小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk


「マスコミを信じるな」

 2002年2月、イギリスに来て間もなかった私は、ロンドンの外国プレス協会で開かれた、あるイベントに出かけた。赴任したばかりの外国人ジャーナリスト向けに、どの政府部署の誰に連絡を取ればどのような情報が得られるのかを紹介する、政府主催のオリエンテーション・セミナーだった。

 ここに姿を見せたのが、当時官邸の戦略情報局長で「影の副首相」とも言われたアリステア・キャンベル氏だった。背が高く、ハンサムといえばハンサムだが、目つきが鋭い。短いスピーチの後、あっと言う間に外国人記者たちに囲まれた。私も近寄って行き、実は自分が質問をしたのかあるいは隣の誰かが質問をしたのか、覚えていないのだが、「スピーチの中で、イギリスの新聞を読んで政府に関する情報を得るよりも直接官邸から情報を取りなさいと言っていたが、本当にそうしていいのか?」と聞いた。

 イギリスのマスコミに関して否定的な言い方をしていたので、「おや?」と思って、聞いたのだった。

 キャンベル氏は、「もちろんだ。イギリスのマスコミが書くことを、信じないで欲しい。直接、こっちに来て情報を取って欲しい」「特に国際的なジャーナリストたちには、直接コンタクトしてほしいと思っている」とし、何度も、「イギリスの新聞に書いていることを、マスコミを信じるな」と繰り返した。

 「マスコミを信じるな」とは、随分大げさだなと思ったが、突然人が変わったように力がこもった話し方をしたので、非常に奇妙な思いがした。

 その3ヵ月後の5月、官邸は、それまでロビー記者のみに行っていたブリーフィング・会見を、外国人も含めたジャーナリスト一般に広げることを決め、10月から実行に移した。

―メディアと政府の闘い

 繰り返しになるが、会見場所を官邸から外国プレス協会に移した理由を、官邸側は、「一段と高いレベルの情報公開の必要性を感じたため、国際的ニーズに答えるためーもはやイギリスのジャーナリストだけに情報を出しているのは、時代に適応できないからだ」と答える。

 特に、イラク開戦にいたる過程で、イギリス政府の見解はどうなのか?を外国のメディアに頻繁に説明する必要性にかられたという。

 イラク開戦の際の情報説明が大きな追い風になった、というのは、事実だろう。

 しかし、特権的に情報を得ていたロビー記者は違う風に受け取っている。

 ロビー記者会の幹事役を務める、イギリスの通信社PAの政治記者ジョン・スミス氏は、場所の変更を「キャンベル氏のロビー記者をいじめだ」とする。「それ以外に理由はないと思う。」
 
 キャンベル氏は、官邸でロビー記者へのブリーフィングを自分自身で長い間行ってきた。元々ジャーナリストで、現政権のマスコミ対策の中枢的存在だった。

 ブレア政権はメディア戦略に長けた政権と言われてきた。しかし、自分たちの思い通りの文脈で情報が発信されるようにと力を注いだ戦略は、国民の間で、次第に情報操作・スピンとして受け取られるようになった。

 メディア側は政府のスピンの悪を書きたて、一方、政府側は「新聞各紙は情報源を明かさずに、憶測に基づいた政治記事を書いている」「メディア(特にロビー)こそがスピンをしている」、と主張。イギリスの2大勢力―政治とメディアーは、過度に互いを敵視するようになった。特に、キャンベル氏は、ことあるごとに、メディアを露骨に批判していた。(後に、この過度のメディア憎悪が、BBCの報道をきっかけに科学者が自殺する事件「ギリガンーハットン事件」につながってゆくことになるのだが・・・。)

 「スピン」は流行語になり、人々の会話の中にも出るようになると、次第に、政治家とメディアの対立状況が政治的危機としても認識されるようになった。「ストレートに情報を国民に伝えるにはどうするか?」が、政府としての課題となってゆく。

 スピン・ドクター(スピン・情報操作をする人)とも言われたキャンベル氏が、「マスコミを信じるな」といったのは、本気だった。ブレア政権やキャンベル氏自身に関してなど、あることないことを書き立てるメディアを制御できないことに対しての焦燥感もあったのかもしれない。

