小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧

<   2011年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

 うっかりして、元記事のリンクを入れるのを忘れました!

 Japan tsunami: Fukushima Fifty, the first interview
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/8408863/Japan-tsunami-Fukushima-Fifty-the-first-interview.html

 間違いほか、ご指摘くださると幸いです。

 ****

 サンデー・テレグラフで、「福島50」(フクシマ・フィフティー)と名づけられた、福島原発事故の作業に当たる人々(約50人といわれていたことから「フィフティー」と呼ばれた)への取材記事が載っている。顔写真つきで、はっきりと声が出ている。

 福島で取材をしたのはアンドリュー・ギリガンとロバート・メンディック記者である。これまで、顔が見えないと言われた作業員たちは、「狭く、暗い空間で作業をすることの恐怖、家族への思い、それでも作業を続けていくという意志」を語ってくれたという。

 顔写真が出ているのは、電気技師の田村アキラさんと、チームのリーダーの一人鈴木ノブヒデさんである(名前は漢字が不明なので、ここではカタカナ表記)。作業員たちへの取材は、原発から2-3キロの距離の海岸沿いに浮かんだ、カイオウ丸船上での休憩中に行われた。

 カイオウ丸の乗組員によると、作業員たちは「非常に静か」で、食事中もほとんど会話はい。ビールを勧められると、断ったという。

 福島原発第3号のメルトダウンで、東京消防庁の消防救助機動部隊を率いたのが福留カズヒコさん。作業中、あたりは「真っ暗でした」と語る。「真夜中で、見えるのは自分たちの頭につけたトーチのみ。原子炉からは煙と蒸気が立ち上っていました。全てが失敗してしまったので、海水を入れて冷却するために(政府は)私たちを呼んだんです」。

「私たちは国家公務員じゃないんです。東京都の職員ですから。でも、政府はほかに手立てがなかった。最後の手段だったんでしょう」。

 救助作業の指示が出たのが午後11時。福留さんは自宅にいた。「簡潔な指示で、チームを集めて、福島に行くように、と。それで電話は終わりでした」「妻の方を見て、『福島に行くよ』と言ったら、妻はショックを受けていましたが、落ち着いた表情を見せて、『気をつけて』と言ってくれました」

 福島に行く指令を断るということは福留さんの頭には浮かばなかったという。「作業員たちは大きな懸念を抱えていました。たいていの作業を私たちは練習して来ましたが、これは経験したことがない敵なのです」

 午前2時に現場に到着し、チームは二班に分かれた。消防車の1つは、海水を汲み上げるため、できうる限り海面に近い場所に行った。2台目の消防車は、放水をするために、原子炉から6メートル以内の場所に置かれ、3台目はその途中に置かれた。
 
「すべてが瓦礫におおわれて、私たちが想像していた状況よりも悪い状況でした。」
 
「コンクリートの塊があちこちにあって、マンホールのカバーは吹き飛ばされていました。道も通れないようになっていました」。海水を汲み上げることができる場所に消防車を置くことができず、真夜中の真っ暗な中を、作業員たちはホースを持って800メートル近くを走り、海面にホースを入れたという。

 放射能が危険なレベルに達したときに、いつでも退避できるよう、車を待機させていたが、この作業の間、放射能は原子炉から流れ出ていた、とギリガン記者は書く。

 お互いに声をかけながらーー呼吸マスクをつけていたので、叫び声になりながらーーもっとホースを引いてくれ、あと少しだぞ、といいながら作業を続けた。水がホースに流れ出すと、作業員たちは、歓喜のこぶしを宙にあげたという。

 呼吸マスクを除くと、作業員たちが身に着けていたのはオレンジ色のボイラー・スーツだった。26時間の作業後、休憩所に連れて行かれ、検査を受けた。衣類は放射能を浴びていたので、押収された。身体を洗い、放射線照射をテストされた。「完全にクリアになったわけではないが、大丈夫ということで、解放された」と福留さん。「自分は大丈夫だと思う。衣類は汚染されたけど、自分の身体は大丈夫だと思う」。

 「電気が戻ってよかったと思う。あれほど暗い中で作業をするのは大変だったから」と田村アキラさんが言う。「作業をしたケーブルの一部はとても高い場所にあった。こちらが思うほどには作業はうまく行かなかったので、心配だ」。

