小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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(日本新聞協会が発行する月刊誌「新聞研究」8月号に掲載された筆者記事に補足しました。)

デジタルでニュースを読む習慣が一般化する中、紙媒体の発行から得られる収入でジャーナリズムを支えてきた欧州新聞界は経営戦略やニュース編集の現場を変えることで次世代への生き残りを図る努力を続けている。

本稿では変わり続ける欧州メディアの実践例を紹介したい。

統合編集室で社内を刷新

ネットでニュースを読む人が増えたことを背景に、欧州で2006年ごろから採用されるようになったのが「統合編集室」(integrated newsroom)だ。それまで別々だった紙媒体と電子版の編集を統合させた。

米新聞社の統合編集室の事例を基にして一つの典型となったのが中心に丸い輪(ハブ)があり、そこから自転車の車輪のようにスポークが外側に広がる形のレイアウトだ。中央のハブの部分に紙版および電子版のデスク陣が集まって編集会議が開かれる場所になったり、コンテンツを集約する場所になったりする。それぞれのスポークが政治部、社会部、経済部、文化部などになる。ワン・フロアに広がる編集室にはマルチメディアのコンテンツを作るためのミニ・スタジオが設けられていることも多い。 

「電子版=主」となったヴェルト紙

統合編集室からさらに一歩先を行ったドイツの高級紙ヴェルトの例を見てみたい。同紙が特筆に値するのは「デジタル・ファースト」を率先し、編集室のレイアウトを「電子版=主、紙版=従」に大きく変更した点だ。

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(「アイ」の部分、2014年撮影)

ヴェルトでは統合編集室の中央のハブ部分を「アイ」と呼ぶ。

ここにコンテンツを集約させ、どの記事や画像を電子版のどこに入れるかを決定する。スポークは政治、経済、文化、スポーツ、写真、動画、インフォグラフィックスなどの部門になる。編集室の右端にある「アリーナ」と呼ばれる場所で編集会議が開かれる。その隣にあるのが日刊(平日)の紙版制作班だ。その後ろが日曜版の制作班。日刊紙の制作班には全編集スタッフ約120人の中で12人が充てられている(細かいレイアウトは2014年当時のもの。現在までに若干の配置を変えている)。編集部のレイアウト的にもまた人数的にも日刊紙の制作は「全体のほんの一部」となっている。

興味深いのは日刊紙制作班は原則、オリジナルのコンテンツを発注できないという仕組みだ。例えばインフォグラフィックスが必要であれば、デジタルメディアのチームが電子版用に作ったものの中から選ぶようになっているという。「オンライン用に作ったものをプリントに出す」という方針が徹底している。

ヴェルトは2006年から統合編集室を導入したが、紙版を主と考える編集スタッフの意識を変えることは難しかった。ヤンエリック・ピータース編集長(当時)は「考え方を変えるにはワークフローを変える必要がある」として、2012年、電子版=主のレイアウトに変えた。「デジタル化を本格的にやるなら、ストーリーは最初からデジタル用に制作されるべきだ」(ピータース氏)。

編集室が生み出すコンテンツはウェブサイト、紙版のヴェルト平日版、その簡易版ヴェルト・コンパクト、週末版(土曜日)、日曜日版として出力される。

スイスでも統合編集室

スイスの地方紙「24時間新聞」は生き残りのために統合編集室を取り入れた。過去10年で収入が45%下落し、部数は2009年の9万5000部から約6万部に落ち込んだという。収入の90%以上を紙版から得ているにも関わらず、電子版の制作を中心に1日の編集作業を進めている。

ティエリー・マイヤー編集長によると、電子版に力を入れることで以前よりも読者の意見を取り入れるようにしているという(2015年10月、ハンブルクで開催された「出版エキスポ」のセッションでの発言)。どんなトピックが好まれているかを調べるチームを立ち上げ、読者との意見交換会も設ける。フェイスブックも読者の声を拾うスペースの1つだ。マイヤー氏は「電子版の読者は紙版の読者よりも20歳は若い。この層にリーチするよう、力を入れている」という。

意識を変えるのに一苦労

統合編集室への移行は必ずしもスムーズには運ばない。同じセッションの中で、ドイツのミュンヘンを本拠地とする大手紙「南ドイツ新聞」は統合化を行っているが、紙を重視する思考をどう変えるかが大きな課題の1つになっているという。

同紙はリベラルな気風を持つ新聞だが「デスクは保守的」という現実に直面しながら、一人一人のスタッフにどんな業務が期待されているかを説明し、紙版と電子版のスタッフの席を隣同士にするなど、常時情報交換ができるようにした。

記者は紙版および電子版に原稿を書くばかりではなく、動画を制作し、ソーシャルメディアでも情報を発信する必要に迫られる。「仕事量が増えることを懸念するスタッフや、デジタルに慣れない記者を切る人員削減につながると心配するスタッフもいる」(ウォルフガング・クラチ編集長)。「統合化は楽ではない。成功しているという人がいたら疑ってかかることだ」。

今年4月、南ドイツ新聞はパナマにある法律事務所から流出した文書を元に「パナマ文書報道」を主導した。ウェブサイト上ではドイツ語版と英語版を作り、データを駆使した報道を行った。現在も統合過程の悩みは続いているのかもしれないが、デジタルによる情報発信の衝撃度が社内でも改めて実感できた事例となったのではないだろうか。

紙版と電子版を別々にする新聞社も

紙版と電子版の制作をあえて別々にする方針を取る新聞社も少なくない。英国では大衆紙デイリー・メールとその日曜版メール・オン・サンデーを発行するDMGT社が両紙の電子版「メール・オンライン」と紙版の制作を別にしている。電子版は米バズフィードのような口コミで広がりやすい話題とともにスターのゴシップ記事、保守右派の政治姿勢を明確にした編集方針に基づいた記事を掲載し、人気を博している。

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(無料で読める「Vol.at」のサイト)

オーストリア西部の地方紙出版大手ラスメディアも紙版と電子版の制作を別々にしている。ただし、ラスメディアはこの2つを「有料サービス」と「無料サービス」として区分けしている。

無料紙が人気のオーストリアでは公共放送ORFがウェブサイト上でニュースを無料で出していることもあって、新聞社はウェブサイト上のニュースを無料化せざるを得ない状態にある。地方紙のウェブサイトの場合、「有料化はさらに難しい」(ラスメディア社のデジタル幹部)という。

そこで、有料サービスでは同社の主力紙「VRナヒリヒティン」の紙版および電子版(ウェブサイト、タブレット、スマートフォン、電子ペーパー版)を有料購読してもらう形をとる。ウェブサイトでは紙版のレイアウトで出るようになっており、非購読者は1面のみが閲読できる。

無料版は別のアドレスになり、地方ニュースに特化したウェブサイトだ。その日に発生するニュースを中心に内容が刻々と更新される。読者から寄せられた動画や写真、通常新聞には掲載されない特定の地域のスポーツイベントなどもカバーしている。

閲読の分析に力を入れる

電子空間での存在感が問われるようになり、デジタル・ニュースのパフォーマンスをリアルタイムで計測し、分析するツールを使い、状況を映し出す画面を編集内に設置する新聞メディアが増えている。

英ロイタージャーナリズム研究所のレポート「編集分析―ニュースメディアはいかにオーディエンスのデータと測定を開発し、活用しているか」によると、オーディエンス分析が最も進んでいるのは米英のメディアだという。

デジタルニュースのレポート
デジタルニュースのレポート

その1つが英ガーディアン紙だ。2012年から使用しているのが、社内で開発された「オーファン」(Orphan)というツール。ブラウザーに組み込まれ、ガーディアンに勤務する人が自分のメールアドレスとパスワードを入力するとパソコンとモバイル機器から簡単にアクセスできる。

