小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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c0016826_21513236.jpg 3月30日、現役ロンドン市長ボリス・ジョンソンが書いたチャーチルの伝記『チャーチル・ファクタ―』の邦訳版がプレジデント社から刊行されました。

 元日本経済新聞の論説委員で、これまでに『サッチャー回顧録』や『ブレア回顧録』(ともに出版社は日経)など、いくつもの翻訳本の経験がある石塚雅彦さんと当方が翻訳者になっております。

 もともとチャーチル(1874-1965年)の没後50年の区切りとして出版されたものですが、英国では発売後、すぐにベストセラーになりました。

 チャーチルは英BBCの「もっとも偉大な英国人」調査(2002年)で一位になるほど英国人からは尊敬され、慕われている存在ですが、すぐに売れた大きな理由はジョンソン・ロンドン市長が書いたからでした。

 ジョンソン市長を英国ではほとんどの人が「ボリス」というファーストネームで呼びます。根強いファンが全国にいて、次期首相候補の一人ともいわれています。ただし、「首相候補の一人」と言っても、「まさかね」と苦笑する人もたくさんいます。

 というのも、親しみやすい丸っこい体形、金髪のぼさぼさ頭と青い瞳のボリスは、人前でジョークを言ったり、言葉遊びが得意な人物で、そんないわばコメディアンのような人が首相になるなんて、普通には信じられないからです。

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(ロンドン市長のウェブサイトより)

 しかし、実はボリスは「政界のトップに立つ」という強い願いを心の中に長年抱いてきた人物でした。現首相のデービッド・キャメロン(49歳)はボリスの2歳年下ですが、同じころにオックスフォード大学に通い、あるクラブのメンバー同士でした。表に出したことはありませんが、「キャメロンには負けられない」という感情は、相当強いようです。

 ボリスは大学卒業後、ジャーナリスト、政治雑誌編集長を経て下院議員に当選。今も下院議員で、かつロンドン市長でもあります。全国紙にコラムの執筆も続けています。

 エリート層に属するボリスですが、会話の中にトレンドになっている言葉やジョークを散らばめることで、庶民層にもファンを拡大しました。

 ボリスはチャーチルが大好きなそうです。そんなボリスが書いた『チャーチル・ファクター』は英国では2014年秋に出版されました。

 第2次世界大戦時に首相になり、英国を一つにまとめながら、ヒトラーに勝利したチャーチル。しかし、首相になる前はどんな政治家だったのか、戦中、戦後に何を達成したのか、英国民でさえも、十分に知っていないーーそんな思いがあったボリスは、チャーチルの没後50年という節目で伝記を書くプロジェクトに喜んで乗ったようです。

 『チャーチル・ファクター(The Churchill Factor)』の「ファクター」には「要素」という意味があります。つまり、「チャーチルをチャーチル足らしめた、特別の要素とは何だったのか」ー。

 チャーチルの特色を「チャーチル・ファクター」と表現したことにも、ボリスらしさが出ています。

 英国では「Xファクター」という音楽オーディション番組(民放ITV放送)があります。これが大変な人気で、「Xファクターがある」というと、何か特別な、きらめくものがあるという意味になるでしょう。

 『チャーチル・ファクター』という言葉自体が国民的な人気番組のタイトルを想像させるような、洒落た題名です。誰がこれを決めたにせよ、トレンディな表現を会話に挟むのが得意なボリスらしい感じがしました。

 半世紀前に亡くなったチャーチル。戦時の名宰相として評判を得た第2次大戦の終結からもう70年以上が過ぎました。そんなチャーチルの人生をボリスは生き生きとした視点で、再現してゆきます。

 原書を読んだときに、自分自身、たくさんの知らないことがあることに気づきました。

 例えば皆さんは、チャーチルが勉強嫌いで、落第生と言ってよい頃があったことをご存知ですか?特に外国語の習得は苦手だったようです。ただし、読書はたくさんしたようです。

 1940年5月、チャーチルは初めて首相になりましたが、その数年前まで、ヒットラーの脅威を「大げさに書く、変なやつ」と思われていたことは?「まさか、チャーチルに任せるわけにはいかない」と多くの保守党議員が思っていたのです。戦時という緊急事態がなかったら、果たして首相になれていたかどうか。

 堂々としたふるまいのイメージがあるチャーチルは、妻となるクレメンティーンへの求婚には異様に長い時間がかかったようです。私は、チャーチルが生まれたブレナム宮殿に行って、プロポーズをした場所を確認してきました。木々が生い茂るなかの東屋のような場所でした。