 多くの作業員は、簡素な、白い使い捨て用のオーバーオールを着ていた。放射性物資が直接肌につかないよう遮断できても、ほとんどの放射能の被爆を予防はできないという。

 作業員は2つのバッジを身に着ける。放射能が危険なレベルに達したときに、知らせてくれるバッジである。「最悪の場所に長時間いないようにしたいと思う。常時いるのでなかったら、大丈夫と言われた」とある男性が話す。(ギリガン記者が作業員に取材をした日、別の作業員チームの二人が被爆した報道が出た。)

 原子炉を冷却化する作業の中で、田村さんを含む作業員は、当初、発電所の床で寝ていたという。「シフト制になっておらず、私たちは24時間体制で働いています」「また明日は原発に戻ります」「1時間作業をして2時間休むというやり方をしてきました」「最初は10人の作業員でしたが、今は30人に増えたので、休みを取って食事を取ることができます」

 チームのリーダー、鈴木ノブヒデさんが言う。「私たちは非常に神経質になっています。緊張感が漂っています。でも、作業を続けなければいけません。肩に大きな責任を感じます。世界中が見ているし、みんなが応援してくれています。私たちが孤立していないと感じています」。

 外の世界へのメッセージはと聞かれ、鈴木さんは「今考えられるのは作業を続けていくことです。毎日、戦っています。応援してください」。

 32歳のある男性作業員が言う。「とっても怖いです。いつも恐怖におびえています」「でも、これは重要だし、やらなければならないことーこれが私を動かしています」。

 記者が取材した作業員たちは、事故発生から家族に会っていない。「妻と両親にできれば会いたい」と田村さん。「メールで連絡を取っています。とても心配しているようです」。

 「電話で一度話したきりです」と鈴木さん。「子供は応援するといってくれましたが、妻とは話してません。妻は動揺が強すぎて、話せなかったのです」。

 こうした勇気ある作業員たちの家のほとんどが原発事故による避難地域にあるため、大部分の作業員たちには、戻る家がないのだとギリガン記者は記している。






 
by polimediauk | 2011-03-27 20:54 | 日本関連
 昨日に続き、東洋経済オンラインにもう1つのインタビュー記事が出ている。

東日本大震災を試練に日本は自信を取り戻す――英メディアが見た大震災下の日本http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/7b78588dd49be0ae5802692dd4fe2e26/

 今回は、英「エコノミスト」誌、アジア担当エディターのドミニク・ジーグラー氏のインタビューである。同氏はコラム「BANYAN」を毎週執筆。1994年から2000年、中国特派員、05年から09年、東京支局長を含め、過去18年間、アジア地域の報道を担当している。
 
 取材時のこぼれ話だが、もっとも盛り上がった話題の1つはメディア批判。それと、日本に「静かな革命が起きている」という話も印象的だった。

 ジーグラー氏は、ジーンズにセーターの楽な姿で受付に姿を表し、まず日本語であいさつ。非常に気さくな雰囲気を持つ人で、これだったらどこに行っても、その土地の情景の一つになるのだろうなあと思わせた。

 私は前にもエコノミストの人に、「何故雑誌が売れているのか」「質の高い記事が出せる理由は何か」を聞いてきた。今回も、ジーグラー氏に聞いてみると、まず、「質の高いジャーナリストがいるから」という私が挙げた理由に同意しながらも、同氏は、もっと大きな理由として「取材する相手の質が高いから」を挙げた。内部事情をよく知る人、政府や組織の上部にいる人への取材に加え、経営職などにいない、普通の市民、さまざまな職業で働く人などと、広く「会話をしているから」だそうだ。

 「取材相手の質が高いから、質の高い情報をとることができ、質の高い情報を発信できる」-これは、まさに、言われてみるとそうだなあと思った。ここでエコノミスト好調の秘密が、また1つ分かったように思えた。

 そして、質の高さのほかの理由として、エコノミストが報道機関として独立している点を挙げた。「エコノミストの所有者が編集部にああしろ、こうしろということはない」。所有者からは独立している理事会が間に入ることによって、エコノミストには独立した編集権が与えられている。

 「私たちは自分たちが信じる文脈を報道している。外部からの制約はない」

 では、日本のメディアはどう見えるのだろう?

