小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧

<   2013年 02月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 20年前に、英イングランド地方北西部リバプールで、2歳の幼児ジェームズ・バルジャー(James Bulger)ちゃんが、10歳の少年二人に惨殺されるという痛ましい事件があった。

 ロバート・トンプソンとジョン・ベナブルズは幼児の誘拐・殺人罪で有罪となり、少年院に収監された。釈放されたのは2001年。新しい名前、身分が与えられての再出発だった。

 このとき、両者の新しい身元についていかなる情報の出版も禁ずる命令が裁判所から出された。今でもこれは有効である。

 現在までに、両者についての報道は現住所や容姿、現在の名前などが分かるような形ではほとんど出ていない。2010年にベナブルズが児童ポルノ規正法違反で逮捕されたときも、司法省はその詳細を公表しなかった。

 しかし、バルジャーちゃんが殺害された1993年2月12日から20年を過ぎた今月14日ごろから25日ごろまでの間に、ツイッター上に現在30歳になるベナブルズあるいはトンプソンのものとされる写真が出た(ベナブルズの写真のみという報道もある)。

 25日、ドミニック・グリーブ法務長官は、ベナブルズあるいはトンプソンのものであると称して写真を出したツイッター利用者に対し、法廷侮辱罪を適用する手続きを開始すると述べた

 法務長官の事務所のウェブサイトに掲載された、法廷侮辱罪の手続き開始の声明文によると、その写真が「ベナブルズあるいはトンプソンのものであった場合、また、もし実際には当人の写真でない場合でも、禁止令に違反と見なす」という。

 法務長官は写真をただちに削除するよう、要請しており、26日現在、英国のネット上で関係者の名前を検索エンジンに入れても出ない状態となっている。

 ベナブルズやトンプソンに似ている人物が当人と間違われ、危害が及ぶ危険性もあるため、報道禁止令が順守されることで、「ベナブルズやトンプソンばかりではなく、両者だと間違われた市民を守ることになる」。

 報道禁止令の違反とみなされた場合、罰金の支払いあるいは禁固刑、あるいは両方の刑罰が下る場合がある。複数のツイッター利用者が対象となる可能性がありそうだ。

 法務長官の声明文の最後のほうには、「暴力行為を奨励する、あるいはオンライン上で悪意ある情報を出版することは犯罪行為となる」という表記もあった。

 果たして、これがネット上に写真が出回ることを抑制できるのかどうかは不明だが、少なくとも、警告はされたことになる。

 26日午後、下院の内務問題委員会は、ソーシャルメディアと電子犯罪について公聴会を開いた。委員会に召喚された一人が、ツイッターの欧州・中東・アフリカ部門のパブリック・ポリシー担当者であった。

 内務問題委員長キース・バーズ議員が、ベナブルズなどの写真掲載問題について尋ねると、ツイッターの担当者は、「個々のアカウントに関してはコメントできない」としながらも、「司法当局には協力している。違法なコンテンツがあった場合、こちらに連絡が来て、適切な処理をしている」と答えた。

 ツイッターとしては、「世界中でネット上に出るつぶやきに対し、問題が起きる前に監視するわけにはいかない」とし、「オンラインでもオフラインでも、違法なものは違法だということに利用者が気づくことが重要だ」と述べた。

 ツイッターのつぶやきが法律とぶつかったケースとしては、BBCの番組内で性的虐待の実行者として暗示された政治家(マカルパイン卿)が、ツイッター利用者相手に訴訟を起こしたケースが思い浮かぶ。

 BBCの番組自体は政治家の名前を出さなかったので、ツイッター上で憶測を基にした情報が出回り、最終的に名前が特定されてしまった。しかし、BBCが人違いをしていたことが、後で判明した。BBCはマカルパイン卿に謝罪した。

 マカルパイン卿はBBCから名誉毀損で巨額の賠償金を得た。当初はツイッター上で名前を特定した人全員を対象に訴訟を起こすつもりだったが、500人以下のフォロワーを持つ人は除外することにしたという。

 ベナブルズの写真をツイッターに出したケースと、マカルパイン卿の名前をツイッターでつぶやき、損害賠償を求められたケース。

 この2つのケースから私が感じるのは、「ネット上での情報の流布を止めるのは難しい・不可能だ」ということよりも、ツイッターがいかにメインの通信手段の1つになったか、社会的影響力が大きくなったかを示すエピソードだな、ということだ。

 ネットは情報発信がとてもしやすい。しかし、オフラインで違法なことはオンラインでも違法・・・先のツイッター担当者の言葉が強く響くのである。
by polimediauk | 2013-02-27 08:48 | ネット業界
c0016826_1010938.jpg
 
(チャンネル4のウェブサイトより)

 今月17日、「もう1つの視点」を出すことを特徴とする英チャンネル4が、「Complicit(コンプリシット)」(共謀)と題するドラマを放映した。 

 英国内でのみ視聴できるドラマなのだけれども、いつか日本で放映されることを願い、内容を紹介してみたい。

 テロネットワーク、アルカイダの首謀者オサマ・ビンラディンの捕獲・殺害までを、CIA局員の視点でドラマ化した米映画「ゼロ・ダーク・サーティ」が今日本で公開中だが、「コンプリシット」は、英テレビ界の「ゼロ・ダーク・サーティ」とも言われている。

 テロを防ぐために、拷問を使ってよいのかどうかを観客に問いかけるという部分で、似ているのだ。

 プロデューサーによれば、ドラマはもともと、ゴードン・ブラウン前英首相が「英国はテロ容疑者に拷問を行わない」と発言したことが発案のヒントになったという。「現実には拷問を行っているのではないか、直接には手を下していなくても、拷問が行われている国に容疑者を運び、拷問で得られた情報を使っているという意味では、英国は『共謀者』なのではないか」と、感じたという(番組のウェブサイト上のインタビューより)。

 ドラマの主人公は、国内の諜報活動に従事するMI5に勤める、黒人の若い男性エドワード。毎日の地道な情報収集作業の後で、アジア系英国人ワリードが、猛毒リシンを使ってテロ攻撃をする可能性を察知する。

 ワリードが中東に出かけ、リシンの手配をすることを知ったエドワードは、上司にワリードを追跡する手配を頼む。

 ワリードはエジプト・カイロで拘束され、エドワードもカイロに入る。十分な情報を握っていることで自信を持っていたエドワードは、現地でワリードを尋問するが、ワリードはなかなか口を開かない。

 リシン・テロ計画についての確固とした証拠が取れないまま、ある日、エドワードは、2日前に既にリシンが入った容器が英国に渡ったことを知る。

 上司や同僚からの支援は少なく、カイロの英国大使館員も官僚主義が強く、思うようにことが運ばない。何とかしてリシン・テロの英国での発生を防ごうと必死のエドワード。自らが拷問を手がけるというエジプトの治安担当者に連絡を取り、ワリードからテロの攻撃地についての住所を聞き出すべきか、それとも、非合法な手段は一切使わずに、テロが起きるのを座して待つべきかという選択を迫られる。

