小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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<   2007年 11月 ( 16 )   > この月の画像一覧

 今日本で、空・防衛分野の専門商社「山田洋行」から複数回接待を受けていた守屋前防衛次官のスキャンダルが連日報道されているようだ。

 英国では、BAEシステムズがサウジアラビアに大規模賄賂を使って契約を取っていたとする疑惑で、重大不正局が捜査していたのだが、昨年12月、突如、捜査は中止された・・・と言う経緯があった。

 当時の法務長官やブレア前首相が言うには、理由は「国益のため」である。サウジとは「テロの戦争」で勝つために情報を交換し合っているし、サウジの中東に置ける位置、それに(言わないがビジネスや雇用の維持のため)などのもろもろが「国益」。

 首相(当時)に、「国益だから」とはっきり言われては、ある意味、反撃する言葉を失ってしまうと言うか、壁にぶち当たった感じだった。後でBBC「パノラマ」が、重大不正局のトップに取材した。「このまま捜査を続けたら、命も危ない」と言われたそうである。脅しである。その「命」はトップの命のこと、という意味で番組では言っていたようだ(サウジの過激主義者に命を狙われると言うことなのかどうか?)。つまり「殺されても知らないよ」――と。自分の政府にこう言われたら(脅されたら)、ビビるだろう。情けないかもしれないけど、「殺されてもいいから、正義のために捜査を続けてくれ」とは言えない。

 その後、「一体どうしたら?」と思っていたら、あるところで、コーナー・ハウスというところの人に会った。何とかして、捜査の停止は違法であったと証明し、「再度捜査を開始することを目指している」と言われた。言っていることはつじつまがあっているようだったけれども、捜査で「確かに賄賂だった」と証明されたとしても、そしてサウジがそれを認めて罰金か何かを払ったとして、その結果、BAEシステムズでなく、他の防衛会社からサウジが軍用機などを買うことになったとして、で、結局何を達成できるのだろう?とも思った。

  すると、その人は、「少なくとも、他の企業が、今度賄賂を使おうと思ったら、その前に、ちょっとは考えるだろう」と言った。これがこの人の最低限、本気で目指すことなのだ、と言った。サウジが今後一切賄賂をもらわなくなるとか、そういうことを狙っているのではなく(「理想的な世界ではどの国も賄賂を使わないのがいいけれども」)、と。

 今日、コーナーハウスが裁判を開始する件で勝利したというニュースが出ていた。もう1つのキャンペーン団体と共に、捜査中止がOECDの反汚職法の第5条(国家の安全保障に関わるという理由で汚職の調査を停止してはいけない)を違反したことを証明するために活動を続けており、高裁でこの件を扱うことが決まったようだ。来年1月末、2日間に渡る公判(どのような形になるかは今後6週間で決める)が開かれる。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/business/7086997.stm

http://www.guardian.co.uk/baefiles/story/
0,,2208451,00.html


 すごいことになった。あきらめない人はあきらめない。

 英国ではでかいレベルで汚職や人権侵害が起きている・・・。英政府は、いざ!という時、自国民でさえも守ってくれないようだ。英国人でサウジで働いていてテロリストとされて、拷問されて、英国に最後は戻ったけど、まだ「テロリスト」になったままの人の話をいろいろ聞いたせいか。外国の政府役人に拷問されたわけだが、英国内の法律では、最高裁まで言ったけれども、外国の政府役人を裁く法律は「ない」そうだ。法律のブラック・ホールだ。

 以下に、昨年末、捜査が停止された時のベリタ掲載記事をご参考として貼り付けたい。

2006年12月16日掲載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200612161605416
サウジへの兵器売却汚職の捜査を英が中止 「国益を重視」とブレア首相

 サウジアラビアへの兵器売却を巡る汚職を調査中だった英国重大不正捜査局は12月14日、2004年から開始した捜査を突如打ち切る事を決定した。

 ゴールドスミス法務長官は、貴族院で打ち切り理由を説明し、捜査が起訴に至らない可能性が高く、捜査の継続はサウジアラビアと英国との関係に「重要な損害をもたらす」と述べた。ブレア英首相も打ち切りには同意しており、「法の支配の原則よりも国益を重視」した、という。野党は「サウジアラビアに脅迫された」と打ち切り決定を批判し、「これでは汚職打倒を他国に説くことは到底出来ない」と嘆く。打ち切りの背景を英各紙の報道から追った。 
 
▽汚職疑惑の発端 
 
 今回の汚職疑惑の対象になったのは、英国の大手兵器会社BAEシステムズのサウジアラビアに対する総額400億ポンド(約8兆円)の兵器売却契約で、80年代末から段階的に契約が進んできた。2004年5月、英ガーディアン紙が、BAEシステムズが巨額の賄賂を使って契約を取っていたと報道。同年11月、BAEは重大不正捜査局に捜査を受けていることを認めたが、不正行為は現在まで否定し続けている。 
 
 2005年12月、BAEは多目的戦闘機「ユーロファイター」72機をサウジ側に売却することになったと明らかにした。今年一杯、この交渉が続いてきたが、今月に入って、フランスの航空機製造会社がユーロファイターのライバルとされる戦闘機の購入契約についてサウジ側と交渉を開始していることが発覚。BAE側はユーロファイター購入交渉の進展がもたついていることを認め、12月14日、契約進展の妨害要因とも見られていた捜査の打ち切りが発表された。 
 
