小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

<   2014年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

c0016826_6435291.jpg

(「データ・ベビー」のウェブサイト)

 英民放チャンネル4(フォー)が、「データ・ベビー」を使って、様々な面白い実験を行っている。

 データ・ベビーとは架空の人物だ。番組制作者がネット上に「レベッカ・テイラー」という女性を作り上げ、彼女のデジタル上の行動がどんな波紋を呼び起こすのかを調べることで、ネットを使う私たちの生活について考える、という仕組みだ。

 この件については、読売オンラインのコラム(ネットの裏をあぶり出す「データ・ベビー」)で一通り、書いている。

 当時、番組のテクノロジー担当編集者ジェフ・ホワイト氏とジャーナリストのセーラ・スミス氏に取材して話を聞いた。記事の中には一部しか入れることができなかったので、以下に会話の大部分を紹介したい。日本のテレビ界の制作者、あるいはテクノロジー関係の方に、何らかのヒントになればと思う。

***

なぜデータ・ベビーを作ろうとしたのか?

ジェフ・ホワイト:近頃、米国家安全保障局(NSA)や英政府通信本部(GCHQ)による、個人情報の大規模収集の実態が暴露され、注目を浴びているね。個人情報が知らない間に収集されていることに、危機感を抱く人が増えている。

 私たちはNSA報道が始まる前から、個人情報収集の問題に注目してきた。つまり、私たちはデジタルの足跡を残している。その結果として、集められた情報に基づいて画面上に広告が出ている。いったい誰がこんなことをしているのだろう。誰が情報を集め、私たちに広告を投げているのかー。

 チャンネル4で働き出して2年半ほどになり、テクノロジーについてのトピックを映像化してきたが、いつも最後には「誰がどんな風に情報を収集しているのだろう」という疑問がわいた。

セーラ・スミス:制作班の仲間と、クッキーについて話していたことを覚えている。サイトの閲覧情報がクッキーの中に保存されているということは、どういう意味を持つのか、と。

ホワイト:普通の人は、どのようにどんな情報が収集されているかを理解しにくい。

 そこで、考えた。ある人を媒体にして、ネット上で何が起きているのかを示すことができるのではないか、と。架空の人物を作ることにした。この人をできうる限りリアルにする。ツイッターやフェイスブックのアカウントも作った。

 ある情報をこの人を通じて流す。するとネット上で何が起きるかを追跡しよう、と。何がその人に戻ってくるのか。その情報がどこから来てどこに行くのか、誰が受け取っているのか。次に誰に受け渡しているのかーということを「データ・ベビー」を使ってやろうとした。

なぜ「データ・ベビー」と呼んでいるのか?

ホワイト:ちょうど意味が通じると思ったからだ。

 2つの意味があって、1つはデータ、利用者のデータである、と。それと、私たちが生み出した「赤ん坊」であること。ちょっとフランケンシュタインのような響きがあるけれども。

 実際に赤ん坊のようなものだ。みんなで面倒を見ているのだから。チーム全員でデータ・ベビーについてツイートし、ストーリーのアイデアを得る。

 架空の人物を私たちが作ったため、最初はゼロだった。そこから成長してゆく、という意味もあって、「データ・ベビー」になった。

 やり方としては、まず最初に、「レベッカ・テイラー」(データ・ベビーの名前)の人物像を作った。名前、年齢、住所(ロンドン)、そして、ある会社の従業員でもある、と。ある意味では操り人形のようなレベッカの特徴を作った。何に関心があって、休暇はどこに行くか、など。27歳のロンドン在住の女性のパーソナリティーを作るのはそれほど難しくはなかった。

誰がレベッカの面倒を見ているのか?

ホワイト:自分とそれからチャンネル4のチーム、テクノロジーのプロデューサーなどが担当している。
 
ネットの活動は今、24時間となった。レベッカの維持にはずいぶん手間がかかるのではないか?

スミス:それほどは(24時間は)忙しくレベッカは活動しているわけではない。ある意味では、故意にそうしている。

 私たちニュースチームの活動は24時間だが、レベッカには特定の行動をとってもらい、これをフォローする形をとっている。例えば、レベッカが航空券を買おうとする。この価格は同じ航空会社であれば別のサイトでも同じなのかどうか。それとも、ネットのブラウジングの履歴に関連するのかどうか、とか。

 レベッカは24時間、ショッピングをしたりしないし、24時間、ニュースを読んだりもしない。私たちよりは忙しくない。私たちが彼女の活動を分析できるようにするには、そうしないと駄目だった。

 彼女は白いキャンバスのようなものだ。私たちがいろいろなことを実験できるようにした。

ホワイト:たった1時間、ネットをブラウジングするだけでも、非常に大量の情報が行き来する。驚くほどだ。フェイスブックを1時間やるだけでも、350回以上の情報の行き来がある。これを24時間やってしまうと、膨大な量になってしまう。

レベッカは携帯電話も使うようになるのか?

スミス:そうだ。最近、使い出している。

ホワイト:携帯電話は面白い。利用者の生活の中に食い込んでくるからだ。

 人々は、携帯電話(スマートフォン)がコンピューターを持ち歩いているようなものだということにまだ気づいていない。スマートフォンはラップトップと同じほどの個人情報を抱えている。しかも、携帯には位置情報が入ってくる。さらにパーソナルな情報が出てゆくことになる。

レベッカを使っての、フェイスブックのエピソードがあった。「いいね!」を販売する業者があって、これをチャンネル4が買う。その後で、レベッカがカップケーキを販売するフェイスブックのページを開いてみると、ここに「いいね!」が押し寄せた。後で、チャンネル4がカップケーキのページにいいね!を押した人に取材してみると、「押した覚えがまったくない」といわれた、という結末となった。知らない間に、「いいね!」を押していた仕組みがあった。(詳細は上記の記事を参照。)恐ろしい話だった。

ホワイト:確かに、恐ろしい話だった。

スミス:すべてのストーリーがデータ・ベビーの中から生まれるわけではない。例えば、フェイスブックについての懸念が別にあった。しかし、データ・ベビーの存在は、テストをするのに最適だったというわけだ。

 テクノロジーの話はテレビの映像に出しにくい。ケーブルがコンピューターの後ろから出る画像などを使っても、限界がある。テレビ向けの話に作り変える必要がある。レベッカはこの点でとても役に立つ。
 
ホワイト:でも、ずっとやっていると、ちょっと奇妙な、少し哲学的な領域にも入ってくる。データ・ベビーの携帯電話についての話だったので、携帯電話を誰かが持って歩く必要があった。架空の人物の携帯電話を持ち歩くなんて、なんとも奇妙な感じだった。

 それと、データ・ベビー自身は自分がモニターされていることを知っているのか、という問いだ。

 データ・ベビーにはツイッターのアカウントがあって、データ・ベビーのストーリーをやるときは、私たちはこのアカウントを使う。フォロワーたちがこのアカウントを通じて、私たちと双方向のコミュニケーションをとる。

 こんなとき、データ・ベビーのアカウントは、番組のチャンネル4ニュースのアカウントとなるのだろうか?そうだとすると、これとは別にレベッカ・テイラーのアカウントを作るべきなのかどうか。

 大きな問題は、支払をどうするかだ。架空の人物ではものを買ったときの支払いはほぼ不可能だ。クレジットカードを使わなければいけないからだ。カードを作るとすれば、カードが届けられる場所を作らないといけない。どんな風にしても、支払いには物理的な足跡が残る。

スミス:郵便局を使うとしても、支払う人の身元情報が必要だ。ペイパルにも銀行口座が必要だ。バーチャルコインとして人気の「ビットコイン」を使っても、いずれかは払わないといけない。どこかで物理的にお金を渡さないといけない。

レベッカにはフェイスブックのアカウントがあるそうだが、架空の人物がアカウントを作ってはいけないというのがルールでは?