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(ブレナム宮殿のこのベンチの上に、二人は長い間座っていたようです。)

 ページをめくる楽しみの1つは、チャーチルのジョークがたくさん入っていること。中にはほかの人のジョークでしたが「チャーチルが言った」とされるジョークもありましたが、チャーチルの本で、笑えることーこれもまた、ボリスらしい感じがしました。

 チャーチルファンのボリスが書いた、チャーチル論ともいえる『チャーチル・ファクタ―』。書店などで手に取っていただけましたら、幸いです。

(ボリス・ジョンソンとチャーチルの関係については、現代ビジネスの記事もご覧ください。)
by polimediauk | 2016-03-30 21:50 | 書籍
 ベルギー・ブリュッセルで発生した同時多発テロから一夜明け、ショックが未ださめやらない欧州。捜査当局は実行犯グループの足取り解明に力を入れている。

 今回の実行犯グループは、昨年のパリ・テロも同様だが、イラクとシリアに拠点を置く過激集団「イスラム国」(IS,ISIL、ISISなど)にインスパイアされた、あるいはその指示を受けた若者たちのようだ。

 ISシンパとなった若者たちが、生まれ育った欧州からシリアに向かい、ISあるいはほかの過激集団の一員となって戦闘に参加する場合も少なくない。

 こうした若者たちのシリア行きをなぜ物理的に止められないのだろうか?また、シリアから帰国した若者たちがテロ行為に走るのを、なぜ止められないのだろうか?

「テロ行為を行う」こと自体をなぜ、止められないのか、という意味ではない。それ以前の話として、なぜシリア行きを止められないのか?また、シリア帰りの若者たちをなぜ追跡し、徹底マークできないのか?

オープンな社会

 大きな理由の1つは、欧州がオープンな社会であるからだ。人の移動が自由にできるため、特定の国に行くことを止めることは原則、できない。特定の国から帰ってきたからと言って、それだけで拘束するわけにもいかない。

 見た目がイスラム系市民であるとしても、もちろん、それだけで疑わしい人物と見ることはできないし、もしそうなれば、人種差別につながってしまうから、ご法度だ。

 様々な人種の様々なバックグラウンドを持った人々が生きる欧州では、どんな人物も特別目立つことをしていない限り、ごく日常の風景の一部になってしまう。

 さらに、一人の人物でも24時間、監視しているには相当の人材リソースが必要となり、よっぽどのことがなければ、100人単位、あるいは1000人単位の人物を四六時中監視しているのはできないのが現状だ。

 社会のオープンさを制限する動きが、難民問題やテロの連続発生によって、生じている。国境検査なしで自由に往来できる「シェンゲン協定」の見直しだ。

テロリストに「ようこそ」は問題

 「国境検査なしで欧州内で自由に行き来できる現状は、テロリストに『ようこそ』と言っているようなものだ」―。英元保守党党首マイケル・ハワード氏は、22日夜にロンドンで開催されたあるイベントでこう述べた。

 この日朝に発生した、ベルギーのテロ以前に準備されたスピーチの中での発言だが、英政界で物議をかもした。キャメロン英首相は「今はこの問題について議論をする時期ではない。ベルギー国民と心を一つにするべき時だ」と答えている。

 欧州連合(EU)はテロ発生後、「欧州の価値観を守る強い決意」を宣言する文書を採択した。

 人、モノ、サービスの自由化を原則とするEUは欧州統合の一つのシンボルだが、中東やアフリカ諸国からの急激な難民の流入や偽装難民として入ってきたテロ容疑者(昨年11月のパリ・テロなど)の事例があることで、いったんは止めていた国境検査を再開する国が出てきた。

 欧州では26カ国がシェンゲン協定を締結している。EU加盟国全28カ国の中では22か国が締結し、残りの4か国は非EU加盟国(スイス、リヒテンシュタイン、アイスランド、ノルウェー)だ。EU加盟国だがシェンゲン圏には入っていないのは、英国、アイルランド、ブルガリア、クロアチア、キプロス、ルーマニアの6カ国。

 シェンゲン協定の規則によると、公共政策や治安に深刻な脅威がある場合は、審査を一時的に復活させることができる。

 昨年9月、難民流入の急増に悩むドイツは、オーストリアとの国境で国境検査を再開し、10月にはハンガリーがクロアチアとの国境を封鎖した。11月以降はスウェーデン、フランス、デンマーク、ギリシャなどが一部にせよ、国境検査を導入。今年3月19日からはギリシャから難民をトルコに戻す施策が実行されている。22日のベルギー・テロ後、ベルギー、フランス、ドイツが国境検査の厳格化を発表した。

