小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 c0016826_5225267.jpg4月16日―18日、ロンドン・ブック・フェア(http://www.londonbookfair.co.uk/)が開催され、世界各国の出版関係者が集まった。3日間で、私が行けたのは16日だけだったのだけれども、様々な思いがけない出会いがあった。

 まず、 自分にとっては数年ぶりに訪れたフェアは、かなり活況があるように見受けられた。特集として中国の書籍や作家に焦点をあてていたのだけれども、中国政府が認可した作品ばかりの紹介だったことで、一部で批判が出たようだ。

 中国以外に目立ったのは、やはり、何といっても電子書籍の話である。たくさん関連のセミナーがあったのだけれど、アマゾンのブースにいた、アルバイトみたいな若者の話を聞いてみると、彼自身が自費出版した作家であると知って、驚いた。それも、30万部以上を売っていて、英国のアマゾンサイトのベストセラー(昨年発売の処女作「LOCKED IN」ほか)を生み出した人物、ケリー・ウィルキンソン氏(31歳)であった。これまでにアマゾン・キンドルから出した小説3作はシリーズになっていて、犯罪の謎解きがテーマだ。同じ主人公が出るシリーズの4作目と5作目もすでに発売予定となっている。

同氏のホームページ
http://kerrywilkinson.com/

アマゾンのページ
http://www.amazon.co.uk/Kerry-Wilkinson/e/B005DD1EJA

―どうやって本を売ったのですか?

ケリー・ウィルキンソン:マーケティングは自分でやりました。ソーシャルメディアを主に使いました。自費出版をやるとき、ここが一番難しいですね。

―どれぐらい売ったのでしょう?

 これまでに3冊を書いて、トータルでは30万部を売りました。

―どれぐらいが利益になったのですか?

 販売額の35%です。というのも、最初、98ペンス(約127円)で売ったからです。アマゾンでは、1・49ポンドの以下の作品のロイヤリティーは35%なんです。これ以上になると、70%になります。

 最初は英国でよく売れていましたが、フランスのチャートでも上に入り、ドイツやスペインでもよく出ました。

―作家になる前の仕事は?

 BBCでスポーツジャーナリストとして10年働いてます。

―ジャーナリストであるのに、何故小説を書こうと思ったのですか?

 小説が書けるということ証明したかったから。できるかできないかを証明するには、書くことだと思いました。自分で自分に証明したかったのです。

―将来は紙でも小説を出すのですか?

 マクミラン社から契約をもらっています。(すでに「ロックトイン」はペーバーバックに。)

―今まで、失礼ですが、あなたの存在に気づきませんでした!新聞の書評欄とかをよく見るほうなのですが。

 何度か、取材されたことはありますよ。ガーディアン紙にも出ましたし。でも、新聞や雑誌の記事に出ても、売り上げにはまったく影響がありませんでした。出たからと言って販売部数が上昇するということはなかったのです。

―最初の作品はどれぐらいの期間で書き上げたのですか?

 約2ヶ月です。トータルで9万8000語でした。

―事実を積み上げて、分析するのがジャーナリストですね。事実を書く、ノンフィクションの世界から、フィクションの世界に移ったわけですが、どうやって別世界に飛び移ったのでしょう?

 うまく説明できませんが、自然にできてしまったのです。やってみたら、できた、と。

―アマゾンの自費出版では、自分で書いて、ボタンを押せば、出版されてしまいますね。編集者が介在しない点については、どうでしたか?

 代わりに何人かの友人や知人に、事前に読んでもらいました。

―今後は?

 紙も、電子書籍も含め、どちらもやって行きたいですね。

***

 こぼれ話:どことなく、余裕しゃくしゃくの若者であった。いとも簡単に出版できてしまうことに驚きを感じたが、ベストセラーになるのは本当にすごい。しかし、同時に、本の価格を最初1ポンド以下にしたということについて、いささかのショックを受けていた。1ポンドでは(新聞は買えるが)、コーヒー一杯も飲めないのだ。たくさん売れれば一定の利益は出るようになるだろうが、そこまで安くしなきゃいけないのだろうか?(関連のアマゾン・キンドルの話、次回に続きます。)





 
by polimediauk | 2012-04-29 05:21 | ネット業界
 ケイト・ミドルトンさんが、王位継承順位第2位のウイリアム王子と結婚し、ケンブリッジ公爵夫人=「キャサリン妃」となってから、4月29日でちょうど1年となる。

 今では1人で公務をこなすまでになっており、同妃の笑顔が英国の新聞や雑誌に出ない日はないと言ってよいほど、人気が高い。

 これまでと今後に注目した原稿を「英国ニュースダイジェスト」最新号の「ニュース解説」に出している。ウェブサイトでは、キャサリン妃、エリザベス女王、故ダイアナ元皇太子妃の比較表もあるので、よかったら、ご覧になっていただきたい。http://www.news-digest.co.uk/news/news/in-depth/8857-catherine-duchess-of-cambridge.html 本文に若干足したものは以下である。


ご成婚から1周年 ―キャサリン妃の評価とは

―ダイアナ元妃の違いとは?

 キャサリン妃は、ウィリアム王子の母、故・ダイアナ元皇太子妃(1997年パリで事故死)とよく比較される。

 容姿端麗であることに加え、国民の大きな注目を集めるファッション・アイコンである点など、共通する部分が多い。1981年、チャールズ皇太子と結婚したダイアナ元妃は婚約時代から執拗にメディアに追われたが、この点もキャサリン妃の場合と似ている。

 一方で、2人の間には大きな違いもある。元妃が伯爵家の出身であるのに対し、キャサリン妃は平民出身だ。ダイアナ元妃は20歳で結婚したが、キャサリン妃の場合は29歳である。また英国史上で初の大学教育を受けた王妃となったキャサリン妃は王子ともにスコットランドの名門セント・アンドルーズ大学で学んだが、勉強嫌いのダイアナ元妃は大学に進学していない。

―ウィリアム王子の理解が助けに

 キャサリン妃の結婚後の人生は、ダイアナ元妃のそれとは正反対の方向に進んでいるようだ。

 ダイアナ元妃は、チャールズ皇太子に愛人がいたことが発覚して夫婦関係にひびが入った。また王室の流儀に溶け込めないまま、拒食症になり、自傷行為を繰り返したという。

 一方のキャサリン妃は、結婚前の時代からウィリアム王子とパートナーとしての関係を結んでいた。8年近く交際を続け、ほかの友人たちとの共同生活も経験した。王室の一員ともなれば、常時監視状態に置かれることをキャサリン妃は身をもって学んでいた。

 さらに母が王室入りした際に大きな苦難を経験したことを理解するウィリアム王子は、メディアとの付き合い方にも気を使っている。1年前に行われた結婚式は世界中のメディアが取材したが、その直後のハネムーンは行き先も含め、一切公表せず、2人はプライベートな旅行を楽しんだ。

―キャサリン妃の王室活動

 結婚後は北米訪問など夫婦仲良く公務を続け、キャサリン妃は次第にファンを増やした。今では、着ているドレスやアクセサリーがあっという間に売切れてしまうほどだ。昨年夏のイングランド地方で発生した暴動では、英中部バーミンガムで攻撃にあった商店街を訪ね地元の人の話に耳を傾けた。

