小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

<   2019年 11月 ( 2 )   > この月の画像一覧


英南部エセックス大学で上映された「主戦場」イベント(筆者撮影)

 第2次世界大戦時の慰安婦問題を主題にしたドキュメンタリー映画「主戦場」が、このところ、話題になっている。

 「KAWASAKIしんゆり映画祭」(10月末から11月4日)では、安全性を理由にいったんは上映中止とされながらも、最終日に上映が実現したことで大きな注目を集めたばかりだ。

 日本で、慰安婦問題と言えば…どう表現したらよいのだろう。

 例えば、日本語のウィキペディアでは、以下の説明になっている。

 旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任の有無に関する問題。慰安婦問題にはさまざまな認識の差異や論点があり、日本・大韓民国・アメリカ合衆国・国際連合などで1980年代ころから議論となっている。慰安婦は当時合法とされた公娼であり民間業者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をし内地の日本人女性をも慰安婦として採用していたことなどから国家責任はないとの主張がある一方、一般女性が慰安婦として官憲や軍隊により強制連行された性奴隷であるとの主張もある。

出典:(ウィキペディア)

 筆者自身は、「河野談話」を踏まえ、日本やほかのアジア諸国の女性たちが兵士たちに性的サービスを行っていたこと、今でもその時の後遺症に苦しんでいる人やその遺族がいることを事実として認識している。

 しかし、国がどの程度関与していたのか、どんな女性たちだったのか、本人の同意があったのかどうかなどについては、国内で意見が分かれていることも承知している。欧米で英訳として使われる「sex slave(性の奴隷)」という言い方に反論する、あるいは怒りを表明する人も少なくない、ということも。

 日系アメリカ人ミキ・デザキ氏が監督した「主戦場」は、保守系政治家、タレント、歴史修正主義者、リベラル系学者などのインタビューと並行して、元慰安婦や慰安婦の遺族への取材映像、証言のアーカイブフィルムなどを交えた作品だ。

 デザキ氏にとって、監督第1作目の映画である。上智大学大学院の修士課程卒業のために作ったという。

 慰安婦問題という論争を呼ぶトピックを真正面から取り扱ったこの映画は、公開当時からじわじわと人気を高めた。

 初夏、筆者は一時帰国中に「主戦場」を渋谷のある映画館で最初に見た。場内は満員で、上映後は次の回を見ようとする人の長い列ができていた。観客の年齢層は20代から70代ぐらい。

 日本人にとっては、つらい過去を指摘されるような、慰安婦問題。これを取り上げた映画を多くの日本人が映画館に列を作るほど見たがっていることに、筆者は驚いた。何らかの回答を得たい、という気持ちが強いのだろうか。

 まだまだ決着していない、戦後の大きな問題であることは、確かだ。

エセックス大学で、上映会

エセックス大学で話すデザキ監督(筆者撮影)
エセックス大学で話すデザキ監督(筆者撮影)

 「主戦場」は、今秋、欧州各国で上映会が開催されており、デザキ監督も映画と一緒に各国を回っている。

 11月6日はウィーン、その後は英国、フランス、ノルウェー、ドイツ、イタリア、スイス、スウェーデンなど、12月上旬まで上映ツアーが続く。

 筆者は、11月11日、英南部エセックス大学での上映会に行ってみた。

 講義型の教室には数十人の観客がいた。大学ということで、学生・院生が多いが筆者を含む中高齢者の姿もあった。

 映画を映し出す役目は監督自身である。

 夏に見た時に見落としていた個所が、よみがえる。「当時は、女性はモノとして見られていた」という元日本兵の素朴な物言いが心に残る。

 さまざまなことが筆者の頭を駆け巡った。

 慰安婦たちが日韓の政治的な道具にされたことへの怒り、女性たちの境遇への思い、女性として、たった一人でも意に反する状態に置かれた女性がいたことの衝撃、そのような行為をしながらも日々戦い続けた兵士たち、そして今もなお、レイプや性的虐待が敵を攻撃する手段として使われていること(ボスニア戦争、ルワンダ内戦、ナイジェリアのボコ・ハラムによる少女たちの拉致など無数にある)などだ。日韓のみで起こったことではなく、第2次大戦のときだけでもない。今現在、形を変えながら発生していることなのだ。