 「日本での経験から言うと、大手報道機関のほとんどが、自分たちが知っていることあるいは考えていることを報道しない印象を持った。大手報道機関が制約を受けるのは、特に政治エスタブリッシュメントとの関係があるからだ。報道機関の所有者と権力者側との馴れ合い関係があるからだ。不健全な関係であり、時にはプロとしてのレベルに達しない報道になってしまう」。政治エスタブリッシュメントは政治家、政治界で働く人のみならず、政治家に近い学者なども入るだろう。

 エコノミストのスタッフは、今、世界中で80人ほどだという。日本では政府の記者会見などに出席できているのかと聞くと、

 「できるが、かつては難しかった。記者クラブ体制の問題の1つは、クラブに所属する記者と管轄省庁との関係が親密になってしまう点だ」「外部の人を入れない排他的なクラブのメンバーにはなりなくない。この非常に緊密なクラブ体制の外で仕事をしたい」。

 この後で、日本で起きている「静かな革命」、つまりは、民主党政権の発足を国民が選択したこと、インターネットメディアの勃興・成長、若者層が様々な意見を出すようになってきたことなどの話になり、最後は、「メディアは変わっていると思うか」という質問になった。これは東洋経済のネットの記事にも出ているのだが、日本のメディアは「あまりにも政治エスタブリッシュメントに対して、慇懃・ていねい過ぎる」という話になる。

 ジーグラー氏は、日本の大手報道機関が、政治エスタブリッシュメントに非常に丁寧すぎて、本当の問題を国民のために報道しないことを指摘する。「これは日本のメディアの大きな弱点だ」。

 面白いのは、同氏は東京支局長だったころ、同じ質問を何度もされたという。日本のメディアを論評して欲しい、と。答えはいつも同じだったという。「テレビ局にも何度も同じ質問を受けた。しかし、私が今のように答えると、インタビューの後、私のコメントは一度として、放映されることはなかった」という。―取材をしているときのトピックにあわなかったので放映されなかったかもしれないが、お互いに、沈黙してしまった瞬間だった。

 











 
by polimediauk | 2011-03-23 21:49 | 日本関連
 フィナンシャル・タイムズのコラムニスト、ジョン・プレンダー氏に取材をする機会があった。週刊「東洋経済」(21日発売)の震災特集の中にあるロンドン・リポート用取材の一環だったが、インタビューの一問一答は、今オンラインに掲載されている。

日本再生の資金は米国債売却で捻出できる――英メディアが見た大震災下の日本 http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/870fb968e55638d3c19f7ef827d80475/

 プレンダー氏自身のコラムのサイト
http://www.ft.com/comment/columnists/johnplender

 同氏の論評の評価については、日本でも詳しい金融・経済関係者がたくさんいらっしゃるだろうと思う。

 私自身は、1980年代から90年代にかけて金融業界(米英系投資銀行、投資顧問)で働いてたこともあって(といっても、本当に下っ端。気概のある人はMBAを取り、どんどん上に上る)、お金の動きに関心を持っていた時期があった。

 金融業界を離れてからも、フィナンシャル・タイムズの記事を読むうちに、プレンダー氏のコラムに出会い、本も数冊、手に取った。

 金融業界での勤務経験から、どうも金融というのは「濡れ手に粟」的な部分があるなあ、と感じてきた。外資投資銀行で過ごした1980年代半ばは、バブルの最高潮の時代である。「自分の上司たちは、何故これほど巨額のお金を稼げるんだろう?」大きな疑問であり、驚きであり、うらやましいぐらいでもあった。「インサイダー取引」という言葉は知らなかったが、後で思い起こすと、それに近いことを目撃したり、他の人から話を聞いたような気もした。といって、証拠があるわけではなく、前の会社などに訴えられては困るのだけれど(!)、次第に分かってきたのが、白黒で割り切れないことが起きている、ということ。

 つまり、すべてがグレーなのである。違法行為を働いたかどうかの証明は非常に難しい。法律でルールを作れば必ずこれをかいくぐる人が出る。結局、最後は、その人の良心とか正直さとかになるのかもしれない。

