小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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(消えないようにこちらにも入れておきます。
http://it.blog-jiji.com/0001/
私のブログの先生と勝手に呼んでいる、時事通信の湯川さんが、米出張後、おもしろいことをいろいろ書いている。ブログの書籍化や広告の新しい形など。目からウロコです。)

 しばらく止まっていたが、表現の自由+デンマーク・ルポの最後の2つを出したい。今回は、風刺画事件を大きく世界に広げた人物(既に故人)がいた、あるモスク(といっても2階建ての普通の建物をモスクとして使っているだけ)の若手の人に話を聞いた。クールで、頭も良い感じだった。こういう人がこれからのデンマークのムスリムたちを引っ張っていくのだなと思った。事件を通して「学んだ」ことを話してくれた。(2007年の記事であることにご注意ください。2007年=今年、など。)

日刊ベリタ 2007年01月25日掲載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200701251254474

風刺画論争後のデンマーク

「なぜ対話を拒むのか」 ユランズ・ポステン紙を提訴したイスラム教徒カシーム・アーマド氏 

c0016826_8132191.jpg (コペンハーゲン発)2005年秋「ユランズ・ポステン」紙に掲載された、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画は、多くのイスラム教徒にとって冒涜的、侮辱的と映った。衝撃を受けたデンマークのイスラム教徒のイマーム(導師)アーマド・アブラバン師は風刺画を携えて同年冬、中東諸国を回ったが、この訪問はデンマークと一部の中東諸国との関係を悪化させる結果にもなった。エジプト出身のアブラバン師が活動の本拠地とするコペンハーゲンのモスク(イスラム教寺院)を訪ね、風刺画がイスラム教徒の感情を傷つけたとして同紙に賠償金の支払いを要求する裁判を起こしたカシーム・アーマド氏に話を聞いた
 
▽イスラム教徒専用の墓地建設へ 
 
 コペンハーゲン中央駅からバスを2つ乗り継いで到着する、今や有名となったモスクは、外見だけからはモスクとは分からない。大きめの公民館のような2階建ての建物をモスクとして使っているからだ。欧州各国では、イスラム教徒の住民がある程度の数になり影響力を持つようになると、自分たちで資金を出し合ってあるいは地元政府からの資金を援助を受けて、モスクを建設するのが一般的だ。 
 
 デンマークの全人口の約5%にあたる20万人がイスラム教徒と言われているが、この中で熱心なイスラム教信者は1万から2万人とされる。新たにモスクを建設した例は未だない。しかし、イスラム教徒専用墓地の建設がこのほどようやく可能になった。 
 
 アーマド氏は、ユランズ・ポステンに対する裁判を起こすとともに、このモスクに通うイスラム教徒で、「イスラム教徒専用の墓を建設するための理事会」のメンバーでもある。 
 
―何故専用墓地が今までなかったのか? 
 
アーマド氏:中々建設許可が下りなかったからだ。政府当局側は、もしイスラム教徒だけの墓が欲しいなら、まず土地を見つけること、そうすれば墓地の建設許可を与えると言っていた。しかし、毎回私たちが土地を見つけると、「だめだ、そこには墓地は建設できない」とその度に言われた。最終的にブロンビーという町に見つけたのは5年前だ。 
 
 しかしこの土地はコペンハーゲン市が所有していた。コペンハーゲン市、ブロンビー町との交渉の末、提示された購入価格のための資金を24のイスラム教団体が出し合い、ようやく土地を購入することができた。昨年9月には文部大臣やこのモスクのアブラバン師が建設予定祝賀式に出席した。 
 
―国内で初めてのイスラム教徒専用の墓地か? 
 
アーマド氏:そうだ。現在のイスラム教徒の墓はキリスト教徒の墓地の一部を使っている。 
 
―風刺画事件の時、イスラム教徒の墓が頻繁に攻撃されたと聞く。本当に攻撃されたのか? 
 
アーマド氏:本当だ。墓が攻撃されると、私たちは教会に連絡を取って、警察に近隣をもっと頻繁にパトロールしてくれるよう頼んだ。警察は助けてくれるが、完全になくすることはできないと思う。イスラム教徒だけでなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒の墓も攻撃されている。 
 
─建設開始はいつ頃か? 
 
