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小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

 ロシアと欧州の間に挟まれた小さな内海、バルト海。そこで近年、不思議な「事故」が繰り返されている。

 2024年末、フィンランドとエストニアを結ぶ海底電力ケーブルが突然切断された。修復には数カ月かかり、両国間の電力輸送能力の3分の2が一時的に失われた。その直前、近海には船の位置情報を発信する追跡装置「AIS」を切って航行していた不審なタンカーが確認されていた。

 欧州では今、こうした事案の背後にある存在として「ロシアの『影の艦隊』」が注目されている。偶発的な事故なのか、それとも意図的な破壊工作なのか。

 5月28日、ロンドンに拠点を置く紛争分析機関「ACLED(武力紛争位置・事象データ)」と、「欧州政策分析センター(CEPA)」が共同ウェビナーを開催し、「影の艦隊」問題を正面から取り上げた。

 登壇したのは、ACLEDのヴィトルト・ストゥプニツキ上席アナリストと、CEPAのマチュー・ブレグ上席研究員である。


「影の艦隊」とは何か

 「影の艦隊(Shadow Fleet)」とは、ロシア産原油を制裁の網をくぐって輸送する老朽タンカー群を指す。

 2022年のウクライナ全面侵攻後、G7諸国はロシア産原油に価格上限(1バレル60ドル)を設け、それを超える価格での輸送を西側の船舶・保険会社が担うことを禁じた。

 これに対してロシアは抜け道を作った。所有者が不透明なペーパーカンパニーを経由し、タンザニアやパラオなど、規制の緩い国々に形だけ船籍を置き、規制の網をくぐり抜ける形で登録した老朽タンカーを大量に集めたのである。

 船の多くは保険の実態が不透明で、航行中にAISを切る、あるいは偽の位置情報を発信することもある。AISとは、船舶が自らの位置や進路を自動送信する仕組みで、いわば船の「位置共有システム」だ。これを切ると追跡は一気に難しくなる。

 現在、こうした船は1000隻以上あると推計されており、バルト海や北海を日常的に行き来している。

 当初、欧州側はこれを主にロシアによる「制裁逃れ」の問題として見ていた。しかしここ数年、その認識は変わりつつある。


「制裁逃れ」から「工作活動」へ

 転機となったのは、海底インフラ損傷事件の続発だった。

 2023年のバルト海ガスパイプライン損傷、2024年のエストリンク海底電力ケーブル切断、さらに今年に入ってからもフィンランドとエストニアを結ぶ通信ケーブルが損傷している。

 いずれの場合も、周辺海域では不審な「影の艦隊」の船舶が確認されていた。ただし、証拠不十分などを理由に、これまで起訴に至った例はない。

 並行して、欧州各国では正体不明のドローン飛来も相次いでいる。

 2025年には、ベルギー、デンマーク、ドイツ、ノルウェーなどで海軍基地やエネルギー施設周辺への飛来が急増し、一時はコペンハーゲン空港の運航にも影響が出た。

 ACLEDのストゥプニツキ氏はウェビナーで、こう指摘した。

 「影の艦隊のタンカーは、通常の商業航路を通るだけでも、欧州の重要インフラ近くを繰り返し通過する。すべての船が工作活動を行っている必要はない。不透明な船舶が継続的に重要拠点の周辺を航行しているという状況そのものが、安全保障上のリスクになる」。

 2025年9月には、ドイツ海軍基地の上空でドローンを飛ばしたとして拿捕されたタンカーの船内から監視機器が発見され、ドイツ当局は「ロシアのスパイ船兼移動式ドローン基地」と認定している。

 今年2月には、スウェーデン軍がロシアの軍事情報収集艦から発射されたドローンを探知・妨害し、フランスの空母「シャルル・ド・ゴール」が標的となっていたことを確認した。ロシアの軍艦が制裁対象タンカーを英仏海峡で護衛する事例も報告されている。

 こうした動きを説明する際、欧州の安全保障専門家たちが頻繁に使うようになった言葉が「ハイブリッド戦争」だ。

 通常の軍事衝突とは言えない。しかし、平時の単なる事件とも言い切れない。軍事と民間、平時と有事の境界を意図的に曖昧にしながら、相手国に継続的な圧力をかけていくのがハイブリッド戦争だ。「戦争未満の攻撃」とも呼ばれる。


英国・欧州が特に警戒する理由

 欧州各国がこの問題に神経を尖らせる理由の一つは、「自分たちの生活圏」で発生しているからだ。

 北海とバルト海の海底には、欧州のインターネット通信、金融決済、電力融通を支えるケーブル網が張り巡らされている。損傷は単なるインフラ事故では済まず、市民生活や経済活動そのものに影響しかねない。

 NATOは昨年、バルト海での警戒強化を目的とした作戦「バルティック・セントリー」を開始した。ドローンや海軍・航空パトロールを組み合わせ、海上監視を強化している。

 CEPAのブレグ氏は、この問題をより長い歴史的文脈で捉える。

 「ロシアが西側との対立を前提に行動しているのは、今に始まったことではない。冷戦後も続いてきた発想の延長線上にある」。

 そのうえで、欧州内部の温度差にも言及した。

 「バルト三国やポーランドはロシアを明確な脅威と見ている。一方、西欧の一部では危機感が比較的弱い。この認識の差そのものが、ロシアにとって利用可能な隙になっている」。


「見えているのに手が出せない」

 専門家たちが共通して語るのが、「見えているのに手が出せない」というジレンマだ。

 最大の壁は、「意図の立証」にある。海底ケーブルが損傷した際、近くに不審船がいたとしても、「故意に破壊した」と法的に証明するのは極めて難しい。これまで起訴例が出ていないこと自体、その難しさを示している。

 さらに、法律上の制約もある。バルト海には完全な公海がほとんど存在せず、海域は各国の領海や排他的経済水域に分かれている。一方で、国際海洋法は「航行の自由」を認めており、外国船を容易には拿捕できない。

 加えて、ペーパーカンパニーを利用した複雑な所有構造が、責任の追跡をさらに困難にしている。

 制裁強化にも限界がある。ブレグ氏は、「便宜置籍や不透明な船籍登録は、ロシアだけが利用している仕組みではない。世界の海運業界全体がこの仕組みを利用している。過度に締め付ければ、世界の商業全体に影響が及びかねない」と指摘する。

 一方、ストゥプニツキ氏は、対応の枠組みそのものを変える必要性を指摘した。

 「個々の事件だけを見ると、どれも証拠不十分に終わる。しかしそれは、ロシア側がそう設計しているからだ。海底ケーブル損傷、不審船の航行、ドローン飛来――それぞれを別々の事故として扱う限り、追いかけっこは続く。この一連の動きを『組織的な圧力』として認定できる枠組みが必要だ」。

 欧州の模索は続く。

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 ACLED・CEPAが共同開催したウェビナー「ロシアの影の艦隊――制裁回避からハイブリッド戦争へ」をまとめました。


# by polimediauk | 2026-06-01 06:18 | 欧州のメディア