小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
 欧州に押し寄せる難民・移民の様子が、欧州各国でトップ記事として報道される日々が続いている。

 ハンガリー、オーストリアを経由してドイツ・ミュンヘン市に到着した難民たちは5日 、市民らの拍手で歓迎を受けた。水やお菓子を渡した市民もいた。現場中継をしていたBBCのリポーターが「こんな光景は見たことありません」と驚きの声をあげる。

 メルケル独首相は昨年の約4倍に相当する最大80万人の難民が今年流入する可能性があると表明している。

 イツは難民を受け入れる体制ができていると主張しているが、反移民・極右派による難民収容施設への攻撃が今年だけでもすでに200件発生している。

約70%のスウェーデン市民が難民・移民に前向きの見方

 英インディペンデント紙(5日付)に掲載された「ユーロスタット」の調査によると、ドイツ国内で難民流入に対する意見は大きく分かれている。

 旧西ドイツの市民の36%が流入がもたらす影響に危惧を抱いているが、旧東ドイツの市民の間ではこれが46%に上昇する。

 欧州連合(EU)の加盟国の中で、EUの外の地域からの人の流入に対し市民の大部分(71-77%)が肯定的な見方をしているのはスウェーデンだけであった。

 肯定的な意見を持つ人の比率が最も低いのがイタリア、チェコ、スロバキア、エストニア、ラトビア(それぞれ15-21%の間)。

 ハンガリー、ブルガリア、ギリシャでは、肯定的な見方をする市民は全体の22-28%だった。反外国人感情が強いこうした国で、何故政府が難民受け入れの割り当てを拒んだかが分かる。

 スロバキアのロベルト・フィツオ首相は最近、このような発言をした。スロバキアは「キリスト教国なので、イスラム教徒の難民は受け入れたくない」。今回欧州にやってくる難民・移民の中で、シリアからやってくるイスラム教徒が多いことを踏まえての発言だ。人種・宗教・性別で人を差別した発言と見られても仕方ない。

 一方、EUの中では人口密度が高い英国、アイルランド、フランス、スペイン、ベルギーでは非EU加盟国からの難民・移民の流入に対して前向きの見方をする人の割合は49-29%だった。

東欧と西欧との考え方の違い?

 旧東欧諸国と西欧諸国との移民に対する考え方の違いを指摘する人もいる。5日放送された、BBCラジオの「海外特派員から」という番組の中で、特派員の1人が旧東欧の国の市民の見方を紹介している。「東欧圏にいたときは、移民が実質的に発生しなかった。西欧圏を訪れて、移民がたくさんいることを知った」。この市民は移民が多い国の現状を否定的に受け止めていた。

 西欧諸国では、文化の多様性、社会の価値観の多様性は良いこと、奨励されるべきことと考えられてきた。難民は人道的面から助けるべき人々であり、移民は経済を活性化するために、かつ多様性を深めるためにも、悪いことではなかったーーただし、元からいる国民の生活を脅かさないよう、一定の歯止めをかけながら、である。

 EUに加盟すれば、EU域内での人の出入りは自由になるが、特定の国に人が急激に集まることはないはずだった。

 しかし、ここに来て、急増する難民・移民たちの群れはいまだかつてないほどのプレッシャーを欧州各国に与えている。「一定の歯止め」をかけたり、十分に事前に準備したりする暇はない。即断即決が必要とされる。難民・移民たちの様子を伝えるメディアが、そして取材に応じる難民・移民たちが待ったなしの即決を各国政府に迫る。

 4日、ハンガリー、オーストリア、ドイツの首脳らは、例外的にドイツに難民らを受け入れる緊急避難措置を決めた。その後5日にかけて、ハンガリーに足止めされていた難民らがウイーンやドイツの都市に到着し始めた。

 押し寄せる難民・移民を止める策が見つからないまま、EUはより公平に難民らを受け入れざるを得ない状況に置かれている。

 一部の報道では、欧州委員会のジャン・クロード・ユンカー委員長は割り当て受け入れ制度に参加しない加盟国には罰金を課すことも考えているという。


 
# by polimediauk | 2015-09-07 16:37 | 欧州のメディア
 ブログサイト「BLOGOS」と松竹映画が共同で主催した映画「日本のいちばん長い日」の試写会に、先月末、足を運んだ。真夏の盛りの1日で、汗だくで東京・銀座の松竹の試写室に入った。

 戦後70年ということで、2015年現在の自分にとってこの映画がどう映るのかを確かめてみたかった。上映後のジャーナリスト田原総一郎氏と漫画家小林よしのり氏のトークにも大いに興味が湧いた。

 皆さんご存知のように、映画(原田眞人監督)は作家半藤一利氏のノンフィクション「決定版 日本のいちばん長い日」(文春文庫)が原作だ。1967年には岡本喜八監督が三船敏郎氏の主演で映像化している。

 戦争、そして日本でいちばん長い日と言えば、1945年8月15日の終戦記念日のことだ。降伏するのか、本土決戦を選ぶかを巡って、政治家たちが苦悩する日々をドラマ化している。

 公式サイトの紹介や物語の筋を読むと大体の流れが分かるが、15日の昭和天皇による玉音放送までのてんまつは、日本人であれば、知らない人はいないといってよいだろう。

 何故この映画が、今、作られたのか?

  戦後70年と言うことが背景にあるようだが、原田監督のBLOGOSでのインタビューを読むと、以前から構想があり、「昭和天皇を魅力的な人間として描きたい」という思いがあったという。昭和天皇が主役の映画「太陽」(2006年)でイッセー尾形が演じた天皇が「違うな」と思ったそうだ。

 戦争をテーマにしている、終戦にまつわる報道が増える夏に公開・・・と聞いただけで、戦争を好意的なトーンで描くのかな、だとしたら、それは一体どうなのか、とひねて考えてしまう自分だが、この映画については、すっと抵抗なく物語の中に入っていけた。

 一つ、映画を観ていて、「ああ、これは見たことがある」という思いを持ったことがある。政治家や軍人がこの先をどうするかをなかなか決められない中、天皇による「ご聖断」を待つ動きに、東京五輪に向けての新国立劇場建設についてのドタバタが重なった。誰も責任者がいないようで右往左往する、2015年のスポーツ関係者の動きだ。

 70年前の止むに止まれぬ状況と、現在の政治家やスポーツ組織の上層部の迷走振りを並列させるなんて、滅相もない話なのだろうけれどー。2015年の今だから、こんなことを言えるのだろうけれど。

 途中で、若い兵士たちが徹底抗戦を望んで、クーデターを試みる。その血気盛んな様子を見ていて、非常に悲しくなった。最期は結局、無理だったことが今となっては分かるせいだろう。今日まで米国と言う敵を倒すことに全身全霊を傾けていて、明日から終戦と言われても、納得がいかないだろうし、体もそうはいかない。

 話の展開を追うことに集中していたら、座席から飛び上がるほどに驚いたのが、爆撃されたときの音だ。東京大空襲の後の焼け野原の様子もありありと映された。原爆落下も。東京の試写室に座っているだけの自分だが、すさまじさを感じたし、怖いと思った。こういう場面を体感するだけでも、この映画を観る価値があると思った。

 最期は昭和天皇のご聖断で映画は静かに終わる(本木雅弘氏の演技が秀逸)。

 映画が終わる頃、私の頭は「何故」で一杯だった。それは、先ほどの「ドカン!」という爆撃・爆弾落下の音や映像による衝撃がまだあったからだ。悲惨な焼け野原の光景も見た。当時、米国は敵だった。それなのに、70年後の現在、日本人は米国が大好きのようである。何故なのか。いつから、どうやってそうなったのだろう?

「敵=米国」から、「米国、大好き」へ

 皆さんも不思議に思ったことはないだろうか?日本人の米国好きについて。

 70年前の日本では米国は敵だった。それが何故、現在に至るまで、米国への大きな好感が日本に存在するのだろうーこれが大きな疑問だった。国によっては、現在に至るまでも旧敵国を憎み続ける場合もあるのだから。

 広島、長崎に原子爆弾を落とされた衝撃は相当のものだったはずだ。どうやってこれを呑み込んで、先に進めたのだろう?

 私が(勝手に)理解しているところでは、戦後、米政府(進駐軍政府)による、徹底的な軍備排除政策及び親米策がとられたからだと思っている。しかし、それ以外にもたくさん理由があるだろう。

 敗戦国としての日本ばかりか、ほかの多くの国にとっても、経済的にはるかに豊かな国、米国は憧れの国として映ったはずだ。

 日本の場合は、他に何か理由があるのだろうか?

 そこで、上映が終わった後、田原氏に「何故そうなったのか」を聞いてみた。その時の様子はBLOGOSの記事に掲載されている。

 同氏によれば、3つ理由があった。一つは「憲法」、「日本国民は民主主義という考え方にしびれた」、「日本は戦後、経済復興に力を入れるようにされたから」だった。国防については考えなくても良いような政治がずっと続いてきたのである。

 以下、原文を書き取った部分である。(文中の「小林」は「小林よしのり」氏のこと。)

田原:日本人がアメリカを好きになっちゃたのは、結局、小林(よしのり)さんがダメだと言っている憲法だね。

憲法にはアメリカにとって3つの目的があった。1つは日本を弱体化すると。再び戦争を出来ない国にすると。

もう1つは、日本を徹底的な理想的な民主主義の国にしたと。それで、言論・表現の自由、男女同権、基本的人権の尊重。これにね、日本人は相当しびれたところがある。「いいじゃないか」と。

そしてもう1つ。戦後日本は、経済の発展のためには、エネルギーのほとんどを使ったの。安全保障は、ほとんどアメリカに委ねちゃったんですよね。委ねて、なんとなく安心したと。そこがあるんじゃないですか。

安全保障をアメリカに依頼するってことは、実は外交の主権をアメリカに委ねちゃってるんですよね。今になって、そこに気がついて、さあ、どうするかっていう問題になっている。

# by polimediauk | 2015-08-26 22:13 | 日本関連
 神戸連続児童殺傷事件(1997年) の実行犯であった元「少年A」が書いたとされる「絶歌」。出版直後からずいぶんと話題が沸騰した。多く目に付いたのは「こういう本を出してはいけない」「被害者のことをどう思っているのか」という否定的なものだったように思う。「知りたい」「読んでみたい」と言えなくなるような雰囲気が、一時、あったように感じた。

 本が出版されるべきではなかった、遺族の感情を考えていない、十分な敬意が払われていない、お金儲けのためだろう・・・・それぞれの主張にはそれなりの正当性があるのだろうと思う。

 しかし、私は読んでみたかった。それは、1つには、1997年のあの殺傷事件が頭にこびりついて離れなかったからだ。

 ここでは詳細しないが、非常にショッキングな事件だった。

 事件のあらましを知ったとき、犠牲者となった男児や女児、それぞれの遺族の方への痛ましい思い、胸苦しさ、悲しさがあった。同時に、それと同じぐらいの強さで、当時14歳と言う少年の心中を思うと、胸が締め付けられるような感じがした。

 何故、加害者の心のうちなど気にするのかー?そう、それは確かにそうなのだが、こちらはどうしても何かをそこに読み取ろうとする。一体全体、いかほどのことがあって、あんな殺傷行為に走ったのか。

 また、どうしても「どこかの知らない人」がやった犯罪とは思えなかった。まるで自分の身内の1人がやったように感じるほど、身近に思えた。今回は少年Aだったかもしれないが、ひょっとしたら、自分の身内の誰かが殺傷行為をしたかもしれない、自分は止めることができただろうか、と。

 1997年と言うと、今の若い人にとってはもう昔のことで知らない・覚えていない人が多いかもしれない。

 しかし、当時は、「あの少年は自分の息子だったかもしれない」と思う母親たちがたくさんいた。そういう声がテレビや新聞、雑誌で取り上げられたし、母親たちの緊急集会なども開かれたように記憶している。私だけが自分のことのように感じたのではなかった。

 殺害者が14歳と言う年齢だったこと自体が、その若さ、幼さが衝撃だった。

 14歳と言えば思春期だ。もう小さな子供ではないが、大人でもない。急に背が伸びたり、声変わりをしたりする。家族の中で、この間まで子供と思っていた1人が、なんだか、別人のように思えてくるー。わが子ながら、わが子でないような。

 家庭の中の異人と化した息子に母親たちは少年Aの影を見た。

 少なくとも、私はそう記憶している。

 実際、そんな当時の熱風のような状態を、2015年の現在、この本について書くときに誰も指摘していないようなのが、非常に不思議である。当時、単なる殺人事件ではなかったし、「14歳」という年齢は非常に大きな意味を持っていた。誰しもが打ちのめされたのである。

 「一体何故、少年はあんなむごいことをしたのか」?私も母親たちもそう思った。何故かをみんなが知りたがった。

 そして、18年が経った。

 今年になって、ようやく、私たちはあのときの14歳の少年の生の言葉を聞くことができた(この本をあの少年が書いたものではないと言っている人も一部でいるようだが、ひとまず、彼が書いたものとして話を進める)。

 途中から、私は涙が止まらなくなった。少年の家族がどう反応しているかのくだりである。

 自分の子供がひどい殺傷事件を起こして、自分の元に返ってきたら、親としてどう対応するだろう?気持ち的にはどうなるだろう?

 書店の中には販売していないところもあると聞いたが、ぜひ手にとって、自分の目で元少年Aの言葉をたどってみて欲しいー特に、1997年当時、少年とわが子を一時でもクロスさせた親たちにとって、意義深いものになるのではないか。

 人を裁くとはどういうことか、罪はいつかは消えるべきものなのか、生きることはどういうことか、所定の刑期を終えた元少年Aには人間らしく生きる権利があるのだろうが、それは遺族や犠牲者にとってはどうなのか。自分が、あるいは自分の子供が加害者になったら、自分はどうするか?どうやって罪と向き合いながら、生きてゆくべきなのか。読みながら、そんなことを考えていた。
# by polimediauk | 2015-08-21 02:21 | 日本関連
 日本初のニュース専門インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム]を主宰するビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に、最近の政治によるメディアへの圧力、日本の政治メディアの現状について外国特派員クラブで聞いた(取材日は7月7日)。

***

「特権」という弱点をたくさん持つメディア

ー日本の政権とメディアの関係をどう見るか。

 これまで日本の歴代の政権はメディアの特権を容認し、メディアとの良好な関係を維持することで、共存を図ってきた。ロッキード事件やリクルート事件など、時折、政権中枢のスキャンダルが大きく弾け、メディアも「政府との良好な関係」などと言っていられない事態が起きることはあったが、私から見ると政権とメディアの関係は、表面的にジャブの応酬はあっても、底流では深く良好な関係が続いていた。

 しかし、安倍政権が、第一次政権の時にメディア対策を甘く見たことで、大きな痛手を受けた。懐柔したつもりでも、メディアはいざ支持率が下がったり、政権に逆風が吹き始めると、ものすごい勢いで攻勢に出てくることを、安倍政権は身をもって思い知った。少なくとも第一次安倍政権で首相を精神的に追い詰めた主要因の一つが、メディアの攻勢だったと見ていいだろう。

 安倍政権は1回目の失敗から多くを学んだ。その中の重要なものが、メディアは一瞬たりとも心を許せば、そこにつけ込んで来る、いざメディアにつけ込まれると、押し返すことが難しいということだった。そこでメディア対策を厳しくやることが必要だと痛感した。

 ただし、そこでいうメディア対策というのは、欧米で盛んに行われているような、PR企業のノウハウを駆使した、いわゆるパブリック・リレーションではない。一応、PR会社や代理店を使ったメディア対策は行っているようだが、日本ではそれよりももっと有効で手っ取り早いメディア対策がある。それが、メディアに直接圧力をかける方法だ。日本ではメディアが「特権」と言う名の弱点をたくさん持っているために、それがとても有効になる。

 政権は実際に圧力などかける必要はない。先ほども言ったが、実際に報道機関に圧力をかけて報道の内容に介入するのは、憲法で表現の自由が保障されている日本では容易ではない。

 しかし、メディアが政府が認めてくれる数々の特権に依存する限り、間接的な圧力で十分だし、それが有効となる。要するに「特権」の蛇口をちょっと閉める素振りを見せれば、メディアは少なくとも経営レベルではたちまち狼狽する。

ー今回の「つぶす」発言がそうかもしれない。

 まさにそうだ。

 実際につぶすことなどできるはずがないが、それを口にするだけで、日本では一定の効果が期待できる。そこが問題だ。

 「つぶす」発言には、メディア問題とは性格を異にしながらも同根の問題がある。なぜ自民党や政権が経団連に頼めば、経団連がそれを無視できないと考えるかといえば、政府が経団連に対して影響力を行使できる立場にあるからだ。

 数々の許認可や、法人税減税、消費税増税の際の税率軽減、TPP、派遣法の改正等々、経団連加盟の企業は政権のさじ加減一つで、自分たちの利益が大きく左右される立場にいる。加盟企業には旧来型の古い産業構造下にある企業が多いので、それをどこまで政府が守ってくれるかによって、大きく利益が左右されやすい。

アクセスの見返りに、好意的な報道を引き出そうとする政府

 また、メディアの特権としては先にあげた三大特権の他にも、アクセスの問題がある。

 これは記者クラブ問題と近接している問題ではあるが、政府は特定のメディアに対して「Preferred Access」(優先的アクセス)や、「 Privileged Access」(特権的アクセス)を認めることの見返りに、政権に好意的な報道を引き出す力を持っている。総理の単独インタビューはもとより、政権が持っている情報には報道機関にとっては価値の高い情報が無数にある。それを材料に、メディアに好意的な報道をさせることは容易だ。

 特に日本では、そもそも記者クラブ体制の下で、大手メディアは最初から優先的アクセスや特権的アクセスを得ている。つまり、最初から政権に対して脆弱な立場に身を置いているということだ。

 日頃からメディアは自らを律し、政府や政府から受ける特権に依存しない経営体質を構築しておかなければならない。平時に政権から特権を頂戴していると、いざというときに、政権がちょっと特権の蛇口を閉じる素振りを見せただけで、メディアは白旗をあげなければならなくなってしまう。特権に依存した経営体質を持つメディアが特権を失えば、たちまち干上がってしまうからだ。

 安倍政権の特徴は、過去の政権は、メディアが政府から多くの特権を受けていることは当然知っていたが、政権にとってはむしろメディアと共存する方が得策だと考えて、あえてそこにはちょっかいを出さないようにしてきた。メディアと全面戦争となれば政権も無傷ではいられない可能性が高いし、大手メディアが総力を挙げて共同戦線を張れば、政権の一つや二つは飛んでもおかしくない。

 どんな政権でもメディア利権に手をつければ、メディア全体を敵に回すことになる。政権にとっては何もいいことはない。しかし、逆に、一つ一つのメディアは意外に脆いことを、今回、安倍政権は見抜いたようだ。

 つまり、例えば記者クラブ制度を廃止すると言えば、メディアは総力をあげて抵抗してくるだろう。それは再販についても、クロスオーナーシップについても然りだ。

 しかし、例えば、優先的に総理に単独インタビューする機会を与えるとか、TPPに関するインサイド情報をリークするなど、メディアにとって大きな価値のある餌を眼前に吊せば、個々のメディアは意外と簡単に落ち、競って政権に好意的な報道しようとすることが、今回ばれてしまった。

ーでも、これをきっかけに、新聞や放送のメディアが、権力に委縮せずに批判する下地が理論的にはできたのでは?

