小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 BBCの元司会者・タレント、故ジミー・サビル氏による性的暴行疑惑は、日に混迷を深めている。「犠牲にあった」と警察やメディアに連絡を取る人が増え、警察の捜査件数も増加中だ。

 前回にも書いたが、23日には、下院の文化メディアスポーツ委員会にBBC会長ジョージ・エントウィッスル氏が呼ばれ、質問を受けた。内容は、「なぜBBCがサビル氏の性暴力疑惑に関して、いったんは調査番組を作りながら、放映中止としたか」である。

 慈善事業者としても知られたサビル氏は昨年秋亡くなったが、BBCのいくつかの人気番組のおかげで広く名前が知られていた。

 しかし、40年の長いキャリアの中で、一度のみならず、「未成年(主に少女たち)に性的暴行をしている」という噂がでていた。

 英メディアの報道によると、性的暴行の発生場所は、BBC内のサビル氏の控え室や、慈善目的で参加したマラソンで休む際に使ったトレーラーの中、またBBC以外にも、自分が募金行為を主導していたいくつかの病院の中だ。

 こうした一連の疑惑が公にされないままで時が過ぎた。いくつかの理由があるが、有名であったことが大きな隠れ蓑になっていたのは間違いないようだ。

 有名人であるために「何をしても許される」という雰囲気があったことに加え、複数のテレビ関係者は「男性の有名タレントが若い女性や少女と性的関係を持つことに対し、当時(1970年代、80年代)はあまり目くじらを立てなかった」という。

 確かに、現在、子供とかかわる仕事に就く大人への要求は高くなった。例えば、教育機関を含め児童を扱う仕事に就くには、犯罪者、特に性犯罪者のリストに載っていないかどうかを警察に確認することが、雇用側の必須事項になっている。

 慈善事業に熱心だったことも、サビル氏に特別の地位を与えた。慈善事業への貢献を評価され、1996年には、エリザベス女王から「サー」の称号まで授与されているのだ。

 巨額の募金の受け取り先となっていた病院の1つには、サビル氏の部屋まであった。この病院では障害を持つ子供たちが治療を受けていたが、サビル氏は、病棟に入る鍵も与えられていた。この子供たちの何人かが、最近になって、サビル氏に暴行を受けたと声を上げている。

 BBCの混迷が始まるのは、昨年10月のサビル氏の死後である。

 BBCは、人気者サビル氏の功績をたたえる番組を同年のクリスマス時の目玉として制作しようと計画した。同じ頃、BBCの時事解説番組「ニューズナイト」が、サビル氏の性的暴行疑惑を検証する報道への準備を進めていた。犠牲者の何人かに取材をし、そのうちの一人は、カメラが撮影を続ける中でのインタビューに応じてくれた。この調査報道は、「ニューズナイト」の一部として、放映する予定だった。

 しかし、調査がある程度進み、「ニューズナイト」のエディター(番組内容を統括する人)ピーター・リッポン氏と調査報道担当のプロデューサーが「もうすぐ放送だ」という会話を交わしてまもなく、リッポン氏は「編集上の理由から」、今後の調査停止を指示した。サビル氏の番組は報道されないことになった。

 放映中止を知る人は少なかったが、今年10月3日、BBCのライバル局の1つ、民放ITVが、独自の調査によりサビル氏の性的暴行疑惑を番組化した。犠牲者のインタビューを入れながらの放映で、サビル氏問題がクローズアップされた。

 BBCが直面する問題は2つある。1つは、「サビル氏が長年にわたり、性的暴行を働いていたなら、BBCにはこうした行為を阻止する義務があったのではないか?」という点で、もう1つは、「なぜ、ニューズナイトは先の調査報道を放送しなかったのか?」である。

 BBCの編集幹部や経営陣トップの対応は、後手に回った。

 まず、経営陣トップ、BBC会長のジョージ・エントウイッスル氏が取材陣の前に出てこなかった。「警察の調査が終わるまで、BBCは調査しない」の一点ばり。民放のリポーターが追いかけるのを、逃げるようにして、途切れ途切れに言葉を発した。

 一転して、エントウイッスル氏が「独立調査委員会を立ち上げます」と記者会見で述べたのは10月12日である。3日のITV放送から9日も後だ。書かれた紙を読みながらの答弁だった。9月に会長職に就いたばかりだが、その前は「BBCビジョン」、つまりBBCのテレビ部門のトップだった。元テレビマンとは思えない、パフォーマンス振りであった。

 「編集上の理由」で番組の放送を中止した、「ニューズナイト」のエディター、リッポン氏はことの経緯を10月2日、BBCのブログに書いたが、BBCは22日になって、その内容の3箇所に間違いがあったことを指摘する長い声明文を発表している。

 エントウイッスル会長が設置させた、独立調査委員会は2つあって、1つはBBC内でのサビル氏の性的暴行疑惑の解明と、もう1つは、「ニューズナイト」で放映されるはずだった調査報道の放映中止の真相の解明だ。調査の続く間、エディターのリッポン氏は、一時的に職から離れることになった。

 23日、エントウイッスル会長は下院の文化メディアスポーツ委員会の公聴会に呼ばれた。番組放送中止にかかわる経緯の説明のためだ。ITVの放送に端を発した性的暴行疑惑の発生から、20日以上が過ぎていた。調査委員会を設置する、しないでごたごたしたBBCの「これまでの対応は間違いだったとは思わないか」と委員長に聞かれた会長は、最後まで「間違いだった」とは認めなかった。

 質疑が続くにつれて、会長自身がなぜ番組が放送中止になったのかを十分には知らず、番組のエディターやリポーターと直接は話をしていないことが分かった。その理由は、一つには、BBCの組織が「階層的になっているから」だという。会長が直接、現場のエディターやリポーターにコンタクトを取る仕組みになっていないという。聞きたいことがあったら、自分の一つ下の部下に聞く。その部下がその下の部下に聞く・・・という仕組みになっているからだと。

 あまりにも、「知らない」「分からない」という答えが続くので、質問をする議員らが失笑する場面が何度かあった。痺れを切らした議員の一人が、「『おい、どうなっているんだ』と担当者に直接電話を入れるだけで、答えが分かるはずなのでは」、と会長に進言するほどだった。

 結局、エントウイッスル会長の言葉をまとめると、「自分はことの経緯を十分には知らない。真相を解明するために、2つの調査委員会を立ち上げたので、調査結果を待ちたい」ということになる。

 夕方の民放チャンネル4のニュース番組に出たベン・ブラッドショー議員(文化メディアスポーツ委員会の委員の一人)は、「エントウイッスル会長には、事態の把握を急いで欲しい。事実をつかんで欲しい」と繰り返した。

 ITVの放送から約3週間。この長い間に、ニューズナイトの調査報道の放映中止をめぐって、BBCのニュース幹部の中でどのような話し合いがあったのかさえ解明できていないーこれだけでも、エントウイッスル会長下のBBC経営陣の機動力の遅さが如実になった。

 22日、BBCは調査報道の専門番組「パノラマ」で、「ニューズナイト」でのサビル報道の放送中止を、関係者への取材を通して制作し、放映した。

 自己批判の番組を作ることができるのはBBCジャーナリズムの優れた点ではあるのだが、浮かび上がってきたのはエントウイッスル会長やエディターのリッポン氏の機能不全ぶり。特にリッポン氏は、どちらかというと「悪役」のような描き方をされていた。

 現在、24時間報道体制の世界になって久しい。ある番組の放送中止を説明するのに3週間以上かかっていては、遅すぎる。経営陣トップが、疑惑が大きく注目された後に正式なコメントを出すまでに10日近くかかったのも遅すぎるぐらいなのだから。