オーファンを使うと記事ごとのページビューに加え、ソーシャルメディアのシェア状況、閲読時間、どのサイトからたどり着きその後どこに行ったのか、どのデバイスでどのブラウザーでどこの国からアクセスしているのかまで分かる。

オーファンを担当するクリス・モラン氏によると、編集室に「データの文化を持ち込む」ことに苦心したという。閲読者の行動を理解し、一人一人の記者及び編集者がどの記事をどのように書くかあるいは出すかの意思決定を助けるようにした。具体的には、チーム担当者が見出しをつけるサブエディターに表現のアドバイスをするなど。担当者とサブエディターの会話はメッセージ・アプリを用いるため瞬時に情報交換ができる。

日々の作業においては見出し、写真、記事の配置、ソーシャルメディアでどのように拡散するか、いつ出版するかなどを常時相談し合う。最も重要なアドバイスは読者が起きている時に出せ、だった。「馬鹿げているように聞こえるかもしれないが、紙版の制作では真夜中の締め切りに向けて作り、出す形だった」(モラン氏)。

オーファンのチームが編集部の制作過程の中に組み込まれていること、「データの文化」が編集室に染み込むことが重要だったという。

日本経済新聞社の傘下に入ったフィナンシャル・タイムズ(FT)紙は昨年、大手広告代理店ハバス・ワールドワイドのコンテンツ統括者だったルネ・キャプラン氏をチームリーダーとする「オーディエンス・エンゲージメント」チームを設置した。

オーディエンス・ファースト

FTは「デジタル・ファースト」を実践してきたが、「オーディンエンス・ファースト」に舵をきっている。

エンゲージメントチームはソーシャルメディア担当者、編集者、エンゲージメント担当者、データ分析家、マーケティング担当者から構成され、編集部の中央部に陣取っている。オーディエンス重視、データ重視の精神が「編集部の他のスタッフを『感染させる』ことを狙っている」(ライオネル・バーバー編集長、昨年11月のロンドン・スクール・オブ・エコノミックスでの講演で)。

キャプラン氏の指導の下に社内で開発したのが「ランタン」と呼ばれるダッシュボード・ツールだ。記者が簡単に画面上に出して、オーディエンスの滞在時間、どれぐらい読まれたか、コメント数などの確認できる。

ヴェルトは記事毎に点数が出る仕組みを開発している。記事のパフォーマンスの計測にはさまざまなやり方があり、記者や編集者レベルでは十分に査定で来ない。これを解決するために作られたもので、ページ・インプレション、滞在時間、動画視聴、ソーシャルでの拡散率などを下に0点から30点までのスコアを出す。毎朝、編集長が記事の点数が入ったメールを編集スタッフに送る。点数とその内容を見てスタッフはどのように改良できるかを考えるという。

読者を捕まえ、サイトへのアクセスを増やし、有料購読者を増やすためにはどうするかと知恵をしぼる新聞界。

読者獲得のための戦いは記者や編集者一人一人のデバイス上で繰り広げられるようになってきた。


# by polimediauk | 2016-09-16 22:59 | 欧州のメディア

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(「ベイク・オフ」宣伝用写真――テレグラフ紙、8月17日付)

 開催中に注目されたトピックの1つが選手同士の公開プロポーズだった。男性が女性に公の場でプロポーズした場合、性差別的な意味合いが出るという論調が英国であり、これを先日、記事化した。

リオ五輪でプロポーズが大流行 「ロマンチック」か「女性蔑視」か

中国人男子選手が女子選手のメダル受賞の場を使って公式にプロポーズしたことで、この女性選手をプロフェッショナルな業績を成し遂げた人物という存在から、「俺の女」という枠組みの中に入れて矮小化させてしまった、と指摘した人たちが英国にいた。

しかし、英国内でもそして日本でも、「そこまで考えることはないのでは?」という声が強かったようだ。特に、同性同士の公開プロポーズも同時に行われたことで、「男性対女性」、「女性差別」という視点から見る傾向は薄れてきたと思う。

ただ、英国には日本からすると驚くほど性差別(および人種差別や信仰差別)に対して敏感な人がおり、これが大きく報道されることは珍しくない。

BBCが慌てた「ベイク・オフ」の例

例えば、最近、大汗をかいたのが英BBCだ。

BBCにはケーキやパンなど焼くベーキングのスキルを競う、超人気娯楽番組「グレート・ブリティッシュ・ベイク・オフ」がある。

新しいシリーズが始まるので宣伝用の資料を作ったところ、男性出演者が抱えている容器に入ったアイシング(甘いペースト状のクリーム)がブルー、女性がピンクだったことでクレームがついた。男性だからブルー、女性だからピンクというのが性差別的だ、というのである。

「ベイク・オフ」は応募した一般の市民が参加する。番組には男性も女性も参加し、性差別がないことを楽しんできたという番組のあるファンは、ツイッターで「男性がブルーで女性がピンク?頭に来るわ」とつぶやいた。

「この番組は性によるステレオタイプがない番組のはずなのに、なぜ?」と別の人がつぶやく。「男性だからブルー、女性だからピンクなんて。馬鹿げている」。

野党・自由民主党の議員さえも「番組を楽しみにしている。だが、女性にはピンク、男性にはブルーと言うのは止めたほうがいいな」とツイートした。

BBCは間もなくして、アイシングの色を変えた。左の男性のアイシングは黄緑、女性は紫、右側の男性は緑だ。

なぜ、男性=ブルー、女性=ピンク、だとだめなのか?不思議に思われる方もいるかもしれない。

その理由は、性によるステレオタイプ化、役割の固定化になっているためで、これを不快に思う人がいる、ということだ。「男性だからこれ、女性だからあれ」、とステレオタイプ化してしまうと、最終的には性差別につながる可能性がある、と見る。

例えば「学級委員長には男子、副委員長には女子で決まりだね」、「男性は外で働く、女性は家にいるもの」、「男性には重要な仕事が任せられるが、女性はそうではない」などといった考えにつながりやすい、とされている。

もちろん、逆に「男の子だから、料理じゃなくて、工作をやろうね」、「男だから我慢しなさい」など、男子への圧力となる場合もある。

性に縛られず、一人一人として生きることー。これが理想的な形として認識されている。

といっても、あくまで「理想」である。現実はなかなかそうはいかない。男性と女性は体のつくりも違うし、性に縛られないように…と言われても意識が十分には付いていかない。

差別(性、人種、信仰、年齢層なども)をなくするには、該当者以外には意識しにくい差別を何らかの形で可視化する必要があるだろう。

性差別を記録するサイト

 そこで紹介したいのが、「日常の性差別」(everyday sexism)と言う名前のウェブサイトだ。日々、誰しもが経験する性差別を記録している。

日本語

英語

ツイッター(フォロワーは25万人を超える)

2012年に作家ローラ・ベイツさんが立ち上げたサイトへの投稿は、ウェブサイトから事例を報告するか、サイトの責任者に電子メールを送る、あるいはツイッターを使う方法がある。報告者は実名、仮名のどちらも選択できる。

英語版を開くと、利用者から寄せられた実例で一杯だ。

「アメリカの大学にいた時、図書館にいたら、隣に男性が座った。男性はマスタべ―ションを始めた」。男性をどかさないと動けない状態にいたこの女性は出るに出られず、時を過ごす。男性が出て行った後、女性は呆然とする。「いったい自分の何がいけないのか」。

