小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 オランダのスタートアップ・メディア「コレスポンデント」については、これまでにも何回か書いてきたが(記者と読者の関係を変える、オランダの「コレスポンデント既存メディアの枠を打ち破るオランダでの試み世界新聞大会で気づいた7つのことなど)、13日、アムステルダムで開催された「出版エキスポ2014」(世界ニュース発行者協会=WAN IFRA=主催)のイベントの一環として、実際にオフィスを訪ねる機会を得た。

 コレスポンデントはオランダの日刊紙「Nrc・next」の元編集長ロブ・ワインバーグ氏と同紙のブロガーの一人で、NRCメディアのインターネット部門の編集長だったエルンストヤン・ファウス氏が中心となって立ち上げたウェブメディアだ。クラウドファンディングでほんの数日で約1万5000人から総額100万ユーロ(約1億3900万円)を集め、オランダ内外で注目を集めた。広告収入には頼らず、購読料(年間60ユーロ=約8000円)で運営をまかなう。読者は「メンバー」と呼ばれ、記事に対するインプットを「コントリビューション」(貢献)として扱う。記者(=コレスポンデント)は読者との「会話」を奨励され、「会話を始める人」という役割も持つ。書き手と読者が知識を持ち寄り、より充実したジャーナリズムを作り上げることを狙う。オランダ語サイトだが、一部の記事は英訳されている。

 昨年9月のサイト開始から1年余りが過ぎた。現在、購読者数は2万8000人。(ファウス氏自身による1年を振り返るブログポストは「ミーディアム」に掲載されている。)

c0016826_18103032.jpg コレスポンデントの狙いや今後について、ワインバーグ氏とファウス氏が報道陣の前で話した内容の一部を紹介したい(以下、敬称略)。

 コレスポンデントのオフィスはアムステルダム市内のビルの一角にある。ドアを開けると白い壁の細長い部屋がある。左手にはグレーのソファーがあり、右手にはミニ・バーがある。木製のカウンタートップに、2人が次々と報道陣向けに飲み物を並べてゆく。

 部屋の奥には長い机があり、いくつものコンピューターが並ぶ。ここが「編集室」のようだ。報道陣が訪 れたのは午後7時半過ぎ。2人の女性がコンピューターの画面に向かって作業をしていた。

***

読者の知識=ジャーナリズムの宝庫


エルンストヤン・ファウス:読者の知識は今までに手がつけられていなかったジャーナリズムの領域ではないか。考えてみて欲しい。3000人の医者がいたら、その人たちの医療知識はたった一人の医療問題の記者の知識よりはるかに深く、広い。

 今はそれぞれ専門知識をシェアできる時代だ。オランダはツイッターも流行っているし、多くの人がネットでつながっている。知識をシェアするジャーナリズムをやりたかった。

 自分はロブ・ワインバーグがいたNRCのウェブサイトのブロガーだった。市民の意見・コメントではなく、専門知識をシェアする試みを行っていた。サイトの閲覧者も倍に増えた。

 しかし、ロブが「解任」されてしまったので、プロジェクトはつぶされてしまった。これが2012年の秋だった。

「一から始めよう」


ロブ・ワインバーグ:NRCの全ての編集者たち、ジャーナリストたちは質の高いジャーナリズムを作るという使命を共有していた。しかし、会社側はこれをあまり共有しておらず、利益を生み出すことをそれ以上に重要だと考えていた。

 私たちは新聞でイノベーションを起こそうと思った。私たちのプロジェクトはすぐに利益を生み出さない種類のものだ。株主がいる会社組織では、株主が3ヶ月で結果を出しなさいというだろう。

 私が前にいたNRCでは、100年前とまったく同じことをやっている。それを変えるのはとても大変だ。組織としても巨大だ。
 
 私たちは自分たちで一から始めることにした。

ファウス:それが2012年の秋だった。立ち上げについてのアドバイスはほとんど無視した。つまり、最初は小規模で、コーヒーショップの片隅で始めなさいとか、ニュースは商品なのだから、そのように扱いなさいとか。

ワインバーグ:ニュースをやるなら、ビジネスプランを持て、とかね。広告をどうするのか、とか。たくさんのオーディエンスを持つことを目的にしてしまうと、試験的な記事が出せなくなってしまう。

ファウス:広告記事を書くようなジャーナリストを雇え、という人もいた。いわゆるブランデッド広告だ。ウェブサイトの一部にこうした広告記事を出して、お金をもうけなさい、と。読者が欲しいものを与えなさい、つまりはネット時代なのだから短い記事をどんどん出しなさい、とか。

 そんなもろもろのアドバイスは私たちがやろうとしていたこととは正反対だった。

 まず、小さく、コーヒーショップの片隅で始めるということ。これはダメだ。

デザイナーとの共闘作業

 私たちが生きているこの時代に、デザイナーがどうやって物語を語るかは記事の中身と同様に重要なんだ。私たちは今、どのようにジャーナリズムを出していくのか、作っていくのかを考えている真っ只中だ。そんなとき、デザイナーと一緒になって、どうやってやるかを考えるべきなんだ。

 そこで、デザイナー&デベロプメントの会社「モンカイ」と一緒にやることにした。でも、普通に仕事を依頼すれば、すごく高い料金を払わなければなくなる。そこで、ビジネス上のパートナーになってもらい、低コストでやってもらえるようにした。

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(画面の例。モンカイ社のデザインが光る)

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(上の画像の右端、記者部分をクリックすると、記者専用の画面になる)

ワインバーグ:広告は入れない。これはある意味ではリスクだ。メンバーからの購読料だけで運営するのだから。

 広告を入れないことにした理由は、そうすることによって、自分たちが本当に重要だと思うことや、社会や読者が本当に読みたいと思うことに集中できると思ったからだ。

 私たちは読者を(何かを売るための)「ターゲット」としては捕らえていない。読者の特性を広告主に売りつけたりはしない。

 広告主がいないと、ジャーナリズムに対する考え方ががらりと変わる。広告主を悪魔のような存在だと言っているわけではない。

読者のバックグラウンドは何でもいい


 要は、私たちは読者の特性(性別、年齢、社会的バックグラウンドなど)をまったく気にかけもしないんだ。良いジャーナリズムの記事は18歳の読者にも80歳の読者にも読まれるだろう。お金持ちか、貧乏かも関係ない。読者が金持ちだろうが、貧乏だろうが、どちらでもいいんだよ。読者には、記事以外にはほかに何も売りたくはない。これは永遠にそうだ。私たちがやるジャーナリズムの根本なんだ。