スミス:確かに、そうだ。

フェイスブックは文句を言わないだろうか。

スミス:知らないのだと思う。架空の人物の口座はたくさんあるし。

ホワイト:まだフェイスブックからは何も言われていないが、もし架空のアカウントだといわれたら、2つの理由を言うだろう。まず、リアルな人が後ろにいる。それと、リアルなアカウントよりもリアルで実り多い相互関係がある、と。

最終的な目的は?

ホワイト:興味深いテーマを放送するのが目的だけど、自分的には、リアルな人物の具体的な名前を出したい。この会社がこんなことをやっている、と。会社や個人の名前に行き着くところまでやりたい。そうすると、リアルなストーリーになる。

 レベッカはバーチャルな存在だが、私はリアルな人々を画面に出そうと思っている。

ジャーナリストとして、データ・ベビーを通して感じたことは?

スミス:テクノロジーの専門家ではないし、自分についての情報やパスワードの保全について、深く考えたことがなかったので、巨大な量の情報の行き来の事実を知って、衝撃を受けた。不用意にデジタルの足跡を残していたなと今では思う。

ネット上の行動を変えたか?

スミス:そうしようとは思っているがー(笑)。実際にはフェイスブックの利用などを変えた。

 まじめに答えると、学んだことがある。情報がどこに行くのかを考えることと、プライバシーを守ることを考えるべきだと思った。

 携帯電話を持てば、どこにいてもトラッキングされているということを知っていることは重要だ。無線LANのスイッチを切ったりなど、そうしようと思えば、トラッキングされないようにするいろいろな方法がある。

 どの情報を外に出すのか、どの情報を出さないのかについて、考えないといけない。無料でサービスを受けるために、こちらの情報を出す前に、いわば哲学的な問いかけを行うべきではないか。私たちはこの問いかけを十分にやってこなかったと思う。

このプロジェクトで意識が変わった?

ホワイト:そうでもない。いつも情報について強い関心を抱いてきたからだ。ただ、大量の情報が行き来していたことを知って、その規模に驚いた。

視聴者へのアドバイスは?

ホワイト:物事を自分で決めることだ。ラップトップや携帯電話に情報をあげっぱなにしていないかどうか。車で言えば、ボンネットの中のエンジンなどをまったく見ずに、ディーラー側が「こちらでやってあげますよ」という言葉をそのまま信じていたりはしないか、と。(ボンネットの)中を開けてみて、自分で決めるべきだ。

 アプリを利用するとき、携帯電話の番号を聞かれるときがある。果たして教える必要があるのか。理由も与えず、そうした情報を聞いてくるとき、そのサービスを使いたいと思うのかどうか。自分のプライバシーを便利さのために引き渡している可能性を考えてみてほしい。

スミス:無料のものはないということを思い出してほしい。誰かが無料のサービスを提供しようとするとき、あなたの情報を使って十分な利益をあげているから、それができる。

 誰がその情報を使っているのか、サービスを無料で提供するほど、その情報がなぜその会社にとって価値があるのか、と問いかけてみてほしい。  

***

チャンネル4ニュースのウェブサイト
クリップの多くは海外でも視聴できる。
by polimediauk | 2014-01-26 06:45 | 放送業界
 エフゲニー・モロゾフ氏の「すべてを解決するには、ここをクリックしてください -テクノロジー、解決主義、存在しない問題を解決しようとする欲望」から、抜粋を紹介してきた。今回が最終回となる。「私たちの敵は、テクノロジーの世界に住む、ロマンチックで革命的な問題解決者だ」という。

***

第8章 スーパーヒューマンの状態

 マイクロソフトのエンジニア、ゴードン・ベルは1990年代末から自分についての記録をとり出した。首につけたカメラで視覚に入ったものを20秒ごとに撮影する。ほかにも、メール、写真、メモなどを記録する。

 自分の行為を記録することをライフ・ブロギングという。

 プルーストにとって、現実を描写するための鍵はデータを集めることではなく、想像力を使って、私たちの感覚を記憶と結びつけることだった。

 再生できないものを再生できるようにしたら(ライフブロギング、セルフトラッキングなど)、ノスタルジアの体験は崩れてしまう。

 コンピューターのメモリーと人間のメモリー(記憶)は違うのだ。人間は、過去の出来事の一部を選択して覚えている。旅行のすべての瞬間の録画対3枚の印象的な写真のように違う。コンピューターの「保存(リテンション)」が思い出すことを意味しないのと同様に、「削除」は忘れることを意味しない。

 セルフトラッキングにはもうひとつの動きがある。

 アイフォーン、アイパッド、キンドル、グーグルのメガネは何を読んでいるかを追跡する。将来は目の動きも追跡される。利用者について、情報が集まるーーどこにどれだけ目をおいたか、クリックしたかがわかる。これを数値化する動きもある。

 新聞やテレビは、グーグルのメガネや電子読書端末を使えば、それぞれの利用者に(さらに)あわせた情報を出せる。

 セレンディピティ(別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることのできる)を入れたフィルタリングがデジタル技術で実現した。これによって、利用者がまだ消費していないが、消費するべきものを推奨できる。うまく使えば、消費者についての情報をもっと取得できる。

 グーグルのシュミットは、私たちがポスト世界主義の時代に生きている、という。「世界のどこでも人々は同じだ」。

 Facebookのザッカーバーグは、世界中の人をつなぐことが問題を解決する鍵だという。中東での憎悪は「つながっていない、コミュニケーションがない、同情心、理解がないこと」が原因という。FBでつながれば問題が消えるのだ、と。しかし、これはエセ人道主義ではないか。

 新しいテクノロジーの出現で「人間同士の理解を振興するだろう」とする言説は、過去にもあった。しかし、コミュニケーションの速度が高まったからといって、理解度が進むとは限らないのだが。

 私たちがシリアの問題に関心をもつのは中東の平和や人間の運命について関心を持つからであって、グーグルやFacebookがそうさせたからではないようにしたい。

 2011年7月から、グーグルニュースはたくさんニュースを読んだ人にバッジをあげるサービスを開始した。ニュースを読む行為をゲーム化するのは楽しいとしても、結局は企業にもっと情報を出すことになっている。

 「すべてがゲーム化する。政府もそうなる」という政治家がいるが、政府は企業ではなく、市民は消費者ではないという考えがゲーム化信奉者にはみあたらない。

 例えば、ポイントを得るために投票所に行くことに対し、私たちの多くは抵抗感を持つ。ゲームのインセンティブは市民性からその意味を取り去ってしまう。正しいことをさせるのではなく、正しい理由で行動を起こすようにするべきだ。経済の理論のみで人間行動の複雑さを説明できない。

第9章 スマートなメガネ、おろかな人間

 米サンタモニカのある駐車場にはスマートメーターが導入されている。車の滞在時間をセンサーで察知する。車が駐車場所を離れるとメーターを自動計算し、時間を過ぎても出ない場合、一定時間を超えたら、支払いを受け付けないようにする。違反者が出ないように、機械的にパーキングの規則を守るシステムを作った。運転者は頭を使う必要がない。しかし、選択があったほうが、交通混雑を避けられるのではないか?

