小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 今年も、あと数日で終わることになった。メディ界では今年を振り返り、来年を予測する企画が目白押しだ。「週刊東洋経済」(12月19日発売号)にウィキリークスについて書いたが、題名は「ウィキリークス『消滅』?」である。しかし、原稿を準備していたときはやや悲観ムードだったのだが、年末になってみると、「いやいや、まだまだ」という要素が見えてきた。

 これまでの経緯なども入れて、「2011年末時点で、ウィキリークスや創始者ジュリアン・アサンジをどう評価するか?」という観点から、まとめてみたのが以下である。

***

 ウィキリークス、いまだ死なず

 オーストラリア出身のジャーナリストでインターネット活動家ジュリアン・アサンジが立ち上げた内部告発用のウェブサイト「ウィキリークス」は、2006年、世界の権力者や大企業が隠したがる情報を公益のために外に出す仕組みとしてスタートを切った。

 ケニアの元大統領一家による汚職情報の暴露(07年)、高速増殖炉「もんじゅ」の火災事故に関わる非公開動画の公開(08年)、アイスランド・カウプシング銀行の内部資料公開(09年)などを通じて、着々とその認知度を広めてきたが、大きな注目を浴びるようになったのは、昨年夏から秋にかけて行った、米英独の大手報道機関との共同作業による、大量の米軍の機密情報(昨年7月、10月)や米外交公電(同年11月)の公開であった。

 政府や企業などの内部事情を知る人物が公益目的で行う内部告発には長い歴史があるが、その人物の素性が明るみに出た場合、雇用先からの解雇あるいは何らかの社会的制裁を受けがちだ。

 ウィキリークスではウェブサイトを通じて情報を受け取るが、暗号ソフトを通して情報が渡るため、ウィキリークス側にも告発者の素性が分からないようになっている。告発者を守りながら、外に出るべき情報を出せる。これこそネット時代の内部告発のあり方であると新鮮さを持って受け止められ、世界の最強国米国の機密情報を暴露して泡を吹かせたという意味からも、創設者アサンジは一躍時代の寵児としてもてはやされた。ウィキリークスの活動資金となる募金は世界中からやってきた。

 果たしてウィキリークスは新しい形のジャーナリズム媒体と言えるのか、また、「公益」のために国家機密を暴露することは正当化されるのかどうかなど、公益・国益に関する熱っぽい論争も発生した。

―「自滅」?

 しかし、カリスマ性を漂わせたアサンジ個人がウィキリークスの活動に影を落しだす。

 昨年8月、アサンジは滞在中の英国からスウェーデンに出張し、女性2人と性的関係を持った。アサンジが英国に戻った後に、女性たちはアサンジが性的暴行を働いたと主張し(アサンジ側は否定)、スウェーデン検察局は「欧州逮捕状」(施行03年から)を用いて、アサンジが同国に戻るよう要求した。

 4ヵ月後(2010年12月)、アサンジはロンドンの警察に出頭し、その場で逮捕され、数日間を刑務所で過ごした。著名人らが巨額保釈金を積み、刑務所から出たアサンジだが、足元には電子タッグをつけられ、毎日、地元の警察署に出頭する不自由な生活を送っている。

 アサンジはスウェーデンへの移送を拒んでいる。もし身柄がスウェーデンから米国に移送されれば、機密情報を暴露したサイトを運営する自分がスパイ罪(もし有罪となれば死刑もあり得る)に問われることを恐れる。

 移送問題は裁判にまで発展した。既に、英裁判所は第1審、2審でスウェーデンへの移送を支持する判決を出したが、今月5日、英高等法院がアサンジの最高裁への上訴を容認する判断を出した。そして、22日、最高裁が来年2月から審理を行うとする報道が出た。移送問題の解決は長丁場になりそうだ。

 話をウィキリークス自体に戻すと、今年9月上旬、ウィキリークスの信憑性に疑問符がつく事件が起きた。

 昨年11月末、ウィキリークスは米国の外交公電を複数の大手報道機関との共同作業を通じて編集し、公開した。公電内容を精査し、暴露しては人命に危険が生じるなどの箇所を出さないようにした後、一部を公開していたのである。

 ところが、無修正の公電情報がネット上に出回っていることが判明し、アサンジは自暴自棄ともいえそうな行動に出る。もう既に出てしまった情報だから隠してもしょうがないと思ったのか、ウィキリークスのサイト上に無修正の公電情報全てを掲載したのである。この無修正公開は、人権保護団体、大手メディ機関から「無責任だ」と大きな批判を浴びた。

 アサンジは協力した報道機関の1つ英ガーディアン紙の記者が書いたウィキリークスに関する書籍の中に、公電ファイルを読むための暗号が記載されていたから、ネット上に無修正のファイルが流れたのだと主張し、ガーディアン記者らに対し激怒したが、ウィキリークスの内部あるいは以前に内部にいた人物が外に出した、という説もある。

 同じく今年9月のこと。アサンジの個人的な事情がまたウィキリークスの足を引っ張る。

 スウェーデンへの移送に関わる裁判費用を工面しようと、アサンジは自伝の出版を準備してきた。ドラフト原稿が出きあがった後、これを著作権保持者である自分が最後の承認を与える前に、出版社が9月末、出版してしまったのである。出版社側は、既にアサンジに前金を支払っている、本人から連絡が来ないなどの理由から、しびれを切らした末に行動を起こしたという。出版社もアサンジもウェブ上でそれぞれの主張を公表した。どちらの主張が正しいのかは第3者には判別しがたいが、アサンジといえば「自己管理を上手にできない人物」というイメージが増幅されてしまった。

 10月末、資金難のためにウィキリークスは一時的に活動を停止せざるを得なくなった(11月末、復活)。ビザ、マスターカード、ペイパル、ウェスタン・ユニオンなど、送金に関わる米企業が、米政府の機密情報を暴露したウィキリークスへのサービスを停止してしまったからだ。資金難による活動停止というリスクを抱きながらの活動が続く。

 目が離せないのが、ウィキリークスに対し、機密扱いの米外交公電を漏えいし、機密情報不正入手などの罪などで訴追されているブラッドリー・マニング米陸軍上等兵の処遇だ。

 マニング兵は、昨年5月イラクで拘束された後、長い間、独房に監禁されてきた。複数の容疑をかけられているが、その1つが敵のほう助罪。これも有罪になれば、最悪で死刑もあり得るという。

 今年12月16日、軍法会議を開くかどうかの予備審問が米メリーランド州のフォートミード陸軍基地の法廷で始まり、22日には弁護側の最終弁論が終了した。軍法会議にかけるかどうかの決定は、来月以降になる予定だ。

 米外交公電の暴露からほぼ一年を経た現在、ウィキリークスについて、当時のようなばら色のイメージはない。一時は「消滅」の危機も噂されたが、もし「消滅」するとすれば、その原因には①アサンジの自己管理能力(自己の振る舞いについての配慮不足及び管理する組織内部の情報保持に落ち度)や②敵の巨大さ(米国)が挙げられるだろう。

―ジャーナリズムの賞を得る

 しかし、内部告発サイトのパイオニアとしてのウィキリークスの存在意義は今でも不変だ。個人や数人の仲間でも技術と覚悟さえあれば、世界に挑む戦いができることを証明した。世界各国の政府、特に米国を敵に回しての情報暴露は、並外れたずぶとさと覚悟、「事実を外に出す」という意味でのジャーナリズム精神がなければ、実現できなかった。ジュリアン・アサンジという人物がいなければ、ウィキリークスも存在しなかっただろう。

 2011年を通じてごたごたに見舞われたウィキリークスだが、12月2日には、私たちの日々の生活を監視する企業の情報を「スパイ・ファイルズ」と名付けて公開し、「いまだ死なず」というスピリットを見せた。

 ウィキリークスの存在理由の根幹が、不当な権力の行使に挑戦し、権力者側が隠そうとする情報や事実を広く市民に公開すること、つまりはジャーナリズムであったとすれば、ウィキリークス的なものはこれからも続く。ネットを使うか否かに関わらず、世界中のジャーナリストや世の中を良くしたい人、もっと情報が出るべきと思う人によってウィキリークスの次が続々と生まれている。