 映画は、最初と最後の方に元慰安婦の映像を入れた。最初の映像は役人に怒りをぶちまける元慰安婦の姿。最後の方はつらさ、悲しみを語る元慰安婦のアーカイブ映像だ。

 作品は保守系・歴史修正主義的な人々の言論とリベラル系学者の見方を「両論併記」的に対比させているが、最終的には、慰安婦問題に対する日本側の責任を問う姿勢が出ていたと筆者は思う。この慰安婦たちのつらさ・痛み・苦しみに対し、日本側はどう対処するのか、という問いである。これは筆者が日本人だからそう思ったのかもしれないが。見る人によって、様々なメッセージを受け取る映画なのだろう。

 この点で、この映画は今年同じく話題となった映画「新聞記者」(東京新聞の望月衣塑子記者が書いた本を基にしたが、実際にはフィクション。新聞記者と内部通報者が政府の悪事を暴こうとする)とは、別の着地点を選択したように筆者は思った。

 筆者は「新聞記者」を高く評価しているものの、最後に内部通報者が心変わりをしたのか、あるいは実名を出して暴露することを決心したのかをあえて描いていない点を残念に思った。いずれかを選択することによる、制作側の覚悟を見たかった。

 翻って、「主戦場」は慰安婦たちの方に最後は軸足を置いた。「中立」ではない。その評価は観客に委ねられた。

 欧州にいる方は、スケジュールを確認して、上映イベントに足を運んでみてはどうだろうか。観客が映画監督に直接問いかけをすることができる機会はあまりないだろうから。

欧州の上映会スケジュール(英語版「主戦場」のウェブサイトから)
欧州の上映会スケジュール(英語版「主戦場」のウェブサイトから)

監督との一問一答から

 上映後の監督との一問一答の一部を伝えたい。

ーしんゆり映画祭での上映中止の決定とその後について

 「上映中止の決定は、脅しの懸念があるという理由でした。『懸念』です」

 

 「幸運なことに、映画監督の是枝裕和氏がこれは検閲であると発言してくれまして、大きなニュースになりました」

 

 「最終的に上映可能となりました」

 「日本ではこのような形で表現の自由が制限されることがトレンドになりつつあります」

 「今、ケント・ギルバートを含む5人に提訴されています。結論が出るまで、1年、あるいは10年ぐらいかかるかもしれません」

 ーその訴訟についての映画が次の作品になるのでしょうか?

 「いいえ、そういうことはありません(笑)」

 「予告編が混乱させるものだったようで、左派系の人はこんな映画は見ないと言い、右派系はまさに私たちの主張を出すものだと言って歓迎したのですが(会場、笑)」

 

 「アメリカではこういう訴訟は、スラップ訴訟(注:提訴することによって被告を恫喝することを目的とした訴訟)と言われています。これは、基本的には表現の自由を抑制するものです」

 

 「刑事責任を問う訴訟もあって、少々心配していますが」

 「私の学位を取り消すべきだという主張をしている人もいます」

―元慰安婦が涙を流す映像が最後の方に出てきます。なぜもっとこうした映像を使わなかったのですか。

 「同様の質問をした人は、たくさんいました」

 「あの映像は最近見つかったものですが、あのような種類の映像を頻繁には使いたくなかったのです。その理由は、慰安婦の映像はこれまで、政治的な文脈の中で使われてきましたし・・・」

ー過剰に感情的にしたくなかったのでしょうか。

 「そうですね。慰安婦制度の否定論者は、慰安婦の証言動画が感情的で、作為的だとして批判します。そう言って、論破しようとします」

 「逆に、日本で、ある学生が言ったのですが、なぜ最後にあのような映像を入れたのか、と。それまでは論理的に話が進んできたのに、なぜ最後にあのような感情を刺激するような動画を入れるのか、と。1分、いや30秒ぐらいの動画でさえ、そう言われるのです」

 「一部の日本人は、こうした証言は全くの嘘だと言います。ですから、『感情』という部分をなるべく取って、扇情的にはならないようにしたかったのです。こういう映像は日本やアメリカでもよく使われますし、感情を刺激されるのですが、同時に、慰安婦たちが微笑んでいる動画も簡単に見つかるのです」