アーマド氏:まだ分からない。建設費用が必要になり、今メンバーから資金を募っているところだ。 
 
―デンマークでモスクが建設されたことはないのか? 
 
アーマド氏:正式にはない。 
 
―欧州各国ではどこでもモスクが建設されている。デンマークでこれができないのは数が少ないせいか? 
 
アーマド氏:違う。力が弱いからだ。20万人しかいないし、建設するだけの資金がない。モスクが建てられるような場所はあるけれど、土地取得にかなりの金額が必要だ。 
 
▽「私たちはナイーブだった」 
 
― 風刺画事件では、政府は独立メディアへの干渉をしないということで、アブラバン師を始めとするイスラム教徒側への支援をしなかったが、現在、政府との関係はどうか? 
 
アーマド氏:良好だ。政府との間に問題はない。問題は風刺画とユランズ・ポステン紙だ。私たちは、ユランズ・ポステンと友好的な対話の場を持とうとしていた。表現の自由に関する原則を話し合おう、と持ちかけた。ユランズ・ポステン側はこれを否定してきた。言いたいことがあれば裁判所で訴えを起こしなさい、と。 
 
 こんなことでは話し合いはできない。こちらは尊敬について話している。ユランズ・ポステン側はこちらに敬意を払うべきだし、宗教の象徴に考慮して欲しいと思っている。しかし、新聞社側は表現の自由には限度がないという。デンマーク社会では神を含めて全てが風刺の対象になる、と。 
 
―この問題は世界中に広がった。暴力が起きた場所もあったが。 
 
アーマド氏:起きたことに関しては残念に思っている。しかし、ともに腰をおろして話し合いができれば、解決できると思っていた。政府とも対話の機会を持ち、風刺画掲載を非難するべきだ、と言った。そうでないと、政府がまるでユランズ・ポステンの側にいるように見える、と説明した。政府側はこれを拒絶した。「非難するというのは政府の見解ではない、報道は自由であり、どんな圧力もかけない」、と。 
 
 もちろん、そんなことは知っている。しかし、当事者全員がこの問題を間違って解釈していた。 これほど大問題になるとは思わなかった。随分たくさんのことを学んだ。私たちはナイーブだったのだ。私たちも、政府も、新聞社もそれぞれ間違いを犯した。当事者全員が事態の展開に責任がある。 
 
―これからも同様の事件が起きると思うか? 
 
アーマド氏:起きるだろうと思う。今度そうなったら、私たちは何も言わないだろう。私たちは、風刺画の件で、あらゆる市民的な方法を使って抗議をしようとした。世界の全イスラム教徒たちに向かって、デンマーク製品の購入ボイコットをするな、デンマークの旗を焼いたり、大使館を攻撃してはいけない、と呼びかけた。しかし、コントロールできなかった。すべてをコントロールはできない。 表現の自由や新聞をコントロールできない政府と同じだ。 
 
―しかし、声をあげなければ、あなたたちの心の痛みが伝わらないのでは? 
 
アーマド氏:いや、行動を起こしたくない。 
 
―それでは、もし新聞が同様のことをしたら、あなたたちは何もしないのか? 
 
アーマド氏:しない。私たちを挑発するためにやっているのは明らかだ。 
 
―何もしないというのは、あなたたちが何かをすると、必ずだれかがあなたたちの行動を使おうとするからか? 
 
アーマド氏;そうだ。昨年9月のローマ法王のイスラム教に関する否定的な発言を思い出して欲しい。数年前には、イスラム教徒の女性が不当に扱われているとする映画の脚本を書いた、(当時)オランダの国会議員アヤーン・ヒルシアリ氏がデンマークに来たことがあった。ヒルシアリ氏は、首相から自由の賞をもらった。その後でユランズ・ポステンの風刺画事件が起きた。 
 
こういう状況下では、私たちはデンマークの小さなイスラム教徒のグループだし、こちらが行動を起こすことで攻撃を受けることを恐れている。 
 
▽デンマーク人のイスラム教徒であり続けたい 
 
―それでもデンマークに住み続けるのか? 
 
