小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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(レベソン報告書をテーマにした、英インディペンデント紙のウェブサイト)

 前回、英国の新聞メディアを規制する新たな枠組み作りへの動きと、そのたたき台となる「レベソン委員会」による報告書(昨年末発表)の内容を紹介した。

 レベソン委員会とは新聞の文化、慣習、倫理を検証する独立調査委員会のことで、大衆紙での電話盗聴事件の反省を受けて、2011年夏、キャメロン首相が立ち上げたものだ。

 報告書は具体的な自主規制組織のひな型を提示した。そこで、これを受け入れるのか、受け入れないのかが議論の焦点となった。「何もしない」では済まされない。数ヶ月にわたる委員会の公聴会で、さまざまな報道被害にあった人が出てきて、証言を行ったからだ。新聞界は行動を起こさざるを得なくなった。

 今回は、現在までの動きを伝えたい。このエントリーの一部は、月刊誌「新聞研究」4月号掲載の筆者原稿に補足したものである。

***

 報告書は報道被害を防ぐため、法に基づく自主規制・監督機関の発足を提唱したが、法的規制への反対論、慎重論が新聞界のみならず、政界やその他言論界で根強く、与野党の基本合意到達までには時間がかかった。

 連立政権を担う与党・保守党は法令化による設置に反対し、同じく与党の自由民主党と野党・労働党は法令化を支持してきた。

 最終的に王立憲章に基づく設置案で3党が基本合意したのは今年3月18日。もしこの案が成立に向けて動く場合、関連法案(犯罪と裁判所法、企業と規制改革法)が修正される見込みだ。

 新規制組織は新たな法律の立法化にはよらず、以下の形をとる。

 ―国王の勅許(王立憲章)によって設置される

 ―訂正や謝罪記事の掲載を命じたり、報道倫理に反した場合は最大で100万ポンド(約1億4千万円)の罰金を新聞社に科す権限を持つ

 ―新たな倫理綱領を設定し、人事や運営資金の面で新聞界からも政界からも独立している

 ―報道の被害者には無料で利用できる裁定サービスを提供する

 ―政治家からの干渉を生じさせないため、下院議員の三分の二以上の支持を得ないと、この王立憲章を変更できない。

 新たな法律の立法化がないことで、これをレベソン報告書の「法律に基づく設置」を拒絶したと見る保守党は3党による基本合意を同党の勝利としたが、自民党と労働党は関連法の修正と言う形ではありながらも、「法律に基づく設置が実現した」として、両党の主張が成果をもたらしたと表明した。政治問題化してしまったわけである。

 新聞界では、新聞社が加盟する英報道苦情委員会(Press Complaints Commission=PCC)の委員長ハント卿が中止となって、報告書発表前から、報道に関する問題を調査し倫理綱領の違反者には罰金を課すという新たな権限が備わる組織の設立に向けて、話し合いを続けられてきた。しかし、報告書は「独立性に欠けている」として、ハント案を却下した。(余談だが、英新聞界の規制の話でPCCをほめているような記事を見たら、眉唾である。業界と近すぎる組織として英国では認知されているからだ。)

―「法律に基づく設置」で意見割れる

 英イングランド地方(人口の5分の4を占める地域)で印刷物の出版に事前検閲を課した印刷免許法が失効したのは、17世紀末だ。新聞言論を法律で規制するという考え自体が、英国ではなじみが薄い。

 このため、新規制機関の「法律に基づく設置」については意見が大きく割れた。

 キャメロン首相は、報告書の発表日(昨年11月29日)、国会で、法律を制定して立ち上げるのは、「ルビコン川を渡る」ほどの大きな動きになる、と発言。法令化は「将来、政治家が新聞界に規制を課する危険性が出る」として、反対の姿勢を見せた。

 翌30日、全国紙の大多数が報告書の記事をキャメロン首相の写真付きで1面のトップに掲載した。一風変わった紙面を作ったのが左派系高級紙インディペンデントだ(上の写真)。

 英国名物の魚のフライとポテトチップス(=フィッシュ・アンド・チップス)がレベソン報告書の表紙に包まれた写真を掲載。見出しは「明日はフィッシュ・アンド・チップスになる」(ごみになる、の意味)。その理由は、「1年以上、500万ポンドをかけてできた2000ページの報告書が、公開から数時間でキャメロン首相に報告書の主要部分、つまり規制の法令化を拒絶されたからだ」という。

 同紙編集長は社説の隣の記事で、「新聞ジャーナリズムは(レベソン委員長の専門となる)法律のように厳格な職業」ではなく、「直接性、即時性という性質を持つ」営みだと指摘した。

 右派系大衆紙「デイリー・メール」はレベソン報告書をトップ記事にしなかった。「キャメロンが自由のために戦う」と題された社説では、「国会や特殊法人が入ってくれば、17世紀末以来、国家の干渉からの報道の自由が危うくなること」をレベソン委員長は理解できないようだ、と書いた。

 その後、規制組織設置への交渉は長引いた。報道被害者団体「ハックトオフ」が今年念頭にに報告書の提案を立法化するための試案を公表し、2月には、保守党が王立憲章案を提案した。報道被害者側や自民党、労働党はあくまでも「新たな法令化による設置」を主張したが、最後には妥協した。

 与野党が基本合意案に達した翌日(3月19日)付の各紙社説を見ると、これまで法令化を支持してきたフィナンシャル・タイムズ紙は「ページをめくる -自主規制は死んだ、さあ、英国の新聞が適応しなければならない」とする見出しをつけた。新たな規制組織が真に新聞界から独立していることが重要とし、機能させるのは「新聞界の責任だ」と主張した。

 同じく支持派のガーディアン紙は、社説で、妥協案が現実化されるかどうかは「保証されていない」と書く。新組織に参加しない大手新聞があり、組織の外の印刷メディアに対する損害賠償額が大きくなることを懸念する。

