小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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(見出し部分のつづりが間違ったまま、見苦しい状態が続いていたことをお詫びします。)

 今、英国にいると、「ここは中東か?」と思うほど、リビア情勢に関する報道が多い。

 特に反体制軍が首都トリポリに入ってからは、「反体制側の勝利」、「英国及びNATO側の介入が功を奏した」という、勝利感みなぎる論調が続いた。ところが、カダフィ大佐がなかなかつかまらないので、次の山場が見つからず、新聞各紙は1面の見出しをいかに劇的にするかに頭を悩ませているようだ。

 英エコミスト誌は、「デービッド・キャメロンの戦争」と題するコラムで、キャメロン首相のリビア戦での決断に一定の評価をしている。
http://www.economist.com/node/21526887

 国連決議の「リビアの国民を守る」という範囲内での軍事行動(空爆のみ)を維持しながら、反体制軍のトリポリ掌握まで実現させたからだ。また、空爆は米国の協力がなければ成功しなかったとしながらも、ブレア政権のときのように、米国のために他国で軍事行動を起こさなかったキャメロン首相。この「成功」には「偶然」という要素も介在していたが、今後も、(ほかの地域で)同様の介入がありそうだ、と締めくくる。

 NATOあるいは英政府が、今、避けようと(あるいはそのふりをしている)している事態とは、リビア国内に軍隊を送ること、そして新政権樹立までの混乱期にリビア政治に深く関わり、状況が泥沼化して抜け出られなくなることだ。2003年のイラク戦争、あるいは2001年に武力攻撃を開始したアフガン戦争のような状態は何としても避けたい、と(あるいは、「避けたいと思っている」と英国及びリビアの国民に信じさせたい、と)思っているのである。
 
 そこで、ヘイグ英外相など、閣僚などは「リビアの今後はリビア国民の手で行うべき」という言葉を繰り返すことになる。

 しかし、本当に「一切関与しなくなる」かというと、大いに疑問である。トリポリでの反政府派と政府派との戦いの様子が大々的に、かつ延々と報道されると、「治安維持のためには、やはり現地に軍隊を送らなければ」という論法が出てくる可能性がある。「リビアの新政府(あるいは反体制派による暫定政府)から、強く依頼されたので」軍隊を派遣する、という説明も出てこないとは言えない。

 「もし」そうなると、リビアの状況は、英国が関与したことで、関与しなかった場合よりも悪化する可能性があるーーイラクやアフガニスタンのように。いつまでも英国の関与が続き、それ自体が中東諸国から反感を買うばかりか、英兵の犠牲者が出て、かつ軍事費負担が増える。英国にとっては、良くないことばかりなのである。ただし、「国際社会で英国の力を示したい」(あるいは「利権を拡大させたい」)と考える、英国の一部の政治家などは、むしろ関与したい、と考えるだろう。

 リビア情勢の注視どころの一つは、「近い将来、リビアにNATOや英国あるいはフランスなどが深く関与するかどうか(つまり、地上に軍隊を送るのか、送らないのか)」になってくる。

 私自身は、英仏が主導した、リビアに対するNATO軍の空爆の様子を、恐ろしさを持って見ていた。反体制軍に武器を提供していた、という報道もあった。8月26日付のテレグラフ紙報道によれば、国連が、凍結されているカダフィ政権の資産の中で、10億ポンド分を反体制軍・反体制政治勢力に提供することで合意した、とあった。すでに、反体制の政治勢力をリビアの正統な政府と見なす国が30カ国以上あるという。カダフィ大佐の周りがどんどん固められていることが見えてくる。

 もちろん、私はカダフィ大佐による圧制が続くべきだと思っていたわけではない。しかし、政府シンパの人が「内政干渉だ」というのも一理あるように聞こえるほど、国際社会という名がついた他者の手によってリビアが支配されてゆく様子は、かつての欧米列強による植民地の分割競争に重なって見えた。

 タイムズのコラムニスト、マシュー・パリスが、「私たちは何とか切り抜けた。向きを変えるときが今だ」と題する記事を書いている。(有料購読制の記事。)
http://www.thetimes.co.uk/tto/public/profile/Matthew-Parris

 要旨は、最初の段落にある。「目をそらせ。理解しようとはしないことが大事だ。私たちはリビア情勢に関して何の支配力もなく、リビアの最善の将来が何であるかを推測する力もなく、最も残酷で最も危険な状況を生み出すことへの影響力があるだけだ」。

 パリスは、これまでに、多くの専門家がアフガニスタンの政治及び軍事状況に関わる予測をたくさん出したが、結果的には完全にずれていたこと、唯一当たっていたのが、「最終的にはひどい壊滅状態になる」ということだけだったと指摘。リビア情勢では「全てが変化し続け、長くは維持しない」ので、「誰がベンガジやトリポリでどうした、あるいは政治勢力の名前や読み方を覚えること」に躍起にならなくてもいい、と主張する。

 もしリビア(の新勢力が)英国からアドバイスがほしい、どうやって民主主義体制を作り上げるのかを教えてほしいというならば、「アドバイスを提供するべきだが、資金援助を頼まれたら、きっぱり断るべきだ」。もし「(軍事)介入を請われたら、ノーというべきだ」。リビア情勢が悪化すれば悪化するほど、NATOも英国もリビアから「背を向ける時期なのだ」、と書いている。
by polimediauk | 2011-08-27 16:34 | 政治とメディア
 リビアでは反体制派軍が首都トリポリ入りし、英テレビのインタビューなどで、複数の市民や反体制派軍関係者らが、「これで自由になった」「カダフィ大佐の40数年の支配が終わった」と喜びの声を上げている。

 しかし、喜ぶのはまだ早いかもしれない。インディペンデント紙の中東専門記者パトリック・コックバーンが、22日付の紙面で「幸福感漂うが、抵抗軍側は分裂している」と題する記事の中で警告している。
Despite the euphoria, the rebels are divided
http://www.independent.co.uk/news/world/africa/despite-the-euphoria-the-rebels-are-divided-2341792.html
 
 リビアの反体制派勢力はこれまで、北東部ベンガジを根城にして力を拡大させてきたが、数ヶ月前から英メディアが発していた問いが、「一体、誰が指導者になるのか」「カダフィ政権の後を継ぐ準備は万端なのか」であった。それに対して、非常に希望に満ちた市民たちが「大丈夫」「ちゃんとしている、心配しなくて良い」と答えていたのが印象に残っていた。

 コックバーン記者の記事から、若干抜粋すると

 「リビアの将来の鍵を握るのはカダフィ体制がどのように崩壊するかによる。果たして逃亡するのか、姿を消してまた戦うのか、あるいは逮捕されるのか、最終的には殺されるのか?」

 「カダフィに戦い返すほどの力が残っていないとしても、抵抗勢力にもそれほど力があるわけではない。北東部ベンガジから侵攻途中、3月には負けていたのが、NATOの空爆で助けられた経緯があるからだ。今回、トリポリに入ることができたのも、NATOから戦略上の支援を受けていたからだ」。

 「現在、反体制派組織『国民評議会』(TNC=Transitional National Council)が、世界の30カ国(米英を含む)から、リビアの正式政府として承認されているという驚くべき事態が生じている。しかし、首都に入ってきた反体制派軍がこの組織を正式な政府と見なしているかというと、疑問だ。ミスラタで長い間戦ってきた反体制派軍の戦士の中には、『従う気はない』という人もいる。反体制派勢力は大きく分裂している」

