小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 短いサラエボ滞在を終え、今日、ロンドンに戻る予定。ある意味ではあっという間だった。ここに来たことで、逆に第1次大戦前後にかかわるほかの場所に行きたくなった。サラエボを理解するために、ほかの場所に行く必要がある、と。

 何故、サラエボなのか、何故第1次大戦なのかと不思議に思われる方もいらっしゃるだろうと思う。

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(サラエボ博物館の外に置かれていた、フェルドナント大公夫妻の死から100年を追悼する花束の数々)

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(暗殺者==右のスタンドに立っていた場所の写真=から見た、ラテン橋。この橋に大公夫妻の車があった)

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(ホテルヨーロッパのヨーロッパカフェ。ウイーンの雰囲気で一杯。)

 
 きっかけは原稿を書く機会があったからだが、もともと「100周年」という時にどこかに居合わせるというのもなかなかないだろうから、一度来て見たいと思っていた。

 また、遠い昔、「サラエボ事件があって、第1次大戦が発生した」と、やや紋切り型で学校で教わったことも記憶にあった。一体「サラエボ事件って、何なのか?」、「何故オーストリアとサラエボがくっつくのか?」など分からない事だらけだったが、ピンとこないままに何年もが過ぎていたわけである。

 しかし、それ以上に、2つの強い思いがあった。1つは「自分の居場所を知る」、「知りたい」という思いだ。自分は今、欧州の一国英国に住んでいる。米国とつながりが強い英国だが、欧州連合の加盟国で、欧州ではドイツのフランスがもう戦争はしないことになっている。自分が置かれている状況、つまりは英国や欧州の現在を知るために、過去を知りたいと思ったのだ。

 もう1つは、「戦争を避けるにはどうするか」を知りたかった。その手立ての一つとして、過去におきた大きな戦争がいかにして発生したか、回避することはできなかったのか、人間が戦争に手を染めたとき、どこまでどんなことが起きるのかを知りたいし、知ったことを発信していこうと思った。

 欧州の端っこという感覚の英国にいると、また西欧のいくつかの国を訪ねると、非常に快適な生活空間がある。緑が一杯の公園で、お金を使うこともなく、のんびりしている子供連れの家族の様子を見たり、自分でもぼうっとしていると、こんなに快適でいいのだろうかと思ってしまう。戦火にさらされない生活があるというのは、なんと幸せなことだろう。ドイツとフランスが決して戦争をしないと決めた欧州連合の枠組みがなかったら、どうなっていただろう。

 かつては何百万人規模で人を殺しあった国同士が、手を結ぶことができるなんて驚きだ。一体、どうしたらそんなレベルに到達できるのだろう?それが知りたい。

 ちなみに、サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都だが、ボスニア・ヘルツェゴビナは==まだ==EUに加盟していない。

 学んだことはいろいろあったが、これから学ぶこともたくさんある。

 サラエボで見たこと、聞いたことについて、追って少しずつアウトプットしていきたい。

***

ヤフー個人に2つ記事を出しています。

サラエボ事件を現地で辿る 「未解決の問題」

「平和を作る」写真展、サラエボで開催 ―平和組織IPBの日本へのメッセージとは


 

 
 

 
by polimediauk | 2014-06-30 16:11 | 欧州のメディア
 27日は、まず第1次大戦から100周年をテーマにした国際会議があると聞き、タクシーで駆けつけた。タクシーなんて贅沢とも言えそうだが、遅れてはいけないし、片道、4ポンドぐらいだった(600円ぐらいか)。

 非常に有意義な朝のセッションを1つ、聞いた。スピーカーの1人は昨日、私と同じ便でサラエボに着いた人だった。非常に面白いことを言っていたので、名刺を渡し、挨拶。もう1人のスピーカーは米大学の教授。挨拶しようと待っていたら、私の前にいたグループの1人が、怒ったような顔をして、輪から離れた。戦争関係の話、歴史関係の話は議論になるものなのだろう。よっぽど頭に来たのだろうな。

 会議が始まる前、プログラムを見ていたら、主催者の1人から声をかけられた。「何か欲しいものがあったら、何でも言ってほしい」と。オーストリア人で、アイルランドの大学で教えている人だった。

 会場から市内の中心地(「旧市街」=オールドタウン)に行こうとしたら、「トラム」がいいと会場の人に言われる。大通りに出るために歩いていたら、内戦で亡くなった人たちを追悼する記念碑があった。サラエボのあちこちにこんな記念碑があった。一人ひとりの名前が記されていた。記念碑の横にベンチがあって、仕事のあいまらしい人が早めの(?)ランチを食べていた。

