小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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以下のインタビューは、週刊誌「東洋経済」11月23日号特集「NHKの正体ー膨張する公共放送を総点検」に掲載された、筆者執筆記事(「実は政府の影響を排除しきれていない 本当にNHKのお手本になる? BBCの意外な実態とこれから」)のために行われたものです。

***

 「NHKは、大丈夫なのか?」

 そんな声をあちこちで聞くようになった。筆者は英国に住んでいるので、日本で放送されているNHKの番組をじっくり視聴する機会がない。一時帰国中も十分にニュース報道を比較することがないので、NHKのジャーナリズムが今どうなっているかを判断しにくい。

 しかし、日本に住む知人・友人からよく「NHKの報道が政府寄りになっている」という感想をもらうようになった。

 一方、NHKから国民を守る党(略称「N国党」)が支持を拡大させ、国会で議席を獲得するまでになった。その編集体制に疑問が呈される事件も次々と発生し、最近、テレビ番組を放送と同時にインターネットでも配信する「常時同時配信」について、NHKは実施基準の見直しを高市総務相に求められた。

 NHKに逆風が吹いているのを感じている。

 翻って、英国の公共放送BBCはどうなのか?

 筆者は、「なぜ英国でN国党のような政党が(まだ)ないのか」をテーマに放送を専門に研究する学者数人に話を聞いてみた。

 3回にわたって、紹介してみたい。

 第1回目は、英国で放送業行政の研究者としては第一人者となる、ウェストミンスター大学のスティーブン・バーネット教授の話である。

BBCの民営化を主張する人もいる

バーネット教授(ウェストミンスター大学のウェブサイトから)
バーネット教授(ウェストミンスター大学のウェブサイトから)

ー英国で、BBCに対して批判が高まり、N国党のような政治勢力の勃興に繋がったという事例はあるのでしょうか。

バーネット教授:反BBCの運動は、これまでにもありました。BBCの報道が「左寄りすぎる」ということでBBCを嫌っている人たちによるものです。BBCが「バランスの取れた報道をするよう」批判しているのだと説明するわけです。右派勢力の人がよくそう言います。「BBCは民営化されるべき」、と主張する場合もあります。

ーNHKは、リベラル系の人からも批判されているようです。NHKのニュース報道が政府の広報のようになっているという人もいます。権力に十分に批判的ではない、と。日本のテレビ界では民放の力が強いですし、多くの新聞社は放送局や出版社などの他のメディア企業を系列化しています。NHKに対するプレッシャーは大きく、自ら放送受信料を減少させているほどです。

 民業を圧迫してはいけないというプレッシャーがかかる、ということでしょうか。

 日本の放送受信料はいくらになりますか。

ー衛星放送を含むと年間2万円ぐらいですので、BBCのテレビライセンス料(NHKの受信料にあたる)と同じぐらいですね。NHKの報道は政府寄りになっていると言われており、政府にとって都合が悪い、いわゆる森友学園問題などを追求した記者が退職する事例もありました。

 政府寄りになっているかもしれないという指摘は、大変興味深いです。

ー英国では、どうなっているのでしょうか。

 英国では、「公共サービス放送」の強い伝統があります(筆者注:BBCと主要民放・商業放送の数局がこのカテゴリーに入る。報道番組は不偏不党にするなど、様々な規制がかかる)。

 この公共サービス放送も、かなりのプレッシャーを受けていますよ。

 特に、英国の欧州連合(EU)からの離脱(=「ブレグジット」)問題がそうです。残留するか、離脱するかで、国民の意見が二分されました。公共サービス放送として、これをどう報道するのが正しいのか。

 日本で、NHKに対する「民業を圧迫するな」というプレッシャーがあるというなら、ここでもそれはありますよ。特に、BBCオンラインのニュースが批判されています。新聞界が特に批判的です。無料でニュースを出すBBCがいるので、自分たちはニュースサイトで利益を出せない、と言います。BBCはラジオ放送も存在感が大きいですし、BBCのテレビ、ラジオ、オンラインが民放・新聞界からの批判対象になっています。

N国党はまだないが

ーでも、BBCを壊そうとする政党ができているわけではないですよね?