アーマド氏:そのつもりだ。デンマークは私の国だから。私はデンマーク人のイスラム教徒だ。デンマークには私の居場所がある。問題はない。 
 
 しかし、誰かが私たちを挑発しようとする。デンマークや世界中にいるイスラム教徒たちに冷戦を仕掛けようとする。私たちの顔につばをかけ、イスラム教徒であるというだけで私たちをテロリストだと呼びたがる。しかし、関係ない。私たちはイスラム教を信じているし、イスラム教は世界で最高に美しい宗教だ。何があっても信仰は変えない。 
 
―風刺画事件の後、デンマークに住むイスラム教徒を巡る状況をどう見るか? 
 
アーマド氏:イスラム教徒は以前よりも力をつけていると思う。デンマーク人は、イスラム教に関してもっと知りたがっている。風刺画事件が大きくなった時、毎年開催しているオープン・モスクという日に、いつもは100人から150人ぐらいが来るのだが、今回は300人来た。もっと理解が深まれば、情報を持ってくれれば、こちらも助かる。できる限りイスラム教に関する情報を伝えたい。私たちの新しい使命だと思っている。 
 
 私はこの国の将来に関して楽観的だ。もっともっと多くの政治家が私たちの声に耳を傾けるようになると思うし、政府も社会ももっと深い理解ができるようになると思う。風刺画事件の前と後ではデンマークは変わった。今はデンマークで何かが起きたら、それが世界中に伝わる可能性があることを人々は知っている。 
 
 私はレバノンで生まれ、19歳でデンマークに来て今は36歳となった。デンマークで勉強して学位を取り、ITコンサルタントとして働いている。本当にデンマークは自分の国だと思う。デンマークの表現の自由を享受している。 
 
 私は今いろいろなことを言ったが、警察が来て私を捕まるということはない。風刺画が問題になってから、私はしょっちゅうテレビにも出てきたし、新聞にも取材された。それでも警察や政府が文句を言ってくることはないのだ。 
 
 これはとてもすばらしいことだし、自分は自由な人間なんだな、と感じる。何がやりたいかを自由に話せるのだ。何とすばらしいのだろう。 
 
―今後は? 
 
アーマド氏:私たちは、ユランズ・ポステンと文化部長のフレミング・ローズ氏に対し、風刺画に感情を傷つけられたとして賠償金を求める裁判を起こしていた。昨年10月末、裁判所は風刺画が「イスラム教徒の一部の名誉を傷つけたことを否定できないが、イスラム教徒を矮小化する目的で描かれたのではない」として、訴えを却下したが、今後も必要があれば裁判所などを通じてこちらの主張を出していきたいと思っている。(つづく:次回はこの項の最後) 
by polimediauk | 2008-03-16 08:14 | 欧州表現の自由
 プロパガンダ、国策、と書くと報道の王道(?)から遠く離れるように思われるが、例のヘンリー(ハリー)王子のアフガン派遣+メディアの報道協定問題で、いったい報道はどうあるべきだったかと考えると、どうやっても国策的になってしまうのは避けられないように思う。

 ・・・ということを新聞協会報3月11日号に書いた。これに若干付け足してみた。
  
 英国の王位継承順位三位となるヘンリー王子は昨年末からアフガニスタン南部の前線に従軍していたー。米ニュースサイトが2月28日、明らかにした。英主要メディアは国防省からの提案で協定を結び、報道を控えていた。しかし、報道解禁と同時に、従軍中に取材されていた王子へのインタビュー記事、写真、動画などが大量に報道された。協定の是非が議論を呼んだだけでなく、不人気な英軍のアフガン派遣に王子とメディアが使われたのではないかとの指摘も出ている。

 ヘンリー王子は、昨年12月から4ヶ月の予定で、アフガンに派遣された。しかし、米人気サイト「ドラッジ・レポート」が2月末に特報。安全上の理由から派遣期間の途中で帰国することになった。王子はその前にもイラクへ派遣予定となっていたが、現地での役割や派遣時期の報道後、テロの標的にされる可能性が高まり、派遣直前で中止となった経緯があった。