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(内戦で亡くなった人の名前がプレートに記されている)

 トラムに乗るには駅を目指しなさいと言われて歩き出したが、車の出入りが結構激しい。ふと横を見たら、線路の上を人が歩いていた。そうか、線路の上だったら、車は来ない。(でも電車は?電車がほとんど止まっているらしいことが後で分かる。)

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(駅構内)

 駅の切符売り場に行ったら、「1番のトラムに乗りなさい。切符は中で買いなさい」と言われる。外の停車場に行ったが、なかなかトラムが来ない。20分近く待ってから、トラムの線路沿いに旧市街に向かって歩いた。

 歩いている途中で、サラエボ歴史博物館に出くわす。チケット代を払うとき、おなかが空いていたので「レストランは中にありますか」と聞いた。「ある」というので、中に入ってみて回ったが、レストランはなかった。相手は英語が分からず、単に「イエス」と言いたかっただけなのかもしれない。半ば「でも、ないだろうな」と思っていたので、がっかりはしなかったが。

 この後、別の博物館近くでサラエボ事件が起きた場所(殺害された場所=「ラテン橋」)、暗殺者がピストルを撃った場所、大公夫妻らが乗っていた車を見た後、1990年代半ばに発生した「スレブレニツァの虐殺事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで1995年7月に発生した大量虐殺事件)についての情報を集めたギャラリーに行ってみた。第1次大戦どころではない。後の内戦のほうが現地の人にとっては重いのかもしれない。

 
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 ラテン橋には既に大手放送局がセットを作り、おそらく「平和の印」として空に放たれるであろう鳩を入れた箱・バスケットが置かれていた。明日28日はさらにごった返しそうだ。



 
 
by polimediauk | 2014-06-28 05:49 | 欧州のメディア
 第1次大戦勃発から今年で100年となった。きっかけは、サラエボ(現在はボスニア・ヘルツェゴビナ首都)で、オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナント大公夫妻が殺害された事件(1914年6月28日)だ。--少なくとも、学校ではそう教わっている。

 いくつかの原稿を書く機会があったことで大戦に興味が湧き、26日から、サラエボに来ている。ロンドンからオーストリア航空でウイーンに飛び、ウイーンからサラエボへ。飛行時間はトータルで2時間半ほどだが、トランジットがあって、4時間半ほどかかる。それでも、複数の箇所を巡ってサラエボに来ると〔ロンドンから)11時間以上かかる・・・なんていうこともあることをフライト情報を調べているうちに分かった。

 ロンドンとサラエボ〔欧州大陸)との時差は1時間〔サラエボが1時間早い)。時差がほとんどないと言って良いだろう。

 サラエボ空港は大きくはない。しかし、自分が過去に行った欧州の他国の空港と比べたら、極度に小さいというわけではない。ツアリスト用インフォメーションのコーナーもきちんとある。

 旅の前にチェックしたのがトリップアドバイザーなどのサイト上の情報だ。今はずいぶんとよくなったものである。私が見つけた中では「実際に行って見ると、どの人も親切」というコメントだ。飛行場ですでにそう思った。

 ホテルもネット上で高い評価を受けているところをじっくり選んでみた。今のところ、レビュー通りの結果である。スーパーが近い(連泊の場合、飲み物や若干の食べ物、こまごましたものを手に入れる必要がある)、冷蔵庫がある、静か、スタッフが親切、部屋が清潔、ネットが使えるかどうかー。

ー戸外で、テーブルの周りに集まっておしゃべり

 スーパーの場所を聞いて、早速買い物に出かけたら、途中の道にアパートが並んでいるのだが、壁に妙に穴がたくさん開いている。ばっくりと穴を開けている箇所も。これは1990年代の内戦のときにできたものではないか、と思った。それ以外にこんな穴ができるわけがない。写真を撮ろうと思ったら、カメラを部屋に忘れてきていたー。

 戻って、窓を大きく開けてくつろいでいると、カフェ、ダイナーらしきものの前にテーブルを置き、男性陣がビールを飲んだり、おしゃべりに興じている声が聞こえてくる。なにやら、楽しそうだ。

 暑いので、2階に住む人は窓を開けて、外の様子をぼうっと眺めていたり、タバコを吸っていたりする。

 夜は9時ぐらいまで、ずーっと話し声が聞こえてきた。

 夜中、目を覚ますと、外は真っ暗。とても静かだ。こんなに音がない場所にいたのは、何年ぶりだろう。

 「静かだから、夜は良く眠れるはずですよ」とホテルの人が言っていたのは本当だった。

 

 
by polimediauk | 2014-06-28 05:12
 世界10カ国・地域を対象とした、デジタルニュースの利用についての調査で、日本はニュースをソーシャルメディアで共有したり、ウェブサイトにコメントを書く比率が他国と比べてかなり低いことが判明した。