「1年前から海外でボーイフレンドと暮らしている。家に電話を入れて父と話すと、必ず『ボーイフレンドはちゃんと面倒を見てくれているかい?』と聞かれるわ。娘の身を心配しているからそう言うのだろうけど、海外に住んで4年目だし、博士号も持っている。自分で自分の面倒は見れると思うけど」

「一ヶ月ぐらい前に、30歳ぐらいの男性に付け回けされた。『君の笑顔が僕と性行為をしたいと言っているからだよ』と言われた。私はまだ15歳なのに!」

「男性上司が私に性差別をしているというと、みんなが『過剰反応はするな』と言う。『体を触られた』と言えば、今度は『お前がそうさせたんだろう』って言われるのよ」

「今日学校の地理の授業で、ポスターを作ることになり、文具を取り出して作ろうとしていたら、女性の先生に『ハンナにやらせてね。男の子はポスターを作れないんだから』と言われた。男性だから、飾るものを作る作業ができないっていうこと?返事さえしなかったよ。いつもこんなことがあるよ」

その人の性によって他者に不当な言動をされた、扱われたと感じた事例が続々とつづられている。そのほとんどが女性に対する差別あるいは不当と本人が感じた例だ。

サイトの目的は「女性たちが毎日経験する性差別の事例を集めること」。

「ひどい差別、ごくわずかな差別」、すでに日常化して「抗議しようとさえ思わない」差別などすべてを対象とする。記録に残し、その体験を共有することで、「性差別が存在すること、女性が毎日直面していること、議論するに値する問題であること」を世界中に示すことを狙う。

「自分に何か落ち度があるのか」と悩む

ベイツさんはケンブリッジ大学を卒業後、ロンドンで女優業を始めたが、性の対象としてのみ女性を描く脚本やコマーシャルなどに失望。プライベートでもバスの中で体を触られたり、自宅までの道を男性に追跡されたりなどのいやな経験をした。「自分に何か落ち度があるのだろうか?」と悩むようになったという。

他の女性も同様の経験をしているのかどうかを探るためにサイトを立ち上げた。「100人位の女性から投稿があるかもしれない」と思っていたところ、インド、ブラジル、ドイツ、メキシコ、フランス、米国、ロシア・・・世界各国の女性たちが続々と報告を送ってきた。最初の1年で投稿数は2万5000を超えた。

ベイツさんは地元英国のメディアのみならず、中東、南アフリカ、カナダなどさまざまな海外メディアの取材を受けるようになった。

反響の大きさはベイツさんにとって「予期しなかったこと」だったが、ほかにも予想外のことがあった。それは個人攻撃のメッセージだった。

サイト立ち上げから間もない頃、ベイツさんは「お前たちが性差別を受けるのは女性が男性に比べて劣る存在だからだ。男性が性行為をするために女性はいるんだ」と書かれたメールを受け取った(英ガーディアン紙、2013年4月16日付)。メールの最後には「殺すぞ」とあった。

衝撃を受けたベイツさんだったが、サイトの管理を手伝ってくれるボランティアの仲間たちやほかの女性たちから助言や励ましを受け、落ち込みを乗り越えたという。2014年には、投稿を1冊の本にまとめている。

性的嫌がらせ(セクシャル・ハラスメント=セクハラ)」と言う米国発の言葉・概念が日本に渡ってきて久しい。当初は「セクハラ=女性に対する性的嫌がらせ」と受け止められていたが、現在では男性と女性のどちらの性も嫌がらせを受ける側、あるいは嫌がらせを行う側になり得ることが認識されるようになった。

性差別やセクハラはしてはいけないことーこの認識は広まったものの、性を理由に不当な扱いを受ける状況が解消されたわけではない。「日常の性差別」のサイトが、あえて「日常の」とつけたのは私たちの日常生活で性差別が普通に発生していることを気づかせるためだった。

ベイツさんのサイトにはこんな表現がある。「下院で女性の国会議員に対して無礼な言動があったと、女性が不満を口にしたとしよう。『過剰反応だよ』といわれるのが落ちだ」。また、「メディアが女性を性的対象として報道していると指摘すれば、『しらけることを言うなよ』といわれてしまう」。サイトの存在意義はまだありそうだ。

(記事の一部に読売オンライン「欧州メディアウオッチ」=2014年9月2日掲載=の筆者記事の情報を使いました。)


# by polimediauk | 2016-08-19 21:30 | 英国事情

昨年末、日本経済新聞社の傘下に正式に入った英フィナンシャル・タイムズ(FT)グループ。英国の経済・金融専門紙として長い間読まれてきたFTのジャーナリズムとは、一体どういったものなのか。

拙著『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社、今年1月出版)の執筆のため、FTのジャーナリストや関係者複数に「FTのジャーナリズムとどういうものか」を聞いてみた。インタビューの一部は本の中にコメントとして入っている。

今回は金融コラムニスト、ジョン・プレンダー氏に聞いた話を紹介したい。

(上)はこちらから

***

ーどうやって質の高いジャーナリストを雇用できているのか。

質の高い記事を書くジャーナリストになることが尊敬に値する仕事だと思われており、大学でもジャーナリストになりたい人がたくさんいる。経済に特化したFTには優れた人材が集まってくる。金融街ですでに働いていた人やシンクタンクで働いていた人もいる。

―プレンダー氏の場合はどのような形で入ったのか。

入社以前にジャーナリストとしての経験があった。ニュース週刊誌「エコノミスト」の金融エディターだったし、その後は外務省のエコノミストだった。

最初はFTの社説を書くために入った。その後は論説を書いた。

―当時から、記事はすべて署名記事

社説以外はすべて署名記事だ。署名でないのはエコノミスト誌ぐらいだ。

―経済専門紙としてのFTで働く記者には、いろいろな情報が集まるだろう。特定の企業からの情報提供もありそうだ。様々な誘惑に負けずに、真実を書くという行為を全うする秘訣は何か。

心の持ちようだと思う。

―情報源との距離の取り方について、社内規則のようなものはあるのか?

利害の衝突がないようにという規則は確かにある。もしある企業の株を持っていたら、その企業について記事は書けない。

最も重要なのは独立しているという気持ちの持ちようだ。特に大企業や金融業界から独立していること。

ジャーナリストであれば本能のようなものを共有していると思う。ジャーナリストを目指すのは何が起きているかを探索してみたい、調査してみたいという気持ちがあるからだ。ビジネスに対しては懐疑心を抱く。

例えば、自分は今は論考記事を主に書いているけれども、以前は調査報道をやっていた。その1つが2000年代初期の米GE社についての記事だ。財務諸表を見ているうちに、子会社が資本不足になっていることに気付いた。危ない状態だった。これを記事化すると、企業側は非常に憤慨した。

私が言いたいのは、FTは世界の大企業を憤慨させても構わないと思っている点だ。もし十分な理由があれば、権力を持つ相手を攻撃することもいとわないのがFTだ。

―記者同士の競争は?

もちろんある。どの新聞社でも記者は互いに競争しようとする。

ただし、FTの記者はおそらく協力しようという気持ちが強いと思う。品位を保つための心意気、集団としての野望を共有している。互いの競争に気がとられることがない。働きにくい同僚と言うのはいるものだ、どこの組織にも。しかし、一般的に言って、FTでは共通した目的を達成するという部分がジャーナリストの間に共有されている。

ジャーナリスト同士が協力し合うという雰囲気を作るのは編集トップの力だ。編集長が職場のトーンを規定する。

―日経の前の所有者ピアソン社から編集への圧力はなかったというが、本当か。

そうだ。ピアソン社はずば抜けてよい所有者だったと思う。編集部に電話してあれを直せ、これを直せと言うことがなかった。このために犠牲を払ったこともある。

例えば、1992年の総選挙では労働党の党首はニール・キノックだった。キノックは左派中道路線の政治家だ。FTは選挙で労働党を支持した。しかし、労働党は負けてしまった。

金融街の多くの人が憤慨した。業界が愛する新聞FTが労働党を支持したからだ。広告を引き上げる企業もあったと聞く。

労働党支持でFTは痛手を背負ったが、ピアソンは当時のリチャード・ランバート編集長を解任しなかった。言及したかどうかも疑わしい。

親会社としてのピアソンは編集長を任命し、解任する権利を持っている。

―金融街(シティ)とFTの関係を知りたい。ロンドンの金融街に働く人が必ず読む新聞だろうか?