 法令化に反対のサン紙は、「成り行きを見守ろう」とする社説を出した。真っ向から基本合意に反対の姿勢を出してはいないが、インターネットのメディアがどう規制されるのかが不明、政府の意向で報道内容が変更され得る、国家による監視社会が実現すると指摘し、「報道の自由を維持すると確約したキャメロン首相には失望した」と結論付けた。

 法令化反対派のテレグラフは、17世紀末の印刷免許法の失効以来、自主規制のままであった新聞や雑誌の運営に「国家を関与させる方策」を国会が決定した、と書いた。

 同じく3月19日、3つの大手新聞社アソシエーテッド・ニューズペーパーズ社(デイリー・メールなどを発行)、ニューズ・インターナショナル社(サン、タイムズ他)、テレグラフ・メディア・グループ社(テレグラフ他)、ノーザン&シェル社(デイリー・スター他)は声明文を発表し、最終交渉の場に新聞社の代表が参加していなかったこと、基本合意案には新聞業界内で未解決の重要な論点が含まれていることなどを指摘し、新組織に参加するかどうかについて、法律上の助言を受けていることを明らかにした。

 フィナンシャル・タイムズのライオネル・バーバー編集長は同日、BBCラジオ4の番組に出演し、最終決定の場に報道被害者団体の関係者が出席した一方で、新聞界からは誰も参加していなかったこと、業界内でまとまりつつあった自主規制機関の設置交渉が事実上棚上げになったことに不満を漏らした。「この規制組織に参加するかどうかは決め兼ねている」。

 地方紙を代表する新聞協会は、基本合意が地方紙業界に「大きな負担となる」と指摘。「組織に入らない新聞への罰金や裁定サービスが実行され場合に苦情が殺到することへの懸念」を表明した。

―新聞界の大部分が参加して、新たな設置案を提示

 世論調査のいくつかでは、多くの国民が「法令化による報道規制」を支持した。報道被害者団体「ハックトオフ」は法令化による規制を望んだものの、最終的には主要与野党が合意した「王立憲章による設置案」を支持した。

 今月中旬から、この設置案を王立憲章として認めるかどうかについて、諮問機関・枢密院が議論を開始することになっていたが、4月末、新聞各社が新たな王立憲章による設置案を提示。

 これを受けて、枢密院は23日まで、与野党合意案と新聞社による案について、国民から意見を募集する。その結果を見ながら、どちらの案を推奨するかを6月以降に決めることになっている。

 新聞社らによる設置案では、国会議員の関与をできうる限り減らし、新聞社側の人員が新・自主規制機関でもっと重要な位置につけるようにする。また、新聞報道への苦情を集団で行う手続きを複雑化し、新聞社が苦情攻めにならないようにする。

 メディアのシンクタンク「エンダース・アナリシス」のクレア・エンダース氏は、新聞社案は「レベソンの提言からさらに遠くなった」と述べている。

 地方新聞の団体である「ニューズペーパー・ソサエティー」や新聞発行者協会などによって提出されたが、11の全国紙の中で、左派系ガーディアンとインディペンデントは賛同していないという(BBC報道)。

 どちらの案が実現するのか、現時点では不明だが、PCCは「新聞社に近すぎる」と批判されてきた過去がある。さて、報道の自由を維持しながらも、報道被害を防ぐ自主規制機関の設置が実現できるだろうか。

***

参考
 
Q&A: Press regulation
by polimediauk | 2013-05-05 05:08 | 新聞業界
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 本日3日は、「世界報道の自由の日」(ワールド・プレス・フリーダム・デー)だ。1993年、国連総会が5月3日を「世界報道の自由の日」として指定した。報道の自由の重要性について人々の意識を喚起し、各国政府が世界人権宣言の第19条に基づく表現の自由を尊重し支持する義務を認識するために定められたという。

 2日、国連はどの国でもジャーナリストの安全が保障されるように行動を起こすことを求める声明文を発表した。

 UNESCOによれば、過去10年間で600人を超えるジャーナリストが命を落としている(個人的には、もっと多いのではないかと思うがー)。そのほとんどが紛争地での取材中のできごとだ。また、ジャーナリストの命を奪った相手はほとんどが裁きを受けない状態となっている。

 報道の自由度が高いと思われる英国で、報道規制をどうするかについて大きな議論が起きている。昨年11月末、「レベソン委員会」が報告書を出し、これを土台に新たな規制の枠組みを作ろうとしているが、今日現在、意見が一つにまとまっていない。

 この件はブログでも何度か書いてきたし、日本でも若干知られているとは思う。おそらく、「報道規制?報道・言論の自由を奪うのでは?」という懸念を引きこすだろうと思う。

 しかし、規制への流れが出たのは、新聞報道(特に大衆紙)による過度のプライバシー侵害、違法行為すれすれの取材方法など、目に余る行為が何十年も続いてきたからだ。
 
 日本的感覚からすれば、「そこまでやるの?」ということが多い。例えば、個人情報を探るために私立探偵を使うとか、情報を買うとか。ゴミ箱漁りという手もあるそうだ。一度、どこかで何とかしないと・・という部分があった。

 昨今は日本で既存マスコミへの批判が表面化している。この点から、英国の報道(主として新聞)規制の話は少し参考になるかもしれない。つまり、報道の自由の維持と行過ぎた取材の防止をいかに両立させるかである。

 ただし、一つ記しておきたいのが、規制に対するメディア組織の行動が日英で結構異なる点だ。

 これはほかの多くのことについても言えるのかもしれないが、例えば「xxxをやってはいけない」と当局が決めたとしよう。業界内の約束事でもいい。英メディアは規制を課されること自体に抵抗するが、その次の段階では、規制を結構無視する、あるいは何とかこれを潜り抜けようとして知恵を働かす。「xxxをしてはいけない」と言われて、すぐに言うことを聞く・・というわけではないのが英メディアだ。