ファウス:運営費は完全にメンバーからの購読費による。

 短い記事が良いというアドバイスがあったけれど、私たちはまったく違う。長い、深みのある記事を出す。ネットでは長く書いたり、説明したり、リンクやシェアができる。

ワインバーグ:だからと言って、「ロングフォーム」(長い形の)ジャーナリズムであれば何でも良いという意味ではない。また、手がけているプロジェクトはその過程を読者に公開している。

ファウス:記者は2-3ヶ月、半年、あるいは1年をかけて記事を仕上げる。

 あるトピックが今話題になっているかどうか、「ニュース」かどうかなんて、関係ない。記者が「これがこんな理由で重要なトピックだ」と説明したら、それが取り上げるに足る理由になる。

―資金作りはどうやったのか?

ファウス:クラウドキャンペーンを使った。年に60ユーロで、もし1万5000人集まったら、何とか始められるだろうと思っていた。でも、実現の可能性は50%ぐらいかなと思っていた。ロブ(ワインバーグ)があるテレビ番組に出て、資金を募ったらー。

ワインバーグ:テレビ出演から8日間で1万5000人以上が購読者になったんだ。このときの購読者を私たちは「創設メンバー」と名づけている。

 記者には1800人ほどから応募があり、3ヶ月かけて、これはと思う人物を選んだ。8人がフルタイムで、20人がフリーランス。5人のサポートスタッフがいる。

 ある記者は教員でもある。記事の発想が教育の現場から生まれる。元NRCにいた女性記者が今はアフリカの紛争について書いている。

ファウス:独自のコンテンツマネジメントシステム(CMS)があるべきだと思い、モンカイと協力しながら作り上げた。

 開始から1年後の今年9月末でメンバーは2万8000人だ。

 記者は原稿を仕上げるまで、いわば「旅」をする。記者にお願いしたのは「読者=メンバー=との会話のリーダー役になってくれ」、と。記事を出して終わりではなく、メンバーからの知識を引き出すようにサイト上で情報を出し合う。

 メンバーにはそれぞれ自分の専門の知識がある。例えばホームレスであった経験を持つ人がいたり、ポルノ女優であった人も。それぞれの知識をサイトにインプットしてもらう。

ワインバーグ:前に新聞社にいた記者は、読者との会話をするという作業に対し、「追加の仕事が増えた」という。私たちが言うのは、「追加の仕事じゃない。これこそが仕事なんだよ」。オーディエンスにエンゲージするのが仕事なんだ。

 コレスポンデントの記者は記事を出してからの仕事がある。読者には「コメント」ではなく、自分が知っていることを「コントリビュート」(貢献)してもらう。「どう思ったか」ではなく、「これについて何を知っていますか」と読者は聞かれる。

ファウス:知識を共有しましょう、ということだ。

―オーディエンス、あるいはメンバーを増やすためのマーケティング戦略は?

ファウス:ほとんどしていない。フェイスブックのページを持っている。これは「いいね」が8万回、ついている。

 記事自体をメンバーがシェアすることで広がっている部分もある。シェアすると、誰がシェアしたかが分かるようになっている。非メンバー、つまり購読者になっていない人もメンバーがシェアした記事は読める。

****

 2人の話を世界中からやってきた報道陣が聞いた。小さいオフィスながら、大きな大志を持つ2人。

 「私たちは読者の特性(性別、年齢、社会的バックグラウンドなど)をまったく気にかけもしないんだ。良いジャーナリズムの記事は18歳の読者にも80歳の読者にも読まれるだろう。お金持ちか、貧乏かも関係ない。読者が金持ちだろうが、貧乏だろうが、どちらでもいいんだよ」--ワインバーグ編集長のこの言葉を聞いて、思わずほろっとしたのは私だけではなかったように思う。

 とは言え、将来性はどうなのだろう?また、この動きがメディア界全体に広がる見込みは?

 エキスポの会議に出席していた、アムステルダム大学のメディア学教授マーク・デューズ氏に聞いてみた。「将来性はあると思う。これからも続くだろう」。ただし、「コレスポンデントはあくまでもニッチ=隙間のジャーナリズムだと思う。いくつかの特定された分野のトピックを深く追いかけているから」だ。

 コレスポンデントのワインバーグ編集長によれば、ジャーナリズムのスタートアップのやり方やCMSなどを他のメディア機関に販売することも予定(遠い先の話のようだが)しているという。一部の記事をまとめた書籍(紙の本)もあり(電子本もすでに出している)、10月初旬、フランクフルトで開催されたブックフェアで披露したばかり。今後が楽しみなメディアであることは間違いない。
by polimediauk | 2014-10-23 17:42 | ネット業界
「ネット上でいつも面白いことを探していた」

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 ハッカー集団「アノニマス」の分派として、2011年に活動した「ラルズ・セック」(ラルズ・セキュリティー)。広報担当役としてメッセージを発信した青年ジェイク・デービス(現在21歳)にインタビューした(写真右、撮影はMinako Iwatake)。

 デービスは2年間の実刑判決を受けたが、身柄が拘束されていた期間を加味し、実際に刑務所に入っていたのは38日。出所後には夜間外出禁止令が課され、足には行動を追跡するために電子タグがつけられた。2年間、インターネットの利用が禁止された。

 ラルズ・セック参加当時、デービスは18歳。自分でも認める「引きこもり」状態で、コンピューターにかじりつく日々をすごしていた。

 以下はデービスのインタビューの後半である。(前半はこちらから。)

―ウィキリークスが2010年ごろから「メガリークス」の発信を開始した。あなたは当時アノニマスにいたのだろうと思う。ウィキリークスについて、どう思った?

 当時、自分は17歳ぐらいだった。ネット上でいつも面白いことを探していた。ネットで何かできないものか、と。そして、ウィキリークスが作った「コーラテルマーダー(「巻き添え殺人」)(=イラク米軍による民間人の誤射映像。2010年4月公開)の動画を見た。

 とても衝撃的な動画だった。ネットの情報配信力のすごさを示していたと思う。普段は猫の動画を流しているようなユーチューブがすばらしいことを達成できる。その後には米国の外交文書をばらした「ケーブルゲート」事件(2010年11月)があった。大きなパワーを感じた。


―アノニマスに関わるようになったのは?