 アフガン派遣を前に昨夏、英国防省は英主要メディアや米メディア数社の編集長らと協議した。国防省側はメディアの協力がなければ王子の派遣はできないとして、派遣期間中は報道を控えるよう求める一方で、派遣の前後と派遣中の代表取材を認め、王子の帰国後に報道することを提案した。メディア側はこれに合意した。国防省は「(メディア側の)自主的な協定」としている。

 報道協定は誘拐事件などを除き異例。今回は他の従軍者の安全に関わる「非常に微妙な問題」(デーリー・テレグラフ紙記者)で、「特別な事例」とされた。国防省とメディア間の橋渡し的役割を果たした、メディア業界団体「ソサエティー・オブ・エディターズ」のサッチェル代表は、「当初は戸惑いを示すメディアもあったが、最終的にはどの社も協定に合意した」と話す。「合意しなければ取材できないという理由もあった」(前述テレグラフ紙記者)。

 しかし、協定外の海外メディアの存在や、ネットの普及で誰かが無記名で情報をウエブサイトなどに書き込めばあっと言う間に従軍の事実は知られてしまう現状をどうするのか、という問題があった。王室の家族が一同に集まるクリスマス時、ヘンリー王子の姿は見えず、勘の良いレポーターであれば「王子は国内にいない」と推測することも可能で、発覚は時間の問題となっていた。

 1月、オーストラリアの雑誌「ニュー・エイジ」が報じ(オーストラリア国内ではこれを批判する声が強く、この雑誌を「ノー・アイデア」(考えもなく報道した)と呼ぶ声も出た)、2月にはドイツの雑誌が推測記事を出した。

 決定的だったのは人気の米ウエブサイト「ドラッジ・リポート」の報道だった。このサイトはクリントン前米大統領と研修生モニカ・ルウィンスキーさんとの男女関係を、既存米メディアが報道をちゅうちょしている間に「スクープ」したことでも著名だ。協定とは無関係のドラッジ・レポートの報道を受け、協定は解除される。

―過熱報道とプロパガンダ
 
 英メディアは取材内容を一斉に報道し始めた。翌日付の紙面で、大衆紙デーリー・メールやデーリー・エキスプレスはそれぞれ11頁を王子の従軍報道に割き、高級紙デーリー・テレグラフも6頁の特集面を制作した。ウエブサイトでは従軍の様子やインタビューの動画を流し、王子の父親チャールズ皇太子が帰還を喜び、現在従軍中の英兵及びその家族に感謝する動画もあった。

 協定を結んだ大手メディアは「安全上の理由」、「特例でやむなし」と説明するものの、反発の声も出ている。BBC編集者が協定の経緯を説明したブログでは、報道の自由を標榜するメディアの欺瞞に対し怒りをぶつける書き込みが目に付く。

 メディア・フォーラム「ポリス」のディレクター、チャーリー・ベケット氏は、個人のブログ上で「もう過去のものになったと思っていた主要メディアの共犯と傲慢さの匂いがする」、「ネットでもっと早く報道されなかったのが残念なぐらいだ」と書いた。

 また、全国紙の報道は多くが王子の勇敢さを称えており、国民には不人気のアフガン派遣に王子とメディアが利用されたとする指摘も出た(2日付、インディペンデント・オン・サンデー電子版)。報道協定、外国メディアの協定破り(協定を守った英メディアは面子がつぶれない)、それを機にしての一斉過剰報道や愛国報道という流れを振り返ると、国策の一環になったという点は否めない。

 (追加)
 王子は今後も海外派遣を希望しており、次回も協定が結ばれるかどうかは注目に値する。例えアフガン派遣が報道され、危険性が増したとしても、「いったん派遣されたら覚悟を決めて最後まで全うするべき」という意見や、「危険な場所への従軍自体がおかしい」という声もあったことを記しておきたい。王子の従軍はどっちに転がっても、「国策」となってしまうことは避けられなかった。

 それと、例のデンマークのムハンマド風刺画事件で、フランス、ドイツの新聞がデンマーク紙に共闘するために風刺画を再掲載したが、英国の新聞は暗黙の協定で一切掲載しなかった。結構、こんな風にちんまりまとまってしまうのも英国の新聞業界の特徴かもしれない。(いろんな意味で島国なのだ・・。)

