小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

<   2007年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 あっという間に12月になった。英国ではクリスマスカードやショッピングの準備で誰もが忙しい月になった。

 この1年を振り返ると、情報を得たが出していなかったトピックがいろいろある。例えば7月に書いた英国の法廷侮辱罪の適用と日本の裁判員制度の関連について、である。

 概要とボブ・サッチェル「ソサエティー・オブ・エディターズ」代表のインタビューは以前の記事を参照していただきたいが、

http://ukmedia.exblog.jp/6569128/
http://ukmedia.exblog.jp/6575541/

 概要部分に入れようとしたが入りきれなかった分に、ティム・クルック氏のインタビューがあった。氏はゴールドスミス・カレッジでメディア論を教え、メディア法に関する著作が多数ある。元々はBBCのラジオ・ジャーナリストだ。

 日本の事情にも関心が高いクルック氏は、「日本には日本のやり方」があるので、海外の例はその国独自の文脈の中でできあがったものであることを忘れないようにしてほしい、と言った。このインタビューは後で「概要」の下に入れる予定である。

 日本の裁判員制度だが、市民数人が「裁判員」として、裁判官3人と一緒に刑事裁判を審理する。有罪か無罪か、有罪だとしたらどのような量刑にすべきかを評議し、評決結論を出す。英国、米国でもこの制度があるが、中身はやや違う。例えば英国では同様の審理を行なうのは市民=裁判員のみで、裁判官は入らない。あくまでも、「普通の市民の判断」が基本になる。また、一旦容疑者が逮捕されてしまうと、報道に規制が大きな規制がかかる。後の裁判に「重大な予見」を与えないように、法廷侮辱罪で監視する。メディアは侮辱罪違反にならないように、かついかに事件を報道するかに苦心する。また、裁判員たちの身元は一切報道禁止となる。米国では裁判が終われば、裁判員たちはその裁判について語って良いことになるようだが、英国では、一生秘密を守ることになる。ただし、いかに評決に至ったか以外の事柄、つまり裁判員自身がどんな感想を持ったかは公表して良いそうである。近年は、裁判員自らがメディアに連絡を取り、思いを語る、というケースが出ている。

―2009年から裁判員制度が日本でも開始され、英国の法廷侮辱罪の事件報道への適用に関心が高まっている。

ティム・クルック氏:日本の裁判員制度は、普通の市民とともに裁判官度が入ると聞いた。これで公正な裁判が確保されるのではないか。それぞれの国には異なる文化と法律制度がある。日本人には日本人特有の行動、態度があって、例えばもし裁判員に選ばれたら、公正な裁きを行なうよう、一生懸命やるだろう。それまでのメディア報道には影響されないように、裁判所で明らかになった証拠のみを基にして結果を出すようにと努力するだろうと思う。

 日本の最高裁は、裁判員へのメディア取材を禁止する必要はないと思う。重要なのは何が目的なのか、という点だ。公正な裁判が行なわれることが目的なら、メディア報道がこれを邪魔するほどかどうかに注目する必要がある。

 テロ未遂容疑で容疑者の写真が大きく英国の新聞では掲載されたが、日本ではこういうことはないと聞く。日本のメディアには自主規制もあるだろう。こういう状況下では、日本の特有のメディア環境もあり、取材の一切を禁止をする必要はない。

 ある国のある法律の一部を取って比べても、他の国・文化の下では参考にならない場合があると思う。

 例えばテロ容疑者の裁判で言えば、英国の情報機関には秘密が多く、たくさんの報道禁止事項があるので、裁判が終わった後でも結果を全て伝えられないこともある。

 しかし、報道規制がつけばつくほど、人々の司法に関する不信感が強まる。歴史的に見ても、その行動が秘密で良いとなった場合、人は怠惰になりやすく、真剣みが薄れ、間違いが多くなり、汚職も生まれやすくなる。

 特にこれがひどいのが家裁だ。これはジャーナリストが入ってはいけない。たくさんの不正義が行なわれている。

 ある調査で、200人の子供に、メディアに家裁に入って欲しいかどうかと聞いたら、ほとんどがいやだ、と言ったという。しかし、こういう質問をしたら誰でもいやだという。感情的な反応として否定するのが当然だ。

 英国の司法は非常に人を見下ろすようなところがあって、米国の司法は扇情的、機能してないと良く言う。しかし、ある国の司法全体を「機能していない」、「能力が低い」と簡単に言えるだろうか?例えば、米国の司法関係者の95%は選挙で選ばれる。英国は100%、選挙を通さない。英国の司法関係者は米国から学ぼうとしていない。司法関係者が95%選出されているということは、オープンであるということ。これが、報道がオープンであることにつながる。それぞれ違うのだ。

 日本は裁判員への取材を法律で禁じるべきではないと思う。(7月談)
by polimediauk | 2007-12-02 22:20 | 英国事情