 「数週間前(7月末)には、反体制派の軍司令官アブドルファッターフ・ユーニス・オベイディ氏が、武装集団に襲撃を受け、拷問をされた上、殺害されている。TNC幹部は、ユーニス指揮官の死因を十分に調査できなかった、TNCの『臨時内閣』を解散させている。これはおそらく、指揮官が属する『オベイディ』(Obeidi)族が指揮官の死について説明を求めたからだろう」

 「カダフィが負けたのは確かだが、果たして勝ったのは誰なのか?」

 「半年ほど前に、リビアの一般市民を守るという名目で、フランスと英国が軍事介入したが、これはすぐに『体制交代のための軍事行動』に変わっていった。一旦介入が始まったら、NATOはカダフィが政権を退くまで、軍事手段に訴え続けるしかなくなった。もしNATOの助けで、反対派勢力がここまでカダフィを追い詰めたのなら、カダフィ政権崩壊後も、NATOはリビアの新体制の下で何らかの役割を果たすのだろうか?」

 「思い起こせば、イラクのサダム・フセイン大統領だって、それにアフガニスタンのタリバン勢力も、国民には不人気だった。しかし、だからといって、フセインやタリバンに代わって政権を取れる野党勢力が存在していたわけではなかった。イラクでもアフガニスタンでも、まもなくまた戦いが発生し、外国の軍隊は占領軍と見なされるようになった」

 「外国の軍事力によって、リビアの反対派勢力はここまで来たーーイラクやアフガニスタンのときのように」

 「カダフィが去るだろうことは分かったが、これがリビアの中で本当に戦いが終わったことを意味するのかどうかは、まだ分からない」。
by polimediauk | 2011-08-23 05:42 | 新聞業界
 ロンドン、そしてイングランド地方各地で勃発した、放火・略奪行為(とりあえず暴動という言葉が使われているので、「暴動」)が、ようやく終息を迎えたようだ。

 私はここ10日ほど、国外に旅行に出かけており、その間、ほとんど英国のニュースに触れることができなかったが、旅行先でも「暴動(ライオット)」はどうなったかといろいろな人から聞かれた。

 帰国してみると、英国でもそして日本でも「一体、何故?」という大きな疑問がいまだ渦巻いていることが分かった。確かに、イングランド各地で相次いで発生し、新聞やテレビが大々的に報道し、逮捕者も3000人近くに上ったのだから、理由を知りたいのは当然だ。

 いろいろな方が「何故か」そして「日本でも同様の行為が発生するのかどうか」に関して、論考を書かれている。私も一通り、複数の論考に目を通してみた。それぞれ、一理ある論考ばかりであったが、私自身の感触に最も近かったのが、

ブログ「ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ」の、「ロンドンの暴動の原因は?」であった。
http://news.livedoor.com/article/detail/5785280/

また、広い意味でこの問題を考えたい方には、英エコノミストの論考が役に立つかもしれない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/18882
英国の暴動:自己像を見失った国

―理由は一つではない

 今回の一連の暴動の原因や分析を考えるとき、書き手がどこにいて何を見たかによって、結論が変わってくると思う。

 私自身が感じた点をを少しだけ書いておこうと思った。どうにも文章でうまく表現できないようにも思うのだが、とりあえず、やってみる。

 *まず、今回の暴動の原因・理由は、「一つには絞りきれない」。低所得、失業(あるいは一度も働いたことがないなど)、人種差別などによる社会からの疎外感(これがあったのかどうかは私には分からないが)、うっぷん晴らし、他人の不幸を関係ないと思う気持ち、警察への不信感、面白そうだからやった・・などなど、いろいろな要因が絡み合っている。「理由はこれ!と、すっぱりとは言えないこと」-この点は、とりあえず、了解しておくべきだと思う。

 *さらに、「人種差別あるいは移民であることに対して何らかの差別を受け、このために社会に対して疎外感を持つ」、あるいは「職を見つけられないので、社会に対して恨みを持つ、疎外感を持つ」といったことは、そういう事態が発生していたとしても、これと暴動とはあまり・ほとんど関係ないかもしれないこと。
 
 *また、日本で前に「空気を読む・読まない」ということが流行ったが、事件の背景には、一つの空気として、社会の決まりごとや権威(例えば親、警察、そのほかの)に対する敬意の欠落(あるいは希薄化)があったと私は感じている。つまり、「社会契約」(ソーシャル・コントラクト)の瓦解、すなわち、「(社会の)ルールを守る」ことに関して、日本と比較すれば、英社会には非常にゆるい態度があるのではないかと思う。

 実は、個人的には、私はこの点が一番大きな背景要因だと思っているのだけれど、どうやって説明したらいいか、迷う。「社会が機能するために、みんなが守る決まりごと」なんて、「どうでもいい」「適当にやっておけばいい」という感覚が、日本よりは強いと思う。(この項目、もっと上手な表現があるはずだが、とりあえず、ご勘弁を。)ある人は、「モラルの欠落」と表現していたーただし、「モラルの欠落」あるいは「希薄化」は、私にすれば、暴動者のみならず、社会全体でモラルの希薄化を許す土壌があるような気がする。(政治家だって、モラルが高いとはいえないのだ。)

 それでも、決まりごとをきちっと守らない(守らなくてもよいと思っている)ーというのは、必ずしも悪いことではない。例えば、電車だったら、到着時間が数分遅れてもいいじゃないか(あるいは、仕方ないよ)と思うほうが、「1分でも遅れたら、切腹モノ」と考えるよりは、いい。

 「権威」(政府、親、年長者)への追随・尊敬が減少したのは、ある人は第2次世界大戦後というし、ある人は1930年代という。1960年代以降という人もいる。

 「親だから」「政府の言うことだから」といって、そのままうのみにしないのは、なんでもうのみにして批判せず、相手の言うことを黙って受け入れるよりは、いい。

 結局のところ、社会の自由化、緩やかさ、ルール順守を最優先しない雰囲気が、一部の人にとっては反社会的行動をとっても良いと考えるような下地を作ったようにも思う。

―日本で同様の暴動は発生するか?

 日本で「同様の暴動が発生するか」?が大きな関心事になっているようだ。現在の日本社会にもいろいろな問題があり、不満を持った層が、何らかの行動を起こすことは「ない」とはいえないだろう。

 しかし、「同様の」に注目すれば、「ない」と言っていいかと私は思う。

 例えば英国には、10歳の少年・少女も含め、反社会的行動(車両にいたずら、騒音行動、窃盗など)を起こす、一定の層が存在する。また、職に就かなくても暮らしていけるほどの福利厚生制度があるために、自分自身が一度も職に就いたことがない人や、親の世代からずっと失業状態だった人たちの層が存在する。ロンドンでは刃物や銃による傷害行為で、命を落とす若者(圧倒的に黒人男性・少年たち)が多い。若年層が軽犯罪や傷害行為で刑務所に送られ、短期間で釈放され、その後、また犯罪者となって刑務所に戻る比率も高い。いざとなったら、反社会的行為に手を染めうる人たちが、結構いる。

 私には、こういう層に相当する人たちが日本に存在することを想像できない。日本のニート層や、あるいは就職氷河期で苦しむ若者たち、あるいはリストラで職を失った人たち、あるいは反原発を訴える人々が、大規模な抗議運動やデモを行う可能性は大いにあるだろうし、実際に行っているだろう。

 でも、果たして、一斉に、放火・略奪などの反社会的な暴力行為を行うだろうか?つまり、ある主張を分かってもらうために抗議をするのでなく、自分の私物を増やすために、大規模な窃盗行為を行ったり、放火したりするだろうか?私には、そういう事態が想像できない。