 英ロイタージャーナリズム研究所が毎年出している「デジタルニュースリポート」の最新版は、各国の市民がどのようにネット上でニュースを閲覧しているかをさまざまな角度から分析している。(その概要については読売オンラインにまとめている。)

 調査の対象となった国・地域は、日本、米国、英国、ドイツ、フランス、デンマーク、フィンランド、スペイン、イタリア、ブラジル都市部。対象者は全部で約1万9000人。

 ニュースをどのように利用しているかについて調べたところ、「ニュースの参加度」という点では日本の数字が極端に低い。これは前年もそうだった。以下はリポートの中の「国別参加度」の表である(上記リポートの73ページ目)。

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 左から、米国、英国、ドイツ、フランス、デンマーク、フィンランド、スペイン、イタリア、ブラジル都市部、日本の順だ。

 項目は、上から「ソーシャルメディアでシェアする」、「電子メールでシェアする」、「記事を評価する・いいねをつける」、「ソーシャルメディアでコメントする」、「ニュースサイト上でコメントする」、「ニュースについてブログ記事を書く」、「ソーシャルメディアに写真をアップロードする」、「ニュースサイトに写真をアップロードする」、「オンライン投票をする」、「キャンペーンをオンラインで行う」、「オンライン上で友人にニュースについて話す」、「誰かと会った時にニュースについて話す」だ。

 日本の項目を眺めると、ほとんどが一ケタ台で、「ニュースサイトにコメントを書く」は3%のみ。二ケタ台(14%)になったのは、「誰かと会った時にニュースについて話す」のみ。

 逆に、非常に活発にオンライン上で活動をするのがブラジル都市部の市民だ(会った時にニュースについて話す人は44%、ソーシャルメディアで共有は42%、ソーシャルメディアでコメントが33%)。イタリア、スペイン、米国の市民たちもネット上でニュースについて盛んに会話を行っている。

 リポートはなぜ日本で「ニュースの参加度」が低いのかについて、分析していない。ロイター研究所にはぜひこの点を解明していただきたいものだ。

 自分自身の体験から言えば、自分あるいは自分の友人たちあるいはフォロワー同士の反応を見ると、面白い、興味深いトピックがあれば、すぐにシェアがあるので、こうした結果は必ずしもぴんとは来なかった。ただ、「一部の人が盛んにシェアしている・ニュースを広めている」という状況にある可能性もある。ほとんどの人が、いわばニュースを受動的につまり、ただ読むだけという場合が圧倒的なのかもしれない。少なくとも、このリポートはそんな読み手の姿を浮き彫りにしている。

英国とスペインを比較

 日本の状況の分析はないのだが、その代わり、英国とスペインとの比較が出ている。

 そのきっかけは、米国と英国のニュースの参加度を見たときに、母語が同じ英語であり、ネットの接続度も同様であるのに、米国市民のほうが参加度が非常に高いことだった。これはもしかして、「プライバシーやネット上の透明性について、異なる感覚を持っているからではないか」と思ったそうだ。
 
 「英国人は自分の意見を表明したがらない傾向が(米国に比べて)強いのではないか」という仮説を立てた。そして、米国よりもいくつかの項目で参加度が高いスペインと英国とを比較した。
 
 「ニューサイトにコメントを残したときに、実名を使ったか」では、英国が9%、スペインが21%。

 「ソーシャルメディアで使うユーザーネームを使った(これで実名が分かる」は英国で8%、スペインが16%。

 分析の結果、スペインの市民と比べたとき、英国市民は「実名を使うよりも匿名を好む」傾向があったという。

 また、ニュースサイトにコメントを書き込むのは「若い男性」が主だという。英国の21-24歳の47%が、スペインの25-34歳の75%がコメントを書き込んだことがあると答えている。

 リポートは、結論として、米バズフィートのようなサイトはどれだけトピックが広がるかで成功の度合いを測っているけれども、これからのニュースサイトにとって重要になるのは「いかに利用者に参加してもらえたか」だろう、と書く。

 競争が激化する中で、「単にリーチや頻度で計測するのではなく、意味のあるエンゲージメント(従事度・没頭度)が鍵を握るだろう、と。エンゲージメントを高めるのは「コンテンツとブランドへの忠誠心」だという。平たく言えば、面白い・興味深い中身があることと、「このブランド=媒体=なら読みたい」と思う人を増やすことだろう。
by polimediauk | 2014-06-25 14:46 | ネット業界
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(オランダ「ブレンドル」を立ち上げたアレクサンダー・クロッピング。ブレンドル提供)