 11月27日、ウィキリークスは、オーストラリアのピューリッツアー賞と言われるウォークリー賞の「ジャーナリズムへの最優秀貢献賞」を受賞した。アサンジにとって、今年、最もうれしい出来事の1つだったかもしれない。(「週刊東洋経済」12月19日発売号の筆者記事に補足。)
by polimediauk | 2011-12-27 02:17 | ウィキリークス
c0016826_2132827.jpg 小説「クリスマス・キャロル」や「大いなる遺産」などで知られるのが、ビクトリア朝を代表する作家チャールズ・ディケンズ(1812-1870年)だ。来年2月には生誕200周年を向かえ、英国各地で様々なイベントが開催される。「英国ニュースダイジェスト」(12月22日号)にディケンズの生涯や作品群を振りかえるコラムを書いた。以下はそれに若干付け足したものである。なお、ニュースダイジェストのウェブサイトでは、きれいな表をつけたものが載っているので、PCで見ている方はそちらへどうぞ。

http://www.news-digest.co.uk/news/news/in-depth/8317-charles-dickens.html

 また、いま非常に評判が高いディケンズの伝記で、私も読んでいる最中なのが以下の本である(表紙の写真は上に)。

Charles Dickens: A Life  著者:Claire Tomalin

***

 いよいよ、今年もクリスマスの時期がやってきた。この時になると頁をめくりたくなる小説の1つが、けちで意地悪な商売人スクルージが心を入れ替えるまでを描いた作品「クリスマス・キャロル」だろう。「スクルージ」といえば「守銭奴」として英語の語彙にもなっている。「クリスマス・キャロル」や、「オリバー・ツイスト」、「大いなる遺産」など、いまや英国の社会や文化の一部となった作品をたくさん書いた小説家チャールズ・ディケンズの生誕から、来年2月で200年となる。 

 ディケンズが生まれたのは、イングランド地方南部ハンプシャー州ポーツマス郊外、ランドポートであった。

 父は海軍の会計士。中流階級の長男として生を受け、お金には不自由なく暮らせるはずであった。ところが、両親はそれほど金銭感覚に長けた人たちではなかったらしく、負債が急増。1820年代初期、一家は破産状態となり、ディケンズは12歳で靴墨工場で働くことになった。ディケンズの小説にはロンドンの債務者監獄マーシャルシーの様子が出てくるが、実際にこの頃、父親がこの監獄に収監されている。

 法律事務所で働き出したディケンズは、速記を学ぶようになり、ジャーナリストを目指した。日刊紙「モーニング・クロニクル」の記者となったのは1834年、22歳頃のこと。靴墨工場での勤務から、独立独歩でここまでやってきたディケンズは、意思が相当強い人間であったに違いない。

 記者の仕事の合間に「ボズ」という筆名でエッセイを書き始め、雑誌に掲載されるようになる。エッセイを集めた作品が1834年に出版され、ディケンズは夕刊紙「イブニング・クロニクル」紙編集長の娘キャサリン・ホガースと結婚した。公私ともに、また1つ階段を上がったわけだ。
 
―いよいよ、作家に

 ディケンズが長編小説「オリバー・ツイスト」を、自分が編集する雑誌「ベントリーズ・ミセラニー」に発表したのは1837年であった。その数年後には「クリスマス・キャロル」を出版。後者はその後も毎年刊行するようになる、クリスマスに関わる本=「クリスマス・ブックス」の最初であった。その後も次々と小説を発表し、国民的な人気を得る作家となってゆく。作家であると同時に複数の雑誌(「ハウスホールド・ワーズ」、「オール・ザ・イヤー・ラウンド」)編集長でもあった。また、自分の作品の公開朗読も英国内の各地や米国で積極的に行った。米国にも出かけ、朗読会を敢行している。

 ディケンズの作品はリアリズム、喜劇的表現、優れた散文表現、性格描写、社会評論では群を抜くといわれているが、過度に感傷的と批判する人もいる。

 小説では主人公が貧しい少年・少女で、幾多の事件を乗り越えて、最後は幸せを掴むというパターンがよく見受けられる。幼少時の貧困の体験、自力で成功していったことなど、ディケンズ自身の人生とダブるようにも見える。しかし、暗い話ではあっても楽天主義とユーモアが隅々に顔を出し、読者に充実した読後感を与えてくれる。

 ディケンズはビクトリア朝(1837-1901年)の時代を生きた。英国が最も繁栄した時代だったが、貧富の差が拡大した時でもあった。晩年のディケンズが目を向けたのは社会の底辺層を救うこと。小説やエッセイを通じて、貧困対策や債務者監獄の改善などを主張した。

 1865年、ディケンズは列車事故に遭遇し、九死に一生を得たものの、その5年後、1870年6月8日、ケント州の邸宅で脳卒中の発作に見舞われた。亡くなったのは翌日である。書きかけの「エドウィン・ドルードの謎」は未完成となった。享年58。各地を回った朗読会が死期を早めたという説がある。

 妻キャサリンとの間には10人の子供をもうけたが、本当に結婚したかったのはキャサリンの妹メアリ(後、病死)であったといわれている。夫人とは亡くなる12年ほど前から別居していた。ディケンズの遺体はウェストミンスター寺院の詩人の敷地に埋葬された。

 小説を書くばかりか、朗読会で読者と直接つながる場を持ち、社会問題の解決にも言論人として積極的に関わったディケンズ。いまもし生きていたら、ブログやSNSでたくさんのファンを作る人気者となっていたかもしれない。生誕200周年を記念するイベントや作品は、英社会の貧富の差について考えたり、ユーモア精神を楽しむ良い機会になりそうだ。

―関連キーワード
Christmas carol:クリスマス・キャロル(=クリスマス聖歌)。キャロルには元々、踊りのための歌という意味があるが、共同体の「祝歌」あるいは宗教儀式などにおいて歌われる賛美歌の一種とされるようにもなった。クリスマス・イブの夜に歌うのがクリスマス・キャロル。「清しこの夜」、「もりびとこぞりて」など複数の歌が日本でも著名だ。チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」で冒頭部分に使われているのが、1830年代に出版された「世の人忘るな」(God Rest Ye Merry,Gentlemen)というクリスマス・キャロルである。

***

「生誕200年」を記念するイベント、ウェブサイト

「ディケンズ2012」

http://www.dickens2012.org/
ディケンズの生誕200周年を記念する各種のイベント、テレビ番組の放映予定など、あらゆる情報を集約するウェブサイト

「ディケンズのロンドン」展(ミュージアム・オブ・ロンドン、2012年6月10日まで)
http://www.museumoflondon.org.uk/London-Wall/Whats-on/Exhibitions-Displays/Dickens-London/Default.htm

「チャールズ・ディケンズ生誕地での祝賀会」(ポーツマス、2012年2月5日―12日)
http://www.portsmouthmuseums.co.uk/events.htm

「チャール・ディケンズ・レクチャー・シリーズ」(大英博物館、2012年2月21日―24日)http://www.bl.uk/learning/tarea/secondaryfehe/dickenslectures/dickenslectureseries.html

サイモン・カウエル著「チャールズ・ディケンズと世界の大きな劇場」の紹介(ニューシアターロイヤル劇場、ポーツマス、2月7日)
http://www.newtheatreroyal.com/index.php/whats-on/simon-callow

ディケンズの映画回顧展(2012年1月ー3月、BFI Southbank、ロンドン http://www.dickens2012.org/event/dickens-screen)

BBCのディケンズ特集(現在―2012年2月)
http://www.bbc.co.uk/mediacentre/mediapacks/dickens/
by polimediauk | 2011-12-25 20:03 | 英国事情
 横手拓治・中公選書編集長に、前回は出版事情と選書シリーズ創刊の背景を聞いてみた。今回は、どういう企画を選書シリーズに入れようと思っているのかについてうかがった。

―今度は編集者に関する質問をします。横手さんは選書の編集者ですが、書き手が横手さんに出版を考えてアプローチした場合、どういった展開になりますか。気になる人は多いと思います。「こういう企画が欲しい」という方向性が先にあるのでしょうか? 刊行したいと思ってもらえる本は、どういう基準で選ばれるのですか?

 横手氏:正直にいいます。公的には「編集方針」みたいなことを言う場合はありますが、究極は主観というか、カンですね。答えになっていませんか?

―その「主観」っておっしゃったのは、いままでの経験則から判断する、という意味ですか?

 経験則は大きい。それがないと素人と同じになります。それから情報、そしてデータです。とりわけ数字のデータ。これは営業関係者など、会社の他の人間に説得するためです。ただ数字というのはあくまで近過去のもの。本は将来の読者に向かって出すのですから、数字は判断材料の、多くのもののうちの一つに過ぎません。

 その上で決定的に重要なものとして、「なにか惹かれる」というニュアンスがあります。これも「好きだ」といった、趣味的な、アマチュア的なレベルに過ぎないと、説得力、パワーを持ちません。やはり何らかの、プロフェッショナルな知見に基づき、その上で、動物的なカンを働かせるのです。「説明しろ」と言われれば、苦し紛れに理屈を出せるのですが、どうもウソっぽくなる。「何か」を感得した、それはカンであり、主観だ、と言いきるほうがむしろスッキリしています。

 カンというのは、答えになっていない答えのようですが、今回の小林さんの本『英国メディア史』の中で、「同じジャーナリストとして、すごくシンパシーを感じた人がいる」と書かれていましたね。あの感覚とよく似ています。人だったり、活字だったり、作品だったり。たくさんある中で、特定の一つに強いシンパシー感じる、というのは、私のいうカンとか、主観というのと、かなり似ていますよ。

―主観というと誤解があるかもしれませんね。

 主観という語は誤解がありますね。訂正します。感覚的なものも含めての、経験の総合力だといったほうが正確でしょう。そこには、ある種の客観性みたいなものが宿されます。そして「何か」を直感的に把握するきっかけが、そこからもたらされます。

―すると、つまるところ、このシリーズで出版される本というのは、個人的趣味嗜好ではなく、プロ編集者としての横手さんが選んだ本、ということですね?