 つまるところ、今回、少なくとも当初は警察への反発(ある男性を射殺)があったとしても、その後に拡大した放火・略奪行為を実行するためには、相当の「ルール無視」感覚がないと、実行できないと思う。これほどまでの「ルール無視」行動を、果たして、日本人が数千人規模で起こすことがあり得るだろうか?(ここで、東日本大震災で、海外メディアが日本人の「落ち着いた行動」を誉めていたことを思い出していただきたい。決して、お世辞でなく、心底驚いたのであり誉めていたのは本音だったのである。)

-それでも「理由」を知りたい人のために

 ロンドンの暴動の理由に関して、もっと具体的に知りたい方に、ロンドン在住藤沢みどりさんのブログ「ロンドンSW19から」をお勧めしたい。これで頭がすっきりするはずである。
*ロンドンで暴動に参加しているのは誰ですか。

http://newsfromsw19.seesaa.net/article/219843371.html

*暴動はイギリス旅行に影響しますか。http://newsfromsw19.seesaa.net/article/220742526.html

***

やや別の話

 ジャーナリスト佐々木俊尚さんが、有料メルマガ(15日発行)で、ソーシャルメディアをトピックとして取り上げていた。全文でなければ紹介可能とのことなので、一部を抜粋。

 
「日本においては従来、企業のようなアソシエーションは息苦しいムラ社会と同義語でもありました。「友愛」という名のもとに、隷従を強いるような組織形態がごく一般的にどこででもまかり通っていたのです」

 「その息苦しさを突破するツールとして、先ほどから説明してきたような「場」的なソーシャルメディアがあったといえます」

 「たとえば2ちゃんねるはその典型です。日ごろは企業に終身雇用制で勤めているサラリーマンであっても、「名無しさん」という無名の人に戻り、会社のことを気にせずに自由に意見を言い、時には他人を非難したり暴言を吐いたりすることもできる。1990年代末にスタートした2ちゃんねるが人気を博し、2000万人とも言われるユーザー数を誇るまでになったのは、息苦しい戦後社会に対する「ガス抜き」を求めていた人が多かったことの証明といえるでしょう」

 「アメリカでは友愛の関係性をベースにしたアソシエーション的フェイスブックが最も普及したのに対し、日本では匿名やハンドルネームを使った「場」的な殺伐ソーシャルメディアの方が普及しました。これをもって「日本人のネットは匿名が好きで卑怯だ」とか言いたがる人もいますが、まったく的外れとしかいいようがありません」

 「日本人は実社会ではあまりにも強く実名に紐づけられ、息苦しいほどにアソシエーションに縛り付けられているがゆえに、ネットの中ではアソシエーションを忌避したということなのではないでしょうか」。(引用終わり)


 日本の「息苦しさ」は、どんな形で爆発するのだろう、と考えさせられた文章だった。
by polimediauk | 2011-08-20 22:20 | 英国事情
 6日頃から始まったロンドン各地の暴動について、一体、どんな人が「暴徒」になっているのかを考える前に、過去に起きたことを見てみようと思った。というのも、テレビに出てくるコメンテーターなどが「80年代の時と比較してー」とよく言っているのだ。

 「80年代の話とは全然関係ない」「今、暴徒になっている人はその後生まれた人たちだから、記憶にないんだよ」という人も多い。それでも、「何でないか」を知ることも必要と思う。

 以下、主にウィキペディアの英語版から情報を取った。(もっと知りたい方はBrixton riot, Broadware Farm riotなどのキーワード、そのリンク先などを探ってみてください。)

―有色人種の住民対警察

 その前に一般的な話だが、有色人種の英国国民の一部、具体的にはアフリカ系、カリブ系と識別される、肌の色が褐色・黒色の男性たちの一定年齢の人たち(10代から40-50代ぐらい)は、警察による路上質問に捕まることが多いといわれている。いくつか、統計の数字でもそれは確か明らかになっている。これは、1つには、犯罪者や刑務所に送られた人の中で、この範ちゅうに入る人が、ほかの人種グループと比較すると、非常に多いからだ、と聞いている(この点についても数字がいろいろなところで出ているのだが、今回はちょっと省略)。

 何故そうなるかというと、話が長くなり、統計・数字なしに語ると、「人種差別主義者」として批判されてしまうのだけれど、肌の色自体が一義的に問題なのではなく、例えば家庭環境(親に仕事があるかどうか、安心感を抱かせるような環境にあるかどうか、両親や家族が犯罪者であったかどうか、あるいは過度の飲酒あるいはドラッグ体験があるかどうか)や教育程度によって、その人の社会環境が変わってしまうからだといわれている。

 警察と有色人種の(若い)男性たちとの関係は、必ずしもハッピーなものではない。おそらく、「不当に疑惑の目を向けられている」と感じる有色人種の男性たちは少なくないはずだ。

 1993年に、黒人青年スティーブン・ローレンスが、バスを待っているときに数人に殴打され、殺害された事件があった。犯人グループとされる5人が逮捕されたのだが、有罪には至らず。人種差別主義者の男性たちがローレンスが黒人だから殺害したのではないか、とみんなが思っていたが、誰も有罪にならないという状態に。1999年、この事件を調査したマクファーソン報告書は、ロンドン警視庁が「組織として人種差別主義的だ」と弾劾した。

 -ブリクストン暴動(1981年)

 南ロンドンのランベス特別行政区の住民と警視庁が衝突したのが「1981年ブリクストン暴動」である(ブリクストンはランベス区の中にある)。

 1980年代初期、不景気の英国で、もっとも打撃を受けた地域の一つが南ロンドン・ブリクストン地区に住む、アフリカ・カリビアン系住民のコミュニティーだった。高い失業率、貧相な住宅、平均より高い犯罪率に苦しんでいた。

 警察と住民との衝突事件が何件か発生し、1981年4月上旬、警視庁は犯罪撲滅のため、「スワンプ81」作戦を開始した。ブリクストンに私服警官が派遣され、5日間に1000人が路上で職務質問を受け、100人が逮捕。4月10日、警官から逃げようとした黒人住民マイケル・ベイリーと警察官らとの間でもみ合いになった。ぐったりとなったベイリーを警官らがパトカーで運ぼうとしたことに、地域住民が反発。11日、多くの住民は警察がベイリーを見殺しにした、殺したのだと信じ、群衆となって集まりだした。

 その後、群衆の一部が店舗の襲撃、瓶やレンガなどを警察隊に投げつけるなどした。10日から12日まで続いた事件で、100台以上の車に火がつけられ、150の建物が損害を受けた。82人が逮捕された。警視庁からは約2500人、暴徒は5000人が参加したといわれている。

―ブリクストン暴動(1985年)

 南ロンドンで9月28日に発生した暴動である。警視庁の捜査員らが、拳銃所持違反などの疑いで、マイケル・グロース宅を捜査。このとき、グロースは自宅におらず、母親のドロシー(ジャマイカ出身)が在宅だった。しかし、警察は息子マイケルが在宅中と思い、手荒な捜査を実行。このとき、ドロシーは警察官による発砲で、下半身マヒ状態となってしまう。(後、警察はドロシーに賠償金を支払った。)

 ドロシーがジャマイカ出身だったため、地域の住民は警視庁による人種差別行為が起きた、と見た。また、母親は既に死んだと解釈して、怒りを感じた住民の一部が地元警察署の周りに集まりだした。集まった群衆のほとんどが黒人で、逆に警察側はほとんどが白人。こうして、地元住民と警察との対立が大きくなった。地元店舗への住民による襲撃、窃盗、放火が発生した。