 このテレビ・ドラマの見所の1つは、諜報活動が、ジェームズ・ボンドの映画のような、スタントがいっぱいの派手な行為ではないことを見せていることだろう。

 机がずらりと並ぶ広い部屋で、黙々とコンピューターの前に座って作業を続けるMI5のスタッフ。無機質な廊下にはドアが複数あり、エレベーターが上下する。その冷ややかさに、ちょっとぞっとする。

 エドワードを演じる黒人俳優のデヴィッド・オイェロウォ。大きな瞳が非常に印象的だ。目で語る・・という感じである。

 MI5のオフィスは冷たい感じだが、テロリスト予備軍の電子メールの記録を画面で見ながら、鉛筆でノートに書き留めてゆくエドワードは、パートナーとの間に子供がいて、時には同僚の女性と一晩の冒険を楽しむこともある、一人の生身の人間だ。

 黒人であるがゆえに、昇進が遅いのではないか、自分の分析に十分に信頼が置かれていないのではないか、と気にしたりする。

 圧巻は、テロについて口をつぐむワリードと、真実を解き明かそうとするエドワードの対決場面だ。ワリードを演じるのは、聖戦のためにテロを行おうとする英国の地方都市の若者たちを描いた映画「フォー・ライオンズ」にも出演した、アーシャー・アリ。

 ワリードとエドワードがぶつかるのは取調室の中だ。カイロで拘束され、警察の管理下に置かれているワリードが、手錠をつけられた格好で取調室に連れられてくる。護衛の警察官が外に出て、2人だけの勝負になる。

 どうやってワリードにリシン・テロのことを話させるのか?

 「何も知らない」と言い張るワリードに、エドワードは次第に怒りを募らせる。「お前は英国で生まれ、学校に行かせてもらい、機会を与えられたはずだ。なぜ、英国を攻撃したいんだ?」、「なぜ俺たち(非イスラム教徒)をそんなに憎むんだ?」と、エドワードがワリードに聞く。

 「どこから説明したらいいかだよ(=いっぱいありすぎて話せない)」と言い返すワリード。「(英国を)平和な国にしたいからだよ」と言う場面も。

 ワリードはエドワードに「ニガー(黒人)」という言葉を放ち、エドワードは我を忘れて、ワリードに飛び掛る。

 ワリードは、英国人としての権利を主張し、「ノーコメント」を最後に繰り返す。

 2人の対決場面の緊張感は、まるでドキュメンタリーのようでもあり、芝居の1場面のようでもあった。

 「なぜ、英国を攻撃したいんだ?」、「なぜ俺たち(非イスラム教徒)をそんなに憎むんだ?」―英国に住む、少なからぬ人数の人が思っていることでもある。

 自分の隣人、友人、知人、あるいは家族や親戚かもしれないが、そのうちの誰かが、「テロリスト」になって、2005年7月7日のロンドン・テロのようなことが起きるかもしれないー英国に住んでいるとそんな思いが心のどこかにある。

 別に、毎日びくびくして生活しているわけではない。ただ、いろいろな人種の人がいて、いろいろな宗教を信じたり、政治的信条を持っている人が同じ社会の中にいる、これが現実だということ。

 21日には、英中部バーミンガム出身の男性3人が、テロ容疑で有罪という判決が出た。もし実行されていれば、7・7ロンドン・テロ以上の被害が出ていたかもしれない、という。

 バーミンガムのケースのように実際に有罪までいくことは多くはないが、イスラム教徒の若い男性で、警察にテロリスト予備軍として逮捕されること自体は珍しくない。

 あるいは、このテレビドラマのように、実際にテロ計画に参画していたのかもしれない人が、後で、不当な取調べであったとメディアの前で訴え、そのことで、「自分はテロには一切関係していなかった」というイメージを作ってしまう場合もあるだろう(ドラマは、ワリードが本当にテロに関連していたかどうかを明示していない)。

 拷問は非人間的だ、拷問を使った尋問からは真実が得られないという理由で、拷問を否定するのはいいが(私のように)、その一方では、この映画のエドワードのように、テロから市民の命を守るために、二者択一の選択肢を迫られる人もいる。現実は白か黒かでは割り切れない。

 そんなもろもろの事情を、抑えたトーンで(エドワードとワリードの数回の対決の場面は違うが)このドラマは描く。

 エドワードの「大きな瞳」のことを書いたが、映画の中で、エドワードはよく、自分の周囲のものや風景などを、じっと見ている。ややぼうっとしながら、眺めている。ドラマの展開の間に、こういう、「ぼうっと眺める」場面がよく挿入されるので、展開がややゆっくりする。

 監督ニール・マコーミックによると、これはわざとなのだそうだ。一つ一つの出来事を、視聴者がきちんと咀嚼するよう、故意に時間をあけてあるのだという。だから心に染み入るように感じたのだなあと思った。

 最後に、エドワードの視線が、ある方向に向かう。ここにも深い意味がありそうだ。

 脚本が映画作家でもあるガイ・ヒバート。プロデューサーから企画をもらったあと、主人公には黒人を設定しようと思い、オイェロウォを想定して書いたという。

 日本の放送局が買ってくれるといいのだがー。
by polimediauk | 2013-02-22 10:10 | 放送業界
c0016826_23174218.jpg 

 沖縄問題、沖縄報道は、気になるトピックである。

 沖縄の現地と東京を中心とした報道界には「温度差」があると言われている。その温度差(もしあるとすれば)は一体、どういうことなのか、現地で報道する人はどんな気持ちを持っているのか?

 これを検証したのが、朝日新聞出版の月刊誌「Journalism2月号。沖縄報道の特集が組まれている。

 国の中央と地方の間の、個々の問題に対する、いわゆる温度差は、ここ英国でもある。例えばだが、北のスコットランド、それから英領北アイルランドとロンドンでは随分とものの見方や政治環境が異なる。

 しかし、沖縄の場合は、見方・感じ方の違いが、報道の熱さの違いになるばかりか(ここまでは英国も同じ)、「沖縄の問題を東京で決めている」ことで、沖縄に対して差別といわざるを得ない状況が生じている点だろうー少なくとも、私の理解ではそうである。

 沖縄問題(ここでは基地問題だけれども)の解決は、原発(=エネルギー)問題と同じかそれ以上に日本にとって、大きな問題の1つだろう。これは沖縄から遠く離れた土地にいても、理解は難しくない。

 「本土紙との溝を埋める」、「『沖縄』を感じる皮膚感覚」を、「中央の取材記者に求めたい」という表現が、記事の1つに出てくる。英国のスコットランドや、北アイルランドとは別の意味での溝があるなら、それはなぜ発生しているのだろう?

