小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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朝日新聞・ヨーロッパ総局長木村伊量氏の6月末のインタビュー(最後)

―知的な会話には新聞が大事だと思うが、日本の新聞業界は危機状態にあるだろうか?

木村氏:間違いなく危機だと思う。発行部数が全体で、ごく一部の新聞を除いて、ずるずると減ってきている。なかなか歯止めがかからない。かつては広告とは新聞の広告のことだったがテレビに取られ、テレビもインターネットという新しいメディアの登場で、どんどん広告がネットに移っている。若い人は新聞よりもインターネットで簡単に見て、それ以上いらない、という雰囲気がある。

 ライフスタイルも変わっている。これだけ他メディア時代になってくると、新聞だけじゃなくて他のメディアもどんどん変わる。役所も政党も新聞とかテレビという既成のメディアを頼らずに、自分たちが直接情報を出すことができる世界になっている。

 役所や政党の情報を独占して、それを味付けしたり、加工したりして流すというところの新聞の機能は落ちてくるというのは間違いない。厳しい状態。日本の新聞だけではなく世界の新聞のほとんどに共通している。その中で、新聞が責任あるメディアとして、しかも全体のメディアの中核として(生きていく)条件は何か?

―条件とは?

 3つあると思う。まず、速報性ということでは、新聞はインターネットにかなわない。テレビは出現したときにかなわなかった。テレビや新聞と同じように、大手新聞もそれぞれ朝日新聞ならアサヒ・コムのようなホームページを立ちあげて、そこにニュースを早く流している。もちろん速報性も大事だが、新聞を(読んでいる)人たちにネットがまず入り口を提供する。

 そこで1番目の条件は付加価値の高い、深い情報を提供すること。世の中が複雑化していて、みんながいろいろな情報の洪水の中にいる。その中に、これは一番大事な情報だ、という優先順位を新聞が公平な視点できちんとつける。大事な問題には解説をつける。ある事件が起きてみんなテレビで見て、テレビで大体の解説と背景は何か、と知る。次の日に新聞を読む人はもっと深い、別の視角からのオリジナリティーのある記事が読みたい。昨日テレビで言っていたけれども、こういう事情でこういう背景があったのか、と。政治経済、焦点深度の深い情報を読者に提供することで、自分たちの存在を高めていく。これが新聞のあり方。

 2番目は、特ダネ。これも早耳競争で、かつて僕がやったように、明日発表になるものを「何とかを入手して」と書いても、それは「ご苦労さん」、立派なことではあるけれども、読者からすれば、よほどの大きなことではない限り、どうせ三日後ぐらいには出るのを、「明日原案が固まる」といわれても、だから何なの?と。

 一番質の高い、優先するべき記事は、じっくりとした調査報道で、それがなかったならば、歴史の波に隠れて出なかったもの、地道な努力でやるようなもの。例えばワシントンポストのウオーター・ゲート事件や、朝日新聞もかつてリクルート報道でやったが、じわじわと、一つ一つ、既成の権威によりかからず、記者が集めていく。

 新聞がアジェンダを作っていく。これは独りよがりなことだけでなく、読者に共感を得られるように、新聞がアジェンダをリードしていく。交通事故のキャンペーンでも、あるいは乳がん撲滅キャンペーンでも。世の中で、これが一番大事だということを、きちっと作っていくという意味での特種性、オリジナリティーを出すところが新聞の役割。隠されたものを暴く、という、単に正義感に燃えてということも大事だけれども、後ろに何かあるかということをじっくり(探り出す)という意味の特ダネ。独自ネタを読者に提供するのが非常に大事。

 3番目はフォーラム機能。新聞がフォーラムを作っていく、言論の大事さをきちっと育てていく。えらそうに上から言う、というのはご法度だが、フォーラムの機能をじわじわと高めていって、朝日新聞見ている人も、こういう見方もあるのか、と。イラク戦争は今朝日は反対しているけれども、でもイラクに行くべきだという人の意見も出す。こういう見方もあるのか、という点を出す。

 オプ・エドは大事だと思う。アメリカも、例えば、エディトリアルがあるけれども、オプは別の論調を入れる。NYタイムズに反対の人の意見も載る。民主主義の多様性を大事。これに加えて、フィードバック。自分たちがひとりよがりにならないように、いろいろな人から意見をもらう。

 そういう3つの点が実行できるなら、新聞がまたメディアの主軸というか、場の中で生きていける余地は多分あるだろう。そのためには、今までの成功物語の上にあぐらをかいていてはいけない。自分たちのオリジナリティーを再定義する、新聞の意義と価値を再定義していく、こういう作業をくぐらないと、やっぱり新聞は無用の長物になる。必需品にはもうなくなっている。

―より良いクオリティーペーパーを目指すべき、ということか?