 英レベソン委員会の経緯と報告書の概要を、「新聞研究」4月号に書いた。以下はこれに若干補足したものである。

 尚、この報告書は全体で2000ページ近くの大作で、私の概要も結構長い。メディアの動きに深い関心を持つ方のために、あるいは学問的な資料としてここに掲載しておくが、英国の新聞界の反応や現状を知りたい方はこの次を拝読願いたい。

英メディアの自立と規制 レベソン委員会 報告書の概要

―はじめに

 2012年11月末、英国の新聞界の文化、実践、倫理を検証する独立調査委員会が、法律に基づく独立規制・監督機関の設置を求める報告書を発表した。過去300年以上にわたり自主規制に委ねられてきた英新聞界は、大きな挑戦状を突きつけられた。

 委員会は、日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙」(廃刊、以下、NOTW紙)での電話盗聴事件を受け、2011年夏、キャメロン首相が発足させた。委員長となったブライアン・レベソン控訴院判事の名前をとって、通称「レベソン委員会」と呼ばれている。

 NOTW紙の盗聴事件とは、2005年、王室関係者の携帯電話の伝言を同紙の記者と私立探偵が盗み聞いたことが発覚し、07年、記者と私立探偵に実刑判決が下った事件だ。2011年7月、左派系高級紙ガーディアンが、9年前に誘拐・殺害された少女の携帯電話も同紙の記者らが同様に盗聴し、「伝言を削除した」と報道したことで、国民の間に同紙の過剰取材に対する強い嫌悪感が発生した。ガーディアンの報道から2日後、NOTW紙の廃刊が決定され、数日後にレベソン委員会が設置された。

―調査の経緯と目的

 委員会の付託事項は2つに分かれる。

 第1部は「新聞の文化、実践、倫理の調査」だ。盗聴事件が発生した新聞界の実態把握が目的で、個人情報の保護や規制の有効性、不正行為の実情などを広く検証した。同時に、新聞と警察や政治家との関係及び3者のそれぞれの関係も調査対象とした。

 調査が広範囲にわたった背景には、盗聴事件の実態が明らかになるにつれ、かねてからの新聞報道の悪癖(プライバシー侵害、容疑者の犯人視報道、倫理の欠落など)への不満感が一気に噴出したことがある。

 新聞と権力側との「癒着」も広範化の要因だ。例えば、盗聴事件発生当初、ロンドン警視庁は捜査の範囲を矮小化した。09年、ガーディアン紙が盗聴は組織ぐるみであったと報道すると再捜査を求める声が出たが、警視庁は再捜査の可能性を短時間の考慮で却下した。警視庁幹部とNOTW紙の発行会社ニューズ・インターナショナル社(=NI社)の経営幹部とが友好関係にあったことも判明し、メディアと警察との親しすぎる関係が事件の全容解明を阻んだのではないかという疑念が高まった。

 政界と新聞界、特にNI社やその親会社米メディア大手ニューズ社の幹部(最高経営責任者は「メディア王」ルパート・マードック氏)との密接な関係も、耳目を集めた。キャメロン首相は先の盗聴事件発生時のNOTW紙編集長を官邸の広報責任者として雇用していた上に、ニューズ社経営陣らと個人的な友好関係を持っていた。さらに、2011年夏当時、ニューズ社は39%の株を所有する英衛星放送局BスカイBを完全子会社化する案件を進行中で、首相及び担当大臣が便宜を図ろうとしたとする懸念が出た。

 上記を踏まえ、委員会は過去及び現状を把握した上で、言論の自由、多様性、独立性、高度の倫理・報道水準を維持するための政策や規制体制を推奨することを目指した。

 第2部はNI社やほかの新聞社・メディア企業での違法な取材行為についての調査だが、開始時期は未定だ。現在、盗聴事件の再捜査に加え、公務員からの情報買取やハッキングによる違法な情報取得と汚職疑惑について捜査が続行中で、すべての司法過程終了後に第2部が開始されることになっているからだ。電話盗聴事件をきっかけに生まれたレベソン委員会だが、事件の解明自体は調査対象に入っていない。
 
 委員会は2011年7月13日に発足し、8月末から調査の証拠となる文書の受付を開始。9月、10月には、国民に向けて現状の把握と問題の提起の機会として勉強会などを開催した。

 11月中旬から翌2012年7月までは、ロンドンの王立高等法院で公聴会が開かれた。マードック氏を含む新聞社経営幹部、編集長、記者、警察幹部、私立探偵、労働組合幹部、人権擁護団体、歴代首相を含む政治家、報道の被害者、メディア学の学者など合計337人が召喚され、宣誓の下、委員会で質疑を受けた。さらに300余人が証言はせずに文書のみを提出した。調査報道を遂行するために公に顔を出せない記者などを除き、ほぼ全員の証言がカメラで撮影され、委員会のウェブサイトに動画と証言内容の書き取りが掲載された。調査費用は約500万ポンド(約74億円、2011年7月から12年10月末まで)に達している。

―報告書は4部構成

 報告書は、最初の概要部分が46ページ、本文に当たる部分は4巻構成で約2000ページに上る。

 第1巻は委員会の立ち上げ、調査方法、目的、新聞と公益、新聞界が置かれている状況、報道規定、司法上の問題、警察の捜査、個人情報保護法の違反状況、電話盗聴事件などを扱う。第2巻(437ページ~)は新聞の文化、実践、倫理に注目し、新聞と国民の関係、NOWT紙の報道と報道被害の実例、新聞と警察の関係についての調査結果をまとめた。第3巻(997ページ~)は個人情報保護と新聞、新聞と政治界、言論及びメディア所有の多様性について言及。第4巻(1477~1987ページ)は報道苦情委員会(Press Complaints Commission=PCC)の役割と実践を検証し、法令化による独立規制機関の設置を推奨した。