 沖縄に住んでいない人にとって、沖縄問題は理論的な問題として認識されがちな面は避けられないとしても、本当に普通に考えると、基地が集中していることへの問題意識は、実はとても持ちやすいと思う。地理的に離れていることはあまり理由にならないだろう。

 そこで、なぜ「本土の報道陣」が「皮膚感覚がもてない」のか、この部分を探りながら読んだ。

 いくつかの答えが特集の中で示唆されている。例えば、琉球新報政治部長松元剛氏は、「外務省や防衛省で政治部の主流に携わっている記者」が、「政府の言う『日米同盟の強化』『アメリカとの関係の強化』という枠の中で、思考停止して、官僚と似たような目線で沖縄問題を扱ってないでしょうか」と問いかける。

 ジャーナリスト外岡秀俊氏が、「外務省には、アメリカが撤退したらどうしようという恐怖心があるんだと思います」、「アメリカが守ってくれているから退かれたら大変だという恐怖心でがんじがらめになっている。記者も取材しているうちに自然とそうなっていく気がします。」

 ほかにもいろいろ、興味深い指摘が続く。

 以下はその主な見出しである。

特集

沖縄報道を問い直す

[鼎談]

本土紙と地元紙の溝を埋める -「沖縄報道」に欠けている視点(松元 剛、琉球新報政治部長、比屋根 照夫、琉球大学名誉教授、外岡 秀俊、ジャーナリスト)

普天間問題の打開策を探る -メディアの役割とメディアへの期待( 長元 朝浩、沖縄タイムス社論説委員長)

沖縄報道を考える -問われるのは国民国家としての日本 (大野 博人、朝日新聞論説主幹)

地元メディアと本土メディア -沖縄報道を考えるための基礎知識 (語り手、音 好宏、上智大学文学部新聞学科教授)

復帰40年の幻想と現実を映す -沖縄イメージと地元雑誌の変遷 (新城 和博、沖縄県産本編集者)

アメリカの大手メディアでは「沖縄」はどう伝えられているのか(瀧口 範子、フリーランス編集者、ジャーナリスト)


(詳細は上のウェブサイトからご覧ください。)

***

 私も、今月号に性犯罪疑惑放送中止事件とBBCについて、寄稿している。この事件は、当初、BBC上層部からの圧力があって、番組の放送が中止になったといわれていた。しかし、12月末に発表された調査報告書によると、そうではなかった。担当者の自粛や他部署との連絡の悪さなど、管理上の問題から生じていた、という話だ。
by polimediauk | 2013-02-16 23:18 | 日本関連
 欧州14カ国の出版社が参加する「欧州出版社委員会」(EPC)は、13日声明文を発表し、フランスの出版社とグーグルが今月上旬合意した、6000万ユーロ(約75億6000万円)に上る「デジタル出版イノベーション基金」の設置を通してフランスの出版社を支援するという案は、「不十分」とする判断を示した。

 「継続する、コンテンツの非認可の再利用と収益化の問題」の解決には満足ではない、という。

 委員会のトップ、アンゲラ・ミルス・ウェイド氏は、声明文の中で、先の支援基金はオンラインの新聞に対して、「確固とした財政基盤を提供しない」、「ビジネスモデルを維持し、質の高いコンテンツに継続して投資するための、法的救済の仕組みを提供しない」と述べた。

 委員会の参加国はオーストリア、ベルギー、デンマーク、フィンランド、ドイツ、ギリシャ、イタリア、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、英国の14カ国で、フランスは入っていない。

 ドイツでは現在、著作権法を改正し、国内の新聞社によるネット記事がグーグルニュースで使われる際に、何らかの金銭上の支払いが行われるよう、審議が進んでいる。

 EPCは、この改正案がドイツで成立後、グーグルばかりではなく、ほかのニュース・アグリゲーションサイトにも適用されることを願っている。

 テッククランチの報道によれば、欧州各国の出版社の間で、使用料金を支払わずにニュースを再利用するグーグルへの不満が高まっている。EPCの会長ピント・バルセマオ氏は、出身国ポルトガルの出版社インプレサの代表という立場から、すべての欧州の出版社にグーグルが利用料を払うべきだと発言しているという。

 ドイツ新聞協会は既に、フランスのような基金設置案には同意しないと述べている。

 グーグルによると、「デジタル出版イノベーション基金」は「フランスの読者のために、デジタル出版の開始を支援する」もので、「グーグルの広告テクノロジーを使って、フランスの出版社がオンライン収入を増やす」ように、協力関係を深めるという。 

 昨年12月には、グーグルによる記事利用をめぐり、ベルギー新聞界とグーグルが合意に達した。グーグルは記事を利用した際にベルギーの発行元や著者にお金の支払いはしないが、ベルギー側がそれまでの交渉に要した法律上の費用(500万ユーロ=約6億3000万円=といわれている)を負担し、発行元の媒体にグーグルが広告を出すことになった。
by polimediauk | 2013-02-15 23:59 | ネット業界
 違法すれすれの取材行為、個人のプライバシー侵害、間違いがあってもなかなか訂正を出さず、もし出したとしても申しわけ程度―こんな英新聞界の現状を変えるために、法的規制組織設置への模索が続いている。

 前に何度か紹介してきたが、きっかけは大衆紙(廃刊済み)の大規模電話盗聴行為の発覚だ。

 昨年末、現状改革に向けての調査委員会の報告書が出て、今、新聞関係者、与野党、国会で議論が続いている。

 新たな既成組織は、政府からも新聞業界からも独立していることが条件だ。これを一体、どうやって作るべきなのか。

 1月29日号の「新聞協会報」に、この委員会の報告書とその後の動きについて書いた。以下はそれに、若干付け足したものである。全体の流れが分かると思う。

***

盗聴事件で英調査委員会が報告書
―新たな新聞監督機関の設置を推奨
 各紙、一様に法令化反対

 英大衆紙による電話盗聴事件を受けてキャメロン首相が設置した、新聞界の文化・慣行・倫理を検証する独立調査委員会が昨年11月末、8ヶ月にわたる調査の後、報告書を発表した。法の遵守を軽視した一部の新聞の報道が「罪のない国民の人生を大きく破壊した」として、法に基づく、新たな独立規制・監督機関の設置を推奨した。

―法規制には賛否

 英国の新聞界は、17世紀末に印刷物を事前検閲する法律が失効したことで、過去300年以上、自主規制によって発展してきた。

 法による規制が機関化した場合、報道の自由が脅かされる懸念があり、新聞界や一部の政治家、言論の自由擁護団体などが反対している。一方、報道被害者らや野党労働党は、被害を止めるには業界による自主規制では不十分として、法令化を強く支持している。

 調査委員会(委員長のレベソン控訴院判事の名前を取って、「レベソン委員会」)発足の遠因は大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(廃刊)での王室関係者の電話盗聴事件(2005年発覚)だ。07年には同紙の記者と私立探偵が実刑判決を受けた。その後、盗聴対象が数千人規模であった可能性が示唆され、11年夏、02年に失踪した少女の携帯電話も盗聴されていたことが発覚。国民の間に強い嫌悪感が広がり、委員会の設置につながった。

 委員会は新聞経営者、編集長、記者、政治家、警察関係者、報道被害者など約340人を公聴会に召喚した。

 2000ページを超える報告書は、プライバシー侵害、嫌がらせ行為、警察や官僚からの情報売買、他人に成りすまして個人情報を取得する「ブラギング」、コンピューターへの違法ハッキングなど常軌を逸する取材手法が常態化した一部の新聞の報道が「言語道断」のレベルにまで達していると指摘した。

