英国貴族の邸宅「ダウントン・アビー」に住むグランサム伯爵家とその召使いたちの物語を描くシリーズはもともと、2010年に英民放ITVが放送したものだ。
タイタニック号沈没から始まった
ドラマの設定は1912年。第1次世界大戦勃発直前である。
イングランド地方の田園に建つ大邸宅(カントリーハウス)「ダウントン・アビー」で暮らすグランサム伯爵一家とその召使いたちの数年間が描かれる。
グランサム卿の跡継ぎに予定されていた人物が、沈没したタイタニック号に乗船していたことが分かって一家は大パニックになる。グランサム卿には娘しかおらず、遠縁に当たる人物が邸宅を引き継ぐことになってしまう。果たしてダウントン・アビーの将来はどうなるのか。そして、この「遠縁」にあたる男性とグランサム家長女は恋に落ちるのか。
財産相続の行方、男女の恋物語、そして巨大な庭を持つお城のような邸宅に住み、毎朝、寝室から使用人を鈴一つで呼びつける貴族の贅沢な暮らしとグランサム伯爵一家を支える使用人たちの姿。「使う人」と「使われる人」という対照的な関係にある2つの階級に属する人々のドラマを盛り込んで、番組は大ヒットとなった。
テレビドラマとしては2015年に終了するが、その後で映画が3本制作された。最初の劇場版が2019年、2作目が2022年、3作目で締めくくりとなるのが「ダウントン・アビー/グランドフィナーレ」である(英国での公開は昨年9月)。
オリジナル脚本はジュリアン・フェローズ
「ダウントン・アビー」は脚本家ジュリアン・フェローズのオリジナル作品だ。
上流社会を描いた映画「ゴスフォード・パーク」(2002年)の脚本でアカデミー賞を受賞している。1949年、外交官の息子としてエジプトで生まれ、俳優、小説家、映画脚本家、監督になった。妻はケント公伯爵夫人の女官エマ・ジョイ・キッチナーで、90年の結婚後、ジュリアン・キッチナー=フェローズに名前を変えている。
ケンブリッジ大学やドラマ学校で勉学し、テレビ界で俳優としてのキャリアを積んだ後、「ゴスフォード・パーク」で一段と著名になった。ビクトリア女王を描いた「ヤング・ビクトリア」(2009年)のオリジナル脚本も書いた。
2012年、筆者はドラマの舞台になった大邸宅=ハイクレア城(英南部ハンプシャー州)をほかのジャーナリストたちと訪れた。ご関心がある方はブログをご覧いただきたい。
ただし、ドラマの中のダウントン・アビーは北イングランド・ヨークシャーにある設定だ。
「貴族」とは?
邸宅「ダウントン・アビー」に住む貴族一家の物語は、時代背景を知るとより面白くなる。
まず、英国の「貴族(nobility/peerage)」とは何か。どうやって貴族になったのだろうか。その起源は中世に遡る。もともと貴族とは、王室に近い人々、王に仕える有力者のことだった。
ノルマン征服が生んだ貴族制度
英国の貴族制度の基礎を築いたのが、1066年の「ノルマン征服」である。フランスのノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服し、ウィリアム征服王として即位した。彼は征服に従った騎士たちに広大な土地を与え、これが貴族制度の始まりとなった。
ここから封建制度が確立していく。王から土地を授かった貴族(封土)は、その見返りに軍事的奉仕や助言を提供する義務を負った。つまり、「土地=権力=貴族の地位」という構造が生まれたのである。
貴族院ができていく
13世紀以降、国王は重要な決定をする際に有力貴族を集めて諮問するようになり、これが貴族院(House of Lords、「上院」)の起源となる。

同じころ、「庶民」の代表が議会に参加し、現在の「庶民院」(House of Commons、「下院」)に発展していく。「庶民」といっても、私たちが今考えるような「一般市民」ではなく、貴族、聖職者、地域の代表者、大地主などだ。
その後、20世紀までに次第に範囲が広げられていく。
爵位によって、上下ができる
ダウントン・アビーの主人公はグランサム伯爵一家だが、貴族の中でもいくつかの種類がある。
先に、貴族とは「もともとは王室に近い人々、王に仕える有力者」と説明したが、君主は貴族たちに世襲の称号と地位を授けた。軍事的功績、政治的貢献、あるいは王への忠誠などを理由とした。「称号」とは「xx公爵」「xx伯爵」といった、特定の名前と階級を示すものである。
称号は単なる名称ではなく、法的・社会的な地位や特権が伴い、父から息子へと代々受け継がれる世襲制だった。王室が正式に認めた称号となるので、勝手に名乗ることはできなかった。
5つの爵位
英国の爵位制度は 5階層で成立している。
まず、最高位の爵位が公爵(Duke / Duchess)だ。 中世から存在し、王家に最も近い有力貴族に与えられた。 非常に少数で、現在でも30家程度しかない。
これに次ぐのが、侯爵(Marquess / Marchioness)。もともとは辺境地域(marches)を守る領主に与えられた。
次が伯爵(Earl / Countess)。ダウントン・アビーのグランサム伯爵はこの爵位である。数は比較的多く、数百家といわれている。
その下が子爵(Viscount / Viscountess)で、もともとは伯爵の代理を務める役職だった。