 リッポン氏、あるいはエントウイッスル氏、あるいはその直属の経営陣の誰かの首が飛ぶのは避けられない事態ではないかと思う。

 おそらく、現在の経営陣は、サビル氏の暴行疑惑には直接的に間接的にも、関係していない面々ばかりだろう。

 それでも、暴行疑惑を解明するための調査報道番組があったことを知りながら、「もし」サビル氏の業績を大々的にたたえる番組を優先して放送し、調査報道のほうは意図的に切ってしまったとしたら、厳しい目で見ると、BBCの報道機関としての矜持はどうなったのか、と思われても仕方ないだろう。疑惑がある人物サビル氏の伝説作りにBBCが加担してしまったことにもなる。

 エントウイッスル会長は、ニューズナイトの調査報道の存在について、少しは知っていたが、詳しくは知らなかったと23日の委員会で返答した。昨年末、サビル氏の番組が準備されていた頃、エントウイッスル氏はBBCのテレビ番組の責任者だった。「少ししか知らなかった」なら仕事を十分に把握していなかったことになるし、「知っていて、中止させた」なら、編集過程への介入となってしまう。

 「混迷」-という言葉しか、BBCの現況を示す言葉が出てこない。事実をつかむーこの唯一のこと、しかも、自分の局の放送にかかわる決定についての事実関係すら、経営トップは十分に掌握していないのだ。

 ちなみに、BBCはこれまでにも危機状態に陥り、そのたびに何とかこれをくぐり抜けてきた。

 例えば、2003年のイラク戦争開戦をめぐる、首相官邸とBBCとの「戦争」だ。開戦に向けて政府が用意した、イラクの脅威にかかわる文書に「誇張があった」とするBBCラジオ4の報道がきっかけだった。

 2004年、当時の会長とBBC経営委員会(現在のBBCトラスト)の委員長がほぼ同時に辞任するという前代未聞の事態が発生したものの、新経営陣の下で、息を吹き返した。今夏の五輪報道は英国内外で高い評価を受けたのだがー。
by polimediauk | 2012-10-24 07:21 | 放送業界
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 1960年代半ばから、ほぼ40年間にわたり、主としてBBCの司会者・タレントとして、かつ慈善事業者としても有名だったジミー・サビル氏(昨年10月死亡、享年84)が、何人もの10代の少年少女や障害を持つ子供たちに性的暴行を行っていたー。

 この疑惑が英国で大きな注目を浴びるようになったのは、今月3日、民放ITVが犠牲者たちのインタビューが入った番組「エキスポージャー」を放映してからだ。

 サビル氏の最盛期は、残念ながら私が英国に住む前の話で、実際に生で番組を見たことはないのだが、昨年末、BBCは同氏の大々的な追悼番組を放映していたため、存在は知っていた。

 「大きな目玉と三角形の髪型」が、どうにも忘れがたい印象を残した。

 ITVの暴露番組が出たあとで続々と犠牲者が声を上げ始めていると聞き、私は「亡くなったから、一斉に声を上げるとは変だな」「一種の集団熱病的な状態にいるのだろうか」などと思っていた。

 しかし、警察が本格的に捜査を始めている。英メディアの報道によると、200件を捜査中だという。

 BBCは、実は、昨年末のサビル氏追悼番組放映の直前に、独自で同氏の児童性愛主義志向を暴く番組(「ニューズナイト」の一部)を準備していた。それが、なぜか、途中で中止となってしまった。追悼番組を出したいので、同氏の過去を暴露するような番組は、広報上の理由で「だめ」となったのだろうかー?それとも、ほかの理由があるのだろうか?BBCの対応が今、大きな問題になっている。

 ことの経緯を説明してもらうため、23日、BBC会長ジョージ・エイントウィッスル氏が、下院の文化メディアスポーツ委員会に召還され、議員らからさまざまな質問を受けた。果たして、「もみ消し」があったのかどうかー?

 BBCの組織としての問題点は次回以降考察することとして、今回は「なぜ、もう当人が亡くなっているのに、過去の暴行疑惑を追及しなければならないのか?」について思うところを書いてみたい。

 私は当初、「いまさらやっても、当人が亡くなっているのだから、仕方ないだろう」、「当人が弁解できないのだから、犠牲者が言いっぱなしになる。これは公正ではないのではないか」と思った。言いっぱなしになって、どんどん話がふくらみ、「サビル氏=悪魔」という極端な見方になることを危惧した。

 しかし、その後、犠牲者の話の信憑性が高まり(一人ひとりが、一斉にうその話を作れるはずもない)、いろいろな意見を知る中で、積極的に追求するべきと思うようになった。

 英国内で「この事件を徹底的に追及するべき」という考え方の背景には、以下の2つの理由が少なくともある。

 まず、(1)過去の暴行について社会が正当に認識することで、犠牲者にとって新たな人生を踏み出すきっかけができる。それと、(2)現在、暴行の被害者になっている人が、その苦しみを誰かに伝える、当局に通報する機運を作ることだ。

 徹底追及によって、この社会が「性的嫌がらせや暴行を決して許容しない」というメッセージを送ることができる。過去のみならず、現在、そして未来につなぐ動きを作るために、必要なのだ。

 欧州では、カトリック教の神父が少年少女に性的犯罪を行ったケースがあり、児童や弱い立場にいる人に対する性的暴行は、特に忌み嫌われている。

 少し前まで、性的嫌がらせなどがあっても、英国のテレビ界ではこれを大目にみるところがあったという人も多い。その場にいて、通報しなかった人がたくさんいる、と。

 この「その場にいた」ことを非難されたのが、民放ITVやBBCで幹部制作者だったジャネット・ストリート・ポーター氏であった。最近、BBCの討論番組「クエスチョンタイム」に出た同氏は、若い頃に、著名タレントが女性たちに性的嫌がらせなどを行っている場面を目撃した、当時の職場の雰囲気がそうであった、と発言した。

 「上司に訴えるなど、何か行動を起こせなかったのか」と聞かれ、「駆け出しの自分が訴えても、信じてもらえない。左遷されるのが落ちだ」と述べた。

 しばらくして、会場にいた視聴者が「なぜ、あなたは何もしなかったのか。その場にいたあなたも同罪だ」と述べた。

 すると、ストリート・ポーター氏は、質問者の女性をキッとにらみ、「あなた、私がどんな経験をしたかを知ってるの?」と言い返した。

 「私の母親は再婚したのよ、私が10歳のときに。新しい父親は床屋だった。床屋の椅子に座っていたら、その父親に体を触られた。そのことを母親に話したら、どうなったと思う?『嘘つくんじゃない』といって、顔をひっぱたかれたのよ。そこで終わりだったのよ」―。視聴者相手に、啖呵を切った格好だった。「ただテレビを見ているだけのあなたは、一体何をしたっていうの?冗談じゃない」―とは言わなかったが、かなりの迫力があった。

 もはやBBCの話ではなく、サビル氏の話でもなかった。年少者を対象とした性的暴行・性的嫌がらせのトピックは、さまざまな高ぶる感情を触発してしまうようだ。
by polimediauk | 2012-10-24 02:41 | 放送業界
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 明日生きているかどうかも、分からないーそんな状況でジャーナリストとして活動を続けている人がいる。たった一人ではない。世界にはたくさん、そんなジャーナリストたちがいる。

 メキシコ人ジャーナリスト、アナベル・ヘルナンデスさん(スペイン語読みは「エルナンデス」)も、その一人だ。

 ヘルナンデスさんは、世界新聞・ニュース発行社協会(WAN-IFRA)による、今年の「自由ペン賞」(Golden Pen of Freedom)の受賞者だ。8月22日に行われたヘルナンデスさんの受賞スピーチの文章に、先日、遅まきながら接する機会があった。過酷な状況に生きるヘルナンデスさんの覚悟に心を打たれた。

