小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

<   2012年 07月 ( 16 )   > この月の画像一覧

 五輪と情報発信が簡易なツール、ツイッターが絡んだトピックが、最近、話題をさらった。

 まず、ツイッターの送信数が多すぎて、競技に支障が出たという話。

五輪ツイート多過ぎで障害、「緊急時限定」の呼びかけも
http://www.cnn.co.jp/tech/35019822.html

(一部引用)
 問題が起きたのは28日に行われた自転車男子ロードレース。GPS(全地球測位システム)と通信システムに障害が発生し、選手間の距離が判定できなかったとされる。

 国際オリンピック委員会(IOC)広報のマーク・アダムズ氏は英紙ガーディアンの取材に対し、原因はツイッターや携帯メールが過剰に使われたことにあるとの見方を示した。五輪の映像を各国のテレビ局に配信するオリンピック放送機構(OBS)は、ネットワークの問題を解決するため負荷分散に努めているという。

 アダムズ氏は「ソーシャルメディアの利用をやめさせたいわけではない。ただ、送信は緊急時のみとするよう配慮してもらえればと思う」とも付け加えた。

 一方、IOCの別の広報担当者はCNNに宛てたメールで、ネットワークの障害により一部のデータが放送局に配信できなかったと説明。ただ、記録の計測や競技結果に影響が出ることはなく、29日の自転車女子ロードレースまでに問題は解決されたとしている。観客に対しソーシャルメディアの利用を控えるよう呼びかけたとの情報については「事実とは思えない」と話した。(引用終わり)


 もうひとつは、英インディペンデント紙の米ロス支局員ガイ・アダムスのツイートの件だ。米NBCの五輪放送責任者ガリー・ゼンケルの電子メールアドレス(局の公式アドレス)に抗議のメールを送ろうとツイッターで呼びかけ、ツイッター社がアダムスのアカウントを使えなくしたという。

 アダムスは、ツイートの中で、ロンドン五輪の開会式の生放送が、米国の西海岸ではすぐには放映されず、6時間後の放映となったことに問題を呈した。

 以下のようなツイートを流したという。

"America's left coast forced to watch Olympic ceremony on SIX HOUR time delay. Disgusting money-grabbing by @NBColympics." (米国の左岸地域は五輪開会式を6時間もの遅延のあとで視聴を余儀なくされた。@NBColympicsは最低、強欲)

"I have 1000 channels on my TV. Not one will be showing the Olympics opening ceremony live. Because NBC are utter, utter bastards."(私のテレビは100ものチャンネルがある。どれも開会式を生放送していない。それはNBCが本当に、完璧にろくでなしだからだ)

 NBCは米国での五輪公式放送局となっており、高額の放送権料も払っている。西海岸でゴ-ルデンタイムとなる時間に流せば(たとえ生放送の時間よりはかなりずれても)、広告などでお金をがっぽり稼げる・・というのが、アダムスがNBCを「強欲」と呼ぶ理由のようだ。

 ツイッター社は、他者の個人および秘密の情報を流すことを禁じる規約に違反したとして、アダムスのアカウントを使用停止にした(ガーディアン報道)。

 NBCはアダムスの一連のツイートについてツイッター社から連絡を受け、停止を求める依頼をツイッター社に行い、これが受け入れられた、という経過だったようだ。

 アダムスのページの最新コラムを見ると、「ツイッターアカウントをまた使いたい」とあるが、読者のコメントには、「ツイッターなんかに戻るな」という声も。

 ガイ・アダムスのページ
http://www.independent.co.uk/biography/guy-adams-6255066.html

c0016826_1955741.jpg
 米ジャーナリスト、ダン・ギルモアは、ツイッターとNBCが五輪ビジネスで提携関係にあることが、今回のアカウント使用停止と関係があるかもという疑念を指摘している。

If Twitter doesn't reinstate Guy Adams, it's a defining moment
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/jul/30/twitter-suspends-guy-adams-independent?intcmp=239

 この一件、後日談がまだまだ続きそうである。

 ひとつだけ、日本との比較で思ったこと。英国の場合、アダムスの所属先インディペンデント紙はアダムス支持で動いている。日本だったら、謝罪、およびトカゲの尻尾きり状態になるかもなあと思ったりした。

Twitter suspends British journalist critical of NBC's Olympics coverage http://www.guardian.co.uk/technology/2012/jul/30/twitter-suspends-guy-adams-account-nbc
Twitter urged to explain ban on British journalist over NBC Olympic tweets http://www.guardian.co.uk/technology/2012/jul/31/twitter-urged-explain-suspension-journalist?intcmp=239


(ちなみに、別人の話だが、CNNジャパンは「アダムズ」を使っているが、私はインディペンデント記者の話で「アダムス」としてみた。どう聞こえるかによるのだが。)

 追加:後、記者のアカウントは利用可能になりました。
ツイッター社は謝罪。

 http://www.guardian.co.uk/technology/2012/jul/31/guy-adams-twitter-growing-pains
by polimediauk | 2012-07-31 18:56 | ロンドン
 少し報告が遅くなったが、27日(金)の午後、ロンドン・ウオータールー駅の構内にいたら、なんだかやたらと、アイスクリームをなめている人が多いことに気づいた。

c0016826_18313621.jpg


 あれ?と思ってみていたら、ロンドン市が用意した「情報ボックス」(適当に名前をつけたのだが、五輪観戦などでロンドンを訪れている人、あるいはほかの理由でロンドンに来た人のために、ボランティアを使って、市内の情報を広めるための拠点が設置されている)が構内にあった。ボランティアたちは「チームロンドン・アンバセダー(大使)」と名づけられているようだ。

c0016826_18354735.jpg
 

 そこで、通りかかった人にアイスクリームを配っていたのだった。これは毎日ではなくて、この日は夜に開会式が予定されていたため、あくまでも「初日だから」というサービスであったようだ。お祭り気分を盛り上げる、とてもよいサービスだと思った。私はウオータールー駅を中心にして、歩くことを想定した地図をもらった。このウオーキング用地図はこの駅ばかりでなく、いくつかのほかの駅(例えばビクトリア駅)からのものも発行されている。