 サウジ側は汚職捜査が今後も続けば、ユーロファイター購入契約をキャンセルすることをBAE側にちらつかせていたとされ、サウジ側の圧力で捜査打ち切りとなった、というのが英国では一般的な見方となっている。 
 
▽「国益」の意味は 
 
 14日、捜査打ち切りを貴族院で説明したゴールドスミス法務長官は、捜査を続けても起訴に至らない可能性が高い点と、英国とサウジアラビアとの関係に「重大な損害が起きる」可能性があるため、「法の支配よりも国益を考えて」打ち切るべきと判断した、と述べた。 
 
 この「国益」の意味合いをさらに明確に述べたのがブレア英首相だった。15日、ブリュッセルで欧州連合の会議に出席中だったブレア氏は、「テロの打倒、中東関係など、サウジアラビアと英国は戦略的に非常に重要な関係」にあり、何ヶ月も何年も捜査が続けば、「両国間にいやな感情が起きる」として、打ち切りは「正しい決定だった」と述べた。 
 
 英政府側は、サウジ側との兵器契約が打ち切られた場合、数千人規模の雇用が消える、あるいは多額の売却金が得られないことになるという経済上の考慮は今回の捜査打ち切りの理由ではないとしているが、こうした説明を額面どおりに受け取らない見方が英国内では強い。フィナンシャル・タイムズのスティーブン・フィドラー記者は15日付の紙面で、サウジアラビアからの政治的圧力に加え、「ブレア氏は経済上の圧力に負けた」と書いた。 
 
 BAEシステムズは「捜査打ち切り決定の声明を歓迎する」とするコメントを出しており、BBCによると、他の兵器関連会社も打ち切りを好意的に受け取っている。捜査が続けば、他の国の業者に契約と取られるのが確実だったからだ。 
 
 野党自由民主党のノーマン・ラム議員は、打ち切りは「ひどい。恥だ」と述べ、「将来の武器契約をちらつかせるサウジアラビアからの圧力に屈するとは。優れた統治を行っているという英国の評判が傷ついた。これでは、開発途上国に行って、汚職のない統治を教えることなどできない。サウジアラビアに脅迫された」と批判している。(フィナンシャルタイムズ16日付) 
 
▽「英国らしい」 
 
 汚職をなくするための方法を考えるシンクタンク「トランスペアレンシー・インターナショナル」によると、経済協力開発機構の汚職撲滅に関する法律で、2002年から英国の法律制度に組み込まれた条項が汚職関連で起訴をするかどうかを決定する際に、他国との関係を考慮することを禁じている。しかし、今回はこの条項は適用されない結末となった。 
 
 この点も含めて、BBCのポール・レイノルズ記者の分析(15日付ウエブサイト)によると、今回の顛末は外交を最優先とする、「いかにも英国らしい問題解決方法だった」という。 
 
 レイノルズ記者によると、サウジアラビアと英国企業との間の兵器売却契約は「常に2国間の関係に依存」してきた。数日前から中東訪問を開始したブレア首相からすると、「今中東の伝統的な同盟国の感情を害する余裕はなく」、サウジアラビアが米国など他国から兵器を購入するという道を選ぶことも避けたいというのが本音だという。 
 
 サウジへの兵器売却の意義を問う声もある。 
 
 BAEシステムズ社が、サウジ側との兵器売却交渉が難航していることを認めた今月上旬、カタールやチュニジアに大使として赴任経験を持つスティーブン・デイ氏は、フィナンシャル・タイムズ紙のインタビューの中で、サウジアラビアへの武器販売を非難した。 
 
 「イランやイラクが互いに戦争状態にあった頃、両国の脅威から自国を防ぐためにサウジアラビアが武器を必要としていた、というのは分かる。しかし、今サウジに大量の武器を販売すれば、中東を不安定にするだけだ。汚職政治を行っている国を英国が助けた、とも受け取られてしまう」。(同紙5日付) 
 
 デイ氏は、英国がどうやったら中東和平に貢献できるかを真剣に考えるべきだ、という。「イラクの教訓は、軍事的な方法、兵器に頼ったやり方では問題を解決できない、ということだ。政治的解決がなければ和平はこない、ということなんだ」。 
 
 デイ氏の声はブレア氏の耳には届きそうにない。 

by polimediauk | 2007-11-10 07:25 | 英国事情
英IPCCが警視庁を批判 青年誤射事件で_c0016826_23421211.jpg
 独立警察苦情委員会(IPCC)が、2005年7月22日、テロ容疑者と思ってブラジル青年を間違って射殺してしまったロンドン警視庁の行動を批判する報告書を、8日、発表した。
http://www.ipcc.gov.uk/

 発表までにずい分時間がかかったものだ。事件発生から約2年半。既に今月1日には、ロンドンの裁判所が職場保険安全法違反の罪で警視庁に有罪判決を下している。「数々の過ちが市民を正当化されない危険にさらした」、「これが青年の死を招いた」と検察側は主張した。

 何故「職場保険安全法」で裁判になるのか、たとえば業務上過失致死のようなことで何故裁かれないのか、これも1つの問題となった。

 IPCCの報告書は、ロンドン警視庁に手ぬるいものになるのではないか?と思ったが、予想外に大胆、厳しいものになったようだ。青年の射殺には警視庁側に「重大で、避けることが可能だったエラーがあった」、と書いている。また、警視総監のイアン・ブレア氏が、IPCCの捜査を邪魔しようとした、という(!!)。