 人権団体などによると、メキシコは「ジャーナリストにとって、世界で最も危険な場所」になりつつある。

 ロイター通信の9月8日付の記事によると(以下、引用)ー。

 米国のジャーナリスト保護委員会(CPJ)は、(9月)8日、麻薬絡みの犯罪が相次ぐメキシコでは、ジャーナリストが麻薬組織の報復を恐れて事実を報道できない状態が続いていると報告した。

 同国では、カルデロン大統領が2006年末に麻薬密売組織との全面戦争を宣言して以降に2万8000人以上が殺害されており、このうち9割が未解決となっているという。被害者の大半は警察官や麻薬組織の殺し屋だが、中には裁判官、刑務所職員、ジャーナリストも含まれる。

 CPJはレポートで、2006年末以降、30人以上のジャーナリストが麻薬組織に関する報道を行ったとの理由で殺害され、メキシコはジャーナリストにとって最も危険な地域の1つだと指摘。その上で、麻薬組織による報復は「法律的、国際的に保護されている表現の自由の侵害だ」と強く批判した。(引用終わり)

 ヘルナンデスさんは1993年からジャーナリストとして活動を開始。緊縮財政を約束していたフォックス大統領(当時)が官邸の補修に巨額の公費を使っていたことを報道し、2002年、メキシコのジャーナリズム賞を得た。2010年には「麻薬密売人たち(Los Señores del Narco / The Drug Traffickers)」を出版。これは暴力団と高級官僚、政府の癒着を暴露したもので、殺人予告を受ける日々が続いている。

 受賞スピーチにこめられたメッセージの強さは今でも変わっていない。

 WAN-IFRAから翻訳の許可を得たので、紹介したい(若干、言葉を補足した部分があります)。

***

アナベル・ヘルナンデス氏の自由ペン賞の受賞スピーチ(8月22日、第64回世界新聞会議が開催された、ウクライナ・キエフにて)

 1年と9ヶ月前には、この場にいることをまったく想像できませんでした。毎朝、生きていることに驚き、過去6年間で6万人以上が政府や暴力組織に処刑されてきた、燃え尽きた国を目にしてきました。処刑された人たちの目は再び開くことはありません。麻薬戦争撲滅という名目の嘘の戦争によって、1万8000人以上の子供たち、少年少女、親たちが姿を消したこの国で、自分の子供、親、兄弟を抱きしめることができることに驚いています。姿を消した人々の家族は自分たちの子供、親、兄弟を再び抱きしめることはできないのです。

 2010年12月、5年間にわたる調査の末に、「麻薬の密売人たち」という本を出したとき、カルデロン政権の公安省の高官たちから死刑宣告を受けました。カルデロン大統領が誘拐の実行者や、米国の麻薬取締局によれば世界で最も強大な麻薬組織といわれる「シナロア」と関係があることを暴露したからです。

 2010年12月1日から、私の頭には値段がつきました。この日、私は生き残るために戦おうと決意しました。その日から、私が最も愛するものを失いつつあります。家族が攻撃を受け、武装した男たちによって姉妹が自宅で嫌がらせを受け、私の情報源になっていた人たちが行方不明者のリストに入ったり、殺害されたり、不当に投獄されました。毎日、この重みを胸に抱いて生きています。いつ自分の人生が終わりになるのか、分からないままで、です。

 世界から見れば、メキシコは燃え尽きたような国でしょう。何が起きているのか十分には分かりにくく、この地球上のどこでもが同様の状況になり得るとは思えないでしょう。メキシコ内の恐怖や死が生み出すアドレナリンを求めて、近年、世界中からやってきたジャーナリストたちと話をする機会がありました。ジャーナリストたちは、襲撃、死体、ばらばらになった体をさがすためにやってきます。絞首刑になった人を数え、暗殺者たちをインタビューしますが、問題の原因にまで到達しないのです。

 2010年にノーベル文学賞を受賞したマリオ・バルガス・リョサがかつてこういったことがあります。メキシコには「完全な独裁体制がある」と。現在のメキシコは、「完全な犯罪者の独裁体制」です。これまでで最も抑圧的な政権は、メキシコの政治および経済権力と結びついた、組織犯罪の権力による政権です。腐敗したそして罪を罰せられない国家体制があるために、これが可能になるのです。無関心や恐怖によって分断されている無気力な社会を背景に、道義に反する体制が自己を維持し拡大する、完璧な環境を作り上げています。こういうことを話したり、書いたりすることのほうが、麻薬販売人や麻薬販売人のために働くことよりももっと危険なのがメキシコです。

 この政権の下で、何千人もの罪のない子供たち、若者たち、女性、男性たちが殺害されました。メキシコの土地を掌握し、国民を恐怖、脅し、誘拐、免責の体制に従属させています。表現の自由を抑圧する政権です。過去10年間で、82人のジャーナリストたちが処刑され、16人以上が行方不明となり、私も含めた数百人が脅しを受けています。こうした事例の80%が、もうすぐ退任するフェリペ・カルデロン大統領の政権で発生したのです。

 この政権では、ジャーナリストに対する犯罪が罰せらません。ジャーナリストが働くには世界で最も危険な場所といわれるメキシコの政府は、世論や国際社会からの批判をかわすために、ジャーナリストを守るための検察事務所を作り、殺人事件を解決しようとしていると説明しています。この事務所が何をやっているかというと、ジャーナリストの殺害事件に連邦および地方政府の同意があったことを隠すことだけです。予算は74%カットされています。政府の関心の高さを表しているようです。事件の90%には何の処罰も下されないままです。犯人が投獄されるのは10分の1です。

 メキシコ内の表現の自由の危機は、相当深刻なレベルに到達しています。メディアは恐れていますし、政府との経済的関係を温存させようとしています。ジャーナリストたちが殺されたり、脅されたり、行方不明になっても、ほとんど抵抗しません。何の行動も起こさないのは、組合に連帯感が欠落しているためや、メディア界に利己主義者たちがいるためですが、それと同時に、殺害されたジャーナリストたちやこうしたジャーナリストたちを援護する人たちを、政府が犯罪者扱いするからです。ジャーナリストの家族はどこにも行き場がありません。拷問を受けたり、ばらばらにされた体がゴミ袋の中に棄てられており、これを家族が拾うだけです。口を閉ざし、頭をたれているしかありません。悪名高い政府が、何の証拠もないのに、ジャーナリストたちが麻薬密売に関わっていたと主張するからです。

 1年と9ヶ月前、私はこの野蛮さを行きぬくだけでは十分ではないと思いました。自分の顔に風が吹くのを感じること、きれいな空気を吸うこと、愛する子供たちの笑顔を見ることーそれだけでは、十分ではないのです。口を閉ざしたままの人生は、この地球上では、人生がないのも同然なのです。いかに汚職、犯罪、免責が私の国で継続して力をつけているかについて、沈黙しながら生きることは、死ぬことなのです。私は、メキシコの腐敗、政治家、官僚、ビジネスマンたちのメキシコの麻薬組織との癒着を非難し続けます。現在のメキシコ社会は、戦うことをいとわない、勇気がある、正直なジャーナリストたちを必要としています。国際社会と世界のメディアは、私たちメキシコ人ジャーナリストたちと一緒に、メキシコの現状を深く考慮し、(真実を明るみに出すという)ゴールを果たす責務があると信じています。表現の自由がないところには、正義も民主主義もありません。