 理論的にはそうだが、なかなかそうはいきそうにない。日本の既存メディアは政府に対して弱点が多すぎる。要するに特権を多く持っていて、インターネット時代を迎え、既存のメディアはこれまで以上にそうした特権を手放すのが難しくなっているのだ。

 これは他の国にも言えることだが、新聞とテレビの2大オールドメディアはいろいろな意味でネット時代に対応できていない。特に日本のメディアは享受している特権が大きいために、より競争の厳しいネットにフルに参入して競争することが難しい。

 そもそも特権によって護られてきた既存のメディアは人件費を含めコスト構造が極端に高いので、基本的な競争力がない。しかし、仮に競争力があったとしても、既存のメディア市場で大きな利益をあげてきた既存のメディアがネットにフル参入し、自由競争を前提とするために利益率がずっと低いネット市場でシェアを増やせば、それはより利益率が低い商品でより利益率の高い商品のシェアを食ってしまうことも意味する。自ら自分の尻尾を食っていく構造だが、ネットと既存メディアを対比した場合、尻尾を1センチ食べても、胴体の方は0.1ミリも延びない。ネットに力を入れれば入れるほど、特権的な儲かる商売を、自分から手放すというジレンマに陥ってしまう。

 例えば、今テレビで見れる番組がすべてネットで見れるようになれば、番組を見る視聴者の絶対数は減らないどころか、むしろ増えるかもしれないが、テレビの視聴率の低下による広告費の減少分をネットで補填することは不可能なばかりか、その10分の1も回収できない。それほどネットが厳しい、というよりも、それほど既存のメディア市場は美味しい。

会見は開放されたが

 記者クラブについては、これまで記者会見へのアクセスが記者クラブ加盟社に制限されていた問題が批判を受け、民主党政権で記者会見の多くが記者クラブ以外のメディアにも開放された。しかし、まだまだ問題は解決したわけではない。

 記者会見は開放されたが、それは記者クラブ問題のほんの一部に過ぎない。例えば、記者クラブというのは、政府の庁舎の中に記者クラブの加盟社だけが使える部屋を無償で提供されている。加盟社はそこに記者を常駐させ、会見の他にもレク、懇談などに自由に参加している。

 しかし、記者クラブに加盟できない社の記者やフリーの記者は、予め時間が決まっている大臣会見には参加できるが、随時行われるレクや懇談には参加できない。大手メディアの友人らの話では、記者会見がオープンになってしまったので、デリケートな話は会見ではなく、懇談など外部の記者がいない場で話されることが多くなったという。

 政府機関が特定の民間事業者のみに施設を提供し、同様のアクセスを希望する他の事業者への提供を拒むのは、行政の中立性から考えても問題は多いが、行政側も大手メディア側も、自らこの利権を手放そうとはしない。

 記者クラブメディアにとっては、これは情報への優先的アクセスだし、行政側からすれば、特定のメディアに優先的アクセスを与えることで、メディア操縦をより容易にしてくれるシステムなため、両者にとってメリットがある。

 行政とメディアがともに頬っかむりを決め込んでいる問題を解決するのは容易ではない。本気でこれを変えさせようと思えば、万全な体制を組んで裁判に訴えるほかないが、こっちもそんなことをやっているほど暇ではないし、そんな余裕もない。また、いきなり部屋をつかっていいという話になっても、すべての記者クラブにスタッフを常駐させるほどの人員もいない。

 結局、記者クラブというクローズドで特殊なシステムが存在することを前提に日本のメディア市場の秩序が形成されているため、ある日いきなりこれが変わっても、すぐに対応はできない。だから、記者クラブ制度のような、明らかに不当な、そして公共の利益に反する不公正な仕組みがいつまでも温存されてしまっているのは、日本にとって不幸なことだと思う。

統治権力に対する警戒心の欠如

ー外から見ると日本の政治メディアは権力と仲良くやっているように見える。礼儀正しい。それはシステムのせいなのか、それとも何か別の理由があるのか。

 もちろん、直接的にはシステムの問題だ。しかし、システムには元々、それを裏付ける社会の意思が存在する。社会の意思に反したシステムはいつまでも存在し続けることはできない。そこにはなぜそのようなシステムになっているのか、そしてなぜそれが容認されているのかという根源的な問題がある。

 単にシステムのせいではなくて、メディアを構成しているメディア関係者も、政治家や官僚も、そして市民社会全体としても、近代社会がどのような前提の上に成り立っていて、それがどのように回っていくことが健全なことなのかという基本的な問いに対する理解とコミットメントが欠けていると言うしかない。

 ただし、単純にこれを民度が低いとか、未熟だと言って、切り捨ててしまうのは間違っている。これは善し悪しの問題ではなくて、西洋と日本の考え方の違いだ、という主張もよく耳にする。

 ただ、そこには決定的に欠けているものが2つあると思う。

 1つは、統治権力に対する警戒心の欠如、もう一つはそれと表裏一体の関係にあるが、主権者意識の欠如だ。

 日本は戦前、当時の統治権力の暴走によって戦争に引きずり込まれ、全国民が塗炭の苦しみを味わった。それは日本のすべての人によって今でも共有されていると思うし、そう思いたいが、それは統治権力の暴走に対する警戒心という形ではなく、反戦とか戦争アレルギーといった形で日本人のDNAに刻み込まれてしまったように見える。

 つまり、統治権力の監視を怠った、あるいはそれに失敗したことの帰結としてあの戦争があったので、これからも統治権力の一挙手一投足は常に監視を怠ってはいけないという形での教訓ではなく、とにかく戦争につながるような政策を一切許さないという形でそれが残った。大変貴重な記憶ではあるが、結果的に戦争と直結しない統治権力の暴走については、日本人は総じて警戒心が弱いように見える。

 欧米のように、統治権力が暴走した結果、戦争を凌ぐ大虐殺や民族浄化のような残忍なことが国内で行われた経験がないため、いわゆる「悲劇の共有」が足りないことに原因があると説明されることが多い。

 また、今日の日本の民主主義は多くの血を流した市民革命によって得たものではなく、戦争に負けた結果、進駐してきたアメリカのGHQによって憲法ともども、棚ぼた式に上から与えられたものであることに問題があるという指摘もある。

 どちらの学説がより説得力があるかは各人の判断に任せるとしても、日本では、統治権力というものは不断の監視を行わないと、簡単に暴走するものであり、いざ暴走が始まったら、市民の力でこれを抑えることは難しいという考えが広く共有されているとは言えない。そのような悲劇を経験したことがないということは、民族としては素晴らしいことだが、それが近代民主主義の下では弱点になっているのも事実ではないか。

 それが、官僚機構の中にも、また大手メディアの中にも、下手に市民に政治参加などをさせるよりも、エリートに任せておいた方が国はうまく回るし、その方が大きな間違いはないという、エリート主義=愚民観が少なからずあるように思う。

 専門家に任せておいた方が特定の国家目的の達成のためには効率的かもしれない。しかし、その命題はそもそも大前提が逆立ちしている。

 国民は国家目的を達成するための道具ではなく、政府は国民の幸福実現のためのツールとして存在する、だから国民はしっかりと政府を操縦しなければならない、という大前提が共有されていないと、国家運営のような難しい仕事は偉い人に任せておいた方がいい、というような他力本願が支配的になってしまう。

 メディアの世界にもそのような考え方が根底にあるように思う。つまり、国家運営は官僚などの偉い人に委せ、何を報じ何を報じないかは、われわれエリート記者の判断に任せておいた方がいいのだという、考え方だ。

 だから、大手メディアに所属していない、得体の知れない報道機関の記者やフリーランスの記者などは、自分たちが長らく聖域として護ってきた政治や行政の世界に入ってこない方が、日本のためだくらいに思っているのではないか。

「偉い人にまかせておけば万事うまくいく」の罠

ーそのような状況は、ジャーナリズムにとって悪いことだろか?

 どういう社会を望むかが個々人の価値観によるのと同じように、どういうジャーナリズムを好ましいと考えるかも、個々人の価値観に依存する。しかし、現在の日本のジャーナリズムのシステムにどんな問題が存在するかは明らかだ。

 「偉い人にまかせておけば万事うまくいく」というような「エリート主義+他力本願=おまかせ主義」を肯定してしまうと、すべてが内輪で完結してしまい、外部からの監視を受けないために、癒着や腐敗が横行することが避けられない。メディアについても、その体質がメデイア全体の堕落につながっていることはまちがいない。

 大手報道機関に所属する記者の誰もが、特定の大手報道機関が政府情報に特権的なアクセスを持ち、彼らが何がどう報じられるべきかを判断し、国民はそれをありがたく受け取ればいいと考えているとは思わないが、残念ながらこれまでの日本のジャーナリズムのシステムはそのような考え方を前提としたシステムになっていると言わざるを得ない。

 もし大手メディアの記者たちにそれだけの使命感があるのであれば、それはそれで結構なことだが、それでは競争も起きないために記者の能力は上がらないし、記者クラブ固有の横並びの報道が続くことになる。恐らく、結果的に誰も幸せにならない。

 また、今日、そうした特殊な温室の中で温々とやってきた既存のメディアの記者たちが、突如インターネットの登場によって市場競争に晒されると、実はジャーナリストとしての基本的な競争力が欠如していることが露呈してしまっている。

 記者クラブの記者たちを見ていると、日頃から本当の意味での競争を経験していないので、どうすれば他社と差別化ができるのかとか、どのような取材・報道をすれば独自の視点を提供できるかといった、ジャーナリズムの最も基本的な素養が身についていない記者が多いことに驚かされる。

 そうしたノウハウは、日夜、市場競争に晒されているあらゆる産業分野では大昔から当たり前のように要求されてきた能力だったが、ことメディアについてはあまりに寡占度が高いために、そのような基本的な競争力が備わっていなくても、これまでは通用したかもしれない。

 インターネットによって既存メディアの寡占の前提だった伝送路が開放され、メディアが普通の産業として競争していかなければならなくなった。

 既存のメディアにとっては受難の時代だと思うし、これまでジャーナリズム機能を一手に担ってきた既存のメディアが弱体化すれば、一時的にはジャーナリズムの力も低下するかもしれない。

 しかし、このメディア革命が結果的に市民社会にとっていいものだったと言えるかどうかは、一重にこれからの私たちの出方にかかっているのだと思う。ただ、どっちにしても一つはっきりしていることは、時計の針を後ろに戻すことはできないということだ。

(取材:東京の外国特派員クラブにて)
# by polimediauk | 2015-08-05 05:58 | 政治とメディア
 インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を主宰するビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に、最近の政治によるメディアへの圧力、日本の政治メディアの現状について聞いた(取材日は7月7日)。カッコ内は筆者による補足。

***

 このところ、大きな話題を集めたのが、例の新聞を「つぶす」発言が出た自民党の会合だった。6月25日、安倍首相に近い若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」の初会合が自民党本部で開催され、これまでにない強い口調のメディア批判があったという。朝日新聞、毎日新聞、沖縄タイムズなどの報道によると、「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番だ。文化人や民間人が不買運動などを経団連に働きかけて欲しい」と言った議員がいたほか、講師として呼ばれた作家百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞者は頭にくる。つぶさないとけない」と発言したという。同氏はその後のツイッターで、「本当につぶれてしまってほしい新聞」として朝日、毎日、東京新聞をあげた。まず、この問題から、神保氏に聞いてみた。

文化芸術懇話会の会合の本当の意味とは

ー安倍政権や自民党のメディアへの圧力については近年も幾つか目立つものがあったが、まず、今回の「つぶす」発言をどう見ているか。

神保哲生氏:自民党の文化芸術懇話会の性格が、必ずしも正確に理解されていないと思う。

 一部では私的な会合でのオフレコ発言がメディアに報道され、それが問題になるのはおかしいとの主張があるようだが、あの会合を単なる私的な会合と考えるには無理がある。

 確かに、あれは自民党の当選1、2回の若手議員の会合であり、政府の正式な会合でもなかったし、党の正規の部会や委員会の会合でもなかった。あくまで若手議員たちの私的な勉強会という位置づけということになっているようだが、しかし、実際は安倍チルドレンと呼ばれる、首相を支える立場にある若手国会議員の集まりで、しかもそこに首相に非常に近い立場にある、党と政権の幹部の二人が参加していた。

 一人は安倍さんの特別顧問を務める萩生田光一さん。萩生田さんは特に自民党でメディア対応の窓口となっている人で、前回の総選挙の直前に、萩生田さんの名前で、報道機関に対して公立中性な報道を要請する書簡が届いたことは周知の事実。

 その書簡は、中立性を損なったとしてテレビ朝日の報道局長が国会に証人喚問された件((注:「椿事件」:1993年にテレビ朝日が放送法で禁止されている偏向報道を行ったと疑われる事件)を「以前にこういうことがあった」という形で仄めかすことで、放送局を威嚇する内容だった。

 会合に参加していたもう一人の首相側近は、加藤勝信官房副長官。官房副長官なので、日頃から総理官邸で首相を補佐する立場にある。いずれも首相と日常的に直接会っている人たちだ。

 萩生田さんは4回当選で、加藤さんは5回当選なので、本来は今回の若手の会合に顔を出すような立場の人ではない、言うなれば大物だ。他の参加者がいずれも1、2回生だったことから、安倍さんの若手応援団の会合に首相の代理としてその側近中の側近の2人が参加しているというのが、あの会合の位置づけだった。ちなみに自民党の1、2回生というのは、いずれも安倍政権になってから初めて当選した人たちだ。

あえて政権中枢の大物を招いた

 つまりその会合には、あえて官邸と党の首相側近の二人が招かれていた。もしあれが若手議員だけの集まりであれば、メディアも取材はしていないかもしれないし、その場での発言内容があそこまで大きく報じられることもなかっただろう。

 しかし、あえて政権中枢の大物を招いて、なおかつあえて、保守的な立場から物議を醸す問題発言を繰り返している著名なベストセラー作家の百田さんを呼んでいる。そうすることで、意図的に会合の注目度を高めている。つまり、そこでの発言をあえてニュースに取り上げられやすいように、しっかりと「メディア対策」を講じているということだ。

 しかも、聞いたところでは、あの会合はメディアに頭撮り(注:冒頭部分をメディアに公開し、映像や写真の撮影を認めること)をさせている。これもまた、メディアに取り上げてもらうことを意図した「メディア対応」をしているということだ。

 会合の参加者などからは、会合自体は非公開であったにもかかわらず、記者が壁耳(記者が壁に耳を当てて部屋の中の話を聞くこと)をして内容を盗み聞きしたことに対する批判も聞かれたようだが、それもおかしな話だ。

 あえて話題作りのための様々な設定を施し、メディアに頭撮りまでさせた上に、会合ではわざわざマイクを使って、外からでも声が聞こえるように大きな声で話していた。私的な会合で、外部に聞かれては困る話を、マイクを使って大声でやるだろうか。

 要するに、どう見ても「私的な会合」とはとても言えないような設定を、自ら率先して図っていたということだ。

 これは、頭撮りの段階で既に今日は徹底的にメディア対策を議論するぞ、というポーズとも脅しとも受け止められる発言をしてみせることで、「統治権力はメディアのことを厳しく監視しているし、その対策も色々考えているぞ」というメッセージを発するところにその目的があったと考えるのが普通だ。

 もしそれを意識せずにやっていたとすれば、あまりに素人すぎて、お話にならない。国会議員や政権というものが持っている権力の存在をおよそ認識できていないことになり、政治家失格と言わねばならない。

 もしそれを意図的にやっていたのであれば、発言が暴走気味になったことが批判されたくらいで、簡単に旗を降ろしてしまうとは、何とも情けない。

 首相に近い人たちが参加する政権与党の政治家の会合で、メディアへの圧力のかけ方がまことしやかに議論された。そして、そこでのやりとりが問題になると、あれは私的な会合だったと言い訳するのは、権力の座にある者としては、あまりにも見苦しい。

 最近は安保法制の国会審議で、憲法学者が口を揃えてこの法案を「違憲」と断じて以降、大手メディアも勇気づけられたとみえて、いつになく安倍政権に対して批判的な報道を続けている。

 それが政権を逆風に晒している一因となっていると考えた政権周辺の人たちが、メディアを牽制するための1つの手段として、あのような会合を企画したところ、逆に、やぶ蛇になってしまい、かえって批判に拍車が掛かってしまった。まあ、だいたいそんなところではないか。

 しかし、それにしても、言っていいことと言ってはいけないことの区別が付いていない人たちがあんなにいるということには、正直驚いた。

 あの会合での発言は問題外の発言なので、それを批判をすること自体は大切だが、それはあまりにもレベルの低いところの議論でしかない。

 この問題はもっとずっと根が深い。だから、問題発言をした政治家を批判するだけで終わってしまってはだめだ。

メディアが圧力に脆いことに気づいた政権

 安倍政権になってから、メディアに対する露骨な圧力が目立つようになった。これは安倍政権が、日本の大手メディアが意外と圧力に脆いことに気づいた結果だと思う。

 実際に経団連に頼んでメディアへの広告の出稿を減らしてもらうことなど、現実的ではないし、経団連に広告を減らすよう言ったところで、経団連の会員企業が実際に広告を減らすとはとても思えないし、沖縄の新聞を潰す話にしたって、彼らに認可業種でもない新聞を潰す手立てなど何もない。

 しかし、政権与党がそのようなメッセージを発すれば、メディアは厭が応にもそれを意識するようになる。

 いざ真正面から圧力がかかればメディアも抵抗するだろうから、実際に圧力をかけて報道内容を変えさせることは容易なことではないが、特に日本ではそうした発言でメディアを萎縮させ、自主規制を引き出すことがそれほど難しくないことに、権力が気づいてしまったような気がする。

 今回の若手の会合は批判を受け、それが安倍政権にとっても支持率の低下など、よりいっそうの悪影響を与える結果となった。しかし、長期的にそれがどのような波及効果を生むかは、現時点ではわからない。

 目先では百田氏に対する批判とか、参加していた議員の発言への批判とかが目立ち、結果的に政権与党にとっては誤算となっているが、「この政権は常にそういうことを考えながら、メディアを厳しくウォッチしているぞ」というメッセージだけは、確実にメディアに伝わっている。その意味では、長期的にはこの会合を開催した当初の目的は果たしていると見ることができるからだ。

メッセージ効果

ーメディアを怖がらせてしまった?