 経験による総合力ですから、個人の好みだけではないのです。経験を積ませてくれたすべての人や会社に感謝しつつ、その総合力を、価値ある本の制作を行うことで、業界にフィードバックしたいわけです。

―話題を転じますが、日本の出版社との交渉で驚いたのは、編集者と遣り取りしているとき、お金の話が一切出てこないこと。お金を稼ぐ仕事とは思っていない、という印象でした。

 商業出版ですから、お金の話は欠かせないのですが、著者の方とは普通、その話はしません。海外ではビジネスとしてきちっとやるようですね。お金の話をツメてから、編集活動をはじめる、といったシステムだと聞いています。その点、日本はまだのんびりしていますね。

―コストがいくらかかるとか、そういうことは別に置いておいて、考えていないように見受けましたが。

 いつも考えていますよ。そればっかりです。ただ、著者の方との話では出てこないだけで。

―ビジネスの考えを持ち込むと、何かが失われてしまう、と日本の出版社人は考えているのかな、と思いました。

 そう思ってくれて、こそばゆいような、複雑な気持ちです。根本はビジネスなのですが、確かに、少なくとも私は、取引相手となる著者とはビジネス的な話はあまりしない。考えてみれば不思議ですね。信頼関係で成り立っている、といえばそうでしょうが。ただこれで、30年近く、無事にやってこられたわけです。

―中公選書は今後、どういったペースで出していかれるのでしょうか?

 最初からガツガツやらないようにしよう、とは思っています。現時点では、2か月に2冊程度のペースでやっていくつもりです。定期刊行物という位置付けはずっと変わりません。

―書き手は、ふだんどうやって探すのでしょうか?

 基本的にはものすごくアナログ的、かつ原始的です。論文をひたすら読み、人の評判を聞き、の繰り返しです。

―シリーズの狙いとして、やはり、質の良いものを出してゆきたい、というのがあるわけですよね? 「知は自在である」というキャッチコピーが、選書創刊時のシリーズ紹介文には入っていましたけれども。

 そうです。質というのは、これまた論議のあるテーマですが、端的にいえば、中公の教養書の基本路線でやります、ということです。新しい時代に、中公の教養書の基本を踏まえて本を出していく、ということになります。その意味では原点回帰、コンサバティブでしょう。ただし、守旧ではない。「知は自在である」としたのは、「知」とか「教養」を、なにか固定的な、堅いものと考えないようにしよう、という意味です。柔軟にみていこうという、こちらの心構えでもあるのです。

 著者も、大家・中堅の方々とお付き合いするのは当然ながら、一方で新人発掘を必ずやります。小林さんもその一人で、今回ご一緒に仕事ができて、ほんとうに光栄でした。それから旧人の新才能発掘。これもやります。編集者をやっていて最も面白いのは、わくわくするのは、やはり新人発掘と旧人の新才能発掘、この2つですから。

 中公新書ラクレのとき、まだ京都大学の院生だった中島岳志さんを著者に迎え、『ヒンドゥー・ナショナリズム』を作りました。その後、中島さんは、大佛賞をとり、研究者のみならず、論壇人として大きな存在になったのですが、いまだに最初、電話を掛けて、「書きませんか」と話したときのことを覚えていますよ。やはり、デビューを手伝った新人著者がのちのち偉くなるのは、嬉しいのです。子育てと同じ。またやりたいですね。いや、きっとやります。中公選書でデビューした新人はみんなすごい存在になる、という、「伝説」を作りたいですね。もちろん、旧人に新しい方向性でものを書いてもらう、というのも、必ず、そして頻度多くやりますよ。
by polimediauk | 2011-12-24 06:43 | 日本関連
 c0016826_18382947.jpg先日、『英国メディア史』という本を、中央公論新社が創刊した「中公選書」シリーズから出させていただく機会を得た。このとき、担当者として面倒を見てくれたのが、前中公新書ラクレ編集部長であった、横手拓治・現中公選書編集長である。

 横手氏は約30年の編集者経験があり、850冊余の雑誌や本を出してきた、プロ中のプロ。手がけてきた分野は漫画以外のすべてという。

 仕事をともにした書き手も多数だが、中公新書ラクレの時代では、『リクルート事件・江副浩正の真実』(「当事者がすべてを語った、現代史の証言にしてすぐれたノンフィクション」と言われている)や、渡邉恒雄氏の『わが人生記―青春・政治・野球・大病』などが記憶に新しい。一方で、『世界の日本人ジョーク集』(77万部)『となりのクレーマー』(26万部)ほかベストセラーも生みだしている。また、ご自身も書き手で、筆名にて近代文学の評論を2冊刊行しており(河出書房新社『宮澤賢治と幻の恋人』ほか)、2012年2月には理論社より子供向けの本を出版する予定だ。

 編集者のプロとして、現在の出版業界をどう見ているのだろう? そして、なぜ「選書」をやろうと思ったのだろうか? 都内で横手氏にじっくりと話を聞いてみた。

***

―中公では選書がいままでなかったのですか?

横手氏:中公選書というのはありませんでしたが、中公叢書と自然選書があり、前者は現在でも続いています。なお、類似のシリーズとしては、他社で双書、選書、ライブラリーの名称が付くものがあり、人文系の版元を中心に、教養書シリーズとしていくつか刊行されています。

 いま日本の書籍出版の中心ともいえる「新書」は、縦長の小さな、いわゆる新書サイズ。定価も3桁で廉価版です。これに対して、選書、双書(叢書)、ライブラリーと言っているシリーズは、基本的に四六(しろく)判です。昔からある、単行本の標準形です。

―中公選書もこの四六判なのですね?

 多少変形して、手に持ちやすく小さくしていますが、四六判です。本の判型は、書籍の場合、シリーズ分けのポイントの一つですが、文庫は小さい「文庫」サイズ、新書は縦長のサイズ。ともに軽装廉価本となります。これに対して、四六判とは、「普通の単行本の大きさ・体裁の本」と思ってくれればいいでしょう。

―読むほうは、サイズに一定のカラーが付いているとして解釈しがちです。たとえば、大きいサイズの本は、「じっくり読む本だろう」とか。

 中公選書に関していえば、その通りです。私は文庫編集を6年、新書編集を10年やり、そのうえで選書の刊行を行うわけですが、文庫・新書といった廉価軽装本とは違う方向性で、「じっくり読む本を作ろう」というのが選書編集の前提です。世界中どこでもそうですが、価格を安くしてたくさんの人に売るというのはペーパーバック。日本では、あるいは新書がこれに当たるのでしょう。これに対して、「じっくり読ませる」ものとして四六判の選書があるわけです。

 そして、中公選書はすべて一次コンテンツで、書き下ろしが中心。一次コンテンツとは、最初の本、という意味です。文庫やアンソロジー系の書籍は、一度刊行されたものを、形態を変えて再刊するわけで、これらを二次生産物といいますが、その点で違います。中公選書は「じっくり読ませる」ことと、「最初の本」にこだわります。

―今回の創刊にはどのような意図があったのでしょうか?

 90年代から00年代にかけて、ネット社会が急速に進展しました。印刷物の制作がメインだった旧来の出版社の人間は、みな脅威を感じています。ネットでは情報の伝わりが早く、しかもコストが低い。また、フェイスブックなどでもわかるように、コンテンツが短く、細切れです。ワンイメージで「伝えること」が成立してしまう。

 こうした潮流に対して、選書を創刊することを通じて、長いものの制作活動に、却ってこだわりたいと思っているのです。長いというのは、400字×300枚とか500枚といった分量のコンテンツです。全体の構成力がないと書き上げられません。ネット的なワンショットの文章をいくら積み重ねても、構築できないのです。そうした構成力のあるコンテンツが制作できるのは、紙の時代にコンテンツを作ってきた人間の強みです。短い、早い、ワンイメージ、といったものへのアンチテーゼは、選書だというわけです。

 選書を出すのは、電子出版の時代だから「ゆえ」という受け身のものではありません。電子出版の時代だから「こそ」なのです。長くて構成力のあるもの、時代が変わっても古びない普遍的なものを作る。制作過程でも、一人の著者とじっくり付き合いながら、本へと仕上げていく。小林さんの『英国メディア史』もそうでした。短く、早く、イメージ重視のメディアが広がっているから「こそ」、本づくりの原点に立ち返ることが必要だ、と考えたわけです。

―出版業界のいわばコンサバティブな動きとして、原点回帰しようという流れがあって、その答えの一つが、選書というわけですか。

 実は選書、双書という形は、いま静かに業界で立ち上がっています。筑摩書房や河出書房新社にて、近年、創刊が相次いでいますし、ほかにも創刊予定をいくつか聞いています。みんな人文系の中堅版元ですが、その位置にある他社で、似たような発想をする人がいるのでしょう。そうした発想が出てくる時期となっているのかもしれません。