 BBC打倒だけを目的とする、シングル・イシューの政党は、確かに存在していません。

 ただ、(小さな政府を目指す)保守党(現在の与党)は最もBBCに対して批判的な政党と言って良いでしょう。

 特にここ数年の動きを見ていると、そう思います。ライセンス料の金額が減らされたわけではありませんが、保守党政権はライセンス料を使ってBBCに追加の事業をさせようとしています。その中でも、もっともBBCにとってつらかったのは、75歳以上の人が住む家庭のライセンス料を負担するようにされたことです(注:この金額は、これまで政府が税金によって負担していた)。

ーひどいですね。

 その負担額は年間7億5000万ポンド(約1千億円)にもなります。ですので、(国民から意見を募って、その結果)低所得の年金生活者の家庭の分のみ、負担することにしましたね。

 このように、政府はBBCの運営を苦しくさせたり、その収入を事実上減少させたりするというわけです。それでも、表向きには、「保守党としてはBBCの存在価値を認めている」、と言いますね。

ー保守党議員で、以前にBBCを含む放送業の所轄省庁となる文化・メディア・スポーツ省(現在のデジタル・文化・メディア・スポーツ省)の大臣がずいぶんBBCに厳しい態度を取っていたことを記憶しています。ジョン・ウィッティングデール議員でしたね。一体どんな背景があって、BBCに厳しかったのかと不思議でした。

 確かに彼は厳しかったですね。BBCは彼が大臣だった時に厳しい時を迎えました。あの議員はいつもBBCに対して批判的だったんです。BBCの小規模化を志向していました。

ーなぜ、そう思ったのでしょうか。

 2つ、理由があると思います。1つはイデオロギーです。彼は保守党の右派になります。したがって、自由な市場が全ての答えになると考えています。公的助成や国家の干渉をなるべく少なくした方が良い、と考える人です。このため、BBCが潤沢な資金を持つことを歓迎しません。

 もう1つは、彼はいつも新聞界と近い位置を保ってきました。新聞王と言われるルパート・マードック氏が率いるマードック・プレス(タイムズ、サンデータイムズ、サン紙など)と常に近い関係を持ってきたのです。

 英国では、全国紙は非常に強い力を持っています。商業プレスが非常に強いロビー団体にもなっています。ですので、ウィッティングデール議員は新聞界のお気に入りになろうとしたのです。

ライセンス料を払うことに価値を見いだす英国民

ーそれでも、現在のところ、日本のN国党に相当するような、BBCを倒すことを目的とする政党は英国にはありませんね。これはつまり、国民がBBCの存在目的を認めている、ということを意味するのでしょうか?

 確かに、そうです。もし誰かが、BBC を攻撃することを唯一の目的としてシングル・イシューの政党を立ち上げたとしても、あまり支持は得られないでしょう。というのも、この国の多くの人にとって、BBCはとても人気がある組織だからです。

 複数の調査によると、中にはライセンス料を払いたがらない人もいますが、大部分の人はライセンス料は払う価値があると考えています。お金に見合うだけの質があり、多様性がある番組を放送している、と。

 BBCには公的価値があると見られています。公共サービスの一つである、ということが認識されていますし、多くの国民が公共サービスの価値を重視しています。

 ですので、そんなBBCを破壊することを目的とする政党は、それほど人々の支持を集められないと思うのです。

ーこの「公への奉仕(サービス)」という考え方をもう少し、説明していただけませんか

 社会の他の人のためにサービスを提供する組織の存在に信頼を置いている、ということです。

 例えば、BBCにはラジオ3という放送局がありますね。クラシック音楽を流す放送局ですが、リスナーは限られた人々です。でも、多くの人が、BBCがこうしたサービスを提供するべき、と考えています。

 アジア系音楽を専門に流す、BBCのラジオ局もあります。アジアに関係がない人、そんな音楽を聞かない人もいるのですが、それでも、BBCの業務の一つとして存在することを、人々は支持しています。

 自分には関係なくても、他の人が利用するサービスを支援するという考え方なのですね。

ーそういう考え方はどこから生まれたのでしょう?