 あれしきの発言で萎縮する記者はいないだろうが、メディア企業の経営陣に対する一定のメッセージ効果はあったのではないか。

 テレビ朝日の「報道ステーション」とか、TBSの「報道特集」のように、大手メディアの中にも現時点では安倍政権に対して厳しいスタンスの報道を続けている番組がいくつかはある。

 同じ放送局の他の番組では必ずしも同様の政権批判スタンスを取っていないことを見ると、これらの社内にも色々な考えがあることが窺える。例えば、社内で政権批判路線を快く思っていない人が、今回の一件でスポンサーがびびりだしているなどと言って、政権批判を控えるべきだと主張し始める可能性は十分にある。

 今回の会議自体はやり方も稚拙だったし、内容がひどすぎた。しかし、これを安倍政権になってから続いている、ある種の「メディア・コントロール」の一環として理解することは重要だ。

 文字通り、飴と鞭を使ってメディアをしっかり押さえることが、政権を安定させ、政権が持つ政治的なアジェンダ(達成目標)を実現する上では不可欠であることを、安倍政権は前回の政権時に痛いほど思い知ったのだろう。今回、安倍政権が戦略的にメディア対策を行っていることは間違いない。

 統治権力がメディアに手を突っ込むことには警戒が必要だが、どこの国でも政権はメディア対策に力を入れるものだ。安倍政権のメディア対策は、決してそれほど高度なものとは思わない。しかし、特に長年政治とメディアの蜜月が当然視されてきた日本では、メディアの側がそれしきのメディア対策にも太刀打ちできていないところが、とても心配だ。

日本における、報道の「中立性」とは何か

ー政治家が特定の報道メディアの取材を拒否する、あるいは政党が報道番組への出演を「公平さを欠いている」という理由で出演を事実上拒否するというも近年、あった。そのほかにも似た様な事例があるが、今回の例も含め、政治が戦略的にメディア対策を進めているということか。

 安倍さんあたりは戦略的に動いているというよりも、心底、日本のメディア報道が偏向していると思って怒っている可能性はあるが、そもそも首相のそうしたキャラクターも含めてメディア対策を考えるべきだ。

 安倍さんは「ニュース23」という番組に出た時に、街頭インタビューを聞いて、自分の政策を批判する人が多く出ていたことに怒りを露わにした。政策を支持する人もいるはずなのに、報道が偏向していると言うのだ。

 実際のオンエアでは政策を支持する人も何人かは紹介されていたようだが、人数的には批判の方が多かったそうだ。しかし、そもそも街頭インタビューというのは世論調査ではないので、そこでの賛成・反対の比率に何か重要な意味があるわけではない。

 「賛成の人はどういう理由で賛成なのか聞いてみました」と言って、賛成の意見だけを集める企画があってもいいし、その逆があってもいい。そんなところにメディアの「中立性」を求めるのは間違いだし、編集権の侵害だ。それは中立性の問題ではなく、単に「平板」な報道をしろと言っているに過ぎない。

ーその安倍さんの発言自体も批判されたが。

 若干裏話になるが、例えば安保法制について、今、実際に街頭でインタビューをすると、圧倒的多数が安保法制には反対だと言う。そこには、あえてマスコミの取材に応じようという人の中には、何かに反対していたり怒っていたりする人が多い傾向があることからくる、メディア特有のバイアスの部分もある。しかし、仮に実際の街頭インタビューをした結果、9割が反対意見だったとしても、放送局としては9人の反対意見と1人の賛成意見を紹介することは憚られるだろう。局としては、あえてバランスをとって、実際の比率以上に賛成意見を多く紹介している。

 安倍さんの主張が正当だとすれば、局はむしろ取材結果を曲げて、政権への賛成意見を水増しして報道したことになる。政権にとって都合のいい偏りは許されるがその逆は許されないというのでは、全体主義国家だ。

 日本では報道の中立性という時の中立性の意味が、かなり初歩的なレベルで誤解されているように思う。中立とは真ん中に立つことではない。賛成意見と反対意見を同じ分量だけ報じれば中立性が担保されるわけではない。

 この話を始めると長くなるが、ジャーナリズムにおける中立性の最も初歩的な定義は、どこに立つかは記者自身、あるいは報道機関自身の判断に委ねられているが、そこに立った上での報じ方については、ジャーナリズムのルールに則らなければならないというもの。

 そして、そこでいう基本的なルールとは、批判は自由だが、批判をする以上、批判をされた側に反論の機会を与えなければならないというもの。中立というと、どうしても真ん中という意味に受け取られるので、中立・公正、もしくは公正原則(フェアネス・ドクトリン)と言った方がわかりやすいかもしれない。

 これが日本での例え話として適当がどうかはわからないが、自分がアメリカのジャーナリズム・スクールで学んでいた時に教わった例は、フェアネス(公正さ)とは何かを理解するためには、裁判をイメージするとわかりやすいということだった。つまり、被告の罪を立証するためにどこを攻めるかは、それこそ検察の裁量に委ねられるべきものだが、その裁判が公正(フェア)なものであるためには、検察が証人なり証拠なりを立てて一箇所を攻めてきたなら、必ず弁護側にも反証、反対尋問の機会が与えられなければならないというものだ。

日本のメディア産業の特殊さ

ーイギリスでは「インパーシャル」(偏らない、公平な、という意味)という言い方をしてる。Aという見方と、Bという見方がある、と。この2つの見方を出して、それで公平さが担保された、と見る。「取材に応じなかった」という一言でも出す。その点では、日本のメディアは傷つきやすい位置にあるのではないか。「中立で」と言われたら、議論を返せないような?

 それは重要な論点だ。日本のメディア産業は、かなり、世界のメディア産業の中でも特殊な性格を持っている。

 それは日本のメディア、とりわけ新聞とテレビと通信社が、あまりにも大きな特権を享受しているという点だ。そしてその特権はいずれも政治との関係において与えられているものだ。そのため、欧米基準でのインパーシャリティ(中立性)が担保されていたとしても、日本のメディアは政治からの要求をそう簡単には無視できない、ある種の弱みがある。

 その中には最近結構知られるようになってきた記者クラブという制度もある。他にも日本では新聞社が放送局に出資する上で全く制限がないこともその中の一つだ。いわゆる、クロスオーナーシップと呼ばれるもので、その制限がないために日本では5つの全国紙を中心に大手メディアがことごとく系列化し、コングロマリット化している

 これは、メディアの多様性を担保する上でも障害になっているし、新聞とテレビという世論に最も影響力を持つ2つのメディア間に相互批判が起きないという意味でも、日本のメディアの腐敗や堕落の重大な要因となっている。しかし、こうした特権はその一方で、特権の恩恵を受けているメディア企業には莫大な利益を約束してくれる貴重な経営のリソースとなっている。

 他にも、たとえば日本の新聞は世界でも希な再販価格維持制度(再販制度)というものによって守られていて、市場原理の競争から免除されている。新聞社が一定の利益が出る水準で販売価格を決定し、販売店に対しその値段で売ることを強制することができる。電力会社の総括原価方式と似ていて、元々利益を確保した価格に設定されているので、新聞社は利益が約束されるビジネスとなる。

 日本は市場原理を採用する資本主義国家なので、製品の値段は本来は市場が決めることになっているが、この制度の下では、価格が統制され、販売店は勝手に値下げすることができない。

 これは、戦後、日本がまだ焼き野原からなんとか復興しようとしているときに、新聞という公共財を過当競争に晒してしまうと、例えば公共性の高い良質な新聞が競争に負けてしまい、商業主義優先のセンセーショナルな報道をする新聞だけが残ってしまうかもしれない。それが戦前の翼賛体制を礼賛する新聞を生んだという反省もあり、日本は戦後、再販制度で新聞を守ることを選択した。

 その結果、新聞は短期的な競争原理から解放され、利益が約束される中で、ある程度長期的な計画の上に立った経営や報道が可能になった。その利益で全国に販売網を整理して、今日の非常に安定した新聞産業の基礎を築くことができた。

 インターネットの時代に日本の新聞がまだ比較的安定している最大の理由は、販売網が整備されているため、広告費への依存度を低く抑えられているからだ。また、主要新聞は世界でも群を抜く発行部数を持つようになった。日本の人口は1億2千万で世界で10番目だが、読売と朝日は世界でも1位と2位の発行部数を誇る。

 私自身は戦後、再販で新聞を守り、新聞社が全国津々浦々まで販売網を整備したことは、先人たちに先見の明があったと思うし、大正解だったと思う。

 しかし、未だに市場原理に逆らって消費者から余分な料金を徴収することで、世界で最も巨大な新聞社を未だに守っているのはおかしい。しかし、なぜそれが変えられないかと言えば、再販によって守られたらばこそ新聞社は世論に強大な影響力を持つようになり、その影響力を使って再販に対する批判を抑圧したり、それを擁護しているからだ。

 また、本来は再販の直接的な当事者ではないテレビも、クロスオーナーシップによって新聞社と系列化しているため、新聞社にとっては虎の子の再販問題を一切扱わおうとしない。

 忘れてはならないのは、再販は市民にとっては取るに足らないマイナーな問題ではないということだ。一般の市民が毎日、新聞や書籍や雑誌を買うために支払っている料金が、日本では再販によって統制され、実際の市場原理よりも高いものになっている。消費者は本来必要な値段よりも余分にお金を支払って新聞社や出版社を守っている。守りたいと思って守っているのであれば、それでも構わないが、余分にお金を払っていることを知らされていないため、自分たちがそれを守っているという意識もない。

 しかも、余分なお金を出して守っているという意識もないので、その前提にある「公共性」を要求するマインドも起きない。新聞社はそうして溜め込んだ利益で、不動産投資をしたり、クロスオーナーシップ規制がないのをいいことに、全国の放送局に出資して、役員を天下らせたり、他の新聞社を買収して傘下に収めたりしている。一体、消費者の中に、そんなことのために新聞に本来よりも余分なお金を支払わされていることを自覚している人が、どれほどいるだろうか。

なぜ政権に近づく必要が?

 記者クラブとクロスオーナーシップ、再販の3つを私は日本のメディアの三大利権と位置づけているが、そうこうしているうちに、大手メディアはものすごく大きな特権を享受することが当たり前になり、その特権を維持するために、どうしても政治に近いところにい続ける必要がでてきた。

 例えばテレビ局と、テレビ局を管轄する総務省は、当たり前のように人事交流をしている。テレビ局の職員が総務省に出向している。それは、総務省の行政機能をいろいろと勉強するためとか言っているけれど、実際は自分たちの生殺与奪を握る監督官庁から情報を得るためだったり、ロビーイングするためだったりする。報道機関としては取材対象であるはずの政府の部局に、職員を人質として差し出すようなことを平気でやっているのだ。

政府が直接放送免許を出す日本

 日本では総務省は放送免許を付与する主体だ。日本では放送免許の付与が、アメリカのFCC (連邦通信委員会、電報・電話・放送などの事業の許認可権をもつ独立行政機関)とか、イギリスのオフコム(放送通信庁。放送・通信分野の独立規制・監督機関。放送・通信免許の付与権を持つ)のような、第3者機関方式になっていない。政府が直接、放送免許を出している。

ー独立性の面で、問題だ。

 その通りだ。政府はメディアとして監視をしなければならない対象だ。そこから放送事業の命綱となる放送免許を頂いている。

 実は、戦後の直後は日本にもアメリカのFCCやイギリスのオフコムのような制度があった。GHQは戦前、放送が翼賛体制を支える一翼を担ったとの反省の上に、電波監理委員会という独立した機関を設立した。

 しかし、日本がサンフランシスコ講話条約に署名して主権を回復したのが、1951年の9月8日、条約が発効して主権を回復したのが1952年の4月28日だが、何とその年の7月31日には郵政省の設置法が改正され、電波管理委員会は廃止されている。再び放送が国家管理に戻ってしまった。

 主権を回復した日本で、吉田内閣が最初にやったことの1つが、独立して放送を管理する電波監理委員会を潰し、放送を国家管理の下に戻すことだった。以来、日本では放送の国家管理が続いている。

ー公的な組織に委ねられないだろうか。

 実は民主政権の時代に、原口総務大臣が民主党は日本版FCCを目指すという発言をしているが、大手メディアはどこもそんなことは報じなかった。(神保氏がやっている)「ビデオ・ドットコム・ニュース」は重要な改革の一つだと考え、結構力を入れて報じたが、マスメディアが軒並み黙殺したニュースは、それほど大きなニュースにはならない。

 ビデオニュースのような小さなメディアが報じたニュースが、後にマスメディアにも取り上げられた大きなニュースになった例はいくつもあるが、このニュースに関してはマスメディア側に「報じない」インセンティブが働いているため、ほとんどニュースにはならなかった。マスメディアがこれをニュースにしないことに成功したと言った方がより正確かもしれない。

 メディアが横並びで黙殺したり、明らかに論点化を避けたがっている問題に踏み込むことは、メディア関係者はもとより、政治家も一般の企業人も、できれば避けたいこととなる。誰も大手メディアを敵には回したくない。ましては、大手メディア全体を敵に回すことなど、もってのほかだ。

 企業にとってもメディアとの関係は重要な経営資源になる。メディア関係者に至っては、大手メディアを敵に回せば、仕事がこなくなる。政治家だって、必ずしも市民の間に、そのような問題意識がないところで、メディア問題の手を突っ込んで、メディアを敵に回すばかりか、言論への介入だなどの誹りを受けるくらいなら、問題を避けて通りたいと考えるのは当然のことだ。(「下」につづく)
# by polimediauk | 2015-08-04 03:09 | 政治とメディア
 17日、衆院を安保関連法案が通過し、27日からは参院審議が始まった。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

 今回は、軍事ジャーナリストで作家の清谷信一氏だ。東洋経済オンラインの連載「総点検~日本の防衛は大丈夫か」では、自衛隊の装備の不備を追及している(最新記事)。氏は2003年から2008年まで英国の軍事専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員を務める。香港を拠点とするカナダの民間軍事研究機関「Kanwa Information Center」上級アドバイザー、日本ペンクラブ会員で東京防衛航空宇宙時評(Tokyo Defence & Aerospace Review)発行人。『防衛破綻ー「ガラパゴス化」する自衛隊装備』『専守防衛-日本を支配する幻想』など著書は多数。

 海外の状況をよく知る軍事ジャーナリストの一人として、今回の法案議論をどう見るのか、ぜひ聞いてみたかった。以下はインタビューの抜粋である。文脈を明確にするために言葉を整理した部分がある。カッコ内の注釈は筆者によるものである。

***

「現実の把握ができていない」

ー安保関連法案を通そうとする安倍政権をどう見ているか。

清谷信一氏:安倍首相は自衛隊と外国の軍隊が同じだと思っているのではないか。多分、自衛隊の現実を知らない。

ー法案そのものはどう見ていらっしゃるか。

 そもそも、現実の把握ができていない。それなのに、例えばビルで言えば地盤がめちゃくちゃなのにペントハウスを建てる話をするようなものだ。

ー法律を作っても、実地がないからダメということか?

 今までは、実戦(実地)はできなくてもいいよね、ということでやってきている。(自衛隊は)「軍隊じゃないし、単なる行政機関だ」という意識だ。内輪同士で「いいよね」と言っている人たちが、いきなり実戦に出されたときに、どういうことが起きるか。

 現実を知らないから、そういった中で、法的なことだけを話していればいいんだ、というのが、おかしいと思う。

「今の態勢や技術、意識で、これで戦争をできるんですか」、という人がいない。そこがまず問題だと思っている。

ーこれまでは、日本では、戦争の現場、つまり武力行使の可能性についてはあまり考えないようにしてきたのかもしれない。

 演習だけ無難にこなせばそれでいい、という考えがあった。だから、(2011年の)東日本大震災でも大変だった。例えば無線機は3割ぐらいしか、ちゃんと動くのがなかった。

 今までは中隊規模ぐらいしか演習をしないので、連隊の他の中隊から借り、私物の携帯電話を使えばいい、と考えてきた。

 ところが、震災では連隊の全隊が行くことになった。そうすると、(他の部隊から)借りられない。今までは携帯電話で連絡をとっていたが、震災では現地に行ってみたら、携帯の支局が全部流されていた。「火の出るおもちゃ」、つまり戦車とかミサイルとかを買いたがるので、(十分な数の)無線機は買っていなかった。無線機は3世代ぐらいあるが、世代が違うと、互いに通じない。

 そもそも自衛隊に割り当てられている周波数帯は軍用にはそぐわない。このため普段から通じが悪い。当然現場で通じない、混線する場合も多かった。米軍の無線は電波がガンガン入ってくるのだけど、近くの自衛隊の無線は通じない。総務省から(周波数の)割り当てを変更してもらえばいいのだが、それをしていなかった。未だに周波数帯の問題は手付かずだ。

 災害だったからまだ良かったけれども、これが実戦だったらどうするのか。

 震災後に新型無線機の導入を進めているが、これまた同じ周波数帯を使っており、現場では全然通じないという声が聞こえている。

ー世論を気にして、思い切って機材を買えないという可能性は?

 関係ない。世論による批判を気にしているのだったら、オスプレイよりもまず災害派遣で必要不可欠な無線を何とかしよう、となっているはずだ。目立たないところにはお金を使わない。

 被災地にいた市民に温かい食事を与えて、自衛官は冷や飯を食っているという話が美談にされたが、実際には美談ではない。単に(温かい食事を提供する給食の)装備の不足だった。自衛隊では中隊規模を賄う牽引式の炊事車しかないが、諸外国ではより大規模なコンテナ式の食堂を使用している。

「実際の戦闘による被害を想定していない」

ー清谷氏のコラムでは、「陸上自衛隊は実際の戦闘による被害を想定していない」とし、具体例の1つとして個人用のファースト・エイド・キット(個人携行救急品)の不備を指摘しているが。

 兵站もそうだ。

 現場で中隊規模の演習さえ抑えればいいと思っているから、もっと大規模な部隊を動かしたりするスキルなどを持っていない。

ーお金がないわけではない?

 それよりも「火の出るおもちゃ」を買ってしまう。戦車とか、オスプレイとか。

 予算の面から言うと、今年の予算でオスプレイを買い、水陸両用装甲車AAV7を買う。高いおもちゃをいっぱい買っている。そうすると、既存の予算が圧迫を受ける。

 それほど予算が増えていないところに高いものを買ってしまうと、何を削るかという話になる。

 しかし、何を削っているのかと聞くと、(当局は)言わない。

 何かを諦めるときに、「火の出るおもちゃ」はあきらめない。兵站や訓練、整備費や出張費、果てはコピー用紙とかを削る。ますます軍隊として活動する能力が減ってきている。

 AAV7の場合、本来であれば6年ぐらい評価試験をして、採用か否かを決めるはずだった。ところがこれを縮めて約半年で導入決めた。

 ぼくは当時の陸幕長に会見で、例えば中国との軍事的緊張が高まるなど、国際的な環境が変わってきているから、緊急な必要性が生じて買うのか、と聞いてみた。

 答えは、「違います、国際状況は変わっておりません」と。

ー「変わっていない」ー?