 人道的見地から、積極的な難民受け入れの姿勢を示したスウェーデンは昨年1年間で15万人を超える難民を受け入れた。欧州内で、人口比では最も受け入れをした国となり、予想以上の難民流入の対処に大わらわだ。昨年末からは国境管理や難民申請者への対応を厳しくするようになった。

 もともと厳しい移民政策をとってきたデンマークでは、1月26日、難民認定申請者から財産を没収する新法が成立した。申請者の現金や所持品が1万デンマーク・クローネ(約17万円)を超える場合、警察が超過分を没収できる。結婚指輪や家族の写真など、特別な思い出のある貴重品は没収されない。没収された現金や貴重品から生じた金額は滞在施設の運営などに充てられる。難民から財産を没収するとは、随分とむごい感じがするが、それだけ切羽詰まっていることも意味するだろう。

 難民問題が報道されない日はない欧州で、どこまでオープンな社会という原則を維持するのか、その真価が問われている。
by polimediauk | 2016-03-23 19:11 | 欧州のメディア
 22日、欧州連合(EU)の主要機関が置かれているベルギーの首都ブリュッセルで、同時多発テロが発生した。英フィナンシャル・タイムズはこの日を「EUの心臓部が攻撃された日」と呼んだ(22日付)。後に「イスラム国」(ISあるいはISISなど)の犯行声明が出た。

 なぜベルギーがターゲットになるのだろう?

 IS側の声明によれば、ベルギーはイラクやシリアを拠点とするISへの攻撃に参加している国の1つだからだという。

 詳しい背景について、アルカイダをはじめとするイスラム原理主義テロ集団を長年追ってきた、英ジャーナリスト、ジェイソン・バーク氏の分析(22日付、ガーディアン)を見てみよう。

 同氏によると、過激主義者によるイスラム教をかたってのテロ行為は世界中どこで発生したかにかかわらず、共通する理由があるという。

 まず、「一定の規模を持つ、社会全体から孤立したイスラム教徒のコミュニティが存在していること」、「そのコミュニティの中の若者層の失業率が高いこと」、「武器が手に入りやすいこと」、「高いレベルの通信・移動ネットワークを手中にしていること」、さらに、「取り締まり当局が現状に甘んじる傾向があり、人的資源を十分に割いていないこと」、「国内の政治不安」だという。

 さらに、ベルギーでは、ソーシャルメディアや仲間同士で暴力的なイデオロギーが流布しており、これ自体が直接的な暴力行為に結び付くわけではないが、「憎悪感に満ちた、不寛容な、かつ超保守的な世界観を奨励する」傾向があるという。

 ベルギーの規模(人口約1100万人)や国全体が2つに割れている形をとることが武器の流入・流布に貢献した、という人もいる。北部フランデレン地域(人口の約6割、オランダ語の一種であるフラマン語が公用語)と南部ワロン地域(約4割、フランス語が公用語)の角突き合いは1830年の建国時からものだ。ナポレオン戦争時の欧州再編成にともなって、列強のパワーゲームの中から生まれたのがベルギーだ。

 歴史を振り返れば、1980年代、90年代にはほかの欧州諸国同様に、中東に根を持つテロ事件が発生した。90年代にはフランス北部でアルジェリアの独立運動をめぐって暴力事件が連発し、隣国ベルギーもその余波を受けた。

 2000年代の前半にはマドリード(2004年)やロンドン(2005年)でイスラム系テロが発生し、多くの犠牲者を出したが、過激主義のネットワークがベルギーでも構築されている証拠があったにもかかわらず、当局は「ベルギーをほとんど重要視しなかった」(バーク氏)。

 2005年にイラクで自爆テロを実行したベルギー出身の女性は、自爆テロを行う初めての欧州生まれの女性となった。しかし、この時点でもベルギー=ジハディストの巣という見方は一般的には広がらなかった。

 大きな追い風となったのがシリア内戦だ。ベルギーから中東に向かうイスラム系青年たちが次第に増えていったからだ。

 バーク氏の見立てによると、欧州からシリアで戦うために向かった青年たちの中で、一戸当たりの人数が最も多いのはベルギーだ。

 50万人のイスラム教徒を抱えるベルギーで、アサド政権討伐のためシリアに渡った青年たちは450人から560人と言われているという。その大部分がISに参加して戦った。