 さて、どう説明したらいいでしょう・・・集団主義的考え方と言えるでしょうか。社会民主的なアプローチです。集団のために何かを行う、ということ。欧州的かもしれません。

 2016年、EUを離脱するか残留するかの国民投票がありました。

 離脱に反対した理由の1つは、英国の価値観が欧州の価値観に根ざしたものだと残留派市民が考えたからではないかと思うのです。市場や個人主義に大きな価値を置く米国とは異なるのだ、と。米国では、自分のためにお金を出し、欲しいものを得る、と。欧州のように集団のためにお金を払う、という価値観ではない、と。

 英国にはこの集団のための善行という考え方があると思います。あなたの質問は、非常に面白いですね。

ー欧州諸国では、公共サービス放送の強い伝統がありますよね。

 確かに、そうです。

「10年後も、BBCに対する英国民の見方は変わらないだろう」

ーBBCはこれからどうなると思いますか?今後10年、あるいは20年で、人々のBBCに対する見方は変わるでしょうか。

 私は、変わるとは思っていません。

 BBCに対して、敵意が募っている、あるいは反感が高まっている感じがしないからです。

 ブレグジットをめぐる報道では、確かにBBCに対する不満感はありますが。

 BBCが、離脱を推進したい政府の意見に追従しがちなのではないか、という批判があります。心配ではありますが、だからと言って、BBCに対する反感が強まっているとは思いません。

 英国に住む人は、ライセンス料は払う価値があると思っています。

 もしBBCに危機が訪れるとすれば、ネットフリックス、アップル、アマゾンなどによる有料ストリーミングサービスの人気ではないでしょうか。

 でも、こうしたストリーミングサービスが何を提供しているか(注:ドラマ、ドキュメンタリー、エンタテインメントなど)を見ると、もしこうしたサービスだけになってしまったら、集団の善のために何かをやることや、社会を構成する人全員に同じサービスを提供すると言ったことが、崩れてくると思います。

ーBBCは心配しているようですよね。ネットフリックスなどに自分たちが呑みこまれてしまうのではないか、と。

 確かにそのようですが、でも、私は過去40年ほど、BBCをウオッチングしていますが、BBCはいつも何かを心配しているんです!

 BBCが「心配している」という時、実は将来に歩を進めようとしていることを意味します。これから大きな変化が生じてくるので、BBCとしてはどうしたらいいのかを考えているのだ、と。ストリーミングサービスがさらに人気になった時、BBCとしてはどのような存在であるべきか。いかに、人々の生活に欠かせない存在であり続けるか。

 これまで、創業から約100年の間、BBCは常に人々の日常生活において、欠かせない存在となってきました。ニュース、ドラマ、子供向け番組、スポーツ番組などを提供してきたのです。これまでは、成功してきたわけですが。

ー言論空間について、お伺いしたいのですが、近年、政治的な議論において中道の行き場がなくなってきたと言われています。懸念をしていらっしゃいますか。BBCはニュース報道において、不偏不党が義務ですよね。すると、ブレグジットのような話題では、どちらも満足させることができなくなります。両方から批判が来る・・・。

 懸念はしています。

 ブレグジットは特別な現象です。こんな状況は今までに見たことがありません。国が離脱派と残留派の2つに大きく割れていますよね。

 BBCは妥協点を見つけるのがうまいんです。どこかに落とし所を見つけます。でも、今回は難しい。国民は、2つの方向にますます離れていってしまいました。

 BBCとしては、報道が非常に難しくなりました。離脱派からも残留派からも批判されます。特に、政府に近すぎるとさえ言われました。BBCとしては、全ての側の見方を紹介しようとしてきました。でも、非常に難しい。まだブレグジットは終わっていませんが、将来的に全てが終わった時、何らかの形での修復が必要かもしれません。

ライセンス料制度は続くのか?

ーこれからも、ライセンス制度は続くでしょうか。今のところ、今後5年先までは維持することになっていますが、その後のことは決まっていませんよね。

 数年先までしか決まっていないというのは、普通です。いつもそうでしたから。

 BBCの存立を規定する「王立憲章」ですが、これの有効期間は今回は11年間です。10年後にはBBCはないだろうという人もいましたが、今は少なくとも2026年度までは存在することになります。5年後にライセンス制度の見直しをする、というのは合理的だと思いますよ。

 私の予想では、結論を先延ばしにするだろうと思います。そしてまた「5年後に見直す」となるのではないでしょうか。

ーBBCについて、心配していることはありますか?