シティの中でもやや年齢層が上で、幹部の人が読むのだと思う。デジタル革命が進行中で、ブルームバーグなどの金融情報端末がどんどんニュースを出してしまう。速報として金融情報を出すという役目はFTのものではなくなった。

シティで働く若い人にFTを読んでもらうことが大きな課題だ。

それでも、非常に高く評価されているのは確かだ。シティの金融機関に取材に行くと、幹部はみんな読んでいる。ただし、一部の銀行家をのぞけば、だ。FTは銀行家に対して非常に厳しい記事を出してきた。

私を筆頭に多くのジャーナリストが銀行家のボーナスについて厳しいことを書いてきた。例えば、大きな問題となっているのが、銀行家がもらう報酬のインセンティブの仕組みだ。リスクをとればとるほど報酬が多くなるように作られている。後で利益が出なかった場合でも報酬が支払われる。

FTがあまりにも厳しく批判的な記事を書いてきたので、主要銀行の幹部の中には自分たちが追及されたと感じ、傷ついた思いを抱いている。

といっても、これまで通りFTとの会話を続けている。話をしないと、自分たちの主張さえ聞いてもらえないことを知っているからだ。話をすれば、少なくともジャーナリストを説得する機会が得られる。FTのやり方には一定の合理性があると見る人は多い。

銀行家のボーナスについては、本当にひどいものだった。LIBOR(ライボー)や外為のスキャンダルがあったしー。(注:LIBOR事件は英バークレーズ銀行のトレーダーがほかの金融機関のトレーダーたちなどと共謀し、世界的な金融指標金利を不正に操作した事件で、2012年に発覚。外為不正操作事件では、2015年、米司法省や米準備制度理事会などが欧米の金融機関6社に約60億ドルの罰金を科した。)FTに来て話をする銀行家たちは、こちらが疑いの眼で話を聞いていることを知っている。

―FTの目的は読者に真実を語ること?

全くその通りだ。私たちの義務は読者に伝えること。

―読者は全員が富裕層と言うわけではない?

驚くほどに広範な人々だ。ビジネスあるいは金融界の政策立案者、学者、エコノミストなどが熱心に報道を追っている。左派系の人も良く読んでいる。ほかの新聞に比べて安心感があり、より興味深い記事を掲載しているという。

私のコラムには読者からメールで反応が来る。そのバックグラウンドは様々だ。

―想定している読者層は?

特定の読者を想定していない。ロンドンのハマースミスにある学校で経済クラブがあるそうだ。そこに来て、講演をしないかと言われたことがあった。メンバーは私のコラムを愛読しているそうだ。

メールは世界中から来るので、どんな読者が読んでいるかを一概には言えない。

―FTは知識人が読む新聞で、記者も高等教育を受けたエリート層が中心ではないかと思う。社会の下層で起きていること、現実的な話は分からないのでは?

20年か30年前にはそういう批判があったし、当時はそうだったかもしれない。しかし、今、FTで働く記者を見ると、その社会的バックグラウンドは実に多岐にわたる。人種もそうだし性別でもそうだ。

知的なコンテンツを作っているので、知的な人が執筆するという状態は避けられない。リスクもあるだろう。しかし、メディアは民主的な存在ではない。

何を書くにせよ、高い知的能力を持った、さまざまなバックグランドがある人が書くことは重要だ。編集長はこうしたことが実現するよう、気を配っている。

―FTが日本の新聞社に所有されていることについて

FTはいつかは売却されるはずだった。ピアソンが教育出版に専念したいと言っており、ピアソン社の中では新聞社は特異な存在だった。

いずれ売却されるのであれば、誰にいつ売るのか?可能性のある企業はいろいろあったが、日経は最善だったと思う。良い企業だし、たくさんの強みがあり、FTとは共通点が多い。

懸念もある。英国から見ていると、日経は経団連や大企業に非常に近いように見える。FTの感覚からすると、(権力に対して)上品すぎる。

文化が違う企業が一緒になることへの懸念もある。日本と英国の文化はかなり違う。うまく行くには日経にもFTにもたくさんの経営上のスキルが必要とされるだろう。

どちらも伝統的な新聞社だ。FTにはグローバルなネットワークがあり、二つの新聞のシナジー効果で調和を持って互いを活かせると良いと思う。私は楽観的だ。(終)

(取材:2015年9月)

***

ご関心がある方は、「英国ニュースダイジェスト」のFTについての連載もご覧ください。


# by polimediauk | 2016-08-18 15:07 | 新聞業界
 昨年末、日本経済新聞社の傘下に正式に入った英フィナンシャル・タイムズ(FT)グループ。英国の経済・金融専門紙として長い間読まれてきたFTのジャーナリズムとは、一体どういうものなのか。

 拙著『 フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社、今年1月出版)の執筆のため、FTのジャーナリストや関係者複数に「FTのジャーナリズムとは」を聞いてみた。インタビューの一部は本の中にコメントとして入っている。

 一人一人の方の話のトピックは資本主義、金融危機、日英ジャーナリズムの違い、権力との戦い方など多岐にわたった。何回かに分けて全体像を紹介してみたい。読みやすさの点から若干、整理・編集している。

                  ***
 今回登場するのはFTの金融コラムニスト、ジョン・プレンダー氏だ。ジャーナリスト歴はほぼ半世紀にもなる。専門はコーポレート・ガバナンス。

c0016826_6313910.jpg(写真下はFTのウェブサイトより)

 オックスフォード大学を卒業し、Deloitte, Plender, Griffiths & Co社に勤務するが、金融からジャーナリズムに転職。ニュース週刊誌「エコノミスト」の金融エディター、外務省の計画立案スタッフとなった後、FTの社説執筆記者及びコラムニストになった。BBCやチャンネル4などで番組作りに参加する一方で、コーポレートガバナンス、年金運用についての複数の団体でコンサルタント役も務める。ピアソングループ年金ファンドのトラスティーの一人。著作も多数ある。

 筆者がプレンダー氏のコラムを読みだしたのは十数年前になる。そのうちの一つを読んでメールを出したところ、返事が返ってきた。2011年、「東洋経済オンライン」用に一度取材し、今回が2回目のインタビュー取材だ。

 インタビューは2015年9月、ロンドンのサザクブリッジにあるFT本社のレストランで行われた。社内ではプレンダー氏を知っている人が多く、二人で紅茶の入った紙コップを持ってテーブルに向かうまで、何人もが声をかけてくる。何度も長い立ち話になりそうなのを「今、インタビューがあるから」と振り切って、ようやく腰を落ち着けた。

 まず最初に取り上げたのが、プレンダー氏の最新作『資本主義―お金、モラル、市場(Capitalism: Money, Morals and Markets )』(Biteback Publishing)だった。昨今、資本主義について厳しい視線が向けられている。これを歴史的文脈でとらえ、エコノミスト、企業経営者、哲学者、政治家、小説家、詩人、アーチストなどの発言をたどりながら、資本主義とは何かを問う著作だ。