 ケーブルゲート事件の後で、あるオンラインの友人がケーブルゲートについての記事のリンクを教えてくれた。ウィキリークスが資金を受け取るために使っていたマスターカードやビザ、ペイパルなどのサービスが使えなくなっているので、アノニマスがこうした企業のサーバーを攻撃しようとしていると書かれてあった。そこで、「トピアリ」として中に入り、どんなものなのか見てみようと思ったんだ。

 このときまでに、7000から8000人が参加していたな。みんながウィキリークスのことを話題にしていた。何とかウィキリークスにお金が流れるようにしたがっていた。私は攻撃には参加しなかったが、これほどの数の人がものすごく熱くなっていて、行動を起こそうとしていた状況はこれまでに見たことがなかった。4チャンのようにとても早いスピードで、変化の波が起きていた。

 すごいなと思ったよ。でも、一旦は通信を閉じてしまおうと思った。そこでラップトップを閉じて、何か別のことをやって、眠ってしまった。起きてからラップトップを開けてみたら、まだスイッチが入っていたことが分かった。

 8000ぐらいの反応が数十万規模に膨れ上がっていた。政治運動に変わっていた。そのときは、「アラブの春」のチュニジアの市民を助けたがっていた。市民がフェイスブックにアクセスできるように、行動を起こそうとしていた。

―自分はハッカーの活動家=ハクティビストであると思っていたか?世界を変えようと?

 17か18歳の頃、インターネットは世界を変えるほどの力を持っていると思っていた。だから、反政府の動きを見ているのはとても刺激的だった。政府がネットへのアクセスをブロックできると思っていた国で、状況を変えることができるなんて。この頃から、トピアリとしての活動に熱中するようになった。

―ラルズ・セックの活動を振り返って、どう思うか。

 今から3年ほど前のことで、現在の自分にとっては言葉遣いなどについて赤面するばかりだ。ただ、何かは分からないが何かをやろうとしていたのは確かだ。

「逮捕されるかもしれないとは思っていた」

―何故50日間で、活動を停止したのか。

 英国に住むメンバーの数人が状況を俯瞰して眺めたとき、思いがけずこんな大きなハッカーの集団を作ってしまったことに驚いた。大きな数の支持者たちができていた。同時に、すべての権威に反抗する人たちが出てきた。特定の個人や組織を過激な手法で攻撃しようとしていた。この時が分かれ目となった。

 私は当時16歳の(といっても当時年齢は知らなかった)「Tフロウ」(実名はムスタファ・アルバッサム)とチャットをしていた。普段、私たちは真剣なことを話し合ったりはせず、個人的なことも話さなかったが、ある日、自分たちが思うような方向ではない方向にラルズ・セックが進んでいると2人とも思っていることが分かった。そこで、すべてを止めることにした。逮捕されたのはその直後だ。

―逮捕の予感は?

 閉鎖の2-3週間前には逮捕されることもあるかもしれないとは思っていた。

―警察が来たときは、どんな感じだったのか?

 他の人間との接触が少ないところで1人で住んでいたので、ドアの外に人がやってきたのを見たとき、自分のこととは思えなかった。

 トピアリという名前のオンライン上の人物と生身の自分とが乖離していた。オフラインでは、トピアリがまったく存在していないように感じていた。刑事がトピアリとしての自分について話していたが、奇妙な感じがした。

―いつ、ぴんと来たのか。

 逮捕から6-7ヵ月後にやっと意味が分かった。あまりにもいろいろな感情があってー。

 その後、ネット活動を2年間、禁止された。時々、怒りを感じたが、当初はネットが使えなくなってほっとしたぐらいだった。次に進むための唯一の道だったと思う。誰かに止めて欲しいという思いもあった。

ーネットが使えなくなって、どうやって時間を過ごしたのか?

 事件の関連書類を見ながらすごした。検察側が印刷したものを自宅に送ってくれた。ネットの活動を紙で読むという体験だ。裁判のために準備をしたり、仕事を見つけようとしたり。ただ、職探しをするとメールアドレスを聞かれる。何故メールが使えないかを説明しなければならず、複雑になった。

―家族とはどうなったか。

 逮捕後は母と一緒に暮らした。夜間外出禁止令があって、足首には電子タグがついた。

 家族は非常にサポーティブだった。複雑な事件だったけれど、物を盗んだようなシンプルなことではないと分かってくれた。幸運だったと思う。これほどのサポートを家族から得られない人もいる。

 2011年に逮捕され、2013年に2年の実刑判決が出た。フェルタム少年院で38日間を過ごした。

―刑務所での周囲の反応は?

 他の受刑者はほとんどの人がギャングやドラッグ関係の犯罪で入っていた。いろいろな人がいたよ。自分はインターネットの犯罪だったということで、一目置かれていた。最初は独房で、次に父の車を壊した青年と共同部屋となった。

―空き時間はどのように使ったか。

 ほかの受刑者で単語のつづりを知らない人につづりを教えていた。文章を読んだり書いたりできない人がこんなにも多いことを初めて知った。

 どんな受刑者も家族に手紙を送りたがる。家族もどんな様子かを知りたがる。他の受刑者が書いた手紙をチェックしたりした。

―以前は引きこもりで、人との付き合いが苦手だったようだが、刑務所でもまた今も、非常に社交的に見えるが。

 2年間、ネットへの接続を禁止されていたので、オフラインでの友達を作るようにしてきた。複雑な、本当の人間と話すのはとても面白い。

―現在、ネット利用にはどのような制限がつくか。

 当局が監視していると思う。利用履歴を消すことを禁止されている。ファイルを暗号化して使ったりなどができない。遠隔操作で人のコンピューターを使うことも禁止されている。

 2018年5月までは、私のネット上の行動を当局がいつでも必要に応じて見ることができるようにしてある。といっても、テクノロジーの進展はあっと言う間なので、今後2年で規制の中身がどれほど意味を成すのかは分からないがー。

 例えば、コンピューターの利用のすべてが暗号化されているのがデフォルト設定になっていたら、どうするか。暗号化されているものはすべて使ってはいけないというのでは、何も使えなくなる。規制は変わってゆくだろうと思う。

 こうした規制を非常に厳しいものだと受け止める人もいるが、もっと厳しい条件の人もいる。

「事件についてどう思うかを答えるのは難しい」

―逮捕直前の自分の行動をどう思うか。過去の行動を否定したいという思いはある?