 資金繰りですね。緊縮財政を敷いてきた政府が、(ライセンス料の値上げ凍結という形で)BBCの収入を事実上削減したことで、大きな損害が発生したと思います。もっと資金を投入するべき分野があると思いますし、その一例はニュース報道だと思います。

 フェイクニュースの蔓延も懸念しています。BBCがこれにどう対応するか。

ーネットフリックスやアマゾンなど、有料購読制による動画視聴サービスの影響はどうでしょう?特に、若者層はテレビではなく、ネットでコンテンツを消費する傾向が高いので。

 負の影響が出ることもあり得ますが、この市場は動きが大きい市場ではないかと思っています。ディズニーも参戦しましたし、アップルもあります。複数のサービスが有料動画市場で戦っているわけです。みんなが視聴者からお金を取りたがっていますが、負債を抱えながらの経営ですから、それほど大きな利益を得ることができないのではないでしょうか。赤字の場合もあるでしょう。

 いつか、自然淘汰が起きるでしょう。そのうち、購読料を上げざるを得なくなります。

 公共サービスとしての放送業には安定性があります。質の高い番組を作っていく限り、市場のどこかにひっそりとでも生息し続けるのではないでしょうか。

ーそれでは、BBCの将来がどうなるかと案じて、眠れない夜を過ごす必要はないわけですね?

 まだそうする必要は、ないでしょう。


by polimediauk | 2019-12-28 15:07 | 放送業界

1「メディア展望」(新聞通信調査会発行)11月号に筆者が寄稿した「欧州情報」の記事に補足しました。

***

報道の自由調査団の会見(IPIウェブサイトから)
報道の自由調査団の会見(IPIウェブサイトから)

 

 ここ数年、東欧諸国で言論の自由の危機を指摘する声が目につく。

 6月には、報道の自由を擁護する国際的組織の代表者らが西バルカン地域にあるアルバニア共和国(人口約286万人、首都ティラナ)を訪れ、同国の報道の自由の状況について聞き取り調査を行っている。アルバニアは欧州連合(EU)への加盟を望んでおり、調査団の判断が加盟交渉の行方に一定の影響を与えることが期待された。

 以前に紹介した、チェコやハンガリーの言論状況(2019年1月号6月号「欧州情報」)に続くものとして、本稿ではアルバニアのメディア状況についての調査結果を記してみたい。

1990年以降、一党独裁制の終了へ

アルバニアの位置(外務省のウェブサイトから)
アルバニアの位置(外務省のウェブサイトから)

 アルバニアの近年の歴史を振り返る。

 鎖国的な共産主義体制から抜け出たのは、1990年である。それまでは勤労党(1991年に社会党に党名変更)による一党独裁制が続いてきたが、この年、東欧改革の影響を受けて野党の設立が許可され、翌年には初の自由選挙が行われている。

 1991年、アルバニアは英米と国交を回復させ、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、欧州安全保障協力機構(OSCE)に加盟。その後、欧州評議会(1995年)、世界貿易機関(WTO、2000年)、北大西洋条約機構(NATO、2009年)にも加盟している。

 しかし、念願のEU加盟は2014年に候補国の地位を獲得したものの、なかなか先に進んでいない。

 昨年、加盟国はアルバニアと北マケドニアの加盟交渉を6月に開始する方針を決めたが、フランスやオランダなどが慎重姿勢を示したことで、10月まで先送りとなった。

 10月17日から行われたEU首脳会議では、北マケドニアとアルバニアの加盟交渉入りが議論されたものの、フランスを含む一部加盟国の反対で、結論は先送りとなった。来年5月、議論を再開する予定。

 アルバニア国内では、今年2月以降、与党社会党の選挙不正や汚職疑惑をめぐって抗議デモが発生し、6月末の地方選では主要野党が参加をボイコットする政治危機にまで発展した。