(以下のサイトには写真もある。やっぱり新兵のリクルートに役立ちそう・・・という声が。)

http://www.afpbb.com/article/politics/2358888/2696733


 
by polimediauk | 2008-03-14 16:19 | 新聞業界
 久しぶりに日本に帰り、「日本と英国とどっちが住みやすいの?」と友人に聞かれた。都内で会ったので、この場合の日本=東京近辺を指すのだろう。「英国の方が住みやすい」と言って欲しいのかなあ??とも思ったが、電車の遅れや突然のサービス停止などに出くわすことが多いので、「英国は暮らしやすい」とは決して言えない。

 そこで思い出されるのが最近のあるニュース(以下は、3月13日発行の「英国ニュースダイジェスト」誌の筆者記事に補足)。

 年末年始、英中部を中心に予定されていた、ウエスト・コースト本線の鉄道工事の遅れで、数十万人の鉄道利用者に影響が及んだ。直接の原因は「来るはずの作業者が現場に姿を見せなかったため」(!なんという理由だろう)。

 公共交通機関の遅れや工事遅延による不都合には慣れている英国民もクリスマス明けの災難には大立腹となり、2月末、鉄道規制局ORRが、工事の責任者で英国の鉄道施設を所有・管理するネットワーク・レール社に、1400万ポンド(約28億7000万円)の支払いを命じたのだ。ORRが鉄道会社に科した罰金の中では最高額となる。

 問題の工事はロンドンのリバプール・ストリート駅、英中部ラグビー駅、北はグラスゴーを中心に予定されていたが、ウエスト・コースト本線で必要とされる全ての工事を年内に終了するためには、今後も一部駅の閉鎖など、鉄道利用者にとって不便な状況が続く見込み。

 ネットワーク・レール側は工事遅延の主原因を特殊技能を持った作業員の不足としており、平たく言えば、必要な人材が予定された日に工事現場に現れず、作業が進まない状態となってしまったのだ。

 ORRは、ネットワーク・レール社側の「現場管理が不十分だった」、「リスク査定の失敗があった」ことを指摘した。「大規模な工事を一貫性を持って管理することができないことが露呈された」(ORRのトップ)。

 罰金が巨額になったのは、信号機不良や路線管理を巡る問題がこれまでにも表面化し、ネットワーク・レール社に対する不信感が高まっていたことが背景にある。

 英国の鉄道は1990年代半ばから民営化されていったが、軌道とインフラを所有・運営したのがレールトラック社(ネットワーク・レール社の前身)だった。しかし、民営化後に事故が相次いだ。1999年、レールトラック社も管理不行き届きで760万ポンド(約15億円)もの罰金の支払いをORRから命じられている。

 2000年、英南部ハットフィールドで起きた鉄道事故では4人が死亡、70人が負傷した。線路上の微小なひび割れが主原因だったが、国営企業レールトラック社の管理のずさんさを表した事件でもあった。レールトラック社は緊急速度制限を発令し、高予算の全国軌道改良計画を実施したが、事故が継続して発生し、最終的に倒産となった。これを引き継いだのが国有企業ネットワーク・レール社だった。

 ネットワーク・レール社によると、安全性は向上しており、電車発着の遅延率もここ3-4年で2割から3割減少しているとするが、昨年2月、イングランド北西部カンブリア州のグレイリッグで起きた鉄道事故や年末年始の工事遅延で、管理能力への大きな疑問符がついた。

―「二重課税」?

 今回の罰金に関し、一部野党からは批判も出た。それは、ORRのガイドラインによると、ネットワーク・レール社は罰金を交通省に納めるが、交通省はこれを財務省に送ることになっているからだ。通常、ネットワーク・レール社の利益は全て鉄道施設の向上のために使われるが、罰金が財務省に入れば、鉄道や交通関連の使途に使われる可能性はないかあるいは低くなる。ネットワーク・レール社に巨大な罰金支払いを命じることで、本来の目的である鉄道施設の維持管理や運営の向上から、一歩遠のいてしまうのではないか、という懸念がある。

 さらに、国有のネットワーク・レール社には株主がおらず、運営費の元々は国民の税金である。国民の側からすれば、「税金の二重払い」になりはしないか。ネットワーク・レールの存在の意義が問われているのかもしれない。(参考:BBC他)

―ネットワーク・レール社とは?