 なぜ評価試験の期間を端折るのかと聞いたら、答えは「アメリカとの調整の結果です」。

 アメリカ様から言われたら、本来するはずの試験を端折っているという軍隊が、本当に「いや、アフガンに行きません」とできるのだろうか。

 ぼくは、実は法的話はあまり意味がないことだと思っている。日本はあまり遵法的なことをしない国ではないか。割と成り行きでやったりする。

 例えば、アメリカ大使館の前で、警察が平然と交通妨害をしている。本来は通れるはずの横断歩道を通さない。通ろうとすると邪魔される。理由を聞くと「お願いします」と。「お願いは任意ですよね?」「お願いします」。これは強要に当たり不法行為だ。法的根拠があるかと20分ぐらい説得したら、どうぞ、と。

 同盟国の大使館の目の前で、法執行機関である警察が市民に不法行為を堂々と行っている。そういう国が法治国家かと言ったら、ちょっと疑問だ。同盟国である米国がまともな法治国家として信用しているだろうか。

 代用監獄の例もある。検察側が99.9%で勝つとか。どう考えてもおかしい、

 マスコミが容疑者を犯人視して報道している。被害者の顔も出す。人権面から、おかしくないか、と。 そういう国で、文言だけやりあっても、どうなのか。

民間によるセカンドオピニオンの不在

ーそうすると、合憲か違憲かの議論が新聞報道などでは活発だが、清谷氏は醒めた思いでみている感じなのだろうか?

 はっきりいうと、神学論争だ。

 議論をする人たちが、今の自衛隊が戦争で怪我をしたらどういう対応をするのか、いかにケアできないのかを知らない。防衛省や自衛隊からの政治家向けの「ご説明」だけを論拠にして、それで議論している。

ーこれを機会に、まともな議論、まともな装備につながるか?

 多少は期待している。だからぼくも、同じテーマでしつこく書いている。

 この間は「自衛官を犬死にさせていいのか」、と書いた。犬よりも劣った(衛生)キットしか持っていないから。

 実際にそういうことがいっぱいある。空理空論を当たり前と思っていて、それをもとに装備を買ったり、訓練している。畳の上の水練だ。しかしそういう人がいきなり海に投げ込まれて、泳げるかということだ。

 日本の問題は、防衛に関して民間のセカンドオピニオンがないことだ。法務省や法律問題ならば法曹界や学者が発言するし、厚労省や医療の問題ならば医者が発言し、セカンドオピニオンが政界にも浸透している。だが防衛に関しては自衛隊とか防衛省の「ご説明」しか聞いていない。センセイ方はそれがオカシイと思っても調べたり検証する術を持っていない。

 大学でもそういう勉強をしているところがあるが、結局、首から上の話しかしない。実際に、戦略にしても最終的にはどういう装備を持つのか、どのような補給態勢を維持するのかという話になってくる。結局政策は予算で決まる。つまり予算の使い道を具体的に議論できなければ、実質的に防衛問題は語れない。

 そういう議論がなくて、うわずみのところだけで議論をするので、おかしくなるのだと思う。

(取材日:7月7日、東京有楽町にて)
# by polimediauk | 2015-07-31 22:07 | 日本関連
 16日、安保関連法案が衆院を通過し、27日午後には参院での審議が始まった。反対の声が日増しに強くなる中、今国会中に成立するのかどうか、大きな注目を浴びている。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

 今回は、日本初のニュース専門インターネット放送局「「ビデオニュース・ドットコム」を主宰する、ビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に外国特派員クラブで聞いた(取材日は7月7日)。

 神保氏は15歳で渡米し、コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程を修了(1986年)。AP通信など米国報道機関の記者を経て独立し、日米のテレビ局向けに数多くのリポートやドキュメンタリー作品を提供してきた。1999年設立のビデオニュース・ドットコムは独立した公共的な報道を行うため、広告収入ではなく会員からの講読料で運営されている。

 大手マスメディアが十分に取り上げない、時事トピックの裏側を次々と取り上げるビデオニュース・ドットコムの動画を私自身、非常にスリリングな体験として視聴させてもらっている。

 今回、神保氏に特に聞きたかったのは日米でジャーナリズムを実践したご自身の経験から、安保関連法案を巡る議論をどのように受け止めたか、である。合憲か違憲かがメディア報道の中心となっているように見えたが、それだけでよかったのかどうか、また、次の話、つまり憲法を超えたところで、日本の国防あるいは国としての将来をどうするかの議論をしなくて良いのか、という大きな疑問があった。

 以下は一問一答である。論旨を明確にするために、若干言葉を整理したところがある。また、日本のメディア状況についてもじっくりと聞いているので、それは別途、ご紹介したい。法案の衆院通過前の話であることにご留意願いたい。カッコ内の情報補足は筆者による。

***

外務省の「アメリカの要請にはなるべく応えたいという強い思い」

ー安保関連法案に対し、マスコミ報道は合憲か違憲かを大きく報道してきた。若者たちによる反戦デモも大きな盛り上がりを見せている。一連の動きをどう見ているか。法案は戦争につながるから危ないとする反対派の声もあるが。

神保哲生氏: そういう短絡的なことではないが、「危ない」という指摘は当たっていると思う。その理由は、単純、単調なものではない。

 まず、法案には、かなり同床異夢の人が乗っかっている。

一番の首謀者は外務省だが、外務省ではご存知のようにアメリカ・スクール(アメリカ派)が圧倒的に強い。「アメリカ・スクールにあらずんば、外務官僚にあらず」、と。

 アメリカ・スクール主流派から言えば、アメリカもいろいろな意味で力も弱くなっているということもあって、アメリカから要請を受けたなら、なるべくこれに応えたいという強い思いがあった。

 ただし、憲法の制約があって、特にセキュリティーとか軍事面でのリクエストには日本はできないと言い続けなければならなかった。これに対し、非常に歯がゆい思いを持っていた。その一番最初の経験は1990年の湾岸戦争から始まっているのだけれども。

 外務省としては、前回の「2プラス2」(「ツー・プラス・ツー」=日米安全保障協議委員会」、今回の「2プラス2」で決めたようなことをできるようになるといいなあという願望があった。

 もう1つ、日本には、旧民主党時代から流れをくむ、タカ派と言われる人たちが厳然といる。日本は独自の軍隊を持っていない、戦争に負けて、憲法9条を作られた。日本がある種のインポテンツであるとー性的なものではなくてー不能者であると思っている人たちだ。

 これに、単に軍事という意味ではなくて、国際貢献という綺麗な言葉も一緒に乗っかることで、そこそこの数になる。日本がもっといろいろできるようになったほうがいいじゃないか、と。

 例えば、この間亡くなってしまったが、岡崎久彦さん(注: 駐サウジアラビア特命全権大使、外務省情報調査局局長、駐タイ特命全権大使を歴任)とか、防衛大学校名誉教授佐瀬(唱盛)先生とかは、かなり早い段階でそのようなアジェンダをクリアするために、安倍さんを90年代の当選直後から教育してきた。いずれ、安倍というのがそれを実現してくれる総理になるだろう、と。

 安倍さんはもうちょっと次元が違って、おじいちゃん(注:岸信介、第56-57代首相、在位は1957年2月ー1960年7月)が成し遂げられなかったことをやりたいという意味と、今回首相としては2回目なので、前回何も名前を残せなかったために今回は何か名を残すことをしたい、という思いがある。

 憲法を最初に改正した総理になるという強い願望があったけれども、さすがに憲法改正は議会の3分の2の支持を得るだけでも大変だと。下手に国民投票にかけたら過半数に行かないと、本当に憲法を変えられなくなる。最初は(憲法の改正過程を規定する)96条を変える可能性をチラつかせたのだが、それはあまりにもちょっとひどい、と言われた。

 結局、最後に絞り込んだのが、集団的自衛権を行使できるようにした最初の総理になることが、彼の政治的野望だ。そういうレベルで乗っかっている人もいる。

 法案の本質としては、サブスタンス(実体)として何があるのかというと、分からない。

 僕が見る限りにおいては、結局は、一番のエッセンスを構築しているのは外務省だ。アメリカから要求があったときに、その要求に・・・

ー応えて、海外派兵ができるように?

 派兵でも何でも、応えられるようになっておく状態にする必要があるので、首相は「存立危機事態」と言っている。「サバイバル・オブ・ザ・ベリー・エグスタンス・オブ・ザ・ネーション」と。それが揺らぐような事態、という言い方までしておいて、決して具体例は言わない。言ってしまったら、それに縛られてしまうので。

 「米国がやろうとすることは何でも」、というのが本当の答えだと思う。

 ただ、安倍首相にとっては、集団的自衛権を達成した総理になりたいというような、非常に小さな功名心からだと僕は思う。

 同時に、(党内の)右側の人たちは自分たちなりのアジェンダを持っている。

民主党政権の失敗と対抗勢力の弱体化

 また、対抗する左側が民主党政権の失敗によって決定的に弱体化している。これも、今回の安保関連法案がここまできたもう1つの要因だ。

 ある種、オポチューニストというか、場当たり的状況が可能になっており、本当にどれくらいニーズがあるのか、メリットがあるのかということが、十分に整理されないまま、(法案が)実行されてしまう可能性がある。

 その場合の問題は、実際に実行された時に、ちゃんとコントロールできるのかどうか。

 誰かが本当に、例えば安倍さんが全部事態を把握して、掌握した上でやっていることであれば、安倍さんの意図しないことまでは絶対に起きない。

 でも、安倍さんやその一派が、今回の法案が可能にしている事態すべてを自分で掌握できているとは思えない。

 外務省は所詮は官僚であるため、最後は責任をとらなくていいという立場なので、結局、いざこういう法案が通った時に暴走してしまう可能性がある。

 暴走する時に、作った人の意図と関係ない形で行ってしまう可能性があるというのが、危ないといえば危ない。「No one is controlling the situation」(誰も状況をコントロールしていない)という可能性がある。

合憲か、違憲かの議論だけで良いか


ー反対する議論の中で、合憲か違憲かという議論がある。それも一つの論点だが、結局、最終的にはどうしたいのか、どうあるべきかという議論が十分にないのではないか。アメリカとの関係をどうしたいのか、という論点もほとんど目にしないが。

おっしゃる通りだ。

 違憲か合憲かという議論だけになって、例えば「違憲だからだめだ」となると、いずれ、合憲にするために憲法を変えようという話になったときに、何の抵抗もできなくなる。

 憲法を変えるのが、なぜ難しいのかというときに、そこまで本当の必要がないからだと国民が思っていないから、というのであれば、それはそれでいいが、むしろアレルギー的なものに乗っかっている。憲法を変えることへのアレルギーがあることに依存している形の違憲論だ。

 今後日本が国内的にも国際的にもどういう国を目指すのかということを、本当は根本的に議論をして、その骨格に基づいて、じゃあ、日本は例えば個別的自衛権しかやらないということはこういう意味になるけれども、それでも日本はそれを目指すべきなんだという議論であれば、それはそれで、そういう根拠で今回の集団的自衛権に反対するならそれは別に構わないけれども、その集大成として憲法があるわけだから、憲法にそう書いてあるからだめなんだというのは、憲法を変えればいいという話になりかねない。僕もそこは弱いと思う。

 憲法が憲法になっているのは、その後ろにこういう民意の裏付けがあるんだ、と。その民意というのはこういうものであると。だけど、そういう議論にはなっていない。

ーこういう議論が出る時に、日本人として、いくつかの選択肢を示す論考を目にしたい。いつも戦争、つまり戦闘行為を他国でやっている英国に住んでいると、70年間、日本は戦争をしてないが「戦争がいやだ」と言い続けて戦争が起きないならーここでは紛争地での戦闘行使という意味だけれどー例えば、ウクライナの人もいやだろうと思う。だからといって、紛争を避けられるとも限らない。世界中で起きている、戦争、紛争地での戦闘について、どれだけ認識されているだろうか。安保をどうするのか、日米同盟はどうか、アメリカとどのような関係にしたいのかなど、根本的に考える必要があるのではないか。

 なぜここで憲法を盾に議論が強くなっているかというと、1つにはイデオロギー主義的な、教条主義的に反対している人がいるからだ。

 でも、それだけではなく、今おっしゃった、アメリカとの関係も今のままでいいのか、アメリカに依存するとき、アメリカはお金がないから、それを日本が埋めると言って、集団的自衛権も入れるというそんな議論でいいのかを考える必要がある。それとも、これは共産党ぐらいしか言っていないことだが、日米同盟を徐々に、軍事同盟から、対等な友好同盟にして行くのか。

 そういう議論は時間をかける必要がある。でも今回、突然、国会の法案の形で出てきてしまった。通すと通さないになっている、と。そうすると、止める側は、じっくり時間をかけて議論していこうと言っても、通されてしまう。一番手短にあるツールでとにかく防がなければならない。止めるためには有効である、という判断では(合憲違憲の議論は)戦術論としては間違っていない。

 もっと大きなピクチャーの中で考えるとそれだけでは不十分だ。

 対米関係も含めて、日本は長期的にどういう国を目指すのかという議論を本当は同時に始めないといけない。でもそれは少なくとも今国会中には結論が出ないのでー。

アメリカの核には反対でも、核の傘の下に生きること

ーどうにも、いつも嘘をつかれている感じがしてならない。自衛隊は実質的には軍隊ではないのかどうか、また個別的自衛権、集団的自衛権などの言葉がいろいろあるが、広い意味ではわかりにくい感じがする。

 日米協定のことは色々、考えるべきことはあると思う。もはや、昔の占領時代ではないのだから。

 ただ、それはそれとして、沖縄がどれだけ戦略的に重要かというと、軍事面としての議論はあるが、米軍に頼らないということは、共産党のような非武装中立に行くんでなければ、それを自衛隊で見なければならなくなる。

 実は沖縄では、日本軍に痛い目に合わされているので、米軍よりもむしろ日本軍の方がよっぽど嫌と思われている。

だから、ただ、アメリカ帰れと言ったところで、じゃあそこは公園にしますというだけで済むかという問題があって。そこは避けて通っているところだ。

 みんながアメリカの核には反対だが、アメリカの核の傘にいて平気でぬくぬくやってきたことと同じようなところがある。そこが、戦後レジームからの脱却と安倍さんが言うのだったら、一番大きな矛盾はまさにそこだろう。

ーアメリカとの関係だ。

 憲法9条で軍隊を明確に否定しているのに、自衛隊は「隊」だ、と。でも英語では、「セルフ・ディフェンス・フォース」だ。結局、あれは軍隊じゃないことになっている。

 PKOで自衛隊が海外にいっても、派遣先で日本は軍隊ではないことになっているので、例えば、撃ってきて自衛隊が応戦した場合にそれは軍事行動ではないので、刑事裁判にかけられてしまう。それが正当防衛だったかどうかを。軍隊が発泡して、日本に帰ってきて刑事裁判にかけられるなんていうような状態になっている。

 自衛隊は軍ではなく、裁くための軍法がない。そんな法的に不安定な立場にいる自衛隊が軍と同じ海外に出て行って、危険に晒されるという状態はあってはならないのではないか。

 (戦後70年で)もし戦後レジームの転換というならば、一番本当は、やらなければならないことは、日米関係をどうするのか、自衛隊をどうするのか、軍隊にするのかしないのかだろう、本当は。

 でも、とてもではないけども、これをまだ議論できるような成熟度が今あるようには見えない。

日本をどういう社会にしたいのか

ーもっと報道すること、書くべきことはあるようだ。

 ある。しかし、そういうことを書くと、叩かれたりする可能性もあるが。右からも左からも叩かれることを覚悟の上で、議論の地平を開拓しないといけないのだが。その手前のところで、ああでもないこうでもないとやっている。要するに、この集団的自衛権だ、個別的自衛権だというのは55年体制の議論だ。

 55年体制下の旧社会党と自民党がずっとやってきたようなことの、結局はまた繰り返しで、それ自体は僕は無意味だとは思っていないけれども、もう一段上の、「日本はどうしたいんだ」ということの議論は、絶対に必要だと思う。

 でも、これは経済についても全く言えることだが、日本をどういうような社会にしたいのかという時に、やっぱり今は安倍政権に代表される、小泉さん以降だが、新自由主義な政策をとっていて、結果的に日本の租税負担率というのはアメリカにならんで、世界的にも最も低いものになっている。

 それでいて、アメリカよりもはるかに充実した、まあ中福祉ぐらいの福祉を提供している。低負担、中福祉になっているから、日本は大赤字だ。

 じゃあ、その福祉を切るほうをやるのか、それとも、日本はより高負担な、中負担ぐらいまで負担を増やすけれども、その代わりちゃんと中福祉を維持するのかというのも、本当は国のあり方として議論しなければいけないが、全部場当たり。

 ちょっと社会保障費が高いからちょっとずつ削っていきましょう、とか。結局、それは弱者の方に全部しわ寄せがいく。生活保護を絞られたり。老人医療を絞ったりとか。

 特に公的保障に依存しなくてもいいお金持ちの人たちは、みなさん、ぬくぬくとくらしている。

ー政治の選択が必要ではないか。自民党以外に政権を担える党として、投票できる政党が必要だ。

 自民党が心中主義政党になったと思えるのであれば、対立政党がもうちょっと出てくるのだが、まず右と左で言えば左側が今、どこにいるのかわからない。

 自民党内に、いわゆる経済保守という新自由主義者とそうじゃない、オールドライト(旧右派)の人たちがいる、宏池会に見られるような。これが非常に弱体化してしまっている。

 自民党の今回の選挙での得票率は20%ちょっと。公明党と合わせても25%。野党は全部合わせると、それよりも取っている。

 票だけでは、自公民よりも野党の方が多いのだけれども、こっちは、維新があり、民主党があり、共産党あり、社民党ありだから、結局、わずか20-25%の支持の人たちが3分の2の議席を取ってしまっている。

 当面、対抗勢力がすぐに出てくるというのが見えない状態。

ー野党勢力がなぜ弱いのかについてはまたじっくりと。

 デモも大事だし、僕はどんどんやったらいいとは思うのだけれど、同時にやっぱり、野党を結集させるにはどうしたらいいか。自民党内の、安倍さんの政策を決していいとは思っていない勢力と野党の一部をもうちょっと連携させるような流れとかをつなげることができる人がかつてはいたのだが、今はもうそんなことをできる人は誰もいなくなった。

ー残念だが、ここから政治的状況は変わっていくか。上に上がる可能性は?