                ***

―執筆までの経緯を教えてほしい。

プレンダー氏:一つのきっかけは、世界金融危機を受けて資本主義への大きな批判が出たことだ。どこか根本的なところがおかしいのではないか、と。グローバル化に反対する「占拠せよ」運動がロンドンや世界の各地で発生したことを見てもわかる。

 資本主義は素晴らしいことを達成できる。人々を貧困から救い出す。日本の戦後から現在までの歴史を振り返れば、うなずけるだろうと思う。そんな事例がほかのアジア諸国でも起きた。最も顕著なのは中国だろう。これにまでにないほどの成長を達成し、生活水準も大きく向上した。しかし、生活水準が上がった一方で、人は基本的な部分で不幸にもなった。

 なぜ資本主義が発展することで人が不満を感じるようになるのかについては、様々な理由がある。資本家が労働者を搾取する、環境に負荷をかける、不平等が広がるという指摘がある。金が金を生むこと自体に疑問を呈する人もいる。

産業革命が転機に

 資本主義についての人々の意識を大きく変えたのは産業革命だった。

 産業革命以降、生産性が大きく高まり、生活水準もこれまでにないほど上がった。欧州経済の規模が拡大した。商行為はポジティブな行為として見なされるようになった。産業革命こそが資本主義を表すものだと思う。

 しかし、アブラハムの宗教(創世記のアブラハムを重要視する宗教。主にユダヤ教・キリスト教・イスラム教)観がある国では商行為への敵意が基本的に存在していた。私たちの多くの中に染みついているし、儒教文化の中でもそうだろうと思う。

 そして今、資本主義の合法性について新たな問いが生まれている。果たして、本当に良い体制なのか、と。

―執筆にはどれぐらいの時間がかかったのか。

 資本主義について私がジャーナリストとして働き出したころから考えてきたことの集大成だ。

 今70歳で、これまでを振り返りながら書いたので、何十年もかかったとも言える。

―今回の金融危機が発生して、衝撃を受けたか?

 衝撃ではなかった。2003年に出した本(『脱線する』Getting off the Rail)ですでに発生の可能性を指摘していた。

 また、2007年までに警告を発する記事がFTに出ていた。クレジットクランチが始まり、貸し付け体制が崩壊していた。規制監督機関は規制遵守の役目の大部分を銀行にゆだねるという愚かな方法を行っていた。

 したがって、金融危機が発生したこと自体には衝撃を感じなかった。しかし、危機の規模には驚いた。米国をはじめとして世界中にあれだけ広がるとは思わなかった。

 金融市場が比較的安定していたのは1929年の米ウオール街の株暴落(1929年10月末)とそれに続く世界大恐慌の後からブレトン・ウッズ体制(1944年から1971年のニクソンショックまでの間、世界経済を支えてきた国際通貨体制)が崩壊した1970年代までだ。

 この間、金融市場が安定していたのは株価大暴落とその後の銀行危機に対応するための規制が非常に厳しいものだったから。金融システムの悪用に対する米国側の規制体制は非常に厳しいもので、銀行をまるで公共事業者のようにしてしまった。リスクを取り、利益を上げることを最大目的とする事業ではなくなった。銀行業は非常に退屈なものになり、起業家精神にあふれた人材は業界を離れた。

 現在の状況を見てみよう。先の金融危機以降、規制監督者や政策立案者たちが銀行業を公共事業者にしていないことが分かる。銀行業は多くのリスクを取るビジネスになっている。

 私が見るところでは、銀行はいまだに資本不足だと思う。グローバルに非常に大きな存在となったために、銀行の経営トップでさえ何が起きているのかを十分に把握していない。業務が非常に複雑化しているために、行内で何をやっているかのすべてを知っている人はほとんどいない。

 銀行が破たんすると、その国の政府が処理にあたるが、銀行の業務は国内だけではなくグローバルに広がっている。国際決済銀行や世界の中央銀行によってさまざまな対策が講じられ、秩序立てた債務整理が行われるように努力が続けられているが、グローバルな規制監督機関がないので、完全な対策を繰り出すことができない。

 銀行を公益事業体のようにしてしまうか、小規模に分割してしまうかなどの手段を行わない限り、また金融危機は起きる。

批判をしても相手から尊敬されるには

―プレンダー氏の記事を読むと、銀行規制の仕組みをかなり批判している。金融業界との関係が壊れるということはないのか?

 私のジャーナリストとしての経験から言うと、物事が間違った方向に行ったとき真実をそのまま相手(間違った人・組織)に述べると、相手から尊敬され、恐れられる。相手に優しすぎて批判をしない場合よりも、だ。

 敬意を保つ距離感を持つほうがいい。自分の言うことが事実に基づいて、真実であることを相手も知っている限り、その人はあなたに話しかけることを止めない。

 非常に慎重に動いた場合、だからと言って間違いをした相手があなたを尊敬してくれるとは限らない。

 人がFTを尊敬するのは、世界に向かって何が起きたのか、どこで間違ったのかを伝えるからだと思う。

 金融危機の前後、FTは銀行や規制組織について非常に批判的な記事を出してきた。

―FTのジャーナリズムの特徴を知りたい。例えば、米国の経済紙ウオール・ストリート・ジャーナルと比べて、どこが違うのか。

 米国と英国のジャーナリズムには大きな違いがある。米国ではニュースと論説(コメント)の間の線引きがはるかに厳しい。

 英国ではしばしばニュース記事に意見が入っている場合がある。事実から外れた事を書くのは許されないが、もっと個人の思いが入った記事を書く。

 また、英国には経済学のジャーナリズムの伝統があると思う。

 ウオール・ストリート・ジャーナルを見てみると、経済についての論考記事は外部の人が書いていることが分かる。著名な経営者、連邦準備制度理事会の委員など。エスタブリッシュメントに属する有名な人を招いている。経済学の知識が入った良いリポート記事はたくさんあるが、論説となるとどうだろう?

 FTでは社内の記者が世界経済で起きているどの事柄についても、書き手の意見が入った、十分に練られたかつ面白い論考記事を書いている。(続く)

***

 ご関心がある方は、「英国ニュースダイジェスト」のFTについての連載もご覧ください。
# by polimediauk | 2016-08-14 06:23 | 新聞業界
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 6月23日、英国でEU加盟の是非をめぐる国民投票が行われ、離脱派が全体の51・9%の票を取得して勝利した。負けたのは48・1%の残留派。

 この「48%」に向けて創刊された週刊新聞「ニュー・ヨーロピアン(新欧州人)」が健闘を続けている。創刊日は7月8日。価格は2ポンド(約280円)だ。

 当初は4週間発行する予定で、定期刊行物とまでは言えないので「ポップアップ新聞」(にわかに発行される新聞)と自称してきた。4週間目を超えて、ニュー・ヨーロピアンは黒字化しているという。

 創刊号の部数は4万部、その後3万部が発行されている。10号までは続ける予定だ。

 発行元はイングランド地方東部ノーリッチに本拠地を置く出版社アーチャント社だ。

9日間で発行までこぎつける


 ニュー・ヨーロピアン紙の編集長マット・ケリー氏がBBCラジオの「メディア・ショー」(11日放送)で語ったところによると、同氏が創刊を思いついたのは国民投票の結果が出た翌日だった。

 「通りを歩いていて、多くの人が結果に落胆している様子を見た。まるで誰かが亡くなったみたいだった」

 「結果に怒りを持ったとき、どの新聞を買って読むだろうか?」ケリー氏は頭を巡らせたが、該当する新聞はなかった。

 1986年、インディぺデント紙が創刊されたとき、有名なキャッチフレーズがあった。それは「インディぺデント紙は独立している。あなたは?」である。「インディペンデント」は「独立」を意味する。インディペンデント紙を買って、小脇に抱え、「自分は独立している、自分の意見を持っている」ことを示すのがカッコいいとされた。