 イタリア・トリノで先週開かれていた、世界新聞大会(+世界広告会議、編集者会議)。毎年開催されている会議で、筆者にとっては昨年のバンコク大会についで、2回目の参加だった。(読売オンラインで大会の模様について2回書いているので、ご関心のある方は参考にされたい。「ネット時代のメディアの変革者」、「報道の自由を守る戦い」)

 今年の大会は、たった1年でこれほど変わるかと思うほど違っていた。自分自身が非常に知的刺激を受けた。そのいくつかをまとめてみた。

(1)クロスオーバーの時代(紙かデジタルかの二者択一ではない)

 米ニーマンジャーナリズムラボのコラムでも著名なケン・ドクターが、あるセッションのモデレーター役を行い、そこで言ったいろいろな言葉が刺激的だった。

 「インターネットが広く使われるようになって23年。私たちはいろいろなものごとを変えた革新的なデジタル時代の終わりにいる」、「終わりの始まりだ」という。

 「終わりの始まり」という言葉がしっくりきた。皆さんもそう思われないだろうか?ネットがあれば何でもできる、よい方向に物事が進むのだという「インターネットのユートピア主義」が終わったことを多くの人が気づいていると思う。グーグルは便利だが、その巨大さにやや疑問を持つようになった私たちだ。どんなに暗号をかけても、米情報機関が情報を収集できる状態にあることも分かってきた。

 インターネットで何ができるのか?改めての問いである。私たちは注意深くネットを利用する必要に迫られている。デジタル技術による変革が終わったわけではないが、一つの時代が終わりになりつつあるのだろう。

 そして、ニュースといえば「紙がネットか」という問いを発する人がいる。ネットでニュースを見る人が増えたから、紙の新聞はいらないのだ、紙の新聞は古臭い、もういらない、そうしたら、新聞社がつぶれてしまう、いやつぶれたっていいではないかー?妄想をどんどん進める人がいる。

 しかし、「ちょっと待てよ」と。

 実際には、世界の新聞のトレンドを見れば(これも新聞大会が毎年発表)、北米やオーストラリア、欧州では発行部数が大きく下落しているのだけれども、アジアでは増えている。世界は一様ではない。

 紙の部数が慢性下落の英国で、電子版購読者をどんどん増やしているフィナンシャル・タイムズやニュース誌エコノミストは、現在のところ「紙の発行も続ける」といっているし、紙は一部で続くのだ、これからも。みんながみんなタブレットを持っているわけではないし、紙のほうが都合がいいと思う人もたくさんいるのだ。

 そこでドクターが言うのは、私たちは現在、紙とデジタルが共存する「クロスオーバー(重なり)の時代に生きている」。二者択一ではなく、「重なり」なのだ。

(2)「紙がこれだけがんばっているぞ!」が消えた

 昨年の大会では、インドの新聞社の代表者が登壇し、「紙媒体がこれだけ伸びている」と自慢げに語ったものだ。現在もこの新聞はおそらく部数を堅調に伸ばしているのかもしれない。しかし、「紙でも大丈夫さ」、「これだけ出ているのだから工夫をすれば、まだいける」といった風潮が今年は消えた。

 紙「も」がんばっている、さまざまな工夫があるというアプローチはあったけれども、紙でもこれだけいけるぞという雰囲気はなくなった。紙媒体「だけ」でやろうというビジネスモデルが、片隅に追いやられた。

(3)新聞ニュースのキュレーションサービスが拡大

 日本で言うと、グノシー、米国で言えばフリップボードのようなサービスが、欧州でもどんどんと出てきた。特色として「大手新聞社・雑誌社が全面協力している」点がある。20代の若者たちが新聞社とライセンス契約を結び、新規のニュースサービスを開始している。

 例えばオランダのブレンドル(オランダの新聞社記事と英エコノミストの記事を掲載)だったり、スイスのワトソン(「シュピーゲル」記事を掲載)だったりする。今回の大会には参加していないが、私が以前に紹介したドイツのniiu(ニュー)もこれに入る。

 ブレンドルは記事を一本ごとに買える仕組み。ワトソンは閲覧が無料。Niiuは定額制だ。

 ブレンドルやniiuは、新聞社にとっては怖いサービスだ。1つの新聞社が電子版を月の購読料約3000-4000円(ニューヨークタイムズは5000円換算)で提供するところ、複数の新聞の記事が読めて月に1300円相当(niiu)だったり、バラ買い(ブレンドル)ができてしまうのだ。