 その時々によって、思いは変わる。今からだと3年前の話だ。ずいぶんと昔のことに思える。2-3年前までは話しにくかった。生々しい記憶だったからだ。

 どう思うかについて、答えるのは難しい。

 多くの若い人が、自分たちがどんな人間で何を到達したいのかを理解する過程で、いろいろな馬鹿げたことをする。

 当時自分たちが使っていた言葉とかやっていたことを考えると、寒気がする。困惑する。10代の少年たちの苦悶がぶちまけられるのを見ることになるからだ。自分は非常に未熟だった。

 しかし、あんな体験をしてよかったと思う。

 アラブの春への支援については、今でもすごいことだったと思っている。ハクティビズムのよい例だった。

 検察からの書類を見ながら、自分がやったことを確認していった。どこで間違えたか。知ることには自己治療な意味があると思う。起きた事の良い部分を拾い上げ、これからも続け、悪い部分は後に残していこうと思っている。

―他のメンバーに対してはどう思う?米当局に通報した形になったサブーについては、怒っている?

 怒ってはいない。

 後でラルズ・セックのメンバーの何人かと英国で会った。以前は互いと連絡を取り合うことを禁止されていたが、この春から許されるようになった。初めて顔を合わせたが、いい感じだった。

 サブーがラルズセックの活動に一番思い入れがあった。誰よりも。彼は私たちよりかなり年上だし、何が起きているかを知っていた。私たちは何が起きているかを理解できないままに動いていた。急激にいろいろなことが起きて、それぞれ学びながら対応していた。

 サブーはラルズ・セックに一番力を入れていた人物だったー。彼が今どう思っているのかは分からないけれど。

―彼に会う予定は?

 計画はないが、他のメンバーには会った。ムスタファは、当時16歳で頭脳明晰な男性だった。会ってみると、お互いにルービックスキューブが好きだったことが分かった。ムスタファは頭がいいので、数十秒で完成させてしまう。私は2-3分かかるので、教えてもらっている。互いに互いのことをいろいろ知るようになった。

―今は何をしているのか?

 映画や芝居の台詞についてコンサルティングしたり、映画会社でパートタイムで働いている。

「子供たちを助けたい」

―今後は?

 いろいろなイベントで話してみたい。パネリストとして出てみたい。テーマはデジタルスキルなど。

 今後2-3年は、学校などで多くの若い人に向けて話しても見たい。引きこもりや人と接触することができない症状に悩む子供たちが助けを必要としているかもしれない。

 自分が13-14歳の頃、誰か自分と同じような症状を克服した人ととても会いたかった。どうするべきかを教えてもらうというよりも、知識を増やしたかった。だから、自分の経験を共有できればと思う。

 14-15歳の少年たちで、何かをやりたくても、実際には何をやったらいいか分からない人たちがいる。報酬をもらうためと言うよりも、ほかのことをやって家賃を払い、それとは別にやってみたい。

―以前に、ラルズ・セックで架空の名前を使ってネット活動をやることで、大きな高揚感、興奮を体験したという話を聞いた。現在、高揚感を持てる対象は見つかったのか?

 今何かそういうものがあるかと聞かれれば、今はすべてに、毎日の出来事に触発されている。もっと旅行もしてみたい。13-14歳の頃は、いつか飛行機に乗って、いろんな人に会って、いろんな文化を知りたいと夢見ていたから。今年は、パスポートが返ってきて、外国に行けることになった初めての年だ。人生で初めて外国に行ったのが10歳の時だ。学校でイタリアに旅行に出かけた。今年はアムステルダムに初めて行った。美しい都市だった。パスポートを手にし、普通の市民のように滞在できた。

―ラルズ・セックでは広報担当としてさまざまなメッセージを出していた。言葉遊びもたくさんあった。どこで文学的能力を取得したのか?

 自分はとても自分に対する批判が強いので、若いときに書いたものは困惑しすぎて読めないぐらい。怒りに満ちていて、ダークだ。そのときにいた場所の雰囲気を反映している。

―刑務所では読み書きがまともにできないばかりか、きちんと文章を話せない人がいたと聞いたが。

 悲しかった。多くの若者は何度も刑務所を出たり入ったりしていた。家がないも同然で、刑務所が家になっていた。言葉を学ぶ機会を持てなかったのだろう。人によって、何が普通かの定義が違う。刑務所にいることが普通だと思う人もいる。

 私が刑務所に送られる車の中にいたとき、隣に座っていた人が「家に帰る」という話をしていた。その「家」とは刑務所であることを知るには時間がかかった。

 コンピューターのスキルを持っていること、普通に読んだり書けたりすることが特別なことであることを、刑務所に行って実感した。

―たくさん、本を読むのだろうか?言語能力の高さの源を知りたい。

 テレビがないので、読むことは読むよ。1つの言語しか分からないので、複数の言語を理解できる人にジェラシーを抱く。他の言葉も勉強したい。

―どんな本を?

 本と言うより、学術論文、マニュアルを。古い機械の作り方とか。フィクションなら面白い視点があるもの。村上春樹は好きだよ。娯楽だけではなくて、何か新しい発見がある小説がいい。家には大きな本棚があったことを覚えている。

―日本について

 村上を読み、最近は見ていないが、日本のアニメのスタイルが好きだ。日本は一度ぜひ行って見たい国の1つだ。

―日本で見たいものは?

 秋葉原のアーケードに行くだろうな。秋葉原の。スーパーモンスターのゲームなど。カラフルな大きな音がするようなものが好きなので。

ーネットについての考え方は、変わったか?