 本日、私は自由のペン賞を授かりました。自分の仕事で何かの賞を取るなんて、思ってみたこともありませんでした。私はこの賞を、その声を死によって封殺され、強制的に行方不明とされ、検閲にあったすべてのメキシコのジャーナリストに捧げます。また、どんな犠牲を払ってでも、情報を与え、非難をする義務を果たすという模範的行為を毎日続けている、ジャーナリストたちに捧げたいです。

 私は最後の一息まで戦い続けます。小さな例かもしれませんが、ジャーナリストとして、麻薬国家の中で、屈服してはいけないのです。後どれぐらいの日数、何週、何ヶ月、何年残されているのか、分かりません。麻薬がらみの汚職で私服を肥やし、人に言えない行為のために罪悪感を抱きながらも、罪を罰せられない、大きな権力を持つ男性たちのブラックリストに自分が載っていることは知っています。政治的なコストをほとんど払わずに、私に脅しを実行する時を待っていることを知っています。真実、私の声、ジャーナリストとしての仕事しか、自分を守るものはありません。

 もし、その日が来たら、私を今のようにまっすぐ立っている格好で覚えて置いてください。亡くなったジャーナリストのリストに自分も入りたくはありません。戦って生き延びたジャーナリストの数字の中に入りたいです。

 メキシコ国内の恥辱に責任を持つのは、確かに、メキシコ人自身です。でも、国際社会が、メキシコの麻薬国家に対し、無行動のままではいないことを望んでいます。カルデロン政権が終わっても、問題は解決しないのですから。この拡大する麻薬国家に対し、国際社会が自分たちの国境や経済を守り、元大統領であろうと、大統領であろうと、ビジネスマンであろうと、麻薬業者であろうと、隠れ家や保護を与えないように望みます。

 私は生きていたいです。でも、沈黙のままで生きることは、死ぬことと同じなのです。

***

アナベル・ヘルナンデスさんの履歴
http://www.wan-ifra.org/events/speakers/anabel-hernandez

スピーチ
Anabel Hernández’ Golden Pen of Freedom Acceptance Speech
http://www.wan-ifra.org/articles/2012/08/22/anabel-hernandez-golden-pen-of-freedom-acceptance-speech

参考:
麻薬戦争のメキシコ、記者にとって「最も危険な地域」=米団体http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-17136720100908
メキシコ麻薬抗争 記者45人以上が“報復殺人”の犠牲にhttp://sankei.jp.msn.com/world/news/120516/amr12051609490004-n1.htm

メキシコ基本情報(外務省ウェブサイトより抜粋)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mexico/data.html

人口:1億863万人(2010年IMF)
面積:196万平方キロメートル(日本の約5倍)
近年の歴史:
2000年
フォックス大統領就任(70年以上続いた制度的革命党政権の終焉)
2006年12月:
フェリペ・カルデロン・イノホサ大統領就任(任期6年、再選不可)
 メキシコ革命の動乱が終結した1920年以降クーデターがなく、政情は安定。1929年以降、強力な与党・制度的革命党(PRI)による長期政権が続いていたが、2000年7月の大統領選挙で、変革を訴えたフォックス候補(PAN)が勝利し、71年に亘るPRI政権に終止符を打った。
フォックス前政権は、マクロ経済の成長と安定を成し遂げ、民主主義の進展にも一定の評価があるが、与党PANが議会で過半数をとれなかったため、構造改革(税制改革、エネルギー改革、労働改革)は困難に直面した。
 2006年7月の大統領選挙は、カルデロン与党候補(PAN、元エネルギー大臣)とロペス・オブラドール候補(中道左派連合、前メキシコ市長)の史上稀に見る接戦となり、ロペス・オブラドール候補側から全票数え直しを求める不服申し立てが行われ、2ヶ月間にわたり当選者が決まらない事態が続いた。最終的には同年9月、連邦選挙裁判所が正式にカルデロン候補の当選を発表し、同年12月、カルデロン大統領が就任。
 カルデロン大統領は、政権の最優先課題として、治安改善、競争力強化と雇用創出、貧困撲滅などを挙げている。
 就任直後より軍を全面的に投入するなど治安対策に積極的に取り組んでいるが、麻薬組織間の抗争が激化しており、国民は治安対策の成果を感じられない状況にある。
 メキシコ国民にも直結する最大の外交課題は、米国との不法移民、麻薬及び麻薬と関連した治安問題の解決である。治安分野では、メリダ・イニシアティブにより、米国からヘリコプターの供与、税関・警察当局への各種機材の提供、研修の実施等の協力を受けている。

by polimediauk | 2012-10-22 22:00 | 政治とメディア
 実際に、どんな形でオープン・ジャーナリズムを実践しているのかを(下)で紹介したい。

―ガーディアンの7つの実践

 英メディア界で、最もオープン度が高い媒体の1つがガーディアンだといわれている。

 ガーディアンのウェブサイトで「オープン・ジャーナリズム」(http://www.guardian.co.uk/media/open-journalism)
のページを開くと、7つの共同作業の方法が記されている。

 ①「私たちが書く記事の形成を手伝う」項目では、原稿執筆中の8月現在、ロンドン五輪にかかわる写真を写真投稿サイト(Flickr)に送る、ブログサイト(Tumblr)やツイッター、フェイスブックでのフォロー、あるいは五輪についての自分にまつわる話をメールで送付、さらにサイト上の記事やブログにコメントを残すことを奨励している。

 ②「トップの記事をどうやって報道しているかを探索する」という項目をクリックすると、ニューズデスクライブという「ライブブログ」が開く。ライブブログとは、その時々の状況を刻々とつづってゆく、放送で言えば生中継の形のブログである。

 その日の編集過程を読者に見せることが目的だったが、これは、現在は「オープンニュースリスト(Open Newslist)」http://www.guardian.co.uk/news/series/open-newslist
というサイトに移動している。しかし、中身は同じである。どこの新聞社でもやっている日々の編集会議を公にしているのだ。

 画面中央下には2つのリストがあって、左側がニュース一般の仮の見出しが並ぶ。右側がスポーツ用リストである。それぞれの見出しの後ろには記者の名前が出る。

 ここに表記されたトピックについて、読者はツイッターを通じて、専用ハッシュタグ(#opennews)を使って自分の意見を残すことができる。担当記者でツイッター・アカウントがある場合は、記者のアカウントに直接メッセージも送れる。

 #opennewsというハッシュタグがついたツイートは、画面右のコーナーに常時表示され、ここを読んでいれば、デスクあるいは編集長がどのようなことを考えているのかが分かる。読者がもし公にせずに情報を送りたい場合は編集部の電子メールに送ればよい。編集部は寄せられた意見についていちいち返答はしないが、目を通しておく。

 何を載せるかの最終決定権は編集部が持っているが、「あなたの意見を聞かせてほしい」というスタンスである。スクープネタは競争相手となる報道機関の目に触れてもらいたくないので、出さない場合があると断り書きがついている。

 編集会議や編集幹部の思考プロセスをここまでオープンにしているのは非常に珍しいのではないか。

―書評、写真、データストア、なんでもオープンに提供

 ③「書評に洞察を加えよう」では、自分で書評を書くかあるいは他の人が書いた書評(ガーディアンの記者による書評もある)にコメントを残せる。

 ④「写真を共有しよう」では撮影した写真をFlickrのガーディアン専用サイトに投稿することができる。写真を撮ることで1年を記録に残すプロジェクトや、撮影技術を互いに向上させるための「カメラ・クラブ」もある。

 ⑤「アルバム評を作ろう」は③の書評の音楽版である。

 ⑥「ガーディアンのジャーナリズムを使って新しい方法を作り上げよう」の項目をクリックすると、「オープン・プラットフォーム」のサイト(http://www.guardian.co.uk/open-platform)
が現れる。ガーディアンと協力してアプリケーションソフトを構築するためのサービスだ。2009年からベータ版として開始され、10年から本格提供となった。