 そうだ。クオリティー・ペーパーというのはいろいろな意味合いがある。一方で、お年寄りやシニア世代に、大きな文字で分かりやすく、というのがあるが、一方で、もっと質的なクオリティーで、あまり大衆だけに流されずに、言うべきことはきちっと言うという意味のクオリティーもある。両方を追求しなくてはいけない。

―ネットはライバルか?

 ネットはライバルだが、敵にしていたら生きていけないと思う。ネットは入り口でもある。新聞がいつまで紙に耐えられるか?20年後は?分からない。新しい生活形態にかなうツールも出てくるだろう。ネットで新しいことをドンドン吸収し、こちらからも発信。どっちが上で下でもない。クロスメディア状態。

 イギリスもガーディアンをはじめとして、ネットに力を入れている。ネットを敵視して、古いところにこだわったら生きていけない。むしろネットがプリントメディアを上回る状態が来るかもしれない。みんな暗中模索中。

 最も古い歴史のある(英新聞業界の)「フリート街」が最も先鋭的な実験をしている。これはすごいなと思う。古いモデルにこだわるのでなくて、古いところを大事にしながら、一番先鋭的試みをする。何でも新しいのをとりあげて、大胆にやる。イギリスの新聞の危機感は日本も同じ。どこで誰が次の担ぎ頭になるのか。(英新聞は)ウエブの世界をどんどん適用するたくましさを感じる。日本もおおいにみならうべき。(終わり)
 

 
by polimediauk | 2007-08-04 02:31 | 新聞業界

6月末のロンドンでの朝日新聞ヨーロッパ総局長(当時)木村伊量氏・インタビュー

―国民の野党に対する視線は、一般的に否定的なものが多いのではないか?野党に政治はまかせられない、と。これは自民党以外に選択肢がない状況に置かれているせいもあるだろうか?

木村氏:自民党は総合デパートみたいなものなので、一番リベラルな人から、本当に右翼の人もいる。それが自民党の良さであり、欠点でもあったわけだが。

 選択肢となると、本当に民主党が対案を出してくれているかというと、そうでもない。自民党も民主党も(政策が)一緒だとしたら、どこに入れるのか。シンクタンクなどいろいろな機関が、もっと強く、「なるほどこういうものがあるのか」という選択肢を出せばいいのだが。私はメディアがもっと選択肢を示すべきだと思う。

 自分たちのエディトリアル・ラインはそれぞれあると思うが、しかしもっとフォーラム機能というか、朝日新聞はこう考えるけれど、他の新聞が何を考えているかが朝日新聞を読んでいる限りでは分からない、ということだとだめだと思う。読売はこう書かれていて、産経はこんな主張をしている、ということで、読者、あるいは国民に、判断する材料を幅広く公正に提供することが、すごく大事なメディアの機能だと思う。

  野党や政治家の側にも選択肢を出していかないと、非常にモノトーンな政治になる。オルタナティブな選択肢を出すことは、日本の民主主義を高める、言論性を高めていく、一つの大きなポイントだと思う。

―日本で野党が弱いのは国民の側があまり現状変革を求めていないこともあるのかどうか?