―PCCは解消へ

 英国の新聞界には公式の規制監督団体がないが、これに最も近いのが、各媒体が任意で参加するPCC(Press Complaints Commission=英報道苦情委員会)だ。新聞報道への苦情を処理するのが主目的で、参加メディアが運営資金を出す。独自の報道規定も設定している。

 レベソン報告書は、PCCが電話盗聴事件の解明に力を発揮できず、違法な取材行為や過熱報道を減じることもできなかったことから、PCCを「非効率的」(キャメロン首相)、「権限のないプードル(注:プードルは大きな権力におもねる存在)」(野党党首)とする見方に「同意する」と述べている。

 PCCは新聞の違法報道などに懲罰を課す機能を持っていないが、盗聴事件の矮小化に努めた大衆紙発行元の経営陣の説明を額面通りに受け取り、事件の深刻さを暴露したガーディアン紙の報道を批判するなど、業界の膿を温存させる側についたことが低い評価につながった。PCCは現在、組織解消の過程にある。

 報告書は、警察については「大規模な汚職の証拠はなかった」としながらも、幹部が大衆紙の上層部と親しい関係にあったことを批判。政治家は新聞界と「親しすぎる関係」を持ち、「過去30年間、(社会の中の)公務の認識に損害を与えた」と結論付けた。

 各紙は報告書の批判を受け入れたものの、法に基づく規制・監督機関の設置には一様に反対の姿勢を示した(デイリー・テレグラフ紙社説「レベソン報告書を実行しようーただし、新聞規制の法令化はやめよう」、12年11月29日付)。

 懸念は、国会議員が恣意的に法律を変更し、報道の自由を脅かす体制となる可能性だ。キャメロン首相も報告書発表日、法律による規制への懸念を表明した。

 報告書が推奨する規制監督組織は、「高い水準のジャーナリズムを促進する、個人の権利を守るという2つの役割を持つ、独立の」存在だ。具体的には、(1)苦情を聞く、(2)報道の高水準を維持する(逸脱者には適切な制裁を下す)、(3)苦情・紛争解決のために公正で、迅速、安価な裁定の仕組みを提供する。また、違法な取材行為への関与を求められた記者を保護するため、告発者用ホットラインを設ける。

 PCCは任意参加であるため、すべての新聞社が会員にはなっていない。新組織への参加を促すための方法として、紛争解決のための裁定体制を利用する場合、組織外の新聞社は巨額の損賠賠償を支払うなどのペナルティーを設ける。

 運営役員には、現職の編集長、議員、政府関係者は入れない。新たに報道基準を策定し、違反した場合は、最大で新聞社の売り上げの1%か100万ポンド(約1億4300万円)の罰金を課す。

―違法取材根絶できるか?

 レベソン報告書は、「新聞を法的に規制する組織を設立するのではない」、と書いた。組織への「参加を促し、独立性や効率性が実現されているかを検証できるように、法律に基づく形を取る」のだと説明する。

 新組織自体の独立性と効率性を監督する存在として、報告書は通信・放送業界の監督機関、情報通信庁(オフコム)(あるいはこれに類似する組織)を挙げた。

 しかし、オフコムのトップは政府が任命するため、「政府による新聞界の統制」という面が出てしまうことが一部で指摘されている。

 新たな自主規制体制を構築するため、新聞業界ではPCC幹部を中心に、法制化をしない形での組織の設置に向けて意見を調整中だ。野党労働党は昨年末、報道の自由を謳う法律の立法化に向けての提案を発表し、報道被害者団体「ハックトオフ」も年頭に報告書の提案を立法化するための試案を公表した。

 2月12日には、連立政権を担う与党・保守党が、国王が法人格を与える勅許に基づいた設置案(「王立憲章」方式)を取りまとめて、発表した。「レベソン報告書の趣旨に反する」、「新たな法律の立法化をするべき」(野党労働党)と、批判が出た。

 複数の案が錯綜しており、一定の方向性が見えるまでにはまだ時間がかかりそうだ。

 行過ぎた新聞報道を是正するための調査委員会は、過去にも数回、実行されてきた。報道被害を防止し、違法取材を根絶するための仕組みが今度こそできるのかどうかー。英新聞界は曲がり角にいる。
by polimediauk | 2013-02-14 22:30 | 新聞業界
c0016826_0364734.jpg 放送批評懇談会が出している雑誌「GALAC」3月号の海外メディア報告(リレー連載)のロンドン編に、ネット時代のメディア企業のトップの条件とは何かについて、書いています。

 先日、BBCを辞任した元会長がなぜだめなのかという観点から書いて見ました。もし書店などで見つかりましたら、ご覧ください。

***

 3月号の特集は「2012年 選挙報道を問う」。以下は見出しの一部。

「オセロ政権交代」をテレビはこう伝えた/砂川浩慶

地元局は選挙戦をどう報じたか?
[中部]国の真ん中発! 逆説・ローカル選挙報道/加藤吉治郎
[近畿]精一杯の工夫をこらした在阪広域局/辻 一郎
[沖縄]基地問題への関心に中央との隔たりあり/多田 治
[東北]宮城における低投票率の背景を映し出した/矢田海里

テレビの選挙報道 視聴者はこう見た

“争点”は適切に報道されたのか?
「公平・中立」のために、あるべき争点は隠された/斎藤貴男
post投票日に見えた争点報道のおかしさ/水島宏明


***

 この中で、「絶滅した?『放送と通信の融合』」(書き手は川喜田尚さん)という記事がある。ラスベガスの家電ショーの報告だ。

 これによると、スマートテレビの発展で、もはや「放送と通信の融合」は声高に言われなくなったという。米国ではもう現実化しているからだ。「先進的な国では、もう垣根がないといって過言ではない。日本も急ごう」。

 今、テレビ関係の話題の1つが、ネット上でのテレビ視聴のパイの奪い合い。先日、BBCが、ネット(PC、タブレット、携帯電話)で、テレビよりも先に番組を流す試みをやる、というニュースがあった。

 ネットにつながっている環境で、どんどん番組が流れるのが普通になってきている。ネット専門だったユーチューブも、こちらでは本格的に放送の分野に入ってきた。例えば、家庭にあるテレビのチャンネルの1つからユーチューブによる番組が放映されるのだ。このテレビは、別に「スマートテレビ」ではない。

 米国で大人気なのがネットフリックス(Netflix) というストリーミング・サービス。

 これはネット経由で番組を視聴できるサービス(DVDのレンタルもやっているが)だけど、米俳優ケビン・スペーシーを主人公として、「ハウス・オブ・カーズ」というテレビ映画を制作し、これをネットフリックス「のみ」で視聴できるようにした。13エピソードあるそうで、これを一挙に売りに出した。1つだけ見てもいいし、全部いっぺんに見てもいい。

 すべてのエピソードを部屋にこもりっきりで見る・・・という行為が一部で流行っている。

 私はすべてを一度に見ようとは思わないが、英国でもこのサービスが使えるので(毎月、一定の金額を払う仕組み。ちなみに調べたら、最初の月は無料だが、その後は月に5・99ポンド==約870円==とあった)近く、見てみるつもりだ。ネットフリックスの利用は初めてだ。つまり、私のような、映画に興味があって、スペイシーの映画も好きで、でもネットフリックスを利用したことがない人を、これで一気につかもうとしているわけである。

 なんだかますます、面白くなってきたなあと思う。

 
by polimediauk | 2013-02-13 00:54 | 放送業界
 ローマ法王ベネディクト16世(85)が、11日、今月末で退位すると表明した。法王職は事実上の終身職で、自分から退位を申し出るのは約600年ぶりというから、驚きだ。

 高齢のために「心と体の力が任務に適さなくなった」と理由を自ら説明したという。8年間の在任となったベネディクト16世とは、どんな法王だったのだろうか?