 テクノロジーで問題を解決するやり方を拒否する必要はない。しかし、もっとオープンにし、選択肢を残すほうが良いと思う。

 サンタモニカの駐車場の仕組みを設計するのに、「正しい」方法はない。いかにも正しい方法があるかのアプローチの仕方はやめるべきだ。

 セルフトラッキングやゲーム化で私たちの生活が不快になったというのではない。生活の意味がやや減り、人間の要求や奇行にはより合わなくなったと思う。

 すべての制約を自由を縛るものと考えるのがコンピューター科学者やテクノロジー設計者たちだ。しかし、私たちは、プライバシーの保護についての制約があるからこそ、個人性を維持してきた。

 クーポンの代わりにプライバシーを屈服させている可能性がある。その結果どうなるか、私たちには十分に見えない。

 自動化されたプロファイリングやデータマイニング技術は、私たちの行動を予測する知識を持つ。私たちが訪れるウェブサイトや受け取る広告をカスタマイズする。

 自分の船の指揮官であることが人間であることだが、オンラインのプロファイリングはこの点で問題になろう。

 例えば、ベジタリアンになろうとして情報をネット上で探したとしよう。情報が売られて、サイト上には肉についての広告が増えることがあるかもしれない。ベジタリアンになりたいという気持ちと、冷蔵庫になぜ無料の肉が入っているのか(広告を見て、購入した)を関連付けられないかもしれない。

 何かがあなたの視覚を妨げていて、それをあなたが気づかないとしたら、自分に自治権があるのかを問うときだ。

 テクノロジーを否定しない。人間の状況を向上させるために使える。しかし、コンピューターの専門家、設計者、ソーシャルエンジニアは何が私たちを人間にするのかを考えてほしい。人間をロボットであるとするのではおぼつかない。

 デジタル技術が今後どのように展開するかは、インターネットがどう機能するか、コンピューターがどう機能するかではなく、私たちがどのように機能させたいかで決まる。

 インターネット、携帯電話、ウィキペディアなどについて、見かけの新奇性から「今後どうなるか見極めよう」としてはいけない。もうすでに「待つ」行為は終わったし、見えてきたものはきれいではない。

追記

 前作では、「インターネットの自由」などのあいまいな概念が、高度に洗練された専制政権を倒すことに役立つとする考えが、いかにナイーブで危険かと書いた。

 この本では、インターネット至上主義と解決主義について書いた。解決主義はこれからも続くだろう。「直したい人」をなくすることはできないが、私たちはインターネット至上主義から自分を切り離す試みはできるだろう。

 この本がデジタル技術の知的議論の最前線に貢献できればと思う。

 その「議論」とは、一方がインターネットが世界の問題を解く鍵とする考えで、もう一方はネットは政治家を混乱させており、デジタル活動家がインターネットにたよることなく議論を展開するようになればいいと考えている。自分は後者だ。

 ポスト・インターネットの社会とは何だろう?

 まず、ネットあるいはソーシャルメディアが、私たちの脳、自由、独裁者に何をするかについての議論には加わらない社会だ。ツイッターやアラブの春現象よりもゴミ箱や駐車場の問題について考える社会だ。個々の問題について考えるほうが、デジタル技術の機会や限度についてよく考えられる。「ソーシャルメディアが革命を起こすか」という問いについて考えるよりも、だ。

 ポスト・インターネットのアプローチは、デジタル技術を原因とするさまざまな主張について、非常に注意深い態度をとる。デジタル技術は原因ではなくて、結果だと思っている。デジタル技術は空から降ってきた(神聖な)ものとは考えず、その詳細を研究する。

 過去100年ほど、その時代の人々は自分たちこそがテクノロジーの最先端をゆく、と言っていた。2005-07年ごろ、実は自分も革命が起きたといっていた。ウィキペディアにはうっとりするようなスタイルがあった。

 だから、自分は現在の議論に満足するインターネットの専門家の気持ちは分かる。しかし、おそらく、(その言動を)許さないだろう。

 この本ではインターネット理論家の大部分が、自分たちで作った想像上の神をあがめ、否定の世界で生きていることを示したかった。

 テクノロジーに関する議論の世俗分離を行い、インターネット至上主義の邪悪な影響をきれいにすることは、今日のテクノロジー知識人のもっとも重要な課題だと思う。

 インターネットの言葉自体が争点となり、不確かさがいっぱいであるのに、「インターネットの自由」という言葉を使うことの意義がどこにあるのだろう?

 テクノロジーは敵ではない。私たちの敵は、テクノロジーの世界に住む、ロマンチックで革命的な問題解決者だ。これをおとなしくさせることはできない。しかし、解決者の最愛の兵器「インターネット」については、多くのことができる。できるかぎり、そうしようではないか。(終)

***

 モロゾフ氏のエージェントから許可を得て、本の概要を抜粋紹介してきた。日本語の翻訳は未定のようだが、どこかの出版社が興味を持ってくれることを期待して、訳出してみた。

 「インターネット=善=自明のこと」という見方に挑戦する論考だった。「疑え、とにかく疑え」という声が聞こえてくるようだった。

 私自身がこの本を読んで、ネットに関する見方が変わった。

 この本は昨年3月に出版された。その後、スノーデン事件(6月以降)があり、ネットとプライバシーについての人々の考え方は随分と変わったのではないかと思う。商業上の目的で企業が利用者から情報を集めていること、政府・当局が大規模に情報を収集していることなどについて、「いかがなものか」という意識が強くなってきたと思う。

 今回の抜粋の掲載の過程で、「でも、仕方ないじゃないか」「どうせ現状は変えられない」という声を聞いた。

 私はそうは思わない。

 インターネットの未来の話ばかりではない。日常生活でおかしいなと思うことがあったら、友人同士で会話する、関連の論考を読んでみる、情報をもっと探してみるなど、何でもいい。ちょっと視野を広げるだけ、つぶやいてみるだけで、自分が、そして周囲が変わる。池に小石を投げる様子を思い浮かべてほしい。小さな声は一つの塊になるまでに時間がかかるかもしれないが、最終的には世論形成につながってゆく。「世論形成」という言葉が堅苦しければ、「雰囲気作り」と言ってもいい。ある雰囲気を作ることは、それほど難しくないーそんな気がしないだろうか?