―アマゾンが黒船としてやってきて、日本語の電子書籍地図が激変するといわれています。旧来の出版社は変化を強いられるでしょう。選書創刊が原点回帰的な流れとしてあるのなら、ほかにもいろいろな動きがありそうですね。

 電子の世界を通じて、桁違いの、たくさんの出版コンテンツが入ってくるでしょう。しかし、いまのところ、そこで登場するコンテンツのほとんどは、旧来の出版社によって最初に送り出されたもの、つまり紙の時代の制作物です。それがデータを電子化されて二次生産しているだけなのです。電子出版は、現時点では、何も創造してはいない。ただ流通させているだけです。

 電子の世界のコンテンツクリエーターが、最初から、本当に良質な作品――文学としても、教養としても――を作ったというのはまだ見いだせない。グーグルでもアマゾンでも、紙の時代にわれわれが作った本を、廉価で出しているだけです。

―コンテンツを作るのは、(コストや時間が)かかりますものね。

 「最初の本」である一次コンテンツというのは、結局、細かな人間どうしの遣り取りを経ないと、成せないものだと思います。永遠に終わらないかと思えるほどの、実務の繰り返しです。クリエーター+編集者というのは、どうあってもアナログな関係、リアルで具体的な人間関係です。そこでの細かな協同作業を経ることでしか、一次コンテンツが出来ないとしたら、紙の世界で、日々対人交渉で修業してきた編集者は、業態としては生き残るはずです。ただし、個人は選別されるのでしょうが。

―紙のコンテンツを作ってきた人が、デジタルのコンテンツを作り出す、ということはあり得るのですか?

 もちろんあり得ます。紙はなくなるとは思いませんが、たとえ紙がなくなっても、電子の世界で一次コンテンツを発表すればいいのですから。出口が紙か電子かというのは、本質的な問題ではありません。一次コンテンツの創生、クオリティーの追求、そのこと自体が問題です。これを本質的に担っている編集者は、デジタル時代でも必要とされると思います。

 これに対して、出版社という存在はどうでしょうか。中長期的には合従連衡で整理されるか、性格が激変すると思っています。

―いまや、伝統的な存在だった出版社も、生き残りがテーマのようですね。

 いま、会社をあげて電子出版、電子出版とやっているところがあります。それより、いまこそ、一次コンテンツ・メークにマンパワーとカネ、社員の時間を投下したほうがいい、と私は思っています。あと、一次コンテンツのキープにもね。

 それから、文庫やアンソロジーに力を入れるのも首をかしげます。遠からず電子出版に移行する時代に、再刊にすぎない二次生産本にこだわるより、旧来の出版社のほうにいまなお一日の長がある、一次生産本にこだわるべきです。出版社が力を入れるのは、やはり「最初の本」ですよ。

―さきほどの「一次コンテンツの創生」ですが、そのときに編集が重要になるという点について、くわしくお願いします。

 現実に、いまネット上では、小説や詩、エッセイや論評のたぐい、そして写真、コミックなどヴジュアル作品の一次コンテンツが溢れています。素人が自分の書いた作品、作った作品を、そのままネットで公開している。ただ、それが大きなベストセラーになった例ってありますか? ないと思います。ネットで発表しても、自分自身と、近い人たち、たとえば自分の友人しか見ないわけですよ。もちろん例外はあるでしょうし、例外的事態が今後、起こる可能性は否定しません。でもそれは例外が起きた、というに過ぎない。例外はどこまでも例外です。

 小説でもノンフィクションでもコミックでも、広く読者に開かれていくためには、制作過程に、作者以内の他人が介在しなければならないと思います。それは力のある作品を生み出すさいの、本質的なことがらだと思っています。

 いまネット社会が広がり、個人が公に何かを発表しようとすると、すぐできますね。誰かを介さなくてもできる。すごく簡単です。ただ、そうしたコンテンツには、必ず何かが足らなくなります。読者という他者へ通じるものを作りだすためには、制作過程で他者感覚を入れて作っていくプロセスが必要なのです。他者と出会って、自分のなかのクリエイティブなものが客観的になっていく作業が、です。私たち編集者は、そのあたりに関わるわけです。

―編集を入れるとなると、コスト問題もありますね。

 そうです。ネット時代を迎え、コスティングの問題は重要です。たとえば、今回、小林さんを著者に迎え『英国メディア史』を作りました。ネットで見解をざっくり述べるのと違い、相当な作業をして頂いた。編集した私も、なかりの読み込み作業をしたし、校閲関係者など、たくさんの人の手を経ています。これはすべてコストに跳ね返る。ネットで自分の見解を述べるだけならタダですが、本にする一次コンテンツを作るとなると、生半可なことではない。労力とコスト。それをどうするかです。クオリティーを犠牲にすれば、いくらかは安くやれます。でも、そのぶん、出来上がったものの価値は確実に落ちるのです。

 とはいえ、タダメディアのネットが広がるなか、紙の時代と同じコストを掛けているのは……。

―ビジネスとして成り立ちませんよね。

 そうだと思います。コストを掛けるところは掛けても、知識、経験、人脈などを広げ、総合的なスキルアップによって個人の能力を高くし、なるべくコストに反映させないようにする努力は、不断にしていかないと、わたしたち編集者も生き残れません。

 ブランドにしがみついていると大変な目に遭います。読者や著者が必要なのは、ブランド自体であり、そこにたまたま所属する編集者ではないからです。

―再販制はどうですか。

 日本の出版社は再販制度に守られてきたといわれます。ただ、再販制度よりも私が本質的だと思うのは、東販・日販といった大手取次に口座を開ける特権です。それに出版社が守られてきた、というほうが重要だと思っています。

 かつて、たとえば小林さんがイラスト集を出版したいと思ったら、イラスト作品を持って出版社に日参したはずです。編集者に会って、何度もダメ出しをされたでしょう。そして狭い門をくぐってゴーサインを得ると、やっと本の形に制作されます。それが大手取次を介して全国の書店に届けられ、読者が見て、いいなと思って買ってくれる。この流れでした。大手取次は、口座を開いている出版社としか取引をしません。これが一種の壁となって、そのなかで出版社が守られてきた。

―出版社が、ですか?

 そうです。いきなり「ビジネスしたい」と大手取次に行っても、口座を開くには、条件面ですごく高い壁があります。これに対して、中央公論新社とか文芸春秋といった出版社はすでに口座を持っている。明日にでも、小林さんが作ったイラスト集を納品できます。その違いというのは、すごく大きかった。

 アマゾンがこれを崩しつつある、といっていい。大手取次を通さなくても、いまでは、アマゾンなどヴァーチャル書店を通じて、本は自在に販売できる。離島でも海外でも、宅配で届けることができます。(②-2に続く)
by polimediauk | 2011-12-23 18:35 | 日本関連
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 日本に一時帰国している間に、メディア、出版関係の人にいろいろな話を聞いた。

 「オフレコにして欲しい」という方も結構いらして、全部は紹介できないが、この業界の将来に至極当然だが不安を持っている人、規模が縮小しているのに「親方、日の丸」的考え方でまったく心配していない人、メディアにいてもジャーナリズムに全然興味がない人、スマートフォンで自在に情報を収集し、世界中の動きを自分なりにそしゃくしている経営幹部、休職してしっかり勉強していた人、メディアに見切りをつけて、着々と次を考えている人、ドンドン面白い企画を立案して、周囲を巻き込みながら熱い連載を続けている人、東日本大震災の取材で「人生が変わった」と思わず目に涙をためた人など、本当に人それぞれであった。やはり最後には、その人の感性や立ち居地が問われるのだろう。

 オンレコで話してくれて、インタビューを記事化してもよいと言ってくれた3人の方の声を順に紹介したい。

 まずは、2009年からサービスを開始した、ネットのニュースサイトで、既に確固としたネット論壇を作り上げた感のあるBLOGOS(ブロゴス)である。私自身も参加しているものの、このサイトは、平たく言えば、あまたあるブログの中から、編集部がこれは面白いかもというものを中心に(しかし自薦もありとして)一つの論壇を作っている。「ブログを集めたもの」というと、米国のハフィントン・ポストを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれない。

 ブログは様々な人が思い思いのことを書いたものだから、そんなものを集めて、果たして、1つのまとまり=知的論壇ができてゆくのだろうか?その答えの1つがブロゴスである。

 ブロゴスは09年10月にスタート時、閲覧数(ページビュー)が300万。それが、国内外の政治・経済問題がクローズアップされる度に規模が拡大。東日本大震災や原発事故が発生すると、専門家の意見が続々と載って、話題になり、口コミで読者がドンドン増えた。今年秋には、閲読数は約4000万に成長。読者数で行くと、月間で300万人。週刊文春やAERAなどと並ぶ。

 少しブロゴスのサイトを見るとすぐに分かるが、トップ面に、これ!という記事を大きな写真付きでどーんとやっている。http://blogos.com/ これが、私からすれば英BBCのニュースサイトを思わせる。その他、海外のネタも早く拾っており、結構目利きが多い感じがする。そして、これが一番、「違う」と感じるところなのだが、紙の新聞やテレビ局とはニュースの順列付けが異なり、独自の視点がある。

 この「独自の視点」というのは、後で聞いて分かるのだけれども、「若い人が作っている」ことから来るようなのだ。例えば全国紙でも、記者は若くても決定権を持っているデスクや編集幹部は結構年齢が上になる。それはそれなのだけれど、例えば30代より若い読者になると、「自分とは関係ないトピックばかりが載っている」と感じることにもつながるのではなかろうか?