 ちなみに、ロンドン市がウオーキングを勧めているのは単に親切さとかそいういうことよりも、公共の交通機関の混雑を避けるためだ。何しろ、これが一番の悩みなのだ。ただえさえ、サービスがあまりよくないという評判なので、これを悪化させてはいけないと必死である。タクシーは排気ガスが出るし、道が混雑してしまう。だから車はなるべく使わないようにしてもらって、かつ、混雑しそうな時間にはオリンピックパークに近い駅の利用をなるべく避けることが提唱されている。
by polimediauk | 2012-07-29 18:38 | ロンドン
c0016826_17413619.jpg
 五輪開会式後の初日、英国では自転車ロードレースで自国選手マーク・カベンディッシュが金メダルを逃し、失望感が出た。

 このとき、レース全体の様子が十分には放映されなかったようで、BBCに苦情が殺到したようだ。しかし、BBCによれば(サンデー・タイムズ紙、29日付)、映像は国際オリンピック委員会(IOC)が撮影したものなので、BBCとしてもほかにやりようがなかったということであった。

 いまひとつ、問題になっているのが、カメラが競技の会場を映し出すとき、場所によっては空席が目立ってしまったこと。チケットはほぼ売り切れで、観たい人がたくさんいるのに、「これはいったい何事か」と。どうも、まとまった空席はスポンサーやIOC関係者に配られていたものらしい。ラジオで昨晩ちらっと聞いたところでは、ハント文化・メディア・スポーツ大臣も、誰がこうしたチケットを買って会場に姿を見せなかったのか、名前を出すことも考えているとか。まったくもって、残念なことである。

 テレビ放送はどうなっているかというと、まず、BBC1(日本で言うと、NHKのチャンネル1)がオリンピックの専門局となっている。一日中、オリンピックを放送。普段BBC1で放送されている番組はBBC2に移動したり。ただし、定時のニュースがあったりした場合は、BBC2でオリンピック放送。BBC3もオリンピック専門。ニュース専門局BBCニュースも、実際にはオリンピック中心で、時々、「スポーツハイライト」として、オリンピックのまとめが入る。

 それと、ここが驚くのだが、BBCは、「すべての競技を放送する」をモットーにしている。そこで、上のBBC1とかBBC3のほかに、24のオリンピック専門チャンネルを作ったのである。

 ケーブル放送のバージンメディア、衛星放送スカイのサービス、およびフリーサットの契約者になっている場合(合計で、契約者は少なくみても1300-1400万家庭を超える)、テレビをつけると、24の新たなチャンネルができたことになった。「オリンピック1、オリンピック2・・・・オリンピック24」など。

 ほかにも、セットトップボックスを使うフリービューというサービスがあるが、これと、それからBTビジョンというサービスに契約している場合は、2つの新しいチャンネル(301と302)ができており、これを観れば、ハイライトが放映される。

 そして、「もし」こうしたサービスの契約者になっていなくても、ネットがあれば、BBCのスポーツサイトで、http://www.bbc.co.uk/sport/0/ 現在・過去の競技が見れる。

 ラジオはBBCラジオ・ファイブ、BBCファイブ・ライブオリンピックスエキストラ、BBCファイブ・スポーツエキストラなどで聞ける。

 チケットがなくても、戸外で開催されるロードレース競技の沿道に立つか、ハイドパークなどビックスクリーンのある場所でわいわい言いながら応援できる。パブなどもスクリーンを用意している。

「今、起きていることを」「すぐに」「無料で」「過去情報も含めて」、「どんなデバイスでも」視聴できるーこれが2012年現在の特徴だ。

 「もし」東京にオリンピックが招致されたら、きっと、これをしのぐマルチチャンネル化になっているのだろうなー。

 

 
by polimediauk | 2012-07-29 17:41 | ロンドン
 27日夜、いよいよ五輪の開会式が行われた。待ちに待ったという感じである。

 4年前の北京オリンピック開会式は、その派手さ、豪華さで人々をあっと言わせた。いったい、ロンドンはどうするのか?規模の大きさで勝てないなら(そんなお金はない)、何で勝負するのだろうか?

 そこで起用されたのが映画監督のダニー・ボイル(「スラムドッグ$ミリオネア」など)であった。

 その前にまず、開会式の冒頭の紹介だ。この間ツール・ド・フランスで優勝したばかりの英ブラッドリー・ウィギンス選手(スカイチーム所属)が出てきたのだ。開会の合図となる「オリンピック・ベル」を鳴らしたそうだが、この部分、見逃してしまったので、以下は時事通信の記事の引用である。
 
 ロンドン五輪の開会式は、荘厳な鐘の響きで幕を開けた。先の世界最高峰自転車ロードレース、ツール・ド・フランスで英国勢初優勝の快挙を果たしたブラッドリー・ウィギンズが、万雷の拍手で迎えられ、巨大な鐘をゴンと鳴らした。

 ウィギンズは今回が4大会連続の五輪。過去に金3個を含む6個のメダルを獲得している。ツール・ド・フランス優勝で地元英国の新たな英雄となった旬のスポーツマンが、開会に花を添えた。

 この「オリンピック・ベル」は世界最大。英国会議事堂時計塔の大時計ビッグベンの鐘、米ペンシルベニア州にある自由の鐘を鋳造した由緒ある会社が手掛けた。今後200年間、五輪公園に残される予定で、スタジアムで繰り広げられるさまざまなスポーツシーンを見届けることになる。(引用終わり)


 さて、ボイル演出の開会式のテーマは「驚きの島」(Isles of wonder)、つまりは英国である(英国はいくつかの島が集まって形成されている)。

 そこで、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、イングランドの各地方で子供たちが歌う様子を集め、「英国=驚きの島」という様子を表現して見せた。

 その後は、スタジアムの中央部に用意されたのが、広がる田園風景。いかにも、「イングランド地方の田園」という感じで、緑がいっぱいだ。そこで生活する人々もたくさんいる。

 ・・と思ったら、今度は、俳優ケネス・ブラナーが演じる、グレート・ウェスタン鉄道の施設や車両を設計した技術者イザムバード・キングダム・ブルネル(ブラナーはシェイクスピア作「テンペスト」から一節を読んだ)や産業資本家たちが現れて、世界に先駆けて産業革命を起こした英国の姿を描いてみせた。工場の大きな煙突に相当するオブジェが立ってゆく。