 ブレア氏の責任を問う声が近頃強まっている。政治的圧力が非常に強く、いやいやながら、引責辞任をすることになるかもしれない。メディアを通じてのプレッシャーがものすごいからだ。おそらく、推測だが、官邸がやめて欲しいと思っているのかもしれない。誰かがブレア氏を憎んでいる。あるいは邪魔だと思っている。

 しかし、辞任コールが国民の間にももし本当にあるとしたら(青年の家族は一貫してそういっていたと思うが)、説明責任の大きな失敗に原因があるのかもしれない。

 捜査の途中にエラーは起きるだろうし、2005年7月7日にロンドンでテロがあって、21日は未遂があった。そんな特殊状況の中で、間違いが起きても、誰も警視庁を本気で責めたりはしないだろう。

 でも、一帯何が起きたのかをもっと早い段階で、出来うる限り詳しくするべきだった。関係者に一定の責任を取らせるべきだったと思う。これまでの情報によると、この青年がテロ容疑者と思った警官たちが、よかれと思って、他の市民を守るために青年を撃ったということだけれど、情報や指令自体が正確ではなかったことが分かっている。バスに乗った青年を追跡しながら何もせず、電車に乗る段階になって、急に数発射撃したのは、これまで警察官は銃を持たないのが普通だった英国では、あまりにも度が過ぎている。

 間違いは間違いとして認め、情報公開をすぐやり、責任者は責任を取る・・・ということをやったら、大きな辞任コールにはならなかったと思う。

 自分の組織を守る・・・という部分が見えすぎてしまった。青年射殺の一件が、もし担当者が責任を取る〔降格など〕ほどのことでないという解釈なら、それをもっと十分に納得がいくように説明して欲しかった。ロンドン市民よりも警視庁を守る姿勢が見えたとき、ブレア氏は支持を失っていったように思う。でも、現在の辞任コールはそれだけでなく、政治的な圧力だとは思うけれど。
by polimediauk | 2007-11-08 23:26 | 英国事情
 ガーディアンとオブザーバーのそれぞれの創刊時から1975年までのアーカイブがネットでアクセスできるようになった。画面をスキャンしたもの。来年からは2003年の分まで入る。過去200年以上の新聞がカバーされることになると言う。使う人は一体どんな人なのだろう?日本関係(戦争)の記事を追うというのもおもしろいのかもしれないが。

 詳しくは以下のアドレスから見ていただきたいが、11月一杯は使用料金が半額だ。英国の全国紙では初の試みだと言う。

http://archive.guardian.co.uk/Default/
Skins/DigitalArchive/Client.asp?Skin=DigitalArchive&enter=true&AW
=1194386879177&AppName=2

王室と国民をつなぐ英メディア(上)+アーカイブ_c0016826_739116.jpg
 前に英王室のことは何度か書いたのだが、ビクトリア女王以降の王室報道の流れを、「新聞通信調査会報」の11月号と12月号に書く予定で、11月号分に言葉を補ったものを以下に載せてみる。今回の分は既に他で書いた要素も入っているのだけれど、12月号では「プリンセス・マサコ」出版の経緯にも触れ、英王室と日本の皇室の違いをメディアの観点から比較してみた(12月に出します)。

―――

王室と国民をつなぐ英メディア(上)ビクトリア女王からエリザベス二世まで

 英メディアは、長年に渡り、王室と国民とを直接つなぐ重要な役割を果たしてきた。1981年、チャールズ皇太子と結婚して王室に入ったダイアナ元皇太子妃は、これまでにないほど国民と王室との間の距離を縮めた人物と言われているが、皇太子とともに結婚生活の内情をメディアに暴露し、王室報道の低俗化の流れも作った。王室報道を変えたダイアナ元妃の死後10年を機に、英王室とメディアの関係を振り返ってみたい。

▽ビクトリア女王「国民の心の中に生きたい」

 1837年、18歳で即位したビクトリア女王は、ダイアナ元妃をほうふつとさせる、国民のアイドル的存在と言える。肖像写真の普及や印刷技術の発展で、物理的、社会階層的に隔たりがあっても、国民が王室を身近な存在として受け止めることが可能になった。

国民の女王への思いは、一方通行だったわけではない。1842年、女王は暴漢に襲われそうになり、警察がピストルで女王を撃とうとした若い男性をあやういところで止めた事件があった。攻撃から無事逃れた女王に国内中から手紙が寄せられた。女王は、手紙の1つに、「国民の心の中に生きるのが私の望みです」と書いていたと言う。

 即位と同時期には、「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」をはじめとした、イラストや写真に読み物がついた雑誌が創刊され、女王の姿を描いて人気を博した。世界最初の肖像写真撮影用のスタジオもロンドンにオープンし、1850年代後半には、一般国民が女王の写真を所有できるようになった。女王は現在で言うところの「有名人」として、写真や肖像画を通して人々の生活や心の中に入り込んでいった。1896年には英国最初の大衆紙「デーリー・メール」が創刊されたほか、最初の王室担当記者が通信社PAから選ばれた。

 ニュース映画も人気が高く、即位60周年記念式典では、女王がロンドン市内を歩く様子を25社以上の映画会社がカメラで追った。切手や商品のラベルに女王の肖像画や写真が頻繁に使われ、女王のイメージは英国内ばかりか大英帝国の当時の植民地を中心に世界中に伝わった。