モレンベークがテロリストの巣に

 首都ブリュッセル(人口90万人)の南西部郊外にあるモレンベークでは、人口の80%がイスラム教徒だ。失業率は30%で、これは国全体の失業率の3倍だ。

 昨年11月のパリ同時多発テロの実行グループの一人で、先日、ベルギー当局が捕まえたサラ・アブデスラムがこの地域で生まれ育った人物だった。グループの大半もここで生活していた。

 アブデスラムは世界的な指名手配人物となったが、パリテロ発生から4か月後、最終的につかまったのはモレンベークの一角だった。ベルギーの捜査当局の力不足が露呈したかのような逮捕だった。当局にとってモレンベークは十分に情報が取れない地域になっていた。

ベルギーとジハディスト

 英数紙の報道をまとめると、2000年代に入って、ベルギー関連で以下のテロ事件が発生していた。

 2001年9月――米国で同時多発テロが発生する直前、モレンベークを拠点とする国際テロリストグループがアフガニスタンで、反タリバンの指揮官を殺害した。

 2005年11月――ベルギー人でイスラム教徒への転向者がイラク・バクダッドで自爆テロ。4人を殺害。欧州出身の最初の女性自爆テロリストとなった。

 2010年――「シャリア・フォー・ベルギー」が立ち上げられ、シリアで戦うISの戦士をリクルートした。

 2014年5月―ーブリュッセルのユダヤ人博物館で4人を銃殺した人物はフランス人だったが、モレンベークを拠点としてブリュッセルで犯行に及んだ。3人が殺害され、一人が重傷。

 2015年1月――パリの食料品店で4人を殺害したアメディ・カリバリはモレンベークで銃を調達していた。風刺雑誌シャルリ・エブドで風刺画家らを殺害したコアニ兄弟もモレンベークなどで調達した銃を使った。

 同年11月――パリ・テロの実行犯の一人アブデルハミド・アバウドとアブデスラム兄弟が生まれ育ったのはモレンベークだった。

 今年3月18日―ーサラ・アブデスラムがモレンベークで逮捕される。

 22日、ブリュッセル国際空港と地下鉄で同時多発テロ発生。

ベルギーのミニ歴史

 1814年~1815年 ウィーン会議によりオランダの支配下に入る

 1830年 独立宣言(フランスの7月革命の影響)

 1839年 オランダによるベルギー独立承認

 1914年 第一次世界大戦の対独戦により占領を受ける(~18年)

 1940年 第二次世界大戦の対独戦により占領を受ける(~44年)

 1993年 連邦国家に正式に移行

 (外務省資料より)
by polimediauk | 2016-03-23 08:36 | 欧州のメディア
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 (新聞通信調査会が発行する「メディア展望」2月号の筆者記事に補足しました。)

 近年、デジタル・テクノロジー関係の新興大手と言えば、アップル、グーグル、アマゾン、フェイスブック、ツイッターなど、米国発が圧倒的な位置を占める。スカイプ(スウェーデン)をはじめとして欧州発もいくつかあるものの、やや影が薄く、米企業ほどには世界的に知られていない。

 欧州内のテクノロジーや起業(スタートアップ)の動きを追うネットサイト「テック・イーユー(Tech.eu)」のロビン・ワウタース編集長によると、国によってそれぞれ異なる言語・文化を持つ欧州各国の場合、ビジネスが国内に留まりがちで、そのほとんどの活動は「外からは見えない」状態になっているという。 

 しかし、世界のほかの地域同様に、欧州でもテクノロジー関係の起業の波は年を追うごとに大きくなっている。

 テック・イーユー共同創業者の一人アイボ・シュピゲル氏が最近上梓した、スタートアップ関係者へのインタビュー集『欧州スタートアップ革命』の紹介を兼ねながら、現状を見てみたい。

今年は「欧州の起業家の年」


 テック系スタートアップの記事を掲載するサイト「ルード・バゲット」の記事(1月4日付)は、2016年こそが「欧州の起業家の年となる」と予測している。2015年第1から第3四半期までの間に、欧州で新興企業に投資された金額は88億ユーロ(約1兆1280億円)に上った。これは前年同期比40%増だ。

 欧州各国政府は起業振興のための生態圏を作るために予算を充てており、ロンドンは「フィンテック」と呼ばれる、金融関連のサービス業、アムステルダムはモバイル・アプリ、パリはデジタル広告の技術など、主要都市が得意な業態を持つようになってきた。

