な問題の解決に時間をかけている。4ヶ所からのハイビジョン放送がうまくつながればテストは成功だ。5月初旬からテスト開始で、早ければ6月ごろから放映する」(注:実際には11月に開始された。)
 
 ―ターゲットにしている視聴者の層は 
 
 「国際的な事象に興味を持つ視聴者、イスラム教徒だがアラビア語を理解しない人たちなどだ。これまでの調査では、若者の関心が高い。高度な教育を受けた人、情報を扱い、物事を決定する地位にいる人たちの間でも関心は高い」 
 
 「世界中で7000万世帯から1億世帯の視聴者があることを想定しており、24時間放送の中で65%は生ニュースになる。すでにドキュメンタリーなど撮影は進んでいる。しかし、開始日そのものにはあまりこだわっていない。放映される番組の質で人々は英語放送を評価するだろう」 
 
 ―番組はどのように配信するのか 
 
 「国や地域によって異なる。英国では衛星放送スカイの一部として放映される。日本ではまだ正確には決まっていないが、見られるようになることは確かだ。ウエブサイトは放送開始とともに刷新するので、ストリーミングでサイトから見ることも可能だ」 
 
 ―社長就任前はアルジャジーラをどう見ていたのか 
 
 「中東に表現の自由、報道の自由を初めてもたらした放送局として認識していた。アルジャジーラができる前はどの国でも、ニュースと言えば基本的にはその国の統治者が何をしたかだった。放送業界には自由はなかったと思う。アルジャジーラはこの状況を変えた」 
 
 「民主主義の欠如、賄賂など、これまで中東のどの放送局も扱ってこなかったトピックを初めて報道し、この地域の多くの政府と何らかの衝突を起こしている。現在では似たような衛星放送局が中東でもできているが、アルジャジーラは最初であり、新鮮だった。今でもその存在は新鮮だ」 
 
 ―アルジャジーラがテロ集団と何らかの関わりがあるのではとの懸念はなかったか 
 
 「なかった。そうした懸念が真実なのかどうか、私には分からないし、おそらく永遠に分からないだろう。しかし、何の懸念も私自身は持っていない。編集上、ああしろ、こうしろ、という圧力を一度も感じていない。これほど自由な環境で今までに働いたことがないぐらいだ」 
 
 ―アラブの放送局で働くことにためらいはなかったか 
 
 「なかった。このプロジェクトは本当におもしろい。考えても見て欲しい。全く新しい国際放送のチャンネルを作るために世界に4つの放送センターを作り、編集上の政府の干渉はないと保証されている。最上の番組を作るのが仕事だ。これ以上の条件はないし、挑戦だ。これ以上最高に刺激のある仕事はない。毎朝、目が覚めると、これこそが最高の仕事だと思っている」 
 
 ▼フリーのビデオジャーナリストも募集 
 
 ―アルジャジーラ英語放送の編集方針は 
 
 「アルジャジーラのスピリットを継承したい。つまり、世界中に向けて何をも恐れることなくニュースを報道する精神だ。非アラビア語圏に住む人々にアルジャジーラスタイルの報道を届けたい。(番組では)人に焦点をあてた問題も大きく扱う。世界中で、政治家と一般の人々の間の溝が大きくなっている。投票率は非常に低く、シニシズムが広がっている。何がニュースかを政治家が決めていくような、これまでのニュース報道のスタイルを変えたい。一般市民にもっと関わる問題をとりあげたい」 
 
 「アルジャジーラができる前には、多くの国では、その日のニュースはこれとこれだとその国の統治者が決めていたり、国際ニュースは国際報道チャンネルから流れていた。国際報道チャンネルは欧米を本拠地としており、何がニュースか、何がニュースでないかを世界中の視聴者に押し付けていた」 
 
 「しかしアルジャジーラ英語放送はこれの逆をやりたい。軸を発展途上国に置きながら、私たちが重要だと思うトピック、他の国際放送が見逃してきたようなトピックを扱っていきたい」 
 
 「スタッフは総数で500人ほどで、そのうち記者は250人ほど。今後はあまり増やさずに外部委託を進めたい。アフリカの問題はアフリカに住む人々が、アジアの問題はアジアに住む人々が語る形をとりたい。 フリーのビデオジャーナリストでこれは、と思う題材がある人はサイトを通して応募して欲しい」 
 
 ―BBCやCNNの国際報道をどう評価するのか 
 
 「BBCもCNNも良い報道機関だとは思うが、力のある大国で生まれた報道機関であり、それぞれの国の見方を反映している。両社ともに伝統的な西欧的な視点を通した番組を作っている。これは普通のことであり、こうした姿勢自体を批判しているわけではない。 アルジャジーラの英語放送はこういう形をとらない、と言っているだけだ」 
 