 報告書の内容を、新聞報道と国民、PCCの機能、新聞と警察、データ保護、政治家との関係、最後に規制の行方の面から、紹介してみる。

―新聞報道と国民

 約8ヶ月続いた公聴会で、最も注目を集めたのが報道被害者による証言であった(概要部分及び第2巻パートF-5他)。02年に誘拐・殺害された少女ミリー・ダウラーちゃんの両親も証人となった。失踪後の数ヶ月、執拗にメディアに追われた両親は、少女の携帯電話の留守番用伝言が更新されていたので、「生存への望みをつないでいた」(母親)。ガーディアン紙の報道でNOTW紙の記者が伝言を聞いていたこと、伝言の一部を「削除」したことを知り、大きな衝撃を受けたという(証言の3ヵ月後、警視庁の調べで削除の事実が証明できないことが判明し、ガーディアン紙は訂正記事を出した)。

 2007年、マッカン夫妻はポルトガルの保養地で幼児の娘が失踪した経験を持つ。新聞各紙から夫妻を犯人視され、母親が娘を失った悲しみをつづった日記の一部を本人の同意なしにNOTW紙に掲載された。ゴードン・ブラウン前首相は、財務相だった2006年、息子の病気を大衆紙サンに暴露された。

 報告書によると、一部の新聞はネタを追うために業界の倫理綱領が「存在しないかのように振る舞い」、「罪なき人々の人生に大きな苦難や大損害をもたらした」

 「あまりにも多くの新聞記事があまりにも多くの人から苦情の対象になりながら、新聞が責任を取る例が少なすぎた」

 NOTW紙については、「規則順守体制に失敗があった」、「個人のプライバシー保護や尊厳への敬意が欠如していた」と指摘した。

―PCCの機能

 新聞報道の水準を維持するための規制体制について、報告書は、加盟新聞社による報道苦情委員会(PCC)が十分に機能していなかったと結論付ける(概要部分及び第1巻パートD-2他)。

 「根本的な問題」は、PCCは規制組織ではなく、苦情を処理する組織であった点だと報告書はいう。

 PCCは、業界からの「独立性に欠けていた」。運営資金を調達するために新聞・定期刊行物から拠金を集めるのが「新聞基準財務機関」(PressBof)だが、業界の上層部が会員となっていた。

 PCCへの参加は任意で、比較的に少ない人数に権力が集中しているため、「広範な領域を処理できなかった」、「充分な財源がないので、効果的な調査をすることができなかった」

 「苦情が取り上げられても、対応は不十分で、PCCに批判されたジャーナリストへの懲罰行為が欠けている。編集長への批判もなかった」

 PCCは新聞界への批判を阻止し、「盗聴事件への調査ではNOWT紙を支持したことで、信頼性を失った。真剣な調査がまったく行われなかった」

 PCCは昨年3月、廃止予定であることを発表している。

―新聞と警察

 報告書は、警察が報道被害について市民を十分に守りきれなかった実態を記す(概要部分及び第2巻パートG他)。

 ロンドン警視庁は、「NOTW紙による盗聴で犠牲になったかもしれない人への通知に失敗した」、09年のガーディアン紙の報道後に発生した再捜査への声を「すぐに否定した」上に、何ヶ月にもわたり「自己防御的な考え方をした」。

 しかし、「メディアとの関係において、警察に大規模な汚職が発生している証拠はなかった」

―新聞とデータ保護

 公的機関の情報公開と個人情報の保護を促進するための特殊法人「情報コミッショナー事務所」(ICO)は、02年、ある私立探偵事務所から個人情報の売買の可能性を示す大量の情報を押収した。当人の同意を得ずに個人の機密情報を取得し、公開するあるいは調達する行為は、個人情報保護法第55項の違反となる。2006年、ICOは捜査の実態を2つの報告書で明らかにした(「モーターマン作戦」)。

 調査期間の対象となった3年間で約1万7000件に上る情報取得・売買の要請があり、その大部分が大手新聞、雑誌などの記者によるものであった(概要部分、第1巻パートE-3及び第3巻パートH他)。

 ICOはメディアによる個人情報の違法利用を阻止しようとしたが、新聞業界によるロビー活動や司法体制の不備から、「私立探偵のノートにあった個人情報法違反行為について、ジャーナリストは誰も取調べを受けない」結果となった。ICOは、「新聞に対して、公式にも非公式にも、規制にかかわる捜査あるいは実行行動を行わなかった」。このため、「被害者の地位を守る機会が失われた」

―政治家との関係

 報告書は新聞とメディア界の関係について、国民の多くが感じてきたことを記す。「過去30-35年、あるいはそれ以上の長い間、英国の与・野党は」、「新聞と近すぎる関係を持ってきた」(概要部分及び第3巻パートG)。政党は「一部の新聞から好意的な扱いを得ることを期待して」、「不釣合いなほどの時間、注意、リソースを費やし」、「世論の国民へのニュースや情報の提供を過度に管理しようとした」

 公務に就く人への国民の信頼は減少し、「政治家と新聞とが、公益に反して、権力と影響力を互いに交換した」という認識、懸念が高まった。

 一方、ニューズ社によるBスカイBの完全子会社化の案件については、判断を下す立場にあったジェレミー・ハント文化・メディア・スポーツ大臣(当時)の側に重大な偏向があったという信頼できる証拠はなかった」と結論付けた(概要部分及び第3巻パートI-6)。

―規制の行方

 報告書は、報道被害を出しても適切な処罰が与えられず、規制が機能していない現状を変えるには、新たな、独立自主規制・監督機関を立ち上げるよう推奨する(概要部分及び第4巻のパートK)。

 規制機関は、法令によって設置され、現役の新聞編集長、経営者、政府から独立している。この法律は新聞の自由を支援し、守る明確な義務を政府に置く。

 運営は理事会が担当する。この会には、前編集長、経験豊かなジャーナリストなど新聞業界の経験を持つ人が参加できるが、現職の編集長、現職の下院議員や政府閣僚は任務に就けない。