 特には変わっていない。

―元CIA職員エドワード・スノーデンのリーク情報を元にして、米英政府が大規模な監視行動をネット上で行っていることがわかった。国家的な監視に対する警戒感が広がったが、これについてどう思うか。

 報道によれば、英情報収集機関の1つGCHQでも、意外と若い人が監視員であったりする。諜報機関に勤める人が離婚して、元の妻を監視するために監視機能を使っていたという記事を読んだことがある。誰かがあなたの行動をいつも見ている、すべてを見ている、と。怖い状況だ。

 フェイスブックも秘密裏に心理テストをやっていた。将来、政府が秘密裏に収集した情報を使うかもしれない。実際に、政府がどんなことをやっているのかは分からない。こうしたことを若い人に教えるべきだと思う。

***

 ジェイク・デービスに興味をもたれた方はツイッターや「ASKFM」のサイトをのぞいてみてはと思う。

 また、アノニマスとラルズ・セックの事件の一部始終は、「我々はアノニマス」という本(邦訳はヒカルランド社から刊行、著者は米フォーブス誌のパーミー・オルソン氏)に詳しい。ご関心のある方は一読をお勧めしたい。
by polimediauk | 2014-10-21 17:11 | ネット業界
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(英ロイヤルコート劇場前のジェイク・デービス。撮影 Minako Iwatake)

「何かをやりたかったけど、それが何か分からなかった」

 3-4年ほど前、一定の社会的意図を持って大企業や政府のウェブサイトを攻撃し「泡を吹かせる」-そんな行動に熱狂した若者たちが英語圏で注目を浴びた。話題をさらったのは「アノニマス」、そしてその分派「ラルズ・セキュリティー」(通称「ラルズ・セック」)。「ラルズ」は「Lulz」とつづり、「大笑い」を意味する。「大笑いのセキュリティー」とは、名前からしてユーモラスだ。

 今月末まで、ロンドンのロイヤル・コート劇場ではラルズ・セックの活動をドラマ化した芝居「インターネットは真剣なビジネス」が上演されている。

 台本を書いたティム・プライスは、アノニマスやラルズ・セックのメンバーたちの行動を一種のハクティビズムと捉えている。ハクティビズムとは「ハッカー行為をする」「問題を解決する」という意味の「ハック(hack)」と社会的・政治的な改革を目指す行動主義「アクティビズム(activism)」を合成させた言葉で、政治的な目的のためにコンピューターを使って行動を起こすことを指す。若者たちは、寝室でラップトップを操りながら「大きな資本主義の権力に集団として戦った」のだ、と。

 米フォーブス誌のパーミー・オルソン記者によると、アノニマスとは悪ふざけ、あるいは抗議の手段としてインターネットを混乱させる人々の名称で、利用者が匿名を使う画像掲示板「4chan(フォー・チャン)」に書き込むときに、特定のハンドル名を使わずに「アノニマス」(名無し)として投稿することに由来している。アノニマスには明確な指導者はおらず、「ゆるやかなネットのルールを順守する流動的な集まり」だ。

 アノニマスの名前が広く知られるようになったのは、内部告発サイト「ウイキリークス」によるメガリーク。サイトの創始者ジュリアン・アサンジは、英ガーディアン、米ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ、仏ルモンドなど欧米の主要紙と協力し、2010年以降、米軍や米政府の機密書類を続々とリークして、世界中の注目を浴びた。

 米クレジットカード会社ビザカード、ネットの決済サービス、ペイパルはウィキリークスがサービスを使えないようにし、資金を得る手段を奪った。このとき、アノニマスのメンバーはビザカードやペイパルのサイトを攻撃し、ウィキリークスを援護射撃的に支援した。

 2011年、中東の複数の国で民主化を求める運動が発生。「アラブの春」と呼ばれる現象となってゆく。運動を抑えようとするチュニジア、エジプトなどの政府サイトにアノニマスが攻撃をかけ、一時使えないようにしたこともあった。

ラルズセックの勃興と顛末

 ラルズ・セックはアノニマスの分派として2011年春、活動を開始。ハンドル名「トピアリ」と「サブー」が他数人のアノニマスの参加者とともに立ち上げた。「権威ある対象に恥をかかせ、笑う」目的でのサイバー攻撃を次々と手がけた。

 米国のタレント勝ち抜き番組「Xファクター」の出演者のデータベース、米映画会社フォックスのウェブサイトのユーザーのパスワード、ソニー・ピクチャーズのユーザー情報、FBI関連のインフラガード社のウェブサイトなどを攻撃した。米CIAのサイトを一時ダウンさせたのもラルズ・セックだった。

 「大笑いセキュリティー」と名づけるだけあって、ラルズ・セックが自分たちのイメージとして使ったイラストもユーモラスだった。シルクハットをかぶり、モノクルをつけた男性が葉巻を吸っているイラストだった。現在も30万人を超えるフォロワーがいるツイッター・アカウント(今は活動停止中)から発信されたつぶやきはユーモアや言葉遊びに満ちていた。

 ラルズセックは2011年6月26日、50日間の活動を終了すると宣言した(ただし、7月にもハッキングを一度行っている)。その後、メンバー数人らが続々と逮捕された。後で分かったことだが、リーダー格の米国人ヘクター・ザビエル・モンセガーが米当局に逮捕され、司法取引に応じていた。これがグループのメンバー摘発につながった。

 2013年5月、コンピューター関連法に違反したとして有罪となっていた英国在住のライアン・クリアリー(当時21歳)、ライアン・エイクロイド(26歳)、ジェイク・デービス(20歳)、ムスタファ・アルバッサム(18歳)に判決が下された。クリアリーには32ヶ月の禁固刑、エイクロイドには30ヶ月、デービスには24ヶ月、アルバッサムには2年の執行猶予付きの20ヶ月の実刑が下った。

何故?を聞いてみた

 その後の英国在住のハッカーたちがどうなったのか?私は気になっていた。何故こうした行為を行ったのか。現在はどう思っているのだろう?

 ラルズ・セックの広報担当役として、ユーモラスなメッセージを発信し続けた青年ジェイク・デービス(現在21歳)に昨年秋、あるイベントで出会った。その後、何度か会話を重ね、長いインタビューを記録する機会を得た。

 デービスは2年間の実刑判決を受けたが、身柄が拘束されていた期間を加味し、実際にロンドン郊外のフェルタム少年院に入っていたのは38日。出所後には夜間外出禁止令が課され、足には行動を追跡するために電子タグがつけられた。2年間、インターネットの利用が禁止された。

 パスポートの利用も禁止されていたが、国外に出ることが許されたのは今年夏以降。現在はネットの利用が可能だが、2018年まで、暗号化ツールを使えないことになっており、ネットの利用状況は当局が監視している。利用履歴を消すことができない状態だ。

 ラルズ・セック参加当時、デービスは18歳。自分でも認める「引きこもり」状態で、コンピューターにかじりつく日々をすごしていた。昔、自分が発信していたメッセージや書き込みの文句を目にすると、「ぞっとする」と今では言う。

 犯行当時はスコットランドに住んでいたが、生まれはイングランド地方。英国では家庭環境や教育程度によって話し方が変わる。デービスはスコットランド特有のアクセントはなく、ロンドンで生まれ育った、かつ非常に聞きやすい発音で話す。饒舌に、社交的に話す様子を見ていると、かつて引きこもりであったことが信じられないほどだ。

 デービスの生の声をお伝えしたい。

―生まれはどこか?