 「そうか、英国は『歴史』でやることにしたのか」-と私は見ていて思った。

 開会式の内容は直前まで秘密だったので、世界で見ている人にいったいどれだけアピールがあるのだろうなあとも、ふと思った。

 この煙突が次第に熱い炎の輪になって、最後には五輪を作ってゆくーこうなるともう、歴史も何も分からなくても、「すごい!」と感動してしまう。

 この後、戦後の福祉体制の要となった、健康保健サービス(NHS)をテーマにした場面があり、看護婦さんと子供がいっぱい出てくる。この看護婦さんのエピソードやNHSの意味(原資は税金だが、貧富の差に限らず国民全員が無料で医療を受けられる)がどれだけユニバーサルに伝わるのかなあとやや思ったことは確かだが、英国内ではこの点も含め、支持を得たようだ。

 途中、見世物=ショーとして面白いことは面白いのだけれども、ちょっと長くないかなあと思いながらも見ていたが(1時間半ぐらいだったそうである)、とても分かりやすく、かつ非常に面白かった場面が2つ。

 1つは、BBCが作った短編映画で、ジェームズ・ボンド役を演じた俳優がバッキンガム宮殿を訪れ、エリザベス女王を迎えに行くところ。部屋に入ると、本物の女王がいて、「こんばんは、ボンドさん」などという(女王がドラマに出て『演技』するとは、最初で最後かも??)。二人でヘリに乗って(ただし、実際には女王は同乗はしていないと思うが)、スタジアムまで飛ぶ。そして、実際に、女王が会場から出てくる場面につながる。とてもうまくできていた。

 もうひとつは、「ミスター・ビーン」などで知られる俳優ローワン・アトキンソンがビーンらしき男性として登場。楽器を操り、映画「炎のランナー」をパロディー化したものに「出演」する。会場が笑いに包まれた。

 このいわば「前半」ともいう部分の終わりに、コンピューターを操る一人の男が出た。ティモシー・ジョン・バーナーズ=リーだ。WWW,つまりはワルドワイドウェブを考案した人物だ。世界に先駆けたアイデアを出した人物が英国人であったというのが、英国のイメージをアピールするには最高に格好いい感じであった。

 順番が前後になったが、途中には、メアリー・ポピンズに扮した女性たちや、ハリーポッターシリーズのJKローリングが出る場面もあった。映画「エクソシスト」で使われていた、チューブラーベルズという曲も、作曲したマイク・オールドフィールド自身が演奏した。以上、主として記憶を元にして書いてみた(気づいたことがあったら、更新します)。

 もろもろあったショーが終わり、次に、選手入場となったが、ここまでが結構長かった。3人のニュースキャスターが番組の声を担当していたのだが、「ここが一番見たかったんですよね」という声が続いた。やっぱりなあ、と。何時ごろ日本が出るのかなあ(日本についての説明はあまり長くなかった)と思いながら、どきどきしながら見た。

 最後の英国で、旗を持った選手はずっと涙目のようであった。感動と興奮でそうなっているのだろう。バックに流れていた曲は、デビッド・ボウイの「ヒーローズ」であった。

 ここで感動したと思っていたら、さらなる、もっと大きな見せ場が待っていた。

 その1つは、国際オリンピック委員会会長ジャック・ロゲ氏のスピーチである。ロゲ氏は、どこの都市で開催されても、喜んでもらえるようなことを言っているのだろうと思うけれども、今回も、やはりうれしいことを言ってくれた。

 まず、「参加してくれた何千人ものボランティアたちに感謝します」と言うと、会場内のボランティアたちを中心に、大きな歓声と拍手が沸き起こった。会長はしばしスピーチを中断せざるを得なくなった。

 また、「どのチームにも女性が入った。これは初めてである」というくだりにも大きな拍手。

 「ある意味では、オリンピックは(ロンドンに来て)ふるさとに戻ったという感じもあります。英国は近代スポーツを生み出した国だからです。スポーツマンシップとフェアプレイが、明確なルールの形で決定された国です。学校の教育課程にスポーツを入れた国でもあります」

 「英国のスポーツに対するアプローチは、クーベルタン卿が19世紀末、近代オリンピック運動を開始するために大きな影響を与えました」――ここまで言われたら、英国に住む人は誰しもが感動してしまう。

 「フェアプレイとフレンドシップを忘れずに戦ってください」「メダルよりも品性のほうが重要ですよ」「ドーピングは拒否しなさい。対抗相手を尊敬しなさい。自分たちがロールモデルであることを忘れないでください」-一つ一つの言葉が響いてきた。

 しかし、最大の感動はまだ最後に残されていた。最後、全国を回ってきた、聖火がスタジアムに届けられた。その聖火を10代の少年少女数人が地上に置かれた銅製の「花びら」のようなものに、それぞれ点火した。

c0016826_18501739.jpg
 

 最初は、丸い輪状態だったのだが,火が円周を一回りすると、次第に「火の花」状態になり、さらに見ていると、なんと、これが筒状に立ち上がってゆく。最後は、これまでに私たちがよく目にしたように、アイスクリームのコーンのような形になって、アイスクリームがのる部分が炎になって聖火台に変身したのである。その後は大花火大会。発想がユニークな上に、見た目もよい。英国のクリエイティビティの表出でもあった。

(英国でしか見れないかもしれないが、とりあえず、アドレスをあげておく。)
http://www.bbc.co.uk/news/uk-19024254

 最後の締めは、ポール・マッカートニーの「ヘイジュード」であった。

 翌日の新聞はどこも絶賛であった。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-19025686

 タイムズ「傑作」

 テレグラフ「すばらしい、息を呑むような、羽目をはずした、完全に英国的な」開会式

 アンドリュー・ギリガン(テレグラフ):「一部はすばらしかった、あまりよくないところもあったし、大部分は外国の視聴者には意味が不明だったのではないか」

 サン「マジックのようだった」
by polimediauk | 2012-07-28 18:52 | ロンドン
 BLOGOSさんに、ロンドン五輪開催直前の雰囲気をリポートしている。もしよかったら、ご覧ください。

 ロンドン五輪、開幕直前 -へまを想定しながらも、静かに盛り上がりつつある英国
  http://blogos.com/article/43843/

 ***

 先日、前にこのブログでも紹介したことがある、市民参加型ニュースサイト「BLOTTR」で面白い写真を見た。ある衣料店(正装用コスチュームを販売およびレンタル)のウインドウにあった、ロンドン五輪を示す文字であった。

c0016826_2329988.jpg


 でもよく見ると、つづりが間違っている!特に、オリンピックOlympics をOimplycsとやっているため、後者の発音が「オインプリックス」などになる。この「オイン」という言葉の響きだが、つづりは違うが「oink」(豚の鳴き声、ブーブーなど)という言葉の響きにも似てくるし、失笑してまった。