 底を打てば、そこから上がる。まだ底を打ったかどうかは見えない。

ーしかし、様々な新しい動きが出てきたのでは?危機感が大きな声として出てくるようになった。
さすがに、あまりにも政権党が実は少数党でありながら議席をたくさん持っているというだけの理由で、かなり横暴な政策をごり押ししてきたということで、危機感が出てきている。

 ただ、果たして、それが投票行動に繋がるかどうか。

 政権としては、来年の参議院選挙までには、このことは忘れられるだろうと思っている。まだ1年以上あるから。だからなるべく早く通したい。

 でも、その間にまたいろんなことが起きる。ギリシャもどうなるかわからないし、経済も。そうなったときに、本当に、去年の8月何日に、あるいは9月に、あの法案を無理やり通されたんだよ、と国民が覚えているかどうかー。

(取材日、7月7日。東京・外国特派員協会にて。)
# by polimediauk | 2015-07-28 09:38 | 日本関連
 16日、 安保関連法案が衆院を通過した。反対の声が日増しに強くなる中、今国会中に成立するのかどうか、大きな注目を浴びている。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

 関連:内閣官房「平和安全法制などの整備について」「「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備についての一問一答」など。

 今回は、孫崎享氏にお話をうかがった。氏は駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て、2009年まで防衛大学校教授。東アジア共同体研究所理事・所長。日米関係の戦後を綴った「戦後史の正体」(創元社)は22万部の売れ行きとなった。「日本の国境問題-尖閣・竹島・北方領土」(ちくま新書)などほかにも著書多数。最新刊は「日米開戦の正体」(祥伝社)。ニコニコ動画ツイッターで積極的に情報発信をしている。

 今回の安保関連法案の是非について考えるとき、日本の文脈だけで考えていては見えてこないものがあるのではないか、と思っていた。外務省の元国際情報局長で、米、英国、イランなど、世界を様々な視点から見てきた孫崎氏に、国際的な文脈を踏まえての視点を聞いてみたかった(取材日は7月10日)。以下はその一問一答である。論旨を明確にするため、言葉を整理した部分がある。

***

ソ連崩壊後の世界で

ー現在の安保関連法案をどう見ていらっしゃるか。

孫崎享氏:私は92-3年から(話が)スタートすると思っている。

  (1991年)ソ連が崩壊した。アメリカの軍需産業、作戦とか、戦略であるとか、武器であるとか、すべてがソ連と戦うために進んできた。ソ連が崩壊することによって、 もうアメリカの軍は要らなくなった。今後は経済に特化するべきであるという意見を、マクナマラ元国防長官などが言っていた。

 しかし、せっかく世界一になったので、この位置を維持したい、と考えた。その軍事を使って、アメリカの意図を政治に反映させていくという考えが主流になってきた。

 1992年に、こうした考えが一応完成し、93年のクリントン(民主党)政権にも引き継がれた。その後、共和党、民主党を超えて、ソ連崩壊後も米国の軍事力が展開されてきた。

 さて、ソ連がなくなったら、誰が「脅威」になるのか?当時は「脅威とはイラン、イラク、北朝鮮である」、という位置付けをした。

 しかし、イラン、イラク、北朝鮮といっても彼らはアメリカを攻撃するような力がないので、アメリカ側は積極的に相手に関与していくという路線を作った。それが今日まで続いているわけだが。

 アメリカにとって1990年代始めに一番脅威となったのは日本やドイツの経済力だった。ドイツと日本を蚊帳の外に置いたら、彼らは経済に特化するから、これを中に入れよう、という形が戦略になってゆく。

 じゃあ、日本をどうするかというと、日本には平和憲法がずっと続いているから、いきなり、日本を軍備に向かわせることはできない。だからまずは人道支援、災害救助、こういうところに自衛隊を使っていくことによって、軍隊が海外に出るアレルギーをなくしていこう、という動きが続いて、それが徐々に徐々に、1990年代、拡大していった。

 2002年ぐらいには、もうそろそろ自衛隊を軍備のほうに使っていいだろうという感じがアメリカの中に出てきて、それが日本政府には2004年ぐらいに明確な形で伝達される。こうして、2005年10月に、「日米同盟未来のための変革と再編」という文章ができる。

ーどんな形となったのか。

 国際的安全保障環境を改善する、という日米共通の戦略のために自衛隊を使う。その内容には、今の集団的自衛権で議論されているものがすべて入ってきている。

 例えば、秘密を守る法律を強化する、機雷の掃海を行う、後方支援を行うなど。2005年の時点で、日米が軍事的な関与をすることに。これは小泉首相が辞めて、小泉さんから安倍さんになった頃。安倍さんは第1回目の政権(2006年9月ー2007年9月)ではこの路線に非常に積極的に関与していく。集団的自衛権という言葉が、ここから出てきている。

 安倍さんはNATOに行って演説をした。私が防衛大学にいた時に、同僚の先生が数えたところ、安倍首相は「アフガニスタン」という言葉に13回言及していたという。アフガニスタンに入るという意思表示を既にしている。

 ところが先ほどの日米協力が重要だということで、こういう流れにはあまり反発はしなかったわけだ。

 安倍さんが首相を辞め、福田首相が就任した(2007年9月-08年9月)。福田さんは集団的自衛権の危険性をものすごく感じていた。具体的にアフガニスタンで協力をしてくれということを言われて、これを断っている。概念自体の集団的自衛権も断る、と。

ー福田首相の在任期間は短かったがー。

 次の自民党は短期政権で、民主党が政権党(2009年9月ー12年12月)になった。

 (日米の軍事協力についての)流れがいったん消えていたが、第2次安倍政権の発足(2012年12月ー)でまた出てきたーこれが現在までの流れだ。

ー今回の法案では、具体的にもっと自衛隊が関与できるように法制化することになったー。

 そうだ。集団的自衛権をやるといっても、実際に自衛隊を運用しなければいけないので、これまでは規制がかかっているから、その規制を取っ払わないといない、と。そういう作業が今、行われている。

ー特に新しいものではなくて、法律でしっかりとできるようにしてゆく、と。

 理念的には、出発点は93年で、日米間で方針が固まったのは2005年。その当時、憲法との関連はそれほどつけなかった。

憲法と関連付けて、国民が目を向け始めた

ーそれ以来、少しずつ、法律解釈などを変えることでやってきた、と。

 そうだ。そのようにしていれば、私は今度の法律も簡単に通ったと思う。

 ところが、安倍さんは政治的な野心があったから、自分は憲法に手をいれたという形にしたいと思って、この問題を憲法と関連づけてしまい、国民が目を向け始めた。

 9条に違反するという部分がクローズアップされて、今、かなりの批判勢力が出てきてしまった。

ー反戦を掲げる、いわゆるリベラル系の論壇は、それ以前の段階ではあまり声をあげなかった?

 黙っていた。勉強をしていないから。
 
 護憲派の一番の問題は、これまで、9条を守ることだけをやっていたこと。現実の政治の問題でどういう動きがあるのか、それを見ながら、一つ一つ、反論したり、問題点を提起したりという努力はせずに、9条だけ守ればいい、という姿勢だった。9条に抵触するようなことがあっても、勉強して問題点を提起するような流れまでには行かなかった。9条が残っていれば、それでいいんだ、と。

 そういう意味では、安倍政権やアメリカにとって一番良かったのは、憲法には手をつけない形でやってくれることだった。しかし、安倍さんに野心があったから、憲法にまで手をつけようとしてしまった。

 だから、今の関連法案というのは、もしも黙って法律を出してきたら、国民は全然反対しなかったと思う。憲法というものに関連づけてしまったから、 それが憲法に抵触するというので、いったい何が起きているのか、という形で反対が出てきた。

ー今回の法案が成立することで何が変わるのか。

 大きな違いがある。いろいろあるが、例えば今までは、自衛隊がイラクにも行ったが、これは特別措置法でやっている。法案が成立すれば,(海外派遣が)恒久法の下で行える。

ーいつでも行ける・・・。

 いつでも行けるようにしてある。

 概念的には、特別措置法で行っていたことを今回は恒久法で、というのは本来はそれほど抵抗がないはずだった。しかし、憲法と関連づけたので、国民はそんなことまでやるの、という話になってきた。

ー法律となれば、普通に海外派遣ができるようになる。

 私は、その時の政治的な空気に影響すると思う。例えば、「3条件」というのがあってー。

ー内閣官房のウェブサイトにある、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備についての一問一答」に、「自衛の措置としての武力の行使の新3要件」が書かれている。これによると、(1)「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力抗争が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」、(2)「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」、(3)「必要最小限度の実力酷使にとどまるべきこと」とある。

 安倍さんや安倍さんたちの周辺は、3条件を基本的にクリアできると思っている。あの3条件でできないことはない、と思っている。

 だが、一応3条件みたいなものがあるから、この問題がこれだけみんなの着目を浴びてきたら、今後の国民の反発の度合いによっては、そう簡単に実施はできないと思う。

 方便である3条件が、ある意味で実際上、有効なものになるかもしれない。

 よく、「関連法は成立するのだから、今さら抵抗してもしょうがない」という人がいるが、私はそうではないと思う。

ー確かに、私もそういう意見をよく耳にした。

 この問題に対する国民の反発が安倍政権の支持に影響を与える、ということが見えてくると、次の段階で実施する時にちゅうちょすると思う。

若者と女性の声

ーでは、反対の声を上げることは無駄ではない。

 全然、無駄ではないと思っている。

 非常に新しい動きは2つあって、今までの日本の(政府案への反対)運動のマイナスは、学生が動いていないこと、女性が動いていないこと。運動の展開に非常にエネルギーを欠いていた。だいたい反対というと60代以上の男性。ここにきて流れが変わってきた。

 「女性自身」と「週刊女性」が最近、同じようなタイトルで(安保関連法案について)書き出した。それも10ページの特集だ。一般人の関心事になってきたことを示す。1回火をつけると、どんどん広がってくる。

 学生さんの「シールズ」もある。

 今までとは違った雰囲気が出はじめた。

 ある週刊誌系の人と話していたのだが、「週刊文春」や「新潮」まで安倍批判を始めた。今までは、(大政)翼賛会みたいだったのが、ちょっと流れが変わってきた。

 もうすでに毎日新聞は政権批判の方が賛成を上回ったと言っており、実際に、政権批判の方がもう世論は強くなっている。

 今後反対の動向がどうなるかのターニングポイントに少なくとも来ていると思う。

ー反対運動は、もし法案が通ったとしても、実際の運用時に歯止めになる、と。

 歯止めになるし、通っても(実行できなくなる)。安倍政権が無理をしたということで、自民党政権の基盤がぐらついてくる。ぐらついてくれば、実行できるわけがない。

ー日本として海外派兵ができ、アメリカと一緒になってやることができるようになる状態というのは、これはいいことなのだろうか。

 いや、非常に悪い。

 一番簡単なことは、行く理由がないからだ。

ー海外派兵ができ、アメリカと軍事行動ができるようになると、アジアの他の国はどんな風に見るか。

 基本的には、アセアンは武力行使には消極的な地域だったが、中国の台頭の中で、ベトナムとフィリピンがかなり中国に対して好戦的な動きを出してきた。そういう中で、日本の軍事的な関与に対しては批判というよりは、中国にどう対応するかであって、全体として日本を批判するというふうには今はなっていないかもしれない。

 私は、ベトナムとフィリピンの動きというのは一時的だと思う。中国の経済力が圧倒的なわけだから、台湾と同じ路線をたどると思う。

 台湾は反中、独立志向だったわけだが、今は自分の国の生存は中国市場にあるということで、ベトナムもフィリピンもそのうちその方向に行くのではないかと思っている。

ー私が住むイギリスからすると、9条の憲法がある日本では、どうやって国を守っていくのかと不思議になる。

 冷戦が終わった時と今とは状況が違う。非常に大きな点として、西側に対しての攻勢があるわけではない。誰かが西側に対して攻撃があったから、西側がレスポンドしているのではなくて、自分たちの利害の為に戦争に行っている状況がある。

ー冷戦後にそうなった、と。

 そうだ。そういう意味で、西側が行動しなかったら、我々がやられるという状況ではないと思う。

 そういう中で、米国がなぜ軍事行動をしているのか。

 中東を見ると、大きな理由が2つある。1つはイスラエル寄りの政策を実行し、イスラエルの安全保障に向けて行動を起こしている。もう1つは、軍産複合企業体の利益、ということだと私は思っている。イギリスの保守層はアメリカと非常に密着している。

 イギリスの保守層から見ると、今のような議論(軍隊がないのにどうやって身を守る事ができるのか)が出ると思うが、国全体として日本がおかしいのではないかという考え方にはならないのでは。

ー自衛隊の能力について聞きたい。実戦に参加しなくても、十分に機能できるか。

 第2次大戦後の枠組みはそれ以前の枠組みから非常に大きく変化している。

 大きな枠組みの変化の1つは超大国同士では戦争できないということ。これは非常に大きな意味合いを持っていて、(米政治学者)ジョセフ・ナイが、私がハーバード大に研修に行っていたときに、戦争はどういうときに起きるか、と言って、それは、ナンバーワンがナンバーツーに覇権を脅かされる、そのようなときに戦争というものが起こってくる、と説明した。

 これに核兵器という問題が入ってきたので、核兵器で戦争をナンバーワンとナンバーツーがやると双方ともに破れてしまう。そこで、ナンバーワンとナンバーツーはどういうことがあっても戦争はできないという大きな枠組みが出てきた。

 2つ目は、イギリスが代表的だが、植民地経営というのは結局はマイナスだ、と。コストがかかって。ということだから、今の戦争でどこかの国がどこかの国を植民地にするような形の戦争というのはもうなくなってきたと思う。

 唯一残りは領土問題。これを戦争にしないような枠組みを作れば良いわけで、その努力をやれば、私は戦争は起きないと思う。

 例えば中国をどう見るかというときに、カザフスタンという国がある。石油やガスの、世界で5-6番の産油国だ。中国が一番欲しいものはエネルギーだ。じゃあ、カザフスタンをとってしまえばいいじゃないか、と。

 カザフスタンはアメリカと同盟関係にあるわけじゃない。軍事力が中国に対抗できるものではない。じゃあ何故とらないのか。

 答えはどういうことかというと、基本的に、中国も国際社会との連携によって発展しているわけだから、それにマイナスになることを行うことのほうが、とることによる利益よりも大きくなってきた。

 だから、軍事力でどこかがどこかをとるという時代では、私は基本的になくなっていると思う。

ーイギリスは古い考え方の国かもしれない。ずっと戦争をしている。自国ではなく他国に行って戦闘行為などを行い、常に干渉をしている。

 それを切り抜けたのがドイツだ。

 ではイギリスがどうしてやっているのかー。それは、戦争する層がいるからだろう。

ーイギリスメディアの論調を読んでいると、外国の中ではロシアや中国については、怖い事が起きている国というイメージを与える。東アジア地域においては、日本に一定の戦闘力を望む報道を見かける。

 欧州については、私はウクライナ問題というのは、アメリカのネオコンに仕掛けられたと思っている。

 今から3-4年前に、NATOが言葉の表現は別として、ロシアを敵にしないという決定をした。軍事的に欧州が努力する必要は何もない。米軍も欧州から撤兵した。

 安全保障を冷戦構造的にやってきた人から見ると、ものすごく困る状況だ。それで出てきたのが、ウクライナ問題。

 仕掛けていったのが、ヌーランド米国務次官補。夫はネオコンの(歴史家)ロバート・ケイガン。今、アメリカの中ではネオコンが国務省を乗っ取っている。ネオコンは、基本的に対立構造を求めている。ウクライナ問題は自然発生的に出てきた問題ではない。

 尖閣諸島も棚上げ合意という方法があって、これは、日中の間で合意しているので、本来的には紛争になるものではない。

 ところが、領土問題を利用することによって、日中の対立が深まる、日中の対立が深まれば、それは日本をより軍事的な方向に持っていくことができる。それはアメリカにとってプラスだという考え方がある。

ーアメリカにとって、都合がいい?

 そうだ。

 冷戦時代に、日本とソ連の間に領土問題を置けば、日本が自分たちが都合の良いように動いてくるーという報告をイギリス大使館が本国に出している。こういう考え方はイギリスには昔からある。

日米関係の注目は次の大統領選後

ー日米関係はどうなるか。

 (注目は)次の大統領選挙の後だと思う。

 共和党になれば、ものすごく好戦的な人が出てくる、これは間違いない。

 クリントンが大統領になれば、オバマよりは好戦的。オバマ本人は軍備を拡大しようとは思っていない。軍事(を推奨する)グループに抵抗する力はないから、彼らのいう通りにしなければいけないが、本人が率先しているわけではない。

 しかし、クリントンも含めて大統領候補になろうとする人は、本人が積極的に好戦的になろうとしている。だから、次の選挙には誰が出てくるかは分からないが、今よりは非常に好戦的になる。

 そういう意味で、(アメリカにとって)集団的自衛権を今やる意味がある。

ー将来、日本はこれからどうあるべきか?外交的により自立していくべきか。

 非常に大きな変動は中国の動きだ。GDPや購買力平価ベースではアメリカを追い抜いている。

 日本がどうこうすることとは関係なく、中国の経済力に従って、日本の対中政策の見直しが行われる。そのときに、当然のことながら、日米関係も変わる。

 流れ的にいうと、台湾が一番いい例だ。台湾は長い間、独立志向だった。西側との協力ということを一番重要視したが、最終的には独立はとっくの昔にどこかに行ってしまい、中国との経済をどうするかに台湾の繁栄がある、という方向に舵を切った。それと同じ流れが数年遅れで日本に多分、起きるのだろうと思う。

ー安保関連法案の話に戻ると、どうせ成立するのだから反対をしても意味がないという声を聞いた。

 (意味がないというのは)全く違う。

 反対という姿勢は、政権を揺さぶる可能性がある問題だ、として認識されるようになると、運用の段階で、変わってくる。

 法律があって、(自衛隊が)出る、というものではない。法律があって、米国が要請したときに、じゃあどういう判断をするか。そのときに安倍首相のときに政権を揺さぶられたが、とてもじゃないけど、私の政権ではそんな危ないものをやれないという雰囲気に、多分なると思う。

 女性週刊誌など、今まで、安倍批判はタブーだった。だけど(批判は)私たちが思っている以上に進んでいる。

ー日本の国民の中で、絶対戦争に行かせないという気持ちがこれほど強いとは、私自身、思わなかった。

 例えば、私は、ある大学の1年生300人ぐらいに、こういう質問をした。「あなたたちは戦争に行くことは絶対にない。自衛隊に入っていないから。しかし、あなたたちと同じ年代の人で自衛隊に入っている人たちがいる。この人たちは確実に、集団的自衛権で(海外の戦闘に)行ったら死にます。あなたたちは同情しますか、それとも、まあしょうがない、そんなに強くは同情しないか、どちらですか」、と聞いた。

 答えはどういう比率になると思うか?

ーピンと来ない、同情しないという人が多いのでは?

 と思うでしょう?ところが、全員が、同情だった。

ーそれは驚きだ。戦争反対の気持ちが強く、もし行って死んだらかわいそうということが若者の間に刷り込まれているのか。

 そうだ。そこはアメリカとは違う。

ーイギリスとも全然違う。

 アメリカは、富裕層と下層との認識が完全に分かれいて、富裕層は俺たちは戦争に行く必要がない、行くのは下の層・・・・。

ーイギリスもそうだ。ミドルクラスの人に聞くと、「志願兵だから、仕方ないだろう」という。同情心はあまりない。

 私もそうだろうと思った。しかし、質問したらみんな、「私たちは(戦争には)反対です」だった。後から一人やって来て、「だって私たちの友達で、(自衛隊として)行っている人がいるから」。

ー自衛隊には十分な実戦体験がないと指摘する人もいる。それで、怪我になったときも互いを十分に守れないと。

 私はそんな恐れはないと思う。自衛隊の人たちの適応能力は高く、世界の軍隊の誰よりも良い資質の人がいると思う。そう心配する必要はない。

 問題は、ものすごい量の精神的ショック受けた人が出てくる点だ。

 後方支援でやっていても生命がやられるわけだ。毎日毎日、死と向き合うという意識でないといけない。これは普通の人には耐えられない。相当に大きなショックが自衛隊の中に起きると思う。

ー70年間、一度も軍事的に人を殺したり殺されたりしたことがない・・・・。

 そうだ。防衛大学では学生同士で殴り合いは絶対に許されない。(もしそうしたら)退学だ。そういうカルチャーの中にいる。殴ることも許されないのに、人を殺すことへのハードルはものすごく高い。

ーそれでも今の自衛隊の対応力は十分と思うか。

 組織としては、対応できる。組織は上の人が判断して動かすが、個々人はものすごく、病んでいく。後方支援のストレスでそうなる。戦争の日常によって。

ーそうなったら、毎日が・・・

 恐怖との戦いだ。

アジアの「脅威」はどうする?