 最近の金融危機の後では、何人もの論者、作家たちが、結局のところ、「グリード(欲)」にかられていた金融業界の失敗を指摘した。行き過ぎであった、と。いつしか、特に英国では銀行に対する大きな不信感ができてしまった。国民の税金でいくつかの大手銀行がつぶれないようにしたせいもあるだろう。今、英国全体が緊縮財政で大変なのに、税金を投入した銀行が大きなボーナスを出しているのは、どういうわけだ!と。

 私は今はメディアの話を書くようになって、FTはたまにしか読まないようになったのだけれど、プレンダー氏の著書の中で見えてくるのは、同氏も金融業界の「欲」の部分を認識しているようで、読むと頭がすっきり、胸が晴れる思いをしていた。

 そこで、プレンダー氏と会ったときに、私が個人的に聞きたいと思っていたのは、金融に対する同氏の率直な見方であった。

 まず同氏の経歴とそれからこぼれ話を紹介したい。

 プレンダー氏はオックスフォード大学。1967年から、デロイット、プレンダー、グリフィス社に勤務した。1970年には公認会計士になる。その後、ジャーナリズムに転じ、1974年、英エコノミスト誌の金融エディターとなる。1980年には、外務省の政策スタッフの一人に。その後、フィナンシャル・タイムズのシニア・エディトリアル・ライター(論説委員)及びコラムニストに。同時に、BBCや民放チャンネル4などで時事番組を作る。株主活動の組織「Pensions and Investment Research Consultants」の一時、会長であったこともあり、ロンドン証券取引所のマーケットアドバイザリー委員会の委員の一人でもあった。著書には「The Square Mile」(1984), 「A Stake In The Future 」( 1997) 「Going Off The Rails - Global Capital And The Crisis Of Legitimacy 」( 2003)など。

***

―銀行業というのは、どこかに人をだますような要素があると私は感じる。どう思うか?

プレンダー氏:銀行には、国民に対する若干のペテンという部分が、ある意味、あるかもしれない。というのも、銀行は、預金者がいつでも預金を引き出せるという概念を基礎に置くことで、機能している。しかし、ある日、もしすべての預金者が預金の全額を銀行から引き出そうとした場合、実際には、銀行はこれを実行できない。預金者から預かったお金を他の資産に投資しているからだ。そういう意味では、銀行は、銀行に対する預金者の信頼感を利用している、と言っても良い。
 
 実際には、預金全額の支払いに銀行が応じられないと知っているからこそ、政府は預金保護手段を講じ、最後の貸し手という役目を持っている。

―投資銀行についてはどうか?インサイダー取引との関連では?

 過去、インサイダー取引が行われたのは事実だし、ギャンブルといってよいような取引が行われていたことも事実だ。たくさんの間違った行為が横行する、奇妙なビジネスともいえる。

―誘惑が大きすぎるのかもしれない。情報の行き来で、巨額が得られてしまう。あまりにも簡単すぎるのかも。

 確かに。

―でも、そんな金融に関して、これまであなたはずっと記事を書いてきた。金融業に魅せられているということか?

 そうだ。金融業は実に面白い。人間のドラマがあるからだ。金融業ばかりか、ビジネス全体にもいえると思うけれども。例えば、経営陣同士のドラマだ。たった一つの企業の取締役会の中を見るだけでも、人間の営みの全てが見える。通常の議会での政治の駆け引きとは少々違うが、もちろん、政治もドラマの要素だ。

―日本の新聞社では、一般的に、記者は一定の年齢になると管理職として記事を書かなくなる。プレンダー氏はこれからもFTで書き続けるのか?

 そのつもりだ。



by polimediauk | 2011-03-22 20:29 | 新聞業界
c0016826_0554126.jpg
 現在出ている、「東洋経済」の震災特集で、ロンドンから見た英報道について書いています。


 特集の目次はこんな感じ。

 これからどうするのか。何をなすべきか。 検証!大震災


東日本大混乱。縮む日本経済
「原発」非常事態宣言
産業界も操業「停止」
日本経済がストップした日

グローバル社会の反応と懸念 ロンドン・ソウル・北京
乱高下する株価! 日本売りはどこまで加速するのか

不動産投資減退。どうなるマンション・地価

東日本巨大地震の構造。東海・西日本は?