ジェイク・デービス:イングランド地方だ。それから遠く離れたシェトランド諸島に引っ越した。

―イングランドのことは何か覚えている?

 本当に小さい頃だったので、覚えていない。ホステルに住んでいた。転々としていたらしい。普通の家というものはなかった。5歳から6歳の頃、シェットランド諸島に行ったのだけれど、これが最初の記憶かな。町には89人しか住んでいなかったんだよ。孤立した場所だった。そこに12年ぐらい住んでいた。

―最後のほうは1人暮らしだったんだよね。

 そうだ。17歳で家族を離れた。1年ぐらいして、逮捕された。当時は1人で住んでいた。一人暮らしをしているといろんな事が起きる。

―10代の頃は数学にとても興味があったと聞くが。

 そうだったよ。最初にコンピューターを買ったとき、うれしくて。どうやってウインドウを開けたり、閉じたりできるのか、学んでいた。ある場所をクリックすれば何らかの機能を実行できることは分かったけど、どうしてそうなるのか、知りたかった。

―それは何歳のときか。

 12か13歳ぐらい。ダイアルアップ接続がブロードバンドに変わりつつある頃だった。だんだん処理速度が速くなっていた。コンピューターをつけていると、ハミング音が出る。何故こんな音が出るのか、知りたかった。何故ハードライブの中であんな風に部品が回るのか知りたかった。そんな興味がたくさんあった。コンピューターにとりつかれていたと言ってもいい。何故かを知りたかった。

―自分で学習したのか?

 そうだよ。学校は13歳でドロップアウトしたから。退屈でたまらなかった。あの学校の教育体制はだめだった。自分は無視されていた。

 インターネットは質問をするためには最高だった。だからいろんなフォーラムやヤフーで質問をすれば答えてくれるサービスなどに加入した。答えを知りたかった。

 インターネットに行けば、誰かしら必ず専門家がいる。知っている人がいる。たくさんのコミュニティーがある。例えば、どうやって洗濯機を直すのか、100のアイデアを持っている人がいるとかね。

 フォーラムなどにたくさん加入して、ばかげた質問をしたよ。何も知らないアマチュアのような、単純な質問だ。きつい言葉がよく返ってきた。でも、試行錯誤を重ねながら、いろいろなことを学んでいた。そうやって何年もが過ぎた。

ー質問をするとき、実名を使っていたの?

 うーん、覚えていない。13か14歳の頃は実名を使っていたんじゃないかな。でもどこかで、架空の名前を使うべきと言う投稿を見た。そこで架空の名前をたくさん使った。14歳ぐらいから。17から18歳にかけて、それまでの投稿をすべて消すようにした。投稿それ自体が命を持つようにしたくなかった。ネットの外に本当の生活があるようにしたかった。

―1日中ネットを使っていたとき、どんなことに一番時間を費やしたか?チャットルーム?

 チャットとかフォーラムとか。自分は常にいろいろな文化を持つさまざまな種類の人と知り合いたいと思っていた。自分が住んでいた小さな町では不可能だった。だから、コンピューターは「窓」だと思っていた。世界について知るために、世界の違う場所にいる人と友達になるために。チャットルームに集まって、何でも話したよ。これから公開される映画や本のこととか。他の人の視点を知りたかった。知識とか意見とかに飢えていた。とても孤立した住環境、家庭環境だったから。

―家を出て、遠くの都会例えばロンドンに行きたいとか、思わなかったの?

 自分はナイーブだったんだ。何か大きなことをやりたかったけど、それがなんだか分からなかった。どこからも遠く離れた場所に住んでいたので、外に出たら何があるのか、想像できなかった。何かやりたいということは分かっていたけど、それが何か分からない。そしてインターネットに吸い込まれていったんだ。

 日本語で、こういう状況を説明する言葉があるね。コンピューターづけになって、部屋にずっといること。

―引きこもりのこと?

 そうだ。自分は少しそうだったんだ。

ーテレビは見なかったの?

 テレビを持っていなかった。インターネットだけだ。ユーチューブで動画を見た。

ー家族(母と弟)は何も言わなかったの?部屋から出てきなさい、インターネットをやめなさいとか?

 そう言っていたよ。でも、最後はあきらめたようだ。17歳で1人暮らしを始めるまで、インターネットを1日中やっていた。1人になってからはもっとコンピューターにのめりこんだ。家族は僕をサポートしてくれた。たぶん、僕はコンピューターに時間を割きすぎていたんだと思う。

―自分ではこんなことをしていてはいけない、外に出なきゃとかは思ったのか?

 難しいバランスだった。自分では外に出て、いろいろなところに行って見たい。何かしてみたい。でも、それがなんだか分からない。あんなさびしいところでは、何かをすることが難しかった。何かをしようとしてもがいていた。自分に刺激を与えるほどの何かを見つけることができなかった。悪しき循環というわけだ。何かをしたかったけど、町が小さすぎた。はるかに面白いことにインターネットに行けば毎日、出会えた。健康的ではなかっただろうけど、それが現実だった。

ーアノニマスやラルズセックのメンバーたちも出没した4チャン(日本の2チャンネルの英語版)だが、掲示板の書き込みを見ると、会話のスピードがものすごく早い。「このホモ野郎」とか、攻撃的なあるいは差別的な言葉も頻繁に使われている。どう受け止めていたのか?