 窃盗行為の写真をとろうとしていたジャーナリストが、暴徒たちから攻撃を受け、後命を落とした。

―トッテナム・ブロードウオーター・ファームでの暴動

 今回の暴動と直接比較されているのが、同じトッテナム地域(ハリンゲイ行政区内)で発生した、1985年10月の暴動である。このときは同地域のブロードウオーター・ファームが事件発生地となった。

 10月5日、黒人男性フロイド・ジャレットが、「路税支払証明書」(道路税を支払ったことを示す、自動車のフロントガラスに掲示する丸いラベル)にかかわる疑念で、逮捕された。4人の警官がジャレットの自宅を捜査。ここには母親シンシアも住んでいた。警察と家族との間のやり取りの中で、シンシアが転び、心臓発作で亡くなってしまう。(後、娘が警察官に押されて亡くなったと主張したが、自然死という判断が出た。)

 シンシアの死で、もともと警察が人種差別主義的だと考える地元の黒人コミュニティーの中に、大きな怒りが生まれた。その1年前には、黒人女性チェリー・グロースがブリクストンで警察官に射殺されていた。

 トッテナム警察署の前に抗議のために群集が集まりだした。警察と黒人青年たちの衝突が発生し、抗議側はレンガや火炎瓶などを警察官らに投げつけた。こうした中で、警察官2人と、3人のジャーナリストたちが流れ弾を受けた。店舗の窃盗行為や放火も発生した。

 火災を止めるために消防隊が派遣された。警察官キース・ブレイクロックは、消防隊の仕事がスムーズに進むよう、支援役として配置された人員の一人だった。消防隊は暴徒に追いかけられ、逃げたが、ブレークロックは転んでしまった。ブレークロックは、マッチ、ナイフなどを持った暴徒たちに囲まれた。ブレークロックを動けないようにするために、暴徒たちは警官を痛めつけ、とうとう死なせてしまった。

 ブレークロックの殺害では6人が逮捕された。3人は未成年であった。成人の3人が殺人罪で有罪、終身刑となった。しかし、十分な証拠がなく、1991年、控訴院は3人を無罪にした。警察側の尋問メモ(証拠として扱われた)に手が加えられていたことが判明したのだ。

**

―現在との関連は?

 BBCのクレア・スペンサーが各紙の見方を集めている。
http://www.bbc.co.uk/blogs/seealso/2011/08/daily_view_what_can_be_learned.html

 「トライデント作戦」(警視庁による、アフリカ系及びカリブ海系コミュニティーでの銃による犯罪を処理する作戦)を率いるクローディア・ウェッブは、1980年代の暴動の根っこにあった問題がまだ対処されていない、とガーディアン紙に語る。「トッテナム地域の多くの人がまだ貧困、失業、過度に混雑した住居の中にいる」「持てるものと持たざるものが隣同士に生きている。ハリンゲイには裕福な場所もあるが、破壊された場所は普通のコミュニティーの中心地だった」。

 テレグラフ紙のアンドリュー・ギリガンは、事情はすっかり変わったという。「1980年代は、ロンドン警視庁の人種差別主義はいつものことだった。いまや、人種差別主義的なことを一言言っただけで、キャリアが終わるになる。当時は有色人種の警官は180人だった。いまは3000人いる」。

 「ハフィングトン・ポスト」のコラムニスト、エリザベス・ピアーズは、変わっていない部分は怒りだという。「いまでも、警察のパトカーが来ると、ブロードウオーター・ファーム付近では不満や反対を示す声が出る。警察への嫌悪感はトッテナムのサブカルチャーの中に入り込んでいる」、「1985年、トッテナムの若者は怒りをもっていた。今でも怒りを感じている。これをどうかしないと」。

 地域に住むバンシ・カラは、昔の事件のことを抗議者たちは「覚えていない。黒人青年スティーブン・ローレンスのことも。『組織的人種差別主義』といえば、ぽかんとされる。でも、警察に対する不信感と疑念は特有のものだ」と語っている。
by polimediauk | 2011-08-09 22:03 | 英国事情
 ロンドンの暴動が英国の各地にも飛び火し、国内外からの関心が高まっている。

 状況は刻々と変わるが、9日午前11時頃(日本時間午後7時)の概況は以下(主として情報はBBCから)。

 ロンドン各地で店舗や住居への放火、窃盗行為を止めるため、ロンドン警視庁は1700人の警察官などを追加導入。放火・窃盗行為は英国中部バーミンガム、リバプール、ノッティンガム、南部ブリストルなどに広がっている。

 キャメロン英首相は休暇を早めに切り上げて帰国し、緊急会議で閣僚や諜報関係者などと今後の対策を協議。11日、議会を緊急招集すると発表。

 6日(土曜日)に発生した暴動から、8日までの3日間で、暴動がらみで逮捕された人は、約450人(ロンドン警視庁)。

 ロンドン北西部ウェンブリーで、窃盗行為を止めようとした警察官が車によって負傷し、殺人未遂容疑で3人が取調べを受けている。

 8日夜までは、ロンドンの副市長が「軍隊を使っての暴動制止は問題外」としていた(BBCテレビ)が、警視庁の副警視監スティーブン・カバナーは、9日朝のBBCの番組で、「すべての選択肢を考慮に入れている」と語っている。

 今日明日中に、ロンドン警視庁が市内に配置する警察官の数は1万3000人ほどになる模様。

 バーミンガムでは、暴動関連で100人が逮捕された。

 ロンドンのどの場所で反社会的行動が発生しているかの地図は以下(サイトの下方):

http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-14450248


 暴動の元々は、4日、ロンドン北部トッテナムで、29歳の男性(マーク・ダッガン)が警察に射殺され、6日、男性の死を追悼するために集まった群衆の一部が暴動化した。

 ダッガンが先に発砲したのかどうか、どのような状況で警察が発砲したのかは公表されていない。独立警察苦情委員会(IPCC)が調査中。ロンドン市警は、IPCCが調査中の案件について、詳細を語ることを許されていない。警察によると、ダッガンは「ギャングのリーダー」とされていたが、交際していたガールフレンドがテレビで語ったところによれば、「ダッガンは決して銃を撃ったりはしない。銃を持っていなかったと思うし、もし持っていたとすれば、使うどころか、その場から逃げ出していたと思う」。

 保守系新聞「デイリー・テレグラフ」は「暴徒の支配」とする見出しをつけた1面を作った。大きな写真が一枚つき、放火された建物から飛び降りる住民の姿を出した。

―太刀打ちできない警察隊

 昨晩、私は主にテレビでこのニュースを追っていたが、例えばロンドン南部クロイドンの大きな家具店が放火されたとき、ずいぶんと長い間燃えてい、なかなか消防隊がやって来なかった。南部クラッパムの様子もBBCなどの記者が状況を携帯電話で伝えていたが、眼前で店舗が放火されたり、店舗内の物品が盗まれているのを、「誰も止める人がいない」と生々しく伝えていた。

 一体警察はどこにいたのか?ロンドン警視庁関係者などによれば、とにかく人数が足りないようだ。

 ある警察官が、「冬の警官」という偽名を使って、状況をネット上で報告した話をテレグラフが伝えている。「これほど大規模の窃盗行為を見たことがない」と警官は書く。「何が起きたかこちらは分かっていても、どうすることもできない」、「数で圧倒的に負けている」、「疲れきっている」、「もし行動を起こしたら、さらに犠牲者が増えるだけだ」。