 ブロゴスはまた、動画(生放送)もやっている。これがまた面白いのである。

 いずれにしろ、どこか新鮮な感じがするニュースサイト、ブロゴスの感触は自分でいろいろサイト上で遊んでみると一番良く分かる(ついつい、コメントしたくなるようなブログが見つかるはずである)。

 ブロゴスの編集長大谷広太さん(写真上)に、オフィスがある新宿の高層ビルの一室でお話をうかがった。大谷さんは2005年12月、ブロゴスを運営するライブドアに入社している。

***

―どのような経緯でブロゴスの編集長に?

大谷さん:入社後、livedoor ニュースに携わってきたのですが、当時からポータルサイト間の競争では、Yahoo! Japanが最大で、それに追随する形でlivedoor、Infoseekなどがしのぎを削ってました。その中でどうするか、と。と言っても、ヤフーさんとわれわれ第2集団はものすごくトラフィックに差があります。すぐに追いつくのは難しいという認識があって、じゃあ、たとえばYahoo!JapanさんがNHKだとしたら、僕らは民放としてどんな番組を作るか、というような課題をずっと考え続けてきたんです。

 もう1つ、(日本で)ブログと言うと、どうしてもそこで書くものが欧米での認識と違う。タレントさんがPRするために書くという感があるのかなと思います。livedoor blogはそうではなくて、奨学金制度やブログメディア新人賞といった施策により、書き手が一般人であっても、価値のある内容であればそこから有名になるとか、生計が立てられるようなモデルができたらな、と。加えて、弊社の堀江(貴文)が若々しいイメージで登場して、既得権に対して立ち向かおうという姿勢があった。

 そういった問題意識を総合していったときに、どういうことができるかと思ったら、やっぱり、ブロゴスみたいな、ウェブ上にあるいろいろなオピニオンを編集して、ニュースサイト風に見せてあげたらなあ、と。当時から既にハフィントンはありましたけど、我々はそんなに海外のことを研究して作ったわけではないのですが、わりと国内を見まして、「ああ、こんなのってないなー」とか、「こういうのをやると価値があるんじゃないか」とというところで出発したんです。

―しかし、ブログを集めるだけでニュースサイトになるかどうかの心配は?ちゃんとしたコンテンツになるかどうかについてはどんな対処を?

 (集めるだけでコンテンツになるかどうかの懸念は)は今でもあります。ブログを書かれる方は、ネットリテラシーもそれなりにあるのでしょうし、それだけでTPPにしろ何にしろ、一定のバイアスがかかっていると見ます。そこで例えばTPPでも、賛成、反対の意見を出してから、ブロゴス上ではどうきちっとフラット(な論壇)にしていくかー。両方、賛否両論あるんだよ、というところをどう見せていくか。ここがこれからの課題です。

―でも、規制権力と闘う姿勢が常にありますね。

 それは、ありますね。軸としています。

 インターネットの会社なので、若いスタッフが多いですので、そういう意味では、何の問題にしても、われわれの身近なものとして考えられるような、そういうサイトにしていきたいなと思っています。少子化の問題にしても、われわれの親の世代とは違った考え方をしていると思います。そこでアジェンダ設定みたいなことをしよう、と。まあ、これもバイアスといえばバイアスなんだけども。若い世代の疑問に答える、なんとなくもやもやしているものを解き明かしたい、というのがあります。

―ここに入られた同じ年代の方には、既存メディアに対する不満みたいなものはあったのですか?

 いや、それはないですね。みんな、紙媒体でやっていたり、ラジオ局出身者もいますし。既存メディアに対する恨みがあるとか、そういうのはあまりなくて。それぞれ強みと弱みがありますし。我々には全国津々浦々まで取材することはできない。だからネットとそれ以外のメディアが、特徴を活かして相互補完できればいいのではないかと思います。ただ、都市部で働く世代としては、問題意識が違うのです。なんとなくみんな将来に対する不安がある。消費税の増税もそうですし、どうなんだ、と。

―そこが違いますね。新聞だと意思決定は40-50代。ポイントがずれている場合もあるかもしれません。

 テレビのワイドショーは家で見ている主婦に向けていますよね。我々はいま、40―50代のユーザーが実は多い。本当は、若いユーザー(20-30代)を増やしたいと思っています。学生は就活として社会に関わっているわけですし、日本を担っていかなければならない人たちですし。

 いまの学生さんですと、就活をはじめたら、日経新聞をとらなきゃ、と考えるわけです。そういうときの選択肢の1つとして、ブロゴスを選んでいただいて、知識の取得とか問題意識を共有していただいて、投票に行く前に見ていただいたりとか。若者の投票率があがるといいなあ、と思っています。

―参考にしているサイトはありますか?ずいぶんといろいろなことに目が行き届いているし、ニュースセンスが良い感じがしますが。

 一般的に、新聞・テレビ対ネットという考え方がありますが、われわれは新聞もかなり眼を通していますし、テレビも見ています。常に。その上で、テレビや新聞はこういう風に取り上げていた、じゃあ、僕らは何ができるだろうか?という発想なんですね。

―1面に、トップ記事をどーんと出しますよね。

 あれは海外のニュースサイトを参考にしています。そこは意図的にビジュアルで一押しで出すので。僕らは、新聞、テレビに対抗しようと思っているわけではない。新聞やテレビには、われわれはやっぱり適わない。全国通津うらうらに記者がいるわけではない。野田首相にはりつきでやっているわけでもない。そういう情報は皆さんもう新聞なりテレビなりで掴んでいる。それに対して、どうやっていくのか、ブロゴスはそこで、1面にキービジュアルでバーンと出すわけです。

―ニュースの情報はどこから取っていますか?

 livedoorニュースから入ってきますし、Twitterにも目を光らせています。海外のニュースもフィードをとっています。写真に関してはAP通信さんと契約しています。海外はすべてをとりあげず、意図的に、「これは取り上げたい」というものを選択しています。中東でデモが起きて政権が崩壊している、一方で日本はどうか?ということで関心をもちました。

 バランスを取ることが大切ですね。みんな興味ないけど、これだ!というものをだしゆく。トラフィックがあまり伸びなかったするので、どれを出すかはせめぎあいです。宿命ですね。

―オリジナル記事もありますね。

 これは「ブロゴス編集部」というベンダー名でやっているんです。いろいろな方にインタビューさせていただいたり、シンポジウムの取材とか。結構、若者向けのシンポがあるんですよね。学生さんが主催されていて、結構いろいろやっているんですけれども、普通は取り上げられない。でも、そういうのをこそ取り上げたい。「こういう問題が、いま、あるんだよ」というのを掘り起こしてゆく。そこの観点は、編集部のセンスや問題意識によります。

―いま、何人ぐらいで働いていますか?

 アルバイトもいれて、10人いないぐらい。

―この2年で、どれぐらい伸びたのでしょう?

 一番大きく伸びたのは今年の大震災のときです。海外だと「政権を倒すぞ」みたいな議論になるんでしょうけど、今回の震災とか原発事故に関して言うと、もっと情報が知りたい、という人が多い。政府も出すし、テレビや新聞も情報を出しているんですけれども、結構、みんなもっと知りたい、と。

 やってて思うのは、みなさん、やっぱり、海外のことは物理的に距離があるせいか、あまり関心を持たない。日本のことで、なおかつ自分の身に直接、密接することに関心があるんですね。いままであまり関心を持ってくれなかった人もかなり見にきてくれました。特に原発の件。専門家の方もいらっしゃいますし、政治家の先生も。みなさん、それぞれの立場で結構、特に主婦の方とか、小さなお子さんをお持ちの方とか。

―そこで広がりましたね。

 広がったと思いますね。特に、TwitterやFacebook経由で見に来てくださる方が、がーっと増えました。

―日本で有名になりましたか?

 どうですかね。数は大きいですけど、ビジネス的には「億」いかないと。いまは4000万いくかいかないか。Yahoo! ニュースは月間数十億と言われていますから。ハフィントンも最新のデータだと月間10億だそうです。広告は、規模が大きくないと入ってこないので、今は規模を大きくすることに力を入れている。投資の段階です。

―これほど大きくなると、やりがいもあるのでは?

 ありますね。今、TwitterやFacebookも増えているので、それにうまくのっていきたいなと思っています。

―著名人へのアポがとりやすくなっている?