ー戦争で命を落とす兵士のニュースが頻繁にあるような国から来ると、日本では何もなくてどうやって国を守れるのかと心配になる面も。

 非常に簡単なことをある人が言っている。北朝鮮がなぜ今攻撃をしないか。攻撃をしないほうが得だから、しない、と。北朝鮮が攻撃をしたら、自分の国がなくなるわけだから。

 北朝鮮のように孤立している国でも、どこかの国を攻撃したらマイナスだということが分かっている。今の世界の指導者の中で、何処かの国を攻撃したら、利益になると思っている政治家というのは、まずないだろう。これは時代が共有する価値観だと思う。

 第2次大戦の後、世界は大きく変わった。

ー日本は今軍事的な脅威にはないのか。

 本質的には全然ない。全くない。

ー中国はどうか。

 アメリカの国防省の2012年の本によれば、中国の戦略は中国共産党の指導者によって決められる、と。これはいいだろう。中国共産党の指導者は、未来永劫的に指導層にいたいと思う。これもいい。指導層にいるためには、国民の支持を必要とする。これもいい。じゃあ、中国の国民にとって、一番重要なポイントは何かというと、自分たちの生活が日々良くなれば、共産党を支持する。

ー経済がモノを言う、と。

 ここもいいだろう。では、経済を良くするためには何が必要かというと、自分たちの作ったものが海外で売れなければいけない。海外で売れるためには海外と敵対的にはなれない。だから中国の基本的な戦略は、対外的に敵対的な行動はとらないことー。非常に論理的ではないか?

(取材日、7月10日)
# by polimediauk | 2015-07-22 19:40 | 日本関連
c0016826_22322977.jpg

(オランダ生まれのサイト「Blendle (ブレンドル)」)

 オランダで生まれた、マイクロ・ペイメント制のメディア・サービス「Blendle(ブレンドル」が、立ち上げ(2014年4月)から1年余を経て、海外展開を始める予定となっている。

 20代後半のオランダのジャーナリスト2人が立ち上げたサービスで、一本ごとに記事を買える仕組みだ(1本15セントから30セント=約20円から40円)。記事の販売価格は出版社側が決めるため、場合によっては30セント以上になる場合もある。読んでみて気に入らなかったら、返金もできるという(その場合は理由を伝える)。返金率はこれまでに全体の約5%で、ほとんどの人が満足して読んでいるようだ。

 現在のところ、利用者はオランダ国内の25万人で、人口全体の2%にも満たないものの、60%が20歳から35歳の若者たちで、最も多い読者層は20歳から25歳まで。「新聞を読まない」とされる層であることが強みの1つだ。

 ブログ「メディアの輪郭」によると、政府の助成金や自分たちで貯めた資金でサービスを立ち上げた。販売する記事価格の約70%を出版社が受け取り、30%をブレンドルが受け取る仕組みだ。

記事バラ売りのアイデアは前からあったが

 「欧州ジャーナリズム・オブザーバトリー」の記事によれば、 ニュース記事を1本毎に売るというアイデアはブレンドルが初ではない。6年前に米ニュース週刊誌タイムの編集幹部だったデービッド・カーとジャーナリストのウオルター・アイザックソンがすでに思いついていたという。私自身も、英新聞のいくつかのサイトで、前に似た様なことをやっていたことを記憶している(1本購入した後で、知りたかったことが書いておらず、がっかりしたり、など)。

 ブレンドルはフリーランスの書き手にも道を開く。欧州オブザーバトリーの記事の中で紹介されているように、フリーランサーたちが便宜上1つの集団としてまとまり、「出版社」として記事を提供するのだ。その具体例が「TPOマガジン」だ。

 読んだ記事はソーシャルメディアでシェアでき、友人たちや著名人がどんな記事を読んでいるか、どんな記事がトレンドになっているのかが分かるようになっている。

 ブレンドルのウエブサイトによれば、利用者が読みたがるのは深みのある、じっくり書かれた記事、分析、論説などだという。

 ドイツの新聞最大手アクセル・シュプリンガー社や米ニューヨーク・タイムズが投資をしていることでも知られているブレンドル。若者層が利用者となっている部分が、大手メディアにとって、何物にも変えられない、大きな魅力なのだろう。

 「ジャーナリズムのアイチューンズ化」を目指すと創立者たちは言ってきたが、アップルが音楽のストリーミングビジネスに入るという大きな決断を発表した今、果たしてマイクロペイメントから閲読ストリーミング(?)、例えば毎月一定額(ただしそれほど大きな額ではなく)を払って存分に読める形も、将来的には考えることになるのだろうか?

 ただし、もちろん、毎月一定額を払えば掲載記事が全部読める、という形はすでに存在はしているが。

 例えば私が参加している朝日新聞の有料サイト(無料記事もある)「WEB RONZA」は、さまざまな記事の配信方法を試みている。また、記事の有料配信と言えば日本では「ケイクス」(週に150円)が人気だ。他にも大手メディアは紙媒体の購読者となっていれば、自社記事に限れば、電子版でもすべてを読めるようにしているところが多い。

 英語あるいは日本語でブレンドルのサービスが始まったら、少しは私も利用してみようかなと思っている。

 私自身、いくつかのメディアについては有料購読(毎月あるいは年間)しているが、興味があるメディアすべてを有料購読したら、財布がパンクしてしまうので、無料記事だけを読む場合がある。そこで、トライアルとして読みたい記事をバラ買いするのもいいかな、と。読むことで紹介されている媒体の定期購読をすることもあり得るかもしれない。

 また、フリーランスのジャーナリストへの道が開けるという可能性も魅力的だ。


どんな記事が読めるかが鍵に


 書き手として気になるのは、「お金を払ってもらえるほどの価値あるコンテンツを、生み出せるだろうか」と。

 紙媒体の定期刊行物であれば、他の記事とセットになるわけだが、ブレンドル形式だと、1本1本の記事が勝負になる。

 また、読み手として考えた場合、1本毎にお金を出して読むほどの興味深い記事を果たしてどれだけ見つけられるかな?と。

 日本ではニュースのキュレーションサービスがどんどん出てきており、もはや「どうやって配信するか」「お金をもうけるのか」よりも、「どんな内容だったら、読んでかつお金を払ってもらえるのか」の段階に来ているように思っている。とにもかくにも「内容」なのだ。

 ということで、ブレンドルが英語でサービスを開始した時、何が読めるようになっているのか、この点が最も肝心だろうと思っている。
# by polimediauk | 2015-06-09 22:33 | ネット業界
c0016826_6375085.jpg
 
(ラスブリジャー編集長の、現職での最後の記事ーガーディアンのサイトより)

 左派系高級紙「ガーディアン」の編集長アラン・ラスブリジャー氏が、29日、20年にわたる編集長職を終えた。ぼさぼさ頭に黒縁のめがね、学者然としたラスブリジャー氏が去るのは、寂しい思いがする。

 最も印象深い事件を一つだけ挙げると、あのスノーデン報道(2013年6月以降)が思い出される。これは、米英の諜報機関による、世界的な監視・情報収集体制を暴露した報道だ。情報源は元CIA職員エドワード・スノーデン氏(ロシアに亡命中)だった。

 「国家の機密を外に出す=国益に反する」報道について、英国政府、政治家、情報機関側から批判が出るのは避けられなかった。

 ラスブリジャー編集長は下院の内務問題委員会に召還され、報道の意義や負の影響について、下院議員たちに問いただされた。このような委員会には呼ばれるだけだって、びびってしまいそうである。「君はイギリスという国を愛していないのか」と聞いた議員もいた。

 ラスブリジャー氏はどんな質問にも堂々と、かつ熱意を持って答え、ガーディアンを痛めつけようとした議員の発言を見事に切り返した。なんとも根性が座った人だと思ったが、もちろん、後で判明するように、情報機関の役人から、スノーデン・ファイルが入ったラップトップコンピューターのハードドライブを破壊されるといった脅しも経験していた。

 スノーデン報道の前には、「メガリーク」という言葉を生んだ、内部告発サイト、ウィキリークスが媒介役となった、巨大な量の米軍の情報ファイルの暴露報道があった(2010年)。情報をリークした米兵チェルシー・マニング(当時はブラッドリー・マニング)は軍事関連情報をリークした罪などで、35年間の禁固刑を受刑中だ。

 メガリーク報道では、どんな内容になるかを事前に教えてくれと米政府関係者に電話で迫られたが、それには答えずお茶を濁した・・・という。(メガリーク報道にご関心のある方は、以前のエントリーをご参照されたい。)

 調査報道記者デービッド・リーが主導した、「エイトケン事件(武器調達の収賄事件)」もあった。ラスブリジャー氏が編集長になってからほんの3ヶ月の頃の話である。(以下、以前のエントリーから抜粋・引用。)

 1995年4月10日、ガーディアン紙は、ジョナサン・エイトケン財務副大臣(当時)が、サウジアラビアから兵器契約に絡んで賄賂を受け取っていたと1面で報じた。同紙とグラナダ・テレビの調査報道番組「ワールド・イン・アクション」(WIA)の記者による調査を基にしていた。WIAは、エイトケン氏の武器調達大臣時代の賄賂受領疑惑を「アラビアのジョナサン」と題する番組で、同日午後8時から放映予定だった。

 ところが、エイトケン氏は放映3時間前に記者会見をし、「嘘と嘘を広める人」への「戦い」を始めると宣言した。番組は放映され、同氏は名誉棄損で提訴した。

 有力政治家との真っ向からの対決である。

 しかし、同氏のパリのホテルでの宿泊代が賄賂であった証拠をガーディアンとWIAの共同取材が明るみに出し、1997年、同氏の敗訴が確定した。99年、同氏は偽証罪と司法妨害で有罪となり、18か月の実刑判決を受けた(実際の受刑は7か月)。裁判費用が膨らみ、同氏はロンドンの自宅を売却しても足りず、破産宣告を受ける羽目になった。

 ラスブリジャー氏の指揮下で、かずかずの調査報道が掲載されたが、近年はデジタルジャーナリズムへの投資で英国内外で広く知られるようになった。英国の新聞の多くがウェブサイトの閲読を有料化(メーター制)しているが、ガーディアンは過去記事も含め、すべてを無料でやっている。ここでも、筋を貫いた。

 「オープンジャーナリズム」(メディア組織に勤務する人員だけでコンテンツを作るのではなく、読者、視聴者、専門家、外部のITエンジニアといった、「他者」を巻き込んでコンテンツを作る)の提唱者でもあった。(ガーディアンのオープン・ジャーナリズム

 ラスブリジャー氏は編集長として最後の記事を書いている。

 これによると、その経緯は:

1979年:ガーディアンでの勤務開始
1988年:いったんガーディアンを離れていたが、特集面の編集者として戻る
1992年:小冊子「G2」を創刊(修正しました。)
1995年1月:編集長、就任
1997年:英新聞界では初めて、オンブズマン制度を作る
1999年:ウェブサイト「ガーディアン・アンリミテッド」開始
2005年:縦に細長い、ベルリナー判に変更
2006年:論考・オピニオンをブログ形式で出す「コメント・イズ・フリー」を開始
2008年:ロンドンのキングス・プレースにオフィスを移動
2010年:ウィキリークスのメガリークス報道
2011年:巨大電話盗聴スキャンダルを暴露
2013年:スノーデン報道
2015年5月29日:編集長として最後の日

 30日から、キャサリン・バイナー氏が編集長となる。創刊以来、初めての女性編集長だ。

 ラスブリジャー氏は夏から、ガーディアンを所有するスコット・トラストの会長となる。

 ご関心のある方は、ラスブリジャー氏やガーディアンについてはこのブログでもちょくちょく書いてきたので、ブログ内検索を使って、いろいろ探してみていただきたい。
# by polimediauk | 2015-05-30 03:26 | 新聞業界
(月刊誌「メディア展望」4月号==サイトからダウンロード可=の筆者原稿に補足しました。数字などが原稿を書いた当時の3月中旬のものであることにご留意ください。)

 「忘れられる権利」(right to be forgotten)という表現が、このところ大きな注目を浴びている。

 インターネットが普及した現在、いったんネット上に情報がアップロードされてしまうと完全に削除することは困難だ。「忘れてくれない」のがネットの特質とも言える。しかし、個人情報やプライバシー保護の観点から何らかの是正措置があるべきという声が高まってきた。

 ネット上の個人情報の保護について画期的な判決が出たのは、昨年5月だ。欧州連合(EU)の最高裁判所となる欧州司法裁判所(CJEU)が米検索大手グーグルに対し、EU市民の過去の個人情報へのリンクを検索結果に表示しないように命じる判決を下したのである。

 「忘れられる権利」をめぐって欧州の市民がグーグルに初めて勝訴したのは2011年と言われている。フランスの女性が若いときに撮影したヌード写真が30万以上のホームページにコピーされたことから、グーグルを相手取り、写真の削除を求めて訴訟を起こした一件である。

 昨年5月のCJEUの判断は、欧州内で市民に忘れられる権利を保障する典型的な判例となったこと、グーグルが包括的な取り組みを開始したという点で非常に大きな動きだ。

 本稿ではその経緯と余波を記してみたい。

スペイン人男性による訴え

 もともとの話は1998年にさかのぼる。スペインの新聞「バンガルディア」は同国人の男性が社会保障費を未払いし、回収のために不動産を競売にしたという記事を掲載した。その後、男性は未払い分を処理したが、この新聞のウェブサイトには当時の記事が掲載され続けた。このため、男性がグーグル検索で自分の名前を入力すると、十数年前の未払い問題が表示結果に上ってきた。

 2010年、男性はバンガルディア紙とグーグル・スペイン社及び米本社に対し情報の削除を求める訴えをスペインのデータ保護局に起こした。保護局はバンガルディア紙の報道は「合法」として男性の削除願いを退けた。しかし、グーグルに対しては表示結果に出さないように命じた。これを不服としたグーグルがスペインの高裁に控訴し、高裁はCJEUに判断をゆだねた。昨年5月13日、CJEUはグーグルに対し該当する個人情報を表示しないように命じた。

 CJEUはグーグルが「データの管理者」の役目を果たしている、と見る。グーグルには市民の基本的権利、自由、特にプライバシーを維持する権利を守るというEUデータ保護指令(1995年発効)に基づいた「責務を順守する必要」があり、個人が不都合と考える自分についての情報を表示結果に出さないようにするべきという判断を示した。その一方で、利用者の知る権利とプライバシー保護には「公正なバランス」が必要で、公人の場合は利用者の知る権利が優先されるとした。

 2012年には、欧州委員会が保護指令のアップデート版とも言える「データ保護規則案」を提案。これは非欧州企業であってもEUのデータ保護規則などに従う必要があること、情報の削除を申請する個人ではなく情報を発信する企業側に立証責任を持たせることなどを含む。今年3月13日、EU加盟国はいくつかの修正を加え、規則案を採択した。

 日本では昨年10月、東京地方裁判所がグーグルに対して検索結果の削除を命じる仮処分判断を発令している。検索結果自体の削除を裁判所が命じた、日本初の事件と言われている。

グーグルの対応


 グーグルは、昨年5月29日から削除申請の受付を開始した。自社の「透明性レポート」のサイトで結果を公開している(毎日更新)。

 3月14日時点では削除申請総数が欧州全体で23万1316件、削除のために評価したURLは83万5940に達した。評価したURLの中で59・5%が削除された(表示結果に示されないようになった)。

 意したいのは、こうした数字はあくまでEUの司法判断を受けての関連削除である点だ。どの大手検索エンジンも一部の情報については表示結果に出ないようにする作業を常時行っている。違法行為につながるような情報(著作権物の違法ダウンロード、児童ポルノに関わる情報・画像など)や性犯罪の犠牲者の個人情報などがこれに入る。

 司法裁判所による「忘れられる権利」の判断は果たしてどこまで及ぶべきだろうか。

 グーグル側は欧州で利用される検索エンジンのサービス(例えばフランスのgoogle.fraなど)に限定したのに対し、昨年11月、EUの個人情報保護規制当局で作る調査委員会は、対象を全世界での検索エンジンに採用することを求めた。

 しかし、2月6日に発表された、グーグルの「諮問委員会」による報告書によれば、グーグルは今後もこれまでの方針を変えないようだ。

 諮問委員会はグーグルが司法判断を実際に運用する際の指針作りのために設置された。ドイツの元法相、ネットサイトの創始者、学者などグーグル側が選出した専門家8人が委員として参加し、委員会の招集者としてグーグルの最高法務責任者とエリック・シュミット会長が名を連ねた。

 報告書はリンクを表示結果に出さないようにする行為を「リストからの削除(delisting)」と表記している。ここでの「削除」とは情報を掲載するウェブサイト自体を削除するのではなく、また情報自体を削除するのでもなく、「表示結果に出さない」という意味であるため、より正確な表記といえよう。

 報告書はグーグルが「リストからの削除」をする際の4つの指針を提案している。(1)公人かどうか、例えば政治家、企業経営陣、著名人、宗教上の指導者、スポーツ選手など。この場合、削除の対象にはならない可能性が高い、(2)情報の種類(個人の性生活、財務状況、身元情報、未成年の情報など)も削除対象となる要素だ、(3)情報源がメディアの記者、著名なブロガー、作家などで公益のために情報を出した場合、削除対象になりにくい、(4)時間―その情報が出てからどれほどの年月が経っているかで判断が変わりうる。

 どの地域が対象となるかについて、大部分の委員が「欧州域内での検索サービスに適用」を支持した。グーグルによると欧州の利用者の95%が自分たちの居住国版の検索エンジンを使っているという。欧州にいながらも他地域の例えば米国版グーグルを使うことは可能であるため欧州域内での検索サービスに限定しても問題はなく、逆に全世界を対象とすると情報統制をもくろむ「独裁国家が利用者に厳しい統制をかける」手法として悪用されることを避けるためだ。

 報告書の「付録」部分には各委員の意見が表明されている。委員3人は「削除」がパロディーを行う権利を侵害する恐れから、削除対象に宗教についての情報を入れないようにするべきと主張した。

 「ウィキペディア」創立者のジミー・ウェールズ氏はグーグルという一企業が削除対象を自分たちで決定することへの大きな危惧を表明した。「情報をもみ消される側の出版社が申し立てを起こす適切なステップを与えられないままに、一営利会社が私たちの最も基本的な権利である表現やプライバシーについて、裁判官の役目を果たすことを余儀なくされる司法体制に真っ向から反対する」。同様の危惧は複数の英語圏の報道で散見された。

 米国でグーグルを検索エンジンとして使う人の割合は60数パーセントだが、欧州では90%を超えるとされる。1企業が市場をほぼ独占する事態が現実化している。

 個人情報の「リストからの削除」について、言論活動に関わる人から出た懸念は、「歴史を書きかえる」行為につながりはしないかと言う点だ。たとえ本人にとっては不快であり、一般的には瑣末と思われる情報でも、ある社会状況を研究する、あるいは正確に把握するためには貴重で重要な情報となる場合もあり得る。

 しかし、ひとまず、不正確な個人情報を「正す」仕組みができたことは大きな功績といえよう。検索エンジンが何を表示するかしないかは運営側にほぼ一任されてきたが、CJEUの判断は市民側からの申し立ての道筋を作ったのである。

 (月刊誌「メディア展望」4月号の筆者原稿に補足しました。筆者の原稿のほかに、中国や米国の海外情報ほか、興味深い記事がたくさん掲載されていますので、よろしかったら、サイトをご覧ください。)
# by polimediauk | 2015-05-15 09:19 | 欧州表現の自由
c0016826_263473.jpg

(ニュースエクスチェンジのフェイスブックのサイトから)

月刊誌「メディア展望」3月号の筆者原稿に補足しました。)

 テロ組織がネット上に出す動画をメディアはどのように取り扱うべきだろうか。

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(自称の組織名であり、国ではない)による日本人2人の拘束・殺害事件では、日本のさまざまなメディアが、少なくとも最初の頃は動画をほぼそのまま流していたように見受けられた。筆者は疑問を抱いた。こんなことをしていいのだろうかー?「垂れ流し」になってはいないだろうか?「テロ組織のプロパガンダになるかもしれないが、どうするか」という問いをした上での公開だったのだろうか、と。 

 一連の人質殺害動画には大きなニュース価値があり、報道すれば多くの読者・視聴者を集めることができる。しかし、メディアがテロ組織のメッセージをそのまま伝えれば、その宣伝活動に不本意にも加担してしまう危険性がある。

 さて、どうするべきか?