 実際、スノーデン氏による暴露で、オバマ米大統領が情報収集体制の見直しを命じている。米ニューヨークタイムズがスノーデン氏に恩赦を与えるべきとも書いている。国家の機密を暴露した人物に恩赦を、とー。ウィキリークスを通じて機密をリークした米マニング兵は数十年の実刑判決を受けて受刑中だが、今後、釈放される可能性だってないわけではないだろう。

 当局から情報を取られないようなネットの暗号化をどうするかで専門家による話し合いも続いていると聞く。

 2014年の私たちはスマホを活用し、トラッキングに慣れ、グーグルめがねを奇妙とは思わなくなった。私自身はウェラブル機器がさらに発展したとき、究極には「おろかな人間は必要がない」方向にまで進むのかなと思い、複雑な思いがするーそれでも「構わない」方向に最後には進むのかな、と。

 昨日までは奇妙だと思っていたことが、今日は普通になる。そんな世界に私たちは生きている。

***

 モロゾフ氏のツイッターは皮肉ときついジョークで一杯だ。
by polimediauk | 2014-01-12 18:51 | ネット業界
 ジャーナリスト、リサーチャー、作家エフゲニー・モロゾフ氏の本「すべてを解決するには、ここをクリックしてください -テクノロジー、解決主義、存在しない問題を解決しようとする欲望」から、その一部を紹介する。今回はビッグデータの取り扱いやセルフトラッキングについて疑問を呈する。(次回は最終回。)

***

第6章 犯罪をより少なく、もっと処罰を

 警察はビッグデータから利を得ている。犯罪をリアルタイムで見つけ、事前に行動を起こすことが可能になっている。

 問題はアルゴリズムが客観的とみなされていることや、透明性に欠く点だ。

 アマゾンのアルゴリズムはまったく不透明で、外部からの詮索がない。アマゾンは競争力を維持するために機密が必要だという。しかし、警察活動はどうだろうか。

 警察活動のソフトウェアは民間企業が作っている場合が多く、どんな偏見が入っているかを検証できない。

 アルゴリズムに偏見は入らないのだろうか?犯罪は貧しく、移民が多いところで起きる。アルゴリズムに人種によるプロファイリングは入っていないのか?路上尋問で、アルゴリズムがそう言ったからとして、尋問の理由付けに使われないだろうか?法廷での位置付けはどうなるのだろう?

 予防アルゴリズムは、将来の犯罪を予測しているのではなく、現在の状況を基にして将来に発生するかもしれない可能性のモデルを示す。

 アルゴリズムが私たちの生活にどんどん入っているので、資格を持った、かつ公的な第3者によって定期的に検証されることが必要なのではないか?

 警察は個人のプライバシー情報にアクセスするとき、逮捕状が必要になるが、Facebookなどは顧客情報を見るだけでよい。警察からすれば、Facebookが汚い仕事をやってくれるので助かる。

 ソーシャルメディアは、どの程度まで実際に警察と情報を共有しているのかを公開するべきだ。

 今は Facebookやイェルプを使えば、ほしいものを入手できる。合理的選択論が基にあるので、Facebookのアプリが歓迎される。評価=レピュテーションを作れば、差別がおきにくくなるという人もいる。しかし、完全のマッチングには恐ろしさもある。似たもの同士ばかりの世界に入り込む。社会を前進させるための冒険を除外する。

 情報社会化がどんどん進んでいる、「私たちはこのテクノロジーの世界を変えられない」-こんな感情が広く存在している。しかし、これは「デジタルの敗北主義」ではないか。

 技術が自動的な力であるとする考えは昔からあった。1978年にはランドガン・ウイナーが「Autonomous Technology」を書き、 Kevin Kelly は「What Technology Wants」を書いた。ケリーはテクノロジー雑誌「ワイアード」の最初の編集長だった。ケリーの本はインターネット至上主義者に知的な理由付けを与えた。

 ケリーはテクノロジーを進化としてみる。テクノロジーが自然であり、自然がテクノロジーなのだ、と。こういわれたら誰も反論できない。「テクノロジーに耳を傾ければ、パズルが解ける」、とケリーはいった。テクノロジーには語るべきストーリーがあり、私たちができるのは耳を傾けること。そして、政治および経済上の予測をこれによって変えることだと。

 しかし、なぜそうする必要があるのだろう?Facebookもグーグルも規制できるのに、なぜ私たちのプライバシーについての概念を変えなければならないのだろう。どこまで私たちは考えを変えるべきなのか?その「声」とはシリコンバレーの広報部の声だったらどうするのか。

 私は、テクノロジー自体は何も欲していないと思う。インターネットも、だ。

 テクノロジーの発展を止められないという敗北主義が抵抗の力や改革・変革を求める道を隠してしまう。テクノロジーは進展するので、人間はこれに合わせるしかないという考え方はいかがなものか。

 19世紀、カメラが市場に出ると、人々はプライバシーの侵害だと思った。今はみんながカメラに慣れている。こういうことがネットでも起きるという説があるが、本当だろうか。

 昔、産業化で町が騒音でいっぱいになった。これに対し、反騒音運動が起き、1934年、これを反映する道路交通法ができた。インターネットでもできないだろうか。

 シリコンバレーの世界観から離れ、個々の新しいテクノロジーを検証してはどうか。たとえば顔の認証、バイオメトリックの技術の採用など。

 欧米の消費者は、このシステムが中国やイランでは異端者をとらえるソフトにもなることも考えるべきだろう。

 新たなテクノロジーを拒否するつもりではない。ただ、もっと問いかけをしてもいいのではないか。本当に有効なのか、逆に問題を複雑にしただけではないのか、と。

第7章 ガルトンのアイフォーン

 「データセクシュアルな人々」という考え方がある。個人データに熱中する人々だ。今はスマホをみんながもっているので、自分の行動を細かくトラッキングできる。歯磨きや睡眠時間を記録する人もいる。自分の生活をデジタルに記録する。こういう人は昔からいた。

 オンラインの評判を守るにはお金を払うサービスを提供するのがReputation.comだ。金融危機後、評判を守るために銀行家たちは高額を費やした。

 しかし、お金を払えない人はどうするのか。二極化になるのだろうか。お金のある人は評判をクリーンアップでき、そうではない人は守れない。オンライン上の評判を気にさせる、心配にさせることをビジネスとするコンサルタントたちがいる。実はそんなことよりも、もっと緊急に心配するべき問題があるかもしれないのに。

 個人のデータ売買を商売する起業家たちが出てきている。Digital locker, Personal.comなど。後者では個人がデータをキュレートし、自分が選ぶマーケターに情報を出したり、関連する広告を出す。ディスカウントを得たり、好きなブランド情報を出し、そのブランドが売れたら、品物の価格の5-15%を得る。これを「すべての人が勝つ」などといっていいのかどうか。

 デジタルロッカーにはエンパワーメントの意味があるのだろうが、すべてを語っていない。それは、消費者に力を与える唯一の方法が自己の情報をもっと出すことだと考えさせている点だ。

 私が自分の情報を出すことで、状況が変わってくる。私が健康情報を出し、あなたが出さないとしたら、あなたには何か隠すものがあると思われる。誰かが情報を出すと、その社会のほかの人も情報を出さざるを得なくなる。

 例えば、米国では携帯電話の情報を出さない人を潜在的テロリストとみなす。Facebookにアカウントがあるなしで不審と思われるところまできている。

 セルフトラッキングの普及はプライバシーの露出につながる。情報は私たちの「個人的な目論見書」になる。これを通じて、すべて(市民、社会、公的組織)とつながる。健康でお金もあるなら、楽しいかもしれないが、そうでない場合、人生は困難になる。

 セルフトラッキングの倫理について議論が必要だ。数で測ればこぼれ落ちる才能・職がある。芸術、学問、作家など。数は少なくても、リスクがあってもやることが少なくなるとしたら残念だ。

