表現の自由はどこまで許されるのか
「宗教」というと、日本では一般的になじみが少ないテーマだとは思うが、最近の欧州を読み解く大きなテーマの1つになっている。
背景の要因として、キリスト教圏とされてきた欧州に増えつつある移民たちの、キリスト教以外の宗教の価値観に基づく物の見方と欧州の既存の価値観をベースにしたものの見方との摩擦があるようだ。この結果、表現の自由が制限されたり、表現者が殺害される、といった事件が起きている。
一方、欧州連合(EU)に注目すると、宗教と政治とを切り離す世俗化が進んでいる。脱宗教化を政治の上では目指す欧州で、表現の分野では、逆に宗教問題に悩む、といった状況がある。
宗教と欧州における表現の自由に関して、新聞通信調査会が出している会報4月号にまとめてみたので、以下に転載させていただきたい。
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「宗教」に揺れる欧州
―異教徒の挑戦、世俗化の進行
宗教が、欧州のキーワードになってきた。宗教上の理由を盾にして芸術作品を取り下げさせたり表現者の口を封じる事件が、ここ数ヶ月相次いでいる。表現の自由、異質なものに対する寛容さなど、欧州社会の根底となるリベラルな価値観に挑戦する動きが背景にある。一方、「キリスト教世界=欧州」というかつての図式は崩れつつあり、欧州連合(EU)に至っては「世俗化の行き過ぎ」という批判も出ている。
英国、オランダの具体例と、EU内の流れを追ってみた。
―英シーク教徒の抗議で公演中止
昨年十二月、英国中部バーミンガム市で上演されていた演劇「不名誉」が、シーク教徒の抗議デモと一部のデモ参加者の暴力行為の末、公演中止となった。
シーク教は、約五百年前、インドのパンジャブ地区でイスラムの影響を受けてヒンドゥー教から派生した。世界中には二千万人のシーク教徒がいるといわれ、世界で五番目に信者数の多い宗教となっている。英国には六十万人のシーク教徒がおり、バーミンガムには三万人が住む。
「不名誉」はシーク教徒の生活を描いた作品で、寺院内での殺人、同性愛、性的虐待などの場面がある。自分自身もシーク教徒の女性劇作家ガープリート・カウア・バーティさんが、「地元シーク教社会の不公平さや欺瞞に徹底的に抵抗するために」書いた、という。ハイライトの一つは、同性愛者としてコミュニティーから追放された年老いた男性が、逃げようとするシーク教徒の少女を寺院の中でレイプするシーンだ。
地元シーク教徒側は、寺院をレイプや殺害が起きる場所とすることは「神を冒涜する」と主張。寺院をコミュニティー・センターに変えてほしいと要望していた。
劇場側は設定の変更を認めず、公演の初日からシーク教住民らが劇場前で抗議のデモを開始した。数日後、近隣のパブで酒を飲んだ若者らがデモに参加し、この内の何人かが劇場の窓や機材を破壊、警官数人も軽症を負った。観客の身の安全を重要視した劇場側が公演中止をやむなく決定。公演を再開すれば殺すという脅迫を受け、劇作家のバーティさんは自宅以外の場所に身を隠すことを余儀なくされた。
公演中止は大きな注目を集めた事件となった。国民の多くが、個人の思想、表現、信仰の自由を保障するリベラルな社会の大原則が侵されたと受け取った。
英国には、時の政府や王室など既成権力を批判し、嘲笑する文化がある。国民の七十%が信者というキリスト教も例外ではない。シーク教徒が宗教上の理由で「不名誉」の公演を中止させ、しかも暴力が介在したということで、非難が殺到した。
人権団体「リバティー」のバリー・ハーギル氏は、BBCオンラインの取材の中で、「人には、演劇を観にいかない、あるいはボイコットする、平和的に抗議をする権利があると思う。しかし、暴力を使って公演を中止する権利はない」と、多くのリベラル派の気持ちを代弁した。賛同者らは、公演の再開を訴えた。
一方、シーク教徒で抗議者の一人だったモハン・シング氏は「表現の自由もいいが、限界がある。英国の、そして世界のシーク教徒を悲しませて、それでいいのだろうか」と疑問を投げかけた。
リベラル派とシーク教徒側の溝は埋まらず、議論は平行線で終わった。年が明けた現在でも、バーティさんは身を隠したままだが、一月、発表した声明文の中で、「シーク教徒を侮辱するつもりはなかった」、としている。
(続く)
新聞通信調査会
http://www.chosakai.gr.jp/index2.html