 昨年末、チェコ・プラハで国際ニュース会議「ニュース・エクスチェンジ」が開催され、ここで議論されたテーマの一つが、「テロ組織によるメッセージをテレビがどのように伝えるべきか」だった。

 会議は欧州放送連合傘下の「ユーロビジョン」が運営し、世界のテレビ局大手の編集幹部や学生、ジャーナリストら約500人が参加した。

 会議の特別セッション(「『イスラム国の上昇』:報道の教訓は何か」)で、欧米メディアの編集幹部が「イスラム国」による動画をどのように捉え、処理してきたかなどを話し合った。

 本稿ではセッション内の主要な発言を紹介するとともに、今年2月3日に公開された、ヨルダン人パイロットの焼殺動画の米国での放送状況についても記したい。

メディアは「共犯者」か?

 セッションに参加した国のいくつかは、イスラム教過激主義グループによって国民が拘束され、政府との交渉の結果(あるいは交渉をしないことで)、人質となった人物が殺害された事件をこれまでにも経験済みだ。

 しかし、改めて大きな分水嶺となったのが、昨年8月、「イスラム国」のメンバーによって米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏が殺害され、その斬首場面が入った動画が公開された時だった。その後も欧米人では5-6人以上、非欧米人では数十人が同様の手法で殺害され、動画がネット公開されている。

 セッションの司会者マシュー・アムロイワラ氏(英BBC)によると、フォーリー氏の動画公開後、BBCは「静止画と音声のみを流す。動画は見せない」方針を決めた。これが世界中の多くの放送局で1つの型となったという。一方、動画はグループの活動を広める役割を持つプロパガンダでもあり、「メディアは報道することによってプロパガンダの共謀者となった」という見方があると同氏は指摘した。

 英民放「チャンネル・ファイブ」のニュース部門編集長クリスティーナ・ニコレッティ・スクワイヤーズ氏は番組内で使ったのは「静止画のみだった。理由は動画を出すとプロパガンダに加担すると思ったからだ」と述べた。また、「オレンジ色のつなぎ服姿で砂漠にひざまずき、後に殺されるという、人間として不名誉な姿を映すべきではないと思った。さらに、午後5時放送のニュースを見る視聴者のニーズにも合っていない」。

 米CNNインターナショナルのニュース幹部トニー・マドックス氏は「何をどう見せるかは、その時々によって変わって来る」とし、「犠牲者の名誉を考え、映像を番組内で出す割合がだんだん減少した。最後(4人目の英国人人質)には映像をまったく出さなかった。言葉で説明するだけで意味が通じるようになっていたからだ」。

 中東カタールに拠点を置く衛星放送アルジャジーラのアラビア語版のニュース部門ディレクター、イブラヒム・ヘラル氏は「音声にも強いメッセージが込められている」点を指摘した。

 フランス語、英語、アラビア語で放送する24時間のテレビニュース局、フランス24は「静止画のみを映した」(フランス24英語サービスの編集幹部フランソワ・シャンピー=ウストン氏)。部内では「イスラム国」の呼称(「ダーイシュ」あるいは「ISIL」という表現を選択)、殺害行為の表現(殺害=マーダー=なのかあるいは「暗殺」=アサシネーション=なのか)についても話し合いがあったという。

 人質の「名誉・尊厳に考慮して」画面に映さないようにするという見方には会場内から反論も出た。「不適切な部分を取り除いてニュースを報道するというやり方には問題があるのではないか」、「貧困や紛争などで苦しむ世界中の人々の姿をメディアは報道している。犠牲者が西欧人ジャーナリストとなった途端に、報道に臆病さが出るのはおかしい」(南アフリカの地方テレビ局の男性)。

 「ジャーナリストには現地の様子を伝えるという使命がある。たとえ不名誉な格好であったとしても、映すべきだ」(ジャーナリストの安全性確保のために情報を提供する組織「INSI」の女性)。

 「静止画を映すだけでも『イスラム国』に協力しているとする批判にはどう答えるか」と司会者が聞く。CNNのマドックス氏は見せる意義があると主張する。「一連の動画を見た上で政治家が政策を決めている。国民は、どうやってある政策が決まっていったのかを知る必要がある。報道すること自体に大きな意義がある」。

 一方、アルジャジーラのヘラル氏は「静止画かあるいは動画かというのは瑣末な話だ」と発言した。

 同氏はアルジャジーラが「イスラム国」メンバーとこれまでもにさまざまな動画の放送について情報交換をしてきたことを説明。自分自身もシリアを訪れ、戦闘現場を視察してきたという。アルジャジーラは「イスラム国」の「脅しやプロパガンダ性について深く、広く見聞してきた」。昨夏以来の一連の動画によって、「イスラム国」側は「残酷さを見せびらかし、新たな戦士の採用をもくろんでいる」、「私たちはこれを許さない。動画は人間性への脅しだ」。

 アルジャジーラとしては「イスラム国」の動画の目的を「成就させないようにしたい。動画全部を流すことでいかにこの組織が獣のような存在であるかを示せるのなら、そうする」。

 ヘラル氏は続けて「イスラム国」の狙いは「世界中のメディアが自分たちを怖い、悪魔のような存在として映し出すことだ」。ある調査によれば、アラブ世界で「イスラム国」を強く支持している人は10%、少し支持が30%、反対派が60%。「この程度の支持率を持つグループに力を与えてはいけない」。

 残酷動画をテレビで放送しないで欲しいと家族が頼んだらどうなるか、と司会者が会場に問いかける。「家族の声は考慮する。耳を傾ける。しかし、最終的には私たちが報道に値すると考えたニュースは報道するだろう」(BBC勤務の女性)。

 紛争地での取材に危険性が高まると、記者を送れないという事態が発生する。

 フランス24では近年、派遣先のマリで記者2人を殺害されている。同局のシャンピー=ウストン氏は「自局の記者を送れないほど危険な場所にいるフリーランスのジャーナリストには仕事を依頼しない。自分たちが人を送れない場所に他の人が行くことを奨励するべきではないと考えるからだ」。

 こうした報道状況は「非常に不満足だ。記者は紛争地に行って取材したがる。しかし、安全性が保証できないので、許可しない」。代わりに頼るのは通信社の報道だという。

 司会者のアムロイワラ氏がアルジャジーラのヘラル氏に聞く。「何をどのように報道しても、テロ組織の広告・宣伝を大手メディアが買っている状態になる、という人がいるが、どう思うか」。ヘラル氏は「確かにそういう面がある」。アルジャージラでは「イスラム国」と一定の距離を保ちながら、情報ルートを維持し続けているという。「時には動画のすべてあるいは一部を放送したほうがいい場合もある。そうすれば、視聴者はネットに行って動画を探す必要がなくなる。放送局で出せば、こちらの編集上の文脈で出せる」。

米フォックスがパイロットの動画を放送

 2月3日、残酷度において一連の殺害動画を上回る動画が公開された。「イスラム国」グループに拘束されていたヨルダン人のパイロットが焼き殺される様子を映した、約22分の動画である。

 多くの大手放送局が動画の一部のみあるいは静止画数枚、または殺害の様子を言葉で説明して報道を行ったが、パイロットの国ヨルダンではそのほぼ全部が繰り返し放送された。

 米フォックス・ニュースはアンカー、ブレット・ベイヤーが動画を番組内で取り上げた後、その全貌をウェブサイトに掲載した。動画には冒頭に極端にどぎつい内容であるという警告が出た。同局の編集幹部は「ISIS=「イスラム国」の別の呼称=の残虐さを見る選択肢」を視聴者に与えたと説明した。「見ることも見ないことも選択できる」。

 フォックス・ニュースはテロ組織に発言の場を与えたということで大きな非難との的となった。

 一方、CNNは動画の内容を言葉で伝えたのみだった。その編集方針について同氏は同局の番組内で司会者の質問に答えている。「その時々によって編集方針は変わる」という。静止画で見せたフォーリー氏の場合は「こんなことは起きたのは初めてであったし、何が起きたのかを視聴者に伝える必要があった。後藤健二さんの場合も殺害されたことを伝えたかった。今回はあまりにも残酷な動画でいかなる編集上の理由からも放送することを正当化できなかった」という。「言葉で説明できる。見せることで何も得ることがない」。

 「パイロットが亡くなる前の映像でもそうか?」と聞かれ、人質となって殺害場所に向かう姿を映すのは「人間としての尊厳を冒す」と答えている。

 司会者の1人が「どこまで何を出すかの線をどこで引くか」と聞いた。「絶対にあれをしない、これをしないとは言えない。ただ、何を出すかはCNNの編集部で決めるべき」、(動画を出した「イスラム国」など)「他者に設定されるべきではない」とし、その都度の決定について「視聴者に説明して行きたい」と語った。

 ネットに行けばさまざまな情報が出ている。一つの編集判断としてあえて動画も静止画も見せないというCNNの判断は貴重に思えた。(終)

***

 上で紹介した、テレビジャーナリズムの国際会議「ニュースエクスチェンジ」については、雑誌「GALAC」3月号にも書いている。良かったら、ご覧ください。

【海外メディア最新事情 スペシャルレポート】
ネット社会に報道機関の存在意義はあるか
# by polimediauk | 2015-04-06 01:57 | 政治とメディア
月刊「新聞研究」3月号掲載の筆者原稿に補足しました。)

 イスラム教スンニ派過激主義組織「イスラム国」(イスラミック・ステート:IS、通常の意味の「国」ではない)による2人の日本人(湯川遥菜さんと後藤健二さん)の拘束事件と最悪の結末は筆者にとって大きな衝撃だった。

 1月20日、「イスラム国」グループは最初の動画をユーチューブに投稿し、身代金2億ドルの支払いを要求した。この動画を初めて英国のテレビで見たときのことを良く覚えている。オレンジ色のつなぎ服に身を包んだ後藤さんと湯川さんが砂漠に並んでいた。私は胃をぎゅっと誰かにつかまれた思いがした。

英国の体験

 英国はこれまでにもイスラム教過激主義グループが中東諸国にいる英国人を拘束し、身代金や政治目的での交換条件を要求する事件に何度も遭遇してきた。政府は身代金を支払わない方針を崩さず、「テロリストとは交渉しない」姿勢を(少なくとも建前上は)維持してきた。

 筆者が特に忘れられないのは2004年、イラクでジハード・グループに拘束された英国人ケン・ビグリー氏や、2005年、慈善団体で働いていたマーガレット・ハッサンさんのケースである。

 仕事でイラクにいたビグリー氏はオレンジ色のつなぎ姿で動画に登場し、「助けて欲しい」と訴えた。ハッサン氏も動画を撮影され、イラクにいる英軍の撤退を求めた。両者ともに拘束グループに命令された言葉を発しているのは明らかだった。

 家族や知人、友人、著名人を使った解放への訴えにもかかわらず、ビグリー氏は拘束から1ヶ月で、ハッサン氏も約1ヶ月後に拘束グループに殺害された。

 昨年夏、「イスラム国」のメンバーによって米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏の斬首動画が公開された。夏から現在までに欧米人では5-6人、非欧米人(レバノン軍兵士、シリア軍兵士、クルド人兵士など)では数十人が残酷な手法で殺害され、動画がネット公開された。英国では国民2人がフォーリー氏と同様の手法で殺害されている。

 2月3日には、日本側が後藤さんとともに解放されることを望んでいたヨルダン軍の戦闘機パイロット、ムアーズ・カサーベス氏が殺害されたと見られる映像がネット上に投稿された。

 今回の日本人拘束・殺害事件は、その時々によって名前を変えてきたイスラム武装グループ(現在最も著名なのは「イスラム国」)による人質殺害事件の一つだった。

英国メディアの報道振り

 こうした経緯もあって、今回の日本人の人質事件を英メディアは連日、詳細に報じた。2人の経歴、家族の会見の様子、日本政府の動き、ヨルダン政府との交渉の行方などを特派員報告を中心に掲載した。

 ネット界でトレンドとなっていることを取りあげる「BBCトレンディング」(1月26日付)は、「アイ・アム・ケンジ」というハッシュタグが広がっていることや、いわゆる「クソコラ・グランプリ」について紹介した。後者は「イスラム国」の動画に出ていた人物をアニメや漫画を使った加工した画像の数々だ。

 ロンドン大学の講師グリセディス・カーチ氏は「ソーシャル・メディア上では2人がそもそもシリアに行くべきだったのかどうかについて、議論がある」と指摘した。

 BBCはウェブサイトで後藤さんについて充実したプロフィールを掲載した。NHKやテレビ朝日でのリポートにリンクが貼ってあり、ジャーナリストとしての後藤さんへの敬意がにじみ出た。

日本の安保政策の変更に注視

 英メディアが熱く注視するのは、今回のテロ事件をきっかけに日本の安保政策に変更があるかどうか、だ。

 英フィナンシャル・タイムズの知日派デービッド・ピリング記者(著書『日本‐喪失と再起の物語:黒船、敗戦、そして3・11』)は電子版1月28日付の記事で「平和憲法に基づいた日本の外交政策は今、転換期にある」と書いた。防衛専門家岡本行夫氏のコメントとして、「誘拐は日本国民に世界の不愉快な現実を顕在化させた。見せ掛けの中立性にもはや隠れているわけには行かない」を紹介している。

 「安倍首相にとって憲法の再解釈を行うための法改正は簡単ではなさそうだ」が、「後退は一時的だろう」とピリング氏は予想する。「世界は変わっている。中国は日本に対し領土権主張を求めてくる」、また米国は「いざとなったら、日本を守るために米国人の血を流すことはしないだろう」-。日本政府が「傍観する日々は終わりつつある」。

 FTの電子版2月2日付の社説「日本のテロへの反応は孤立であるべきではない」は軍事力の施行を待望する論調だ。

 記事は人質事件によって、日本国内で「受動的な国際上の役割を維持する声」が大きくなる可能性を懸念する。人質拘束後に、安倍首相が2億ドルに上る人道支援を中東諸国に提供すると確約したことで、首相の批判者たちが「タイミングが悪かった」「人質の状況を悪化させた」「日本はグローバルなプロフィールを大きくしようとしないほうがいい」と言いだした。「しかし」、とFTは続ける。この事件が「安倍首相が計画している憲法上の変化の土台を壊してはならない」。

 最後の段落はこのように終わる。2人の殺害は「例え平和主義の国であっても、イスラム戦闘勢力の心無い暴力から逃れられないことを示した。日本の反応は国際的なエンゲージメントに根ざすものであるべきで、新たな孤立であるべきではない」。「国際的なエンゲージメント」は、戦闘も含めてのテロ戦参加を望んでいることを意味するだろう。

 筆者は、ここまでFTが日本に軍事的な対応を求めていることを知って、いささか驚いた。

 ガーディアン紙のジャスティン・マッカリー記者も、電子版2月1日付記事で安保政策の行方を案じた。

 物事がいったん落ち着いた後で、安倍首相は「日本は地域内の安全保障の分野で、より大きな役割を果たす必要があると主張するようになるだろう」。

 テンプル大学のアジア研究部門のディレクター、ジェフ・キングストン氏は記事の中で、後藤さん殺害のニュースに「日本の国民は恐怖感を感じ、事態を理解する段階にいる。どのように世論が動くのかは不透明だ」。

 記事は同氏のコメントで終わる。「国民は安倍首相の安保政策や、反ISIS(「イスラム国」)勢力に参加することへの深い懸念を持っている」―。首相が望むようには物事が進まないのではないかと示唆して終わっている。

 さて、どちらの方向に進むのだろう?
# by polimediauk | 2015-04-01 07:30 | 日本関連
c0016826_843721.jpg

(「政治を変えよう」というイベントに集まった人々)

(以下は、「週刊東洋経済」3月2日発売号の筆者記事に大幅加筆・補足したものです。)

強まる政治不信と国民の声

 混迷のユーロ圏に加入せず、2015年の実質GDP成長率は2.4%とまずまずの数字を予測する英国。欧州連合(EU)の危機となるギリシャ債務問題の解決や一触即発のウクライナ紛争を海を隔てた位置からやや遠巻きに見つめるー。EUの一員ではあるものの、欧州には一定の距離を置く英国は、安全地域で充足しているかにも見える。

 しかし、実は「欧州」をキーワードとして英国は今、大きく揺れている。EUの一員としての英国という位置付け、そしてスコットランド、イングランド、北アイルランド、ウェールズと言う英国連邦の枠組みが変わりかねないほどの重要な動きが発生している。

