小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

(「新聞研究」3月号掲載の筆者記事に補足しました。)


違法取材を認め、和解が成立

 今年1月22日、英大衆紙サンなどを発行するニューズ・グループ・ニューズペーパーズ(NGN)社は英チャールズ国王の次男ヘンリー王子と元労働党下院議員トム・ワトソン氏に対し、電話盗聴などの違法な取材行為とプライバシー侵害があったことを謝罪した。

 王子とワトソン氏は違法取材によって被害を受けたとしてNGNに損害賠償を求めていたが、審理が始まる直前になって両者は和解に至り、NGNは王子らへの「実質的損害賠償金」の支払いに合意した。原告側の弁護士は和解を「画期的な勝利」と評した。

 過去十数年にわたって継続してきた、王子らによる複数の大衆紙での報道に対する一連の法廷闘争はひとまずの決着を見た。

大衆紙に立ち向かった、孤高のドン・キホーテ

 英国の大衆紙は著名人の私生活暴露を「売り」の一つとしながら、部数を増やしてきた。国民の愛着と羨望の的となる英王室一家も過熱取材やゴシップ記事の対象となってきたが、王家のメンバーが提訴によって報道の責任を問う例は稀だ。報道の自由への干渉という批判を受ける可能性があると同時に裁判の審理過程で私的な事情をさらに公開せざるを得なくなる場合もあるからだ。また、大衆紙報道には事実の誇張や捏造に近い情報も含まれるため、まともに反論・反撃しても無駄という見方が根強い。

 大衆紙の発行元相手に提訴したヘンリー王子は、嵐に立ち向かう孤高のドン・キホーテ的存在だった。法廷闘争の経緯を振り返りたい。


電話盗聴事件から大衆紙廃刊へ

 2005年秋、ヘンリー王子の兄にあたるウィリアム王子(現皇太子)の膝のけがに関する記事がニューズ・インターナショナル(NI)社(現ニューズUK)が発行していた日曜大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(NOW)に掲載された。ニューズUKはNGNの親会社である。

 ごく限られた数の人間だけが知り得る情報がなぜ報道されたのか。王子の側近がロンドン警視庁に連絡を取り、携帯電話への不正アクセスがなかったかどうかの調査を依頼した。NOW紙の王室報道担当記者と私立探偵が不正アクセスで有罪となり、実刑判決が下った。当時の編集長は違法行為については知らなかったと言いつつも、引責辞任した。

 左派系高級紙ガーディアンはその後も取材を続け、不正アクセスの対象が著名人、政治家、行方不明となった少女にまで広がっていたと報道した。これを受けて2011年7月、NOW紙は廃刊された。しかし、被害者の数が増える中で違法取材行為は発行元の「組織ぐるみ」だったのではという疑念が出てきた。編集及び経営幹部が下院の委員会に召喚されて、責任を問われる事態に至った。NOW紙廃刊から数日後、キャメロン保守党政権は新聞メディアの文化、慣行、倫理を問う独立調査委員会(「レべソン委員会」)を設置している。

 その後の報道や警察の捜査でNI社が発行する日刊大衆紙サン、そしてほかの新聞社が発行する大衆紙でも違法な取材行為が行われていたことが発覚し、被害者となった著名人や政治家らに対し複数の発行元が賠償金を払うことで和解する例が続出した。


全面的謝罪を引き出す

 NGN社は先にNOW紙での違法取材行為を認め、廃刊させているが、サンでの同様な行為や「組織ぐるみの事実を隠ぺいするために大量の書類を破棄した」という王子らの主張は否定してきた。約1300人に上る被害者には和解金を払い、その金額は裁判費用負担も含めて少なくとも10億ポンド(約1929億円)と言われている。最後に残っていたのがヘンリー王子とワトソン元下院議員だった。

 王子は1996年から2011年にかけてNGNが発行する媒体に掲載された200余の記事が違法な手段を使って入手した情報に基づいていると主張。ワトソン氏は大衆紙による電話盗聴事件を調べていた約15年前、自分の携帯電話が発行元に盗聴されていたと述べていた。

 和解時、NGNは声明文を発表している。同社は王子とワトソン氏に対し、NOWでの違法な取材行為について「全面的に謝罪する」。王子にはサンでの「重大なプライバシー侵害」について謝罪し、違法な取材行為はサンでは発生していなかったという前言を翻し、「私立探偵による違法行為」があったことを認めた。また、王子の私生活のみならず、王子の母ダイアナ元皇太子妃(1997年、交通事故死)の私生活の「重大な侵害」についても謝罪した。母が亡くなったとき、王子は12歳。大衆紙の過熱報道が母を苦しめ、交通事故による死に追いやったと主張してきた。NGNが支払う賠償金の金額は明らかになっていないが、約1千万ポンドと噂されている。


和解理由は?

 なぜNGNは和解に応じたのか?

 英メディアの複数の記事によると、約2カ月続くと見られた今回の審理でNGNの経営幹部や関係者が裁判の場に出ることを防ぎ、自社の評判悪化を避ける目的があった。違法取材行為があったと今回認めたサン紙の編集長だったレベッカ・ブルックス氏は、現在NGNの最高経営責任者である。2011年、電話盗聴問題をめぐってNI社(当時)で危機管理を担当したウィル・ルイス氏は米ワシントンポスト社の最高経営責任者に就任している。

 王子らの弁護士は、和解を機に国会が調査を開始するよう呼びかけた。ワトソン元議員もロンドン警視庁による捜査開始の期待を述べた。しかし、20年近く前に発生した大衆紙による不正アクセス事件について警察の人的資源や税金を投じるよう求める声は未だ出てきていない。




# by polimediauk | 2025-04-07 15:02 | 新聞業界