 テック・イーユーのシュピーゲル氏は、『欧州スタートアップ革命』の中で、現状をこう説明している。5年程前まではロンドンを含むいくつかの主要都市をのぞくと、起業のために必要なリソース(オフィススペースを共有するコワーキング・スペース、教育、資金など)が欠けていたという。

 しかし今は、スタートアップの数よりも起業を奨励する教育の機会の方が多い場合があり、毎日のように欧州域内で資金調達のイベントが開かれているという。

 欧州のスタートアップ市場の中で特に目立つのがロンドンだ。

 調査会社CBインサイトとロンドン&パートナーズの調べによると、2015年、英国のテック企業がベンチャー投資家から集めた金額は36億ドル(約4227億円、前年比70%増)。資金の大部分(22.8億ドル)がロンドンのテック企業に投資された。世界の金融センターの1つシティの存在が貢献したようだ。

 しかし、スタートアップの本家ともいえるシリコンバレーには及ばない。全米ベンチャー・キャピタル協会よると、2014年、シリコン・バレーに投資された金額は357億ドルに達している。

 スタートアップ企業は投資家からの支援を受けながら、成長するにしたがってその価値を増大させてゆく。

 テック・イーユーが分析した、欧州スタートアップの評価額ランキング(2015年8月時点)によると、1位はSpotify(音楽配信サービス、スウェーデン、85億3000万ドル)。これに続くのがGlobal Fashion Group(ファッション商品のネット販売、ドイツ、34億ドル)、Delivery Hero(オンラインでの食べ物の注文、ドイツ、31億ドル)、Klarna(電子コマース、スウェーデン、25億ドル)、Adyen(国際決済サービス、オランダ、15億ドル)、FanDuel(オンラインのスポーツ・ゲーム、英国、13億ドル)、Infinidat(データ管理、イスラエル、12億ドル)、Home24(オンラインの家具販売、ドイツ、10億ドル)、Shazam(音楽認識アプリ、英国、10億ドル)、Farfetch(世界のファッション物品のネット販売、英国、10億ドル)となった。

真の「汎欧州テック・コミュニティ」はない?

 投資金額は次第に増えているものの、「グローバル化」への壁は厚い。

 『欧州スタートアップ革命』の中で紹介された企業の1つが、フランス発の大手電子コマース会社PriceMinister(2010年、楽天に2億ユーロで買収された)。ドットコム・バブルが始まった2001年にサービスを開始し急成長したが、フランス以外ではほとんど知られていなかった。ほかの多くの欧州発のスタートアップ同様、グローバル化を目指していなかったからだという。

 共同創業者ピエール・コスシュイスコモリゼ氏は欧州市場が国によって分断化されていると指摘する。「税金、雇用関連法、企業法などがそれぞれの国によって異なる。あまりにも多くの異なる言語、文化、消費習慣がある。欧州と一口で言うが、小さなそれぞれの国の集まりに過ぎない」。同氏は「本当の意味での、汎欧州コミュニティは存在しないのではないか」とさえいう。

 汎欧州用にスタートアップ支援ファンドSeadCampを2002年から運営してきた、南アフリカ出身のソール・クライン氏も、「本当にグローバルなビジネスを作っていくのは並大抵ではない」という(『欧州スタートアップ革命』)。「インターネットがあればグローバルに展開できそうだが、それでもそれぞれの国・地域の司法体制や習慣、文化に配慮する必要がある」からだ。

 2005年から、欧州委員会は「スタートアップ欧州イニシアティブ」を実施中だ。域内で起業を希望する人を支援し、投資家が出会う場を各国で開催している。シリコンバレーの成功例を学ぶイベントも開いている。

 願わくば、欧州発で世界に翼を広げる大手スタートアップが出てほしいーそんな欧州官僚の思いが形になったのが、単一デジタル市場を立ち上げるための動きだ。「汎欧州で機能する通信ネットワーク、国境を超えるデジタル・サービス、斬新な欧州スタートアップの波を作りたい」。2015年5月、ジャンクロード・ユンカー欧州委員長はこう宣言した。

 委員会の調べによれば、3150万人の欧州市民が毎日インターネットを利用しているが、その54%は米国を拠点とする企業のサービスを使っていた。42%がそれぞれの国の企業によるサービスを利用し、汎欧州で展開されているサービスは4%のみだった。欧州連合(EU)市民の中でEUのほかの国からオンライン・ショッピングで物品を買った人は15%のみ。中小企業の中で国境を超えた物品販売をしている人は7%だけだった。