 欧州大陸の処々の事象が影響を及ぼしているのは確かだが、これまで政治家が故意に無視してきた国民の声が震源だ。

 昨年、英国の政治エスタブリッシュメントは2つの事件に目を見張った。5月、欧州議会選挙でEU離脱を掲げる英国独立党(UKIP)が急進し、英国に割り当てられた73議席の中で24議席を獲得し(前回から11議席増)、第1党となった(第2党は野党労働党の20議席、次が与党保守党の19議席)。離脱を主張する政党が最大議席を取得するとは、なんとも奇異ではないか。

 元投資銀行家で欧州議会議員のナイジェル・ファラージ氏が党首となるUKIPは当時、誰も真剣には受け取らない極右政党と見なされていた。しかし、そう思っていたのは政治家や知識陣のみだった。政治的にはタブーとなるEUからの離脱や移民流入に制限をつけるべきとするUKIPは国民の間にじわじわと支持者を伸ばしていた。

 EU離脱を主張する政党が欧州議会選挙で第1党(英国枠)となったーこれは国民の多くがEUに「ノー」と言ったに等しい。投票率は34.1%と最低(欧州全体では43%)となったが、わざわざ投票所に出向いて「ノー」を表明したことの意味合いが逆に深まったともいえるだろう。

 もう一つの事件が9月に行われた、スコットランドの独立の是非を問う住民投票だ。スコットランド国民党(SNP)が主導した独立への動きをロンドンの政治家たちは「どうせ実現は無理だろう」とたかをくくっていた。結果は独立反対派が賛成派を僅差で上回り、独立はかなわないことになったものの、84%近い投票率を記録する熱い戦いとなった。2010年の総選挙での投票率が62%であったことと比較すると、突出した数字である。

 EU離脱と独立支持派の拡大の背景には、中央の政治家や知識層の主張と国民感情との大きな乖離がある。

 17世紀に発展を遂げた英国の議会政治による民主主義は世界中に広がったが、国民の声が政治に反映されないー少なくとも国民がそう感じるー事態が発生している。そして、すでに一部の国民の手によって、上からの政治に風穴が開けられつつある。その「穴」とはUKIPやSNPの躍進だっともいえる。

「ない、ない、国民には何の権利もない」

c0016826_88230.jpg
 
(政治詩を読む「怒りのサム」)

 「EUを離脱する権利、ない。スコットランド独立、できない。パブでタバコを吸ってはいけない。ない、ない。国民には何の権利もない。ないことづくしだ」―。そんな言葉をステージ上で吐き出したのは、政治詩人のサム・バークソン氏。通称「怒りのサム」はロンドンでもっとも貧困度が高いといわれるハックニー地域を主として活動の場にしてきた。

 繰り返される「ない」と言う言葉が、2月8日、ロンドン北部で開催されたイベント「政治を変えよう」(慈善団体コンパス主催)に集まった聴衆の頭上を漂う。

 鉄工所の跡地を使った会場は8つに分かれ、100を超えるパフォーマンス、音楽、映画、議論が行われた。15分毎に出演者が変わるステージで、「言葉がナイフのように心に刺さる」と評されたこともあるサムの詩は集まった聴衆から喝采を浴びた。

 別の会場では野党労働党のステラ・クレアシー議員が政治の市民参加について話していた。中に入りきれない人が入り口に列になる。床に座り込んでノートにメモを取る人も数人いた。

 「政党が国民に何をしてくれるのか」-。批判めいた声が場内からあがった。クレアシー議員は「世界は複雑になってきた。1つの組織がすべての問題を解決できない」。政治家に頼るのみではなく「答えをみんなで見つけていこう。あきらめないで」。

 午後のセッションに登場した、ジャーナリストのジョン・ハリス氏は「現在の政治体制の最大の問題は最も多数の投票数を得た者が当選する仕組みだ。これでは国民の多くの声が政治の場に反映されない」と話す。

 2大政党時代は「1票でも票を多く得た政党が政権を担当することには正当性があっただろう」。しかし、どの政党も下院議席の過半数を満たせず、小さな党が複数存在した2010年の総選挙で、これまでのやり方に「大きな疑問符がついた」。2大政党以外の政党に投票した人の票が無駄になってしまう。「今こそ、比例制の導入も含め、広い意味の選挙制度の改革を実施するべきだ」ー。

 5月7日、英国で総選挙が行われる。前回の総選挙では過半数を取る政権がおらず、最多数の議席を獲得した保守党が3番目の自民党と手を握る連立政権が成立した。2大政党政治の長い伝統がある英国で、絶対多数の政党がない議会となるのは1974年以来という珍しい出来事だった。

 開票後、保守党と自民党の連立政権成立までには数日かかった。一時は2番目に多い票を獲得した労働党と自民党が手を握る可能性もあった。政治家たちが政権樹立のための交渉を重ねる中、国民はただ見ているだけだった。

EU離脱思考を生む英国民の問題意識とは?

 英国のEUへの不信感には根強いものがある。

 英国は元は植民地だった米国とは、歴史的な経緯やその後の二国間の協力体制、共通言語としての英語、人やビジネスの往来状況などから非常に深い関係にある。米国と比較すると、西欧の主要国フランスやドイツとは過去数世紀にわたって戦争をしてきた過去がある。大英帝国として世界に君臨したことも英国人のDNAに入っている。欧州他国のように何らかのグループに入らずとも、独立独歩でやっていけるという自負がある。

 紆余曲折の後で1973年に後のEUに加盟したものの、独自通貨ポンドを現在まで維持し続けてきた。当時から現在に至るまでも、加盟の意義はあくまでも経済的な利便性であると多くの国民が認識している。

 1984年、サッチャー政権は農業補助金の受取額が少なく負担の方が大きいとしてEU予算からの払戻金制度を勝ち取り、人の移動を自由にした「シェンゲン協定」にも英国は加わっていない。

 「ジョークが分からないドイツ人」、「蛙のような変なものを食べるフランス人」など、偏見とステレオタイプが入り交じった冗談は英国人の会話に頻ぱんに出現する。逆に「勤勉で何でもきちんと遂行するドイツ人」、「何を食べても太らないのがフランス女性」など、尊敬や憧れ感が入った表現もあるが、いずれにしても「大陸の欧州人=外国人」と言う視点は変わらない。

 さらに、近年のEUへの不信感の根にあるのは「訳のわからない官僚組織が不当な要求を英国につきつけている」という思いである。英国では自分が住む地域を代表する欧州議会議員の名前を知っている人はほとんどいない。議会活動をフォローしている人は希少だ。「何をしているか分からない議員たちーどうせたいしたことをしていないーが、経費を無駄遣いしている」という認識が一般的だ。

 ところが、その「訳のわからない官僚組織」は日常生活のレベルで自分の身に影響を及ぼしてくることがあり、英国民としては「頭にくる」ことになる。

 身近な問題としてEUへの怒りがうっせきしてきたきっかけは、2004年に旧東欧諸国を中心とする10カ国のEU加盟であった。当時、EU加盟国のほとんどが新EU市民の流入を一時的に制限する措置を導入した。英国は労働者登録制度を採用したものの、実質的にはほとんど制限をつけないも同然であった。

 結果としてEU域内から英国への移民純流入数は2003年の1.5万人から、04年には9万人、06年には10万人を超えた。

 人、モノ、サービスの自由化を掲げたEUから入ってくる人を英国は止められない。学校では新たに入ってくる生徒数が急増する場合が発生し、地方自治体のレベルでも予期せぬ人口が増えたためにサービスが行き届かない、経費カットを余儀なくされる事例が報告された。

 EU市民の姿が自分の生活の周りに目に見えて出現するようになった。通りにオープンするポーランド食品店、コーヒーショップでウエイトレスとなる東欧諸国出身者、水道管の不具合を直す修理屋、家を建ててくれる大工など、至るところに新移民の姿があった。ポーランド出身の大工は実は英国のこれまでいた大工よりもしっかりと仕事をこなすことを英国市民はだんだんと知ってゆく。地元のカフェでふと辺りを見回すと「自分が知らない言葉を話す人ばかりだった」という現実に違和感を感じる高齢者の手紙が新聞に載るようになった。

 2008年の金融危機で失業率が上昇すると、「新EU市民に職を奪われた」という国民感情が生まれても不思議ではなかった。

 「移民はもういらない」-そんな感情が一部の国民の間で渦巻くようになったが、こんな発言は現在の英国では政治的に正しくない。人種差別にもつながる発言と取られかけないーたとえそれが本音であっても、である。

 ドイツのメルケル首相を中心にEUが政治的なまとまりとしての機能を強める動きが出てくると、ますます英国民の間でEUへの不信感は高まった。

 そこに現れたのが、国民の思いを代弁する、EU脱退を目指す政党UKIPであった。

フードバンクを年間100万人が利用

 2月19日、大衆紙ミラーに44人の教会関係者が連名で書いた手紙が掲載された。2010年の政権発足以来、緊縮財政を実行する政府の「福祉改革」が「国民的危機を発生させている」とする抗議文だ。

 「英国は世界第7位の経済大国だ。それでも飢餓状態にある人がたくさんいる」、無料で食事を配る「フードバンク」を訪れた人は「この1年で50万人を超える。昨年、栄養失調で入院した人は5500人となった」。原因は福祉の「削減や政策の失敗による」。

 英国最大のフードバンクのネットワークを運営する慈善団体「トラッセル・トラスト」によると、状況はさらに深刻だ。トラストは週に2つは新たなフードバンクの場所(教会である場合が多い)を設置している。3日分の食料が支給されるサービスを利用した人は2012-13年では34万人、13-14年では91万人に達した。トラストの調べでは英国全体の人口6300万のうちで1600万人が「貧困」状態にある。

 前政権が残した巨大な債務の返済があることなどを理由に、政府は福祉政策の締め付けを行っている。障害者用手当ての厳格支給、労働年齢と見なされる国民が受け取る失業手当に上限適用、余分の部屋を持つ低所得者用住宅に住む国民に対し福祉手当を打ち切るなど、数々の削減策が取られてきた。

 失業率のみを見れば金融危機以降の約8%から5%ほどに下がってきているものの、雇用主が就労時間を保証せず、必要なときにのみ仕事を提供する「ゼロ時間契約」で働く人も少なくない。

 この契約は雇用側からすれば需要に応じて働く人を確保できる利点があるが、働く側からすれば不安定な就労環境だ。就労時間にばらつきがあるため収入が一定せず、通常の雇用契約ではないため、銀行ローンを受けにくい。当日あるいは翌日からの勤務がオファーされた場合、就労開始までの時間が極端に短く仕事を断らざるを得ない場合もある。

 昨年4月末、政府統計局(ONS)がゼロ時間契約についての調査結果を発表した。5000の雇用主を対象に聞いたところ、140万件のゼロ時間契約が交わされていることが分かった。250人以上の従業員を持つ企業の約半分が利用していた。

 オズボーン財務相のかつてのキャッチフレーズは「私たちはみんな同じ状況にいる」だった。だから、経費削減になっても、生活が苦しくなってもがんばろうというメッセージである。

 しかし、光熱費、食費などが上がる一方の中で、公的サービスが削減され、フードバンクが人気となった状況に暮らす国民にとって、裕福な家庭出身者が多い保守党閣僚らと自分たちが「同じ状況にいる」ようには見えない。

どうなる5月総選挙


 5月7日の総選挙まで いよいよあと2ヶ月弱となった。各政党は支持者の取り付けに躍起だ。党首が学校や工場を回る様子をメディアが連日報道する一方で、他党のスキャンダルを見つけようと懸命だ。

 複数の世論調査によれば、保守党と労働党が首位を競う。「ポピュラス」調査(1月19日付)では保守党支持が30%、労働党が33%、自民党が8%、UKIPが13%、ほかが8%。「ユーガブ」調査では保守党が31%、労働党が32%、自民党が7%、UKIPが18%、その他が12%である。現時点では労働党がやや有利だが、保守党との差があまりにもわずかであるため、まだまだ安心はできない。

 躍進が期待されているのがUKIPだ。同党は下院の議席は2つしかない。1つは補欠選挙で得たものであり、1つは保守党議員の鞍替えによる。党首自身が欧州議会議員である。これまでの政治界の常識から言えば「外側」にいる、無視できる存在であったはずだ。

 しかし、EUへの懐疑や移民のこれ以上の流入を懸念する国民の本音を代弁してくれるファラージ党首とUKIPは、いまだに大手メディアの政治報道では「際物」扱いではあるものの、二ケタ台で議席を獲得しそうだ。支持率だけ見ると、UKIPはすでに第3党の存在だ。現在、連立政権に参加している自民党の座を奪ってしまった。(UKIPをどんな人が支持しているのかについては、東洋経済オンラインの筆者記事をご参考にされたい。)

 自民党は5月の選挙に生存をかける。現在50を超える議席を持つが、これが大幅に減少して30台に落ちるようだと、もし次回も絶対多数を取った政党がなく連立政権が発足する場合でも参加できなくなる可能性があるといわれている。逆に、政権参加をする・しないにかかわらず、二ケタ台の議席を押さえたUKIPが発言力を大きく増すことになる。

 キャメロン首相は、英国がEUに継続して加盟するかどうかを問う国民投票を2017年に行うと述べている。ただし、保守党が単独政権となった場合である。国民は「但し書き」がつくことが気に入らず、何故もっと早く国民の意を聞かないのかと大きな不満を持つ。UKIPに票が流れることを恐れる保守党上層部は、「2016年に開始案」も模索中だという。いずれにしても、EUに不満を持つ多くの国民の気持ちを満足させる答えになっていない。

 高い支持率を持つかに見える労働党だが、エド・ミリバンド党首の人気がぱっとしない。労働組合の支持を受けて党首に就任したことから、「赤いエド」とも呼ばれ、企業活動に支障をきたすような政策を実行するのではないか、大胆な財政出勤をすることで負債を増やすのではないかという懸念を国民が持つ。「バラマキ予算の後でツケを負わせられるのはいやだ」と街頭インタビューで答える人をよく見かける。投票日から2ヶ月で、ライバル政党との差が「数パーセント」というのでは、絶対多数を取れないだろうという見方が強い。

SNPが台風の目か

 調査では「その他」に入っているものの、注目どころはスコットランド国民党(SNP)の動きだ。現在は下院では6議席を有するのみだが、総選挙ではスコットランドに当てられた59議席の中で54議席ほどを獲得するという予測がある。そうなれば、SNPこそが第3党となり、連立政権を組むことになるかもしれない。

 第3党の座を巡る戦いとも言える今回の総選挙。ただ、保守党、労働党、自民党という現在の3大政党と、UKIPやSNPには大きな違いがある。後者は国民の声を元に政治を実現しようとしている印象がある。

 UKIPもSNPもかつては少数政党だった。スコットランドでは政権党となったSNPは独立運動ではいったんは後退したものの、地元スコットランド市民の声に耳を傾け、市民のために政策を実現しようとしている。

 UKIPは「反EU」「移民問題」という、既存政党が正面からは取り上げようとしない、かつ国民が解答を要求する問題にとりくむ。しかし、反EU,反移民は人種差別や内向き政策にもつながる危うさがある。EU離脱は現実問題として大きなビジネス上の不利益をもたらす可能性もあろう。また、英国がEUから離脱すれば、EUの性質が大きく変わる可能性もある。

 スコットランドの独立にもさまざまな不安定要素がある。独立推進派は「欧州の中のスコットランド」として進むことを望んでいたが、混迷のEUに加盟することへの意味合いやポンドとユーロの関係(ポンドを継続して使えるのかどうか、ユーロを採用するのか)も考慮する余地があるだろう。また、SNPは英国が保有する唯一の核兵器である、潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」システムの廃止を訴えている。英国が核兵器を持たない国になることは英国のみの問題ではなく、国際社会に大きな影響を及ぼす。これまでの英国の防衛政策の大転換ともなり、国民的議論が必要だろう。
# by polimediauk | 2015-03-14 07:59 | 英国事情
c0016826_7581729.jpg
 
(キャメロン英首相と握手するスタージョン自治政府首相、自治政府ウェブサイトから)

(以下は、「週刊東洋経済」3月2日発売号の筆者記事に補足したものです。)

 スコットランドの独立は夢のまた夢、とつい最近まで思われていた。

 その夢が実現の一歩手間まで行ったのが昨年9月18日に行われた、独立の是非を巡る住民投票だった。賛成が44・7%、反対が55・3%という僅差で終り、投票率は驚異的な84・6%を記録した。結局独立は果たせないことになったものの、これほどの盛り上がりを見せた選挙は英国では久しぶりだ。

 賛成派と反対派がここまで拮抗したことや投票までの熱戦から判断すると、スコットランドが二分され、禍根を残したのではないかと解釈する人もいるだろう。

敵はイングランド

 しかし、スコットランドが政治的に禍根を持つとすれば、その相手はイングランド(人口全体の約83%。スコットランドは約8%)だ。スコットランドにとって、首都ロンドンに置かれたウェストミンスター議会は「仮想敵」だ。

 「敵」感情の根っこにイングランド王国との合同(1707年)という何世紀も前の話を持ち出すまでもないが、英国を構成するそれぞれの地方の主都(スコットランドのエディンバラ、ウエールズのカーディフ、北アイルランドのベルファースト)に行くと、ロンドンがずいぶんと遠いように感じられるのは確かだ。

 一時はすっかり消え去ったかに見えた独立の夢だが、1970年代以降、沖合いにある北海油田の生産が本格化し、石油収入が不当にイングランド地方に搾取されているのではないかという不満がスコットランド内で高まった。

 サッチャー政権時(1979-90年)には多くの炭鉱が閉鎖され、反サッチャー・反保守党、反イングランド、反ウェストミンスター議会という感情がますます強まってゆく。

名を捨てて実をとる

 独立が実現しないのであれば、スコットランドが目指すのはできうる限りの権限の委譲である。

 投票の直前、賛成派が急激に広がっていることを察知したキャメロン英首相はエディンバラに飛んだ。連合維持ならば大幅の分権化をすると確約した。

 今年1月末、キャメロン首相はスコットランドのスタージョン自治政府・新首相に対し、所得税の税率を決める権限、16歳でスコットランド議会の選挙に投票できるようにすることなどを含んだ法案を提示した。5月の総選挙後に可決される見込みだ。

 スコットランドの独立運動を続ける草の根組織「急進独立キャンペーン」のキャット・ボイドさんにロンドンで会う機会があった。彼女によると独立への動きは「狭い民族主義的思いからではない」という。「運動にかかわるようになったのは、自分たちの声が反映される社会を作りたいと思ったから」。

 2003年のイラク戦争開戦前、国内では100万人規模の反戦デモが何度も開催された。ボイドさんもデモに参加した。「でも、結局、米英が戦争を始めてしまった。若い兵士が戦場に送られた」。自分の声が政治に反映されないという深い失望感を感じたという。

 「ウェストミンスター議会はどの地方に住む人の意見も代弁していないのではないか」、「自分で自分のルールを決めることができる、新しい社会を作りたいのよ」。遠いロンドンから統治されるのではなく、自分たちの手で物事を決めたいーそんな思いが伝わってくる。

 「住民投票では勝てなかったけど、私たちは消えてなくなったりはしない。ずっとスコットランドにいて、独立への運動を続ける」。
# by polimediauk | 2015-03-11 08:03