[マップ] 震源とプレート、余震域、活火山

そのとき記者は歩いた! 帰宅路27㎞サバイバル

帰宅難民にならないための3カ条

もろさを見せた携帯電話。意外に強かったPHS

地震でおりる保険とは? 津波被害のときの注意点


****

 この原稿を書くために、数人に取材してあるので、その話やこぼれ話はブログやニュースサイトなどで出していきたいと思っています。いずれの人も、日本に対する期待大。非常に深く見ている感じでした。


by polimediauk | 2011-03-22 00:54 | 新聞業界
 在英日本人のための、東北地方太平洋沖地震に関わる情報、寄付金の仕方などは、邦字紙「英国ニュースダイジェスト」の頁をご参考に。

http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/7651/292/
 
 以下は「英国ニュースダイジェスト」最新号に掲載された、コラムの原稿です。このコラムはダイジェストのウェブサイト上で、見ることができます(ジョージ6世の時代の表付き)。

http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/7677/263/

 エリザベス女王の父に当たるジョージ6世が、吃音を直すために雇った治療士との心温まる交流を映画にした「英国王のスピーチ」が人気だ。先月末には、米アカデミー賞で作品賞を含めた主要4部門賞を制覇したのがこの映画だった。今回は、ジョージ6世の人柄や時代背景を、治療士との実話を含めて紹介したい。

―ジョージ6世の人生とは

 後にジョージ6世となるアルバート(アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ・ウィンザー、通称「バーティー」)は、父ジョージ5世と母メアリ妃の6人の子供たちの中の次男として、1895年、生まれた。「アルバート」とは祖母に当たるビクトリア女王の夫アルバート公から取ったものである。1歳年上のエドワードは社交的で、長い間、アルバートは兄との比較によるコンプレックスに悩まされたという。

 幼少期から言葉を覚えるのが遅く、左利き、X脚でもあったアルバートは、父親からこれを矯正するよう強くハッパをかけられた。食事の際には左手に長い紐をつけられ、左手を使った場合は父が紐を引っ張ったという。X脚の矯正用に脚にギブスをつけていた時期もあり、その痛みに耐えられない思いをして少年時代をすごした。

 父親からのプレッシャー、兄エドワードのあざけりなどが原因で、アルバートはいつしか強い吃音状態に陥るようになったといわれている。

 海軍兵学校で学び、空軍で将校として勤務した後、ケンブリッジ大学で歴史などの教育を受けた。1920年、20代半ばで「ヨーク公」という爵位を授与された。

 アルバートの人生が明るくなるのは、ストラスモア伯爵家からエリザベス・バウエン=ライオンと、1923年、結婚してからだ。兄のエドワードはまだ結婚しておらず、アルバートとエリザベスの結婚は国民の憧れの的になった。温かくおおらかな性格のエリザベスに助けられながら、ヨーク公の人気も次第に上昇していった。

―演説を助けたオーストラリア人

 ヨーク公の当時の大きな悩みの1つは、人前で行う演説だった。1925年の大英博覧会の閉会式で、父の代わりに演説を行ったが、吃音のためにひどい結果になってしまったのだ。エリザベスが見つけてきたのが、オーストラリア出身のライオネル・ローグであった。当時、オーストラリアは大英帝国の一部である。

 1880年生まれのローグは、少年時代から発声、発音の面白さに興味を引かれた。16歳で演説の方法を学び、当時の教師の補助役として働き出した。ローグの興味は演説の仕方のみならず、音楽や演劇にも広がった。様々な学校で発声方法や演説を教えるうちに、第1次世界大戦で戦闘神経症に苦しみ、言葉を発することができなくなった元兵士たちに治療を施すようにもなった。

 時々訪れるようになったロンドンで、ローグが話し方を教える治療士として診療所を開いたのは1926年である。みすぼらしい診療所に30代前半のヨーク公が訪れたとき、ローグは50歳近くになっていた。

 患者と治療士の間に親密な雰囲気を作り出し、独自の治療を進めようとするローグに、ヨーク公は当初反発し、一時は関係が悪化するほどであった。

 しかし、兄エドワード8世が米国人で離婚歴のあるシンプソン女性と結婚することを望み、1936年12月、退位すると、ヨーク公はジョージ6世として即位せざるを得なくなった。即位の可能性を考えてこなかったヨーク公は、大きく動揺した。兄の退位の前日、母親の元で「自分にはできない」と涙を流したと言われている。