 それはとてもあります。サービスを始めた時、ブロガーさんに転載させてくださいとお願いする場合、一から説明しました。ここ一年ぐらいは、「ああ、見てます」とか「是非」という方が多い。政治家の先生や政党とお話する機会がありますが、「いいよね」と言ってくださることが増えています。実際に書いている方とか、意識の高い方の間で認知度は広がっている。

―ブロゴスは日本のハフィントンポストのようですね。しかし、有名人だけでなくもっと広い人が書いているし、トレンドを作っているから、超えている部分もあるのかもしれません。

 そうですね。(様々なブログ上の意見)をどうコントロールして、きちんとした場にしていくか。床屋談義、世間話だったら、誰にでも言えることだと思うんですけど、ほかの人に対しても、「一理あるよな」とか、「確かにそういう発想は、視点はなかった」と思わせられるような書き手じゃないと、というのはありますよね。

―そうすると、やっていらっしゃることは、いわゆるキュレーションですね。

 そうですね、それほど深く考えたわけではないですが、結果としてはキュレーションのようなことも。

―ネット論壇を作っているという自負は?

 すごく著名なブロガーさんで、ここに入らないで独自にやっていくという方もいらっしゃるので、ここに全てがあるというわけではないんですけれども、ほかのサイトさんは同じようなことはやられてないですし、特に政治分野に限って言うと、ヤフーさんは「みんなの政治」、楽天も「楽天献金」がありますが、そことはまた違うところでやっています。

―金銭的なプレッシャーは?広告やアクセス数で?

 われわれも今後どうするか、と。広告収入ですけど、ここに丸ごと課金したらどうか、という意見もあるのですが、いや、まず、ここでたくさん読んでもらって、政治家さんだったら、もしかしたらファンがついて、得票率があがったり、あるいは献金ということで支援者が増えるかもしれないし、ブロガーさんであればそこで出版のきっかけになったり、買ってくれる方が増えれば、われわれも書き手もうれしい。ユーザーにとってもうれしい。いきなり課金をしてしまえば、われわれは儲かるかどうかも分かりませんし、ユーザーとか書き手にとっては長い目で見てどうかな、と思います。

―将来は?

 アクセスを増やし、議論ページを活性化させたい(注:ブロゴスは11月末、サイトを刷新)。ユーザーのTwitterなどでログインすると、記事の評価が分かるようにしたい。ブロゴスに参加するメリットがあるようにしたいですね。

 ハフィントンなどのやり方をそのままコピーしてしまうと、日本は匿名の文化がまだ強いので、Facebookも、実名に抵抗あるからやっていない人もかなりいると聞きます。そこで、今回、コメントにもどこまでプロフィールを出すかを選べるようにします。完全に匿名にはしないが、かといって、全部Facebookのように実名も出すのではなく、バッファをとって活動できるようにしています。

―大学では何を専攻されたのですか?

 教育でした。教員養成課程だったので、クラスメートは先生になっています。だから(自分は)アウトローです。ニュースではかなり異端です。

―新しいネットメディアを作ったという感覚はありますか?

 ありますよね。もし就職で、新聞社とかに勤めていたら、私はいま30ですけど、田原総一郎さんにインタビューさせていただくなんてできなかっただろうな、と思います。

 新聞記者の方はブログを書けといわれても書けないという方がいらっしゃるという話を聞きました。新聞記事だと書けるが、ブログで何でもいいから書いてといわれると書けない、と。主語が「私は」になると、筆が止まる。そこは面白いなと。逆に新聞記者さんからすると、何これ、ネットで気軽に始めて、と(思っていることでしょう)。

―でも、読む方も素人だから。読む方が面白いといえば、いいのでは。

 そうですね。でも、責任は感じています。転載したり、お勧めしたりするのはわれわれなので。おかしいものは出せないな、と。

ーキュレーションはしていらっしゃいますものね。

 でもそれが行過ぎてがちがちになると、結局何も載せられない。みなさん、会社員とかそれぞれの立場で書いているので、全部裏を取れとか、いいだすと無理になる。

―編集部の意見じゃないけど、というのも載せないとダメですものね。

 はい。そこはみなさんが判断とする、と。Aという意見とBという意見を載せて、ユーザーが判断してくれればと思います。
by polimediauk | 2011-12-21 21:03 | ネット業界
c0016826_19512181.jpg 明日19日発売の「週刊東洋経済」が来年を予測する記事を特集している。

 この中に、ウィキリークスを現時点で統括する原稿を書いた。めくってくださると幸いである。

 ウィキリークスは2010年夏から冬、それに今年年頭あたりまで、日本でもたくさんの論評・報道が出た。私も書き手の一人として、主にジャーナリズムの面から触れてきた。

 その後、日本でも世界でも、いろいろなことが起きて(3月の東日本大震災は言うまでもなく)、かつ、ウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジ個人に関わる事件(性犯罪容疑ー本人は否定)が大きくなったりして、ウィキリークス(賛美)熱は、いったんはおさまったのではないかと思う。

 そしていま、振り返ってみると、あれは一体なんだったんだろうー?これからどうなるのか(あくまで、予測)。

 そんなところを書いてみた。
by polimediauk | 2011-12-18 19:50 | ウィキリークス
c0016826_20181978.jpg 朝日新聞の月刊メディア誌「Journalism」12月号に、英「エコノミスト」が好調である理由を書いた。

 何故エコノミストがよく売れているのか、世界のどこで誰に読まれているのか、何故独特の視点を出せるのかなどを自分なりに分析してみた。エコノミストの特別さは実際に読んでみないと、よくは分からないのかもしれないが、できうる限りかみ砕いて書いてみたつもりである。もしご関心があれば、手にとっていただければ幸いである。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13295


 ところで、12月号の特集は電子新聞。「来た、見た、買った?電子新聞」とある。日経新聞と朝日新聞の電子新聞を担当者が説明した記事に加え、部外者がそれぞれ分析している。自社で出しているものを社外の複数の人に論評させるというのはなかなか、太っ腹だなと思う。

 しかし、実際、この「電子新聞」という言葉、自分自身、不思議だなあと思ってきた。まず、どうも意味がよく分からなかった。つまり、紙の新聞があるとすると、これのいわゆるネット版といえばウェブサイトである。英国の新聞の例を見ても分かる。そして、スマートフォンやタブレット型端末だと、それぞれの機器の画面に合わせた仕様になっているーーこれも分かる。これを「電子版」と呼ぶ、というのも理解できる。紙版の紙面構成をほぼそのまま踏襲しているものを「電子新聞」と読んでいるのかなーー?そんな感じとして私はとらえてきた。いやしかし、それ「だけ」ではなく、アーカイブ機能も含めて、ほかにいろいろなことができるようになっているのだろうな(でも一体、どんな?どれだけ役立つのだろう?)。(英国の新聞の場合は、タブレット版で有料購読制を取っているが、これを「電子新聞」としてとくに分類している感じはない。)

 日本語の「電子新聞」の定義について、頭が疑問符で一杯になる中、産経新聞の方が12月号にこう書いている。産経は紙版のレイアウトをそのままスマホなどで読めるようにしている。産経の方によると、「『電子新聞』が何を指すかは、社会的にも業界内でもコンセンサスがないのが現状である」。やっぱり、と思うわけである。その上で、産経ではウェブサイトに平行して「発行された紙面の内容を電子的に提供するサービス」を展開している、という。なるほど。

 いずれにせよ、今月号を読めば、朝日・日経の電子新聞の狙いと強み・弱みが分かるようになっている。

 最後に、編集後記がある。編集長の話として、iPadを使うようになって情報へのアクセスの仕方が変わったと書いている。これまでは、例えばPCの電源を入れて、メールソフトが立ち上がって使えるようになるまで、「じっと待たなければならなかった」と。しかし、いまや、iPadを使えば、スイッチを押して数秒のうちにメールが読める。外出中や寝転がっていても見れるようになった、と書いている。

 まさにこれだなあと思う。私も、アイフォーンを買ったときに、本当に新鮮だったことを思い出す。アイパッドは、それにも増して、確かに立ち上がりがびっくりするほど早い。

 スマホやタブレット端末のモバイル性やスピードは、情報取得環境を大きく変えてしまう。情報へのアクセスの頻度が変わるばかりか、どうやって情報を取るか、そして何を取得するか(難なく様々なコンテンツにアクセスできるので、ニュース情報だけでなく、本を読んだり娯楽作品を見たりするようになるのが自然であろう)まで変わる。

 朝日や日経の「電子新聞」は、過渡期の1つの試みなのだろうと思う。来年の今頃は、果たしてどうなっているだろう?
by polimediauk | 2011-12-17 20:17 | ネット業界
 欧州債務危機問題と英国の話で、欧州の外に住む人にとっては(マーケット関係者を除き)内向きの話かもしれないが、週明けの状況を自分へのメモとしても書き留めておきたい。

 昨今のテレビ・新聞を見ると、一部の新聞には最初「よくやった、キャメロン」(債務問題を解決するための欧州首脳会議で、英国は「国益を守るために」新財政協定に参加しないと決めたこと、将来の金融規制に対する英国の拒否権が保証されない限りだめだとして、「拒否権を発動した」と報じられている件)という雰囲気があったけれども、「いくらなんでも、EU27カ国のなかで、1対26になったのはまずい」という、悲壮な論調が目立つ。これは左派・リベラル系の新聞が特にそういっているのと、BBCテレビの報道を見ても、「困ったな」という論調が出ているせいだろう。