 「英語放送はカタールという小さな国を本拠地とし、360度の視点を持って世界の出来事を眺める。放送拠点がクアラルンプールからドーハ、ロンドン、ワシントンと移り変わる間に、視聴者はメガネをかけ替えるような体験をする。同じストーリーでも、クアラルンプールで見た場合と、ワシントンで見た場合は違ったように見える。実生活でもいる場所が違うと物事が違ったように見えてくるのと同じだ」 
 
 「アルジャジーラ英語放送は、視聴者がより良い相互文化理解、より良い対話をするための道具でありたい。世界中の人々をばらばらにするのではなくて、逆に、世界中の人々の間の相互理解を深めたい」 
 
 ▼アルジャジーラのブランドは薄まらない 
 
 ―360度の視点はどう確保するのか 
 
 「まず、スタッフを世界の様々な場所から雇用する。現在、全スタッフの国籍は30以上になる」 
 
 ―多くのスタッフ(特にマネジメントレベル)が、米国あるいは英国のテレビ界の出身者であることを懸念する人々もいるが 
 
 「アルジャジーラというブランドの中身が薄まるのでは、と心配する人がいる。そうはならない。米英のスタッフが多いとしたら、それは英語でテレビ報道ができるアラブ人のジャーナリストの人材が少ないからだ。それでも多くの著名なアラブ人ジャーナリストを雇用している。もし英語放送が海外にいる英国人スタッフだけでまかなわれ、英国中心のトピックを放映するだけの放送局だとしたら、世界中から人材を集めることはできない」 
 
 ―アラビア語放送との協力態勢は 
 
 「まずドーハではビルが隣通しだ。一緒に番組を作ることもあるし、アラビア語の番組に英語のサブタイトルをつけて放送することもあるだろう。しかし、違うバージョンを作る必要性もある。例えば、中東では2時間のトークショーが人気でも、西欧では長すぎるかもしれない。アラビア語放送の10時間のドキュメンタリーは、もし英語でやるとしたら4時間に削るかもしれない。同じネットワークの中で兄弟関係にある放送局同士には違いない」 
 
 ―英語放送が強大化した場合、アラビア語放送が「弟」のような存在になる可能性もあるのか 
 
 「アラビア語放送は父親あるいは母親のような存在だから、そうはならない。これまでのアルジャジーラの業績を基にして英語放送が存在する。パキスタンでは近く、アルジャジーラがウルドゥー語で放送を始めるので、英語放送がアルジャジーラの最新で最後のプロジェクトというわけではない」 
 
 ▼広告は日本を含め世界から募る 
 
 ―他の海外放送局との協力体制は? 
 
 「中南米のテルスールや、日本ではアラビア語放送はNHKと緊密な関係にある」 
 
 ―アルジャジーラのアラビア語放送は、広告収入を増やすことに苦心していると聞く。特に、サウジアラビア政府との関係が良好ではなく、中東諸国の広告市場はサウジアラビアの広告代理店が牛耳っているため苦しいらしい。英語放送はどうか 
 
 「アラビア語放送の状況は確かにそうだ。しかし、サウジアラビアをさておくとしても、まず中東のテレビ用広告業界の市場そのものが比較的小さい。もう一つ、アルジャジーラは、英語放送だけでなく、ネットワーク全体で広告収入を増やすことを考えている。スポーツチャンネル、子供向けチャンネルがあるし、ドキュメンタリー専門のチャンネルも予定している。ネットワーク全体で収支を安定させようとしている。また、英語放送では世界中から広告主を募っているので、中東諸国の広告市場だけにとらわれていない」 
 
 ―最後に日本に向けてのメッセージを 
 
 「湾岸諸国では、トヨタのランドクルーザーばかりがあちこちを駆け回っている。英語放送に声をかけてくれることを心待ちにしている!放送開始ということで、特別に割安な広告費の枠も提供できますよ」 
 
 パーソンズ社長の経歴 
 
 1951年英国生まれ。新聞記者として、ケンブリッジ・イブニング・ニュース、ニュージーランド・ヘラルドなどで勤務。その後BBCラジオを経て、英通信社WTN(ワールドワイド・テレビジョン・ニュース、現APTN)に入り、カメラマン、報道デスクなどを担当した。88年、スイス・チューリッヒに異動し、欧州ビジネスの専門局EBCを始め、複数の新チャンネルを立ち上げた。2004年、APTNの世界中での契約収入を統括するディレクター職を辞して、アルジャジーラ・インターナショナル社長に就任した。 

 (次回のアルジャジーラ特集は今年のロンドン支局長の会見ですが、掲載までやや時間があきます。まだテープを聞いていなかったので!!!)

by polimediauk | 2007-08-05 23:30 | 放送業界