ー日本の方は、この映画をどのように受け止めているのでしょうか。右派保守系の方でしょうか、それともリベラル左派系なのでしょうか(筆者の質問)。

 「一般的に言うと、日本人は右派系の考えの側にいると思います。私の母もそうですし、あるリベラル系の(日本人の)先生がいるのですが、私が慰安婦についての映画を作っていると言うと、『ああ、あれはみんな嘘だよ』と言いました。ですので、私が知っている人に限ると、左派系の人でも、(慰安婦問題は)韓国による嘘だと思っているようです」

 「映画を見た人は、ツイッターで判断すると、『衝撃だ』、『日本政府がこんなことをやっていたとは知らなかった』とか書いていますね。前向きの評価でした。50の劇場で公開されましたし、ドキュメンタリー映画としては大ヒットです」

 「唯一、ネガティブな見方をしていたのは、極右の人々です。『こんな映画は見るんじゃない』、と言っています。この映画を人々が見ることを怖がっています。上智大学の生徒の一人がこう言いました。『(慰安婦問題について)左派系の人々の意見を聞いたのは初めてだ』と。それで考えが変わったそうです」

 「若い人の大部分が慰安婦問題を知らないのです。このため、非常に大きな衝撃として受け止めるようです。理解するために2-3回見る人もいます。一般的に言うと、反応は前向きだったと思います」

―現在の日韓の政権で、問題は解決に向かうと思いますか?

 「現政権ではその可能性はゼロだと思います。若い人の反応を見ると、どれほどひどいことが起きたかを理解して、謝罪へという動きが出そうなのですが、現在の政権では・・・。希望はありますが」

 

 「日本の若い人が政治的にアクティブ(活動的)であれば別なのですが。実際にはそうではありません。韓国社会では、政治的にとても活動的です。でも、日本社会では歴史的な理由、過去のデモが粉砕されてきたことなどから、人々は政治的活動が実を結ぶということを想像できないのです。韓国では、民主化の動きがあって、成功例があります」

 「日本では変化にとても時間がかかるのです」

―証言記録はあるのでしょうか。兵士の証言記録はどうでしょうか。一般公開されていますか。

 「韓国語ですが、あります。ほかにも(山崎朋子の)『サンダカン八番娼館』もありますし」

 「(中国帰還兵のインタビューをおさめた)『日本鬼子(Japanese Devils)』というドキュメンタリー映画があります。しかし、中国からの帰還兵の証言ということで、重要視されていません」

 「東京には、『アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館』があって、ここにも証言がおさめられています」

―映画の中に出てきた偏向している人々について、どこに行けば資料があるのでしょうか。

 「右派系は左派系を、左派系は右派系を『偏向している』といいますが、まず『偏向している」というのはどういう意味でしょうか」

―極端な考えを持っている、ということでしょうか。

 「例えば、(歴史学者)吉見義明の本を読めば、偏向しているということになるのかどうか、ですよね」

 「人間である限り、誰にも偏向はあります。歴史学者が書いた本を読んで、私は理解を深めています。歴史修正主義者で、ほかの人の本を読まない人が書いた本ではなく(注:映画の中に、ほかの人が書いた本を読まないという人が出てくる)。歴史修正主義者のほとんどが歴史学者ではありません」

 「私が見るところでは、99.99%の歴史学者は、こうした女性たちが性の奴隷であったと考えていると思います」

 「まるで地球温暖化を否定するようなものです。ほとんどの科学者が実際に発生していると考え、1%がこれに同意していません」

 「映画を通して、私は(慰安婦問題について)両方の意見を出そうとしました。最後は、見る人が決めることです」

―保守・右派系のシフトについて、日本は特別なのでしょうか。それとも世界の動きなのでしょうか。

 「日本がますます右傾化しているということを、多くの人が指摘しています。先生が国歌を歌っているかを生徒がチェックするという学校もあるそうです」

 「超国家主義の学校を作ろうとしている、という話もあります。教育勅語を言わせる学校です。右傾化が進んでいると思いますが、それは自民党が作っているのでしょう」

 「米国のスティーブ・バノン(トランプ米大統領の元側近)が日本に来た時、安倍首相はトランプ以前にすでにトランプだったと言ったそうです」

―この問題について、保守・右派系を動かしているのは何でしょうか。

 「自分たちの祖父は間違ったことをしていない、韓国人はうそつきだということでしょうか。自分たちがこんなことをやるはずがない、と。ある登場人物がこう言いました。『そんなことは中国人ならするだろうけど、自分たちはしない』と」