「報道の自由が悪化」という指摘

 さて、アルバニアを訪れた調査団は、どのような結論に至ったのか。

 調査団の構成メンバーは「国際新聞編集者協会」(IPI)」(筆者もこの組織のメンバーである)、「プレスとメディアの自由のための欧州センター」(ECPMF)、「アーティクル19」、「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ)、「欧州ジャーナリスト連盟」(EFJ)、「国境なき記者団」(RSF)、「南東欧州メディア組織(SEEMO)」の代表者で、6月18日から21日、アルバニアのジャーナリスト、市民団体、国際組織のほかに、ラマ首相を含む政府関係者に話を聞いた(首都ティラナの市長との会合は拒絶されたという)。

 調査団は、中間報告書の中で、アルバニアの「報道の自由は悪化している」と結論付けた。

 「民主主義国家として、欧州評議会やOSCEの加盟国として、EU加盟候補国として、アルバニアの法律及び欧州人権条約を含む国際的な規範の下で必要とされる、表現と報道の自由を保障・擁護する義務を果たしていない」。

 問題点が6つ指摘されている。

(1)は「メディア規制の改正について」。

 昨年12月、政府はメディア法の改正を試み、オンラインメディアを登録制にして、裁判所の命令を得ずに罰金を科したり、閉鎖したり、外国のオンラインメディアをブロックしたりできる権力を持つ管理組織の設置を目指した。調査団は、改正はオンラインメディアを国家の管理下に置くことを意味し、アルバニアの表現や報道の自由に負の影響を与えると指摘した。

 しかし、国会は国民から意見を募った後で、公聴会を12日まで開催し、19日には改正法が可決される見込みだ。

(2)は「名誉棄損の事例」で、政治家がジャーナリストに対し、名誉棄損であるとして巨額の損害賠償を求める事例が増えているという。このような動きはジャーナリズムに「萎縮効果を与える」。

(3)は「ジャーナリストに対する脅し、攻撃、ジャーナリスト側の自主規制」。

 例えば、反政府の抗議デモに参加したジャーナリストが攻撃されたり、報道内容を巡って嫌がらせを受けたり、解雇されたりする場合だ。調査団によると、当局側はジャーナリストに対する攻撃を十分に捜査しないという。誰も罰せられないので、ますます嫌がらせや攻撃がエスカレートすることになる。

(4)は「ジャーナリストに対して組織的な中傷行為が行われている」点だ。

 例えば、調査団との会合中、ラマ首相はジャーナリストを「ゴミ箱」と呼んだという。一方、野党党首はメディアが「取り込まれている・買われている」と表現する。こうした言い方はジャーナリストを貶め、一般市民の間にジャーナリストに暴力を働いてもかまわないという気持ちを醸成させてしまう。

(5)としては「情報へのアクセスや記者会見のあり方に透明性を持たせるべき」という。

 アルバニアの「情報アクセス法」は素晴らしい法律という評判があるものの、その運用となると不十分だ。当局側はジャーナリストに対し、不当に情報へのアクセスを妨害し、特に独立系のジャーナリストや政府批判を行うメディアに対しアクセス制限が厳しいという。首相は定期的な記者会見を行わず、会見が開催されても、政府寄りのメディアの記者からの質問のみを受け付ける。

(6)は「メディア所有の問題」だ。調査団によると、メディア市場や広告収入が一握りの家族経営のメディアグループに集中している。

「連帯強化」を呼びかける

 調査団は、上記の状況の改善を当局側に求めるとともに、ジャーナリストやメディア組織に対し、攻撃の事例について欧州評議会や表現の自由擁護を掲げる非営利組織に報告することを勧めている。また、ジャーナリストや市民社会が「連帯を強化する」ようにと呼びかけた。

 上記の指摘のいくつかが日本の状況にも該当すると思われた方もいらっしゃるのではないだろうか。

 筆者が注目したのは「連帯の強化」の指摘だ。日本の場合、日本新聞協会に加盟する組織に勤めるジャーナリストとそれ以外の組織あるいはフリーランスのジャーナリスト、それに非営利組織などがともに権力者に対して戦うための基盤が十分に築かれていると言えるだろうか。