 今年1月になって、キャサリン妃は自分がパトロンとなる4つの慈善団体の名前を明らかにした(後述)。どれも、「自分でじっくり考えて、本当に力を注げる団体を選ぶ」という方針の下で決定されたという。

 同時に、幼少時にガールスカウトのメンバーであったことを生かし、英スカウト協会のボランティアになると発表した。子供たちにテントの設置の仕方や野外で火を起こすやり方を教えるなど、実際のボランティア活動に従事する予定だ。

 英空軍に勤務する王子が2月、英領フォークランドの空軍基地に派遣されると、今度は1人で公務を次々とこなした。3月末には、児童の医療施設を訪問し、初めて公の場でのスピーチに挑戦。手元が震えながらも、3分間のスピーチを無事終了し、大きな拍手を得た。

 このように一歩一歩、「嫁ぎ先」となった王室の慣習を学び、パートナーと力を合わせて、新しい環境を生きているように見えるキャサリン妃。国民の気持ちを汲み取り、共感し、支援する、そしてファッションとともにスポーツを楽しみ、健康的に生活するー。こうした前向きなメッセージを、キャサリン妃は私たち一般人に発信している。

―関連キーワード:SLOANE RANGER:「スローン・レンジャー」族。

 1980年代以降、上流階級の若い、スタイリッシュな男女を指す言葉として流行した。富裕層が住むロンドンの高級住宅街チェルシーとベルグラヴィアの境界付近にある公園「スローン・スクエア」と、ラジオ及びテレビの西部劇「ローン・レンジャー」の名前を組み合わせた。「公式スローン・レンジャー・ハンドブック」という本が出版され、この表現が広く認知された。代表格はダイアナ皇太子妃(当時)。リッチで保守的なファッションを現代的に引き継いだのがキャサリン妃といわれている。


―キャサリン妃がかかわる慈善団体・ボランティア組織


パトロンとして

アクション・オン・アディクション(アルコールや麻薬など依存症に苦しむ人や家族への支援、教育、研究)http://www.actiononaddiction.org.uk/home.aspx

イースト・アングリア児童病院(EACH)(ケンブリッジシャー、エセックス、ノーフォーク、サフォーク州に住む、難病にわずらう児童やその家族への支援)
http://www.each.org.uk/

ナショナル・ポートレート・ギャラリー(世界で最も広範なコレクションを誇る、肖像画専門の美術館)http://www.npg.org.uk/

ジ・アート・ルーム(芸術を通して、児童の自信を醸成、深める)
http://www.theartroom.org.uk/

ボランティアとして

スカウト協会(野外教育を通した青少年人材育成活動。英国内では約40万人の青少年が参加)http://scouts.org.uk/
by polimediauk | 2012-04-25 05:26 | 英国事情
 以前に一度、拙著「英国メディア史」の書評を集めたエントリーを出しました。

http://ukmedia.exblog.jp/17371520/

 少し時間がたったので、集まってきたものを紹介します。

①まず、アマゾンにいくつか、書評が出ています。2番目のほうは最近のエントリーのようです。

 「英国メディア史」のページ
http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%8F%B2-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E6%81%AD%E5%AD%90/dp/4121100042/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1335181535&sr=8-2

 この方の書評もそうですが、様々な「ここは指摘しておきたい」「こうすればよかった」という点は、書き手としても、「そうだったなあ」と思えることが多く、非常に参考になります。(これを読まれた方も、よかったら、感想などお待ちしています。)

②日本生活情報紙協会(http://www.jafna.or.jp/)が制作しているフリーペーパーの機関紙「JAFNA通信」2月号での紹介記事の抜粋です。

 冒頭で小林さんは、「実は、英国でも米国そして日本同様、新聞の発行部数は低下の一途をたどっている。それでも、毎朝、駅構内の新聞スタンドに無料朝刊紙『メトロ』がうず高くつまれており、これを一部手にとって電車に乗る人が多い。帰りにはこれも無料の『ロンドン・イブニング・スタンダード』でその日のニュースが読める。電車に揺られながら新聞を読む、これが長年のロンドン近辺在住者・通勤者の習慣になっているのだ・・・」とロンドンの地下鉄の一コマを紹介している。
(中略)

 
 15世紀までさかのぼるメディアの歴史と移り変わりが全貌できるほか、「スウェーデンからやってきた無料紙『メトロ』」「ロンドン無料紙戦争」などの項目もあって、英国のフリーペーパー史と最新事情も分かる一冊となっている。



③月刊誌「GALAC」4月号に掲載された、隈部紀生(くまべ・のりお)さん(報道、ハイビジョン番組制作を担当し、BBCにもいたメディア・ウオッチャー)の書評です。(GALACは放送批評懇談会の出版です。http://www.houkon.jp)

『英国メディア史』小林恭子著

 本誌に英国メディアのホットな話題を寄稿している、在英のジャーナリスト小林恭子が『英国メディア史』を出版した。書名は学術書を思わせるが、著者自身が意図したようにエピソードで綴る英国メディアの歴史物語である。

 印刷機が英国に導入されてまもなく、「ニュース」の刷り物が登場するが、宗教と政治による厳しい検閲が続き、議会審議を報道する権利が確立したのは一七七一年だったことを教えてくれる。八五年に現代日刊紙のはしり『タイムズ』が創刊され、十九世紀はじめにはクリミア戦争で初の外国特派員が戦争の現場を生々しく伝え、その記事を見たナイチンゲールが看護を志願するというエピソードが綴られる。

 二十世紀になるとBBCが登場して、スエズ動乱のときに政府の圧力の中で報道の独立を守った有名な歴史が語られる。同時に、新聞社がスキャンダル関係者に高額を払って手記などで暴露をする小切手ジャーナリズムの風潮が繰り返されたことも指摘する。

 そのメディア界にマードックが登場して、最近、電話の盗聴問題で廃刊になった『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』を買収し、競争に勝つために次々に新聞街の常識を覆し、衛星テレビ放送を始めて、メディアは多様化から乱戦になったが、インターネットの登場でまた新しい時代を迎えている。

 断片を紹介すると無味乾燥になるが、著者の筆致は人物を中心に平易な文章で、英国在住の実感を交えていきいきしている。欲を言えばインターネットで誰でも情報を発信できる時代のメディアについて、利用者の視点から詳しく触れてほしかった。


④ブログ「After the Pleistocene」3月1日掲載分 http://addfield.jugem.cc/?eid=812 に公開されていた書評です。

 
「英国メディア史」
 
 惜しげもなく裸体を露出したモデルの写真をトップに掲げるイギリスタブロイド紙が、イギリスのジャーナリズムを牛耳っているとは思いたくないが、ここに至るまで実に激しい競争が繰り広げられたということが、この本で改めて理解でき面白かった。タブロイド紙の興亡については、山本浩の『仁義なき英国タブロイド伝説』が詳しいが、英国メディアの流れ全体を概観するにはこちらの方が良い。