「問題を指摘すると、日本人は自分が個人的に攻撃されていると思う」

藤田先生(撮影筆者)
藤田先生(撮影筆者)

 

 モデレーターの一人で、エセックス大学の人権フェロー、藤田早苗先生は以下のように述べた。

 「慰安婦問題は政治問題でもありますが、これは人権の視点からはユニバーサルな問題でもあります」

 「愛国主義というのは、厄介なトピックです。日本の問題を指摘すると、日本人は自分が個人的に攻撃されていると思うのです」

 

 「そういう面もあって、慰安婦問題についてきちんとした議論や謝罪ができないのではないかと思っています」

 「日本の問題を批判すると、その人がバッシングにあいます。私自身も反日本と思われて、サイバー上でバッシングにあいました」

 「今、韓国をヘイトする、中国をヘイトするという気運が高まっていて、私はとても懸念しています」

 ***

 上映後の雑談の中で、監督が次の作品の構想を立てていることを知った。どのような作品かについてはまだ公表していないという。


by polimediauk | 2019-11-24 20:33 | 政治とメディア

フェイクニュースと事実を伝えるニュースを見極めるには、どうするか?

 これまで、以下のような対処法が推奨されてきた。

 -信頼できるニュース媒体が発信しているかどうか

 -見識ある友人・知人による拡散かどうか

 -大手媒体が同様のニュースを報じているかどうか

 しかし、筆者はここ2年ほど、「こういうレベルでの対処方法では十分ではない」という危機感を持ってきた。

 大きな理由を1つ挙げるとすれば、「フェイクの度合いが本物と見分けがつかないぐらいの水準に達しているから」だ。

 

 また、国家レベルでディスインフォメーション(国家・企業・組織あるいは人の信用を失墜させるために、マスコミなどを利用して故意に流す虚偽の情報)の拡散が常時行われており、どこに真実・事実があるのかが分からなくなるほど、情報が錯綜しているという認識があった。

 もう少ししっかりと、フェイクニュースについて考える時が来たのではないか。

 そう思っていたところに刊行されたのが、本書「ディープフェイクと闘う『スロージャーナリズム』の時代」(朝日新聞出版)である。装丁家菊池信義氏の手による、題字が縦と横にぶつかり合うような表紙が目を引く。

 内容に触れる前にあらかじめお断りしておくと、本書の一部は筆者も時折寄稿する論壇サイト「論座」に掲載され、著者による筆者への英国のメディア状況についてのインタビュー記事も入っている。

 ここでは、この記事以外の部分を紹介したい。

「ディープフェイクと闘う 『スロージャーナリズム』の時代」(筆者撮影)
「ディープフェイクと闘う 『スロージャーナリズム』の時代」(筆者撮影)

その問題意識は

 本書の著者は、朝日新聞夕刊企画編集長の松本一弥氏。オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長、WEBRONZA(現「論座」)編集長を経て、現職に就任。メディアの戦争責任を検証したプロジェクト「新聞と戦争」の統括デスクを務めた(のちに、朝日文庫「新聞と戦争 上下」で書籍化された)。

 松本氏は、フェイクニュースやディーブフェイクに「抗い、闘うことを余儀なくされる、そんな時代がやってきた」という認識を持つ。

 書籍や論文に書かれているフェイクニュース現象を紹介するだけでは不十分と考えた同氏は、米国に飛んだ。ワシントン、ボストン、ニューヨーク、シアトル、カリフォルニア、サンフランシスコ、そして沖縄を訪れて、最先端の取り組みに耳を傾け、フェイクニュースに抗う「相手の人間性の一端にじかに触れた上で感じたこと」を伝えている。ここがほかのフェイクニュース関連の本と大きく異なる点だ。