 当時は14か15歳。使っているうちに慣れた。使い始めてすぐに分かったのは、4チャンを使う人はとても攻撃的に、侮辱的に振舞うようにとある意味では期待されているということだった。利用者と4チャンの場以外で会ったことがあって、4チャンというのはインターネット上の舞台なんだと思った。あそこに行って、見世物を演じる。できうる限り攻撃的になるんだ。

 4チャンでの言動を実際にオフラインでする人に会ったことがない。4チャンに行けば、あんなふうに発言する。誰しもがそうする。

 4チャンを使うなら、あの雰囲気に適合しないと。利用する人はみんなそうしてる。普段利用しない人からすれば、確かに異様かもしれない。誰しもが最も早く、最も攻撃的な言動をしようとするのだから。

―一種のゲームのような感じ?

 一瞬、4チャンの場にいるときだけかぶるマスクのようなものだろう。過激な4チャンの場は必要だろう。その後で、穏やかな普通のインターネットの世界に戻るためにも。4チャンもそうだし、アノニマスのイメージボード(掲示板)もそうだ。使うときには一種の仮面が必要となる。

 心理学にとても興味を持っている。自分が利用者になるというよりも、どうやって機能しているのか、知りたかった。

―15-16歳ごろ、よく行っていたウェブサイトは?

 ソーシャルメディアを使ったことはなかった。ツイッターの人気が出始めた頃だった。時間を最も費やしたのはオンラインゲームだろう。ゲーム類のサイトだな、よく行ったのは。すばやくカーソルを動かすようなサイト。それと、ウィキペディアをよく読んでいた。マニュアル類も毎日のように読んでいた。特に目標があったわけではない。時間をつぶすためだ。ネット上で他の人と話したり、静かに知識を蓄積していた。新しい友達を作ろうとしていた。
 
 友達を作るって言うのが本当に大きな問題だった。引きこもりだったから、実際に友達が誰もいなかった。オンラインで話ができる、最高に面白い人を探していた。スカイプ、音声チャットなんかをやっていたな。ヘッドフォンをつけてね。

―ネットの上では友人たちがいたわけだ。

 そうだ。オンラインコミュニティーに参加していた。実際には誰かを互いに知らずに通信していた。

―オンラインの匿名での会話は特別な感情を引き起こすことがある。時として、オンライン上での自分の発言を後悔するとき、リアルの人生で言ったときよりも強い感情を引き起こす。そういう経験はないか?
 
 その意味はよく分かる。その逆の場合もあるだろう。自分の場合は文字の裏に人がいることが実感できなかった。逮捕されてからやっと、人間がいることが実感できた。

―ラルズ・セックでは「トピアリ(Topiary)」という名前を使っていたが、その前にどんな名前をオンライン上で使っていたのか?

 覚えていない。14か15歳の頃、仮名を使っていたとき、きっとコンピューターのオタクがするように、異様に長い名前だったんじゃないかな。数字と文字、大文字小文字とかを組み合わせて。

―仮名を使っていると、その仮名が生み出す、1つの性格ができていくね。

 そうだ。だから、2-3ヵ月に一度、名前を変えていた。でないと、1つの性格に固まってしまう。周りの人はあるプロフィールを作り上げてしまう、1つの名前に。後でそんなプロフィールにそぐわない発言をしたりするようになる。だから、時々変えた。

 でも、トピアリについては長い間使っていた。おそらく、間違いだったと思う(逮捕につながったから)。7-8ヶ月ぐらいだろうか。ほかの名前はたくさんあったので覚えていない。(つづく)
by polimediauk | 2014-10-20 20:57 | ネット業界
 以下は「メディア展望」(新聞通信調査会発行)9月号に書いた拙稿に若干の補足をしたものです。最新の10月号には、欧州諸国からイラクやシリアに向かう聖戦戦士の話を書いています。購読者のみへの公開になりますが、機会がありましたら、ご覧ください。

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 9月9日、英下院の文化・メディア・スポーツ委員会に、英フィナンシャル・タイムズ・グループの元CEOローナ・フェアヘッド氏(53歳)が姿を現した。

 同氏はBBCトラストの次の委員長になるといわれている。BBCトラストとは、日本で言えばNHKの経営委員会にあたる。トラストは視聴者の代表としてBBCの活動をチェックし、戦略を決めてゆく。

 トラストの委員選考には公募制が導入され,所管の文化・メディア・スポー省内の公職任命チームが選考作業を担当する。メディア担当相の助言に基づき,女王が任命する。

 2011年に任命されたパッテン卿が健康上の理由で職を去り、次期引継ぎ者を探していたが、政府が有力に押しているのがフェアヘッド氏。最終的な任命前に、文化・メディア・スポーツ委員会(下院議員で構成される)に呼ばれ、質疑を受けた。

 「朝起きたときから夜寝るまで、生活がBBCとともにある」と答えたフェアヘッド氏。幅広い番組を視聴しているというフェアヘッド氏の応答はおおむね好意的に受け止められた。公的な「面接」を無事に終えたようだ。トラストの委員長として女性を任命したかったという政府の意向に沿った人事になりそうだ。

 フェアヘッド氏が統括するBBCは、一体どんな状況なのか。7月に発表された最新の年次報告書(2013-14年)を見ながら、BBCの現況、その背景や今後を考えてみたい。

BBCの収入は?

 2013-14年度、BBCが徴収したテレビライセンス料(NHKの受信料に当たる。視聴家庭から徴収)は37億2200万ポンド(約6900億円)となった。ライセンス料でBBCは国内の活動をまかなっている。これを補足するのが商業部門による収入だ。今年度はBBCの番組を海外で販売する「BBCワールドワイド」などによる14億4100万ポンドとなった。

リーチ力は?

 BBCのリーチ力とはどの程度のものか?