 機関の財源は新聞業界と理事会が合意によって調達し、倫理綱領は、理事会員と現職の編集長が構成する綱領作成委員会によって決める。

 綱領は「言論の自由の重要性、国民の利益(公益、公衆衛生と安全性を守り、国民を大きく間違った方向に導くことを防ぐなど、個人の権利)を考慮に入れる」。

 理事会は、新聞報道に対する、適切で迅速な苦情処理メカニズムを持つ。
 
 倫理綱領の違反となる苦情があった場合、理事会は、新聞媒体に訂正と謝罪の掲載を指令する権限を持つ。しかし、「いかなる状況でも、記事の掲載を停止させる権限は持たない」。理事会は自らが問題を検証する権限も持つ。

 違反行為があった場合、理事会は新聞社に対し、売り上げの1%(しかし、最高金額は100万ポンド=約1億4500万円)までの罰金の支払を命じることができる。

 報道被害者と新聞社側の問題解決のための裁定所を設ける。より早く低価格の裁定サービスを利用できるようにする。

 新たな既成機関が新聞界、国会、政府から独立した存在であることを保証するために、外部の認定組織を置く。報告書が推奨する選択肢は、通信・放送業界の規制監督団体「オフコム」である。

 倫理に反した行為を求められたジャーナリストには内部告発用電話相談サービスを提供する。

 ICOに刑事訴訟を扱う権限を与え、新聞業界と相談の上で、個人情報の処理にまつわる指針を策定する。また、「個人情報保護法違反、プライバシー侵害、秘密漏洩など、メディアによる違法行為に適用される損害の見直しがあるよう」提唱した。

 警察との関連では、「オフレコ・ブリーフィング(オフレコでの背景説明)」という言葉の使用をやめるべき」と報告書は言う。報道しないことになっているバックグランド・ブリーフィング(=参考情報としてのブリーフィング)を意味する場合は、「『報告できないブリーフィング』(unreportable briefing)」と呼ばれるべき」と細かく指定した。

 英国警察長協会に加盟する警察官は、メディアとの接触のすべてを記録し、政策あるいは組織にかかわる事柄が議論になるのであれば広報担当官が立ち会う。

 政党指導者、閣僚、野党の首脳陣らは、メディア所有者、新聞編集長、編集幹部との長期的な関係について、四半期に一度、すべての会合及び会合以外の形(手紙、電話、テキスト、電子メールなど)での連絡の頻度や概要などを報告するように提案されている。

 言論及びメディア所有の多様性を維持するために、政府は「定期的に多様性の定義や状況について検証をするべきだ」。

 メディアの合併案件がある場合、担当大臣は独占防止当局に案件を照会する前に、合併への賛成と反対の関係者と相談する。当局に照会した場合は、照会理由を公表するべきとしている。(終)

***

 (次回は英新聞界の反応と現状について紹介します。)
by polimediauk | 2013-05-03 19:56 | 新聞業界
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(ドイツ語版ハフィントン・ポスト開始のニュースを伝える独ウェルト紙のウェブサイト)

 日本では7日から米ハフィントン・ポストの日本語版が開始されるが、今年秋には、ドイツ語版が立ち上がる予定だ。本家米国、英国、カナダ、フランス、イタリア、スペイン、そして日本版に続き、8番目のバージョンとなる。

 私は昨秋、ドイツの新聞発行者協会を訪ねる機会があり、広報担当者から「ドイツ版はない」と聞いていたので、このニュースにやや驚いた。ドイツの新聞界は、他国からやってきた企業が自国の新聞市場を支配する向きを見せると、一致団結して抵抗する傾向がある。かつて、ノルウェーのメディア企業が無料新聞の発行をドイツの都市で開始したとき、対抗する無料紙数紙を発行し、この企業を最終的に撤退させた経緯があった。

 ハフィントン・ポストがドイツ語版開始に手を組んだのは、独出版社ヒューバート・ブルダ・・メディアの子会社で電子出版のトゥモロー・フォーカス社だ。

 ブルダ社の発表によると、ハフィントン・ポスト独語版の本社はミュンヘンに置き、約15人前後と見られる編集スタッフをドイツで調達する。

 ドイツ語は欧州内の数カ国で主要言語となっている。今回のドイツ語版はオーストリアやスイスのドイツ語を理解する読者(約1億人)も対象としている。

 ドイツ語版は2年以内に収益を出すことを目標としているという。ハフィントンポスト社の最高経営責任者ジミー・メイマン氏が3月、オンラインの「ホライゾン・ネット」に語ったところによれば、今後3年から5年以内に、ドイツでトップ5のニュースサイトになることを目指す。

 英フィナンシャル・タイムズなどの報道によれば、ハフィントン・ポストは各市場に200万ドル前後を投資し、費用や収益を合弁会社と折半するという。フランスではルモンド紙、スペインではエルパイス紙、ィアリアではグルップ・エスプレッソ社と提携している。北米以外で最初に開始されたハフィントン・ポストは英国版だった(2011年7月)。

 ドイツのメディア学者Joe Groebel氏がAPに語ったところによれば、ハフィントンポスト独語版はドイツのニュース・メディアに大きな影響を与える可能性があるという。

 Groebel氏によれば、ドイツの新聞メディアは政治報道を中心に据え、事実と論考を分ける形をとる。一方のハフィントン・ポストは「感情に語りかけ、個人の顔を出し、短い記事が多い」。

 また、ハフィントン・ポストの記事は無料で閲読できるので、これもドイツの新聞サイトにとっては脅威となる可能性がある。

 ドイツ最大の大衆紙ビルトや高級紙ウェルトを発行する大手出版社アクセル・スプリンガー社はサイト閲読に有料制を導入しつつある。ほかのドイツ紙も米ニューヨークタイムズのようなメーター制による課金化を計画しているが、商業的に成功したところはまだないといわれている。