 英メディアの報道を追うと、注目された事件として、2006年、イスラム教の教えを暴力と結びつけたビザンチン帝国皇帝の発言を引用し、世界中のイスラム教徒から反発を受けた件、聖職者による未成年者への性的虐待事件、さらに法王庁内の不正に関する内部文書が流出した事件があげられている。こうした一連の事件が、法王を心身ともに疲労させたのだろうか?

 ドイツ・バイエルン出身のベネディクト16世の本名はヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー。ナチスを嫌っていた警察官の父の下、司祭になることを願っていたが、14歳で、当時ドイツ国内で加入が義務付けられていたヒトラー青年団に入団。戦後神学校で学び、司祭になった。

 神学博士号を取得し、ミュンヘン大学などで教鞭を執った。2002年、主席枢機卿に任命、05年、先代のヨハネ・パウロ2世が死去し、法王選挙会(コンクラーベ)で第265代の法王に選出された。ドイツ人の法王就任は950年ぶりだった。「超保守派」と言われ、避妊、中絶、同性愛に反対の立場をとってきた。

―イスラム教徒を「侮辱した」発言とは?

 英国・欧州に住む身として、印象深い事件の1つは、英メディアも取り上げているが、06年のイスラム教にかかわる発言とその影響だ。

 当時、2001年9月11日の米大規模テロ発生から数年たち、イスラム教を暴力やテロと結びつける論調が米国のみならず、欧州でも高まっていた。

 世俗主義(宗教と政治を分離させる)が進んだ西欧諸国だが、過去にはキリスト教が何世紀にも渡って社会の中で中心的な役割を果たしてきた。

 増えるイスラム教徒の国民とのきしみが様々な形で目に付くようになり、オランダでは04年にイスラム教を批判する映画を作った映画監督が、白昼、イスラム教狂信者の男性に殺害された。06年年頭には、デンマークで、イスラム教の預言者ムハンマドなどを描いた諷刺画が世界中で波紋を呼んだ。

 2006年9月12日、ドイツの大学で行った、法王のレクチャーが世界のイスラム教徒たちの反感を買った。法王の発言内容と、その影響を私が当時、記録した文章からたどって見る。(名称の一部と日付は、06年9月当時のものであることをご了解ください。) 参考:レクチャーの英訳

 レクチャーのタイトルは「信仰、合理性、大学 -思い出と反省」である。

 「14世紀、ビザンチン帝国皇帝と知識層のペルシア人の男性との会話」を、法王はレクチャ-の中で紹介した。イスラム教や預言者ムハンマドに関して否定的な言葉を使っているのは、この皇帝だ。「14世紀の皇帝はこう言っている」と法王は言っているのであって、法王自身の思いを直接表現したのではなかった。

 皇帝は、宗教と暴力の一般的な関係について話し出す。ムハンマドがもたらしたものは「悪と非人間性だけだ」として、具体例として、信仰を「剣で(注:つまり暴力で)広げた」としている。

 暴力を使って信仰を広げることがいかに不合理なことか、と皇帝は説く。「神の摂理や自然の摂理は暴力とは相容れない」、「宗教指導者は、暴力や脅しを使わずに上手に話し、適切に説いて人を納得させるものだ」。

 「理性に沿って行動をしないと神の摂理に反する。これが暴力反対への根拠だ」と続け、「皇帝にとってはこのことは自明のことだが、イスラム教の教えでは、神は全てを超越するので、神の意思は、理性的活動も含め、私たちが考えるいかなる範ちゅうによっても制限されない」―。

 レクチャーから3日後の15日の夜、英テレビを見て反応を追った。24時間のニュース局スカイテレビは視聴者からの電話を受けつけ、そのBBC版は、イスラム教側、キリスト教側のコメンテーターを招き、意見を聞いていた。

 キリスト教側のコメンテーターは、「カトリック教のトップとして、自分が信じることを言ったまでだ。当然だ」と言い、ローマ法王庁が「イスラム教批判の意図はなかった」とするコメントを紹介した。

 イスラム教側は「ムハンマドと暴力のことを言うなら、なぜキリスト教の十字軍のことも同時に言わないのか。バランスがおかしい。したがって、イスラム教徒への攻撃だと言っていいと思う」。

―欧州とキリスト教

 今、欧州では、欧州=キリスト教文化、と言い切ってしまうことは一種のタブーとなっている。地理的にも欧州がどこからどこまでなのかが自明ではなくなっている。

 例えば、EUに加盟を希望をしているトルコ。国民の99%近くがイスラム教徒だ。しかし政教分離の国。トルコは欧州と言ってよいのだろうか?

 16日朝、BBCのTODAYというラジオの番組で、イスラム教学者タリク・ラマダン氏とウエールズのカーディフ大司教ピーター・スミス氏がインタビューを受けていた。

 以下は一問一答の抜粋である。

―レクチャーに怒りを感じているか?

ラマダン氏:怒りを感じない。全体の文脈の中で考えるべきだ。最善の言葉ではない、と思った。14世紀の言葉を引用している。こんなことをする正しいときではないし、正しいやり方ではない。私たちは落ち着いて、合理的にこの問題を考えるべきだ。法王はジハードなどの問題を問いかけている。もっと重要なことにはイスラム教の合理性と欧州の伝統に関して話している。ただ、やり方がよくない。

―(暴力を用いるジハードに対する)問い自体は正しいと思うか?

ラマダン氏:もちろんだ。イスラム教の名の下で、ジハードということで人を殺す人々が世界中にいる事態に、イスラム教徒たちは直面している。米国だけでなくイスラム諸国でも起きている現象だ。

 こうした人たちに対し、私たち(=イスラム教徒たち)は、ジハードは「聖なる戦い」でなく、抵抗のことであること、心の中の抵抗であること、抑圧されている状態での抵抗であることを明確にしなければならない。しかし、戦争の倫理性というのがイスラム教の中にあるので、これも説明しないといけない。それにしても、法王は、引用を使ってイスラムにはジハードの問題があると言っておきながら、何故そうなるのかなどを言わないので助けにならない。

―イスラム教を攻撃しているわけではない、ということを、法王がもっとはっきりさせるべきだったと思うか?