 ヤフーCEOのメリッサ・マイヤーズは、「文脈上の発見」を目指すといった。利用者が聞く前にサーチエンジンが答えを与える。

 グーグルのシュミット会長は、ベルリンの通りを歩いているうちに検索が進み、情報を与えてくれる。これが次の検索だと。自分が知らないことでも、面白そうな興味がありそうなことが広がっている。つまり、自主的な(autonomous)検索だ。勝手に調べて教えてくれる。例えば、グーグルのメガネをかけていて、気分が沈んでいたら、ルーベンスの絵を見せてくれる。気持ちが明るくなる、と。

 自主的な検索には、自主的な広告が出てくるに違いない。探さなくてもよい。見つけてくれるからだ。「このレストランがお勧めだ」と。

 しかし、これは究極の消費者主義ではないだろうか。(続く)
by polimediauk | 2014-01-11 17:44
 東欧ベラルーシ出身のジャーナリスト、リサーチャー、作家エフゲニー・モロゾフ氏の反シリコンバレーの本「すべてを解決するには、ここをクリックしてください -テクノロジー、解決主義、存在しない問題を解決しようとする欲望」から、その一部を紹介する。今回はアルゴリズムの門番としての危険性についてだ。

***

第5章 アルゴリズムの門番(=ゲイトキーパー)の危険性

 グーグルの検索では、アルゴリズムが不適切と判断したものは、検索結果にあがってこないことがある。

 問題は、グーグルが自分たちは検索エンジンとして中立である、客観的であると主張する点だ。

 実はそうではないことを示す一つの例が、オートコンプリート機能だ。利用者が文字の入力を開始すると、グーグルが何を検索しようとしているかを察知し、文章を自動的に入れてくれる。

 その結果は必ずしも中立でも客観的でもない。誰かが意図的に児童性愛主義者という言葉の後に、ある人の名前を大量に入力し、すぐに出るようにすることもできるはずだ。

 日本、イタリア、フランスでは同様の事例にあった犠牲者が声をあげ、修正してもらった例もあるが、グーグルのアルゴリズムが管理しているため、修正する道はないといわれている。

 グーグルはアルゴリズムは中立で、オートコンプリートはほかの人の検索結果を基にしていると説明するが、なぜもっと人間的な方針を導入できないのだろう。

 実際に違法なファイル共有サイトについては厳しく、パイレートベイについてはオートコンプリートがきかないのだ。個人や企業が消したいと思うネガティブな情報については、グーグルは同様な処理をしてもよいのではないか。

 しかし、グーグル側がアルゴリズムは正当で、客観的で現実を反映しているだけだと主張する限り、実現できない。

 グーグルはよく、検索の結果は現実を反映しているだけだという。自分たちは鏡であると。しかし、果たしてそうか。グーグルはものごとを形作り、創造し、捻じ曲げているのではないか。鏡よりもエンジンと言えないだろうか。

 グーグルは自分たちは鏡だからといって隠れていないで、自分たちが公的領域を作るうえで大きな役割を果たしていることを認めるべきだ。

 グーグルはよく、アルゴリズムによる計算が客観的であるばかりか正しいということを示すために「民主化」という言葉を使う。「ウェブの世界の民主化」だと。利用者は、好みのウェブサイトをリンクで示すことで投票している、これがグーグルのページランクのアルゴリズムで数えられ、どれが最初に来るべきかを決めているのだ、と。

 しかし、これは民主主義の変なとらえ方だ。リンクで投票したとしても、一人一票ではない。お金のある人が検索結果の中で上位に来るようにすることもできるし、オプティマイズ化(最適化)もできる。ページランクにはサイトのアップロードまでの時間を含め、200の要素が考慮されている。

 そして、「一票を入れた」ら、利用者についての別の個人情報も知らぬ間に取られている状態だ。

 グーグルは自分たちが科学者というだけで行動を正当化し、議論を停止させている。シュミット会長はこういった。「私たちは科学的だ。もしうまくいけばすばらしい。そうでなかったら、別のことを試すまでだ」。こういわれたら、誰も反論できない。

 しかし、科学にも道徳上の規範がある。人間がかかわる実験を試みたことがある人は誰でも知っている。だからこそ、さまざまなパネルや諮問会議が人間にかかわる実験を行う前に議論・認可する仕組みがある。「まずやってみる、その後で実験の社会的および政治的結果を考える」ものではないだろう。

 といって、ストリートビューやGoogle Buzz(グーグル・バズ。Twitterに類似したソーシャルサービス。利用を促すためにGmailと連動させたことで、開始当初から個人情報の流出を巡る議論に巻き込まれた)の開発を認可する諮問機関はないだろう。グーグルバズの失敗時、創業者の一人はこういった「プライバシーについてはまったく考えなかった」。

 インターネットから派生しているというだけで神のようなもので、バイアスとは無縁だと考える必要はない。

 技術者やコードを書く人は、公的議論についての姿勢を明確にするべきではないか。

 デジタルフィルターやアルゴリズムにもっと注意を向け、何を隠し何を出しているのかをつかめば、インターネット至上主義の神話が崩れる。

 その神話とは、ネット上ではアイデアが急拡大し、こうした情報は報道する価値があるというものだ。また、インターネット至上主義者はオフラインとオンラインがまったく別物とするが、そうではない。ネットは実際はリアルとつながっている。

 しかし、オンラインという衣をまとわせることで、ミーム(ここではインターネット・ミーム=インターネットを通じて広まる情報、画像、映像、単語、表現など)としてカバーする価値がある存在になる。

 重宝するのはPR企業だ。PR会社の隠された操作が、ユーチューブやFacebookなどミームを広めたいプラットフォームによって拡大されてゆく。

 公的生活がミーム化されることで、何がネット上でヒットになるかという観点から、報道の仕方や報道の内容が決まってゆくことは問題だろう。

 オーディエンスがどんな反応をするかで物事を決めるやり方はどんどん広がっている。

 クリストファー・スタイナーは著書「Automate This」の中で、音楽レーベルがアルゴリズムによって音楽家や音楽を決める日を予測する。

 前は人間が決めていた。今はもっと客観的方法としてアルゴリズムを使う。しかし、芸術分野で主観性が果たす役割を忘れるべきではない。また、過去に何が売れたかで決めると、同じものばかり作るようになるだろう。

 ジャーナリズムはどうだろうか?