 公の演説がますます重要となり、ジョージ6世は本格的にローグによる治療に熱を入れた。吃音は最後まで直らなかったものの、ローグの助けによって、国民に向けた数々の演説をジョージ6世は無事にこなすことができた。ローグとジョージ6世は生涯、深い友人関係を保ったといわれている。

―国民の支持を得て

 1939年の第2次世界大戦勃発時、ジョージ6世の国民に向けた演説は、ラジオを通して広く国民に聞かれ、大戦に向けた国民の士気を奮い立たせた。1940年、ドイツ軍が英国に大規模空爆を開始したが、ジョージ6世と妻のエリザベスはロンドンを去らず「最後まで戦う」と宣言。国民の支持はいやがおうにも高まった。

 戦後の国内経済の建て直しや、インド、パキスタンなど大英帝国からの独立が相次ぐと、もともと病弱だったジョージ6世は健康を悪化させた。1951年9月、左肺を切除摘出し、一時小康状態となったが、翌年一月末、療養先のノーフォークのサンドリガム御用邸で寝たきりとなった。2月6日未明、動脈血栓により死去。満で56歳だった。

―関連キーワード

Hanoverian Dynasty:ハノーバー朝。1714年から1901年まで続いた英国の王朝。スチュアート家アン王女が亡くなると、カトリック教徒の即位を阻む王位継承法によって又従兄弟にあたるドイツのハノーファー選帝候ゲオルクがジョージ1世として即位した。ビクトリア女王の1901年の死後、夫であったドイツ出身のアルバート公の家名からサクス=コバーク=ゴータ朝となった。第1次対戦中の1917年、ジョージ5世が敵国ドイツの領邦の名前が入った家名を、王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家と改称。名前を変えただけなので、ハノーバー朝の継続と見る人もいる。1960年の勅令で、エリザベス女王とフィリップ公の子供の姓をマウントバッテン=ウィンザーとすることに。次の国王はこの名前を使うことになるため、現女王はウィンザー朝最後の元首になる。
by polimediauk | 2011-03-20 11:49 | 英国事情
 フィリップ・クローリー米国務次官補(広報担当)が、13日、辞任した。ウィキリークスに機密情報を流したと推測されるブラッドリー・マニング米上等兵が、拘束中の海兵隊施設(バージニア州)で不当に扱われていると発言したためだ。

 マニング兵は自殺防止のため、夜間は衣服を没収され、全裸で眠ることを強要されている。クローリー氏は、先週、米マサチューセッツ工科大学での会合で、マニング兵の取り扱いが「不合理、国防の面から言えば逆効果で馬鹿げている」と語った。
 
 これに対し、オバマ米大統領は、11日、国防省からマニング兵の取り扱いが適切であると報告を受けた、と述べた。米政府トップから見放された形となったクローリー氏は辞任をせざるを得なくなった。

 クローリー氏が「馬鹿げている」と表現した、マニング兵の拘束状況とはどんなものか?同兵の弁護士が公表した、マニング兵自身の説明を見てみよう。

 以下は、ガーディアンの掲載記事の抜粋である。http://www.guardian.co.uk/world/2011/mar/11/bradley-manning-strip-clothing-prison

***

 数ヶ月の拘束が続いていたマニング兵は、パパキー海兵隊保安警護官に、どうやったら厳しい拘束条件(1日のほとんどを独房に閉じ込められているなど)を緩和できるかと聞いたー。「パパキ警護官は、拘束状態を緩和するために私ができることは何もない、私には自傷の危険性がある、と言った」

 「そこで焦燥感を抱き、拘束規制は馬鹿げているし、もし私が本当に自分を傷つけたかったら、下着のゴムバンドかサンダルを使うこともできるよ、と皮肉をこめて言った」

 「その日、後になって、私がパパキーに言ったことのために、夜間は全裸にされると言われた。驚いて、何も言っていないと答えた。現在の拘束がいかに馬鹿げたものかを指摘しただけだ、と」

 「私の精神の健康状態を見る担当者に相談せず、施設のオフィサーであるデニス・バーンズが、私の皮肉の言葉を理由にして私には自殺の危険性があるとし、規制を厳格化することに決めた」