 中身は「コンテントAPI(アプリケーション・インターフェイス)」(ガーディアンの1999年以降の記事、タグ、写真、動画の約100万点を必要に応じて選択・収集して利用するサービス)、「データ・ストア」(記者が集めた数字情報や視覚化されたデータ情報のディレクトリ。世界中の政府にかかわる数値情報をデータ化した「世界の政府データ・ストア」もある)、「政治API」(選挙結果、候補者や政党、選挙区に関するデータを提供)、「マイクロアップ・フレームワーク」(構築したアプリをガーディアンのサイトに直接組み込める仕組み)に分かれる。

 コンテンツAPIの具体例の1つがイングランド地方観光局のウェブサイトVisit Englandとの協力であった。オープン・プラットフォーム(OP)を利用して、インタラクティブなオンラインマップを作り上げた。

 これにはまずOP用API(ソフト)を利用して、ガーディアンの関連記事がグーグルの地図作成ソフトに送られ、場所ごとに振り分けられる。Visit Englandが設置した「Enjoy England」というウェブサイト上のマップにはガーディアンの記事が存在する場所を示す青い旗がいくつも並んだ。利用者は自分が訪れた場所についての感想などをインプットすることもできる。利用者のインプットがある場所には赤い旗がついた。


 このマップはEnjoy Englandのウェブサイトに掲載されると同時に、同じものがガーディアンのウェブサイトにも掲載された。OPアプリを通じて、更新も同時だった(現在、ガーディアン上にはこのサイトは残っているが、Enjoy Englandとの同時掲載は終了している)。

―OPアプリを提供して、ビジネス機会の拡大も

 オープン・プラットフォームを提供することで、ガーディアンは自力ではできなかったサービス(例えばさまざまな携帯機器で使うアプリの制作・販売)を提供でき、それによって新たなビジネス・チャンスや広告収入などの恩恵を得ている。

 利用方法にはさまざまなレベルがある。例えばコンテンツAPIの場合、あるブロガーが「キーなし」を選択し、ガーディアンの記事の見出しを自分のサイトに無料で組み込むことができる。利用料は無料だ。

 次が「ティア2」で、利用者はガーディアンからコンテンツにアクセスするための電子上のキーをもらい、サイト上にガーディアンの記事全体を掲載できる。

 これも利用料は無料だが、その代わりに、ガーディアンは利用者に提供する記事に広告を埋め込み、広告の利用度などを追跡するトラッキング・コードをつける。同じ記事を24時間以上掲載できないなど、いくつかの制限がつく。ガーディアンはトラッキング・コードを分析し、ターゲットを絞った広告を出すなどの利用ができる。

 最後が「ティア3」で、動画も含むすべての記事が掲載可能で、広告はつかない。この場合はガーディアンに使用料金を払う必要がある。

 オープン・ジャーナリズム参加方法の⑦は、読者欄担当編集長(Readers’ editor)との連絡だ。編集長は読者から寄せられた意見、懸念、不平不満などを編集部からは独立した立場で処理する。「オープンドア」というコラムを持ち、定期的にジャーナリズムにかかわることについて書く。訂正欄の担当もこの編集長の管轄だ。

 このほかにも、ガーディアン本社に読者を招き、執筆者と議論に参加する「オープン・ウィークエンド」というイベントの開催など、さまざまな参加・共同作業の機会を提供している。

―ガーディアンは物足りない、市民のニュースサイト

 ガーディアン程度のオープン化では物足りないという人たちもいる。先にも述べたが、ガーディアンのブログサイト「論評は自由」では、政治家からNGOのスタッフまでさまざまな人が書き手となっている。書き手として参加するには、まずはガーディアンの担当デスクから書き手に足る人物としてお墨付きをもらわなければならない。少々敷居が高いのが難点だ。

 そこで、2010年、起業家アダム・ベイカー氏は市民ジャーナリズムのサイト「Blottr(ブロット)」(http://www.blottr.com/
)を立ち上げた。

 「既存の大手メディアのサイトは似たようなニュースばかりが並んでいる」、「事件の現場に出くわして、すぐに情報を伝えても、大手メディアは容易には掲載してくれない」-そんな思いを持っていたベイカー氏は、かつて大衆紙大手デイリー・メールで販売を担当していた。ネット広告の会社を立ち上げ、これを売却して得たお金を元手にブロットを始めたのだ。

 「市民ジャーナリズム」という言葉自体、英国ではやや古めかしく聞こえるものとなっていたが、スマートフォンの普及で画像や文字情報を送信することが以前よりもはるかに簡単になったこともあって、新しい道が開けてきた。

 ブロットへの投稿は簡単だ。名前と電子メールを登録した後、自分が見たこと、ニュースだと思ったことをウェブサイトの投稿欄から入力し、送信するだけだ。誰に許可をもらう必要もなく、すぐに掲載される。

 文法上の間違いや情報の真偽の確認はどうするのか?ブロットの編集スタッフが、記事が投稿されると事実関係を必要に応じて確認の上、修正する。また、読者や他の投稿者も他人の投稿記事に「補足する」ことができる。こうして、記事は共同作業として完成されてゆく。

 現在、市民記者は5000人を超える。アクセスは200万人から300万人ほど。サイトの収入は広告、企業のスポンサーシップ、ユーザーが作ったコンテンツをブログやサイトに組み合わせるテクノロジー「ニュースポイント」から。すでにドイツとフランスで同様のサイトを現地語でスタートさせている。

 アダム氏によれば、記者は市民やジャーナリズム専攻の学生などで、自分のブログをすでに持っている人など。自分が書いた記事がニュースサイトに載っているのを見たいという人は「かなり多い」。

「実際に現場にいる人が、自分の見たことを書けば、最もインパクトがある」ともいう。昨年、起業を奨励する英国の企業経営者たちが選ぶ「斬新なビジネス」賞を受賞した。

 今年8月4日付のサイトを見ると、トップには「マーク・ダガン:暴動から1年」という見出しの記事が出ていた。

 丁度1年前に、ロンドンを中心にイングランド地方各地で暴動が多発した。もともとは、ロンドン東部トッテナムで黒人青年ダガン氏が警察に誤射殺されたことがきっかけであった。筆者はトッテナムを訪れ、この1年を振り返り、現場の様子を伝えた。写真がややぼやけた感じであるのが気になるが、記事の構成などはこれまでのニュース報道の体裁をとっており、自然に読むことができる。

 記事の最後には、信憑性についてクリックする欄が設けられていた。この記事に補足する、あるいは関連した記事を投稿するためのボタンもついている。

―素晴らしい実験であるが「成功というにはまだ早い」

 論文「オープン・ジャーナリズムの試み(The Case for Open Journalism Now)」を書いた南カリフォルニア大学の研究者メラニー・シル氏によると、米英でオープン・ジャーナリズムが実験的にでも実行されるようになったのは、「ここ4-5年」であるという(米サイト「ポインター」今年1月9日付)。

 同氏は、この論文の中で、オープン・ジャーナリズムについて、「質の高いジャーナリズム」を集団の努力の集結で実現する、読者・視聴者の「ニーズによって動く」サービスと捉えている。この点で、オープン・ジャーナリズムは市民に発言権を与える手法ともいえよう。

 米ジャーナリスト、マシュー・イングラム氏は、ニュースサイト「ギガ・オムニ・メディア」の記事(7月31日付)で、最も興味深いメディアとしてガーディアンを挙げている(ちなみに、ガーディアンの発行元とギガ・オムニ・メディアは資本関係を結んでいる)。

 米国の主要新聞がウェブサイト閲読に「有料の壁」を打ち出す方に動く中、ガーディアンはこれを拒否し、読者をさまざまな形で編集過程に参加させるジャーナリズムを率先しているからだ。

 しかし、7月中旬に発表された2011-12年度の財務見通しでは4420万ポンド(約54億円)の営業損失を見込んでいるため、このジャーナリズムを「成功と呼ぶにはやや早い」「すばらしい実験ではあるが」と書いている。

 私が気になるのは、ガーディアンの報道機関あるいは論壇として立場、持続の問題である。他者の参加を奨励した結果、報道・言論機関のコアとなる頭脳部分を担う編集者たち・記者たちがやせ細ることにはならないかという点だ。デジタルやテクノロジー分野に力を入れるあまり、ガーディアンは「ジャーナリズム『も』やるIT企業」になってしまわないだろうか?