「普段新聞を読まない若者に、ニュースを読んでもらうには、1つの新聞の記事が読めるだけじゃ十分じゃない」とブレンドルの共同創業者アレクサンダー・クロッピングは筆者に語った。「いろいろな新聞の記事を選べるぐらいじゃないとだめ。しかも1本をとても安く買えなければだめだ」。

(4)広告なしで、購読料のみでジャーナリズムを作る「コレスポンデント」

 オランダのコレスポンデントについては何度か書いた。大会にも出席していたので、後で編集長のミニインタビューを紹介したい。年間60ユーロの購読料を払ってもらう代わりに、広告をつけずにサイトを運営している。

 質のよい記事を読みたいという読者がいるからこそ、続くのだろうかー。そんな読者をどうやって作るのか、あるいは見つけたらよいのだろう?

(5)新しい組織でないと、できない

 オーストリア西部にラスメディアという複合大手メディアがあるのだけれども、ここの社長がプレゼンで見せた2枚の写真が忘れられない。1枚がいわゆる普通の新聞社のオフィスの様子。コンピューターがあって、机には山積みの資料。ごたごたしている。もう1枚が、スタートアップ企業のオフィス。「いかにも」という感じではあったが、白い長い机に、カラフルな椅子。机の上には果物が入ったかごが置かれている。全体的にすっきりしている。おそらく、前者で働く人はスーツを着ているだろうし、後者で働く人はTシャツにジーンズだろう。

 たかが服装、たかがオフィスのデザイン?いや、違う。この2つのオフィスでそれぞれ働く人の考え方は相当違うはずだ。違うからこそ、見た目も違ってくる。「見た目だけ」では決してないのだ。

 新しいことをやりたいと思ったら、どっちが適しているだろう?答えは一目瞭然だ。

 これに気づいたユージン・ラス社長は、新規ネットビジネスは別組織にするという。「勝手にやらせる」形を作る。

 「コレスポンデント」の創業者たちも「既存の組織にいてはだめだ」と思い、飛び出した。ウェブサイト「ネクスト・メディア」の編集長だったエルンストヤン・ファウスと全国紙「nrc.next」の元編集長ワインバーグの2人に会場で話を聞いてみた。今はファウスが発行人、ワインバーグがサイトの編集長だ。

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(「コレスポンデント」のワインバーグ=左=とファウス)

 どちらも20代で著名サイトや新聞紙の編集長になっていた。オランダではその年齢で編集長になるのは普通なのかと聞いてみると、「普通ではない。僕たちは特別に優秀だった」と語る。

 「既存のメディアにはない、新しいジャーナリズムを追求したかった」(ワインバーグ)。

 オランダに住む知人ジャーナリストに評判を聞いてみると、「前評判が高すぎて、実際にふたをあけてみたら、期待したほどではなかった感じもある」という厳しい答えが返ってきた。「でも、読者と記者がつながる形にしたのは新しいし、功績だと思う」。

 ワインバーグは、コレスポンデントの画面を見せながら、記事には「一般的なニュース」と、「専門的なトピック(経済、教育、テクノロジー、紛争、開発など)を扱うニュース」とがあるという。読者はそれぞれの専門を担当する記者をフォローできる。記者1人には「ガーデン」と呼ばれるミニ・ホームページを持たせている。自分の記事を掲載し、読者に対話を呼びかけ、取材中の原稿の進ちょく具合を報告する。

 「ネットサイトのジャーナリストのお給料は、既存メディアに比べて、かなり低いのではないか」、「書き手を見つけるのに苦労はしていないか」を聞いてみた。

 ワインバーグによると、報酬は「大手メディア以上とはいえないが、まずまず十分なほどを払えている」という。

 記事の本数のノルマはなく「書き手が準備が整ったときに原稿をこちらに送ってくれる」。直しは原則校正レベルで、ワインバーグが編集長としてあれこれいうことはないそうだ。原稿の発注はせず、書き手が自分で何を書くかを決める。書くほうにとっては書きたいことが書ける、天国のような場所なのだ(!!)

 ただ、サイトの品質コントロールのため、「書き手の選択にはかなりの時間をかけた」(ワインバーグ)。選りすぐった人がジャーナリストになっているのだという。

 伝統的なメディアの方はどうか?