 しかし、である。

 このショーウインドウ、どっかで見たことがあるなあと思ったら、私が時々使うバス停前にある店舗のものだった。昨晩、このバス停付近を歩いていて、発見したのである。

 じっと見ていたら、下に白い紙が貼られていた。中には、「ロンドン2012」も、「オリンピック」も「ロンドン・ゲームズ」(ロンドン競技、ロンドン大会の意味)も、使っていけないことになっている、だからこういう表記にしてみた、と書いてあった。

 
c0016826_23315172.jpg

 なんと、わざと間違ったつづりで書いているのだった。

 なぜ普通に「ロンドン2012」という表記を使ってはいけないかというと、もしそうすれば、27日から始まる五輪大会とビジネス上の提携関係にあるという意味になってしまうからだ。

 ロンドン五輪競技およびパラリンピック競技法(2006年)と五輪の象徴(保護)法(1995年)の下、限られた数の公式スポンサー(マクドナルド、コカコーラなど)のみがこうしたロゴの使用可なのだ。それ以外のビジネスが使った場合、違法となる。ケーキ屋も五輪競技をほうふつさせるような5つの輪を飾りにして作ってはいけない、と言われてきた。

 BBCの参考記事によれば、使用に制限がかかる言葉はグループAとグループBに分かれている。Aグループから2つ、あるいはAから1つ、Bから1つで合計2つの言葉を使用した場合、五輪のスポンサーシップの規則に違反したことになるという。

Protected words

Use of two words in Group A, or one word in Group A and one in Group B, could see you falling foul of Olympics sponsorship rules:

Group A
•Games
•Two Thousand and Twelve
•2012
•Twenty-Twelve

Group B
•London
•Medals
•Sponsors
•Summer
•Gold
•Silver
•Bronze

 こうした縛りについて、行過ぎた官僚主義と考える人は多い。

 「ロゴ使用禁止」の縛りに対し、故意に違うつづりを使って抵抗した衣料店に反骨スピリットを感じた。

参考
London 2012: The great Olympics sponsorship bandwagon
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-18182541
by polimediauk | 2012-07-26 23:30 | ロンドン
c0016826_22495636.jpg


 来週金曜日の27日、英国ではロンドン五輪開会を祝うイベントが一斉に始まる。

 運営委員会が送ってきた資料によれば、まず、午前8時過ぎから3分間にわたり、国内の鐘(教会などにある大きな鐘や自分が手に持つ鐘でもよいらしい)が鳴り響く。音頭を取るのは、斬新な芸術作品に贈られる「ターナー賞」の2001年の受賞者で、奇術師のマーティン・クリードだ(上の写真の真ん中の男性、クレジット:Chris Watt)。

 その後は、海軍、陸軍、ナショナル・トラスト、国立劇場、国教会、アーツ・カウンシル、外務省、国立サッカー博物館、ロンドン市長のオフィスなどなど、たくさんの団体がさまざまなイベントを国内各地で催す。その模様はBBCで放映され、約1000万人がテレビやラジオで視聴する見込みだ。

 先の「鐘」だが、何でもよいそうだ。自転車のベルでもいいし、ドアの呼び鈴でもいい、と。誰もが簡単に参加できる。よっぽど人気のないところにいて、テレビもラジオもつけていない人を除けば、英国にいるかぎり、鐘のキンコン、カンコン(あるいはチリン、チリン?)といった音が聞こえてしまいそうだ。

 5月に開始され、国内のほとんどを回ってきた聖火リレーは、この日、最終日を迎える。27日の朝、まず、かつてヘンリー8世が根城にしていた、ハンプトン・コート宮殿から出発し、ここで有名な「メーズ」(=「迷路」)を通り抜ける。エリザベス女王の特別船「グロリアーナ」号に設置された儀式用聖火台に火をともした後、数人の走者が聖火をタワー・ブリッジまで運ぶ。この橋に五輪競技を示す5つの輪が備え付けられているのを、見た方もいらっしゃるだろう。

 その後、聖火は夜の開会式が始まるまで、ロンドン市長舎に置かれている。(昨日のイブニング・スタンダード紙によれば、地下鉄にも運び込まれる、と書いてあったが、どうだろう。どの駅になるかは極秘だ。)

c0016826_22514499.jpg
 
 午後9時ごろから、映画監督ダニー・ボイル(「スラムドッグ$ミリオネア」など)が演出する開会式典が始まる。テーマは「驚きの島」(Isles of wonder)である。イングランド地方の田園風景をイメージしているようだ。(上の写真はそのミニチュア・モデル。クレジット:LOCOG)

 式典の様子はテレビで放映されるが、同時に、ロンドン各地やそのほか国内のあちこちに設置された、「ライブ・サイト」という大きな画面でも見れるようになっている。(場所の情報は:http://www.london2012.com/join-in/live-sites/)

 サンデー・タイムズ紙は、ポール・マッカートニーが式典の最後にビートルズ時代のヒット曲「ヘイ・ジュード」を歌うと伝えている。

 同じ夜、「オープニング・ナイト・イン」と名づけられたパーティーが、各地で行われる予定だ。

 2008年の北京五輪のような、度肝を抜くようなでかさや豪勢さは期待できないだろうが、多くのシニカルな英国人たちも、この日ばかりは飲み物を片手にどこかの画面の前に(あるいは式典会場に)集まりそうだ。

 これまで、運営者側のさまざまな不手際が報道されてきたが、お祭り気分に浸る時がすぐそこまで来た。
by polimediauk | 2012-07-20 22:51 | ロンドン
 前回、ロンドンが五輪夏季大会を開催したのは1948年であった。

 1936年のベルリン大会の次の大会で、第2次大戦後初の大会となる。1940年(当初東京で開催予定)、1944年(ロンドンで開催予定)の両大会が大戦前後の国際関係の緊張化により実現しなかった。