 「新聞の運営は最高におもしろい。」と、大衆紙『デイリー・エクスプレス』等を買収したリチャード・デズモンドが語るように、オーストラリアのマードックやロシアのレベジェフなどの富豪が次々イギリスのメディアを支配した。デズモンドはポルノ雑誌で財をなし、レベジェフはロシアの元KGBだった。マードックは「『セックス、スキャンダル、スポーツ』にさらに『もっとセックス』の路線で、『サン』を英国で最も売れる新聞にしようと決めた。」

 ダイアナ妃の悲劇もいわば過激なマスコミの競争の結果であったとも言えよう。これでもかと云えるほど王室のスキャンダルを暴き、政治家のゴシップ・下ネタを探す姿勢は『赤新聞』そのものだが、イギリス階級社会の歪んだ姿を反映するかもしれない。ジャーナリズムも『小切手ジャーナリズム』と言われるほど情報を金で買い、私立探偵を雇い盗聴まで仕掛けるとなると明らかに行き過ぎである。

 杉山隆『メディアの興亡』によると、ある一定部数を一新聞が発行するなら、購入読者からの購読料は不要になる、すなわち掲載する広告料が十分入ってくるから、読売、朝日、日経新聞などは紙価を只にすることが可能である、と推定できる。いまロンドンでは巷に無料紙が氾濫しはじめた。スマホなどの通信機器がますます伸びるなら、いやでも応でも既存の新聞は変わっていかねばならないだろうと予感する。

 イギリスでは国政選挙の際は、ほとんどの新聞は支持政党を明らかにする。この本に敢て注文をつけるなら、もう少しジャーナリズムの意向が政治の動向にどのような影響を与えたか、あるいは与えられなかったか、サッチャーやブレアの政権の末路で子細に語って欲しかった。イギリス世論とジャーナリズムの論調との比較を見たい。それにしても日本のジャーナリズムは静かなものではないか。福島原発の危機の時、誰がメルトダウンの発生を正確に予知したか?


⑤最後に、新聞通信調査会(http://www.chosakai.gr.jp/index2.html)が出している「メディア展望」の1月号に掲載された、東洋英和女学院大学名誉教授で元毎日新聞ロンドン支局長黒岩徹氏による書評です。

 ジャーナリストから大学教師になって、ジャーナリズム論・史を教えたとき最初、手応えを感じなかった。取材するのは面白いが、ジャーナリズムについて書いたり語ったりするのは、なぜか力が入らなかった。戦争、革命、政変など歴史的事件の渦中に立って血のたぎる思いをしたが、平穏な日々に歴史をひも解いても興奮することはなかった。

 だが、それでは理解が足りないと気付くまでに時間はかからなかった。歴史家の言葉や歴史書のあちこちに、史上の人物の悲喜劇、人間ドラマが顔を出していたのだ。それを見つけたとき興奮を覚えた。より深く事件の深層に迫るという知的興味を感じたのである。その象徴的例が、この『英国メディア史』である。

 新聞・雑誌が「プレス」(押すの意)と呼ばれるようになったのは、15世紀に押して印刷する印刷機がロンドンのウェストミンスター寺院の一隅に設置されて以来のこと──と著者は英国の印刷術が新聞・放送に発展していく道程を細かく追っている。

 『ロビンソン・クルーソー』の作家ダニエル・デフォーが小説を書く前にジャーナリストとして活躍。「自らが現場に出かけて当事者から話を聞く」という姿勢で、後に英ジャーナリトら話を聞く」という姿勢で、後に英ジャーナリズムの父と呼ばれるに至った、という興味ある歴史的事実を幾つも拾っている。

 著者が鋭く指摘しているのは、英ジャーナリズムの歴史が常に権力との戦いだったことである。デフォーでさえ英国教会の一派やトーリー派(保守的な政党派)を批判したかどで逮捕されて罰金を科され、さらし台に立たされた。

 1762年に週刊新聞「ノース・ブリテン」を発行し始めたジョン・ウィルクスは、6年後に国王を誹ひ謗ぼうする文書を作成した罪で監獄に収監された。その釈放を求めた市民と政府軍が衝突し、政府軍の発砲で10人近くの市民が命を落とした。以来、新聞が大衆を巻き込んでキャンペーン運動を展開する端緒となった。

 こうした戦いの上に現在の英国ジャーナリズムがある。だから英国人記者の当局に対する追及の仕方は厳しい。権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する──との歴史学者ジョン・アクトンの言葉を信じているからだろう。

 19世紀から20世紀初頭にかけて「エコノミスト」「デーリー・ミラー」「デーリー・メール」「デーリー・エクスプレス」が発刊され、大衆紙全盛の時代へと突入する。デーリー・メールは英仏海峡を最初に泳ぎ切った人や、海峡横断飛行を実現した操縦士に賞金を出すイベントを実施、部数拡張を図った。デーリー・ミラーも路上音楽家たちのコンテストを開いたりして新聞の売り上げを伸ばした。現在の日本の新聞でさえ、このイベント開催の伝統を継承している──こうした興味深いエピソードが豊富だ。

 著者はBBCの変遷もじっくり追っている。その歴史で特徴的なのは新聞との大きな違い──中立か、特定の政党に偏るかである。

 新聞は事実報道だけでなく主張を掲げ、支持政党を明確にしてきた。今でも英国の新聞は総選挙の際に、どの党を支持するかを明らかにする。

 しかし、BBCはラジオ時代からのゼネラルマネジャー、ジョン・リースの強いリーダーシップもあって、「不偏不党」を貫いてきた。フォークランド諸島をめぐる1982年のアルゼンチンとの戦いの際、ロンドンで報道していた筆者はびっくりした。BBCが敵国アルゼンチンの軍人から意見を聞いて、その主張も放映したのだ。英政府・議会から非難されたが、これも自国の関わる戦争といえども中立的報道を心掛けるという姿勢からだった。

 著者が最後に出会ったのは、記者による盗聴事件である。「チェック(小切手)ジャーナリズム」(=金で情報を買うやり方)が極端化し、携帯電話の盗聴によって情報を手にするジャーナリズムが現れた──と英ジャーナリズムの暗部をも冷静に描き出している。(終)

by polimediauk | 2012-04-23 22:07
 先日、16日から18日まで開催されていた、「ロンドン・ブック・フェアー」に、久しぶりに顔を出してみた。非常な活況振りであった。電子書籍の最新動向などを聞き、大変多くの刺激を受けて帰ってきた。その件は、また改めてご紹介したい。

***

以下は、新聞協会報4月17日号掲載分に補足したものである。

***
 

英新聞界のデジタル戦略 
ー「ソーシャル」を導線に、専用閲読アプリで課金


 
 英新聞界はこれまで、インターネットでの自社記事の閲読を、過去の記事も含めて原則無料で提供してきた。

 しかし、スマートフォンの普及やタブレット型電子端末の販売により、こうしたチャンネルを通じての閲読を有料化する動きが進展している。新規読者の開拓には、ソーシャル・メディアを新たな活路とする。各紙のデジタル戦略をまとめた。