スミス氏:もちろん、イスラム教を攻撃していたわけではないし、それが目的ではなかった。

 レクチャーはかなり学問的だと思った。「信仰と合理性(faith and reason)」というのは彼が長年考えてきたテーマだった。私が見たところでは、数世紀に渡り、宗教のために暴力を使うことが正当化されるべきかどうかを議論していた、ということを指摘したかったのだろう。もちろん、結論は、「正当化されない」、ということだ。どの宗教にもいえることだが、もし合理性を失えば、信仰は暴力的、狂信的になる、と。

―前任の法王がイスラム教も含めた全ての宗教の信者とともに祈ったときに、現法王は複雑な気持ちを抱いていた、と聞く。また、まだ法王になる前、トルコがEUに入ることに反対していた、という。人々が法王の真意について疑わしい思いを抱くのも無理はないのでは。

スミス氏:不幸なことだ。彼には以前会ったことがあるが、正直な人物だ。ものごとをよく考えている。トルコのEUの件は、欧州の地理的な範囲を指していたのだろう。

―いや、欧州を地理的でなく文化的集合体と見ていた、と聞く。キリスト教文化のルーツがあるのが欧州、と言っていた、という。

スミス氏:法王は欧州に関していろいろ前から書いている。欧州はいろいろ変わったが、キリスト教的価値観に基づいて作られた。トルコや東欧はイスラム教的価値観が強い。法王が言いたかったのは、異なる文化の間で議論があるべきだ、ということだった。

―欧州の文化の議論についてどう思うか?

ラマダン氏:これは深い問題だ。法王になる前、欧州のアイデンティティーに関して(否定的な)態度を持っていた人物だ。

このレクチャーでも、もし宗教と合理性を切り離せば暴力に通じる、といっている。しかも、この箇所はイスラム教の伝統は合理性とつながっていない、と言った後に来る。

 これは一体どういう意味か?イスラム教は欧州の中心となるアイデンティティーの外にあるということか?トルコさえも、この伝統の一部ではないということだろうか?この見方は危険だし、間違っている。欧州はキリスト教の伝統だけの場所ではない。イスラム教の伝統も入っている。

―つまりあなたは、法王が、イスラム教が合理的な宗教でないと言っている、と見ているのか?キリスト教的見方からすれば、ということだが?

ラマダン氏:(そうだ。)法王は、キリスト教的伝統が合理性とつながっているほどには、イスラム教的伝統は合理性と結びついていない、と言っている。これは間違っているし、多元的価値の欧州の将来にとって危険な考えだ。イスラム教を合理性の範囲の外に置くことで、欧州の範囲の外に置いている。危険だ。

―同意するか?

スミス氏:ラマダン氏の指摘した点が重要だということは認めるが、意見には同意しない。欧州・キリスト教の伝統では哲学や神学は一緒に働くが、私の印象では、イスラム教の伝統ではそうはならない。

ラマダン氏:それは真実でなく、そういう印象がある、ということを言っているにすぎない。

―もし法王が、イスラム教が欧州の伝統の枠の外に存在し、宗教としては合理性とかけ離れている、と解釈しているとすれば、こちらの方がものすごく重要な問題だが。

 スミス氏:だから、私はその点ではラマダン氏の意見に合意しない。法王が言っているのは、2つの異なる宗教的伝統が発展してきた、と。現在のような政教分離の欧州の文化の中で、私たちがしなければならないのは、それぞれの文化や伝統が互いをどう見ているのかを理解することが重要だ、といっているのだと思う。

***

 17日オブザーバー紙の記事(「Pope Benedict’s long mission to confront radical Islam」)によると、「ベネディクト法王は、キリスト教徒とイスラム教徒の間の対話を心の底からすすめようとしている。しかし、テロの暴力と、一部のイスラム教徒の指導者たちがこれを支援していることが、対話の大きな障害になる、とも思っている」。

 「9・11テロの後の法王(当時はまだ法王ではない)のコメントが、こうだった。『このテロとイスラム教を結び付けないことが重要だ。関連付けは大きな間違いだ』とバチカン・ラジオに語った。しかし、その後すぐに『イスラム教の歴史には、暴力の傾向がある』と。」

 「『イスラム教には(暴力に向かう傾向を持つ流れと)、神の意思に完全に自分をゆだねるという流れがある。(後者の)ポジティブな流れを助けることが重要だ。もう一方の流れに打ち勝つ十分な力を維持するために』と」

 「現在の法王にとって、主な対決相手は、攻撃的なイスラム教過激主義と政教分離が進む西側社会だ」。

***

 法王は、2007年、就任後初めてトルコを訪れている。前年のジハード批判に反発するデモが発生したものの、トルコの政治指導部と会談。首都イスタンブールの「ブルーモスク」を訪問した後、正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁も訪れた。レクチャーでイスラム諸国から反発を食らったものの、キリスト教とイスラム教をつなぐための努力をしたのであった。

(このブログの2006年分の記録などから作成しました。)
by polimediauk | 2013-02-12 08:09
 英フィナンシャル・タイムズの2月9-10日号に掲載された、「アマゾンのこん包を解く」が、ウェブサイト上で多くのコメントを集めている(ネット上の購読は登録制で、場合によっては課金購読となることにご注意)。

 本文の前には、「オンラインの巨人が英国で数千人を雇用した。それなのに、なぜ従業員の一部は幸せではないのか?」と書かれている。

 イングランド地方中西部スタッフォードシャーの元炭鉱の町Rugeleyに、1年半前にアマゾンの巨大倉庫が建設された。地元の雇用に大いに役立つとして当初は大歓迎されたものの、実際には悲喜こもごもの展開となっている、と記事は書く。

 スタッフの仕事は8時間シフト制で、休み時間は30分。英国の最低賃金は時給6・19ポンド(約900円)だが、基礎的な作業についてはこれよりほんの少し上の6・20ポンドを一律に払っているという。ほとんどがアマゾンが使う人材派遣会社からの雇用という形をとり、病気で休んだ後で、首を切られたスタッフもいる。正社員としての雇用までの道は険しいという。

 仕事の1つは、大きな倉庫に山ほどある本の中から、顧客が欲しい1冊を探し出して運ぶこと。この職種の人は「ピッカーズ」と呼ばれる(ピック=取り出す)。台車を押して、顧客の注文に応じて、本の棚まで行き、持って来る。

 アマゾンには、この作業を最も効率的に進めるための歩き方を計測するソフトウェアがあるそうだ。ピッカーズたちはそれぞれ衛星誘導システムがついた機器を手に持ち、この機器がどの棚にどのようにして行けば最適かを教えてくれる。

 忙しい日には1日に7マイル(約11キロメートル)から15マイルも歩く場合もあるそうで、アマゾンのマネージャーの一人は、「君はいわばロボットのようなものだ、人間の形をしているけれどね」、「ヒューマン・オートメーションだ」という。