 表題にある「スロージャーナリズム」とは、「報道するスピードを『減速』してゆったりした時間軸の中で深く掘り下げていく」ジャーナリズムを指す。

フェイクニュースに抗う取り組み

 本書がプロローグで取り上げたのは、ディープフェイクとの闘いだ。

 米カリフォルニア大学デービス校准教授のシンディ・シェン氏は、人々が何をもとにして「本物」と「フェイク」を見分けるかの様々な実験を行っている。

 分かったことの1つは、情報の受け手側の経験(ネット上の技術やソーシャルメディアをいかに使いこなしているか)がネット画像の信ぴょう性判断に大きな役割を果たしていたこと。つまり、「誰がその情報を発信しているか」という要素は、「実際には判断に影響を与えない可能性が浮上した」という。

 これに対して、メディアリテラシー教育を施すことが1つの解決策とはなるものの、シェン氏は「何を信用すれば分からない」という猜疑心がまん延する状況にも懸念を示す。

 ところで、ディープフェイクがどのように生成されるのかを考えたことがあるだろうか。

 本書は、経営コンサルタント小林啓倫氏の説明を紹介する。同氏によると、ディープフェイクを生み出す技術の1つは、「敵対的生成ネットワーク」(GAN)と呼ばれるものだ。

 GANのAIは、「与えられたデータをもとに新たなコンテンツをつくり出す『ジェネレーター』役、もう1つはそのコンテンツが本物かどうかを見抜こうとする『ディスクリミネーター』役で、前者のAIは後者のAIからフィードバックされた情報をもとに自らの弱点を分析」する。このAI同士が何百回も繰り返す作業を行う中で、本物により近くなっていくという。

米国でメディアが二極化した過程を探る

 フェイクニュースの事例として、よく使われるのが2016年の米大統領戦であり、ニューヨークタイムズを含む主要メディアこそが「フェイクニュースだ」として批判するトランプ米大統領の一連の発言だ。

 ハーバード大学バークマンセンターのリサーチディレクター、ロバート・ファリス氏は、米国の「右派メディアが突出した二極化」を同僚らとともに徹底調査し、その結果を400ページを超える大著「Network Propaganda(ネットワーク・プロパガンダ)」にまとめた。

 松本氏は、ファリス氏の研究室を訪ねる。

 「哲学者のような風貌が印象的な」ファリス氏によると、米国社会が二極化していることは周知だったものの、データの分析から明確になったのが、「右派メディアと左派メディアのバランスがまったく取れておらず、右派メディアだけが非常に対称性を欠いた中、極端なまでに突出し続けた」ことだった。

 左派及び右派の両方のメディアがフェイクニュースを生成していたが、左派メディアでは事実誤認を駆逐し、軌道修正をしようとする動きが出る一方で、右派メディアはフェイクニュースをさらに拡大させていく特徴があった。

 例えば、右派ブロガーがツイッターを使って不特定多数に情報を拡散し、影響力を持つ別の人がフェイスブックで紹介する。こうして同じエコシステムの中で同一のフェイクニュースやヘイトスピーチが「際限なく増幅」されてしまうのだという。

 ファリス氏や共同執筆者が出した結論は、既存メディアにも厳しいものだった。

 「ネットに蔓延するフェイクニュースは実はそれほど大きな問題ではなく、それよりもむしろ、既存のメディアが間違った情報を垂れ流してしまっていることの方がもっと恐ろしいのではないか」。

両論併記の罠

 既存メディアが抱える問題点の1つとして、ファリス氏は「両論併記」に関連する問題を挙げた。ある意見とそれと対立する意見を同時に出す手法である。

 松本氏はここで、映画「否定と肯定」を想起する。

 米国の歴史学者デボラ・E・リップシュタット氏は、1993年、「ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ」を出版したが、本の中でその論を否定された英歴史著述家デービッド・アーヴィング氏がリップシュタット氏を名誉棄損で訴えた。映画は両者の法廷での争いをドラマ化した作品だ。

 松本氏は、「ホロコーストはなかった」という主張は「荒唐無稽のデマ」だが、もし「メディアが否定論者の意見にも同等のスペースを割いて歴史的事実と併記して紹介するとすれば、『否定論もまともに扱われるのに値する』との誤解と錯覚を読者や視聴者に与えてしまう」危険性を指摘する。