 ドイツの新聞発行部数は、日本同様下落傾向にある。ドイツ新聞発行者協会がまとめた情報によれば、2000年から2011年の間に、総発行部数は約2400万部から約1800万部に減少。これは約22%の下落にあたる。

 ハフィントン・ポストがギリシャ系米国人アリアーナ・ハフィントン氏によって創刊されたのは2005年だ。2011年には3億1500万ドルで米AOLに買収された。

参考:

Huffington Post picks Burda publishers for German edition

Huffington Post to launch German edition

Huffington Post rolls out in Germany
by polimediauk | 2013-05-01 22:02 | ネット業界
 毎日のように次から次へとニュースが発生するので、やや遠い事件のようにも思えるが、今年1月から3月ぐらいまで、アルジェリア人質事件で犠牲者の実名をいつどのように報道するかで大きな議論が起きた。

 この件について、月刊冊子「メディア展望」4月号(新聞通信調査会発行)に思うところを書いた。以下はそれに若干補足したものである。

 この問題については、電子雑誌「ケサラン・パサラン」14号に浅野健一同志社大学大学院教授が論考(アルジェリア犠牲者報道問題だけではない 日本メディアの問題点 「実名報道」による「報道被害」を放置・容認してもよいのか?)を寄せている。教授の記事をご参照いただければ、より理解が深まるように思う。 

 なお、この問題については賛否両論の論点がひとしきり、出尽くしたと思う。私は賛成派と反対派の溝に注目した。長いので、強調したい部分は太字にした。

***
 
日揮とテロ事件
大手メディアは実名、ネットは匿名支持 
人質死亡事件で大論争に

 今年1月中旬、アルジェリア・イナメナスの天然ガス精製プラントで、イスラム武装勢力による人質拘束事件が発生した。アルジェリア軍による掃討作戦で日本人10人を含む外国人多数が死亡する痛ましい結果となった。これに付随して、日本国内では犠牲者の実名報道の是非について、大きな議論が沸き起こった。実名報道をジャーナリズムの基本に据える大手メディアと、遺族の感情に配慮して、匿名も可とする国民との溝の深さが露呈した。

 本稿では、この2つの考えの溝に注目した。匿名を支持する国民の声の中にはマスコミへの大きな不信感が垣間見えた。何故こうした不信感が出るかの検証は大手新聞、テレビ界の将来にとっても、極めて重要と思える。

 ここで取り上げる「国民の声」は、主としてネット空間で発された言論だ。国民全体を代表するとは言えないかもしれないが、時代の変化に敏感に反応するネット利用者の発言は考察の対象に値する。

 実名報道が問題視された経緯、諸外国の事例、匿名報道が原則のスウェーデンの例などを紹介したい。

―英国は遺族の意向を尊重

 事件発生から一ヶ月ほどの経緯を、英国の視点から振り返ってみる。

 アルカイダ系武装勢力「イスラム聖戦士血盟団」がアルジェリア南東部イナメナスの西南に設置されたガス精製プラント(アルジェリアのソナトラック、英BP、ノルウェーのスタトイルなどによる合弁事業)を襲撃したのは、1月16日のことである。日本企業日揮の社員、派遣社員などもここに勤務していた。アルジェリア人、外国人など多数が人質となった。17日からアルジェリア軍が掃討作戦を開始する。21日までに武装勢力の駆逐に成功するが、この間、日本人10人を含む30余人が命を落とした(3月末の判明時点)。

 人質の数や国籍、その後の死亡者の情報は刻々と変化した。キャメロン英首相が「英国人3人が死亡」と述べたのは、事件発生から4日後の20日であった。このとき、個人名は出さなかった。BP側は「18人がプラントに勤務していたが、身元情報はプライバシー保護と家族の依頼で公表できない」と同日のウェブサイトで述べた。

 21日には、海外での英国人の身元情報を管理する英外務省が、遺族の同意を得て、犠牲者の個人名の一部を公表した。この日から、英メディアは独自取材で亡くなった英国人の実名を報道していく。外務省は自らが個人情報を出すのではなく、メディアが取材して分かった情報を外務省に問い合わせ、外務省が遺族の確認をした後、問い合わせに返答した。

 BPが亡くなったBPの従業員3人の名前と経歴をウェブサイト上に出したのは28日だ。4人目は「身元情報を出せない」とした。4人目の名前を公表したのは2月12日である。同日、BBCは、英国側の犠牲者は7人(BP関係者4人とほか3人)であったと報道した。

 ここまでの話が少々細かくて恐縮だが、全員の実名が出るまでに、事件発生から一ヶ月弱かかったということだ。

 2月4日には、外務省が報道陣に向けてメールを流し、翌週の英国人2人の犠牲者の葬式への取材を控えること、遺族や関係者への取材ではプライバシーに考慮するよう呼びかけた。

 毎日新聞(2月2日付)によると、政府が犠牲者名を発表したのは米国、フランス、アルジェリアである。

 「米国務省は(1月)21日に米国人犠牲者全員(3人)の実名を発表。しかし、国務省は『遺族のプライバシーを尊重し、これ以上のコメントはない』と付け加えた」という。

 フィリピン政府は遺族の意向で犠牲者の名前を公表せず、メディアは独自取材で実名報道した。ノルウェーは「行方不明5人(その後全員死亡確認)の名前を企業(スタトイル)が発表した」。

 各国によって対応にばらつきがあること、遺族の意向やプライバシーが重要視されていることが分かる。


―日本では実名報道の是非が大問題に発展

 1月16日の人質拘束から翌日のアルジェリア軍による攻撃作戦、これが終了する21日までの数日間は、作戦の意図、経過、人質の人数、国籍、犠牲者数などの重要情報が錯綜した時期である。