 オープン・ジャーナリズムの究極の姿は、メディア組織を解体させてしまう可能性をはらむだろう。ひょっとすると、組織自体は分解しても、ジャーナリズムの生成が続行すればよい、とガーディアンは考えているのかもしれない。

 オープン化が進んだ未来のジャーナリズムはもはや組織を必要とせず、さまざまな、かつそれぞれはばらばらの担い手(書き手、編集者、統括者、配布者など)が、力を合わせて作り上げるものになるのだろうか?

*****関連サイト***

*ガーディアンのオープンジャーナリズムのウェブサイト
http://www.guardian.co.uk/media/open-journalism

*裁判にかけられる子豚たちの姿を示すガーディアンのサイト
http://www.guardian.co.uk/media/gallery/2012/feb/29/three-little-pigs-behind-scenes?intcmp=239#/?picture=386693266&index=12

*オープン・プラットフォームのサイト
http://www.guardian.co.uk/open-platform

*Enjoy England企画のインタラクティブ・マップ
http://www.guardian.co.uk/enjoy-england

*編集会議の様子を見せるOpen Newslist
http://www.guardian.co.uk/news/series/open-newslist

*市民参加型のニュースサイト「Blottr」
http://www.blottr.com/
by polimediauk | 2012-10-11 17:34 | 新聞業界
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(ガーディアンのウェブサイトより)

 朝日新聞の月刊メディア雑誌「Journalism」9月号に、英ガーディアン紙のオープン・ジャーナリズムについて、書いた。 http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=14191

 ネットは日進月歩のスピードが違うとよく人が言うが、この原稿を書いた8月上旬時点では「オープン・ジャーナリズム」と書いても、一体何人がぴんと来るかなあと思っていた。

 10月上旬の現在、多くの人が、ぼやっとでも何らかのイメージをお持ちではないだろうか?そう、さまざまな人を巻き込んで作ってゆく、ジャーナリズムの形のことだ。

 このコンセプトについては、大分前から少しずついろいろな人が話題にしてきたが、はっきりと英語圏で「オープン・ジャーナリズム」という言葉が出てきたのは、数年前のようだ。

 私もここ数ヶ月、注目してきたが、考えるうちに、少し恐ろしくなった。「オープン」がどんどん進むと、究極的には「バラバラ」ということになるのではないか、と思ったからだ。また、アノニマスやID詐欺など、知らぬうちにハッキングされる例もよくあるようだ。外に対してオープンであることは、そういうリスクもあるかもしれない。

 ・・・先を急ぎすぎたかもしれないが、先の原稿に若干付け足したものを、長いので2回に分けて掲載したい。

***


英ガーディアン紙が実践する「オープン・ジャーナリズム」って、何?(上)

 
 メディア組織に勤務する人員だけでコンテンツを作るのではなく、読者、視聴者、専門家、外部のITエンジニアといった、「他者」を巻き込んでコンテンツを作る動きが、英米で広がっている。既存メディアが特権的存在として議題を設定し、これに沿って一方的に情報を受け手に流すのではなく、他者とともにコンテンツを作り上げる形だ。

 こうした、いわゆる「オープンな」ジャーナリズム生成の背景には、双方向性を持つ媒体としてのインターネットやソーシャルメディアの発展・普及がある。

 「オープン・ジャーナリズム」を率先して実行している、英ガーディアン紙の例を紹介してみたい。http://www.guardian.co.uk/media/open-journalism

 膨大な量のデータをジャーナリズムに入れ込むことで新たな報道の形を生み出す「データ・ジャーナリズム」は、オープン・ジャーナリズムの一種と捉えることもできる。この点から、本誌(「Journalism」)で連載が続く「データジャーナリズムを考える」特集(特に今年3月号掲載の小林啓倫氏著「ネットの力を取り込む新たな調査報道のあり方」、7月号掲載の平和博氏著「国際ジャーナリズム報告-各国で続くデジタル報道の挑戦と協力」)もあわせてご参照いただきたい。

―CM「三匹の子豚」で新ジャーナリズム宣言

 今年2月、ガーディアンは「The Whole Picture(全体像)」をキーワードに、「オープン・ジャーナリズム」を宣伝するキャンペーンを展開した。目玉になったのは、テレビ放映された、三匹の子豚を主人公とする2分間のコマーシャルだ。民放チャンネル4系列で放映後、約8万2000件のツイートがあったという。

 コマーシャルの中身は、こういうものだった。

 炎の上で、ぐつぐつと何かをゆでている大きな釜の様子が映し出される。「悪い狐が生きたままゆでられた」というガーディアン紙の見出しが出る。

 警察が3匹の子豚の家を取り囲み、窓ガラスを叩き割って中に入った後、子豚たちを逮捕する。

 若い女性が、子豚の逮捕劇のテレビ報道をガーディアンのサイト上で視聴している。ブログやツイッターで一斉に論争が発生し、警察による子豚の拘束が手荒すぎたのはないか、という批判も出る。

 逮捕された子豚たちは裁判にかけられ、狐を保険詐欺に引っ掛けたことが判明した。しかし、子豚が詐欺に手を染めたのは住宅ローンが払えなくなっための生活苦が原因だった。

 子豚への同情心が一気に高まり、低所得者層と住宅ローンの支払いが問題視されてゆく。高利を課す悪質ローンに対する抗議デモが発生し、議員が法律を改正する動きにまで発展する。

 情報の伝播に参加した多数の人々の顔写真が画面一杯を覆う。「物事は全体を見ないと分からない」という意味を込めた「The Whole Picture」という文字が出る。次に「The Guardian」という紙名が出て、コマーシャルは終わりとなる。

 さまざまなプラットフォームを使いながら真実を明るみに出すのがガーディアンの仕事だ、というメッセージが伝わってくる。

―「共同作業と参加」を説くラスブリジャー編集長

 ガーディアンのウェブサイトにあるオープン・ジャーナリズム宣言の動画の中で、アラン・ラスブリジャー編集長は、インターネットの利用が常態化した現在のジャーナリズムは、大量生産で新聞を発行し、上意下達で情報を受け手に届けた「19世紀型のジャーナリズム」とは一線を画すと語っている。

 「ツイッターを見れば分かる。いまや、情報はリンクされて受け手に届く。受け手もジャーナリズムに参加している」。

 ジャーナリストは専門家ではない、世界のさまざまな問題について、他者の意見を入れなければ「物事の十分な説明はできなくなった」。

 読者に対してオープンに、参加を奨励し、ネットワーク化を強めることで、「真実により近づくことができる」。

 そして、「真実を報道することが私たちがジャーナリズムをやる理由だ」と説明する。

 他者との共同作業の具体例とはどういうことを言うのか?