 「緊縮財政の五輪」と呼ばれたが、これは大戦で国の財務状態が悪化し、お金がない状態で開催されたからだ。競技場や関連施設は既に建築されていたものを再利用するか改装は最低限とされ、選手村も設置されなかった。外国の選手は軍用基地や大学の寮などに宿泊するように言われた。メダル獲得の最高は84個の米国で、英国は23個で12位だった。

ー大会のハイライト

c0016826_1525894.jpg
①1万メートル競走 奇妙な走り方をする選手

 31人の選手が走行を開始したとき、チェコスロバキアを代表するエミール・ザトペックに注目した人は多くなかった。

 「人間機関車」との異名を持つザトペックは26歳の陸軍将校で、軍用ブーツを履いて、歩きと走りを交互に行う訓練を続けた。妻を背負いながらの走行も練習したという説もある。400メートルを早く走り、100メートルをゆっくり走るという奇妙な走行を行ったザトペクは次第に聴衆の関心を引き、競技が進むにつれて、「ザトペック」という応援の声が競技場全体に沸き起こった。後半の4000メートルでほかの選手を全て抜き、12秒早い世界新記録を作って、ゴールした。第2位の選手とザトペックはゴールの歓喜に互いを抱き合った。数日後には5000メートルで銅メダルを獲得。

 「戦争の暗い日々の後で、五輪の再開はまるで太陽がまた姿を見せたようだ」とザトペックは語っていたという。
 
②スポーツと女性たち ―「空を飛ぶ主婦」

 女性選手の比率は全体の10%ほどであったが、本大会のスターとなったのがオランダ代表のフランシナ・ブランカース=クン選手であった。元陸上競技選手ヤン・ブランカース=クンと1940年に結婚し、ロンドン大会では女子200メートル、女子100メートル、女子ハードル、女子リレーで金メダルを獲得した。当時、女性選手が参加できる競技は最大で4つであった。欧州選手権やオランダ選手権でも優れた成績を残し、1955年の引退まで、12回の世界記録を樹立した。金メダルを祝うため、在英のオランダ人学生たちは選手のためにダンスを披露した。当時は女性に対する偏見が濃厚であった。

 妻や母でありながら選手を続けるブランカース=クンに「空飛ぶ主婦」というニックネームがついた。現役引退後はオランダ代表の指導にあたった。2004年、没。

③体操競技で圧倒したフィンランド選手たち

 個人としては最多のメダルを受賞したのがフィンランドの体操選手ベイッコ・フーテネン。3つの金メダルに加え、銀と銅を1つずつ獲得した。フィンランド選手団が五輪に参加し出したのは、1908年のロンドン大会から。当時はフィンランド大公国と呼ばれ、ロシア皇帝が同君連合の形で支配下に置いていた。

 本大会で圧倒的な強さを見せたのがフィンランド選手で、あんま種目ではトップの3人全員がフィランド人であった。得点数が同点になったため、フーテネンはほかの同国人選手2人と金メダルを分け合った。

 その後、フーテネンは国内競技ではロンドン五輪のような好成績を残せず、1952年のヘルシンキ大会の代表チームに選出されたなかったことを機に引退した。後、体操競技のレフリーとなった。

④マラソン 最後のドラマ

 マラソンの最終走行で、聴衆の心を大きく掴んだのが、ベルギー人選手のエティエンヌ・ガイイであった。第2次大戦で落下傘兵であったガイイは、戦前からロンドンの陸上クラブで走るランナーでもあった。

 ロンドン大会はイイにとって初のマラソン競技だった。当初からスピードを上げ、2番手を大きく引き離したガイイは、ウェンブリー・スタジアムにトップで入ってきた。相当の疲労感を見せながら走るガイイに聴衆は歓声を送ったが、アルゼンチン選手に追い越され、倒れてしまったところで、英国代表トム・リチャーズにも抜かれた。極度の疲労とともに3番手でゴールインしたガイイに観客はスタンディング・オベーションで迎えた。スタジアムから病院に運ばれたガイイは、表彰式に出席することができなかった。

⑤サッカー 開催国の負け

 先の五輪であるベルリン大会(1936年)からロンドン大会開催までの12年間で、サッカーはプロフェッショナルなスポーツとして大きく成長していた。

 1908年のロンドン大会で正式な競技となっていたが、当時の五輪はアマチュア選手だけに参加資格を認めていた。五輪憲章からアマチュア規定が削除されたのは1970年代で、国際オリンピック委員会がプロ参加を容認したのは1980年代である。

 本大会の優勝は、決戦でユーゴスラビアのチームに3対1で勝ったスウェーデンだ。5対3で英国チームを破って銅メダルを獲得したのは、英クラブの1つ、マンチェスター・ユナイテッドを指導していたマット・バズビーが鍛えたデンマーク代表。最多ゴール数を誇ったのはスウェーデンとデンマークの選手だった。

(参考:London Olympics 1908 and 1948 by Janie Hampton、BBC、英新聞各紙。「英国ニュース・ダイジェスト」1360号掲載分に補足。)
by polimediauk | 2012-07-20 14:54 | ロンドン
 1896年に始まった近代オリンピックで、第4回目(1908年)と第12回目(1948年)の開催地となったのがロンドンだ。

 前者はローマが開催を返上したためロンドンとなり、後者は第2次世界大戦で中止あるいは延期されていた大会が実現したもの。「困った時のロンドン頼み」で主催地となった経緯が共通している。英国は、過去116年間、継続して選手を送ってきた国でもある。

 果たしてどんな大会になったのか、過去の大会の様子を振り返ってみたい。(「英国ニュース・ダイジェスト」1360号掲載分に補足。)

―1908年大会総括

 1906年、イタリアのベスビオ山が噴火し、当初開催予定となっていたローマが開催を返上。これを引き取ったのがロンドンであった。

 英国と国力を増大させていた米国とが互いをライバル視し、関係が険悪化した。これを納めるために米選手団に随行中の司教が「重要なのは勝利することよりも参加したこと」と説教を行った。近代五輪の創始者クーベルタン卿がこれを五輪精神として広めていったという。

 この大会でマラソンの走行距離が42・195キロメートルに設定されている。メダル獲得の最高は英国(146)で、2位は米国(47)だった。

―大会のハイライト

①「ドランドの悲劇」を見せた伊走者

 マラソン競技で、コース最終地点であった競技場に最初に到達したのがイタリア人選手ドランド・ピエトリであった。

 暑さと疲労で数回にわたって倒れ、係員に抱えられながらゴールしたピエトリ選手が勝者とされたが、米国がこれに抗議。ピエトリ選手の勝利は取り消され、ジョニー・ヘイズ米選手が金メダルを獲得した。ヘイズはテーブルに乗せられ、競技場を練り歩いたが、聴衆はヘイズを勝者とは認めなかったという。米国と主催国英国との関係はこれもあって悪化した。