 「私に自殺の危険性があると認定されたわけではない。認定には精神の健康状態をチェックする担当者の査定が必要だからだ」

「精神科医がやってきて私の精神状態を調べ、自傷の危険性は低いという判断が出た」

 「3月2日から、私は夜間、衣服を没収されることになった。この処理は無限に続くそうだ。最初の夜、衣服を没収された後、翌朝まで寒い独房の中で眠るしかなかった」

 「翌朝、ブリッグ(米国の軍隊で罪人を一時的に拘留する場所)の検査担当官がやってくるため、ベッドから起きるように言われた。まだ衣服は戻してもらっていなかった。ベッドから起きると、すぐに独房の寒さが身にしみた。独房の前のほうに、自分の性器部分を手で隠しながら歩きだした。看守は、『休め』の姿勢をとるように言った。これは、両手を後ろに組み、両足を広げる形で立つことを意味した。検査担当官がやってくるまで、約3分間、そのままの姿勢でいた」

 「検査官とそのおつきが私の独房の前を通った。担当官は私の顔を見て、一瞬立ち止まり、その後、次の独房のほうに進んでいった」

 「自分が全裸でいるところを大勢の人に見られ、非常に決まりが悪かった」

 「担当官たちが行ってしまった後で、ベッドまで歩き、座っても良いと言われた」

 「その後衣服を返してもらうまでに10分ほどかかった」

 「私は、自殺を防止するための『スモック』とよばれる衣類を与えられるようになった。夜間にはまた全裸にならなければならないが、昼間はスモックを着られた」

 「最初、スモックを来たくなかった。非常にごわごわして着心地が悪かったからだ」

 「これまでの状況を考えると、夜間、無期限に全裸で寝ることを強要するのは懲罰であることは明らかだった」

 「私は24時間、監視されている。看守は私の独房からほんの2-3メートル離れた場所にいる。昼間は下着と衣類を身に着けられるが、この時間には私が自殺を起こす心配がないとでもいうのだろうか」

 「3月2日以降の、夜間の全裸強要には正当な理由がない。これは、裁判前の違法な処罰に値する」

 「現在、独房に入れられ、外に出るのは1時間のみ。23時間は、独房の中にいる。昼間は看守が5分ごとに、私が大丈夫かどうかを聞く。肯定的な返答をするのが義務となっている」

 「夜間、看守から私の姿が十分に見えなかったり、毛布で私が頭を覆っていたり、壁のほうに丸まって寝ていると、看守が私を起こし、大丈夫かと聞く。食事は独房の中で食べる。枕やシーツを使ってはいけないことになっている。個人的なものを独房の中に一切置いてはいけないことになっている。一度に持ち込めるのは1冊の本か、雑誌だ。本や雑誌は、私が寝る前に、取り去られる。独房の中で運動はしてはいけないことになっている。もしプッシュアップとかしていたら、やめさせられる」

 「毎日、独房の外でできる運動は1時間のみだ」

***

 マニング兵は、大量の外交公電を不正にダウンロードした疑いで、昨年5月逮捕され、機密情報不正入手などの罪で同年7月に訴追された。今月上旬、新たに「敵支援」などの罪で追加訴追された。現在まで、10ヶ月に渡り、処罰が決まらないままで拘束状態にある。軍法裁判がいつ開かれるかは未定だ。

 20日、マニング兵が拘束されている施設の前で、解放を求める支援者たちによる抗議デモが行われるという。

 
 
by polimediauk | 2011-03-15 04:09 | ウィキリークス
 日本は国外でどう見られているか?

 これは本来はあまり気にするべきことではないだろう。新聞は、何か事件があったとき、国外の見方を紹介する記事を良く作るけれど、これはあくまで「参考」であって、その見方は当たっているかも知れなし、当たっていないかもしれない。ステレオタイプかもしれない。

 それでも、もし英国での今回の日本の地震と津波発生の報道を紹介するとすれば、大体共通しているのが:

*非常に報道が詳しいー地理的な説明、何故地震や津波が起きたのか、何故原発が日本にとって大事なのかを、ありとあらゆるコメンテーターや情報を使って英国民に説明している。テレビのニュースは時間を目一杯とり、新聞もたくさん紙面を使っている
*主眼になっているのは、これほど大きな自然災害であったことへの驚き、犠牲者への大きな同情、原発の事故の可能性でどれだけ被害が出るかへの高い関心など。サン紙は、1面に、大きな写真に、一言、「黙示録」とつけた。
*報道のトーンとしては、日本に対する敬意がいろいろな箇所ににじみ出ている。「地震がたくさん発生する国日本で、今回これほどの地震と津波が起きた」「地震に対しては準備万端だったろうけど、津波は防げなかったーでも仕方ないだろう」「地震対策はすごいはずだが」「私たち英国人のアドバイスなどは、あまり参考にならないだろうが(日本には相当な知識と技術があるのだから)」-という表現をよく聞いた。「敬意」というのは、もしかしたら、やや「劣等感」あるいは「気後れ感」もあるかもしれない。何せ、ちょっとしたことで電車が止まり、交通状態が麻痺してしまったり、郵便が届かなくなるのが英国だから。2012年のロンドンオリンピックも、まともに交通機関が動くと信じている人は少ない。必ず何か失策が起きそうである。

 地震発生二日目に犠牲者が数百人規模で出ていることが分かったので、明日以降の新聞はまた別のトーンになると思うが、とりあえず、発生の夜に作った、本日付の各紙は6ページほどの特集がザラだった。

 フィナンシャル・タイムズは、希望的観測の論考が多い。神戸の地震(1995年)と比較して、当局が着々と救済策に力を入れていることを誉め、「日本はこれをきっと乗り越える」という結末など。例えば社説の見出しは「日本は自然災害を吸収する」である。

 論説面の記事の一つが、日本在住のピーター・タスカ氏の論考、「日本は回復力が豊かな国」(Japan is rich in resilience)。自分の体験を書き、後半が日本を励ますような記事。

 やや拾ってみると
http://www.ft.com/cms/s/0/c8576f88-4c19-11e0-82df-00144feab49a.html#axzz1GQWq4amq

 「表面的には、日本はひどい状況だ。管首相は低下する世論調査の数字や金融スキャンダルの餌食になる、幾人もの首相の一人だ」「経済はG7の中でももっとも大きく打撃を受けている」「東証トピックスは1985年レベルで止まっている」

 「日本の隠された資産は、国民からだけでなく、十分に高く評価されていない」、例えば「2007年夏から円は対ユーロ、ポンド、ドルなどで急激に上昇している。それでも、上場企業は来年には利益のピークに至るだろう。これは現状では、本当にすごい業績だし、1990年代以降、日本の経営がいかに大きく変わったかの証拠でもある」

 「日本では急速に高齢化が進んでいるが、これが良いか悪いかは別として、大量の移民労働者に対し、門戸を開いていない」「その代わり、日本の勤労者は長い年月を働きつづける。労働市場の20%以上が65歳以上なのだ。欧州では5%以下だ」

 「80代の人でも警備員やレストランで働いている。しかも意気揚々としている。年金だけにたよるのは昔から軽蔑されている」「日本は電化製品ではトップの座にはないかもしれないが、リアリズムでは世界の先駆者だ」

 「若者たちは、無関心や政治への関与をしないことを高齢者たちから批判されているが、神戸大地震の副産物の1つはボランティアが広まったことだ」「100万人がボランティアに従事している」「(当時は)日本のやくざでさえも、生存者たちに無料で食べ物を配った」「互いに助け合うネットワークが自然にできた」

 「危機や自然災害は前向きの変化を引き起こすかもしれない」「ニーチェがいったように、あなたを殺さないものは、あなたを強くするのだ」「この災害は日本を殺さない。日本は心理的により強くなるかもしれないー地震の処理がうまくいけば」

 「なまずに石を戻してくれる神がいるとは誰も思っていない(注:前の文章に、なまずと地震の話がある)」「自分たちでやらないとだめなのだ」

 「日本に対して楽観的になる最大の理由は、厳しい20年間をかいくぐった、社会資産(=ソーシャル・キャピタル)があるからだ」。

 *最後のソーシャル・キャピタルは、人的資源、助け合うネットワーク、80代になっても嬉々として働く人々のことを指していると思われる。

***

 日を追うごとに暗いニュースになるだろうし、海外のニュースを読んでいる気持ちの余裕はなくなるだろうけれど、とりあえず、紹介してみた。
by polimediauk | 2011-03-13 07:37 | 日本関連