 かつての55年体制の下では、自民党のデパートの中にいけば、何でもそろっているから、野党はともかく自民党にスキャンダルがあったときとか、こらしめのための(存在だった)。自民党の中で社会党に変えたほうがいいや、と思った人は多少はいるとは思うが、多数派は、少し自民党にお灸をすえようということで野党に(票を入れる)。野党がそのときたまたま勝って、「時代が動いた!」ということになっているが、実際は自民党を中心としたところで、それぞれが、そのときそのときには問題があるけれども、まあまあ許容されてきたのが自民党だった。

 だけどもう、そういう時代ではなくなって、政権交代が本格的に望まれている。読者の側も、国民の側も、自民党と野党の側の違いは何なのか?クリアにしてくれないと分からない。

 今や自民党と民主党の間は、ほとんど同じようなところを目指しながら、掲げる政治目標は似ている。どこから富士山に上っていくかというところだけが違う。自民党と民主党は違って欲しい。しかし、あまりに大きく違って欲しくない、というところが、一般の世論。野党もまだまだ選択肢を示していないもどかしさがある。野党は、自分で自前の政策を鍛え上げるという力を持たないことには、自民党のアンチ・テーゼでしか生きられない。

 野党が信頼感を勝ち取っていかないと、野党への不満が結局は政治への不満につながる。低投票率になって、国民は政治に背を向けてしまい、政治不信を構造化してしまうのではと思う。

―日本は中にいると不満があるかもしれないが、外から見ると、幸せな国に見える。政権交代は必要だろうか?

 政権交代は絶対に必要だと思う。もちろん、イギリスを見ても、前のサッチャー政権の場合は17年-18年保守党が続き、今は労働党で10年続いている。30年近くの間に、政権交代が1回しかなかった。これがロールモデルかどうか、というと議論があるが、政権を交代させるという危機感があるということで、政治が浄化をはかられたり、さらにそれぞれの政党の公正さや政策を磨くということが競われる。ひょっとしたら野党に転落するかもしれないぞ、という危機感が、彼らを鍛え上げるという競争原理が働いて、民主主義が機能する。

 しかし、同じ政党がずっといるということであれば、外から見れば、日本はまあまあうまくやっていると見えるかもしれないが、国際社会の中では、どんどんどんどん、日本の存在感が薄まって、小さくなっている。世界に何を訴えていくのか?発信していくのか?

 これだけグローバリゼーションが広まって相互依存がさらに強まっている中で、日本だけが今の流れから無縁なところで、小さな幸せを享受していることは無理だと思う。
 
 それは湾岸戦争でも突きつけられているし、もっと昔であれば、オイル・ショックの頃から突きつけられている。我々が小さな世界で自足して生きていくことはできない。

 日本には経済的な大きさにみあう貢献をしていく責任がある。これをどう果たしていけるのかに関しては、もっと議論をしていかないといけない。グランド・ストラテジーが必要とされているときに、日本のちんまりした、マイクロマネジメントが続けば、そこだけで100年続けば幸せな物語だが、私はそうはいかないと思う。

 かつて失われた10年と90年代が言われたが、失われるかもしれないまた10年になってしまう。今のうちに、次のダイメンションに向けての日本のファンダメンタルを鍛え上げて、無駄をなくして、スリムに筋肉質にして、次の日本の発展と国際社会への貢献をするために、発信力を増すことに全力をあげるべきだ。

 ヨーロッパが日本よりもっと大きい実験をたくさんしている。たくさん失敗して。どう先行指標から学ぶのか。今のうちに、日本の新しいしなやかなシステムを、ビジネスモデルを作っておくために、メディアを含めて、どういう風に我々はこれから移民の問題、エネルギーの問題、負担と給付の問題、高齢化社会と少子化の問題に立ちむかっていくか、ということのデザインをしないといけない。

―日本の情報発信という点では、例えば、ワシントン・ポスト紙に慰安婦の広告を出した、という件があった。ああいうやり方では受け入れられにくいのではないか。

 外交は外交官の特権ではないし、これだけいろいろな日本人が世界中に出て行っているので、全員が外交官だと思う。そこで、自分たちがどうやってコミュニケーションの回路を太くしていくのかをそれぞれがやらないと。
 
 意見広告を出してきても、では日本の国内ではどういう議論がなされているのか?とは切り離されて、すぽーんと出るから、基礎的な下地がないものだから、相手は「何を考えているのだろう?」と思う。これが日本の代表的なものと見なされ、「日本ってすごく変な国だね」(となる)。それまでに何の情報もないところに、すぽんと出てくるから。そのときに、「日本はこういうことをやってきて、戦後50年の平和のなかで、曲がりなりにも他国に軍隊を送って戦争をするようなことはなかった」と、きちっと説明する力がなかった。