 広告収入が減っている出版社は、インターネットを使って読者の情報を詳細に得るようになった。ウェブサイトやソーシャルメディアから情報を取る。読者のコンピューターのクッキーに蓄積された情報、あるいは「指紋装置」(ネット上の足跡)を使う。クッキーを消したり、使わない読者の情報も得ている。

 こうして、「デイリー・ミー」(「日刊私」)が生成される。個々の人に合わせてカスタマイズされたニュースが利用者に送られる。サッカーの記事を読めば、関連記事や広告が出る。

 ニュースの選別のみならず、読解力にあわせて文章や語彙が変わることもありそうだ。米女優アンジェリカ・ジョリーの話で、国際問題についての側面を出す記事を送ったり、ゴシップ好きには夫ブラッド・ピットの話と関連付けるなど。

 将来、個人にあったストーリーを作る、新世代のコンテンツファームが出てくるかもしれない。

 公的生活(パブリックライフ)が、個人それぞれの空間に割れて行く。

 全体が同じストーリーにアクセスしなくなると、連帯感や十分な情報が入った議論の機会を破壊するかもしれない。

 効率性という面からのみでは判断できない。かつてはオーディエンスについての情報が少なく、いわば非効率だった。しかしどの記事がどれぐらい読まれているかわからないこそ、さまざまな記事に投資できたのではないか。

 かつては広告の効果が計測できなかったので価格はインフレされていた。今はターゲット化されている。広告費が下がり、メインストリームのメディアがインフラの維持をまかなえないほど小さくなった。

 インターネットを使うことで、情報の門番(ゲイトキーパー)や中間業者がなくなるという説には疑問がある。

 逆にたくさんの仲介業者が生まれているのではないか。見えないだけなのだ。

 2012年、商業プラットフォーム(タンブラーやワードプレス)を使うと、コメントが第3者のDisqusなどを通る。ディスカスはImpermium(インパーミアム)と協力し、コメントがスパムかどうかをチェックしている。したがって、中間業者の消失ではなく、むしろ増えているのだ。

 インパーミウムはさらに先に進み、スパムのみならず、損害を与えるコンテンツを識別するテクノジーを開発した。たとえば暴力的、人種差別的、憎悪スピーチなどのコンテンツが読者に届けられることを防ぐ。

 カリフォルニアの一企業が30万ものウェブサイトのために、何が憎悪スピーチで、何がみだらな言葉かを決定している。そのアルゴリズムが偏向していないか、過度に保守的かではないかの検証はされていない。インパーミウムのアルゴリズムのブラックボックスの中を見るべきだ。

 中間業者の消失による利点は本の未来に関する書物によく出てくる。図書館も書店もいらない、編集者もいらない。読者のニーズに合致した記事や書籍を出せるのだから、と。極端に言えば、アルゴリズムで書けるのだから、著者もいらない、と。門番をバッシングするこの考え方は、プロテスタントの宗教改革にも似ている。教会は不必要なもので、神と信者の間の直接的なコミュニケーションを邪魔する門番だと。

 そう考える一人がアマゾンのベゾス氏だ。門番はイノベーションを遅らせ、利用者を満足させるプラットフォームの邪魔になると。目標はたくさんの本を出し、たくさんの読者を持つこと。内容が何かは関係ない。ベゾス氏の考えは解決主義者と似ている。いわゆるイノベーショントークだ。「すべてのイノベーションが善」。結果は考えない。

 アマゾンがめざす、門番がいない世界では、企業が力を持つ門番になることを意味しないだろうか?アマゾンはしぶしぶ門番になったのかもしれないが、門番であることに変わりはない。将来、アマゾンは作家の代わりにロボットを使うようになるかもしれない。作家もアイデアの門番といえるのだ。(ただし、アマゾンは買い手をロボットにはしない。誰かがお金を払う必要があるから。)

 アマゾンはキンドルのおかげで、読者の情報をたくさん入手している。キンドルの辞書で何を調べたか、どこに頻繁に下線を引いたか、読み終えるまでに何回開いたかなど。すべての読者の体験を増大させるために情報を収集している、とアマゾンはいう。

 アマゾンが個々の読者にあった本を自動的に作ることも不可能ではない。新聞や雑誌も同様の動きに向かっている。Narrative Scienceはアルゴリズムで作った記事(スポーツ、金融)を提供する。

 アマゾンはもっとうまくやれる。もし文学の目的がミームの幸福感を増大させること、つまり読者を満足させることなら、アマゾンは文学の救世主だ。

 しかし、もしアイデアすべてがよいとは限らず、文学の目的が挑戦し、滅ぼすことでもあるなら、アマゾンの門番がいない世界を祝福することもない。

 レビューサイト、イェルプ(Yelp)はプロのレストラン批評家よりも数が多く、かつもっと客観的といわれている。しかし、レビュー数が多い=これに相当するほどのたくさんの人が行ったとは限らない。ザガットは科学的に評価するという。しかし、食体験を集めたものだ。そこにいって食べたいとき、イェルプやツイッターでもよい。しかし、料理を芸術としてみるなら不十分ではないだろうか。(続く)
by polimediauk | 2014-01-10 19:13 | ネット業界
 東欧ベラルーシ出身のジャーナリスト、リサーチャー、作家エフゲニー・モロゾフ氏の新たな反シリコンバレーの本「すべてを解決するには、ここをクリックしてください -テクノロジー、解決主義、存在しない問題を解決しようとする欲望」(To Save Everything, Click Here (Technology, Solutionism and the urge to fix problems that don’t exist))から、その一部を紹介したい。


第1章:解決主義とその議論

 BinCam(ビンカム)というアプリがある。ゴミ箱のふたにスマートフォンをつけて、中身を撮影し、写真をFacebookのアカウントに送る。リサイクル度に応じて、スコアを得る。これも友人たちと共有する。センサーの技術と友人たちが見ているというプレッシャーで、リサイクルが進むという仕組みだ。

 解決主義(ソリューショニズム)の問題点は、解決方法よりも何かを「問題」とする定義の仕方だ。たとえば、ハンマーを手に持つ人にとっては、すべてが釘に見えるのと同じだ。非効率、あいまいさ、不透明さ、これはすべて問題なのだろうか?

 スマートテクノロジーのおかげで、料理についての知識はいらなくなった。台所のセンサーが何をすべきかを教えてくれる。

 ある科学者たちは台所を「拡大現実」(argumented reality)に変える。天井にカメラなどをつけて、どの食材を使うかまでコントロールする。魚を切ろうとするとバーチャルなナイフがどこを切るべきかを教えてくれる。

 このロボットあるいは「拡大された現実」がほかの場所にも入ってくるのではないか?

 テクノロジーを拒絶せよというのではない。もっとほかに人間が栄える方法があるのではないか。

 解決主義は昔からあったが、今は新しい形がシリコンバレーからやってくる。

 インターネットには神話ができたと思う(注:神話としてのインターネットという意味を込めて、モロゾフ氏は本の中で “the Internet” と表記している)。現代の解決主義者のさまざまなイニシアティブを生み出すのがインターネットであること、また私たちが解決主義の欠点を見ないようにしているのもインターネットだ。インターネットの到来で、解決主義的態度が正当化されるようになった。

 インターネット至上主義とは、インターネットがあるために、私たちは特別に固有な世界に生きており、すべてが深い変化の中にあり、「物事を直す」ことへのニーズが高まっていると考えることを指す。いわば、「科学」と「科学主義」(科学万能主義)のようなものだ。

第2章:インターネットのナンセンスとこれをどうやって止めるのか

 インターネット、といえば、真剣な議論が止まってしまう状況がある。

 今はどんな記事にもインターネットのアングルをつけて語られる。よく「インターネットはそんな風には働かない」などというが、本当だろうか?

 グーグルもあのような活動になるのは仕方ないのだろうか?グーグル、Facebook、Twitterそれぞれの企業がそれぞれやりたいようにやっているだけではないのか?