 メディアの都合に王室側が合わせた格好になったのがジョージ五世(1910-36)の最後だ。新聞の締切時間に合わせるため、担当医師が安楽死を行なった。午後11時、医師は最後が迫ったことを察知し、王の頸静脈に致死量のモルフィンとコカインを打った。約一時間後、王は息を引き取った。軽い読み物的記事が出る夕刊ではなく、朝刊に訃報を出すための行動で、訃報は計画通りタイムズ紙に出た。1986年、フランシス・ワトソンの自伝でこの経緯が明らかになった。

▽国民の声を代弁したメディア

 ジョージ五世を引き継いだエドワード八世(1936)は、即位当時独身で、米国人の既婚女性シンプソン夫人と交際していた。米国での報道をよそに英国内では交際は報道されなかった。1936年10月、夫人の離婚が成立したが、英メディアはしばらく沈黙を守った。

 11月、王は首相に夫人と結婚したいと告げた。結婚に関して政府から承認を受ける必要はなかったが、結婚できなければ王位を棄てるとまで宣言した。12月になって報道協定が破られ、英新聞が王とシンプソン夫人の恋を報道を開始すると、これまで人気が高かった王に対する国民感情は大きく変わった。夫人が平民であること、米国人であることは問題にはならなかったが、2度離婚していること、2人の夫がまだ存命だった点から、夫人が女王になることを支持した新聞は皆無だった。特に地方紙が敵対的で、「どんなことがあっても、夫人はイングランドの女王にはなれない」(バーミンガム・ポスト紙)と反対した。労働組合、当時の野党労働党議員の多くも王位放棄を支持し、ボールドウィン首相は、最終的に女王を選ぶのは王ではなく国民だと王に告げた。36年12月10日、エドワード八世は王冠放棄の書類に署名した。

 作家ロバート・レーシー氏の「ロイヤル」によると、「国民は、王が王であり続けるよりも他のことを選んだことで、裏切られたと感じた」と言う。退位を勧めたのは首相で、政治が英国の将来を決めたが、国民はメディアを通して反対の声を上げたのだった。

▽エリザベス女王誕生へ

 エリザベス現女王の両親の時代になると、ほぼ現在の王室とメディアの関係の原型ができあがる。

 伯爵令嬢だったエリザベス・バウエス=ライオン(現女王の母親)がヨーク公アルバート(後のジジョージ六世)との結婚の申し出を受け入れた翌朝、ロンドンの自宅に記者が押しかけるようになった。エリザベスは記者を家の中に招き入れ、取材に応じた。アルバートはこれを快く思わず、今後の取材を禁じた。一九二三年の結婚式の報道に、ニュース映画制作を専門とするトピカル・バジェット社は3千ポンド近く(現在の10万6千ポンド、約2500万円)を払い、カメラの位置を決め、新聞は特集を組んだ。王室報道は大きなビジネスになっていた。

 長女エリザベス(現在の女王)は、1926年の誕生時から国民の大きな注目を集め、3歳で米雑誌「タイム」の表紙にも登場した。私的感情を君主の地位よりも優先させた叔父のエドワード八世とは異なり、エリザベスは王室の役割りを非常に厳粛に受け取っていた。21歳の誕生日の演説では、「私の人生を国民の奉仕のために捧げる」と述べた。

 1952年、父が急死し、エリザベスは急きょ、若干25歳で君主となった。戴冠式はテレビ放映するべきという声が上がったが、当時テレビは一般大衆が見るものという認識があり、「王室の俗化につながる」と見た女王はこれを避けようとした。

 しかし、52年秋、翌年の戴冠式はテレビでは放映されないと王室が発表すると、、大衆紙数紙で非難の声が広がった。王室は方向転換を強いられた。クローズアップの撮影はしないなどの取り決めをしたものの、当日、テレビ局はクローズアップを決行した。国民の殆どがテレビにかじりついたと言われた。

▽批判のタブー化が崩れる

 英国の放送業界は、長い間、「親王室」のBBCの独占が続いていた。BBCは、王室に批判的な記事を書いたコラムニスト、マルコム・マゲッリジ氏のテレビやラジオでの出演を中止した。王室を「ロイヤル・ソープ・オペラ」と評し、「宗教心が薄くなっている英国で、王室が宗教の代用品になっている」、と指摘した氏の論旨は今からすると驚くほどの発言ではないが、当時は衝撃だった。

 しかし、55年から放映を開始した民放ITVは、、逆に氏の出演を歓迎した。BBCとITVの間で視聴率合戦が進む中で、BBCはマゲリッジ氏の出演中止を後悔する様になった。王室批判は放送業界でも次第にタブーではなくなった。

 「恥ずかしがり屋」と評されるエリザベス女王だが、57年から、毎年、君主が国民に語りかける「クリスマス・メッセージ」をラジオではなくテレビで行なうことに合意した。しかし、せりふを教える装置テレプロンプターを使うのは拒否した。演技をしているように見え、国民に対して不誠実と思ったからだ。そこでラジオ放送時同様に、マイクの前で原稿を読む様子が見えるように収録された。

 メディアに対し、王室が大きく門戸を開いたのは、1967年、「ロイヤル・ファミリー」という題名のドキュメンタリー映画の制作だった。チャールズ皇太子が2年後に20歳になるのを記念して作られた作品で、BBCの制作スタッフはこれまでにないほど自由に王室の日常生活の場に入ることを許された。69年6月のテレビ放映で、国民は王室の家族同士の自然な会話を初めて視聴する機会を得た。番組は世界125カ国で視聴され、国内でも10回以上、米国では2回放映された。