 この町のアマゾンの倉庫には、毎日、「現場歩き」を行うマネージャーたちがいる。マネージャーの一人マット・ピーダーセン氏は、FTの取材者に倉庫を見せながら、「今日はどんな理由で作業が停止したのか、どうすれば改善できるのかをスタッフに聞く」という。

 このマネージャーのほかにも、ラップトップが乗っている、車輪付きデスクを押しながら、現場を監視している人もいるという。どこで作業が遅れているのかをチェックしている

 1990年に炭鉱が閉鎖されたRugeleyでは、その後十分な職がない状態が長く続いた。アマゾンの倉庫建設によって、地元に根付いた、長期的な雇用が生まれると期待されたが、これまでに200人ほどが正社員化し、残りの大部分がテンポラリーであることに、地元の政治家は不満を持っているという。

 記事の中には、前向きな話として、正規雇用となって週に220ポンドをもらう人の例や、アマゾンだけが臨時採用体制をとっているのではなく、英国全体で、正社員ではなく臨時職員として人を雇用する企業が2008年以降特に増えている、とする説明がある。また、「仕事があるだけもいいではないか」という声や、「終身雇用の世界は終わった」という地元不動産会社の運営者のコメントも紹介している。

 この記事を読んで、スタッフの働きぶりには驚かざるを得なかった。「人間のロボット化」の言葉も強く印象に残った。

 しかし、記事は「アマゾン=悪者」という見方が強く、一方的な感じもした。「なるべく安い本をアマゾンで買って(米英ではアマゾンで買うほうが通常の書店で買うよりもかなり安い)、即、届けてもらいたい」という消費者側の意向が、低賃金+重労働の職環境を作り上げている面もあるだろう。

 記事にはかなりのコメントが集まっていた。批判的なものが多い。

 いくつかの論点を追うと

 *バランスに欠けている

 *低賃金+重労働+ロボット化は、アマゾンだけではない。低い価格でサービスを提供する企業は、どこでも同じようなことになるのではないか

 *実態が知られ、これに対して抗議の声をあげることで、働く環境が変わるのではないか

 *ドイツでは違う状況になっている(職場環境の改善があった)

 *仕事があるだけもよいと思う

 *米国のLehigh Valley (Pennsylvania)でも、2011年の夏、問題が発生した

 など。
by polimediauk | 2013-02-10 08:58 | 新聞業界
 米国で、2001年の米同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディンの捕獲・殺害(2011年5月)にいたるまでの経緯が映画化されると聞いたとき、すぐに思ったのは「まだ、早すぎるのではないか」であった。もう1年半以上前のことではあるけれども、ついこの間起きたような気がしていた。

 多くの人がまだ記憶にとどめる殺害からまもなくしての映画化は、配慮に欠ける感じもした。ビンラディンの遺体は地上で維持すれば神格化される、次なるテロを生み出すことになるとして、水葬=海中に落とされたと聞いている。殺害までの経緯のドラマ化は一部のイスラム諸国の国民にとっては米国側のプロパガンダに映るかもしれない。イスラム系テロ組織が、自分たちの都合の良いように映画を利用する可能性もある。映画の公開後、一部のイスラム諸国で米国旗が焼かれる場面を想像した。

 昨年末、映画「ゼロ・ダーク・サーティ」(軍事用語で午前0時30分)は米国で公開され、英国でも1月末に封切りとなったが、「CIAによる拷問を正当化している」という批判を浴びた。 

 米政府は、表向きには、拷問をやっていないことになっている。英メディアは、これまでに、水でぬらしたタオルで人の顔を覆う、いわゆる「ウオーター・ボーディング」は「拷問ではない」という米政府の説明を失笑気味で紹介してきた。横たわった状態で顔にこの濡れタオルを置かれ、上から水をかけられたりなどすると、息ができなくなる。水中におぼれたような感触があるという。これが拷問でなかったら、何が拷問なのだろうと、英メディアは問いを発してきた。

 拷問の場面が続くというこの映画、観るのが怖いような思いもあったが、自分の目で確かめるのが一番と思って、映画館に向かった。一体、ビンラディン討伐をどのように誇らしげに語っているのだろう、と。

 映画はCIAの若き女性分析官マヤが見た、ビンラディン殺害までの過程をたどる。監督はイラク戦争を題材にした「ハート・ロッカー」で2010年のアカデミー賞作品賞、監督賞などを獲得したキャスリン・ビグローだ。脚本は「ハート・ロッカー」のマーク・ボール。

 最初の場面は2001年の9・11テロの様子だ。すべてがここから始まったのであるー少なくとも米国民、そして「テロの戦争」に多かれ少なかれ巻き込まれた多くの人にとって。

 このテロは、米国民に計り知れないほどの大きな衝撃を与えたと聞く。この後で、「パラダイムが変わった」とよく米国の知識人が言うようになった。そんな重要な事件を、映画は画像なしで語る。ここからもう、この映画のトーンがきっちりと出ていたのだろう。

 途中で、ロンドン・テロ(2005年)の様子が出る。町並みをロンドン独特の赤いバスが走ってる。これだけでもう、「ああ、爆発が来るな」と分かる。案の定、まもなくして、「ドカン!」という音とともにバスが爆破する。一瞬、体がこわばり、映画館内の観客の体も少々揺れた。「これは、私の、私たちのドラマなのだ」-強くそう思った。

 その後はいくつかのテロがあり、ビンラディンの居場所を見つけるために、何年もの時が過ぎる。マヤは同僚を殺害され、自分自身も銃撃にあう。自分たち自身にも犠牲を出しながら、あきらめずにビンラディンの動向を突き止めるCIAのスタッフたち。その真剣さ、大変さの描写を見ながらも、ふと、同じ米政府が、そして私が住む英国の政府が一緒になって、アフガニスタンを爆撃し、イラク戦争を起こし、10万あるいは100万人単位の人がさまざまな形で犠牲になったのだということを何度も思い出した。

 9・11テロで3000人以上が亡くなったのは痛ましいが、戦争となると、死者、負傷者、行き場が亡くなった人など、負の影響を受けた人の数は桁外れに違う。死人の数だけで物事の重大さが決まるわけではないが、それにしても、なんと罪深いのだろうかー。画面に出てこない部分(イラク戦争など)が、気になった。ビンラディン追求の裏では大きな戦争が2つも起きていたー。

 圧巻は、ビンラディンがパキスタン北部アボタバードの隠れ家にいることを突き止め、米海軍特殊部隊「ネイビー・シールズ」が捕獲に向かう場面だ。実写と見間違えるほどのタッチで殺害までが再現されている。この場面を見るだけでも、この映画は十分な価値がある。

 「価値がある」というのは、「悪者を倒す」という意味で、勧善懲悪劇を楽しめるからではない。アクション・ドラマとして面白いからでもない。そういったもろもろの娯楽性を一切排した作りになっている。隠れ家のドアを爆破し、必要とあれば何人かを殺害し、ビンラディンを探し、捕らえるー。これがどういうことなのかが、よく分かるように撮影されている。

 映画を観終わって、その全体の厳粛さ、私情を挟まない冷静さに心打たれた。もっと愛国的な、勝利主義的な映画であろうと思っていたのが、全然違っていた。ここまで冷静に描くのは、随分と勇気が必要だったろう。監督と脚本家の知恵を見る思いがした。

 世界各国で多くの国がテロの戦争にはからずも参加させられた。「テロの戦争」という言葉は、ブッシュ前大統領の任期終了でひとまず使われなくなったけれど、一体、あれはなんだったのかー?9・11テロがあったからといって、他国にあのような形で侵攻して良かったのだろうか?