 クーベルタン卿が五輪は「参加することに意義がある」という主旨の米司教の説話を友人たちに繰り返したという。

 閉会式にピエトリが登場すると聴衆は大きな歓声をあげ、アレクサンドル王妃が特製のゴールド・カップを授けた。米国関係者の反英感情はますます強くなってしまった。

②綱引き 英国に負けた米国チーム

 米国チームにはなじみのない競技で、突き出た釘などがついた靴の使用は規則で禁じられていた。そこで米チームは普通の靴を履いて参加した。

 英国のチームは北部リバプールの警察官たちで構成され、警察官が履く、ごつく、重い靴を使用した。まるで子供対大人の競技のように、あっという間に結果が出た。英チームの圧倒的勝利である。

 米側は英側の靴が不当だと抗議したが、英側は警察官が日常的に履く靴だと説明した。英側は2回戦を申し出たが、米側は、英側が別の不当な手段を使うと考え、申し出を拒否して、競技場から立ち去ってしまった。

 綱引き競技の金メダルはロンドンシティー(金融街近辺)警察が、銀はリバプール警察が、銅はロンドン警視庁のチームが獲得した。英国チームの独壇場となった競技であった。

③400メートル競争

c0016826_16104199.jpg
 上位4者の走者はスコットランド出身のウィンダム・ハルズウェルと米国の3選手となった。

 接戦となったのがトップを走るハルズウェルと米国のジョン・カーペンター選手。当時、トラックには個々の走路を区別する線が引かれていない状態だったが、カーペンターは追いつこうとして、ハルズウェルのトラックに入り、抜かれないようにした。聴衆はカーペンターがずるいことをしたと見て抗議の声を上げだした。全員が英国人であった審査スタッフは競技を無効とし、カーペンターを反則、失格とさせた。米国チームの統括者はこれに激怒し、2日後に予定されていた再競技に米チームを出場させないことに決めた。

 当日、ハルズウェルは1人でトラックを走り、金メダルを獲得した。ハルズウェルにとって最後の五輪だった。1915年、第1次大戦中に戦死したからである。

④水泳 世界初が続々と

 100メートルの水泳競技では、5つの世界記録が出た。選手の質が高いことの証明でもあろう。

 5つの新記録の中で、3つを打ち立てたのはランカシャー州の炭鉱労働者の息子ヘンリー・テイラーであった。地元の川で泳いで力をつけたテイラーは、クロール泳法の原型となった泳法「トラジオン・ストローク」を駆使して、金メダルを受賞した。

 ダイビングが五輪競技に初めて入り、高所から水中にダイブする女性選手の姿は多くの聴衆の耳目を集めた。ダイビング競技用のプールは、もともと、ルアー釣りのコンテストに使われたものだった。

⑤アーチェリー:最高齢の女性の金メダリスト

 アーチェーリー競技に女性が参加したのは1904年のセント・ルイス大会である。ロンドン大会では38人の女性選手が競い合った。

 女子金メダルは53歳の英国人女性シビル・ニーウォールが獲得。彼女は五輪のこれまでの金メダリストの中で、女性では最高齢となる。

 女子銅メダルは同じく英国選手のシャーロット・ドッド。ドッドは類まれなるスポーツ選手で、ウィンブルドン・テニスの女子シングルスで5回優勝した上に、ゴルフ、ホッケー、スケートでも優れた才能を見せた。兄のウィリアム・ドッドも五輪選手で、男子金メダルを44歳で達成した。兄弟が五輪の同大会で金メダルを獲得する最初の例となった。

 ちなみに、本大会の最高齢の参加選手はライフル射撃で金メダルを得た、60歳のスウェーデン人オスカー・スワーンであった。(次回は「1948年のロンドン五輪」)

(参考:London Olympics 1908 and 1948 by Janie Hampton、英各紙ほか)
by polimediauk | 2012-07-19 16:11 | ロンドン
 五輪開催まで、後、数日となった。五輪スタジアム近辺のツアーが連日、開催されている。

 このツアーに参加するために、以下の「英国ニュースダイジェスト」のウェブサイトから飛び、
http://www.news-digest.co.uk/london-olympics/news-and-info/info-and-trivia/16-london-olympic-walk.html

 午後のウオーキングコースを選んでみた(午後2時から2時間半。毎日)。
http://www.tourguides2012.co.uk/bookings-alt.php

 オンライン上で予約すると、確認メールが流れてくるので、これを印刷したものを手に持ってゆく。料金は現地払いだ(大人は9ポンド)。

 集合場所はBrombly-by-Bow(ブロムブリー・バイ・ボウ)という地下鉄の駅である。ロンドンの中央部(チャリング・クロス駅から東西南北何キロ、というとらえ方をよくする)からやや北東部に位置する。

 金融街シティの東隣となるタワーハムレッツ特別区にあり、ブロムリー特別区にあるブロムリー駅とは異なる。19世紀、タワーハムレッツには商業埠頭が建設され、英国の貿易の拠点となったという。しかし、その後、海運業の衰退で、多数の失業者を出すことになった。

 ブロムブリー・バイ・ボウの「Bow」(ボウ)とは弓のことだが、中世に、ここに弓の形をした橋がかかっていたことに由来するそうだ。2001年の国勢調査によれば、住民の40%がバングラデシュ系だ。

 駅の出口を出ると、かなり殺風景な周囲である。お店のようなものはなく、いくつものすすけた色のビルが見える。大通りを車がすごいスピードで走ってゆく。時間をつぶすような場所もない。

 早く着いてしまったので、歩道橋を使って通りを渡ると、非常に大きなスーパー、テスコがあった。広い店内を見てから、また駅前に戻ってきた。

 公認ガイドを示すブルー・バッジをペンダントにして身に着けた、初老の男性が微笑みかける。元ロンドン市長のケン・リビングストン氏(丸い顔、短い髪)に生き写しである。「ツアーに参加するの?」そうだと答えると、「ここは何もないから、この先のテスコのさらに先にある場所で待っていてください」という。すでに数人集まっていたので、みんなで歩道橋を渡り、テスコまで歩く。