▽低俗化

 大衆紙を中心にカメラマンと記者がチームとなって王室のメンバーを集中的に取材するやり方が70年代初頭頃から登場し、、報道と王室の関係は大きく変わった。かつて、エリザベス女王の夫フィリップ殿下の不倫疑惑に報道を自粛した時代は過ぎ去り、メディアは、写真や記事を売るためには、相手が王室でもあっても、個人のプライバシーに容赦なく侵入する存在となっていった。こうした情け容赦ないやり方が一つの極限に達したのが故ダイアナ元妃の報道だった。

 チャールズ皇太子が交際した相手は誰しもがパパラッチの追跡の対象となったが、婚約が正式に決定したダイアナ元妃への取材は一段と過熱化した。自宅の前に待機したパパラッチの一群は通勤途中の元妃を追いかけた。ダイアナ・ヘアが人気となり、元妃の記事が載れば雑誌は20%販売部数を伸ばすと言われた。買い物をしている姿の写真は1500ポンド(約35万円)以上、水着姿は1万ポンドで売れた。メディア側からすれば、悲しいことだが、ダイアナ元妃は「商品」だった。

 81年の元妃と皇太子の結婚後、メディアの取材攻勢には拍車がかかったが、その原因は、若く美しいダイアナ元妃の写真や記事を掲載すれば部数が大幅に伸びる点に加え、王室側がメディアを自己目的で利用した要素もある。

 元妃及び皇太子は結婚生活の内情をメディアに吐露し、火に油を注いだ。王室の人間自からが、プライバシーに深く関わる情報をメディアを通じて外に出したのは、前代未聞だった。皇太子と元妃がメディアを通じて公衆の面前で夫婦喧嘩をしているようにも見えた。結末は王室報道の低俗化、ゴシップ化で、国民の間に、ウインザー王家に対する失望感を植えつけてしまった。

▽「ダイアナ妃の真実」

 夫のチャールズ皇太子が結婚当初から、かつてのガールフレンド、カミラ夫人と肉体関係を持っていたことなどが原因で、ダイアナ元妃との結婚生活は悪化していったが、国民が内情を知ったのは、後書籍化された連載「ダイアナ妃の真実」が1992年、サンデー・タイムズ紙に掲載された時だ。

 王室の家庭の内実を赤裸々に書いた連載は、作家アンドリュー・モートンが書いたが、元妃は知人の医師に自分の思いを語り、この内容を医師を介してモートンに伝えた。情報源は自分だったが、生前の元妃は本には関わっていないと述べていた。死後、モートンは元妃が情報源だったことを明らかにした。

 私自身はこの本を読んだことがなかったが、書店でふとこの本を見つけ、頁をめくってみた。中には、ダイアナ元妃の手書きのメモが入っていたー。非常に悲しい感じがした。

 一方のチャールズ皇太子は、94年、テレビ番組のインタビューで自分の不貞を認めた。インタビューを行なったジョナサン・ディンブルビーが翌年出版した本の中で、皇太子は父や母の育て方も否定していた。

 95年には今度は元妃がBBCの番組「パノラマ」に出演し、「私たちの結婚生活には(カミラ夫人を入れて)3人いた」と述べるなど、壊れた結婚生活の現状を語っていた。

 大衆紙は元妃と男性の友人との電話での会話やチャールズ皇太子とカミラ夫人との同様の会話を録音したテープも入手した。紙面では性的描写の入った会話の一部を掲載し、ある電話番号に電話すると、読者が会話を録音したテープを聞けるという仕組みを作った。何とも低俗極まりない顛末だった。

 元妃や皇太子は全国紙にお気に入りの記者を持ち、自分に好意的な記事を書いてもらっていた上に、それぞれの友人や知人たちも皇太子や元妃の言い分を正当化するために、メディアに情報をリークしあった。

 96年、2人の離婚は正式に成立したが、元妃の「商品価値」は下がることはなかった。

 97年8月、元妃は、パリ市内で乗っていた車が事故を起こして死亡した。車には、英ハロッズ百貨店所有者の息子で恋人だった、ドディ・アルファイド氏も乗っていた。バイクや車に乗ったパパラッチたちに追いかけられた末の、トンネル内での事故となった。

 死亡直後は過熱報道のメディアを責める声が強かったが、10年経った現在、パパラッチ側に反省を求める見方と共に、「元妃もメディアを自己利用していた」とする批判が出るようになった。

 今年10月2日、元妃の死因を究明する審問の本格審問がロンドンの高等法院で始まった。結審までには半年近くかかると見られ、監視カメラに写った元妃の最後の映像などが公開された、しばらくの間、元妃を巡る報道が続きそうだ。

 元王妃亡き後の英王室報道や日英の報道の違いについては、次号で稿を改めて考えてみたい。(新聞通信調査会のサイトはhttp://www.chosakai.gr.jp/home.html)
 
by polimediauk | 2007-11-07 07:49 | 英国事情
 噂が出ていたものの、かなり信憑性が高くなってきたのが、タイムズの現編集長ロバート・トムソン氏の、米ウオール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙への移籍だ。編集長になるのかあるいは経営陣の一人になるのかはまだ分からないが、遅くとも来年の6月までには移籍するという見方が強まっている。