 年次報告書によると、英国の成人の96%がBBCのテレビ、ラジオ、オンラインのコンテンツのいずれかに毎週接している。一人当たり週に平均18.5時間接している計算となるという。昨年度と比較して1時間の減少である。

 BBCのテレビ番組に15分以上接したことがある人は国内の99・6%。平均では1人で週に9時間視聴している。最も人気が高い番組はSFドラマ「ドクター・フー」だった。

 英国の民放局では時間をずらせて全番組を放送する「タイムシフト」と呼ばれるチャンネルが複数設定されており、BBC及び他局ではBBCのiPlayer(アイプレイヤー)のような、番組再視聴用のオンデマンドサービスを提供している。それでも、テレビ番組を放送時に見るという人がまだ圧倒的に多い。ただし、その割合は次第に減少している。BBCも例外ではなく、13年度では84%が毎週BBCのテレビを視聴しているが、前年度は86%だった。

 報告書が特記するのはモバイル機器(携帯電話、タブレット)を使って番組を視聴する人の急速な伸びだ。アイプレイヤーでの番組再視聴の数(特定の番組のリクエスト数)は2013年で30億に到達した。前年より33%増である。

 2014年度から、BBCはアイプレイヤーをデジタルでBBCの番組を見る際の基幹プラットフォームとして位置づけるようになっている。

 BBCのニュースサイトには今年年頭時点で2500万人の月間ユニークユーザーがあったという。「BBCのニュースに対する信頼度は依然として高い」。

 ただし、2012年秋、BBCの元人気司会者が性犯罪者であった疑惑が発生し、BBCの管理体制の不備が指摘された。同時期に、老舗のニュース番組「ニューズナイト」での調査報道の失敗が明るみに出た。重なった失態の直前の信頼度よりは「若干低い」状態だという。

いかに経費を節約したかを強調

 年次報告書のBBCやほかの英メディアの報道を見ていると、お金に関するものが多い。BBC自身の報道でも、この1年でいかに経費を節約したかが強調されている。

 背景にはこんな理由がある。日本の放送業では主要民放局が圧倒的な規模を誇るが、英国で予算額で比べた場合に最大級となるのが、ご承知のようにBBCだ。公から集めた資金で活動するBBCに対し、国民(そしてライバルとなる民放局や新聞社、その声を代弁するロビー団体、政治家)から資金の使い道をつまびらかにすること、つまり説明責任を果たすことへの強い要求が存在している。

 「いかに経費を節約したか、いかに無駄なくライセンス料を視聴者のために使ったのか」を示す一つの場が年次報告書となる。

 BBCがライセンス料を十分に効率的に使い、質の高い番組を届けたとなれば、国民に存在を納得してもらえる。同時に、10年に一度更新される、BBCの存在を保証する「王立憲章」や、ライセンス料の値上げや活動内容を規定する(政府との)「合意書」に向けての交渉もスムーズに行く。そんな目論見もBBCの側にある。

 年次報告書によると、BBCはこの1年で3億7400万ポンドの経費を節約できたという。かねてから批判されてきた、一部の人気出演者への高額報酬も是正したと経営陣は述べている。例えば、10万ポンド以上の報酬をもらう「高額タレント」陣への合計の予算は2008年度時点で7100万ポンドだったが、13年度では4900万ポンドに減額された。それでも、他局や国民の一部からも「まだ巨額すぎる」という批判がたえない。

 報告書全体の構成を眺めると、戦略を決める役目を持つトラストの評価と経営陣の見解とが交互に掲載される形となっている。

 トラストがBBCの年間の活動を評価するときに物差しとするのが「(番組の)質と独自性」、「コストパフォーマンス(投資された金額に見合ったコンテンツを生み出しているか)」、「(貧富、性別、居住地域に別にかかわらず)全ての視聴者に仕えているか」、「オープン性と透明性の確保」である。

 この中の「(貧富、性別、居住地域に別にかかわらず)全ての視聴者に仕えているか」に、「公共の利のための放送業」という英国の伝統が根付く。

 BBCのコンテンツを週に一度でも利用する人は英国の成人のほぼ全員に相当するが、トラストは、「全ての視聴者のそれぞれが利用しやすい形でBBCはコンテンツを提供するべき」、「番組や制作スタッフが英国内の多様性(性別、人種など)を反映するものであるべき」と記している。

 BBCアイプレイヤーは(民放局の同様のサービスも同じだが)、最低限インターネットにつながっている家庭に住む人誰もが無料で利用できる。BBCのデジタルサービスの拡充には、放送に関わる最新のテクノロジーやサービスを(無料で)幅広く国民が享受できるようであるべきだ、という考え方が底流にある。

管理職は男性の白人が多い

 ほかにBBCの課題の1つとなっているのが、多様性の確保だ。

 番組制作スタッフや出演者、管理職のメンバーは男性、しかも白人であることが多い。また、男性は中高齢になっても司会者として画面に出演できるのに対し、女性は高齢になると表舞台からはずされるとも言われている(実際に、高齢を理由に職を下ろされたとして何人かの女性がBBCに訴訟を起こしている)。

 あらゆる領域でさまざまなバックグラウンドの人が放送業に参加しないと、多様性にあふれる国民の姿を反映しない番組作りになるし、さまざまな差別の温床になる可能性がある。そこで、BBC経営陣にとって、多様性確保が重要課題となる。

 年次報告書の中で、BBC経営陣は「有色人種、障害者、女性を活用するための管理者プログラムを実行した」「テレビ番組にもっと女性が登場するよう努力している」と説明したが、トラスト側は「黒人、アジア人、そのほかの有色人種のスタッフの割合を12・5%にまで上げる」という経営陣の目標達成への歩みののろさを指摘した。

お金の使い方に疑問符も

 トラストは、BBCのお金の使い方に大きな疑問符が付けられた例を挙げている。そのうちの1つは1億ポンドに上る「デジタル・メディア・イニシアチブ」プロジェクト(ビデオテープの利用を停止し、全てをデジタル化する)が頓挫したこと、また、旧経営幹部退職の際の支払いが過剰であったのではないかという疑念があることだ。

 この「旧幹部」の1人は前会長のジョン・エントウイッスル氏だ。先の人気司会者による児童への性犯罪疑惑を毅然とした態度で対処しなかったことで、会長職就任から54日で自己退職に至った。このときにエントウイッスル氏に支払われた退職金が高額で、支払額を決めたトラスト委員長のクリス・パッテン氏の責任問題にまで発展した。同氏は辞任には至らなかったが、体調を崩し、辞任を申し出た。新委員長が就任するまで、BBCトラストは委員長代理が統率している状態だ。

地殻変動、近し?

 BBCの現在の王立憲章と活動合意書は2016年末に失効する。前回はテレビライセンス料を視聴家庭が払い、これでBBCの活動をまかなうという形は変更しなかった。17年からはさらにライセンス両方式をとるのか、それともネットで見る人が増えることを見込んで、新聞の購読料のような購読料を体制をとるのかー?BBCは購読料体制になれば、収入が大きく減ることを懸念している。ここ1-2年で、ラインセス料体制が崩れる可能性もある。地殻変動の時代がすぐそこまで来ている。
by polimediauk | 2014-10-03 16:40 | 放送業界