 先日、ニューヨークタイムズの経営体制についての詳細なリポートが出て大きな話題となったが、あるセッションで、モデレーターが「あのリポートを読んだ人は?」と問いかけると、出席者のほとんどが読んでいた。

 デジタル化では進んでいる新聞社として知られている「あの」ニューヨークタイムズでさえ、実際は頭の切り替えが相当大変であったことをリポートは示したようだ。多くの人から「驚いた」と言う声を聞いた。

 同時に、「実はうちの新聞社でも編集スタッフの頭の切り替えに苦労している」という人も結構いた。つまり、「紙の新聞の1面に記事が載る=あがり」と考える記者たち、「ネットを敵と見る」、「ソーシャルメディアを自分では使っていない」などなど。

 伝統的な会社を一生懸命、デジタル化に対応させようとするより、いっそ、新しく始めたほうがいいーそんなことも1つ、いえるかもしれないと思った。

(6)コミュニティー=ニュース空間

 去年の大会で、グーグル本で知られる米教授ジェフ・ジャービスが、、これからのメディアは「関係性を読者と持つ形をとる」、と言っていた。読者とのコミュニティー空間=メディアである、と。

 実は去年はこれを聞いたとき、分かるようで分からなかった。「そんなこと言っても、どうやって運営費を稼ぐのか?いわゆる、マネタイゼーションはどうするの?」と思ったからだ。お金が稼げなかったら商売にならないし、絵に描いたもちだな、と。

 ところが、最近は米国で大手メディアにいたジャーナリストがどんどん新しいネットサイトを作ってゆくようになった(ネイト・シルバー、グレン・グリンワルドなど多数)。それでもぼうっとした認識だった。力があるジャーナリストがファンを作り、ファンを中心に読者を増やし、コミュニティーを作り、サイトとしてもどんどん力をつけてゆくー。すごいなあと思いながらも、xxさん(著名ジャーナリスト)だからできたのだろう、米国だからできたのだろうと漠然と思っていた。

 しかし、今年、初めてその意味がわかった。

 つまり、フェイスブック、ツイッター、ライン・・・なんでもいいが、私たちの多くは何かを読んだり、見たり、知ったりする行為をソーシャルメディアで、つまり知っている人やフォローをしている人の口コミで行っていないだろうか?

 テレビ番組だってそうだ。日本でいくつか非常にヒットした番組がいくつかあったとして、その番組について友人、知人、学校や会社の仲間同士で話題にしなかっただろうか?これが「コミュニティー」であり、「関係性」だ(私の解釈によれば)。誰かが何かコメントしたことで、あるものについて知ったり、価値判断をしたり(物を買ったり)しているわけだ。

 私は結構ツイッターをよく使っているが、面白いと思ったことについて、あるいは読んでもらいたい記事があるときなどに情報を出しているのだけれども、決して強制ではない。情報を広めたい、シェアしたいという自然な気持ちでやっている。仕事ではないのである。一種のコミュニティー、関係性がそこにある。

 単に、私も、そして互いにフォローしあう人たちも、興味や関心が共通しており、「自分と同じようなことに関心のあるxxさんが見ている情報って、何?」という自然な、非常にゆるいネットワークである。実は「ネットワーク」とさえ呼べないような、ふわふわとしたものだ。いわゆる「サロン」でさえもない。中心がないような、非常にかるーい、興味+関心で結ばれた層なのだ。

 もしこれも「コミュニティー」と呼ぶなら、コミュニティーそして関係性が今、ニュースを出してゆくときにも強く求められるようになった。ネット上の口コミで情報が広がってゆく。メディアができることは読者との関係を作ることなのだーーこれでやっと、ジャービス教授が去年に言っていたことに納得がいった。

(7)ネットで書かなきゃ、だめ

 ネットの世界がすべてではもちろんないが、何らかの形でネットに自分が思うところを出していくことは重要だ。もしあなたがニュースの世界で生きているならばー。ずっと昔は、紙媒体=表、ネット媒体=オータナティブという裏表のような関係があったと思う。今はだんだんそうではなくなった。ネットが表になってきた。

 ネットで発言しないと意味がないぞー。これをひしひしと感じて、帰ってきた。

 私自身はフリーランスとして、主として紙媒体に書いて生活を支えているのだけれども、収入の大小にかかわらず、「ネット=表」として活動していかないとまずいことになるなと感じた。自分にとっては、大きな宿題ができたことになる。

 最後に:日本の情報をもっと外に出そう

 今回は朝日新聞社取締役(デジタル・国際担当)西村陽一氏が登壇。朝日のデジタル戦略の目新しさに会場内が感心していたようだった。

 日本も先のグノシー、ラインに限らず、面白いメディアのスタートアップがたくさんある。日本の外でこれをプレゼンし、ほかの国のスタートアップと情報交換するのは、大いなる刺激になるに違いない・・・。そんなことを思った。来年は、どんな風になっているのだろう。
by polimediauk | 2014-06-17 17:24 | 新聞業界
 トルコでは、昨年春、イスタンブール・ゲジ公園で大規模な反政府デモが発生した。5月31日には、そのデモから1周年ということでタクシム広場に集まった市民に警察が催涙ガスを発射し、大きな混乱状態となっている。