 プレゼンテーションのへたくそさ。従軍慰安婦の件も、必ずしも政府の言う通りではないだろうと思う人がいてもいいと思う。ただし、日本は村山時代に村山談話があり、河野談話があり、これが一種の公式見解になっている。それを国会議員、日本の国益を代表する人が、真っ向から違う、と言うのでは、変わった国、と思われる。

 それまでの議論の積み重ねがないので、日米のパイプが太くないので、政策担当者の間では、安保は大事ということはいつも確認しあっても、広がりがない。広がりというのは、グラスルーツのレベルでそうしようという努力が、少なくとも継続的にはなされていない。

―日米のパイプが太くないとは不思議だ。近そうに見えるが。

 近そうに見えても近くない。よく米大統領と首相が、日米はお互いの価値観をシェアしている、という。基本的にはそうだと思う。しかし約束事は「あの時の戦争はやっぱり日本が侵略行為をした」ということ。日本でもたくさん言い分がある。その前にたくさん植民地支配をやったのはヨーロッパだったと。しかし、それを言って日本の行為が正当化されるわけではない。僕らが戦後の国際社会に復帰したのは、サンフランシスコの平和条約と、日本が極東の軍事裁判の結論を受けたというのが前提だ。

 その中にはいろんな飲み込まないといけないこともある。でも、約束事を今さらぶっちゃけて、やっぱり・・・ということをやれば、それがどういう国際行為にかなうか。国益といっている人に限って、大きな国益を損なうことになっている。そのアイロニーということにもう少し神経を尖らせてやるべきだと思う。

 政治家はまったく自分たちの独りよがりの世界観、歴史観、をもってしゃべるが、これがどういう風に国際社会に受け入れられるかということに無神経すぎる。普通の人はそう思っても、リーダーになるような人があのような意見広告を掲げたり、しかも、継続的に対話をする努力が失われているということから、日本ってやっぱり変ね(と思われる)。(つづく)

by polimediauk | 2007-08-03 06:52 | 新聞業界

 6月、ロンドンにある大和日英基金のイベントで、日英の政治報道に関するセミナーがあった。これについては前に書いたが、この時パネリストとして参加したのが、朝日新聞ヨーロッパ総局長(当時)の木村伊量(ただかず)氏だった。政治部記者として首相官邸、自民党、外務省などを担当。ワシントン特派員としてホワイトハウス、国務省、大統領選挙を担当。論説委員、政治部長、編集局長を経て、ロンドン赴任に。日米英の政治報道に携わった木村氏の目に、英メディアはどう映るのだろう?

 木村氏は新任務就任のため、7月中旬、日本に帰国。帰国前のある日(テロ未遂事件の日と重なった)、ロンドンで話を聞いた。

―日本、米国の政治報道と比較して、英政治報道はどのように見えるか?

木村氏:今はずいぶん変わってきているが、日本のメディアは政界の人事に重きを置く。英国の場合は、「HOW」というか、どのように、この政策が組み立てられているかという背景などにたっぷりと時間をとって取材している感じがする。

 英国では、これからどういう中東政策をやっていこうとするのか、これからどういう風にニューレーバーが変わろうとするのかという、すごく深みのある論評記事が多いと思う。

 もう1つ感じるのは、日本の新聞以上に視角がはっきりしている、インディペンデントにはインディペンデントのアングル、味付け、ガーディアンにはガーディアンのアングル、味付けがある。一番リベラルなインディペンデント、それよりともうちょっと真ん中のガーディアンとか、タイムズとか、それからデーリー・ミラーとか、右から左までが、(各紙を)見ていれば大体分かる。しかもそれが、自分たちのバイアスで見ているのではなくて、わりと扱うニュースは中立というか公正の感じを持っている。

 日本も読売や朝日で、例えば戦争責任問題だとか、靖国問題などは明確に立場がはっきりしている。しかし国内政策、例えば福祉や年金の問題に各社の立場が全部はっきりしているかというと、必ずしもそうではない。

 (英メディアは)ガーディアンが年金の記事を書いている時は、この前の時とずっと系統が同じようなエディトリアル・ラインで書いているのが分かって、勉強になる。それがずいぶん違うと思う。

―米国のメディアと比べても英メディアは違うと感じるか?