 正確な事態把握が困難な中、日本では政府や日揮が犠牲者の身元情報を出さないことへの不満感がメディア側に募っていたようだ。週刊「新聞協会報」(1月29日付)から政府・日揮側とメディアとの対立の経過を拾ってみる。

 「事件発生から5日後の(1月)21日、日揮の日本駐在員7人(筆者注:後に10人と判明する)の死亡が確認された」、官房長官が同日の会見で「ご家族や会社の方々との関係もあるので、(氏名の公表は)控えさせていただく」と説明。翌22日、内閣記者会が「官邸報道室を通じ被害者の氏名・年齢公表を文書で申し入れた」。この日、朝日新聞が一部の犠牲者氏名を報道している。

 政府が亡くなった10人の氏名を公表したのは、「遺体を乗せた政府専用機が羽田空港に到着した25日。内閣記者会の常駐する記者室に貼りだし、国会記者クラブ、国会映放クラブ、国会民放クラブにファックスで送信した」。この後で会見した官房長官は、「遺体の帰国後、家族と対面するタイミングを捉え、政府の責任の下に公表することが適当」と判断したと説明した。年齢、出身地、住所は「遺族の意向」で発表しなかった。

 日揮の川名浩一社長が同日、会見を開き、「政府発表以上の詳細な情報の発表は差し控えたい」と語っている。「本人、家族や遺族にこれ以上のストレスやプレッシャーをかけてはならないという考えが根底にある。この考えは決して変わらない」と述べている。「決して」と言う部分に固い決意が見て取れる。3月末の時点で、日揮自身からの被害者氏名の公表は実現していない。

 メディアによる被害者情報の開示要求は、21日前後から、思わぬ反響を呼んだ。国民の代表としての情報開示要求だったが、ネット利用者を中心とした国民の側は遺族への配慮をより重要視し、マスメディアへの反発が膨らんだ。

 実名報道の是非についての対立が明瞭になった1つの例が、1月21日、毎日新聞社会部長小川一氏がマイクロブログ・サービス「twitter」でつぶやいた発言である。「亡くなった方のお名前は発表すべきだ。それが何よりの弔いになる。人が人として生きた証は、その名前にある。人生の重さとプライバシーを勘違いしてはいけない」。これに対し、「そっとしておいてほしい」(yokorocks)、「報道機関っていうのはホント悲しみを食い物にして視聴率や部数で利益を欲しがる、そんな強欲なセイブツなんだろうか?」(northfox_wind)というツイートが続いた(表記は原文のまま)。

 22日、犠牲者の一人の甥、本白水智也氏が自分のブログで、「実名を公表しない」という約束で対応した朝日新聞の取材にもかかわらず、掲載された記事には実名とフェイスブックの写真が「無断で掲載されていた」と書いた。「ただでさえ昨夜の発表(注、叔父の死の政府発表)を受け入れるのが精一杯の私たち家族にとって、こんなひどい仕打ちはありません。記者としてのモラルを疑います」と批判した。

 23日、本白水氏は「叔父の子供が住むマンションに報道各局が押し寄せ」、「近隣に迷惑をかけて」いる、「やめてくれ」とツイートし、同日、朝日新聞社長にあてた抗議の書簡を出した。

 同じ日、ITジャーナリストとして著名な佐々木俊尚氏(元毎日新聞記者)が自分のブログで、先の小川氏のツイッターに間接的に触れ、「新聞記者は『一人の人生を記録し、ともに悲しみ、ともに泣くため』などと高邁な理想で被害者の実名報道の重要性を語るけれども、実際にやっているのはメディアスクラムで遺族を追い掛け回しているだけ」、と書いた。Twitterで17万人を超えるフォロワー(Twitterの呟きを追う人)を持つ佐々木氏の発言は、ネット界で大きな影響力を持つ。

 この日の夜、テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」が、当時分かっていた7人の犠牲者の名前を報道した。日揮の要請を受けて、政府は犠牲者の名前を公表していなかったが、「喜怒哀楽を抱えて生きてきた人生」が「断ち切られてしまった」その無念を「お名前で伝えさせていただく」と司会者が前置きをしての報道だった。この実名公表の決断は、ネット空間で大きな批判の嵐を呼び起こした。

 一方、24日付の産経新聞記事では、岡田浩明記者が、政府が死亡者の氏名や年齢を公表しないでいることについて「説明責任の観点から情報隠蔽(いんぺい)の批判にさらされかねない」と書いた。

 こうして、25日の政府による正式発表以前、マスコミ側の焦燥感は募るばかりとなった。

 同じ頃、Yahooのニュースサイトに設けられたクイックリサーチ(簡単な質問にウェブサイト上で答える仕組み)によると、「氏名を公表すべきだ」が1万6335票(約30%)、「公表すべきではない」が3万7241票(約70%)で、ネットユーザーの圧倒的多数が「公表すべきではない」を支持していた。

 元産経新聞ロンドン支局長で現在はフリージャーナリストの木村正人氏は、実名報道を求める報道機関と集団的過熱取材による報道被害を懸念する市民感覚との「かい離」を、自分のブログ(23日付)で指摘した。

 同氏は同日付で数本の投稿を行い、その中の1つ(「僕は『Aさん』では死にたくない」)では、「みんなで泣き叫んだり、怒ったり、笑ったりする記憶を共有する社会は『匿名』の中からは生まれてこない」と書いた。

 一連の木村氏のエントリーには多くの否定的な意見が寄せられた。「悲しんでいる遺族の所にマスコミがメディアスクラムを組んで押しかけるのは許されない」、「遺族が否定する犠牲者の氏名をマスコミは何の権利があって公表するのか」など。

 木村氏は、「高度経済成長を経て、次第に個人の権利意識が高まり、プライバシー保護が重視されるようになった」現在、「匿名発表」や「匿名報道」が市民権を受けるようになったのに対し、マスコミは「なぜ実名報道を原則とするのか」の「十分な説明を怠ってきたのではないか」と問いかけた。