 また、欧州内では東欧諸国、バルカン諸国などでの報道の自由を支援するための取り組みが上記の組織を含む複数の非営利組織によって行われている。活動資金がEUから提供される場合も少なくない。日本でも、本気で報道の自由をより確実にするための試みが、もっとあってもいいのではないか。


by polimediauk | 2019-12-27 15:30

 「あいちトリエンナーレ2019」(10月中旬終了)の中の「表現の不自由展・その後」が中止そして再開という過程を経る中で、表現の自由についての論争が発生したが、筆者は普段国外に住んでいることもあって、議論の高まりや報道ぶりを「外から見る」だけとなっていた。

 7日、ハフィントンポスト・ジャパンが東京都内で表現の自由をテーマにしたイベントを開催すると知って、一時帰国前に早速申し込み、抽選に当選のお知らせいただいた後、早速足を運んでみた。

 イベントのタイトルは「ロバート・キャンベルさんと一緒に、200人で賛否両論のアート作品を見てみよう」であった。日本文学研究者のキャンベルさんは国文学研究資料館長で、メディアのインタビュー記事を何度か拝読している。

 ハフポスト編集長の竹下隆一郎さんは、よくテレビに出演していると家族が教えてくれた。

 「いったい、どんなアート作品を見ることができるのだろう」とワクワクしながら席についた。司会はハフィントンポストの南麻理江記者である。

「♯表現のこれから」

 早稲田大学のキャンパスの一角で行われたイベントは、ハフポストによる「♯表現のこれから」というプロジェクトの一環であるという。

 紹介されたスライドによれば、「『伝える』がバズるに負けている・・・『伝える』は誰かを傷つけ、『ヘイト』にもなり得る。どうすれば表現はより自由になるのか」を考える1つの機会でもあった。

 会場に竹下編集長、キャンベルさんが登場し、竹下さんは会場からの参加を呼び掛けた。キャンベルさんの声は穏やかで、心がときほぐれるような感じがした。久しぶりに綺麗な日本語の音を聞いたように思った。

 2人の発言内容は、ハフポスト上で詳しく報じられると思うので、ここでは筆者の印象を書いて見たい。ここでの筆者は、「普段は海外(英国)に住み、特にアートに造詣が深いわけではない一方で、歴史物やドキュメンタリーはよく見ている人物」である。

「2度見」とアート作品

 このイベントで行われた、「2度見」という行為を説明したい。一つの作品を一度見て、その作品について意見を交わしたり、情報を得たりして、その後でもう一度同じ作品を見る、そして見方がどう変わったのかを考える、それについて話してみるという行為である。

 竹下編集長によると、この2度見は「あいちトリエンナーレ2019」のキュレーター会田大也さんがよくやっていることだという(会田さん自身も、後でイベントに登場した)。

 いよいよ、アート作品鑑賞の時となった。

 会場内の大スクリーンに映し出されたのは、固定したカメラが撮影する、広島原爆ドーム周辺の様子だった。ドームの下の道を人々が歩く。わずかに会話の一部が聞こえる。えんじ色の帽子をかぶった、幼稚園か小学生ぐらいの子供達が一軍となって歩く様子も見える。ひたすら、遠くに聞こえる人々の会話をじっと聞きながらスクリーンを見ていた。カメラの前を鳥が時々、飛んでゆく。

 そのうち、ドームの上に広がる真っ青な空に、白い飛行機雲が描かれ出した。飛行機が何かを描こうとしていることがだんだんわかってゆく。最初は、丸、それから「ヒカ」。「ピカ」である。これで終わりかなと思ったら、その後、最後の文字を描こうとしているようだ。

 「ピカ・・・ソ?」・・いや、「ピカッ」であった。

 やっぱり・・・。ステレオタイプ的に見ていたのかもしれないが、広島原爆ドームが画面の中央にドーンと出た時、1945年8月の「あの日」を表しているに違いないと思った。私は、当時、生まれていなかった。でも、歴史物のドキュメンタリーで、何度も「その後」を見てきた。特に戦争物を追ってきたわけではないけれど、日本での学校の授業や報道、そして英国のドキュメンタリーフィルムの中によく出てくるから、忘れようとしても忘れられない。

 「あの日」も、こんな晴天で、青空が広がっていたのだろうか。ドームの下では、次の瞬間に何が起きるかも全くわからず、人々は生活をしていたのだろうか。

 カメラが固定されているから、目を背けることができず、「あの日」あるいは「あの時」と同じように、じっと数分を過ごすしかなかった。写真ではなくて、動画だからこそ、「時」を追体験せざるを得なかった。