 この論争自体は極端な例ではあるとしても、「悪意や政治的意図を秘めた人々が、歴史に対して巧妙なやり方で異議申し立てを企ててきた場合に起こる恐ろしさを、私たちは何度でも認識し直しておく必要があるだろう」。情報を少しずつ変えたり、わざと間違って引用するなどして情報を「大胆に」書き換え、「結論を都合のよい方向にもっていく」歴史修正主義者的な言説は「今や日本でもごく当たり前にみられるといえるからだ」。

ファクトを積みあげた沖縄の作品を制作した、映画監督

 松本氏は米国で研究者のインタビューを重ねながら、その一方で日本でジャーナリズムに日々関わる人々や学者にも話を聞いた。

 例えば、メディアアクティビストの津田大介氏、社会学者見田宗介氏、スマートニュースのフェローである藤村厚夫氏、スマートニュースメディア研究所の瀬尾傑所長などの所見がおさめられている。

 ここでは、ドキュメンタリー映画の監督、大矢英代氏のジャーナリズム観を紹介してみたい。

 大矢氏は琉球朝日放送勤務後、カリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム大学院で調査報道を学んだ。現在、カリフォルニア在住。「『国家と暴力』という重いテーマに正面から向き合う気鋭のジャーナリスト」で、昨年、初監督作品の「沖縄スパイ戦史」が第92回キネマ旬報文化映画第1位を含む、数々の賞を受賞した。

 沖縄で取材を行ってきた大矢氏は、このように述べている。「沖縄を見つめるほどに、日本という国の姿が鏡ように見えてきました」。それは「主権なき国、米国の属国としての沖縄の姿」だった。

 日米のジャーナリズムの違いについて、大矢氏はあくまで「主観」であるという前置きをしながら、「ジャーナリストたちの意識の違い」を挙げた。米国のジャーナリストは「会社のためではなく、言論の自由、人権、市民の命を守るためにペンやカメラを持つ」。

 言論の自由を保障する合衆国憲法修正第1条を基盤として、「『報道は権力を監視するのが使命だ』という理念をジャーナリストたちが認識し、共有している」という。背景には「権利と自由を勝ち取ってきた長く、苦しい、市民の闘い」があり、「そういう意味では、日本にはまだ『市民のためのジャーナリズム』は確立されていないのではないでしょうか」と問いかける。

 日本国内で唯一、言論の自由を勝ち取った経験を持っているのが、「地上戦と米国施政政権下を経験した沖縄だと思います」。

調査報道は組織でなくても、できる

 本書の最終章は、スロージャーナリズムを取り上げた。

 スロージャーナリズムの1つとして位置付けられる、調査報道。松本氏によると、必ずしも大人数のチームが必要というわけではない。「問題意識とその問題に迫る力量のある記者やデスク(報道最前線の司令塔)がそこ(現場)にいるかどうか」がすべての出発点だからだ。

 松本氏自身に、スロージャーナリズム・調査報道の統括経験がある。

 2001年9月11日、米国大規模テロが発生し、大量の情報があふれ出た。その中から「事件の本質につながるデータとファクトを洗い出し、時間をかけて徹底的に検証する『スロージャーナリズム=検証ジャーナリズム』」が、報道の本筋になるべきと考えた松本氏は、米国各地で取材を行い、「米国にとって正義とは何か」を問い続けた。

 その1つの帰結が、2010年、イラク戦争の影響や課題を検証するためにイラク、米国、英国、ドイツ、フランスに出かけて取材した後にまとめた「55人が語るイラク戦争 9・11後の世界を生きる」(岩波書店)だ。

 2007年から08年にかけては、朝日新聞での長期連載「新聞と戦争」企画で統括デスクとして、メディアの責任を徹底検証した。「この連載は歴史をフィールドにした調査報道だ」と取材班に伝えたという。

 事実を積み上げて、「今」を綴る。本書はフェイクニュースについての本であると同時に、ジャーナリズムについての本でもある。

 トランプ大統領のフェイクニュース発言、米国の右派メディアの拡大、日本のフェイクニュースや調査報道の行方について考えてみたい方に格好の書である。


by polimediauk | 2019-11-19 23:53 | 政治とメディア