 BBCの報道によれば、エルドアン首相は「広場に集まらないように」と警告していたようだが、治安維持のために警察官2万5000人が配置され、送られてきた映像は衝突の衝撃を映し出す

 反抗するから押えつけるのか、押えつけるから反抗するのかー。エルドアン政権への不満が一気に噴出しているようだ。

 トルコといえば、今年3月末、政府が大手ソーシャルメディアの国内での利用を遮断する動きに出たことで大きな非難を浴びた。人権擁護団体「アムネスティー・インタナショナル」は遮断を「表現の自由へのかつてないほどの攻撃」と呼び、米政府は焚書になぞらえた。

 5月29日には、トルコの憲法裁判所が、通信当局による動画投稿サイト「ユーチューブへの接続遮断は、憲法が保障する表現の自由などの権利を侵害しているとの判断を示している。

 ゆくゆくは欧州連合(EU)加入を目指すトルコ。こんなことで加盟の夢は実現するのだろうか?

 エルドアン首相のネット弾圧への批判はもっとも(何しろ、憲法裁判所が遮断を憲法違反としているのだから)だが、なぜそんなことをしたのかということも視野に入れておきたい。一義的にはネット上に都合の悪い情報がどんどん出たからだが、旧態依然とした手法(接続を遮断)を使ったことには切羽詰った事情もあった。

 こうした点について、月刊冊子「メディア展望」(新聞通信調査会発行)5月号に執筆した。記録の意味もあって、以下に若干編集したものを記してみたい。

強硬手段の背景に熾烈な政争

 トルコは人口のほとんどがイスラム教徒だが、共和国としての建国時(1923年)から政教分離を国是とし、政治的には世俗主義勢力とイスラム系勢力のせめぎあいが続いてきた。世俗主義の「守護者」としての軍部が数回に渡りイスラム系政権をクーデターで倒してきた過去がある。

 2002年からはイスラム系の与党・公正発展党が政権を担当してきた。

 昨年春のイスタンブール・ゲジ公園での大規模な反政府デモに対する、政権の強圧的な対応がいまだ人々の記憶に新しいが、抜本的な構造改革で経済を立て直し、この10年余でGPDを大きく増加させたことで評価されてきた。トルコは中東諸国の中でも成功した国として認識されるようになり、EUに加盟するために、少数民族の処遇の改善や民主化に努めてきた。

 そんなトルコがなぜネットの遮断という荒療治に出たのだろうか。

経過

 最初の遮断が発生したのは短文投稿サイトのツイッターだった。3月20日、国内に約1000万人余とされるツイッターの利用者がサイトにアクセスできなくなった。当局は違法な投稿の削除要請にツイッターが応じなかったために接続を遮断したと説明した。

 1週間後の27日、今度はユーチューブへの接続も遮断された。閣僚や軍幹部がシリア内戦への対応を協議した会議内容が投稿されたことがきっかけだった。

 4月2日、トルコの憲法裁判所は、ツイッターの接続遮断が「表現の自由などの人権を侵害している」として解除を命じ、翌日、政府は遮断を解除した。一方のユーチューブについては、トルコの首都アンカラの裁判所が遮断は表現の自由の侵害であるとして解除を命じたが、問題とされた動画については安全保障上の理由で解除対象に含めなかった。

 トルコがユーチューブ利用を止めさせたのは今回が初めてではない。2010年から2年ほど、建国の父、アタチュルク初代大統領を中傷する投稿があったと政府が判断し、禁止措置となった。

 07年、トルコはネット規制を法制化し、裁判所の命令で、ブログや動画サイトを一時的に閲覧禁止できるようにした。今年2月、新たなネット規正強化法が成立し、プライバシーを侵害している、あるいは「侮辱的内容」が含まれていると通信当局が判断したウェブサイトについて、裁判所からの命令を必要とせずに24時間以内に閲覧禁止の処分を下すことができるようになった。野党勢力はこれを「政府によるネット検閲」と呼んだ。

 言論の自由を推進するための米非政府組織「フリーダムハウス」は、「ネットの自由2013年」レポートの中で、トルコのネット状況を「自由」、「限定的自由」、「自由ではない」の3つの評価の中で「限定的自由」と位置づけた。理由は「政府によるネットの検閲が日常化し、近年その度合いが増えている」、「3万件規模のウェブサイトへのアクセスを遮断している」、「グーグル関係のサイトへのアクセスを遮断したことで欧州人権条約第10条に違反している」、「ソーシャルメディア上の発言によって利用者に罰金を貸している、投獄している」などを挙げている。