 欧州委員会は、2014年から20年の間に200億ユーロを規制撤廃、高速通信、教育などに投資し、EU内でのデジタル利用を国別から汎EUに変える予定だ。

 単一デジタル市場へと動く欧州委員会の視線の先には、欧州内でも圧倒的位置を占める米国発デジタル・サービスを欧州発に変えてゆきたいという狙いがあるようだ。

 最後に、『欧州スタートアップ革命』が取り上げたスタートアップ、および投資会社の概要の一部を紹介しておきたい。社名、創業者の出身国、創業年、サービス内容の順に記した。

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(音楽ファイル共有サービスのSoundCloud)

 Seesmic (フランス、2008年、複数のソーシャルメディアのアカウントを同時に管理するフリーウェア)、Last.fm(英、2003年、音楽特化型ソーシャルメディア)、Dailymotion(フランス、2005年、動画共有)、Mendeley(英国、2007年、学術論文の管理とネットでの共有)、SoundCloud(ドイツ、2007年、音楽ファイル共有)、Atlas Ventures(米国、1980年、投資会社)、Accel Partners(米国、1983年、投資会社)、Prezi(ハンガリー、2009年、プレゼンテーション用ソフト)、500 Startups(米国、2010年、投資会社)、TransferWise(エストニア、2011年、銀行手数料がない、国際送金サービス)。

 最後に挙げたTransferWiseはロンドンに本社を置き、300を超える通貨を扱う。英国の国際送金市場の2%を占めるまでに成長している。
by polimediauk | 2016-03-08 17:52 | ネット業界
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 (「新聞協会報」2月23日号に掲載された、筆者記事に補足しました。)

 英紙インディペンデントの紙版が3月末、姿を消すことになった。電子版に完全移行する。全国紙では初めてだ。ネットでニュースを見る習慣が広がる中、「紙の新聞の終えん」がいよいよ現実化したと受け止められた。

 記者による創刊をはじめ英新聞界の革新を担ってきた同紙は、電子版だけで成功する初の全国紙になれるか。

メディア環境の大きな変化

c0016826_13571994.jpg「紙に印刷されたニュースにお金を払う人の数が少ないことに尽きる」ーー同紙のアモル・ラジャン編集長(写真右、プレスガゼットより)は読者に対し、電子版オンリーに移行する理由をこう説明した。

 平日発行のインディペンデントは3月26日、日曜紙インディペンデント・オン・サンデーの紙版は3月20日の発行が最後になる。

 2013年、29歳で編集長職に就いたラジャン氏は「就任初日から、いつかこんな日が来るのではないかと思っていた」と保守系週刊誌「スペクテーター」に書いた(2月18日付)。「それでも、実際にそうなると、大きな衝撃だった」。

 インディペンデントの紙版廃止の背景には、メディア環境の激変が大きい。

 英ABC協会の調べによると、新聞の発行部数は10年前には約1200万部に上ったものの、現在は700万部と約半分に減少した。新聞専門サイトのプレスガゼットによると、この間、約300の地方紙が廃刊となった。広告も紙からオンラインに移っている。2010年比で、全国紙の広告収入は3分の1に落ち込んだ。

 各紙は紙からの収入減を電子版から補えないジレンマを抱える。損失を抱えたり、利益を減らしたりしながら、デジタルへの投資を続けてきた。

 インディペンデント紙による電子版への完全移行の決断は、影響力が大きい全国紙が紙媒体を手放した意味で、メディアの激変時代を象徴する動きといえよう。

 加えて同紙に特有の理由として、(1)有力新聞だが所有者が数回交代し、安定した経営に恵まれなかった、(2)電子版への十分な投資が行われず、新聞全体のプレゼンス低下につながったーーの2つが挙げられる。

 ちなみに、2015年12月時点でのインディぺデントの発行部数は約5万6000部。簡易版「i(アイ)」は28万部。インディペンデントの日曜版は9万2000部だ。

 完全電子版成功の鍵は、前年比33%増の訪問者数(日間ユニークユーザー数は280万人)をてこにどこまで存在感を広げられるかにかかっている。テクノロジーやジャーナリズムへの投資が道を分けそうだ。