 全国の新聞社が加盟する日本新聞協会は、2006年末に出版した小冊子「実名と報道」の中で、実名報道の意味を、「訴求力と事実の重み」、「権力不正の追及機能」、「被害の事実と背景を広く訴える」、「実名の尊厳」(氏名は人が個人として尊重される基礎)として挙げる。

 実名報道の現状を英国に留学して研究した経験を持つ共同通信の澤康臣記者(ニューヨーク支局次長)は、「ニュースは社会に生きる一人一人が何をし、何に巻き込まれたかを記録し伝えるもの。どんな人でも社会と歴史の主人公だというのが実名報道の立場だと思う。でもそれは時に大変残酷で、申し訳ない面を持つ。それを重く受け止め謙虚に取り組むべきだ」と筆者に語る。

 実名公表の是非議論を通して、メディアスクラムに対する一般市民の嫌悪感、メディア報道への不満が一気に噴出したが、時事通信社会部の柴田裕之記者は「新聞協会報」の署名記事(3月5日付)の中で、一連のメディア批判は必ずしも正しくなかったのではないかと疑問を投げかける。

 同氏は、犠牲者や生存者を独自取材で割り出す取材を続けたこと、慎重に遺族取材を進めたことを記す。日揮側の「遺族にストレスを与えたくない」としたコメントがネット上で「断片的に引用され」、「メディアスクラムを既成事実化する書き込みが散見された」と指摘し、「事実と異なるメディア批判の呼び水になったとすれば残念というほかない」と書いた。

―スウェーデンでは

 犯罪事件の被疑者、被告人を匿名で報道するのがスウェーデンだ。
 
 月刊誌「Journalism」(2009年5月号)に掲載された、高田昌幸氏(当時北海道新聞記者、現在高知新聞記者)の現地取材によると、スウェーデンでは、「政治家・公務員、大企業経営者らが職務に関して犯罪や不正を働いた場合を除き、一般私人の犯罪は判決確定まで、ほとんど匿名で報道する」のが常だという。

 高級紙スベンスカ・ダーグブラーデットの編集局次長は「名前や現場住所を抜いても詳細な報道はできるし、読者は容疑者氏名を知らずとも、事件の背景、問題点は理解できる」と高田氏に語り、大衆紙アフトン・ブラーデットの編集局次長は、「司法のプロセスをきちんと伝えるのが報道の役割だ」、「容疑者逮捕は警察の仕事であってメディアの仕事ではない」と述べた。

 英国では、報道する側つまり記者の署名記事も含め、事件事故報道でも実名報道が原則だ。ただし、性犯罪の被害者及び18歳未満の未成年が加害者になった場合にのみ、匿名となる(重大事件は別)。実名報道の歴史があるので、事件発生時には実名が出るという認識が社会の中で共有されている。

 国際的な犯罪事件、テロ事件が発生すると、英外務省・政府は外部に公式に出す情報について非常に慎重になる。犠牲者、負傷者情報の公表は、家族・遺族の了解後になるが、必ずしも自らは情報を出さない。今回は、BPの犠牲者について正式に情報を出したのはBP自身であった。

 BPによる氏名発表(3人分)は、先述したが、1月28日。日本政府の25日発表と比較し、遅れること3日である。BPによる同社の最後の犠牲者の名前は2月12日に発表されている。その一方で、1月21日ごろから英メディアは遺族の協力を受けながら、氏名を報道している。

 「実名報道が実現したかどうか」と言う点において、日本も英国も最終的結果は一緒になった=実現した。しかし、英国では、遺族やプライバシーに配慮しながら、公表内容や時期をずらすことはなんら報道の自由とは衝突せず、むしろこうした配慮がなされることが当然と考えられていたという点で、政府による実名報道の(早急な)公表を迫り、「権力と対峙するメディア」という争点を作ったように受け取られてしまった、日本の場合と一線を画したように思う

―匿名社会は何をもたらすか

 共同通信の澤記者は、「日本のネット社会はとりわけ匿名で出来事を記述する志向が強い」と語る。「ウィキペディアの同じ項目で(英語版では実名が入っている場合でも)日本語版は匿名になっていることがあるのは特徴的だ」。

 同氏の観察によれば、「日本は既に匿名記事やモザイク映像が英米に比べ極めて多く、だから『匿名で社会に参加できる』という考え方が広まった可能性がある」、「取材に応じてくれた方に名前を出すことのお願いすらせず匿名記事にする記者が増えていると聞いて驚いた」。

 もし、日本で匿名化があらゆる報道に拡大した場合、行き着く先はどうなるのだろう?

 澤氏は、著書「英国式事件報道 ―なぜ実名にこだわるのか」の中で、公開の場所から人の名前が消える「匿名社会」は、市民の共感、そして連帯をも妨げる」のではないかと指摘した。

 民主主義社会で「主権者である私たちが主権者として行動するため欠かせない『知る』ということを提供」する存在としてジャーナリズムを捉える澤氏は、メディアと国民(=私人)とのあるべき関係をこのように説明する。

 (民主主義社会の中では)「観客とステージがつながっているかのように、どんな『私人』であっても誰もが意見を言い、意見を求められる。その中にあって記者は、つらい立場の人を気遣いながらも、声の小さな人や少数派である人ほどに多くの意見を言ってくれるよう促し、励ます存在でありたい。それも衝立の向こうではなく、こっちに来て話してくれませんか、と。私たちの社会で生きる隣人、一人一人の人間としての同僚市民に心を寄せ、お互いの声を響かせあうマス・コミュニケーションとなるために」。

 氏名公表をめぐる大手メディアの実名の主張と国民の間のマスコミ批判や匿名志向との「溝」を埋めるためには、この「社会で生きる隣人、一人一人の人間としての同僚市民に心を寄せ」る努力が、いま一度必要なのではないだろうか。
(終)
by polimediauk | 2013-05-01 06:38 | 日本関連