刑法301条による制限

 インターネットの領域以外でも、トルコの表現・言論の自由の度合いは過去に欧州で問題視されてきた。

 著名な例が刑法301条だ。EU加盟交渉を開始するために行われた刑法改革の一環として2005年に施行された。301条によると、トルコ人らしさ、トルコ共和国、トルコ議会を公的に侮辱する者は6ヶ月から3年までの禁固刑で罰せらる可能性があった。ただし、批判を目的とした思想の表現は犯罪にはならない。ノーベル文学賞受賞者の作家オルハン・パムクを含む60人以上が訴追されたが、08年までに改正がなされ、司法担当大臣の認可がなければ訴えることができなくなった。

 少数民族の言論にも制限がついていた。トルコ憲法によれば、「トルコの国民はトルコ人」。公式言語はトルコ語のみが認められ、東部に多く住むクルド人は母語での教育や放送が許されない時代が続いた。しかし少数民族に文化的及び言語上の権利を与えることがEU加盟交渉で必須とされたため、政府は少数民族の権利の改善のために01年、憲法を修正し、クルド語での教育、放送が実現した。

 今回のソーシャルメディアへの接続遮断の直接のきっかけは、ネットが政権やエルドアン首相にかかわる汚職疑惑を暴露する媒体となったためだ。

 昨年12月、警察当局は建設工事をめぐる汚職事件に関連し、銀行首脳、ビジネスマン、閣僚の息子ら数十人を拘束した。汚職撲滅を公約としてきた政権にとって、特に大きな打撃である。関連で、閣僚3人が辞職している。

 今年2月には、首相が巨額の汚職に関連する現金の隠匿を電話で息子に指示するやりとりを録音したとされるテープが、ユーチューブやツイッターで拡散した。報道機関の幹部に電話し、野党指導者の演説の報道変更を依頼した音声も出回った。エルドアン首相は先のテープは「作り事だ」としながらも、後者は本物であることを認めている。

 首相は一連の音声テープの投稿が「政権転覆を目指す敵」によるものであることを示唆した。

 旧来、イスラム系勢力にとっての「敵」とは世俗主義勢力(非イスラム系政治家、軍部、検察関係者など)であった。しかし、いまや、与党にとって、米国に住むイスラム教の指導者フェットフェーラ・ギュレン氏とその支持者が敵と見なされるようになった。同氏が率いる社会・教育団体は、イスラムの価値観に基づき、多くの学校や予備校を運営する。その出身者を捜査・司法界、財界に送り込んでいると言われている。エルドアン首相は、検察や警察がギュレン氏の指令を受けて動いていると主張している(ギュレン氏側は否定)。

 エルドアン政権は「敵」粉砕のために断固とした行動を開始した。司法や治安面での政府の支配を拡大するよう複数の法律を改正し、メディアやインターネットの規制も厳しくしてきた。こうした流れの中で、今回の接続遮断事件が起きた。

 トルコの日刊紙「ビルギュン」やニュースサイトに記事を書くジャーナリスト、ドーウ・エロール氏が筆者に語ったところによると、過去10年のトルコの政治は政敵のスキャンダルの暴露合戦となっていた。政権自身が盗聴によって得られた証拠を使って、政敵を攻撃してきたという。今回の汚職疑惑については政権寄りのメディアが十分に報じないので、「情報はネットに流れた」。

 エルドアン氏が国際社会から批判が出ることは承知だと明言してから接続遮断に向かった背景には、国内の熾烈な政争(旧来の敵と新たな敵)があった。遮断は現政権の強圧振りを内外に示したが、同時に、上意下達がきかないネットを制御しようとしたトルコ政府、ひいてはエルドアン首相の(ネットの特徴を熟知していないという意味で)旧式な指導者然とした姿もあらわにした。

 筆者は8年前にトルコの複数の都市を訪れたことがある。当時、クルド人市民を除く知識層の友人・知人たち数人が「西欧並みの言論の自由がある」と言っていたのが印象的だった。今回、現地のジャーナリストや市民に連絡を取ってみると、多くが反政府デモに参加したか、参加した人を知っていた。「拘束されることを覚悟しないと自由に外部の人にものが言えない」、「コメントは出せるが、名前は出さないでほしい」と言われた。

 3月末の地方選挙は与党の圧勝で終わった。大統領就任も視野に入れるエルドアン氏の公正発展党とギュレン氏の勢力という二つのイスラム系勢力の不仲をはらんだ政治が続いている。
by polimediauk | 2014-06-01 05:52 | 政治とメディア