 「あんな新聞が自分たちで作れないかな、と思った」。

 そこで、アーチャント社の上司に新聞の創刊案を話してみた。翌週、会議室で議題にかけられ、創刊が決定された。創刊号が市場に出たのは9日後のことだった。

 ケリー氏はテクノロジーの発展があったからこそ、数日で紙面のデザインを作ることができたという。全国に新聞を届けるための体制がアーチャント社にすでに整っていたことも強みだった。

 「ポップアップ新聞」とは造語で、何か月もかけて準備するのではなく、面白いアイデアがあったら、すぐに市場に顔を出す新聞、という意味だという。人気がなくなったら、すぐに店を閉じることもできる。

 ニュー・ヨーロピアンは48ページ。左派系高級紙ガーディアンのコラムニスト、ジョナサン・フリードランド氏、元官邸の戦略局長だったアリステア・キャンベル氏、バージンメディアグループのトップ、リチャード・ブランソン氏などの著名人によるコラムのほか、欧州ではやっていること、特定の国の紹介など盛りだくさんだ。

 筆者は英国での選挙権はないものの残留派を支持しており、毎号手に取ってきたが、ことさら親欧州を強調しているニュー・ヨーロピアンは「偏った新聞だなあ」と常々思ってきた。

 英国の新聞は不偏不党が要求されないので、偏っていても構わないわけだが、度が過ぎるとコラムの主張の信ぴょう性が薄れ、つまらなくなる。すべてが親欧州を勧めるためのプロパガンダにも見えてくる。

 もう少し落ち着いて、欧州のことを語る論調になってもいいように思うのだけれども、これが一定の人気を得ているのは、おそらく、確かに他にはこういう新聞がないからだろう。

紙の新聞創刊、途絶えず

 紙から電子へとニュースを読む読者は移動しているが、英国では紙の新聞の創刊がまだまだ続いている。失敗例が多いにもかかわらず、である。

 ミラー社が発行した「ニュー・デー」(2月創刊)が5月に廃刊となり、イングランド地方北部のニュースを掲載する「24」(6月創刊)も7月に廃刊となった。

 欧州を専門とする新聞では、新聞王ロバート・マックスウェルが1990年に「ザ・ヨーロピアン」を創刊。2年後、富豪バークレー兄弟(現在のテレグラフ紙の所有者)が買収した後、98年に廃刊となった。当時の損失額は7400万ポンドに上ったという。
# by polimediauk | 2016-08-12 20:37 | 新聞業界
 (月刊誌「新聞研究」7月号に掲載された筆者記事に補足しました。)

 昨年来、メディア界でコメント欄を閉鎖するあるいは一部縮小する動きが目立つ。

 米ウェブサイト「ザ・バージ」や「デイリー・ドット」などが、「管理が困難になった」という理由でコメント欄を閉鎖し、今年年頭には開かれたジャーナリズムを実践する英ガーディアン紙が「移民」や「人種」など大きな論争を呼びそうなトピックの記事の一部にコメントを受け付けないように変更した。

 オンラインの言論空間で他者を不当に貶めたり、誹謗中傷するなど、いわゆる「オンライン・ハラスメント(嫌がらせ)」をどう対処するかに注目が集まっている。

 5月12日、ロンドンで「ニュースインパクト・サミット」(オランダの非営利組織「欧州ジャーナリズムセンター」主催、グーグルニュースラボ協力)が開催された。

 オンライン・ハラスメントの対処法やコメント欄改良の試みを取り上げたセッションを紹介したい。

反撃のためのウェブサイトを設置

 「荒らし、オンライン・ハラスメント、メディア界の女性たち」と題されたセッションで最初に登壇したのが、米オハイオ大学で教鞭をとるミシェル・フリエリ氏だ。

 2007年、同氏はフロリダ州のある地方紙で初の女性コラムニストになった。有色人種としても初だった。就任後、「リンチするぞ」など憎悪に満ちた手紙が送られてくるようになったという。3年間、同じ人物からの手紙は途切れることがなかった。しかし、実際にはたった一人が書き続けていたのではなく、「女性や有色人種の書き手の声を消そうとする、ヘイト・グループの手によるものだった」。

 フリエリ氏は警察の助けを求めたが、具体的な犯罪行為を特定できなかったため、刑事事件として捜査が行われることはなかった。身の危険を感じたフリエリ氏は新聞社を辞め、家族とともにフロリダを離れざるを得なくなった。

 ネット時代になり、ジャーナリストはソーシャルメディアや自分の記事についたコメントなどを通じて、「読者とインタラクティブな関係を持つことになった」。結果として、「心無いコメントやヘイト・スピーチの対象になる危険性が増している」と言う。「女性や有色人種はハラスメントの対象になりやすい」。

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 そこで同氏が立ち上げたのがハラスメントを受けた女性ジャーナリストを助けるウェブサイト「トロール・バスターズ」(「荒らしをやっつける」)。オンライン上で攻撃を受けたことをサイトに知らせると、1時間以内にネガティブなメッセージを打ち消すような前向きのメッセージを発信したり、バーチャルな「ハグ(抱擁)」のサインを送ったりする。オンライン上の脅しがオフラインの生活に影響を及ぼさないよう、ネット上でいかに個人情報の思わぬ漏えいを防ぐかについて情報を提供するほかに、法的手段を取りたい場合のアドバイスも与える。

 非営利のナイト財団から3万5000ドル(約350万円)の投資を受けて立ち上げられたサイトは、ボランティアを含めた数人で運営され、24時間、活動を続けている。

ガーディアンがコメント欄を再考

 同じセッションの中で、ガーディアン紙のコメント欄の分析結果を報告したのは元同紙のコメント欄担当編集者だったベッキー・ガードナー氏だ。現在はロンドン大学ゴールドスミスカレッジで教えている。

 ガーディアンはコメント欄の質を向上させるため、2006年以降に掲載された記事についた約7000万のコメントを分析した。その結果を4月に紙面やサイトで「私たちが望むウェブ」という見出しを付けて発表し、読者から意見を募った。

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 ガードナー氏によると、ガーディアンに記事を書いた記者、寄稿者の中で、最も多く悪質コメントが寄せられた10人のうち8人が女性で、2人は黒人男性だった。ハラスメントの対象になりやすいのは「女性」、「有色人種」という特色がここでも繰り返されていた。

 ガーディアンのサイトによると、同紙が「口汚い、破壊的なコメント」と見なし、ブロックする対象となるのは、例えば「殺す」、「レイプする」、「バラバラにする」などの脅しの表現だ。ヘイト・スピーチもブロックの対象となる。
 
 ほかには「書き手を罵倒する」(例えば中絶クリニックについての記事に、「お前があまりにも醜いので、妊娠したら、俺がクリニックに連れていくぞ」)、「書き手及び読者を個人攻撃する」(「これでもジャーナリストかい?」、「お金をもらって書いてるんだろう?」)「軽蔑的なコメント」(「落ち着けよ」)、「過去の事象について繰り返し相手を責める」コメントがブロックされる。ブロックの判断はガーディアンの「コミュニティ運営の規則」による。

 セッションではメディアサイトのコメント欄は管理者が適正化できるが、ソーシャルメディアなどほかのウェブ空間では「野放し状態になっていることへの不公平さ」が指摘された。