発足:英国の鉄道施設を所有するグループ会社レールトラックが安全性の問題や膨れ上がった債務が原因で破綻し、これを引き継ぐ形で2002年から活動を開始した国有会社。レールトラック社が民間資本で運営されたことも破綻の一因とされたことから、政府が公的資金を用いて発足させた。

事業目的:全国の鉄道インフラ(線路、信号、駅施設、トンネル、ふみきりなど)を管理する。

経営:株主はいないが、100人で構成される監視グループが運営する。グループのメンバーは鉄道関連企業あるいは一般人。交通省が取締役を任命し、その業績を監視する。
.
収入:全ての利益は鉄道網の改善のために投資される。2007年3月決算で年間利益は10億ポンド(約2000億円)。収入の半分は政府から。残りは線路を使う鉄道会社が払う使用料や所有不動産の賃貸費など。 線路使用料の額は、規制局が、政府の指導の下、設定する。


 管轄路線の合計の長さ:2万マイル、鉄道信号所の数:1万、橋とトンネルの総数:4万、管理下にある主要駅の数:18、従業員数:3万2000人、利用乗客数:1日で300万人。

―英国の鉄道の歴史(19世紀から現在)

19世紀から20世紀:小規模の民間地方鉄道が運営する地方路線が発展する。
その後、全国の鉄道網が政府の管理下に。
1923年:1921年鉄道法の下、四大鉄道会社(「ビッグ・フォー」)に集約される。ビッグ・フォーとは、グレートウェスタン鉄道、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道、ロンドン・ミドランド・スコティッシュ鉄道、サザン鉄道。共同株式所有会社としてのビッグ・フォーは1947年12月31日まで運行。
1920年代―1930年代:道路輸送の急成長。鉄道会社の収入は大きく減少。鉄道業界の縮小。
1948年:ビッグ・フォーが国有化され、英運輸委員会傘下の英国鉄となる。運行地域によって6つの地域組織に分割される。
1954年: ライフスタイルの変化にともない鉄道収入が減少し、1955年までに赤字に。ディーゼルと電気車両の導入もあまり効果なし。
1960年代半ば:大規模な路線縮小へ。鉄道界、再編へ。
1970年代:都市間の高速鉄道の導入。
1980年代:政府の援助が大きく削減される。
1994年―1997年: 上下分離方式での分割民営化が実施へ。軌道とインフラの所有はレイルトラック社に受け継がれた。
2002年:破綻したレールトラック社をネットワーク・レール社が引き継ぐ。
(参考:ウイキペディア他)

―OFFICE OF RAIL REGULATION(ORR)とは

 鉄道規制局。鉄道交通安全法の下、2005年発足した独立機関。全国の鉄道インフラの所有者のネットワーク・レールが効率的にかつ鉄道利用者のニーズを満たすように運営されるよう、規制をかけるとともに、衛生・安全上のパフォーマンス向上を監視し、場合によっては罰金を課せるなど、その勧告は重い意味を持つ。鉄道施設の所有者に免許を発行する役目も持つ。交通大臣が任命する取締役が運営している。
by polimediauk | 2008-03-14 01:45 | 英国事情
BBCのサイトでUK版を選択し、ハリー王子の話で Watch Prince Charlesとなっているところをクリックすると、広告のあとに、ハリー王子の父、チャールズ皇太子のインタビューが見れる。

http://news.bbc.co.uk/

息子が無事帰ってきてくれてうれしいと言い、「これで自分の子供を戦闘地に送っている親の気持ちがしみじみ分かった」と語る。「置いていかれた側の方がつらいこともある」、「現在も戦闘地に息子・娘を送っている家族に感謝したい」。