 欧州首脳会議が閉幕になった9日、当初は結果をあきらめた感じで受け止めていた、ニック・クレッグ副首相(連立政権のパートナー、左派リベラル系自由民主党の党首)が、12日になってBBCのテレビに出演し、「苦々しくも失望した」と自分の本音を切々と語った。(キャメロン)首相(保守党党首)と副首相の意見が違っているようでは、まずい。これも大きく報道された。「連立政権に、新たな亀裂?」といった論調である。

 12日、親欧州のシンクタンク「フェデラル・トラスト」(政治的に中立ということだが、自由民主党への支持が強い)は、「英国とユーロ」という題で会議を開いた。

 そこで拾った声としては、

*首相の判断の賛否はいろいろあるだろうが、結論自体よりも、「やり方が悪かった」、「26対1になったのは外交的失敗だった」

 というのがメインだった。金融街シティーの利益が守られたのかどうかと言うと、これも疑問というのが圧倒的であった。むしろ、何らかの復讐(?)があるのではないかと心配する人もいた。

欧州全体の話としては、

*これを機会に、欧州の政治家がほかの国の内政にもっと干渉するようになる。汎欧州的な政治の駆け引きが本格化する(元欧州議員のジョン・スティーブンス氏)

 という見方が新鮮であった。

懸念は

*英国はまだEUの加盟国なのに、議論の全てに関われなくなるのでは?
*保守党内にいる、いわゆるEU懐疑派(EUからの脱退もいとわない)が喜んでおり、これを機会に脱退に向ける流れができるだろうーーこれを止めないといけない

また、キャメロン首相の決断は
*首相自身の、あるいは政府内の意志というよりも、保守党内のEU懐疑派・右派をなだめるためだった

という分析が出た。

何故、電光石火の「拒否権発動」になったのかについては

*事情をよく知る外務省関係者が最後には締め出され、官邸側近が事態に対応していたから
*官邸側近らは、まさか26対1になるとは思わなかった
*英国の提案書がEUトップや独仏トップに出されたのは、午前2時過ぎだったという。最終的な結論が出るのは4-5時だから、「あまりにも遅すぎた」――もともと、提案が通るとは思っていなかったのか、あるいは単に外交上の失敗かのどちらかだ。

など。

 フェデラル・トラストの代表ブレンダン・ドネリー氏(元欧州議会議員)に論評してもらうとー

―キャメロン首相の行動で何が起きたと思うか。

 ブレンダン・ドネリー氏:あの会議で英国の孤立がはっきりと示された。複数の国が英国の側には立っていないことが分かった。本当に情けない状況になってしまった。EU諸国は英国には指導されたくないと思っているし、EUに期待するものが英国とはまったく違う。英国はEUを脱退するべきと思う国民がいる国なのだから。

ー何故このような結果に?

 戦略上の失敗だと思う、最初から提案が通らないように計画したわけではないと思う。偶然にもそうなった。キャメロン首相は大雑把には欧州懐疑派だが、特に強い感情はなかったと思う。欧州は両刃の剣であることを知っており、党内に強い懐疑派をかかえているために、任期中に欧州問題がでかくならないことを望んでいた。

 事態はどちらかというと悲劇よりも喜劇だと思う。EUの財政緊縮策や規制には「ノー」と言ったが、実際に、国内ではそうしている。金融街シティーの利益を守りたいとキャメロンは言ったが、この点では何も変わっていない。心理的及び政治的ダメージを残しただけだ。クレッグ副首相は大失敗と考えているのに、キャメロン自身は成功したと思っているようだ。

 キャメロン首相は特に強い政治信条があるタイプではない。確信を持たない政治家だ(その反対がサッチャー元首相)。首相に就任することに関しては強い思いがあったものの、自分の強い政治信条がないことが墓穴を掘った。というのも、党内に欧州懐疑派がいて、この主張を押し返すことができないからだ。

―英国のみならず、ギリシャでも、EU加盟国の国民の中では、どうも物事が民主的に進んでいない、官僚や政治家が国民不在で物事を決めてゆくという思いが、特に最近強くなっているではないか?そういう意味では、EU懐疑派の主張を最初からバカにするのではなく、これを機会に立ち止まって、国民とEUとの関係を見直す時ではないか?

 確かに、EU内で民主主義の危機というのあるかもしれない。政治家たちは国民の言うことにもっと耳を傾けるべきだという人は多い。それでも、有権者というのは、つじつまのあわないことを望んでいる。

 例えば、ギリシャでは、国民はユーロを維持したいと望んでいるが、自分たち自身はお金を払わずに、自分たちの都合の良いようにユーロを使いたいと考えている。ギリシャの国民が、自分たちが望む政策を、EUのほかの国に住む人々全員に押し付けてもいいものだろうか?

 私が考えるに、欧州で民主主義の危機が起きているというとき、これはつまり、政治家たちが国民に対し、難しい真実を告げていないことにあるのだと思う。

 それともう一つ、単一通貨があるEUで暮らすときに、単に加盟国のそれぞれの政府が集まって物事を決めるだけでは十分ではないという点がある。欧州レベルでの政治体系が必要なのだと思う。これは本当に基本中の基本となること、知性の意味でも、政治の意味でもそうだと思うけれども、つまり、単に国の政府を集めただけでは、EU市民全員を巻き込む問題を決定できない。欧州レベルでの民主主義を反映させる構造が必要だと思うーー現状の欧州議会の制度では不十分だ。

―経済のみならず、政治的にももっと統合されるべきと?

 個人的にはそう思う。欧州レベルの政党や政治家がいてこそ、欧州の問題に欧州的な解決策を与えることができる。

***
 
 以下は、13日から14日にかけてのアップデート情報。

ロイター:欧州が財政統合強化へ、スウェーデンの新協定署名には不透明感
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE7BD01Q20111214?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0
(一部の抜粋)

 欧州連合(EU)のファンロンパイ大統領は13日、英国を除くEU加盟26カ国が参加を表明している新財政協定について、2012年3月までにはまとまるとの見方を示した。大統領は欧州議会で「遅くとも3月上旬までに財政協定は署名される」と語った。

 外交筋によると、新財政協定の草案の第1稿は来週には策定される。ただ、ユーロ加盟17カ国以外で新協定に参加する国のうち、スウェーデン、ハンガリー、チェコなどは新協定を全面的に支持するために議会での承認が必要になる。EUは26カ国すべてが来年6月までに新協定を批准することを目指すとしている。

 また、スウェーデンのラインフェルト首相はこの日、欧州の新たな財政協定に同国が署名するかどうかは不透明だと述べた。これを受け、同国が英国と同様に新協定への参加を見送る可能性が高まった。

ブルームバーグ:キャメロン首相の独自路線で、英国のEUからの独立高まる公算小さい (一部の抜粋)

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LW4IL00UQVI901.html

  12月13日:キャメロン英首相は欧州のユーロ救済の取り組みから距離を置くことを決定したが、だからと言って英国のEUからの独立性が高まる公算は小さい。

 以前と状況が異なるのは、キャメロン首相の独自路線の決定を受け、同国の外交官が失地回復に努めなければならない可能性があることだ。問題になるのは、金融サービス、エネルギー、農業助成金、防衛協力などの規制にかかわる決定だ。

 ロンドンの英王立国際問題研究所(チャタムハウス)のディレクター、ロビン・ニブレット氏は電話インタビューで、「現在、英国に対してはあまり善意が示されていない」と述べ、「短期的には、英国の外交官に対しい幾らか悪感情が示されるだろう」との見方を示した。

 キャメロン首相は8、9両日の欧州連合(EU)首脳会議で、将来の金融規制に対する英国の拒否権が保証されることなしに、財政協定に合意することを拒否。ロンドンの欧州の金融センターとしての地位が脅かされるためだと説明した。

by polimediauk | 2011-12-14 23:56
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 スコットランド出身の歴史学者N・ファーガソンが、米ウオール・ストリート・ジャーナル紙に書いた記事「2021:新しい欧州(The New Europe)」〔11月19日付)が、なかなか面白い。先ほどまた見たら、ツイート数が1700を超えていた。

http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203699404577044172754446162.html
 
 ファーガソンは現在ハーバード大学の教授で、何冊も著作がある。よく「気鋭の若手歴史学者」と紹介されている。私も何冊か、著作を持っているのだがーーとても勉強になったものもあれば、??と思うものの個人的にはあったけれどもーー私の印象では保守派ではないかと思う。右か左かというと右という感じ。(左右で分けるのはもう古いと何度かいろいろな人に言われているのだが)。そこをとりあえず踏まえて読んでみたのだが、2021年の欧州像が当たっているのかどうかは別としても、「ありそうな話」なので、一種の知的遊びとしても非常に面白い、ということになる。本当にそうなりそうな感じもしてくる。