 どれほどTEDなどでトークをしても、たとえばグーグルのような大手検索エンジンに定期的に監査をかけるべきではないか、という議論は出てこない。そういう話になると、ネットのオープンさに対する戦争だという人もいるが、そう主張することで、インターネットの神話を作っている。

 インターネットがなくなることも想定されていない。インターネットが存在する前のことを私たちは思い出さないようになっている。物理的に消えたブリタニカ百科事典のような例もあるのだが。

 ネットにつながらない生活を1週間やってみる人もいる。しかし、オフラインはオンラインによって規定されている。

 インターネットの終わりを想定できないのは、これを究極のテクノロジーとして考えているからだろう。インターネットの終わりは歴史の終わりだ、というわけである。まるで宗教のようだ。

 グーグルのシュミット氏は政策立案者たちがインターネットの流れに沿って働くべきだ、といった。黙って眺めていれば、インターネットがすべてを解決してくれる、とでもいうようだ。

 インターネットは単にケーブルとネットワークルーターがつながったものに過ぎないのに、これを知識や政策の源だとみなすことで、わくわくするようなテクノロジーに変わってゆく。

 科学者スティーブ・ジョーンズは、インターネットはフランス革命、あるいはベルリンの壁の崩壊ほどに画期的な出来事だという。

 そして、クラウドファンディングの仕組み「キックスターター」はインターネットを使う、だからよいものだ、と考えられている。しかし、実はいつもよい結果を生み出すとは限らない。間違った政治メッセージをあっという間に広げる可能性もある。果たして、公正で正義があるもの、と言い切れるのだろうか。

 別のインターネット至上主義者ジェフ・ジャービスは、「インターネットはオープン、パブリック、共同作業的のように見える。グーグルもそのように見え、繁栄している。したがって、インターネットの価値とはオープンで、パブリック、共同作業的だ」と書いた。

 しかし、グーグルは市場で競争をしている企業だ。オープン、パブリックなどの精神で機能しているわけではない。いまや多くのプラットフォームを閉鎖し、お金をとるようにもなっている。

 オープンに使えるというウィキペディアも誰がどうやって動かしているのか、わからない。こうした点を分析することが必要ではないか。単に情報を引き出しているだけでいいのだろうか。

 ハーバード大のジョナサン・ジトランはインターネットが普及したのはオープンなプラットフォームだったからといった。少しでもそのオープン性について門番的な動きをするものには懐疑の目を向けられてしまう状況がある。

 ソーシャルメディアの発達は産業革命に匹敵するほど画期的な出来事だという人もいる。「画期的」といわれると、分析や議論がとまってしまう。どうしても変えられないものだと思うからだ。「デジタル革命」という言葉が独り歩きする。

 インターネットは特別な出来事と解釈されているため、歴史と無関係と思われている。

 まるで宗教のようになったインターネット至上主義には、「世俗分離」が必要だ。

第3章:オープンすぎて、痛い

 インターネット至上主義者によれば、透明性はより活発で、責任ある市民生活につながるという。はたしてそう言いきってよいのか。

 一旦インターネット上に出たものは消えないのだから、何でもオープンにするよりも、一定の歯止めをかける方法を考えてもいいのではないか?(続く)
by polimediauk | 2014-01-09 17:29 | ネット業界
 インターネットは必ずしもばら色ばかりの世界ではない、すべての情報がつながり、ネットに乗るということは、ネット上の行動が誰かに詳細に見られている可能性も意味するー。そんなことを広く実感させる契機となったのが、昨年から続いている、いわゆる「スノーデン事件」あるいは「米NSA(国家安全保障局)事件」だった。

 元CIA職員スノーデン氏によるリーク情報を元にして、米英の情報機関による大規模な個人情報収集の実態が報道されたことは記憶に新しい。

 私は、ここ1-2年、インターネットと個人のプライバシー保護とのバランスについて、漠とした不安を感じるようになり、つながっていることの危機感を書いた本を、読売オンラインのコラム「欧州メディアウオッチ」で紹介してみた。

(11)「デイリー・ミー」(日刊・私)を手にする近未来とは?

 このコラムの中で取り上げたのが、エフゲニー・モロゾフという人物だ。

 モロゾフ氏の名前を聞いたのは、数年前だったように記憶している。インターネット界を席巻する米大手ネット企業グーグル、フェイスブック、アップル、アマゾンに批判的な目を向ける、反シリコン・バレーの論者だという。1984年生まれというから、今年30歳になるはずだ。まだ若い。

 英国のテレビに出ている様子を見たら、メガネをかけた男性が強い東欧のアクセントの英語で話していた。「インターネットが『アラブの春』を起こしたのではない」という趣旨の「ネットデルージョン」という本を書いたという。

 私はネットを仕事でもプライベートでも良く使い、ソーシャルメディアも人並みにやっている。しかし、ネット上のプライバシー情報が米大手企業のサーバーにどんどん蓄積されていることへの不安感がある。どうすればいいのかと思うが、コンピューターの電源を消したり、ネットを一時的にでも使わないだけでは、事態は解決できそうにない。グーグルメガネが市場に出て、ますます居心地の悪さを感じていた。

 そこで、2013年3月に出版されたモロゾフ氏の第2作――書評によると、新たな反シリコンバレーの本――を真剣に読み出した。題名は「すべてを解決するには、ここをクリックしてください -テクノロジー、解決主義、存在しない問題を解決しようとする欲望」(To Save Everything, Click Here (Technology, Solutionism and the urge to fix problems that don’t exist)だ。

 中には「もしシリコンバレーが思い通りにやれば、近未来はこうなる」という社会の姿が描かれていた。

 モロゾフ氏のエージェントに連絡を取る機会があり、「クリック」の中味を紹介する許可を得た(特に契約を交わしたというわけではない)。モロゾフ氏及びエージェント側から、一切、金銭はもらっていない。できれば、どこか日本の出版社が翻訳をしてくれればと個人的には思うけれど、探してくれとエージェント側に言われたわけでもない。「勝手に紹介してくれ」というレベルの話である。

 そこで、何回かに分けて、本の内容を紹介してみようと思う。

 やや小難しい部分があるが、意図を汲み取っていただければと思う。(以下は以前に、ネットサイト「日刊ベリタ」でも紹介している。)

***

-序ー

 シリコンバレー(=米テクノロジー業界の総称)は誰かが作り出した問題を解こうとしている。

 例えば、グーグルのシュミット会長は2011年、テクノロジーの目的は世界を良くすることだといった。Facebookのザッカーバーグ社長は2008年、グローバルな問題を解決するのが同社の目的だと述べた。

 シリコンバレーのスローガンは「問題を解決すること」、ものごとを向上させることになった。

 何が問題かよりも、物事を変え、人間に行動させる、効率を高めること=善と考える。カリフォルニアは常に楽観主義だったが、デジタル・イノベーションでその傾向が強まった。この向上へ向けての大騒ぎはいつ終わるのだろうか?