 ドームの下の人々の会話や子供達の動きを見るのが、つらかった。自分が生まれてきた時から何十年も前の出来事が、リアルな迫力で迫ってきた。

 飛行機が描いた「ピカッ」という文字によって、作り手のメッセージがより強く伝わってきた。

 広島の人なら、そして日本人なら、「ピカッ」がなくても、市民から突然日常を奪った原爆の惨さがこの動画を見るだけでわかるだろうけれど、日本以外の国の人にメッセージを伝えるなら、ここまで強い表現にしないと伝わらないだろうなあとも思った。

 さて、「1度見」が終わり、会場内の参加者の意見を聞く段階となった。

記号としてのドーム?

 竹下編集長とキャンベルさんがマイクを片手に会場を歩く。参加者の数人に感想を聞いてゆく。「何を見ましたか。一言で言ってください」という問いかけだった。

 最初の数人の答えは、筆者の記憶によれば「鳥の動き」、「空」、「子供達」などであった。驚いてしまった

 というのも、画面の中央にドーンとあるのが広島の原爆ドームで、空も鳥も子供達もその周辺に存在しているので、「一言」と言われたら、まずは「原爆ドーム」という言葉が出てくるだろうと思ったからだ。もしかしたら、「何が心に残ったか」を参加者は述べていたのかもしれないが。

 筆者が考えたのは、「もしかしたら、日本に住む人にとっては、原爆ドームはあまりにも明らかに眼前にあるものなので、それをそのまま答えられない」のか、「中央に明らかにあるものよりは、他のことに目が行った」のか。

 一つの疑問が湧いた。「もしかして、原爆ドームという明らかに有名な物は視界に入らない・重要視されない」、つまり、「ドームは記号化してしまって、『一言』と言われた時にドームを名指しする必要さえ感じない」ことなのだろうか、と。あるいは、「あまりにも重要な存在なので、あえて名指しを避けた」のか?

 

 ただ、次々と参加者が感想を述べていくと、次第にドームの話も出るようになったが。

 

 イベントで鑑賞対象となったのは、アーティスト集団「Chim↑Pom(チン↑ポム)」が2008年に発表した作品「ヒロシマの空をピカッとさせる」だった。

 この作品は、Wikipediaの説明によると:

 

2008年10月、軽飛行機をチャーターして広島市の上空に飛行機雲で「ピカッ」という文字を5回描き、平和記念公園などからメンバーが撮影した。報道が過熱し謝罪会見にまで発展、予定されていた広島市現代美術館での展覧会が取り止めになった。2009年3月に、騒動を検証した本『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』を刊行、それに合わせて「広島!」展を開催し作品を発表した。制作意図を伝えた現在では被爆者らと交流があり、津波で流された額縁で制作した作品「Never Give Up」(2011年)を被爆者団体と共同制作した。

出典:Wikipedia

 イベントでは、原爆ドームの上空に飛行機雲で「ピカッ」と書いた作品が撮影の翌日に地元の中国新聞に掲載されたことが紹介された。新聞記事の見出しには、「広島上空 ピカッの文字」とあり、「市民『不気味だ』」という小見出しがついていた。

 竹下編集長が、イベントの司会役となった南記者にこの件について聞いてみた。南記者は広島出身である。子供の頃から平和教育を受けてきたという同記者は、広島市民への作品の衝撃や、アーティスト集団の創作意図に疑問を感じたことを話す。

 Chim↑Pomの一員である卯城竜太さんのインタビュー動画を試聴後、参加者は作品の2度見に向かった。

感想をグラフ化

 再度、原爆ドームが中央に置かれた作品を参加者全員で見た。

 事情がわかって見ても、固定カメラによる「一定の時間をドームとその周辺を見ながら、時を過ごす」ことのつらさ、数十年前の「あの日」への照り返しの苦しさは変わらず、むしろ強まったように思えた。

 でも、この「ピカッ」という文字表現が広島の市民にとっては「不快」であったことを、広島以外に住む私たちはどう受け止めたらいいのだろうか。アーティストはどうするべきだったのか。