 ラスブリジャー編集長は、国会議員の灰色経費問題で、40万点に上る議員の経費支払い情報をサイト上に公開し、2万3000人の読者がその解読に手を貸したことを一例としてあげた。

 複数のインタビュー記事によれば、ラスブリジャー氏が「オープン化」の必要性を考え出したのは1999年ごろだという。

 先の子豚のコマーシャルは、発行元ガーディアン・ニューズ&メディア社(ガーディアンのほかに、日曜紙オブザーバー、および両紙のウェブサイトであるguardian.co.ukの制作・運営)が昨年6月発表した、「デジタル・ファースト」という新たなマーケティング戦略に沿ったものだ。

 利用者の志向が紙媒体からデジタル版に向かうトレンドを反映した動きで、2015年までにデジタル収入を現行のほぼ2倍の1億ポンド(約122億円、8月5日計算)に増加させる予定だ。

 目玉は、これまでのように単なる販促活動で読者を増やすよりも、「共同作業と参加」を通じて、直接読者との関係を深める点だ。

―ネット環境が育てたオープンなジャーナリズム

 「オープン・ジャーナリズム」の概念はまだそれほど一般的ではないかもしれないが、インターネットをここ何年か使ってきた多くの人にとって、「オープン」という言葉自体はなじみがある概念であろう。

 インターネット導入以前の英国では、情報発信者としての大手メディアと受け手側の読者あるいは視聴者との関係は、情報が発信者から受け手に流れる、「上から下へ」の一方通行的な動きだった。

 これを変えたのはインターネットだ。1990年代半ばごろから、公共放送最大手BBCや新聞各紙がニュースサイトを立ち上げた。ネット導入以前には実現できなかった、読者・視聴者の声を吸い上げ、公的空間に乗せる恒常的な仕組みができた。

 具体的には、例えば、ウェブサイト上に掲載された報道記事に対し、読者が直接コメントを残せるようになった。記者が好むと好まずにかかわらず、読み手がいわば勝手に論評を書いてしまう状況である。自分が書いた記事は、自分や編集デスクの思惑とは別の観点から読み手に論評される。

 こうした論評つき記事はウェブサイトの一角に位置を占める、つまり、コンテンツの1つとなった。英国メディアは、ウェブサイト上にコメント欄を設けたことで、これまでほぼ独占してきたコンテンツ生成工場のドアを読者・視聴者に向かって大きく開けたことになった。

 その後、ハイパーリンク、トラックバック、ソーシャルメディアの利用など、情報の共有化、共同作業化がどんどんと進んできた。情報発信が簡易になったため、情報の送り手と受け手とはどちらが主とも従とも言えない、フラット化に向かった。

 この間、BBCは「公共のためのサービス」という観点から、そして新聞各紙は他紙(米国の新聞やニュースサイト、ニュース・アグリゲーションサービスなど)との「競争」から、情報の共有化、共同作業化をそれぞれ積極的に取り入れてきた。

 ガーディアンが「オープン・ジャーナリズム」と言う時、現在までに同紙も含むほかの英メディアがさまざまな形で読者・視聴者からのインプットを、ネット・テクノロジーの普及によって、自分たちのジャーナリズムの中に入れてきた経緯を盛り込んだものである。

―ユーザーが生み出すコンテンツ利用 最初のピークはロンドンテロ前後

 英メディアが利用者からの情報を最も必要とした例といえば、2005年7月、ロンドンで起きたテロ事件であろう。

 爆破された地下鉄の車両の中の様子を乗客が携帯電話で撮影し、これをBBCなどに送った。市民が生成したコンテンツがBBCのジャーナリズムの一部として報道された。「市民ジャーナリズム」の時代が本格的に到来した、と当時は盛んに言われたものである。

 BBCは現在も、事件・事故が発生すると視聴者からの情報提供をウェブサイトを通じて募る。事件発生現場にBBCのスタッフが到達するにはどうしても時間がかかる。現場の生の状況を伝える市民からの情報は重要なニュース素材の1つとなっている。

 ウェブサイトのスペースを読者に開放するサービスも定着している。保守系高級紙テレグラフは、無料で設置できるブログ・サービス「マイテレグラフ」を2007年から提供している。ガーディアンは幅広い層の書き手が参加するブログサイト「Comment is free (論評は自由)」を常設している。

 また、有料メーター制をとる経済紙「フィナンシャル・タイムズ」や完全有料購読制(購読者にならないと一本も読めない)の「タイムズ」、「サンデー・タイムズ」のウェブサイトを除くと、英国の新聞はウェブサイト上で過去記事も含めてすべての記事が無料で読める。BBCのニュースサイトも同様だ。

 その意味では、英メディアはデジタル世界において、「オープン」であり続けてきたといえよう。

 これは必ずしも利他的理由からではなく、先述したがBBCは公共サービスを提供する必要性、そして新聞各紙はライバル紙との競争がインセンティブとなったからだ。

 英国の放送、新聞、ネット・メディアは「いかに読者・視聴者(そして広告主)から喜んでもらえるか、支持を得るか」で競争をしている。(続く。次回は、具体例)
by polimediauk | 2012-10-10 18:00 | 新聞業界
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 ふと、世の中の物事の風向きが、あるいは自分の気の持ちようが変わっているのを感じとるときがないだろうか?まるで木の葉っぱが緑からいつしか黄色、そして赤に変わってきたことに、突然気づいたときのように。

 一つ一つの変わったことは他人に言うまでもなく、自分の心の中でそっとひそかに感じ取るだけだ。動いていく雲の端をとりあえず手につかんで溜めて置くだけー。

 英ロンドン・ビジネス・スクールのリンダ・グラットン教授が書いた「ワーク・シフト」(原題は「The Shift」)を読んだとき、溜めて置いた雲の切れ端が、まるでパズルのようにつながってゆくのを感じた。教授は「パッチワーク」という表現を本の中で使っているのだけれども、ちょっと遠目で全体を見たら、「ああ、こんなでかいことが起きていたのか」と思ったのだ。

 もう既にかなり日本で評判になっているようだが、「ワーク・シフト」とは、新しい働き方、つまり人生の生き方を自分で考えてみよう、という本だ。その手助けとして、2025年の近未来で生きる人々の働き方をシュミレーションで描いてみせる。

 シュミレーションは単なる想像と推測を基にしたのではなくて、共同研究プロジェクト「働き方の未来コンソーシウム」による調査をベースにしている。プロジェクトには世界中の企業が参加した。

 参加企業は、未来を規定するであろう5つの要因(テクノロジーの進展、グローバル化、人口構成の変化と長寿化、社会の変化、エネルギー・環境問題)についてのデータをもとに、「2025年、世界で人々はどのような働き方をしているか」を具体的なエピソード(物語)の形で提出した。その結果がこの本である。

 まず目を引くのが本の謳い文句である。「孤独と貧困から自由になる働き方の未来図(2025)」とある。

 なんだか素晴らしい未来が待っているようだが、それには、本の題名にもあるように働き方および生き方の面で「シフト=転換」をしないければならない。

 そのシフトとは、(1)ゼネラリストから「連続スペシャリストになること」、(2)孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ、(3)大量消費から「情熱を傾けられる経験」への転換を指す。

 中身を読まずして(1)から(3)を並べられてもピンとはこないだろうが、おそらく、この文章を読まれている多くの方が、自分の働き方に何らかの疑問を持ちながら生きていらっしゃるのではないだろうか?