―ブラックベリーで情報伝える

 暴動参加者たちがひんぱんに使ったといわれるのが、携帯電話ブラックベリーのメッセージ・サービス。これはブラックベリー所有者が個別の番号(PIN,パーソナル・アイデンティフィケーション・ナンバー)を持ち、これを入力してメッセージの行き来を行う。ブラックベリーを持っていない人は読めない。

 オフコム(放送通信庁)の調べによれば、英国の10代の若者たちが最も好むスマートフォンは、アイフォーンでもアンドロイドでもなく、ブラックベリーだそうだ(全体の37%)。
http://paidcontent.co.uk/article/419-the-role-of-blackberry-in-londons-street-riots/

 アイフォーンやアンドロイドフォーンと比較して、特にプリペイド版の場合、安く買えるという。

 ブラックベリーのメッセージ・サービス(BBM)はどんなに送っても無料なのが10代に好まれているという。また、ツイッターやフェースブックでのメッセージと違い、当局が把握するのが難しいのだそうだ。

 テレグラフによれば、「トリプル・DES」というアルゴリズムを使って、メッセージは暗号化されているので、誰がメッセージを送っているのか(その個人情報を)を特定するのが難しい。送信者のPINから個人情報を特定するのは、非常に高度な諜報技術が必要とされるという。

 今回、ブラックベリーを開発したRIM(リサーチ・イン・モーション)社はできうる限り当局に協力すると述べているが、果たして、どれぐらいすぐ個人の特定化ができて、これを暴動鎮圧に役立てることができるかというと、かなり怪しい話になってくるようだ。

 
by polimediauk | 2011-08-09 19:20 | 英国事情
 ロンドン北部トッテナムで発生した暴動事件のこれまでをBBCが振り返る。

 現場の様子のビデオ:http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-14438109

 (状況は刻々と変わっているので、あくまでも概要を掴む意味で見てください。)

8月4日:午後6時15分。マーク・ダッガン(29歳)がトッテナムのフェリー・レーンで警察に射殺される。射殺は、警察の拳銃に関わる特別チームと「トライデント作戦」(アフリカ系及びカリブ海系コミュニティーでの銃による犯罪を処理することが目的)担当警官が、逮捕を実行しようとした中で、発生。

 ダッガンは、白タクの乗客で、弾に当たったものと見られている。警官が持っていた無線機が後で現場で見つかったが、これには銃弾がはまっていたという。

 警察苦情処理独立委員会(IPCC)が事件の捜査に乗り出すと発表。警察官が発射したのは2発であると述べる。

8月6日:日中、遺族がダッガンの遺体確認。

午後5時、トッテナム警察署の外に、抗議者約200-300人が集まる。「ダッガンと遺族のために『正義がなされるべき』」と要求する。警察は道路の一部を閉鎖。抗議デモは平和的に始まったという。

午後8時20分:警察署近くのパトカーなどに、デモ参加者が瓶などを投げつける。2台のパトカーのうちの1台が放火される。もう一台は道の中央に押し出され、これにも火がつけられた。デモ参加者と警察官らが衝突する。暴動を鎮圧するための機動隊や騎乗警官らが衝突を沈めようとするが、瓶、発火体、石などを投げつけられる。

 午後8時45分:ロンドン消防隊が連絡を受け、翌日(7日)午前4時半までにトッテナム地域の49の火災の処理に当たり、250の緊急コールを受ける。

 6日の午後10時45分:バスに火がつけられ、火炎瓶などが警察や関連の建物に投げつけられる。近辺の店舗も放火の被害を受ける。一部の店舗から窃盗行為も起きた模様。

 8月7日昼:消防隊がほとんどすべての火災を消す。警察に拠れば、暴動で傷を負った警官は26人。警官3人は病院で手当を受けている。これまで55人が逮捕された。

 BBCの取材に対し、下院議員のデービッド・ラミーは、トッテナムの外から「問題を起こすために」やってきた「心のない人々」が地域に損害を与えた、と述べている。

*** 読売記事

黒人射殺で暴徒化、警官26人負傷…ロンドン

【ロンドン=大内佐紀】英ロンドン北部の、低所得者層が多く住むトッテナム地区で、6日夜から7日未明にかけ、警官による黒人男性射殺に抗議していた群衆の一部が暴徒化し、商店や銀行を略奪したり、警察車両やバスに放火したりする騒ぎとなった。

 警官26人が負傷した。

 ロイター通信によると、群衆約200人が警察署前に集まり、4日に起きた射殺事件についての説明などを求めていたが、そのうち一部が火炎瓶を投げ始めて暴動になった。(2011年8月7日19時37分 読売新聞)
by polimediauk | 2011-08-08 06:15 | 英国事情
―アルジャジーラ英語経由で日本にも報道伝わる

 ムバラク大統領の辞任を求めるデモが最高潮を迎えていた頃、筆者は、英国でラジオやツイッターで情報収集をしながら、テレビの複数のニュース専門局の映像に釘付けとなる毎日を過ごした。

 あるニュースが発生し、現地にいる人が眼前の状況をツイッターやブログサイトなどで逐次報告していく手法(ブログに載せる場合は「ライブ・ブログ」と呼ばれる)は、今回の「アラブの春」でもまた、活躍した。

 日本で発生したある現象にも触れておきたい。私が日本語のツイッターを追っていると、特に民衆蜂起の初期の頃に、「日本でエジプトの十分なニュースが出てない」「テレビではくだらない芸能ニュースばかり伝えている」という声が多く出た。この時、筆者は改めて、日本にはCNNやBBCのような24時間のニュース専門のテレビ局がないことに気づいた。

 そんなとき、英語でニュースを追う何人かのツイッター利用者が翻訳リポートを始めたのである。英語圏のメディアに加えてアルジャジーラ英語で見た現地の様子やツイッターを適宜翻訳し、紹介していった。翻訳ツイッターはそれぞれのフォロワーの間でリツイート(再配信)され、情報を拡散させた。日本ですぐにエジプト情勢を知りたかったら、テレビではなくツイッターやアルジャジーラ英語のウェブサイトを見る─そんな選択をする人が出てきた。

 日本在住のラジオDJでジャーナリストでもあるモーリー・ロバートソン氏は、こうした翻訳ツイートを熱心に行った一人だ。ロバートソン氏は、自分のウェブサイトの中で、「ネットやツイッターを多少使いこなしている人」の場合、チュニジア・エジプト情勢を通じて「急速に国際リテラシーが上がり」、リツイートが「使われ方によって大きな威力を持つさまを目のあたりにし」たと書いた(2月14日付)。

―「本当のニュースがある」とクリントン米国務長官

 今年3月上旬、クリントン米国務長官がアルジャジーラ英語の報道媒体としての質について、驚くべき発言を行った。クリントン氏は米上院外交委員会に出席し、アルジャジーラは「本当のニュースを放送している」と述べたのである。ラムズフェルド元国防長官がアルジャジーラを「許しがたいほど偏向している」と批判したときとは180度の変化である。

 クリントン氏によれば、米国は世界で発生している「情報戦争」に負けているという。他国の国際ニュース報道機関は、中東などの世界各地に米国の報道機関よりもより効果的に入り込んでおり、具体例がアルジャジーラなどの質の高い国際報道機関である、と。アルジャジーラは「人々の心や考え方を変えるほどの影響力を持つ」。