最後が男爵(Baron / Baroness)で、ノルマン征服時に、征服王に従った騎士たちに与えられた。
多くの爵位は地名と結びついており、グランサム伯爵は英語では「Earl of Grantham」で、イングランド東部リンカンシャー州の町グランサム(実在)と結びつく。もともと、その地域の領主であったことを示す。
1910年代の貴族の構成
ダウントン・アビーの時代(1910年代)には、貴族は非常に多様なバックグラウンドを持っていた。
ノルマン征服や中世から続く家系で、何百年も同じ土地を所有してきた「古い貴族」は血統を非常に重視し、新興貴族を見下す傾向があった。
16〜18世紀、議会での活動、戦争での功績などで爵位を得た「近世の貴族」は元は政治家や軍人などだった。その一つがマールバラ公爵家。これは1702年の創設で、第2次世界大戦時の首相チャーチルの先祖である。
19世紀になると、産業革命の影響で、新貴族が生まれる。産業や金融で成功した人々が爵位を得るようになった。
ヴィクトリア女王(1837-1901在位)と首相たちは、多くの新しい爵位を創設した。例えば、鉄道王や銀行家が男爵位を得る、政治家が引退後に貴族に叙される植民地経営や外交での功績を評価されるなど。
伝統的な貴族たちは、「成り上がり」の新貴族を軽蔑した。特に、「商売で金を稼いだ」人々は「商人」として見下されたといわれている。
20世紀に入ると、首相が政治的な理由で爵位を与えることが増えていった。政党への献金者が爵位を得るという、露骨な「爵位の売買」も問題になった。
爵位の継承
ダウントン・アビーの映画でドラマの出発点となったのが、爵位継承問題だった。伯爵には息子がおらず、相続人の従兄弟とその息子がタイタニック号で死んだため、遠縁のマシュー・クローリーが相続人になった。
爵位と土地は、長子相続が原則で、通常長男が継承した。女性はほとんどの爵位を継承できず、多くの貴族家では、土地と爵位を切り離せないように法的に縛っていたため、土地を売却したり、女性が相続したりすることが防がれた。
映画の時代に変化した貴族院
1910年代の状況
すべての貴族は、爵位を継承すると自動的に貴族院の議席を得た。1910年代には約600人の世襲貴族議員がいた。当時は 圧倒的に保守党支持で、自由党や労働党の改革に抵抗した。
1911年議会法後
1911年議会法により、貴族院の権限は大幅に削減されたが、世襲貴族は議席を保持し続けた。
その後の変化
1958年、功績のある人物(政治家、学者、芸術家、実業家など)を貴族院に招き、立法に貢献してもらうため、「一代貴族(life peer)」が導入された。爵位は世襲できない。男女問わず貴族院議員として参加可能になった。
1999年、労働党ブレア政権の改革によって、世襲貴族の議席が大幅削減された。世襲貴族のほとんど(約650人)が貴族院の議席を失った。
現在は92人の世襲貴族だけが貴族院で議席を保持している。残りの議員は一代貴族だ。
ただし、爵位そのものは今でも世襲され続けている。議席を失っても、「公爵」「伯爵」などの称号は使い続けられている。
現代の貴族
今でも500〜800家程度の世襲貴族家が存在し、称号を使っているが、1910年代のような政治的・経済的権力はほとんどない。伝統や文化の象徴として、あるいは観光資源として機能している。
経済状況は、一部の貴族家(グロヴナー公爵家、ウェストミンスター公爵家など)は今でも莫大な富を持つ一方で、多くの貴族は経済的に苦しく、邸宅を一般公開したり、別の仕事をしたりして生計を立てている。
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英国の貴族の誕生から現在までの基本情報を記してみた。
次回は1910年代のダウントン・アビーをめぐる社会状況をもう少し深く見てみよう。グランサム家のドラマを見ていると、時代が変わり、特権的存在としての貴族の社会的位置づけが次第に変わっていく様子が分かる。
ドラマが始まる1912年という時代設定はまさに「古い世界の終わり」の直前という、象徴的な時期だった。次回の記事では、社会の中で貴族が占めた位置、そしてなぜ衰退していったのかについて探ってみたい。
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最後に、エリザベス女王のジョーク
その前に、エリザベス女王1世(1533-1603)にまつわるジョークを紹介したい。
いろいろなバージョンがあるのだが、機知に富んだ女王として知られていたエリザベス1世(1533-1603)と廷臣の物語バージョンをお伝えする。
ある廷臣がエリザベス1世の前で謁見の際に深々とお辞儀をしたところ、緊張のあまり不運にも放屁をしてしまった。恥ずかしさのあまり、彼は宮廷を去り、田舎の領地に引きこもって5年間を過ごした。5年後、ようやく恥も癒えたと思い、意を決して宮廷に戻り、再び女王の前に出た。彼が「陛下、私のことを覚えておられますか?(Do you remember me?)」と尋ねたところ、女王は機知に富んだ微笑みを浮かべてこう答えた。「もちろん覚えておりますとも。あなたの放屁のことは、すっかり忘れておりましたが(I had quite forgotten your fart)」。