 なぜこれほどたくさん働いているのに正当に評価されないのか、あるいは賃金が安すぎるのか、あるいは仕事と家庭生活とのバランスをどうするべきか悩んだり、どうしてこんなに仕事がつまらないのか、と思ったり。そんな一人ひとりの私たちに、この本はある回答を授けてくれる。

 ただ、その「回答」は、一義的には例えば「連続スペシャリストになれ」ということでもあるのだが、それぞれの働き方のエピソードを読み進んでいくうちに、自分のこれまでの働き方を反省したり、「ああ、こういう方向でやっぱりいいんだな」と思ったりする。読む過程で、「自分の心の中に、次第に浮かび上がってくる回答」なのだ。

 だから、決まった回答はないにも等しい。自分で考えて、答えを引き出す本なのだ。

―2025年の価値観とは

 2025年という近未来の価値観はどうなっているのだろう?この本を読むと、実は、2012年の段階で未来の変化のきざしが既に起きていることが分かってくる。

 例えば、ネットの急激な進展、お金を稼ぐことや消費に熱中することへの懐疑、社会全体に役立つことを達成しようという考え方、環境への配慮、大企業至上主義の崩壊、会社に張り付くような仕事への拒否感、マイクロ・ビジネスの萌芽などなどー。

 私たちの働き方や働くことにまつわるさまざまな価値観は、既にかなり変わっている。例えば、今、「定年までひとつの会社にいられる」と考えている人はかなり少なくなった。もしかしたら皆無かもしれない。どこまでコミットするかは人それぞれとしても、環境保護を考えない人もいないだろう。どうせ何かやるなら、社会の役に立つことを、と考える人も増えている感じがする。

 高度経済成長以降の「追いつき、追い越せ」主義はもうすっかりなくなってしまったような感じがする。

 1980年代末、ソニーがコロンビア映画を買ったときのように、「日本が世界で一番」になるようにと夢見るような人は、今の日本にいるのだろうか?もしかしたら、まだ少しはいるのかもしれないが、「ナンバーワンにならなくても良い」と思う人も、随分と増えているのではないだろうか。少なくとも、私自身がそうだ。時代の雰囲気が、風向きが変わっている。

―お金を稼ぐよりも、もっと違うもの

 お金を稼ぐことについての考え方の大きな転換という指摘に、私自身、はっとした。最近、うすうす感じていることだったからだ。

 もちろん、お金を稼がなければ(いかなる形にせよ)ご飯が食卓に上らない。しかし、それが最終目的ではないー。

 例えば私が良く見ている英国の新聞業界の動きである。あるいはテクノロジー業界の動きでも良い。少し前までは、「稼いで、利益を出して何ぼ」という考え方があった。良いウェブサイトやコンテンツがあったとして、例えそれがどんなに素晴らしくても、「利益を出せなければ、黒字にならなければ、評価されないよ」という考え方が過去にあったが、今はこれが消えた気がする。

 代わりに、どこで評価されるかというと、「どんなに面白い、素晴らしい、斬新な、社会の役に立つアイデアか」、という点なのだ。

―働くことの新しい目的は?

 それでは、お金を稼ぐことをのぞくと、何のために働くだろうか?

 それは、「ワーク・シフト」が言っている、あるいは暗示しているのだけれど、充実した、感動する、興味深い体験を自分がすることーこれが自分にとっての働く意味。

 その働くことの結果・目的として、社会全体に何らかの良いフィードバックがあることー。実際、私たちは最近、そう考えるようになっていないだろうか?

―コラボの世界

 そして、働くときに、これまでは自分が一生懸命がんばって、出世するとか、お金をたくさん稼ぐとかが目的だったわけだけど、ある特定の仕事の目的を果たすために、これからは、ほかの人とのいろいろなレベルでの共同作業(コラボレーション)になってゆく。

 これもまた、実に自然に、そういう感じがしませんか?

 おそらくこれは、インターネットが普及したせいがあるのだろうと思う。有料コンテンツもたくさんあるけど、それと同時に無料のものもたくさんある。みんながアイデアを出し合って、コラボしたり、ヒントを与えたり、授かったりー。これがどんどん、より自然になってくるのだー。

 この本を読まれた多くの人が、おそらく、「ひっそりと、気づく」ことがいくつもあるのではないかと思う。

 「ワーク・シフト」の著者グラットン教授に、先月、インタビュー取材をする機会があった。これをプレジデント・オンライン用に執筆した。もともとはこのために本を読み出したのだけれど、時代が変わり、価値観が変わり、働き方も変わっていることをひしひしと感じる読書体験となった。

 自分の生き方や働き方に少しでも疑問を持っている方は、人生模索の意味で、この本からヒントが見つかるかもしれない。「ヒント」を感じ取るには、アンテナが必要だから、悩みを持っている人ほど、つまりはアンテナをめぐらせている人ほど、大きなヒントが見つかるのかもしれない。

***
 
『ワーク・シフト』著者、リンダ・グラットン教授に聞く「なぜ私たちは漠然と未来を迎えるべきではないのか」(上)

http://president.jp/articles/-/7240

『ワーク・シフト』著者、リンダ・グラットン教授に聞く「なぜ私たちは漠然と未来を迎えるべきではないのか」(下)
http://president.jp/articles/-/7242

***

 ブロガーのちきりんさんが、10月6日(土)にツイッターでこの本について語り合おうというイベントを開催する。午後8時から10時まで。興味のある方は参加してみてはいかがだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120816








by polimediauk | 2012-10-04 23:28 | 書籍
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 新聞の発行部数が次第に減少しているという状況は、日本ばかりか欧州でも同様だが、確固とした経営基盤を持つおかげで、ベルリンを本拠地とする独新聞「Die Tageszeitung(ディ・ターゲスツァイトング)」(通称Taz)の経営は安定しているという。10月1日付の英ガーディアン紙が報じた。

 Tazは一風変わった組織体系を持つ。約1万2000人に上る読者が新聞を共同所有しているのである。

 Tazの創刊は1979年。当時の西ドイツでメディア界が保守系に終始していることに嫌気がさした有志たちの手で、左派系新聞として誕生した。

 ドイツでは政府が新聞に助成金を出す制度があり、約6万部の発行部数を持つTazは発行を続けてきた。しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、ドイツは東西ドイツの再統合への道を進む。これを機に新聞助成金が減少し、1992年、Tazは破産状態となった。

 ガーディアンによると、窮地を救ったのが協同組合化の動きであった。読者が新聞に資金をつぎ込み、Tazは生き延びた。

 新組織となってから20年を経た現在、協同組合には1100万ユーロ(約11億2400万円)の資金があるという。組合員となった読者は、提供資金の大小にかかわらず、同様に物言う権利を持つ。日々の新聞の制作には口を出せないが、年次総会では運営の仕方について議論できる。例えば、フリーの書き手の賃金を上げることには同意し、原発の広告の掲載禁止には反対した。

 140人が働く編集室の組織構造は限りなくフラットだという。ガーディアンの取材に答えた副編集長は「一人ひとりがフリーのジャーナリストの気持ちで働いている」という。それぞれが書きたいテーマについてその正当性を主張するので、交通整理が大変なのだ。組織がフラットであるがゆえに「黙れ!」という人がいないのだという。副編集長とはいえ、駆け出しの記者よりも給与は500ユーロ(約5万円)多いだけなのだ。

 ドイツ新聞協会によると、新聞の発行部数は年々減少している。2011年第1四半期では、一日に平均2380万部が発行されている。前年同期比では約93万部、あるいは3.7%の減少である。

 しかし、電子版に限ると約14万4000部が発行され、これは前年との比較では51・2%増であった。

 新聞協会の広報担当者によると、「紙版の新聞からの収入は全体の95%」で、電子版からの収入はまだまだ少ないようだ。目下の懸念の1つは「電子機器で情報を取ることが習慣になっている若者たちにいかに新聞を読んでもらうか」だという。英国あるいは米国の新聞界では「紙版の減少をどうするか」が最大の懸念だが、ドイツ新聞界は「まだまだ、大丈夫―少なくともあと5-10年は」だそうだ。
by polimediauk | 2012-10-03 20:07 | 新聞業界