 「アルジャジーラの視聴者が米国で増えているのは、アルジャジーラが本当のニュースを報道しているからだ」。

 アルジャジーラの主張に「同意しない人もいるだろうが」、アルジャジーラの放送を見れば、「24時間本当のニュースを受け取っていると感じると思う」。一方の米国のテレビは「無数のコマーシャル、評論家たちの議論で一杯」で、「米国民にとっても、さらには外国人にとっても、たいして参考にならない」代物だ、とクリントン氏は述べた。

 冷戦後、国際的情報網を解体したことで、米国は「大きな代価を払っている」、「民間の報道機関ではそのギャップを埋めることはできない」と続けたクリントン氏は、国際ニュースを報道するメディアを、世界の情報戦の最先端の道具としてみているようだ。米国からのメッセージを世界に広げるため、米国営放送「ボイス・オブ・アメリカ」を拡大させた新メディアを、公的資金を使って立ち上げる案を提唱したほどだった(ニュースサイト「ザ・ファースト・ポスト」3月3日付)。

―「アラブの春」の種子蒔いた、アルジャジーラの妹分的存在

 先の『アルジャジーラ 報道の戦争』を書いたヒュー・マイルズ氏は、国際政治を扱う「フォーリン・ポリシー」ウェブ版に出た「アルジャジーラ効果」(2月8日付)と題された記事の中で、「多くのアラブ人たちは、アルジャジーラが中東で国民による革命を引き起こすのではないか、といっていた。誕生から15年経って、この予言は的中した」、チュニジアで起きた「さざなみがエジプトの長期政権を押し流すほどの波を作り出した」と書く。

 例えばチュニジアである。この国の民衆蜂起は、「政府が繰り返してきた定説、つまりチュニジア政権は難攻不落で、治安体制は無敵だということが単なるプロパガンダで、チュニジア国民を従わせるためにそういっていたことをあらわにした」、アルジャジーラは「リアルタイムで、この定説を破り、何百万人もの普通の人々を立ち上がらせ、合法的な権利を主張させた。急に、中東全体で変化は可能として受け止められるようになった」。

 そして、この変革の波を世界中に─地理的に遠い日本にさえも─伝えたのが、妹分的存在の英語放送であった。

 しかし、一方では、こういう指摘もある。

 昨年12月8日、ガーディアン紙は、カタール政府によるアルジャジーラの政治利用を示唆する米国の外交公電を報道した。この公電は内部告発サイト「ウィキリークス」に漏洩された約25万点の外交公電文書の一部であった。

 09年、在カタールの米大使(当時)ジョゼフ・ルバロン氏は本国に送った公電の中で、アラブ圏の世論形成に大きな影響力を持つアルジャジーラは「カタールの最も価値ある政治上及び外交上の道具だ」と書いた。「外交関係の向上の道具」として使われた例として、「アルジャジーラがサウジアラビアの王家を好意的に報道したので、2国間に和解が成立した」と分析した。

 アルジャジーラのカンファール社長は、その2日後に掲載されたガーディアンの記事の中で、カタール政府の思惑でアルジャジーラの報道内容が変わっているという見方には「真実の一片もない」と斬っている。アルジャジーラは編集権の独立を保っており、カタール政府とアルジャジーラの関係は、英国でテレビ受信料を得て活動するBBCと英政府との関係と同じなのだ、と説明する。

 しかし、アルジャジーラの支援者とも言えるヒュー・マイルズ氏は、アラブ圏のメディアの大部分を「間接的及び直接的に支配」する大国サウジアラビアに関する報道について、エジプトやチュニジア報道と比べると、「やや大胆さに欠ける」と指摘する(先の「フォーリン・プレス」記事)。昨年2月、サウジアラビアの王子の一人がロンドンで召使を殺害し、後に殺人罪で終身刑となる事件があった。アルジャジーラはこの事件をほとんど報道しなかったという。アルジャジーラといえども、「自由な報道には限界がある」(マイルズ氏)。

 アルジャジーラは、現在、「アラブの春」での注目を機に、念願となっていた米テレビ界に参入することに躍起だ。ウェブサイト上で「アルジャジーラ(の視聴)を要求しよう」というロゴをつけたキャンペーンを展開し、年頭から4月までに、米国でのテレビ視聴を要求する約6万通の電子メールが集まったという。アルジャジーラの存在感が増すほどに、カタールの国としてのイメージも上昇する。両者は切っても切れない関係だ。

 世界でいま何が起きているのか、現地の本当の話を知るには、もはや米英のニュース専門局のみでは十分ではない─アルジャジーラは、これをしっかりとアラビア語圏の外に住む私たちの頭に叩き込んだ。(朝日「Journalism」2011年7月号掲載分より)

雑誌の購入には
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=12816

「富士山マガジンサービス」を利用したデジタル版の購入http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/subscribe.html
by polimediauk | 2011-08-07 07:32 | 政治とメディア
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 今年前半、「アラブの春」の到来に世界中がわいた。しかし、夏が来てみると、なかなか物事は思うようにすぐには進まないことが段々わかってきた。特にシリアで流血事件が続いているのが気になる。

 中東情勢に関して、少し基礎を含めて知りたい方に、「英国ニュースダイジェスト」のニュース解説面が役に立つーー中東情勢専門家、吉田さんの腕が光る。以下はそのいくつかである。

シリア革命の行方
http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/8202/265/
アラブの春とイエメン
http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/8103/265/


 アラブの春でまだ興奮が冷めやらぬ頃に、アルジャジーラ英語放送に関して、朝日の月刊誌「Journalism」7月号に原稿を書いた。「メディアが動かした中東革命」という特集の中の1つである。

 周囲の雰囲気が少し変わってきた感はあるものの、アルジャジーラ英語の株を上げた事件でもあった。自分のこれまでの知識を一旦まとめるつもりで書いたのが以下である。何かのご参考になればと思う。(長いので、2つに分ける。)

 「Journalism」のご購入(雑誌とデジタル版がある)の情報は以下。よかったら、 ほかの方がどんな記事を書かれているのか、ご参照願いたい。


雑誌の購入には
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「富士山マガジンサービス」を利用したデジタル版の購入http://www.asahi.com/shimbun/jschool/report/subscribe.html


もう一つのアルジャジーラ 
-英語放送の爆発的伝播力(上)(朝日「Journalism」7月号より)


 昨年末以来、中東・北アフリカ諸国で民衆蜂起が続いている。生活苦を理由としてチュニジアの若者が抗議の焼身自殺を図り、これをきっかけとして、国内各地で大規模なデモが起きた。その後はエジプト、アルジェリア、リビア、イエメン、シリアと民主化を求めるデモが広がった。チュニジアやエジプトでは長期政権の打倒につながり、この一連の民衆蜂起は「アラブの春」とも呼ばれるようになった。

 民衆蜂起の進展を世界中のメディアが報道したが、特に注目を集めたのが中東カタールに本拠地をおく衛星放送アルジャジーラ(アラビア語)及びその英語放送である。

 ニュース専門のテレビ局の先駆者米CNNが1980年代~90年代を通じて歴史に残る出来事の生中継を行い、その名を知られたことを「CNNの瞬間(モーメント)」と呼ぶ。また、生中継による速報性によって政治判断に影響を及ぼすことを「CNN効果」と呼ぶようにもなった。アラブの春は、アルジャジーラにとって、「アルジャジーラ・モーメント」あるいは「アルジャジーラ効果」の到来となったといわれている。