ータイムズ電子版の成果

 2010年夏、タイムズ紙とその日曜版サンデー・タイムズ紙がネット上の記事閲読を「完全」有料化した。完全とは有料購読者以外は一本も閲読できない設定だ。

 英国には、長年、「ネット上のニュースは無料」という認識が存在してきた。有料化(一定の本数の記事を無料閲読とし、その本数を超えた場合有料とする「メーター制」を採用)を導入していたのは経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)のみであった。

 タイムズ紙の有料化は、一般紙が果たして他紙と差別化できるコンテンツを有料で提供できるのかを問う試みとなった。

 今年2月、発行元ニューズ・インターナショナル社は、タイムズ電子版の有料購読者が1月時点で約11万9000人、サンデー・タイムズでは約11万3000人と発表した。これは業界内で一定の成功と受け止められた。

 というのも、1月時点で電子版の一日の平均読者数はタイムズの場合が約52万人、サンデー・タイムズが約108万人となり、紙媒体の発行部数とほぼ同じかこれを上回る(注:紙媒体の購読者は電子版を無料で読める)までに到達したからだ。

 両紙のサイトは、有料化以前には2000万人を超える月間ユニーク・ユーザーを持っていたものの、大きな収入源にはなっていなかった。紙媒体の発行部数は減少傾向が続き、英ABCによると、同じく1月の発行部数はタイムズが前年同月比10・88%減、サンデー・タイムズが同6・87%減と大きな数字だ。

 タイムズの売り上げ収入の5分の1が電子版の購読料から発生するようになっており、有料化は今後も続く見込みだ。

 特に電子版の伸びが著しいのはタブレット型端末iPad(アイパッド)を通じての購読だ。過去半年間の購読者の伸び率はタイムズで35%増、サンデー・タイムズで80%増。両紙合計のアイパッドでの利用者の平均収入は国内の平均所得者の約四倍を稼ぐ高額所得者だ。広告主にとっては、購買力が高い魅力的な層を手中に入れたわけである。

―タブレットのみ有料も

 FTの電子版有料購読者は3月発表時点で約26万7000人。FTは景気の動向に左右されない経営を目指しており、広告収入よりも購読料収入の比率の増加に力を入れている。

 親会社ピアソンによると、FTの収入の47%が電子版コンテンツによる。米国ではすでに電子版収入が広告収入を超えた。

 そのほかの新聞は、サイトでの閲読は無料のままとし、スマートフォンやアイパッドでの閲読アプリを通して有料化している。

 例えばガーディアン紙は、1日3本までは無料で閲読できるがそれ以上が有料(iPhone:アイフォーン用は半年間で2・99ポンド=約382円、1年で4・99ポンド、アイパッド用は毎月9・99ポンド)となる専用閲読アプリを提供する。端末で見やすいように画面が設定され、ソーシャル・メディアへの投稿も容易だ。ただし、専用アプリを使わずにサイトにアクセスした場合、無料で記事を閲読できる。

 利用者が専用アプリでの課金を受け入れる背景には、動画・音楽配信サービス「アイチューンズ」で少額決済に慣れた利用者層の存在がある。

 複数の地方紙出版社は携帯電話での閲読は無料で、タブレット端末でのみ有料とするなどばらつきがある。

―「ソーシャル」で導線作り

 ソーシャル・メディアは潜在的読者を自社サイトに誘引する方法として活用されている。

 新聞社がフェイスブック上に専用ページを開設し、「友達」が閲読した記事の一覧がこのページ上に表記される手法はこれまでにもあったが、ガーディアン紙はこれを一歩進め、専用アプリを開発した。

 同紙が昨年9月に導入したアプリを使って、友達が閲読したお勧めの記事をクリックすると、フェイスブックのアプリ内でガーディアンの記事が読める。

 フェイスブック内に利用者が滞在し続ける形のアプリの効果は劇的だった。導入から5ヶ月で、約800万人がダウンロードし、電子版の記事を閲読した(同紙3月21日付)。

 導入以前、電子版への訪問の40%が検索エンジンによるもので、ソーシャル・メディアは2%であった。導入後は後者が一時30%を越えた。最多訪問者は、最も新聞を読まない層といわれる18歳から24歳の若者たちであった。

 インディペンデント紙も専用アプリ(120万人がダウンロード)を提供中だ。(ただし、記事をクリックすると、同紙のサイトに飛ぶので、ガーディアンの場合とは少々違う。各紙がそれぞれに開発している状況である。)

 新聞社側が提供する内容(=記事コンテンツ)は同じでも、利用者が馴染み深いソーシャル・メディアを入り口として使うことで、自社サイトへの強力な導線を作り上げた。

 一方、経済週刊誌「エコノミスト」はフェイスブックの専用ページへの訪問者の中でページが気に入ったことを示す「いいね!」ボタンを押した人の数が100万人を超えたと発表した。

 もはや広大なネット空間で自社サイトを開設しているだけでは十分ではなく、ソーシャルの空間の中で顔を見せてこそ、読者を誘い込むことができることを、各メディアの試みは証明しているといえよう。

 メディア動向を調査するエンダース・アナリシス社によると、英国で携帯電話による広告収入は2011年で2億300万ポンドに達した。これは前年比157%増だが、ネット広告全体ではわずか6%を占める。

 しかし、スマートフォンの所有率の伸びが欧州内で最も早い英国では、2015年までに成人の75% (現在は半数) がスマートフォンを所有するようになるという。そこで、広告収入もこれにつれて大きく伸びるとエンダース社は予測している。

 携帯電子端末での閲読を前提とした収益化戦略やサービスの工夫がますますの課題となってきた。(終)
by polimediauk | 2012-04-22 02:24 | 新聞業界
(以下は朝日新聞の月刊メディア雑誌「Journalism(ジャーナリズム)」3月号に掲載された記事に補足したものです。) http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13583

―新聞コラムは誰が書いているか、週刊誌が調べてみるとー

 英国で有色人種人口に最も閉じられた世界といえば、新聞界も例外ではない。

 左派系週刊誌「ニュー・ステーツマン」電子版の分析(1月12日付)によると、日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(昨年7月廃刊)での電話盗聴事件への反省から、新聞界の報道の実態や倫理基準を調査する、「レベソン委員会」(レベソン判事の名前から由来)が、昨年秋から公聴会を開いているが、年末までに名前が挙がった99人の証言者の中で、社会の少数民族(マイノリティー)であった人物はわずか2人だったという。

 ガーディアン紙が編さんする、『メディア界の重要人物100人のリスト』の中で、少数民族の人物は1人だけ。全国紙の編集長あるいは政治部長で非白人である人はいない。

 また、昨年12月5日から11日までの間に、同誌が複数の全国紙の論説コラムを誰が書いたかを調べたところ、タイムズ紙とその日曜版「サンデー・タイムズ」の39のコラムのうち、非白人が書いたものはわずか2本。インディペンデント紙およびその日曜版ではコラム総数が34のうち、非白人によるものは1つ。ガーディアン紙および日曜版に該当するオブザーバー紙では総数が48で非白人が書いたコラムは4。

 「デイリー・メール」および「メール・オン・サンデー」では全部が23の中で、非白人が書いたコラムはゼロ。「デイリーテレグラフ」と「サンデー・テレグラフ」、および「デイリー・エクスプレス」と「サンデー・エクスプレス」の場合はそれぞれ総数が46、22で、非白人によるものはゼロだった。経済紙「フィナンシャル・タイムズ」では総数35のうち、3つを非白人コラムニストが書いていた。