 ガーディアンのスティーブン・ブルック記者(5日付)によると、トムソン氏がWSJの編集あるいは経営に関わるのはほぼ確かなようだ。

 WSJはタイムズも所有している、ルパート・マードックのニューズ・コーポレーション社が買収し、12月には買収に関わる手続きが終了すると見られている。

 トムソン氏は元々オーストラリアの出身(マードック氏もそうだった)で、タイムズの編集長になって5年だ。タイムズの前はフィナンシャル・タイムズの米国版編集長を4年間しており、米国での発行部数を3万2000部から12万3000部に増やしたそうだ。ビジネス・センスを買われてのタイムズ編集長としての引き抜きだったのだろう。

 WSJ欧州版の本部は今ブリュッセルにあるが、将来的にはロンドンに移すという計画もあるという。

 マードック氏はWSJの内容を変え、ニューヨークタイムズを「つぶす」壮大なもくろみもあるようだ。現在は金融の記事がメインだが、国内・国際ニュースを増やし、芸術、ファッション、文化記事も増やしたいと、最近、サンフランシスコで開催された会議で述べたという。NYタイムズをつぶすつもりかと聞かれ、「それも悪くない」と答えている。

 つまるところ、「マードック帝国」を、WSJを通じて米新聞界でも展開したい、そのためもあって、信頼しているトムソン氏をWSJに送る、という見方もできる。

 詳細はガーディアンのStephen Brook、Times editor headed for WSJを参照。http://www.guardian.co.uk/media/2007/nov/05
/wallstreetjournal.thetimes


 一方のWSJだが、4日付で発表したところによると、ウエブサイトの定期購読者が100万人に達したと言う。大手新聞のウエブサイトが無料化になる動きがある中で、よくがんばった、という印、という評価をロイターはしている。
by polimediauk | 2007-11-05 20:25 | 新聞業界
チャンネル4のBRITZ 自爆テロ犯の心_c0016826_2441998.jpg

(BRITZより 警察に連行される姉)

 31日と1日の夜、チャンネル4で「BRITZ」というドラマのパート1、パート2が放映された。

http://www.channel4.com/culture/microsites/
B/britz/index.html

 (英国とアイルランドに住んでいる場合は、4ODというソフトをサイトからダウンロードすると、PC画面で再視聴できる。)

 あるイスラム教徒の兄弟の話。両親はパキスタン出身だ。ロンドンで自爆テロを行おうとする人の話、ということで、「イスラム教徒=テロリスト」という見方を強めるだけなのではないか、あるいは監督(50代、白人男性、キリスト教徒)には、「ムスリムの心は分からないのではないか?」という懸念があった。白人50代だからムスリムの若者の心・生態が分からない、というのも乱暴な考え方だが、どのニュース番組でも、監督はこの点を聞かれていた。(後で考えると、この監督にとって、ムスリムのことがどれだけ切実なのかを聞きたかったのかもしれない。)

 7・7ロンドンテロに遭遇した英国民向けの番組だったので、日本で公開の可能性が低いと思い、あらすじを紹介したい。

 英北部のイスラム教徒が多い町に住むパキスタン系英国人家族の物語。話の中心は兄弟で、画面で見た感じではどっちが年上なのか良く分からなかった。便宜上、弟と姉としておく。パート1は弟の話で、法学部の学生だ。頭がよく、情報機関に勤めるようになった。英国には移民の家族として世話になったと思い、「恩返しをしたい」というのが志望動機だ。

 そこで、スパイ活動に従事するのだが、対象がイスラム教徒の国民で、そのうち自分の友人たちの活動も調査の対象になってゆく。つらい立場だ。

 パート2は姉(医学部の学生)の話だ。英国の外交政策などに不満を抱く。親友(女性)が、テロ法の下で自宅軟禁状態になり、衝撃を受ける。この自宅軟禁はコントロール・オーダーと名づけられ、行動に厳しい規制がつく。控訴することができない。足には電子タグがつけられ、どこに行くのでも当局の監視下にある。夜は外に出られない。姉は次第に英政府に対し不信感を抱く。親友が自殺をしたことで、姉は大きなショック状態になる。

  この姉は同じく医学生で黒人男性とつきあっていたが、ムスリム以外の男性で、しかも異なる人種(黒人)をボーイフレンドにするのは、パキスタン系英国人の家庭では考えられないことだった。「本当のことを話したい」とボーイフレンドのことを父に告げた姉は、翌朝、パキスタンの両親の実家に送られてしまう。ここで、姉は親が決めた結婚相手と結婚しなければならなくなる。

 ムスリムではない、人種も違う男性とつきあっているだけで、祖国パキスタンに送られてしまうこと、親が決めた結婚相手と結婚する羽目になること、など、いかに英国のパキスタン系家庭が、他の家庭の価値観とはかけ離れているかが、如実になった。せっかく医学生であるのに、一旦は勉学をすてて、パキスタンに送られ、それに文句を言う様子も見られないので、「変だなあ」と思った。男親の言う通りに、ここまでしなければならないのが驚きだった。

 後を追ってきた黒人のボーイフレンドに対し、親類の男性たちに暴力を振るわれ、姉は家を逃げる。それ以前から考えていたこと、つまり、ムスリム戦士として修行を受けることを実行に移す。