 ファーガソン氏によれば、

*ユーロはなくならない。生き残る。

*しかし、欧州連合・欧州はいまの形では残らない。

*英国はEUから抜け出て、アイルランドはかつて独立した国、英国と再統合するーーアイルランド人は、ベルギー(いまのEUの本部)よりも、英国のほうがいい、というわけである。英国では国民投票が行われ、僅差でEUからの脱退が決まる。支持を得たキャメロン首相は、今度の総選挙で自分が党首となる保守党の単独政権(2011年現在は、親欧州の自由民主党との連立政権)を成立させる。2021年時点で、キャメロン首相は4期目を務める。

*EUの本部はベルギー・ブリュッセルではなく、オーストリア・ウィーンに移動する(ウィキペディア:ウィーンは第一次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー帝国の首都としてドイツを除く中東欧の大部分に君臨し、さらに19世紀後半まではドイツ連邦や神聖ローマ帝国を通じて形式上はドイツ民族全体の帝都でもあった)。

*独立心の強い北欧諸国は、アイスランドを入れて、自分たち自身のまとまり=北部同盟を作る。

*EUはドイツが中心となって、「ユナイテッド・ステーツ・オブ・ヨーロッパ」(欧州合衆国)となる。さらに東欧諸国が入り、2つの言語で割れていたベルギーは原語圏に応じて2つの国となるので、加盟国は29になるという。ウクライナも加盟を望む。英国や北欧諸国は、合衆国を「全ドイツ帝国」と影で呼んでいる。

*合衆国内では、ドイツがある北部と、ギリシャ、イタリア、ポルトガルがある南部には大きな差がある。南部諸国では失業率が20%近くになるが、心配することはない。連邦制だから、北部から資金が流れてくるのだ。

 欧州から目を離し、中東や米国はどうなるのだろう?

 ファーガソンによれば、

*「中東の春」は長く続かなかった。2012年、イスラエルがイランの核施設を攻撃し、イランはガザ地区やレバノンに攻撃を返す。イスラエルのイランへの攻撃を米国は防げなかった。イランは米国の戦艦をとりおさえ、乗組員全員が人質になる。この大きな失態で、オバマ米大統領の再選への夢は消えたのであるー。

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 この将来像はあくまでも1つの仮説、あるいはお遊びであろうし、ファーガソン氏の政治傾向も考慮して判断しなければならないが、「英国とアイルランドがくっつく」・・・というのがなんとなくありそうで、連日のEU論争を少し長い目で見れそうな気がする。

 ファーガソン流に考えれば、決して将来は暗くなく、それぞれの国は引力のようなものによって、落ち着くべきところに落ち着く。外に出たい国は出るし、中にとどまりたい国はとどまるのである。それぞれに違った状況があるのに、「何とかして、全体を守ろう・現状を維持しよう」とするから無理があるのかなと思えてくる。

 
by polimediauk | 2011-12-11 21:10 | 英国事情
 欧州の債務危機収拾のために、ブリュッセルで開催されていたEU首脳会議が9日閉幕した。会議の中で、英国・キャメロン首相が「英国の国益を守るために」、「拒否権を発動」し、EU全加盟国27カ国の中で「孤立した」と英国では報道され、昨日から大騒ぎとなっている。

 産経新聞の報道を引用するとー。

EU26カ国で新協定 財政規律強化 英は不参加 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111209/erp11120919540008-n1.htm

 「欧州債務危機の解決策を協議する欧州連合(EU)首脳会議は9日午後、遅くとも来年3月までに、欧州単一通貨ユーロ圏17カ国のほか、9カ国が議会の承認を得たうえで政府間協定を結び、財政規律を強化することで合意して閉幕した。EU新基本条約の制定は英国の反対で断念した。国際通貨基金(IMF)の支援を仰ぐため、ユーロ圏を中心にまず最大2000億ユーロ(約21兆円)をIMFに拠出する方針だ。」

 「『新財政協定』と呼ばれる財政規律強化策は(1)財政規律の違反国に対して自動的に制裁を発動(2)財政規律を憲法に明記(3)予算案を事前にEUの執行機関、欧州委員会に提出-などが柱。財政赤字を国内総生産(GDP)の0.5%内に抑える方針も示した。」

 「規律強化策をめぐり、ドイツとフランスはEU新基本条約締結を目指したが、非ユーロ圏の英国などが反対した。」

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 昨日、夕方から夜にかけて英テレビ各局のニュースを見ていたが、論点は以下であった。

*26対1になるなんて、これでは今後、英国は孤立してしまう。首相の「国益」とは金融街シティーを守るためだったが、今後はEUから手痛いしっぺ返しを食うかもしれない。EU内での影響力が大幅に低下するのではないか、という大きな懸念。「低下しない」という声もある。

*英国国内の政治動向への懸念。与党保守党内では長年、EUへの(これ以上の)関与を嫌う傾向が根強い。EUから脱退するべきという声も一部にあり、保守党右派の声がさらに強くなるだろう。1990年代のメージャー保守党政権を思い起こさせるという人もいる。同政権の内部分裂の1つの要素はEU嫌い。キャメロン政権も分裂の危機か?現在、連立政権を組んでいる左派系自由民主党の一部の議員が、キャメロン氏を大きく批判。また、野党・労働党党首ミリバンド氏も、キャメロンは「破壊的な決断をした」と表現。

*一方、スカイ・ニュースの「ジェフ・ランドル・ショー」という番組に出ていたのが、ブレア元首相(労働党)の経済アドバイザー、デレク・スコット氏。同氏は、孤立は悪いことではない」と述べていた。今回まとまった、EU側が出す資金というのは「本当に小さい額」であり、「どうせ失敗する」のだから、英国がその失敗に関与する必要はなし、と。「ユーロ経済は成功していなかった。それに参加できないからと言って、嘆くことはない」と語る。保守党のアドバイザーでなく、労働党のアドバイザー、しかもEUシンパとも言える(しかし、政権担当時にはEUに関しては何もできなかったといわれる)ブレア氏の経済顧問の見方であることが面白い。どうせ失敗するというのは「どの国も(負債率などの)数字で、本当のことを言っていない」、「フランスだってあぶないぞ」など。

*「拒否権発動」という表現自体が、そもそもおかしいという見方もある。英国が参加するしないに関わらず、26各国が新協定を成立させるほうに動いているわけだから、「何かを止めたわけではない」(基本条約の改正の動きは止めたわけだが)と。自国が参加しなかっただけである、と。

 私自身は、今回のキャメロン発言をどう評価するか、まだ判断がつかない。今回の首脳会議では、英国のことを考えるというよりも、欧州全体のことを考えて決定するべきと思ったので、他国と足並みをそろえなかったことはショックだったけれども(それも26対1である)。「国益」云々――シティーを守るとかーーという意味さえ、本当かなという感じもする。

 ちなみに、AFP報道によれば(http://www.afpbb.com/article/politics/2845153/8183087)キャメロン首相は英国にとって死活的に重要な金融セクターが守られないくらいなら「外部にいたほうがましだ」と述べたという。「ロンドン中心部にある広さ1平方マイル(約2.5平方キロ)ほどのシティーには、欧州全体の金融サービスの約75%が集中している。英政府は『金融取引税』を課そうという独仏の動きや、金融取引に対する新しい規制の導入に抵抗している」という。

 しかし、本当にシティーを守るためだけだったのかどうか、そして、実際に守りきれるのかどうかについては、コメンテーターの意見は割れている。来年3月に向けて新協定を成立させることを「めざす」といっても、それまでの間に何かが起きるかもしれない。「26カ国」は果たして一枚岩だろうか?いまは英国は「孤立」しているけれど、周囲の状況は変わるかもしれないのだ。

 現在の独仏を主導とした危機打開策はずいぶんともたもたしているように見えるけれども、これはやはり、事実上は「誰も責任を取る人がいない」せいなのかなとも思う。各国の政府があって、その上にある組織だけれど、なんだか実権を持つトップの人がいない感じである。

 それと、これはもう多くの人が指摘しているけれど、今回決まったことは、「現在の危機(つまりはギリシャを含む数カ国の負債問題)を解決する策ではない」こと。市場は少しは今回の合意を評価したようだけれど、「よし、これでユーロ圏あるいはEU圏は大丈夫だな。投資しよう」という決断をさせるまでにはいっていないようだ。

 投資決断をさせるための1つの注目点が欧州中銀ECBの動きと言われる。ECBがもっとドーンとお金を出せばいいのにーーこんな声を英国ではよく聞く。しかし、ECBにはそうする意思が(いまのところは〕ないようである。ない袖がふれないのかもしれないし、「モラルハザード」がいやなのかもしれない。

 あるコメンテーターが言っていたけれど、「これはつまり、加盟国に『ドイツのようになれ』ということだな」と。緊縮財政を実行させ、負債を減少させ、金融規制を厳しくし・・・と。しかし、その国によって国民性や経済のやり方がいろいろ違うのである。

 とりあえずの雑感である。いろいろ面白い論評も出ているのだが、また次回。

参考記事:
英、独仏と亀裂深まる EU首脳会議 ユーロよりシティー(産経)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111209/erp11120920000010-n1.htm
by polimediauk | 2011-12-11 00:15