 参考までにいうと、政府統計局(ONS)の調べでは、2009年、イングランドおよびウェールズ地方(英国の人口全体の5分の4を占める地域)での非白人は全体の16・8%であった。これは6人に1人の割合だ。

 「ニュー・ステーツマン」の政治記者メーディ・ハッサン氏は、「第2次世界大戦後の労働力不足で、英国が西インド諸島から多くの労働者を移民として呼び寄せたときから64年、人種関係法が成立してから36年、ローレンス事件が起きてから18年が経った現在も、英国の論壇は単一民族、単一文化」が支配する状況が続いてきたと述べる(1月16日付)。「新聞や雑誌の論壇面はその国の世論形成に大きな影響を与える」、だから書き手が多様な人種、社会的背景を持っていることが重要なのだという。
 
 ストロー元内相が先のBBCラジオの番組「ロング・ビュー」で述べたように、ローレンス事件は、英国の人種差別撤廃への大きな一歩となった。しかし「まだまだ長い道のりがある」(ストロー談)ことも確かだ。

 メディアはジャーナリズムによる貢献とともに、多様な声を確保するために職場の人事構成においても変革を求められている。(終)

ーーー補足ーーーーー

*人種差別にからんだ事件は、最近でもよく発生している。

 例えば、差別的発言が問題視されたケースにサッカーのプレミア・リーグのクラ
ブの1つチェルシーに所属するジョン・テリー選手の件がある。テリーは、昨年10月に行われたクイーンズ・パーク・レンジャーズのアントン・ファーディナンドに人種差別発言を行ったとして、起訴された。

 そして2月上旬、イングランドサッカー協会は、テリーからイングランド代表チームの主将の座を剥奪すると発表した。本人は容疑を否認しているが、公判が7月まで延期になったため、疑惑が解消されるまで、テリーが代表チームの主将であり続けるのは好ましくない、との判断だ。本人が否定する「疑惑」でも、ここまでしなければ大きな批判を浴びることになるため、組織の側も迅速に動く。

 この件でイングランド代表の監督だったファビオ・カペッロが電撃辞任する事態が起きた。カペッロにしてみれば、テリーはまだ有罪になったわけではないし、代表チームの人選は監督の仕事の範囲と考えた場合、これを侵害されたと思ったのだろう。

 ところが、英国の人種差別法がらみの文脈は、非常に厳しい。これでもか!というところまでやらないと、納得してもらえない。ある意味異常かもしれないが、今のところ、そうなっている。

*上の記事で、何故有色人種のコラムニストが少ないかについての補足だが、これは、全体的に有色人種(特に西インド諸島、カリブ海系、アフリカ系など)の雇用率、教育程度が白人人種と比較して低いこと、貧困度がより高いなどの社会的要因がまずある。こういった要因があるために、高級ホワイトカラーに就く男性成人のロールモデルが少ない。それと、英国のメディアへの就職は非常に難しく、コネで仕事を見つけたりする、最初はほぼ無給か非常に定額の賃金で働くといった状況があって、なかなか有色人種層に道が開かない。コネというのは、ここでは例えば、「知っている人・友人やその子弟などに仕事を回す」ことだが、もともと白人層が多い仕事の場合、コネだとどうしても自分と同じ社会的層にいる人を引っ張ることになる。こうして悪循環が止まらない。

*ローレンス殺人事件関連の本がいろいろ出ている。以下の2冊は、自分で読んだものだが、もし英語で読むのがいやでなかったら、お勧めしたい。1冊は青年の母親が、もう1冊は友人ブルックスが書いたものだ。「ブクログ」というところで、書評を書いているので、そのアドレスを添付する。

And Still I Rise
http://booklog.jp/users/ginkokoba/archives/2/0571234593

Steve and Me: My Friendship with Stephen Lawrence and the Search for Justice
http://booklog.jp/users/ginkokoba/archives/1/0955268907
by polimediauk | 2012-04-12 17:21 | 英国事情
 朝日新聞の月刊メディア雑誌「Journalism(ジャーナリズム)」3月号に、英国で最も有名な人種問題の1つ、スティーブン・ローレンス殺人事件とメディアに関する原稿を出した。http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13583

 4月号が発売になったので、この原稿をブログに転載したい。長いので、ちょっとした読み物としてご覧いただけると幸いである。

 その前に、4月号で目に付いたことなのだが、この中に、*「プロメテウスの罠」とは何か -異端の集団が紡ぐ新聞の実験*という記事がある。このコラムの取材担当班にいた、依光隆明さんが書いている。「プロメテウスの罠」は、知る人ぞ知るのコラムで、大変人気があると聞いた。淡々とした感じで書いているのが、逆に、熱い感じがする記事である。

 報道機関・メディアが、自分たちの報道を検証・省みる・振り返るプラットフォームを置いておくことは、自己のジャーナリズム水準の維持とともに、読者の信頼感を維持するあるいは取り戻すためにも重要だろうと思う。朝日の「ジャーナリズム」は、ジャーナリズム学校の一環で、この「学校」とは、朝日の記者教育のための社内組織である。しかし、社外の人も参加できる研修も開いているという。

 ネット上ではマスコミに対する批判が相当強い。だからこそ、自己検証ができるプラットフォームの存在の価値があるだろうと思う。


***

黒人青年殺人事件と英メディア ―18年後、白人犯人に有罪判決(上)


 1993年、18歳の黒人青年スティーブン・ローレンスが、人種差別主義者と思われる白人男性ら数人に暴行を受けて、亡くなった。

 青年の死は、人々の人種差別に対する認識、警察の捜査のあり方、メディアの論調、司法体制、政治など、「すべてを変えた」と人種差別撤廃のための公的組織「平等と人権委員会」代表、トレバー・フィリップスは述べている(保守系高級紙「デイリー・テレグラフ」、今年1月4日付)。

 今年1月上旬、事件発生から19年を経て、2人の白人男性が殺人罪で有罪となった。ローレンス事件で容疑者に有罪判決が下ったのはこれが初めてだ。何度となく裁判まで持ち込んだが、いずれも「証拠不十分」とされていた。事件解決のためには、ローレンスの両親や支持者たちが大規模なキャンペーン運動を展開し、大衆紙「デイリー・メール」の大胆な報道も一役買った。

 本稿では、社会にさまざまな変化を引き起こしたローレンス事件でメディアが担った役割を、事件の経緯をたどりながら紹介する。

 その前に英国の移民をめぐる対立について少々説明したい。

 英国に大量の有色人種の移民がやってくるのは第2次世界大戦後まもなくである。

 労働力不足を補うため、政府は旧植民地諸国から多くの若者を移民として呼び寄せた。1962年までは特別なビザを取得しなくても、英連邦の市民として移住することが可能だった。当初、移民規模は年に数千人だったが、1961年には10万人を超えた。その後は移住前に仕事を見つけることなど、さまざまな条件が課せられたが、移民は増え続けた。