 テスコの先には小さな橋があって、これを渡りきると、小さな公園のような場所になった。ここまで来ると、大通りの車の行き来が気にならなくなった。涼しい風が吹いてくる。木の下で、静かに流れる川を見ながら休んでいると、久しぶりの快晴が実に気持ちいい。心和むひと時である。

 20数人ほどが集まって、いよいよツアーが始まった。

 「ここら辺で、ハブとなるのは五輪競技の開催駅、ストラトフォードです。皆さんが見ている川はリバー・リー(リー川)ですよ」とガイドさん。

 ロンドンが五輪を招致した目的には3つあった。地域(ロンドン東部)の再開発、スポーツ競技の開催、そしてレガシー(遺産:地元に残すもの)である。

 現在、ブロムブリー・バイ・ボウは「テスコ・タウン」と呼ばれているものの、中世には、一帯が野原だった。その後、リー川近辺にはとうもろこしを粉にする工場(「ミル」)ができた。次第にジンの製造所となり、1940年代には倉庫にもなった。

 「ブロムブリー・バイ・ボウやストラトフォードあたりは、労働者の町だったんですよー今は、『労働者』という言葉をあまり使ってはいけないけどね」とガイドさん。英国では、上流、中流、労働者階級という階級分けで会話が進むことがよくあるが、大雑把には、「労働者階級」は単純作業従事者を指す。

 かつて製粉工場があったあたりには、今はテレビ番組の制作用「スリー・ミルズ・スタジオ」がある。民放の人気番組「ビッグ・ブラザー」など、たくさんの番組が制作されているという。

c0016826_1482627.jpg 
 ストラトフォードに向けて歩く途中で、薄茶色の砂利を敷き詰めたミニ公園を通った。「ファット・ウオーク」と名づけられていた(ガイドさんも、なぜこの名前がついたのか分からないそうだ)。その一角に、白い巨大な2つの手が、互いを握りしめているオブジェがあった。

 「これは実は五輪にはまったく関係ないのですが」と、オブジェの隣に立つガイドさんが話し出す。

 近辺には下水処理施設が設置されてきたが、1901年、下水パイプが詰まったことがあった。担当者4人が現場に駆けつけ、中の様子を調べようと、一人がはしごを降りていった。内部の有毒ガスなどによってやられてしまったのか、この人は帰ってこなかった。2人目が続いた。これも帰らず。3人目も帰らずー。とうとう、管理者がやってきて、「下に降りてはいけない」と命令した。白い2つの手が互いを握っているオブジェは、下に降りた同僚の手を上の仲間がしっかりと捕まえている様子をイメージしたものだった。

c0016826_1494593.jpg
 
 川べりを歩いていたら、遠くに赤いタワーが見えた。オリンピック公園の中にある、観測用タワー「アルセロール・ミッタル・オービット」である。インド生まれの建築家アニッシュ・カプーア氏が設計したものだ。英国で最高にリッチな人物といわれている、インドの資産家でミッタル・スチールの最高経営責任者ラクシュミー・ミッタル氏が、建設資金のほとんどを出した。

 ストラトフォード地域の再開発と五輪開催のレガシーが永遠に続くようにという願いをこめたタワーは、高さ115メートル。ニューヨークの自由の女神よりも高いという。しかし、複雑にねじれたデザインは、必ずしもロンドンっ子から大歓迎を受けたわけではないと記憶している。どうにもぱっとしない感じに見えるが、いかがであろうか。

 その手前には、聖火トーチのような形をした、家具販売店イケアのタワーが建つ。こっちのほうは分かりやすい感じがしたがー。タワーの後ろにある茶色の古いビルは、ただいま改装中。ここはイケアのお店になるそうだ。

 「五輪の招致が決まる前は、誰もこのあたりには住みたがらなかったんですよ」とガイドさん。「古いビルや誰も使わない工場用地ばかり」。それが、今や、「誰がもが住みたい街」に変わってきたという。モダンな外観の高層アパートの建設が進んでいた。

 途中で、五輪スタジアムの裏あたりを遠くから見る場所まで行った。生のスタジアムを目の辺りすると、やはり、心臓がどきんとしてしまう。ここで熱い戦いが繰り広げられるのかと思うと、少し感無量になった。

 この場所は、ガイドさんによれば、薬品製造などを行っていた場所だったので、汚染度が高く、再利用のためには汚染された土壌をかなり深く掘らざるを得なかったという。

c0016826_1515246.jpg
 
 ストラトフォード駅の近くまで来た。「どこの国でもそうかもしれませんが、1970年代、英国でも、当時は格好良いと思っていた、今から見れば醜悪なビルがたくさん建ちました。これを隠そうとして、ボリス・ジョンソン市長は、ブルーの魚をモチーフにした建造物を建てましたが、後ろの醜悪なビルが逆に目立ってしまいました」。

 ストラトフォード駅はごった返していた。階段に座って休んでいる人、チラシを配っている人、バスに乗ろうとしている人などでいっぱいだ。階段を上りきって、私たちは、欧州最大のショッピング街といわれる「ウェストフィールド」に入った。ショッピングの好きな人なら楽しい場所である。しかし、それにしても、でかすぎるーそんな感想を私は持った。

 ウェストフィールドのビルを突き抜けると、ストラトフォードインターナショナル駅があった。ここでツアーは終了となった。

 穏やかに流れるリー川と涼しい風、新旧のビル、ごった返すストラトフォードとショッピング街―。メリハリのある散策となった。

 

 
by polimediauk | 2012-07-19 01:46 | ロンドン
c0016826_18181255.jpg
 ロンドン五輪(27日から)を機に、ロンドンとはいったいどういうところかを、自分の目でも改めて見てみようと思う。ロンドンの著名地・観光地で行っていないところがずいぶんとある。

 先日、英国日本人会が主催する、二水会の集まりに参加してみた。

 (二水会の説明は以下。)http://www.japanassociation.net/%E4%B8%BB%E3%81%AA%E6%B4%BB%E5%8B%95/%E4%BA%8C%E6%B0%B4%E4%BC%9A/