 アフガニスタンやイラクに開戦できたのも、そして、「ゼロ・ダーク・サーティ」のような最先端の映像技術を使った映画を作れたのも、米国が豊かで、世界で最強の軍事力を持つ、強い国であるからだろう。

 今後、私たち(=世界の米国以外の国に住む人たち)は米国の一挙一動に右往左往しながら生きてゆくので、果たしていいのだろうかー?

 テロの戦争について、テロについて、そして米国を中心とした世界の仕組みやイスラム諸国の動向、ムスリムの人たちの将来など、さまざまなことをこの映画は考えさせてくれる。

***

 映画の感想から話がずれるが、この映画が描く、ビンラディン殺害までの経緯が正確ではないと指摘する人が少なからずいる論点が多すぎて、すべてを紹介するのはかなり困難だ。

 上記の記事のほかにも、例えば映画はいかにもCIAの諜報情報のみでビンラディンがつかまったかのように描くが、もちろん、米政府のさまざまな組織、スタッフの協力のたまものであった、あるいは拷問によってビンラディン捕獲への道が作られたのではない、など。

 また、「なぜ今、この映画を作ったのか」と疑問を呈し、「拷問の場面を入れること自体が拷問を正当化している」と主張する論客もいる。

 私自身はテロの戦争にからむ拷問や容疑者の取り扱いについては、さまざまな映像をこれまでに目にしてきているので、映画での描写はそれほどショックではなかった。また、実際の尋問は映画の描写よりはひどいものだと思っている。CIAが映画で描かれたような尋問をしていたことはほぼ常識となっているし、事実を入れたという面からは問題はないと思った。

 パキスタンではこの映画は公式上映はされていない。海賊版が出回っているという。パキスタン人から言わせると、おかしな場面がたくさんあるそうだ。例えば、パキスタン国内とされている数々のロケーションはどうもそうではなかったり、パキスタン人同士が会話をしている場面でアラビア語が使われていたという

 また、映画の中のマヤというCIA隊員は実在しているという話だが、女性ではないと言っている人もいる。

 CIAの協力を得て作られたこの映画は(この点だけでも批判の対象になりうるのだろう)、現場を知っているさまざまな人から「事実とは違う」、「撮影場所が違っている」などのもろもろの指摘を受けている。

 それでも、私は、この映画は10数年にわたるテロの戦争のドラマ化として、良くできているように思った。テロの戦争の馬鹿馬鹿しさ、中で働く人の一生懸命さ、描かれなかった部分でのアフガンとイラクの2つの戦争の影、数々のテロ、最後にビンラディンを仕留めたのはどんなことだったのかを、分かりやすく、切り取って見せた。

 これを機に、テロの戦争前後の枠組みを頭の中で組み立てる、あるいは組み立て直す作業が必要かもしれない。映画への様々な批判の中で指摘された論点も含めて。
by polimediauk | 2013-02-06 21:45 | 政治とメディア
 先月21日に、「日本のメディア関係者との会話で見えてきたもの -本気の議論をするには?」というエントリーを出した。


 この中で、「本気の議論」がネット上でさらに深まるためには(=もっともっと、面白み、深みを出すためには)どうしたらいいかという流れになり、以下のように書いた。

***

 例えば新聞・雑誌の論考・意見が、ネット空間にもっと出てもいいのではないかと思う。具体的に言うと、例えば新聞の解説記事が、多くの人が読めるように=つまりは、無料か廉価で=どんどん出ればどうかと思う。

 経営上の理由があることは承知しているのだけれども、ネット空間の言論の更なる充実化、厚みを出す1つの方法として、解説面に出ているような記事が、どんどんネットに出て、これが一定の量になることが必要ではないかと思う。
***

 英国の新聞や放送メディア(=BBC)がネット上で無料で記事(過去記事、解説記事含めて)を出す状況が長い間続いており、これが大いに議論やソーシャルメディアの活況につながった状況を踏まえての説明だった。

 しかし、ロンドン大学でメディアの多元性を研究中の山田隆裕さんからメールを頂き、「単純な無料化は質の低下につながる可能性も考慮しなければならない」のではないかという趣旨のコメントを頂いた。

 そこで、自分が「ジャーナリズムの生成にはお金と時間がかなりかかる」ということを、見逃していたことに気づいた。

 以下は山田さんのご指摘の主要部分である。

***

 ネット空間の言論については、同様の問題意識を持っておりますが、その言論空間にお金を支払う仕組みが確立していない ことが一つの問題としてあると思っています。新聞、雑誌、テレビにおいてジャーナリズムが発展したのも、綿密な取材、高度な分析・議論、編集を資金面から支える仕組みがあったからこそで(だからこそ別 に記事にされていますBBCのワールドニュースも質の向上のために収入を上げることを目標とされていると理解しています)、現在の(無料で見られる)ネッ ト空間にはそういったことに対して資金面から支える仕組みが確立していないことも 、今後のネット空間における言論の更なる充実化に向けて、課題になっているのではないかと感じています。

 資金面で支えられていない取材、分析には限界がありますし、現在の新聞や雑誌、テレビが無料でネット空間に公開することになっても、それが新聞・テレビ の経営基盤を不安定にすることにつながるのでは、そういった取材、分析等に対する資金の流れが滞り、これまでの新聞、雑誌、テレビにおける言論の質の低下、ひいては言論全体の質が下がるのではないかとも懸念しております。


***

 「資金面で支えられていない取材、分析には限界」があるーこれはしみじみ、自分でも感じている。

 山田さんからは、言論空間のみでなく文化面で起きていることとして、音楽家佐久間正英さんのブログ(昨年6月のエントリー)をご紹介いただいた。「無料」あるいは「なるべく安く」という流れ・要求が、日本の音楽を文化として向上させることを難しくしていることについてのエントリーだ。

 音楽家が音楽を諦める時


 BLOGOSサイトには、佐久間さんのインタビュー記事も:

 音楽プロデューサー・佐久間正英氏が語る「音楽業界の危機的状況」

***

 現在、ネット上でさまざまな情報が無料で出ており、簡単に情報発信もできるようにもなった。これはこれで素晴らしいのだけれども、きちんとしたものを作ろ うとすれば、やはり相当の時間やお金がかかる。ここをカットしたら質が下がってしまう。この点 を書き手+読み手でもある人(自分を含め)や、メディアの将来に興味のある人は忘れてはいけないと、改めて思った。
by polimediauk | 2013-02-06 00:49 | 新聞業界