 本稿では「アルジャジーラ効果」に至るまでのアルジャジーラの軌跡と、アラブの春での活躍ぶりを紹介したい。

―アルジャジーラとは「半島」

 「アルジャジーラ」とはアラビア語で半島、あるいは島を指す。その設立のきっかけは1994年にさかのぼる。

 英公共放送最大手BBC(英国放送協会)は、この年、サウジアラビアの衛星テレビ会社オービット・コミュニケーションズ社と契約を交わし、アラビア語のニュース・チャンネルの放映が始まった。しかし、BBCとサウジ政府とは番組の編集権をめぐって、しばしば衝突するようになった。

 1996年4月、BBCは調査報道番組「パノラマ」の中で、サウジアラビアの人権状況を取り上げた。この中にはある犯罪人の首を切ろうと処刑人が剣を振りかざす様子が入っていた。サウジでは処刑の撮影は禁止されており、オービット社は放送契約を破棄した。番組制作に関与していた約250人のスタッフは宙ぶらりんの格好となった。
 
 この時、「アラブ世界に報道の自由がない」ことに失望していたカタール首長のハマドが、約5億カタール・リヤル(約110億円)の資金を投入して、「見たことをそのまま報道する」放送局アルジャジーラを設立させた。

 設立当初からアルジャジーラで働くアイマン・ジャバーラー氏(アルジャジーラ・ライブ・サービスの統括者)によれば、「編集権の独立権が保障されること」を条件に、BBCアラビア語放送にいた約120人がアルジャジーラに参加することになったという。
 
 アルジャジーラの放映開始は1996年11月であった。政府の見解をそのまま流すのが主流であったアラブ圏のメディアの中で、アルジャジーラは「思想の自由、独立、議論」を奨励する放送局として、中東諸国の国民から大きな支持を受けて成長していった。現在、アルジャジーラは世界の65カ所に支局を置き、約3000人が働く。約400人のジャーナリストの国籍は60カ国を超える。

 中東諸国の政府にとってみれば、アルジャジーラは大きな目障りであった。各国の国営放送のように政権のプロパガンダはせず、「意見ともう一つの意見」というモットーが示すように多様な意見を放送するアルジャジーラは、数々の中東諸国で、一時的にせよ支局の閉鎖、記者への嫌がらせや攻撃、放映認可の取り消し措置にあってきた。

 BBCのアラビア語放送は有料だったため、視聴者層が限られており、しかも放送時間が1日8時間であったので「たいした影響力もなかった」とロンドン支局のモステファ・ソワグ氏はいう(ヒュー・マイルズ著『アルジャジーラ報道の戦争』、光文社)。しかし、アルジャジーラは24時間放送で(注:24時間放送になったのは1999年から)、ほとんどのアラブの国では無料で見ることができた。BBCアラビア語放送との大きな違いはアルジャジーラが「アラブの国の、アラブの都市から、アラブ人の手によって放送されていること」、「アラブ人だって信頼できる立派なメディアをもてるという、最初の例」だった(同)。

 国際報道の面から見ると、アルジャジーラの強みは欧米のニュース機関がカバーしていない中東諸国に特派員を配置させた点がある。1998年の、米英によるイラクへの爆撃「砂漠の狐作戦」では、当時イラクに特派員をおいていた国際的報道機関はアルジャジーラだけで、その映像は西欧メディアがのどから手が出るほど欲しいものだった。

―ビンラディン独占会見で「テロリストの放送局」とも

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの発生後、アルジャジーラは国際テロネットワーク「アルカイダ」に近い存在とみなされるようになった。西欧メディアでは「テロリストの放送局」という悪名がついた。

 きっかけは、米政府が9・11テロを行ったという嫌疑をかけたアルカイダの首謀者オサマ・ビンラディンのインタビューを、たびたび放映したことだった。もともと、アルジャジーラは、1998年のタンザニアとケニア米大使館襲撃事件の直後にビンラディンの独占インタビューを収録していた。同時多発テロ発生から数日後の9月20日、その完全版を再放送した。この中で、ビンラディンは「アメリカとイスラエルと共犯者」に対する「ジハード(聖戦)を呼びかける」義務を主張していた(オルファ・ラムルム著『アルジャジーラとはどういうテレビ局か』、平凡社)。

 同年10月7日、テロ組織タリバンがビンラディンとアルカイダをかくまっているといわれたアフガニスタンに、米英が中心となったNATO国際治安支援部隊が攻撃を開始した。現在まで続く、アフガン戦争の始まりである。この時、アフガニスタンの首都カブールに特派員をおいていたアルジャジーラは、爆撃が始まって数時間後にビンラディンの録画テープを持っていると発表し、まもなくして、このテープを放映した。9・11同時多発テロの後のビンラディンの映像もそうだったが、今回も、絶妙なタイミングであった。

 この独占放送は世界の主要テレビ局で再放送され、アルジャジーラを国際的に認知させる最初の動きとなった。その後もテープが連続してカブール特派員に届き、アルジャジーラはアルカイダ首謀者のメッセージの代弁者と見なされるようになった。

 当時、ブッシュ米政権下のドナルド・ラムズフェルド国防長官は、アルジャジーラを「アルカイダの代弁人」「許しがたいほど偏向している」と非難した。

 大手ニュース専門局にとっては、貴重な動画を持つテレビ局であった。CNNは、ビンラディンのインタビュー・テープをほかのテレビ局より数時間前に入手するという条件で、アルジャジーラに巨額のテープ利用料を払ったという。

 2003年4月、米戦闘機が「誤って」アルジャジーラのバグダッド支局を爆撃し、特派員タレク・アイユーブが命を落とした。また、05年には英国の大衆紙「デイリー・メール」が、ブッシュ米大統領(当時)がブレア英首相(当時)に、アルジャジーラのドーハ本社を爆撃する意向をほのめかしたと報道した。

 この報道の真偽には諸説あるが、アルジャジーラ・ネットワークのワダー・カンファール社長は、「ある米高官から聞いた話」としてこれが本当だった、と後に述べている(「ガーディアン」2010年12月10日付)。

―英語放送は2006年から

 2006年11月、このアルジャジーラが、英語版として放送を開始したのが、
アルジャジーラ英語放送(以下、アルジャジーラ英語)である。中東に本拠地を置く英語のニュース専門局は、もちろん初めてである。

 アルジャジーラの広報によると、アラビア語放送は中東諸国のアラビア語圏を中心に世界で4千万戸が視聴可能だが、英語放送は、ケーブルや衛星放送を通じて、世界百カ国の約2億2千万戸の家庭で視聴することができるという。

 アルジャジーラは英語版のウェブサイトを03年から作っていたが、06年秋、英
語放送の開始とともに刷新した。「アラブの春」では、このサイトへのアクセス数が飛躍的に増加、エジプトのムバラク大統領が首相以下の内閣総辞職を発表した1月29日から翌日にかけて、一挙に2500%も増大したという。その60%が米国からのものだった(アルジャジーラ英語の北米戦略担当者トニー・バーマによる)。

 米国では、アルジャジーラ英語は大手ケーブル・テレビのチャンネルの中には入っておらず、テレビで視聴できるのはオハイオ州、バーモント州と首都ワシントンに住む人だけである。米国全体で視聴できるようになっていないのは、ブッシュ前大統領時代、反米の報道機関と見なされていたことに加え、既存ケーブル・テレビの視聴率が年々下落しており、新チャンネルの導入にテレビ局がちゅうちょしているためといわれている(「米ハリウッド・リポーター」誌のウェブサイト3月17日付)。