 シリコンバレーが主導する世界は、2020年では以下のようになっているかもしれない。

 人はセルフトラッキング(自分の行動をスマートフォンなどを通じて追跡されている状態)装置を身につけており、肥満、不眠、地球温暖化などの問題が解決されている。トラッキング装置がすべてを記憶してくれるので、人間が記憶する必要もない。車の鍵、人の顔ももう忘れない。過去をノスタルジックに思い出すこともない。瞬間がスマートフォンやグーグルのメガネに記憶されるからだ。過去を知りたければ、単に巻き戻せばよい。アップルのSIRI(発話解析・認識インターフェース)を使えば、過去に直面しなかった真実を音声で教えてくれる。

 政治は選挙民から常に監視されているので、裏の駆け引きがなくなった。政治家の言葉が記録され、保存されるので、偽善が消えた。ロビイストはいなくなった。政治家の行動すべてがネット上に出て、誰でもが見れるからだ。

 人はオンラインゲームでポイントを稼ぐために投票行為に参加する。「人間性を救うために」といわれてスマートフォンで投票所にチェックインする。自動運転車があるので、投票場に行くのも簡単だ。町をきれいにするゲームに参加することで、通りは清潔になる。行動のインセンティブがポイントを得ることになるため、市民の義務や責任という考え方がなくなる。

 データの分析で犯罪の発生を未然に防ぐため、犯罪はなくなった。犯罪者がいないので刑務所が必要なくなった。

 誰でもがブログを書き、アイデアの売買市場ができた。新聞はもはや、読者が興味を持たない記事は印刷しない。セルフトラッキングとソーシャルメディアのデータが活用され、人は自分にカスタマイズされた記事を読む。どの言葉が使われるかまでが最適化されている。ウェブサイト上の記事をクリックすると、個々の利用者にカスタマイズされた紙面が数秒でできる。

 セルフ出版の本(電子本)が急増する。本の結末はリアルタイムで変わってゆく。

 映画館では観客はグーグルのメガネをかけており、一人ひとりの気持ちの持ちようで結末が変わる。

 プロの批評家はいなくなった。アルゴリズムで働くクラウドに出た評価が代わりになる。

 このような未来は恐ろしい。この本(「クリック」)では、こうした1つ1つの具体例に疑問をはさんだ。

 前作の「ネット・デルージョン」(=ネットの妄想)ではいかに独裁体制がデジタルテクノロジーを駆使しているかを書いたが、この本では、シリコンバレーが主導する、問題を解決するための手段とその目的に疑問を投げかけた。

 シリコンバレーのやり方に疑問を投げかけるという行為を私たちは十分にやってこなかった。

 「政治から偽善をとりのぞく」、「物事の決定のためにもっと情報を出す」、あるいは「地球温暖化のために行動を起こそう」という目的を誰が疑問視できるだろう?まるで啓蒙主義を問うようなものだ。しかし、こうした問いかけは必要だ。

 シリコンバレーが今のままで進んだら、どんな長期的な結果になるのだろうか。不完全さや不秩序を取り除くことをシリコンバレーは目的とするが、不完全さや不秩序は人間の自由の一部だ。不完全さや不秩序をなくしたら、自由を失うことにもならないか。異端の声が出なくなる社会にならないか。

 すべての問題が解決される必要はないのではないか?(続く)

 (以上は「すべてを解決するには、ここをクリックしてください -テクノロジー、解決主義、存在しない問題を解決しようとする欲望」(To Save Everything, Click Here (Technology, Solutionism and the urge to fix problems that don’t exist」から、一部の抜粋翻訳)
by polimediauk | 2014-01-08 16:57 | ネット業界
c0016826_15323536.jpg
 
(「シャーロック」の登場人物たち -BBCのウェブサイトより)

 年末に一ヶ月ほど滞在した日本で、英国のテレビについて話す機会があった。視聴環境や規制などについて話したけれども、実際にその国に暮らしてみないと、本当のところは分かりにくい。特に、どんな番組があって、どんな評価を得ているのかなど。

 そこで、自分のメモもかねて、テレビやラジオの視聴日記を(時折)つけてみようと思う。

 1月1日:「シャーロック」

 2010年にBBCで始まったドラマの第3回目のシリーズ(エピソード3)だ。

 作家アーサー・コナン・ドイルによる、探偵シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険シリーズ(1887-1927年)を現代風にアレンジしたもので、日本でも根強いファンができている。 

ー電車の中でアイデアが生まれた

 シャーロック・ホームズの話はこれまでにも何度かドラマ化されている。もっとも著名なのは、ジェレミー・ブレットが主役となったホームズものだろう。今でもこちらでは、よくテレビで再放映されている。ビクトリア朝のロンドンの雰囲気が出ていて、私自身、つい見てしまう。
 
 現代版「シャーロック」誕生のアイデアは、二人の脚本家が電車に乗っていたときに生まれたという。

 子供向けSFドラマで「ドクター・フー」という番組が非常に英国で人気なのだが(これも何度もテレビドラマ化されている)、これの台本を書いているスティーブ・モッファとマーク・ゲイティスはロンドンと撮影場所のカーディフとを電車で行ったりきたりしていたという。

 車内の会話で二人ともがホームズのファンであることが分かり、何とかドラマ化したいと考えたーこれがそもそもの始まりだった。

 といっても、昔風にするのではなく、現代に生きる私たちにとって身近なドラマとして作ろうと思ったようだ。

 2010年7月の最初のエピソードを視聴したとき、そのテンポの速さ、テクノロジーの格好いい使い方、主演ベネディクト・カンバーバッチの鋭さに、飛び上がって踊りたくなるような楽しさやスリルを感じたものだ。ただ、あまりにもテンポが速くて、1回では意味が分からず、何度も見逃しサービスで見ることにもなるのだけれども。

―今年のエピソードは?

 前回までを見た人なら、最後、ホームズが死ぬ場面で終わっていたことを思い出すだろう(シャーロック・ホームズは「ホームズ」と呼ぶのが日本語では普通と思うので、以下、ホームズ)。

 しかし、ドラマの主人公が亡くなってしまってはシリーズは続かない。もちろん、ホームズは死ななかったのである。

 それでは、一体どうやって生き延びたのだろう?これが大きな謎だった。

 この謎解きが、今回、最大のお楽しみだった。私自身はここでその謎解きをするつもりはない。

 といっても、これを読まれているあなたが、どこかでほかの人が書いた文章で結論を知ってしまったとしても十分にドラマは楽しめるので、あまり心配する必要はないが。

 この日の放送を900万人を超える視聴者が見たそうだ(ちなみに英国の人口は日本の半分。通常、視聴率ではなく、xxx万人が見た・・・という形で人気度をはかる)。

 放送後の評価はさまざまだったが、私の印象としては、全3回の中の初回となった今回はいわば助走に見えた。ホームズとワトソンの友情の行方にじっくりと時間がかけられていた。

 ホームズと兄のマイクロフト(脚本家のゲイティスが俳優としても登場。非常にうまい)のかけあい、ホームズが自分が死んでいないことをワトソンに伝えるときのレストランでのしぐさ、ホームズの「変身」など、これまでのエピソードを見てきた人なら、二重三重に楽しめる場面がいくつもある。

 台詞も「わかる人にはわかる」ような楽しみがあって、おもしろいー例えば、女性に「あなたって、人間関係がまったく駄目な人ね」といわれたホームズが、「関係―?駄目だな」、「人間―(これも)駄目だな」など(ホームズは人間のあたたかみ、心の機敏などが分からない人物として描かれている)。

 少し余談になるが、映画「眺めのいい部屋」を覚えているだろうか?主人公ルーシーの弟役を演じていたルパート・グレイブスが中年の刑事役で出ている。月日の経過に感慨を覚える。

 カンバーバッチやワトソン役のマーティン・フリーマンのファンには別のお楽しみもある。両者に個人的に近い人物が登場しているのだ。さて、誰が誰でしょうー?

 来週もまたテレビの前にかじりつくことになりそうだ。

 

 
by polimediauk | 2014-01-04 15:34 | 放送業界