 電子版への完全移行で、インディペンデント紙の従業員150人のうち、100人前後が職を失うもよう。25人が新規に雇用される。

 地方紙グループのジョンストン・プレス社に売却されるiは、紙版を維持する。編集スタッフは35人増の51人になるという。

 i紙のコンテンツは独自の記事に加え、インディペンデント紙や、同じESIメディア社の傘下にある無料紙ロンドン・イブニング・スタンダード、ジョンストン・プレス傘下の地方紙が提供する。

タイムズー「紙版の終わりではない」

 同じく全国紙のタイムズは2月13日付の社説で、同紙にとっては「今後長い間にわたって、紙版と電子版が共存するだろう」と書いた。

 「広告収入がネットに流れたため、新聞社の収益構造は大きく変わった」が、「読者と強いきずなを持つ新聞には大きな価値がある」。読者がタイムズを紙で、オンラインで、あるいはタブレットのアプリで読もうが構わない、という。

 かつては放送界がニュースを報道することで新聞界は危機にさらされたが、各紙は常に革新を続けてきた、だから「紙版と電子版は共存してゆくだろう」。

英紙の革新を担う

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 インディペンデント紙は1986年の創刊以来、英新聞界で革新的な役割を担ってきた(創刊号の1面、左)。

 写真を大きく扱う1面、意見の明確な表明、タブロイド判への移行などが象徴する。

 創刊者はデイリー・テレグラフ紙にいた3人の記者。東西冷戦下での核兵器の是非、新由主義を政権が標ぼうする中での国営企業の民営化、労使紛争の頻発など政治イデオロギーの違いによる社会的な対立が激化していた。こうした中、「特定の勢力に組みしない、インディペンデントな(独立した)新聞」として始まる。

 ひときわ大きく印象的な写真を全国紙で初めて1面やニュース面に使い、新鮮さ、大胆さを強調した。新しいジャーナリズムの息吹を感じた他の高級紙の若手の記者が続々と集まった。89年には、同じ中道左派系のガーディアン紙を抜き、約42万部の部数を達成した。

 しかし、ルパート・マードック氏が率いるメディア大手ニュース社が「戦争」を仕掛ける。同社が発行する保守系紙タイムズを使って安値競争を開始したのである。インディペンデント紙はこれによって大きな打撃を受けた。日曜紙の発行も経営の重荷となり、2003年頃までには20万部前後の部数に減少してしまった。

思い切って、タブロイド判に

 挽回に向け03年秋、タブロイド判を発行する(04年、完全に移行)。当時、人気を集めていた無料紙メトロがタブロイド判だったことに注目した。しかし、インディペンデント紙のような高級紙(クオリティー・ペーパー)にとって、これはかなりの決断力を要した。小型タブロイド判は大衆紙のサイズで、「タブロイド」と言えば、ゴシップ記事が中心の低俗な新聞というイメージがついていたからだ。

 当時の編集長サイモン・ケルナー氏に筆者が聞いたところによれば、「編集室の全員が反対した」という。しかし、編集長の職権でこれを推進。多くの人の不安をよそに、タブロイド判は大当たりとなった。

 この影響で、他の高級紙もサイズの変化を試みる。タイムズがすぐに後を追って小型化し、ガーディアンは縦に細長いベルリナー判となった。

 タブロイド判の採用後、「まるでポスターのような」と言われたデザインが目立つようになった。同じく左派系のガーディアン紙との差別化を狙い、意見を明確に出す紙面作りも打ち出す。「ビュー・ペーパー(視点の新聞)」とも呼ばれた。当時をほうふつとさせる紙面展開となったのが、2015年1月のシャルリエブド事件への抗議を表した表紙である(画像、右下)。c0016826_14191512.jpg

 しかし大きく業績を回復させられず、元KGBの富豪アレクサンドル・レベデフ氏に10年3月、1ポンド(約140円=当時)で買収された(現在は息子のエフゲニー・レベデフ氏が実権を握る)。電子版から十分な収入をあげられずに悩む英新聞界に、同紙を買う体力がある企業家はいなかった。

 同年10月、i紙を創刊。高級紙が簡易版を出すのは初だった。当時で20ペンスの定価は本紙の5分の1。高級紙の内容を大衆紙以下の値段で提供するのも初の試みだった。

 インディペンデント紙は、初物続きの新聞だ。

 富豪の企業家が経営する伝統がある英新聞界で記者が創刊した点が既に初めて。新しいジャーナリズムの創出、タブロイド判への転換、簡易版の発行――。紙媒体の廃止という点でも先陣を切った。
by polimediauk | 2016-03-07 13:53 | 新聞業界
(「新聞協会報」に掲載された「英国メディア動向」コラム第一回目に補足しました。)