 米国の視聴者や他の国でアルジャジーラを見ることのできない人たちは、24時間無料ストリーム放送を行っているアルジャジーラ英語のウェブサイトかユーチューブに殺到した(ちなみに、アルジャジーラのユーチューブ・サイトは毎月250万ビューを誇る。ユーチューブ上のニュース・チャンネルの中では最多ビューである)。

 アルジャジーラが、今回、世界中の視聴者の間に大きな支持を広げることができたのは、ネットにつながっている人なら誰でも24時間、無料で視聴できることも大きな理由の一つであった。

―アラブ系記者が語る当事者感あふれる迫力

 英語放送は人材を米英のテレビ局から集めた。約千人のスタッフは50カ国を超える世界の国の出身だ。

 番組では、男性一人と女性一人のキャスターが画面に向かって立ち、流暢な英語でニュースを報じていく。その様子は、一見したところ、英国のテレビのニュース番組に酷似している。中東やアフリカ諸国のニュースを取り上げる割合が米英のニュース専門局よりも多いのが特徴の一つだったが、当初はすぐに熱狂的なファンを作るところまでは行かなかった。

 英語のニュース専門局の中で、例えば大手CNN、BBCとアルジャジーラ英語を比較すると、同じエジプトの民衆蜂起の中心地カイロ・タハリール広場の様子のリポートでも、中東に本拠地をおく放送局アルジャジーラ英語のリポートはアラブ系記者が手がけ、いかにも「現地から現地のことを熟知している記者がリポート」するという臨場感にあふれていた。米英の記者も中東の専門家ではあるのだが、アルジャジーラ英語のもつ当事者感による迫力には及ばない。

 また、広場に集まり、抗議デモに参加する熱い市民の様子や、食料やガソリンを求めて長い列を作る人々を映し出すアルジャジーラの映像は、エジプト国営テレビ放送による現体制維持を目的とした、支障なく進む交通状態やアーカイブ映像と思われる、楽しそうに買い物を楽しむ市民の様子とは大きな対比を見せた。

 蜂起の間中、エジプト国営メディアは、外国のジャーナリストには「隠された目的がある」、アルジャジーラは「人々を扇動している」と述べ、政府は記者の拘束や機材の没収、放送を停止させる措置、アルジャジーラのサイトへのサイバー攻撃などを行ったが、報道は続いた。

 アルジャジーラ英語の記者はそれぞれがツイッター・アカウントを持ち、速報をツイッターでリポートするほかに、アルジャジーラ以外のジャーナリストや市民のツイートを相次いで紹介した。ユーチューブにあげられた市民からの動画も、番組内で紹介した。タハリール広場に記者と撮影チームを常時置くことで、広場内で起きたデモ参加者とムバラク大統領側の勢力との衝突なども、その場で実況中継できた。2月6日、広場に集まったデモ参加者は「アルジャジーラ万歳!」と叫んでいた。エジプトのスレイマン副大統領がムバラク大統領の辞任を発表し、30年続いたムバラク政権が事実上崩壊したのはその数日後の2月11日であった。(つづく)
by polimediauk | 2011-08-06 05:42 | 政治とメディア
 アルメニア系トルコ人で、新聞の編集長だったフラント・ディンクは、2007年1月、イスタンブールの新聞社事務所の前で、何者かに殺害された。

 「私たちはアルメニア人だ」というプラカードを持って、10万人ほどの住民がイスタンブールでディンクの葬儀に参加した様子をネットで見たとき、非常に胸が打たれる思いがしたのを覚えている。

 殺害事件後、まもなくして逮捕されたのが、17歳(当時)の少年で超国家主義者のオギュン・サマストであった。当時の地元紙の報道によると、少年は知人の民族主義組織のトップ、ヤシン・ハヤルに殺害を依頼されたという。ヒュリエト紙によると、ハヤル氏はディンク氏を敵視しており、「政府が何もできないのなら、我々が手を下す」などと語っていたという。サマスト容疑者自身は、後の警察への供述の中で、ディンクは「トルコ人を侮辱したために殺害した」と述べていると報じられた。

 時は進んで、今年である。去る7月25日、トルコの裁判所は、ディンクを殺害した青年に、22年と半年の禁固刑を下した(ただし、一部報道では21年と半年とある)。裁判官は当初、サマスト被告に終身刑を考えたが、犯行実行当時未成年だったため、長期禁固刑となった。

 ディンクはトルコ語とアルメニア語とを使う2ヶ国語の新聞の編集長だったが、トルコが否定する、第1次世界大戦中のオスマン帝国の「アルメニア人虐殺」に関する記事や発言で、刑法国家侮辱罪301条で起訴され、2005年に執行猶予付きの有罪となるなど、数度の訴追を受けていた。

 ディンクの弁護士フェティエ・ケティンがBBCに語ったところによれば、刑の長さには大きな意味があるという。現在、ディンク殺害に関連して、他数人が関与していたといわれており、「サマストやほかの容疑者たちはこれほど長い禁固刑になるとは予想していなかったと思う」。そして、「今回の刑の重さが、同様の犯罪を防止する役割を果たすと思う」。

 BBCなどによると、昨年、欧州人権裁判所は、トルコ当局がディンクを保護することに失敗したと述べ、ディンクの家族に17万ドルの賠償費用を支払うよう命じた。生前、超国家主義者によるディンク殺害計画があったからだ。

 今年6月、裁判所は、軍人2人を含む数人の容疑者に対し、諜報情報を元に行動を起こすことに失敗した罪で禁固刑を下している。

―本当の犯人を何故捕まえないのか?

 トルコの新聞「ヒュリエト」英語版(7月26日付)では、ディンクの友人というユスフ・カンリが、「引き金を引いた人を捕まえるだけでは不十分」「引き金を引かせた人を裁くべきだ」と書いている。

 殺人行為を行ったとき、サマストは「未成年であった」ことから、刑を軽くしたなどというのは茶番劇だったとカンリはいう。

 ディンクの死からもう何年も経っているのに、「ディンクを殺すようサマストに依頼した人はつかまっていない」「銃と弾を提供した人、殺すことをサマストに教えた人は、鳥のように自由の身だ」。

 「サマストが故郷で捕まったとき、トルコの国旗を前に一緒にポーズをとった警察官」や、サマストをまるで有名人のように扱った人々は、トルコ社会の忘れっぽさから恩恵を受けているだけなのだ、と述べる。

 一方、27日付のザマン紙英語版によると、サマストの父アーメットは、報道陣に対し、息子は殺人計画に使われているだけで、本当の実行者はほかにいる、と述べた。

 「息子をだまして、使ったんだ。この殺人事件は十分に捜査されるべきだ。誰か他の人が背後にいるなら、その人が裁判にかけられて、懲罰を受けるべきだ」。

 父は、自分の家族は犯罪行為に一切手を染めたことはない、という。

 「息子のことを当局に通報したのは自分だ。罰を受けるべきだと思ったからだが、息子は銃を撃ったときはほんの17歳だったんだ。この禁固刑は重過ぎる」-。

 近代トルコの建国の父アタチュルクが主導した「政教分離」「世俗主義」はトルコの国是となっており、「トルコらしさ」から逸脱する人物には疑いの目が向けられる雰囲気がある。

 果たして、この殺人の「黒幕」は誰なのだろう?

(トルコとディンクの殺害前後の話にご関心がある方は、ニューズマグに、関連アーカイブ記事を出しています。アーカイブ: トルコ、表現の自由の行方 -ジャーナリスト殺害で民族主義者が台頭か http://www.newsmag-jp.com/archives/9376)
by polimediauk | 2011-08-02 06:48 | 欧州表現の自由