 最近は、テレビ全体のムードがアンチ・リベラルで、リベラルの代表のようなニューヨーク・タイムズが標的にされている。一かゼロか、と。お前はプロ・ブッシュなのか、アンチ・ブッシュなのか、と。あまりにもそこのところが分かれすぎている印象を持っている。

 もちろん、英メディアもブレアのイラク政策に関しては分かれているが、ブレア(元首相が)政治メディア批判を(6月中旬)やった時のメディア側の論調は、みんなおかしいじゃないか、と。スピンをやったのはなんだったんだと、メディア全部がブレアの批判の仕方に反論した。ここのメディアはアメリカに比べると機能していると思う。
 
  日本の新聞のように若い人の新聞離れ、フリーペーパーやインターネットなど、いろいろなことで危機にさらされているが、新聞が社会の中で不可欠なものだとして認知されているのがイギリスの強いところだ。フリーペーパーでもとにかく、見ている。読んでいる。

―確かに、何かしら読んでいる。

 必ず読んでいる。シティーの人はFTを必ず読んでいるし、知識人と言われている人はガーディアンを読んだり、インディペンデントを読んだり。それぞれが、自分たちの好みの新聞が何かということが、今でもきちっとまだある。また、新聞を大事にしようというカルチャーがあるな、と。アメリカはそこまでないのではないか。かなり違ってきていると私は感じている。

―日本の新聞の政治報道はどんな感じか?

 今はずいぶん変わってきている。政治家のマウスピースになっているということがよく批判されていて、政治家ととりわけ政治記者との距離の置き方の問題もよく言われた。田中金脈問題の時も、政治記者がネタをずっと知っていたのに、これは文芸春秋の立花隆が書くまでは書かなかったじゃないか、と。海外からの批判にさらされることになった。

 政界記者は、派閥の中での動きを、自民党と社会党を中心とした55年体制の下で、彼らが何を考えどう動くかを、きちっと情報を取ってくるのが優秀な記者だ、と言われた。今でもその良さはもちろんあるわけだが、きちっと記者会見で聞くべきことを聞くき、政策に比重を置いた(報道を)するべきだ。政治の側も変わってきて、かつてのように近づきがたい政治家がいることが大物のあかし、ということがもう許されないような気がする。

 もう1つはマニフェスト選挙。イギリスをお手本としながら、政策でそれぞれ政党が選挙で争っていこう、という思考が政治の側から出てきている。

  有権者の側も長いスパンで日本の政治を考えてくれる人に投票しようということが、少なくともかつてに比べれば出てきている。それにつれて、新聞記者やテレビ記者の報道の仕方も変わってくる。

 ただし、もう1つ動きとして出てきているのが、テレビが中心となった、ポピュリズムの文化。テレビが日本の政治を決めていく風潮が強くなっている。小泉政治はテレビがなかったら成り立たなかった。一かゼロか、と。郵政の民営化に賛成か、反対か。賛成な奴は改革派だけど、反対の奴はみんな守旧派だ、というレッテルを貼る。しかし政治や世の中は、デジタルな社会でなくてアナログ的なところがある。アナログなところをきちっとつめていって、アカウンタブルな社会にしていこう、というのが基本だと思う。

 言論性や民主主義の基本は、お互いが納得していくまで議論つくすことが基本だ。それが国会でもないがしろにされ、とにかく小泉改革にぐちゃぐちゃいう奴は、改革派に値しないし、こんなのはだめだ!となると、それがだーっと流れて、それが一昨年の秋の選挙になった。

 おもしろおかしくワイドショー的なテレビのあり方が政治を規定してしまう。かつての(政治家と政治記者との)癒着という問題もあるが、もう少し大きな要素として、テレビ政治、ワイドショー政治に国民の側がどっぷりとつかっている問題もある。

 とにかく「郵政民営化に賛成か反対か」だけ、それ一色に染められてしまう。これは日本の民主主義にとっても良くないし、また一昨年の選挙は日本の政治メディアの微力さ、弱さを痛感させられた選挙でもあった。

 どうやって、言論空間をもう一度再構成してゆくか?という大きな挑戦を私たちは突きつけられている。(つづく)

by polimediauk | 2007-08-02 05:37 | 新聞業界