 2度見の後、竹下編集長とキャンベルさんが再度、マイクを片手に会場内を回った。「前回と感想が同じ」という人が複数いた一方で、今度は原爆ドームや戦争の話、広島の人々への思いなどが多く語られたように筆者は記憶している。

 筆者は、この「広島市民の気持ちをどうするべきなのか」ということを、他の皆さんの感想を聞きながら考えていた。

 この作品の場合、「報道が過熱し謝罪会見にまで発展、予定されていた広島市現代美術館での展覧会が取り止めになった」経緯がある。あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展・その後」の展示が一時中止されたことも、記憶に新しい。さらには、慰安婦問題を正面から取り扱った映画「主戦場」が、予定されていた映画祭での上映をこれも一時中止されたという事件があった。

 「ヒロシマの空をピカッとさせる」は、強い発信力・批判力を持ったアート作品だと筆者は思った。発表当時、広島市民の少なくとも一部が不快に思ったとしても、制作し、発表する意義は十分にあったと思う。

 「誰かが不快に思うから」という理由だけで、アート作品を公開する・しないを決めるべきではない・・・・というのは筆者の独自の考えではなく、すでに一般常識になっている。この作品で地元市民が不快に感じるのは、それだけ原爆という存在が心身に深い意味を持つことを示すのだろうと思う。筆者は広島市民ではないので、想像だけになってしまうのだけれども。作品の意図が「挑発するだけが目的ではないのか」と感じる人がいるだろうことも想像できる。

 2度見後の参加者の感想の中で、言語化はされなかったけれども、「誰かを傷つけるようなことを表現するアートは、ありなのか」という疑問がくすぶっているように見えた。

 英国では、あくまで個人的に見聞きしただけの話になるが、「誰かを傷つけるアートはOKなのか」という問いはあまり大きな問題とはなっていないように思う。ただし、特定の人種や宗教の信者(例えばイスラム教徒)を攻撃するような場合、人種差別別禁止法や名誉毀損法など法律に抵触する場合は訴追される恐れがあるし、トピックによっては抗議デモが発生する。メディアでも叩かれる。

 

 どこまでがアートの限界なのか。これはもちろん、大きな問いであるし、筆者個人が一言で答えられるものではない。

 しかし、「誰かの感情を傷つけるから」ということがアート作品を制作しない、あるいは制作されても公表されない理由としては考えられていないと思う。

 

 会場には広島出身の方が何人かいらして、それぞれ感想を述べていたが、必ずしも否定的な見方ではなかったように記憶している。

 興味深かったことの1つは、1度見と2度見のときの感想がグラフ化されていたことだ。立命館大学情報理工学部の服部宏充研究室の方がバブルチャートにして可視化してくれたのである。言葉をピックアップして作るグラフだそうだ。

会場からの感想をグラフ化(撮影筆者)
会場からの感想をグラフ化(撮影筆者)

一つの結論にはしない

 参加者の様々な感想、キャンベルさんのインプット、会田さんのお話などが出たイベントには「自分が参加している」という実感があった。

 何よりも興味深かったのは、竹下編集長が「一つの結論にまとめる」という形にしなかったことだ。いろいろな見方があり、それはそれでいいのだというスタンスだった。

 最後に、「考えるヒント」として、イベントの終わりに配られたChim↑Pomの卯城さんのインタビューの書き取り文書から、一部を紹介しておきたい。

 ***

 質問:作品が炎上したことについて、どう思いました?炎上は予想していましたか?

 卯城さんの答えの一部:「炎上」って最近の言葉だけど、アートが議論になってバッシングを受けたりするのは昔からあることなんですよね。では、なぜアーティストはそれでもそういう(際どい)ことをやるのか。そうなった(炎上した)時に、本当の「声」が出てくるからだと思うんですよ。

 質問:どういうことですか?

 卯城さん:僕ら社会に生きている人間には、沢山ありますよね?本当は言いたいのに言わないようにしていることとか、あるはずなのに無かったことにしていること。その「声」が出てくることで、新しく生まれる価値観や議論、常識があると思うんです。(後略。)

 ***


by polimediauk | 2019-12-26 16:09 | 日本関連