―「モニュメント」前に集合

 ロンドンの地下鉄を使っていると、「モニュメント」という名前の駅があることに気づく。いつもこれはいったい何だろうなあと漠然と思っていた。「モニュメント」は「記念碑」などと訳されるが、この駅の近くに、1660年代のロンドン大火の被害と復興を記念した建造物、「ロンドン大火記念塔」が建てられているのであった。

 行き方はいろいろあるが、私の場合、ウオータールー駅からバンク駅へ。モニュメント駅に行くために乗り換えようとしたら、「モニュメントに行くには、ここ(バンク)駅から歩いてください」とのお知らせが駅にあった。モニュメント駅は改装・工事中だった。

 ロンドン五輪というでかいイベントがあるのに、中心的な駅のひとつ、モニュメントが工事中で使えないーまったくもって、「英国・ロンドンらしいなあ」と思って、バンク駅を出る。

 バンクからモニュメントまでの歩きは、標識が出ており、ほんの数分だった。雨が降り出している。傘をさす。

 モニュメント駅近くに、公衆トイレがある。ここは無料だが、掃除がきれいに行き届いている。近辺を観光中の方にはお勧めのようである。クリーニングの女性に「とてもきれいで気持ちがいいですね」と声をかけると、「ありがとう!」と返事が来る。

 集合時間より早く着いてしまったので、この記念塔の中に入って、上まで上ることにした。狭いらせん状の階段が311段ある。入塔料は3ポンド(約300-400円)である。途中、高所恐怖症であることを思い出したが、一緒にいた日本人女性が一緒にゆっくり上ってくれた。結構きつい階段である。

 上りきると、遠くまで見えた。展望用の機械がいくつか置いてあったが、それ以外には何もない。展望のみだ。

 降りてくると、「上りました」という証明書をもらえる。

―数百年後も、まだ建っている

 いよいよ、ツアーが始まった。ガイドはシティ・オブ・ロンドン公認の、坂次健司さん(メールアドレス sakatsugiアットマークbtinternet.com )である。期待がふくらむ。 

 今はメインの道路からちょっと離れたところに建つ記念塔だが、その昔は、当時の大通りの一部にあったそうである。500年前の地図を広げての説明に納得がいく。

 ちなみに、「ロンドン大火」だが、これは1666年9月上旬、4日間にわたって続いたロンドンの大火事のことだ。パン屋のかまどから出た火が、ロンドン市内に広がった。不幸中の幸いというか、死傷者はほとんどいなかったそうだが、市内の家屋の約85%(1万3200戸)が焼失したそうだ。家屋のほとんどが木造で街路も狭かったことが、これほど火が広がった理由とされている。

 大火を引き起こしたパン屋は長年、火事が発生した場所であることを認めたがらず、正式に認めたのは「330年以上」経ってからであったという。(上の写真は、パン屋がここにあったことを示す。大火記念塔のすぐ近くにある。)

―チューダー朝そのままの通り

 大火の波に襲われなかった場所もある。その1つの狭い通りに案内される。高低があり、やや丸く盛り上がった石畳の通りで、真ん中に縦線が入っている。ここはチューダー時代(15世紀から17世紀初頭)の通りがそのまま残っている場所だそうだ。

 ガイドの坂次さんがありありとその昔の様子を思い出させてくれるエピソードを披露。当時、現在のようなトイレは家の中にはなく、ベッドの下などに置く容器にし尿をためていた。朝になると、2階の窓に容器を出し、下の通りに中身をぶちまけたのだという。通りに出た「中身」は、高きから引くきに流れ、その先にあるテームズ川に流れ出る仕組みだ。通りを歩いている人の頭上から、突如、中身がぶちまけられるようではまずいので、捨てる前にその旨を歩行人に事前警告するのが法制化されていたという。

 ツアーはその後、交通手段そして商業用物資輸送の手段として重要であったテームズ川の変遷や、エリザベス1世(1533-1603年)が、1554年、腹違いの姉メアリー女王の命によって幽閉されていたロンドン塔で聞いた鐘を鳴らせたオール・ハローズ・ステイニング教会があった場所など、過去数百年の歴史をたどる場所を進んでゆく。エリザベスは、この鐘の音を聞いて、生きる希望をつないでいたという。

 個人的に印象深かったのは、日記で有名なサミュエル・ピープス(1632-1703)のエピソードだ。

 ピープスは海軍の下級官吏だったが、最後は現在で言うところの事務次官にまで出世した人物。坂次さんは、ピープスを「初代ブログおじさん」と呼んでいた。

 ピープスは海軍規定の作成に大きな貢献を果たした人物として知られている。しかし、それが表の顔としての功績であったとすれば、もう1つの功績は1660年から69年に書いた「秘密の」日記である。「秘密の」というのは、ピープスはこれを公開するつもりはなく書いていたからだ。目を痛めて書かなくなるまで、日々の体験や思ったことを書きつけた。

 ペスト流行(1665年)やロンドン大火(1666年)を含め、当時の歴史を知るという意味でも価値が高い。さらに、結婚はしていたものの、ほかの女性との関係を赤裸々につづっていたーただし、暗号などを使って、事実関係をぼかしていた(今では、解明が進んでいる)。

 ちなみに、「ブログ」の「ログ」だが、もともとは船の速度を測るために使われた丸太のことだ。ウイキペディアによれば、「丸太に、等間隔の結び目のあるひもを水中に投下し、砂時計が落ちきるまでに流したひもの結び目(ノット)を数えた」のだそうだ。そこで、速さの単位「ノット」が生まれた。速さを記録した航海日誌、船舶の測量計も「ログ」と呼ぶ。航海日誌が「ログ」となって、この呼び方が世界中に広がってゆく。インターネットの世界でも、「ログ」という言葉はしょっちゅう使われている。

 2時間半続いた、ツアーが終わりに近づいた。ミレニアム・ブリッジを見た後、テームズ川を背景にした坂次さんは、シティを歩けば明日が見える、「世界が見える」と語った。振り返ってみれば、歴史的な建造物とともに、現代的なビルの姿もたくさんあった。ビジネスの盛衰の波によって、だめな会社はいなくなり、新しい会社がモダンなビルを建てていくー。金融街シティの町並みを見ているだけでも、過去、現在、未来を感じることができる。

 LIBORスキャンダルでさんざんのシティだが、たくましい過去の歴史をたどると、また別の面が見えてくるようだった。






  
by polimediauk | 2012-07-16 18:18 | ロンドン