 5月末、グーグル、ツイッター、フェイスブックなどの大手プラットフォームは、ヘイトスピーチやテロリストによる害悪なメッセージの拡散を停止するための欧州連合(EU)の新たな規則に対応することに合意した。これによると、指摘があったヘイトスピーチなどについて24時間以内に対応し、場合によっては削除するかあるいは反論に匹敵するメッセージを流すよう、求められている。
# by polimediauk | 2016-08-12 17:44 | ネット業界
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投票結果が出た後のTake Back the Cityのメンバーたち(フェイスブックのサイトから)

市長選・市議選が終わっても運動は続く

 5月5日、英国各地で地方選挙が行われた。ロンドンでは市長選と市議選になる。

 規制の政党には頼らず、市民一人一人の声を市政に反映させるために立ち上げられたのが草の根グループ「Take Back the City」(「都市を取り戻せ」)。「都市」とは貧富の差が激しいロンドンを指す。

 ロンドン市議選に向けて、Take Back the City は父がケニア人、母がフィリピン人のアミナ・ギチンガ氏(26歳)を候補者として立てた。ギチンガ氏の仕事はフリーランスの合唱の先生だが、選挙期間中は仕事を休んで選挙戦に集中した。

 選挙直前と直後の様子を伝えたい。

「怒りに体が震えた」

 4月28日。投票日の1週間前となった。ロンドン東部ホワイト・チャペルのオスマニ・センターで、Take Back the Cityによる投票日前の最後のイベントが開催された。

 午後7時開催のイベント会場には、6時半過ぎまでに70席ほどの椅子が並べられていた。受付の右側にはTake Back the Cityのパンフレットが並べられ、左側にはジュースやお水、フライドチキン、ケーキ、ピーナッツの焼き菓子などが並べられている。ジュースはフルーツジュースのカートンから注ぐだけのものだが、紙コップ一杯で50ペンス(80円ぐらい)。

 ジュースを買って一番前の席に座ると、Take Back the Cityの秘書役のクレアさんが髪をアップにし、ノースリーブのワンピース姿で打ち合わせをしていた。ここ一番!という感じのおしゃれぶりだ。

 ギチンガ氏は後ろの席の近くにいてほかの参加者とおしゃべりをしている。真っ赤な口紅が目立つ。今日はみんなにとって、ハレの日なのだろう。

 来場者の年齢層はバラバラだが、有色人種の割合は70%ほど。白人の老人男女の姿も場内のあちこちで見かけた。

 英国内で最も有色人種の比率が高い場所として知られる自治体タワーハムレッツの中に、ホワイトチャペルはある。ここ一帯はロンドンの「イーストエンド」にあたる。ウェストエンドと言えば、ロンドンの劇場街の代名詞になるほど華やかなイメージがあるが、イーストエンド地域は貧困層と移民層が集中している。

 最前列の椅子の前にはスペースが開けられており、これがステージとして使われるようだった。

 会場内で配られていたのがTake Back the Cityのチラシと「投票しよう!」と表紙に書かれた、A4用紙を二つ折りにして作った小冊子。チラシの裏にはマニフェストの要約が書かれており、小冊子の方にはTake Back the Cityの発足までの経緯や、ギチンガ氏へのインタビュー、「音楽と抵抗について」、「詩のコーナー」などという見出しの記事が載っていた。

 ほんの2週間前まではまとまりのなかったマニフェスト。それをよくここまでまとめたものだと感心していると、後ろからギンチガ氏とグループの核になる数人が手をつないでやってきて、ステージに向かった。クレアさん、ギチンガ氏、前のミーティングで会ったことがあるレベッカさんと数人は、よく学校でやるような、いくつかのフレーズをそれぞれが読む形でTake Back the Cityの詩を披露した。大きな拍手が沸き起こった。

 ギチンガ氏だけがステージに残った。マニフェストが印刷された黄色いチラシを手にしている。「今日は来てくれてありがとう。ここまで来れたのはみんなのおかげよ!」大きな拍手。

 市民の声を反映するため、Take Back the Cityを作ったことや、この1年で75のワークショップを開きながら地域住民、移民たち、有色人種のグループ、労働者階級の学生たち、店子、障がい者、アーチストやパフォーマーたちから、ロンドン市政に期待することを聞き取ってきたと話す。マニフェストづくりに向けて1200もの要望があり、クラウドファンディングで資金を集めたことを報告する。

 なぜTake Back the Cityはギチンガ氏を市議会に送ろうとしているのか?

 ギチンガ氏はある体験を話し出す。市民グループの集合体「ジャスト・スペース」の会議に参加した時のことだ。最大の問題となっている住宅問題をどうするかについて、さまざまなワークショップが開催された。

 その一つに出ていたギチンガ氏は低所得者向け住宅についての意見を述べた。この時、会場にいた白人の男性が、「『私たちが状況をきちんと調べていない、調査が足りないからそう発言している』、と言い出したのよ」。

 カチンときたのはこの男性がギチンガ氏に向かって「テレビばっかり見ているからだろう」と言った時だった。「有色人種の若い女性」=「知的ではない人」という決めつけぶりに、「体が震えるほどの怒りを覚えた」。ギチンガ氏の小さな体から、怒りの熱が伝わってきた。

 「抗議デモに出ているだけではダメ!私もいろいろデモに参加してきたけど、それだけでは十分ではない。ドアを開けて中に入るべき。議論をしている部屋の中に入って、何かを言わなきゃダメなのよ。だから、立候補することにしたんです」。

 Take Back the Cityのマニフェストをギチンガ氏は一つ一つ、読みだした。

 「賃貸料の上昇を抑制する」(家や地域社会から追い出されることがあってはならない)

 「不動産業者、超富豪層、自治体が所有する空き家を低所得者やホームレスに解放する」

 「腐敗し、人種差別主義的なロンドン警視庁を廃止する」

 「ロンドンの最低賃金を自給11ポンドに義務化させる」(11ポンドは約1700円)

 「私立校への税優遇策をなくし、低所得世帯に提供されていた教育維持給付金=EMA=を復活させる」(EMAは政府の財政緊縮策によって、ロンドンを含むイングランド地方のみで廃止された) 

 「すべての交通運賃を20%減少させる」―。

 そのどれもがTake Back the Cityがロンドン市民に実際に声を聞いて集めた要望が基になっている。

 ギチンガ氏は東部「シティ&イースト」選挙区(ニューアム、タワーハムレッツ、金融センターがあるシティ、バーキング、ダゲナム)から立候補する。マニフェストの一つ一つの項目を読み上げるたびに、大きな歓声が出た。「5日、投票してね!」

 拍手喝さいの中で終わったギチンガ氏のスピーチの後は、地元の合唱グループに入っている数人がステージに出て、ビートの利いた曲としっとりした曲を披露。その後は会場内の参加者が3グループに分かれて、歌った。指揮をするのはギチンガ氏。歌の中には「私は負けない」という文句があり、繰り返していると、なんだかじーんとしてしまう。

 休憩時間に、前にも話したことがある、Take Back the Cityのメンバーの一人、グレン氏と話す。「アミナ(ギチンガ氏)は多分、当選しない」とポツリ。「僕たちは選挙の次を考えている。大きな社会運動にしてゆきたいんだよ」。

 地元コミュニティで支援活動を行ってきたグレン氏は、「ここはほかのどことも違う。労働党みたいに上下のヒエラルキーがないんだ。とてもめずらしい。だから大きくなってほしい」。

 私が言う。「知名度がどれぐらいかあるかだよ。ここは盛り上がっているけど、存在を知っている人は多くない。もし知ってたら、かなり票が取れるのではないか」。グレン氏がうなずく。

 いったい何人が投票してくれるだろう?皆目見当がつかない私は、数千から万単位で得票することを想像した。2012年の前回のロンドン市議選では、ギチンガ氏の選挙区の当選者は約10万票を得ている。当選しなくても、いいところまで行くだろうかー。