 親としての正直な部分が自然に出ているという意味では良いビデオなのだろうが、どうも腑に落ちない。若き青年たち(英国人もタリバン側も)が命を落すのはちっとも誇らしいことでも、勇気あることでもないのではないかー?でもビデオを見ていると、「ああ、すばらしい」と思ってしまいがちになる。

 しかし英国は本当に戦争国家である。こんな風にしないと国際社会で生きられないのだろうか?コソボにも数百人(さらに?)派遣するようであるし、もう本当にぎりぎりと言われている。
by polimediauk | 2008-03-01 23:13

 (ジャーナリズムうんぬんの前に、まずはビデオを見ていただきたい。ある意味では大いなるプロパガンダ、歴史的フィルムとしての意義、市民記者の報道のような感じ・・映像はやはりインパクトが違う。2つ目のビデオはお母さんのダイアナさんをほうふつとさせる。この人は、軍隊のプロパガンダに使われただけなのだろうか?)

http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article3456189.ece

http://www.guardian.co.uk/news/video/2008/feb/28/prince.harry


 ヘンリー(ハリー)王子がアフガニスタンで従軍していることを報道しないようにと、英国防省が国内のメディア各社にお願いしていたそうである。そこで英メディアは「自主的に」このお願いを報道協定として守ることにし、その代わりと言って国防省がもちかけたのは、ハリー王子への直接の取材だった。

 中には、「こんなに近場に寄ってハリーを取材したのは初めて」という取材陣もいたようだ。

 ところが、オーストラリアの雑誌「ニュー・アイデア」が今年になって報道し、ドイツでも一部報道された。

 「ニューアイデア」側は、「英政府内で報道協定が敷かれていたことを知らなかった」と説明している。しかし、読者からはこれを批判する声が相次いでいるようだ。「英王子の海外従軍で、何らかの報道規制があると考えるのが普通」、「販売第一主義だった、恥を知れ」など。

 王子は昨年12月からアフガニスタンに派遣されており、家族が揃うはずのクリスマス時にも姿を見せず、「おや?ハリーはどこに?」という疑問の声が一部であがっていた。うすうす、「おかしいな?」という雰囲気が、報道協定を結んでいなかったメディアの側に起きてきたとしても不思議ではない状態だった。

 それでも、これが大きなニュースになったのは、米国人マット・ドラッジ氏(1966年生まれ)のニュースサイト「ドラッジ・リポート」でスクープされたからだ。

 そこでドラッジって誰?と英国民の中で疑問がわき、テレグラフ紙が結構詳しく書いていた。例のクリントン元米大統領とルウインスキーさんの仲をスクープしたことでも著名という。最近の例だと、民主党から米大統領になることを狙うオバマ氏が、2006年アフリカを訪れた際、ソマリア人の長老の格好をした写真を掲載。この写真はライバルのヒラリー・クリントン陣営から送られてきたもの、だそうだ。オバマ氏が危険なイスラム教徒であるかのような印象を与えることを意図した、と。本当にクリントン陣営から来たのかどうか分からないが、ますます無視できないサイトになっているようだ。

 現在、毎月ドラッジ・リポートを訪れる人は6億人と言われる。

 http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/02/28/wdrudge128.xml

http://en.wikipedia.org/wiki/Drudge_report


 英チャンネル4を中心に、「報道で政府と協定を交わすのはまずいのではないか?」という批判もある。協定をした方は「必要悪」という論理のよう。

 ハリー王子の従軍報道(こんなにがんばっています、と伝えるため)で、泥沼状態に陥ったとされる、英軍のアフガニスタン侵攻(侵攻といっていいのかどうか、迷ってしまうが、正確にはタリバン征伐+国家建設?)に良いイメージを与えたいなど、宣伝戦略(戦闘・戦争時の宣伝戦略は実際のドンパチの闘いよりもあるいはそれ以上に重要なのは周知として)の一環でもあるのだろう。

 しかし、ネットの時代に国内メディアのみを対象にした「協定」は難しいだろう(かつ、こっけいでもある)。いわば、最初からいつかはブレークされることを承知の上での協定だった。

 それにしても、誰がオーストラリアの雑誌に情報を流したのだろう?謎である。
 
by polimediauk | 2008-03-01 11:51 | 英国事情