 こうして、ブリーフィングの場所の変更と出席者の枠の大幅拡大は、ロビー記者との事前相談なしに決定され、実行に移された。

 2002年秋、BBCの「政治を語る」というラジオ番組に出たキャンベル氏は、外国プレス協会での官邸のブリーフィングは「例え自分が官邸を去っても、変えない」と宣言した。

 政治家でもないキャンベル氏がどうしてこのようなことを断言できるのか、不思議にも聞こえるが、ブレア政権の「オープン政策に変更はない」という宣言と見る向きと、「何が何でも、ロビー記者たちの思うようにはさせない」という意味と受け取った人たち(イギリスの政治記者たち)もいる。

―外国報道人にとっての意義は?

 さて、官邸ブリーフィングへの出席が可能になった外国プレス。しかし、果たして、特派員たちにとって、出る意味はあるのだろうか?24時間のニュース体制が存在する中、ネットや電話、ことによったら次の日の新聞から取った情報でも間に合うのではないか?

 外国プレス協会の代表キャサリン・マイヤー氏は、「特派員として、イギリスで起きているあらゆることに通じていることが重要となる。直接会見に出て、政府の見解を知ることは大切だ」としている。

 日本人特派員はどのくらい出席しているのだろうか?

 在ロンドンの通信社や新聞社のアシスタント(イギリス人)らが会見に出ているのをちょくちょく目にする。日本人特派員の出席は大きなトピックのある時が多いようだ。

 ある日系メディアの特派員は、「国会内の午後のブリーフィングにも、出てもいいといわれたけれど、なかなか忙しくって」という。

 実際のところ、朝11時、そして午後3時なり4時なりのブリーフィングに出て情報を集める、というのは、常に政治報道をしている記者にのみできる取材方法だ。また、その支局にたくさん人がいて、政治だけを追っていいならば可能だろうが、通常、外国特派員は(日本、アメリカ、ドイツなどを除き)1人か、多いときでも2人のケースが多く、様々な分野のトピックをカバーしなければならないので、こうしたブリーフィングに常に出席するのは難しい。

 クエート通信の欧州支局長ホスニ・イマン氏は政治報道が専門で、彼の姿は会見場で常に見かける。イギリスでの特派員生活は20年を超える。

 ブレア政権になってから、初めて、官邸のブリーフィングに出席できるようになったという。外国プレス協会でのブリーフィング開始で、政府の情報公開度は上がったが、「まだまだ部分的」という思いは消えないという。イギリスに限らず、本当に重要な情報は、個別の電話や少人数の集まりの場所で出ることが多いからだ。

 また、「政府が、外国人ジャーナリストよりも、自国のジャーナリストの方に向けて情報を発信するのは避けられないこと。自国のジャーナリストは選挙民に向かって書いているし、当然、政府も自国のジャーナリストに力を注ぐのは、ある意味では当然だ」とイマン氏は分析している。

 最後に、元BBCのロビー記者ニコラス・ジョーンズ氏の提言を紹介したい。

 ブリーフィングがジャーナリストにだけオープンという現状は、国民への情報開示という点からはまだまだ不十分であり、さらにこれを推し進めるべきだ、という。

 内容が後で官邸のウエブに掲載されるなんて「遅い」。会見場にテレビカメラをいれ、同時中継をするべきだという。

 また 週末、通常のブリーフィングは開かれなが、この時、政府がお気に入りのジャーナリストに恣意的に情報を出すという慣習をやめ、すべてのジャーナリストに情報を出す、という方針にするべきだと提言。

 「国民は政府の情報操作に嫌気がさしている。全てのメディアを平等に扱うことで、政治への信頼感を取り戻すべきだ」。

 (この原稿は、新聞通信調査会発行の新聞通信調査会報2004年1月号に掲載の、同筆者の記事に加筆したものです。 http://www.chosakai.gr.jp/index2.html)

 (この項、一旦終わり。)
# by polimediauk | 2005-02-04 03:45 | 政治とメディア