 ニュースを画面で読む習慣が一般化した英国で、新聞の発行部数の下落が待ったなしだ。電子版だけになる可能性も視野に入る中、高級紙「インディペンデント」が、とうとう3月末からその道を選択することになった。業界再編や人員削減が進んでおり、読者との「関係性」を重視する動きもある。

二ケタ台の前年同月比下落も

 英ABCによると、10年前の2005年10月時点で、日刊全国紙の総発行部数(11紙)は約1200万部。2015年10月(同じ新聞の簡易版を別紙として数えると12紙)では約684万部となり、10年間で510万部以上減少した。

 昨年10月の数字を細かく見ると、前年同月比で下落率が二ケタ台かこれに近い新聞が12紙中5紙あった。月によってばらつきはあるが、「前年よりは二ケタ台下落」という傾向が何年も続いている。

 ABCが15年2月に発表した、地方紙の発行部数(2014年上半期分)は、前年同時期と比較して平均10%の下落だった。

 一方、電子版へのアクセスは好調に伸びている。ABCによると、全国紙から地方紙まで、ほとんどの新聞のウェブサイトの日間ユーザー数(10月時点)が前年より大幅に増加した。

 新聞の収入の大部分は紙媒体の発行によって得たもので、電子版からの収入はその何分の1にしか過ぎないため、発行部数の大幅下落は新聞の経営に大きな打撃となる。各紙はコスト削減、人員整理を行うか、廃刊を決定せざるを得なくなった。

 新聞業界のニュースを伝えるウェブサイト「プレス・ガゼット」は、過去10年間で約300の地方紙(有料、無料)が廃刊となったと推定している(10月8日付)。世界金融危機(2008年)発生時、地方紙は1万3000人の記者を抱えていたが、ガゼットの調査によると、現在までに半分に減少した見込みだ。

 地方紙の出版社同士の合併・再編も続いている。地方紙大手ノースクリフとリッフェ地方紙グループが2012年に合併して成立したローカル・ワールドは、昨年10月末、別の大手トリニティー・ミラーに買収された。200以上の地方紙を発行する巨大な地方紙出版社が生まれた。
読者とつながる方向へ

 広告収入の代わりに各紙が目を付けているのが読者からの支援だ。読者とのかかわりを深めることで、収入を増やすことを狙っている。

読者との関係性を作る

 3つの例を紹介したい。

 1つは会員制だ。ガーディアンは、購読料を支払う形とは別個に、読者に経営を支援するための会員になってもらう制度を構築した。無料会員、有料会員どちらも選択できるが、会員になるとガーディアンが開催するイベントに出席できるなど特典がある。

 2つ目は、地域社会を巻き込み、協同組合型で発行する新聞の誕生だ。地方季刊紙「ブリストル・ケーブル」(2014年創刊)は、地元民の意見を拾い、読みたいという記事を取材・掲載する。毎月1ポンド(約190円)を払うことで、読者一人一人が新聞の共同経営者になる。現在、編集スタッフは無給で働き、運営資金のほとんどは寄付による。発展途上ではあるが、「紙でじっくり読みたい」という読者の強い希望に支えられているという。

 3つ目はウェブサイトにやってくる読者(オーディエンス)の活動を徹底分析する動きだ。

 ページビューを増やすことは重要だが、これに加えて、オーディエンスの滞在時間やソーシャルメディアでの拡散度など「かかわり度(エンゲージメント)」を重視するようになっている。

 エンゲージメントが高くなると、媒体とオーディエンスとの関係が深まる。オーディエンスを満足させれば、すでに有料購読者であれば購読を継続するし、非購読者であれば購読者に転換する確率が高くなる、という考え方だ。

 エンゲージメント強化に力を入れる新聞の1つがフィナンシャル・タイムズだ。

 「オーディエンス・エンゲージメント・チーム」を発足させ、編集部の中央部に座らせている。

 サイトにある記事を掲載する場合、これをいつ、どのようなコンテンツ(例えば画像、インフォグラフィックスなど)とともに出すか、ソーシャルメディアとどのように連携して出してゆくのかを編集スタッフとともに決めてゆく。

 また、記者や編集者のコンピューターに表示されるダッシュボード「ランタン」を見ると、記事がどれぐらいの人に読まれたかなど、エンゲージメント度が即座に分かるという。
by polimediauk | 2016-03-05 03:10 | 新聞業界