 白人が大部分の国に、多くの有色人種が押し寄せ、地元白人住民の一部や警察との対立が暴動に発展することも何度かあった(1958年、ロンドン・ノッティングヒルでの白人住民と西インド諸島出身の黒人住民との対立、2001年にはイングランド北西部オールダムや同北部ブラッドフォードでも衝突事件が発生した)。

―事件はロンドン南東部、白人が90%の町で起きた

 1993年4月22日午後10時半過ぎ。ロンドン南東部エルタムのバス停で、ローレンスは同じく黒人で友人のデュエイン・ブルックスとともに、バスが来るのを待っていた。

 ローレンスの両親はともに西インド諸島・ジャマイカの出身。3人兄弟の長男ローレンスは将来、建築家になることを夢見る青年であった。

 人口約8万人のエルタムは90%近くの住民が白人である。この比率はほかの地域と比較して特に高くはない。90年代前半、「白人至上主義」という落書きが目に付き、有色人種の住民たちは「地元警察が黒人の若者たちの身の安全に注意を払っていない」と感じていたという(BBCニュース、今年1月3日付)。

 ローレンスとブルックスは、なかなかバスがやってこないので、バス停があるウェルホール・ロードから見て左手にあるロチェスター・ウェーに向かって歩きだした。まもなくして、数人の白人青少年のグループに囲まれ、侮辱語である「黒ん坊(nigger)」という言葉を浴びせられた。

 身の危険を感じた2人はあわてて引き返したが、ローレンスはグループにつかまり、数回にわたり殴る蹴るの暴行を受けた後、鋭利な刃物で左肩と右の鎖骨を刺された。15秒ほどのできごとだった。

 グループが逃げた後、ローレンスはしばらくウェルホール・ロードを走ったが、約120メートル進んだところで歩けなくなって倒れこんだ。その後病院に運ばれ、深夜に息を引き取った。

 事件発生から48時間以内に、地元警察は事件にかかわる26の通報を受けた。被疑者の名前を書いた手紙が電話ボックスの中に置かれていたり、警察のパトカーの窓のワイパーに別の手紙が挟まれていたこともあった。ローレンス青年の母親も被疑者と思しき人物の名前を警察に伝えた。

―白人5人が逮捕されたが「証拠不十分」で無罪に

 通報で浮かび上がってきた名前の中に、後に有罪判決を受けるデービッド・ノリス、ギャリー・ドブソンのほかに、ルーク・ナイト、自称「クレイ兄弟」(1950-60年代に悪名を高めたギャング)と名乗る兄ニールと弟ジェイミー・アコートの5人が入っていた。

 警察は被疑者らをすぐには逮捕せず、アコート兄弟の家の外に監視カメラを置くなど、情報を集める行為に集中した。カメラは兄弟の家から何者かがごみ袋として使われる黒いビニールバッグを持ち出している様子や、ジェイミー自身が黒いごみ袋を持って出る様子を撮影したが、警察は袋の中身の確認やジェイミーの追跡を行わなかった。

 5月7日以降、警察は5人を次々と逮捕した。事件の目撃者や通報者の多くは、この事件が白人住民による黒人への攻撃と見て、人種偏見が根にあると考えていたが、警察内ではそうではなく、「あくまで地元のギャングによる暴行」(当時の捜査官の1人)と見ていたという。

 ブルックスの母親やローレンスの母親は、事件にかんするそれぞれの著書の中で、まるで自分たちが犯人であるか、あるいは黒人コミュニティーの中に犯人がいるかのような疑念を警察に向けられたと書いている。

 物的証拠が乏しく、目撃証言はバス停にいた数人と友人ブルックスのみという状態が続いた。

 1996年、ドブソン、ナイト、アコート兄弟の兄ニールを被告(ノリスとジェイミーは不起訴)とする、ローレンス殺害事件の裁判が開始されたが、裁判官は「証拠不十分」とし、3人は無罪となった。

 翌97年、青年の死因審問が始まった。英国では、死亡が暴力行為によるときや不自然と思われる場合は、死因を審査するための審問手続きが取られる。審問は公開が原則で、陪審団を使うこともある。当初の審問は事件の発生年に開始されたが、ローレンス側が新たな証拠が出る可能性を指摘し、中断されていた。

 審問では、アコート兄弟、ナイト、ドブソン、ノリスの5人は黙秘権を使い、自分の名前を聞かれても黙秘を通した。2月、審問の結論は、ローレンスは「5人の白人の若者たちによる、まったくいわれのない人種差別攻撃で」殺害されたというものであった。5人はテレビ番組に出演し、無罪を主張した。

―「殺人者たち」と書いた「デイリー・メール」の決断

 保守系大衆紙「デイリー・メール」は、移民、特に有色人種の英国への流入には否定的な見方を表に出すのが常である。人種、性、宗教の面からの少数派を排斥に向かわせるような、扇情的な記事も多い。

 しかし、「メール」のポール・デーカー編集長の決断が、ローレンス事件解決への道程作りに貢献した。

 ローレンスの父親はデーカー編集長の自宅で左官として働いたことがあったが、デーカー自身は事件発生当初、その記憶がなかった。しかし、ローレンス殺しの犯人がなかなか捕まらないことへの読者の苛立ちや、同紙の犯罪事件記者の「あの5人が犯人だと確信している」という声を耳にし、いつしか5人に対する「怒りが生まれていた」(デイリー・メール紙、1月4日付、以下同)という。

 ローレンスの死因審査の過程で、5人がまともに質問に答えない様子を報道で知ったデーカー編集長は、男性たちの「傲慢さ」に不快感を持った。テレビで死因審査の結果を報道するニュースを見ていたとき、医師が死因を決定するために30分ほどしかかからなかったことや、「いわれのない人種差別攻撃による」非合法の殺人と断定したことを知って、デーカーは一つの決断をした。


 ニュース番組が終わった時、午後8時を回っていた。デーカーはレイアウト用紙手に持ち、鉛筆で「殺人者たち」と書いた(コンピューター画面を使っての紙面製作が今ほどには発達していなかった頃である)。その下に「メール紙はこの男性たちを殺人者と呼ぶ。間違っていたら、訴えればいい」と続けた。

 この見出しは、今後始まるかもしれない裁判で、容疑者を犯人視した報道だとして、法廷侮辱罪に問われる可能性があった。また、5人がメール紙を名誉毀損で訴える可能性もあった。

 編集幹部や社内の法務弁護士と相談の上、デーカーはこの見出しを使うことに決めた。「殺人者」と書かれた大きな見出しの下に、5人の顔写真が並ぶ、後に有名となる1面ができあがった。

 訴えられることの恐れから不眠になることを想定したデーカーは、睡眠薬を服用して床についた。それでも、午前4時ごろ、汗をいっぱいかいて目覚めた。やりすぎたのではないかという不安感があった。

 翌日、メール紙の1面が大きなニュースとなった。高級紙テレグラフはデーカーが法廷侮辱罪で禁固刑を受けるべきと書いた。法曹界からは当初批判も出たが、「よくやった」という声も同時にあがった。