 一方の弟は、姉がパキスタンに送られ、いなくなったと聞いて、自分もパキスタンに飛ぶ。何物かに殺されたらしい姉の焼け焦げた死体(これは後で別人だったことが分かる)を見て、涙を流す。葬式を経て、職場に戻った弟は、第2のロンドンテロが起きるかもしれない情報を、諜報活動から得る。ロンドンのカナリー・ウオーフで何かが起きると思った弟は、自爆テロ犯を探す。

 テロ犯は女性である可能性もあり、弟は目をこらしあたりを探すうちに、髪の長い白い装束の女性にあたりをつける。肩に手をかけると、振り向いたのは、死んだと思っていた姉だった。弟は、「テロをやってはいけない」と止める。

 姉はパキスタンで自爆テロ犯になるためのトレーニング(爆弾作りも含む。この場面が非常に詳しい)を受けて、ロンドンに戻り、金融機関が多いカナリー・ワーフで、爆弾を体にまきつけ、それを白い装束でおおって、爆弾のスイッチを押そうとする。

 押す寸前で、弟が「テロをするな」と肩をつかむ。何事かとやってきた警官数人が弟を姉から引き離そうとする。それを振り切って、弟は姉に抱きつく。「やるんじゃない」。姉の顔のクローズアップで、目が涙に一杯たまっていた。しかし、とうとう姉は爆弾のスイッチを押した。

 その瞬間、画像が切れて、テレビ画面には粒子が流れる様子が出た。次に真っ黒の画面になって、「英国に住む90%のイスラム教徒がテロは英国の外交政策のせいだと思っている」、「ムスリムに対する戦争が起きていると思っている」という文字が出る。押し付けがましい気がした。キャンペーンっぽい感じだった。

 画面が黒いままで、「自分たちが無実だと思っている?でも、無実じゃない」と女性の声が響く。

 姉が自爆テロの前に撮っていた、ビデオが写る。細かい言葉は忘れたけれども、自爆テロを何故するのか、ということを話していた。「無実のムスリムを殺す戦争を支持したあなた(ビデオを見ている人、視聴者)にも責任がある」と。

 7・7ロンドンテロの実行者たちもこうしたビデオを作っていた。文言がそっくりだった。

 ムスリム側に偏ったドラマだと思ったし、放映前の批評にもあったように(ニューズナイトの金曜レビューなど)「何故こんなに頭のいい人たちが、自爆テロをやろうとするのか、その過程が十分に説明されていない」とも思った。

 それでも、いろいろ考えさせてくれる良質のドラマだと思った。チャンネル4は今週で放送開始から25年だ。「ビッグ・ブラザー」でひんしゅくをかった(人種差別発言など)けれども、「新鮮な、挑発的な番組をこれからも作る」と、チャンネル4のトップ、アンディー・ダンカン氏が、2日付のラジオTODAYで言っていた。

 私の英国のムスリムに対する見方は、最近、結構変わった。前は、テロが起きるのは英外交政策やイラク戦争などの影響もある、という考えにシンパシーを感じていた。今は、そういう論理には破綻があると思うようになった。「世界中でムスリムに対する戦争が起きている」ことを理由に、例えば英国で自爆テロ、というのも論理に破綻があるように思う。第一、「世界中でムスリムに対する戦争」・・・というのも納得できない。デンマークや他の欧州の国のムスリムたちに会って、英国のムスリムの一部の人がいかに政治的存在・ポリティカル・イスラムであるかも分かった。英国にいると、ポリティカル・イスラム=イスラム、と思いがちだが。

 考えが変わったのは、元イスラム過激派集団ヒズボタヒリールにいた、エド・フセイン(本名ではない)の「ザ・イスラミスト」という本を読んでからだ。パキスタン出身の移民の家庭に生まれ、宗教熱心なフセイン氏は、真実を求めて右往左往する。モスクでポリティカル・イスラムに染まり、ヒズボタヒリールに。この本で、人をポリティカル・イスラムに引っ張るときに使う問答というか、論旨がひんぱんに出てくる。読んでいておそろしいが、からくりが分かる。著者はシリア、サウジアラビアなどでも生活し、イスラム教国だからといってすべてがパーフェクトではないことを知る。(ヒズボタヒリールはイスラム国家の創立を目指している。)また、「闘え!」とけしかけていた仲間が、実際にアフガニスタンに行ってトレーニングを受けた後に命を落としたりなどの経験があって、自分たちの言葉の意味、若者への影響の大きさをはじめて知るようになる。

 先日、スペインのマドリードテロ(2004年)の実行犯への判決が下されたけれども、欧州に住むムスリムの男性たちで広がる(自爆)テロは、前に元CIAのロバート・ベイアー氏が言っていたように、一種のカルトではないかと思う。もしそうだとすると、外交政策を変えるよりも、論理の破綻をつく、及びこのカルトにはまりがちな若者たちの社会からの疎外感を取り去ることに政治家やメディアは力を注ぐべきではないか?