 報道から3日後、メージャー首相がメール紙支持を表明し、当時の法務長官(報道が法廷侮辱にあたるかどうかを決定する)が報道は侮辱罪にはあたらないとする旨をメール紙に伝えた。「殺人者たち」と評された男性たちからの提訴もなかった。

 「推定無罪」という英国司法の原則からすると、デーカー編集長の決断は、容疑者を犯人視したという点で、偏った報道であった。

 「殺人者」とレッテルを貼られた方からすると、まるでリンチのような報道は法廷侮辱とされても仕方のない越権行為だったが、時の政権も法曹界もその意義を認めたことになる。

 メール紙は「殺人者たち」報道の翌日の紙面で、1994年に、警察がドブソンのアパート内の様子を隠し撮りしていた、と報道した。この中で、ドブソンは「パキ(パキスタン住民の蔑称)」、「ニガー」という言葉を何度も使い、黒人の同僚を「ナイフで刺したい」と発言していた。またノリスは黒人の住民に火をつけ、「腕や足を吹き飛ばす」と宣言していた。

ー原因究明のために、内相が調査委員会を発足させる

 当時、野党労働党の「影の内閣」で内相となっていたジャック・ストローは、「殺人者たち」という見出しがついたメール紙の記事に目を留めた1人であった。

 ロンドン警視庁トップから事件の概要についての報告を受けていたものの、ストローは「『これがすべてではないだろう』、と心の底では思っていた」という(BBCラジオ4の番組「ロング・ビュー」、1月17日放送)。

 97年5月、保守党が総選挙で破れ、労働党政権が発足すると、ストローは内相に就任した。同年7月、ストローはBBCなどのテレビのインタビューの中で、有力容疑者を特定しながら立件できないことに対し、「黒人社会ばかりか国民全体に怒りが広がっている」と指摘した。そして、「人種偏見に基づいたこのひどい犯罪」の犯人がなぜ見つけられないのか、その原因を突き止めるために公的な調査会(調査を率いたマクファーソン判事の名をとって、通称「マクファーソン調査会」)を立ち上げた。

 調査会に召喚された5人は、会場の外に集まった写真家につばを吐きかけたり、市民たちに挑発行為として投げキッスを送った。一部の市民が侮蔑を示す行為である、卵を5人に投げつけると、取っ組み合いの喧嘩になった。

 1999年に発表した報告書で、マクファーソン判事は証言をした5人が「傲慢で軽蔑の態度を示したこと」、その証言がまったく用をなさなかったと述べるとともに、警察の捜査を批判した。報告書は、ロンドン警視庁には「組織的な人種差別主義」がある、と結論づけた。

 マクファーソン報告書の提言を生かし、2つの大きな司法上の動きが起きた。

 まず、人種関係修正法(2000年制定、01年施行)によって、警察、地方自治体、中央政府などの公的機関で人種間の平等を促進するための手段を講じることが義務化された。

 また、刑事裁判法(03年制定、05年施行)により、800年の歴史を持つ一事不再理の原則(同一の罪について二度裁かれることを禁止する)が廃止され、新たな証拠が出た場合に、事件の再審理が可能になった。

 これで、1996年に「証拠不十分」などの理由から起訴にいたらなかったドブソンを、再度、裁判にかける可能性が出てきた。

 初期捜査の失敗や人種差別主義を報告書で指摘された警視庁は、新たな捜査チームを結成し、真犯人探しに取り組んだ。

 2000年、10歳の少年が何者かに殺害された事件が迷宮入りとなっていたが、06年、警視庁は最新のDNA鑑定技術を利用することで、犯人2人を突き止めた。

 同様の技術をローレンス事件にも使い、5人組の1人、ドブソンの上着についていた血痕の一部のDNAを調べてみたところ、ローレンスのDNAと合致することを発見した。さらに、同じく5人組の1人、ノリスが事件当時に来ていた衣服から、ローレンスの衣服の繊維が見つかった。

-2010年9月、犯人を再逮捕

 その結果、2010年9月にドブソンとノリスがローレンスの殺害容疑者として再逮捕された。ドブソンは1996年に同容疑で逮捕され、裁判では無罪となっていたが、2011年、控訴院がその無罪を破棄し、再審理を命令していた。

 公判が同年秋に開始され、ドブソンとノリスが殺人罪で有罪となったのは今年1月3日。翌日、死刑がない英国では最も重い量刑となる終身刑が下った。英国で言う「終身刑」とは仮釈放の可能性を含む刑で、通常は裁判官が「最低服役期間」を決定する。今回、ドブソンには15年2ヶ月、ノリスには14年3ヶ月の最低服役期間が科された。犯行当時の1993年、両者は未成年であったため、最低服役期間は成人であった場合と比べて軽いものになっている。

 1993年の殺害事件発生当時、事件は新聞の中面で短く報道されるのが主で、大きな注目は集めなかった。社会の少数派の問題を丹念に追う左派系高級紙インディペンデントも人種差別による事件の1つとして報じただけだった。黒人青少年の傷害・殺害事件は珍しくなかったのである。

 しかし、5月、ローレンスの両親が記者会見を開き、捜査について不満を表明すると、大衆紙「デイリー・エクスプレス」がロンドンでの人種差別をテーマにした連載記事を始めた。また、ロンドンを訪問していた、人種差別撤廃運動の象徴ともいえるネルソン・マンデラ(当時、南アフリカ共和国の政党アフリカ民族会議の議長。後、同国の大統領)が両親と会い、その模様が報道されたことで、大きく人目を引いた。

 ローレンスが亡くなったことを聞き、すぐに両親に連絡を取った団体があった。反人種差別の団体ARAである。 

  ARAの一員マーク・ワズワースは、人種差別による暴力で犠牲者となる黒人住民に対し、大衆紙が無関心である状況を変えたいと思ったという。「『
ローレンスはあなたと同じ人間なんですよ』、というメッセージを白人社会に伝えたかった」。(BBCニュース、1999年2月19日)。

 ロンドンで命を落とす若い黒人少年・少女はローレンス1人ではないが、英国民にとってローレンス事件が特別な存在になった理由を、『スティーブン・ローレンス事件』の著者、ブライアン・カスカートはこう説明した。ローレンスは「どうみてもギャングではなかった」。法律を遵守するまっとうな家庭の出身で、「どんな犯罪行為にも手を染ない、将来の夢を抱く青年だった」。「英国の人口の大部分を占める白人の支配者層は、青年が警察の正当な捜査に値する人物として受け止めた」のだという。

ー18年間で変わったこと、変わらなかったこと

 ローレンスが白人住民からすれば「自分とは関係のない人物」から、「自分、あるいは自分の家族の一員でもあったかもしれない人物」として認識されるようになると、メディアの論調は大きく変わった。

 「デイリー・メール」が「殺人者たち」報道から、犯人を突き止めるためのキャンペーンを続ける一報で、民放チャンネル4は、1998年のクリスマスに、ローレンスの両親に息子の犯人に正義を下すためのメッセージを伝える時間を設けた。翌年、同じく民放のITVがローレンス事件をドラマ化した番組を放映。同年、BBCは法廷でのこれまでの証言を書き取ったものを基にした番組を放映した。