 それにしても、ムスリムの女性だったら、結婚相手はムスリムの男性でないとだめで、それに逆らうと、父親が娘をパキスタン(やインド)に送ってしまう・・・というのは相当ひどくはないだろうか。英国社会の価値観(男女平等、個人の人権などなど)から、かなりかけ離れている。こっちの方が問題なような気がする。「多文化主義」英国で、結婚相手の決め方に介入したら、「余計なお世話!!」と叱られ、批判され、メディアでめちゃくちゃにされる可能性もある。日本とはまた違った意味で、気を使って発言しなければならないことがたくさんある。



 
by polimediauk | 2007-11-03 02:43 | 放送業界
 英国で、週末の新聞は随分ぶ厚くなるが、何故土曜日の新聞にテレビ特集の冊子と週末用の雑誌がつき、翌日日曜日の新聞にもテレビ・ラジオの番組予定が入った冊子と雑誌がつくのか、最初不思議だった。

 これは、月曜から土曜の新聞の編集チームと日曜の新聞チームとが違うからだった。タイトルも違う(デイリーxxとサンデーxx)わけだが、それぞれの編集長がいて、記者がいて・・・という体制になっている。

 日本のように自宅での定期購読率が高くない英国では、土曜日だけ買う人もいれば、日曜日だけ買う人もいる。

 デジタル化の進展で、日曜の新聞は危機状態にある。日曜版の編集スタッフは、週に1回の新聞を作ることだけではなく、24時間体制のウエブサイトにも記事を出すことを求められる。新聞のウエブサイトは日曜版とデイリー版が一緒になっており、ネットだけで見ると、区切りがつけにくいのが現状だ。各日曜紙は、それぞれタイムズ、インディペンデント、テレグラフ、ガーディアンなどのデイリー紙のサイトの一部になっている。

 サンデーペーパーと言うカテゴリー自体が将来的にはなくなってしまう可能性も指摘されている。

 10月29日付けのインディペンデント紙面でスティーブン・グラバー氏が、また同日付けでピーター・ウイルビー氏が書いているのが、ガーディアンの傘下にある、日曜紙オブザーバーの編集長ロジャー・オルトン氏が辞めた事件が、日曜紙の将来を予測するようでもある。

http://www.guardian.co.uk/media/2007/oct/29/
mondaymediasection.comment

http://news.independent.co.uk/media
/article3104970.ece


 ガーディアンのニック・デイビースという記者が書き、まもなく出版される本によると、10月24日で辞任したオルトン編集長の右腕となるカマル・アーメドという記者(辞任予定)は、イラク戦争開戦の理由付けとして作成された、悪評高い政府の文書作りに関わっていた、という。(デイビース氏は後にこの部分が本に入っていることを否定。)オブザーバー紙はイラク戦争開戦支持派で、ガーディアンは反対だったと言う。

 オブザーバーはガーディアンが所有しているので、「ガーディアンの日曜版」という位置づけだが、実際は結構編集方針に開きが出てきていた。ガーディアンの編集長アラン・ラスブリジャー氏とオルトン氏の間に、意見の相違、嫉妬、などいろいろなことがあったと言う。

 細かいことは際限なくいろいろあるようだが、オルトン氏の辞任の大きなきっかけは、ガーディアンが来年から事務所を移動するのにあたり、日曜紙オブザーバーとガーディアンが編集面でもっと近くなるようにプレッシャーをかけられていたから、という。

 日曜紙の編集長は自分のスタッフがデイリーの新聞のために使われるのを嫌うという。デイリーの新聞のスタッフからすれば、日曜紙のスタッフは週に1回だけ新聞を出すので、随分のんびり働いているようにも見えてしまう。

 しかし、今や新聞社もウエブの時代。紙に書いているだけではだめで、サイトにも記事を貢献するように記者は求められるようになった。

 こうした動きに反発して辞めた最近の例は、サンデーテレグラフのペイシェンス・ホイートクロフト氏だったと言われている。先月辞めたが、勤務は18ヶ月のみ。前はタイムズの経済記事を統括していた。テレグラフはマルチメディアに力を入れていることで知られているが、デイリーのニュース配信への協力や、ネットなど他のプラットフォームでの出力にも貢献するように圧力をかけられていた。

 デイリーの新聞と日曜紙の編集上の統合は避けられない流れのようで、先のコラムニスト、ピーター・ウイルビー氏によると、インディペンデント・オン・サンデーはデイリーのインディペンデント紙とは異なる紙面デザインを維持しているものの、記者レベルではデイリーのインディペンデント紙のスタッフをたくさん使っていると言う。

 サンデーテレグラフとデイリー・テレグラフは、先週、写真デスクを共有することにし、両紙の経済記事の責任者として一人の経済エディターを配置したと言う。

 インディペンデントのスティーブン・グラバー氏の説明によれば、オブザーバーがガーディアン紙に買われたのは1993年だった。

 この時、当時インディペンデント紙を所有していた、ニューズペーパー・パブリッシングという会社が、オブザーバーを買いそうになったという。この会社が目論んだのは、インディペンデント・オン・サンデーとオブザーバー紙の統合だった。一社で2つの日曜紙はいらないのだから。

 オブザーバーが消えてしまうかもしれない、というシナリオに、大きな嘆きの声があがり、ガーディアンが新しい買い手として浮上してきた時、100人の労働党議員がニューズペーパー・パブリッシングではなく、ガーディアンがオブザーバーを買うようにとする動議に署名したという。

 当時ガーディアンの編集長(で今はコラムニスト)ピーター・プレストン氏は、オブザーバーはガーディアンの一部ではなく、独自の日曜紙として存続させると誓ったと言う。(それが今は・・・。)

 ネット・デジタル化が日曜紙の存在を変えるとはまさか思わなかったが。今後も、何が起きるか分からない。
by polimediauk | 2007-11-01 23:50 | 新聞業界