 一方、1990年代末、殺害を否定し続けた白人青年5人は、メディア報道によって犯人視される日々を送った。5人の母親たちはBBCラジオの朝のニュース番組「トゥデー」に出演して無実を訴えるとともに、5人自身もITVのジャーナリストによるインタビューに応じた。後に、5人はITVの番組が自分たちに不利なように編集された、と不満を述べた。

 事件以降、有色人種に対する差別や偏見が消えたわけではない。人種対立から起きる犯罪はまだ多く、2010年には4万件が記録されている。

 警察官による路上の職務質問(自分の身元情報について聞かれる上に、持ち物や衣類を検査される)を受ける人の中で、有色人種の比率が高い(司法省が昨年10月発表した報告書によれば、2010年時点、黒人住民は白人よりも7倍多く、こうした取調べを受けている)ことも問題視されている。

 有色人種に対する職務質問の多さは非白人人口の間に、警察に対する不信感を広める一因になっている。昨年8月にロンドンからイングランド地方各地に暴動が広がったが、そのとっかりとなった事件とは、ロンドン・トッテナム地域で、捜査の対象となった黒人青年を警察官が誤射したことによる。警察に対する不信感を抱く地元民らが、青年の死を追悼するとともに、射殺までの経緯の説明を求めて警察署に多数集ったことがきっかけとなった。

 高級紙の編集者も、有色人種であるというだけで取調べを受けた経験を持つ人が少なくない。

 「タイムズ」紙の編集設計者の1人は、褐色の肌を持つ30歳の自分が「16歳のアジア系少年の犯罪捜査」のために警察官に職務質問を受けたときの体験を書いた(1月5日付、以下同)。警察への強い反感を覚えたという。

 同紙の特集面を担当する黒人女性も「黒人が犯した犯罪」の捜査で、自分が黒人女性であるというばかりに拘束され、路上で検査を受けている。理由も説明されずに身体を検査されるのは不当だと警察官に述べたところ、「逮捕するぞ」といわれたという。高価なブランド品の衣料を売っている店舗では、有色人種であるだけで「潜在的犯罪者」とみなされることに不快感を覚える、と書く。

 同日付「タイムズ」は、ローレンスが攻撃を受けたエルタムでソーシャル・ワーカーとして働くサマンサ・オリバーの話を紹介している。

 ロンドンでナイフ犯罪によって命を落とす青少年の実態は変わっていないが、今は人種差別というよりも「地域のギャング同士の戦い」になっているという。青少年が命を落とすたびに葬式に出かけるオリバーは「あまりにも葬式の数が多すぎて、数えるのをやめた」という。ローレンス事件の前後では、「事件を起こせば、必ず罰を受ける」ことを攻撃する側も知っているのが大きな違いだと語っている。(つづく。次回は英メディアでの有色人種の雇用)
by polimediauk | 2012-04-11 18:13 | 英国事情
(「オープン化」については、このところ、少々考えが変わったところがあって、続きは稿を改めたいと思う。)

 ニューヨーク・タイムズを読んでいたら、何でもネット上に記録・保管できるサービスを提供するEvernoteの社長のインタビューが載っていた。

http://www.nytimes.com/2012/04/08/business/phil-libin-of-evernote-on-its-unusual-corporate-culture.html?_r=1&ref=adambryant

 普通の会社ではお目にかかれない、様々な斬新なビジネスアイデアを実行しているのが、フィル・リビン社長。

 まず、もともとリビン氏はエンジニアであったので、当初、ある程度少人数でやる気いっぱいのエンジニアたちを統括するという意味ではうまく行っていたのだが、そのうち、会社が大きくなると、様々な人がいて、それぞれの動機付けを考えたり、調整のための政治力が必要とされるようになった。リビン氏は、自分がマネージャーとしては力が足りないことを知った。今は160人ぐらいスタッフがいるそうだが、管理スキルに長けたスタッフを持つことで、うまく行っているようだ。

 社内の雰囲気は限りなくフラットだそうだ。例えば、それぞれの従業員には特定のオフィス・スペースがなくて(おそらく、固定デスクがないという意味だろう)、お給料は上下がもちろんあるのだけれども、上司だからと言ってよい椅子に座れるとかそういうのがない。いかに「効率的に、本来の仕事に取り組めるか」を意思決定や評価のベースにおいている。

 その1つのやり方として驚くのが「社内の電話をなくした」こと。みんな携帯を持っているし(電話代の基本料金は会社が負担しているようだ)、営業の会社ではないので、電話を使って外部と長々と話をする必要はないからだ。電話で話す暇があったら、仕事に熱中するべきなのだ。電話をかけたかったら、机から離れて、会話をする人が多いという。

 そして、長いメールも駄目。要点を書くことが奨励され、長いメールに書くような案件があるのだったら、歩いてその人のところまで行って話す方がいい、と社長はいう。

 エバーノート内の業務をスタッフ全員が知ることを目的として、「エバーノート・オフィス・トレーニング」というのをやっている。これは、普段の自分の職場から離れ、ほかの部署に行って何をしているのかを学ぶ方法。そうすることで、社内の業務全体を知り、他部署の会議に出る中で、質問をしたり、新鮮なアドバイスが出せる。受け入れたほうの部署の人は、外からやってきた人からいい意味で刺激を受ける、と。

 驚きはここで終わらない。まず、休暇が無期限なのだ。自分で判断して長さを決めなさい、と。仕事をこなすことが大事で、社員は「大人なのだから」、まるで罰のように会社にいさせるということはしない、と。

 しかし、休暇の長さを自由裁量にすべてしてしまうと、かえって社員が休暇を取らないようになるのでは、と社長は心配した。そこで、休暇をとる際には、すくなくとも1週間は連続してとるようにしてもらい、そうした場合には(1週間以上の連続休暇をとる場合)、1000ドル(8万円ぐらい)のおこづかいをあげることにしたそうだ。それで非常にうまく行くようになった、と。

 もう1つ、驚くことを挙げれば、自分が社内にいないとき、「エニーボット」というロボットを使っていること。この記事にはこのロボットの写真はついていないのだけれども、画面がついていて、2つの車輪付き、高さは6フィートというから、箱のようなものかもしれない。その画面を通じて、社員は社長の顔を見れるし、ロボットに付いたカメラや聴音装置で、社長は社内の様子を見たり、社員と会話を交わすことができるというのだ。

 こういうロボットは、前にもテレビで見たことがあって(エバーノートの会社だったのかもしれないが)、珍しくはないのかもしれないが、なんだかなあ・・・と思う。これは、スカイプやテレビ電話の1つの形態とも考えられるけれどもー。(遠く離れた支社同士で働く社員に帰属感を持たせるために、社内に大きな「画面」を置いておく、という話もあった。私は小説「1984年」のビッグブラザーを想像してしまったが。)

 ここまで説明してきて、テクノロジー関連の企業に働く人からすれば、何も驚くことがない・・・と感じる人もいるのかもしれないと思う。

 経営スタイルも含め、すごいことになっているなあ、でも、これがーーグーグルも特別なめがねを発表したことだしーー、少なくともテクノロジー関係の会社では普通になっていくのかなあと漠然と思うわけである。
by polimediauk | 2012-04-09 17:34 | ネット業界