市長選では労働党候補が当選

 5日、いよいよ投票日がやってきた。

 直前に、ギチンガ氏は選挙戦のいやな面も体験した。労働党のある市議がTake Back the Cityのフェイスブックに書き込みをし、マニフェストの政策の財源が十分に練られていないという批判の上に、ギチンガ氏のアパートのビルの屋上の写真を掲載した。「お前が住んでいるところは知っているぞ」という威嚇としてギチンガ氏側は受け取った。

 「私たちの政策を批判することはかまわない。完全にまっとうなことだから。でも、プライバシーを侵害するのはいけないと思う。私がどこに住んでいるかを公にすることで何を証明したいの?いやがらせだと思うわ」。ギチンガ氏は抗議を動画にしてフェイスブックに掲載した。「全くなんてやつなんだ」、「アミナ、負けるな!」支援のコメントが続々と並んだ。

 ロンドン市長選には立候補者が12人いたものの、労働党が推すサディク・カーン下院議員と保守党公認のザック・ゴールドスミス下院議員との事実上の一騎打ちとなった。
 
 カーン氏とゴールドスミス氏。これほど正反対の社会的背景を持つ立候補者も珍しい。カーン氏はパキスタン移民の両親を持つ。父はバスの運転手だ。自治体が提供する低所た得者向け住宅で育ち、公立校からノースロンドン大学に進学した。法律を学んだあと、人権派弁護士となる。下院議員初当選(南西部トゥ―ティング選挙区)は2005年。カーン氏は労働者階級の成功者といってよいだろう。
 
 一方のゴールドスミス氏は億万長者で欧州議会議員でもあった父を持つ。富裕層、エリート層が子息を送る私立校イートンに進むが、ドラッグを所持していたことが発覚し、退学。後に環境雑誌の編集長となった。2010年、ロンドン南部リッチモンド・パーク選挙区の下院議員に初当選。下院議員の中で最も金持ちとも言われ、ゴールドスミス氏は富裕層・エリート層の利益を代表する人物とみられてきた。

 二人の支持率は選挙戦中、ほぼ同じぐらいになっていたが、途中からゴールドスミス氏がムスリム(イスラム教徒)のカーン氏を「イスラム過激主義者に近い人物」として攻撃しだした。昨年11月のパリテロや今年3月のブリュッセルのテロを思い起せば、これに賛同する人がいて、カーンの支持者を減らせる・・とゴールドスミス氏は思ったようだ。「ムスリムに本当にこの都市を預けてもいいのか?」そんな問いかけをした。

 しかし、その目論見は完全に失敗した。人口約870万人のロンドンの約37%が移民出身者だ。ムスリム人口は約12%。300を超える言語が市内で使われている。こんなロンドンで特定の宗教や人種を差別するような発言をすれば、発言者の評判はがた落ちになってしまう。日常生活ではそれを知っているはずのゴールドスミス氏だったのだが。

 結果は、カーン氏が1,310,143票、ゴールドスミス氏が994,6143票。投票率は45%だ。前回の38%から上昇した。市民の関心が高い選挙だったと言えよう。

 6日朝に行われた就任演説で、カーン新市長は「すべてのロンドン市民のために」動きたい、と述べた。

 同日、ロンドン市議選の結果が出た。

 フェイスブックにギチンガ氏が「今日は、結果を聞いた後で、フォレスト・ゲイト駅前のパブ『フォレスト・ターバン』にいるわ。後で会おうね」と書き込みをした。

 私は夕方に向けて、フォレスト・ターバンに向かった。フォレスト・ゲイトは2012年のロンドン五輪の中心となったストラットフォード駅に近い。

「思ったよりも多くの票だった」

 駅前のパブに入ると、ギチンガ氏とTake Back the Cityの男性メンバー、ケネディ・ウォーカー氏がいた。こちを見つけて、手を振るギチンガ氏。
 
 「お疲れさま」といって、互いに抱き合って挨拶をすると、すぐに結果の話になる。「500もあれば、と思っていたけど。驚いたわ。すごいのよ。1368だったんだから。信じられないほど多い」とギチンガ氏。当選者は労働党員で約12万票を集めた。ギチンガ氏の得票は8人のうち、下から2番目だ。1368票が少なすぎるのかどうか、とっさには判断できなかった。

 「これまで一度も投票したことがない人が投票してくれたんだから」とギチンガ氏。

 隣に座るウォーカー氏はTake Back the Cityのフェイスブックのページの動画を入れようとしている。「ケネディはもうスターだよ」とギチンガ氏。ロシアの英語ニュース放送「RT」に出演し、3分ほど話したからだ。「あの有名なRTに出たんだよ!」

 投票日の直前には、英左派系大手紙「ガーディアン」がギチンガ氏を動画インタビューしていた。「ラジカルな政治運動の担い手」という説明があった。

 どこが「ラジカル」なのか?インタビューをしたジャーナリストのジョン・ハリス氏は動画の中でこう説明した。「Take Back the Cityは直接市民に意見を聞いた。バスの中で詩を読み上げ、乗客に話しかけて、政治で何を変えてほしいのかを聞いていた。それをまとめてマニフェストにした。ほかの政党はどこもこんなことをやっていない。・・・政界の動きを書く政治コラムニストより、よっぽど、良いことをやっている」。

 私は「これからどうするの?」とギチンガ氏に聞いてみた。「しばらく、休むよ。もう疲れ切ってくたくたよ」。毎日外に出かけ、人に会い、睡眠時間が大幅に削減された。「体調は最悪」という。「休んだ後は、また運動を続けるよ」。

 パブの飲み物を注文するあたりにクレアさんの姿が見えた。「今、アルコールが飲めないの」という。彼女も疲れ切っていた。「体全体が痛くて、この2-3日、寝たきりだったわ。今日もお酒は飲むほどの元気じゃない」。

 かわりがわりにTake Back the Cityのメンバーが入ってきて、ギチンガ氏や仲間としゃべってゆく。

 ウォーカー氏にもこれからどうするのか、と聞いてみた。毎週木曜のミーティングは続けるのか、と。「あと2-3週間はまず休むよ。でも、これからも続けるよ」。最初は「何も決まっていない」と言ったものの、ギチンガ氏がそばに来ると、二人でこれからを話し出した。「まずはロンドンのほかの草の根グループに会うことだな。たくさんもうすでにあるんだから。どこと協力できるのか。ほかのグループから学べることはないのかを知らなければ」とウォーカー氏。

 ギチンガ氏とウォーカー氏だけで決めるわけではない。フラットな組織構造なのがTake Back the Cityの特徴だ。休みの後に開かれる会議でそれぞれが言いたいことを言い合って、紆余曲折しながら、決まっていくのだろう。

 Take Back the Cityのメンバーたちが何度も言っていたのは「社会的運動にしたい」ということ。しかし、より広範な人を入れるには、Take Back the Cityのことを全く知らない人の心をとらえるような言葉が必要なのではないか。それは政治理念になるのではないか。地元民の声を聞くだけではなく、エキスのようなものに変える必要があるのではないか。私はそのように感じた。
 
 これまでのTake Back the Cityは社会から疎外され人々、つまりは貧困層や移民層の声を集約することに力を入れてきた。でも、大きな社会運動に、政治運動になるには、中流だが低所得の人々、そして白人層ももっと取り入れる必要があるのではないか。そんなことも思った。ロンドン東部の移民コミュニティや貧困層に集中して目を向けた結果、多くの白人貧困層を敵視することになりはしないか、と言う懸念もある。

 いろいろなことを考えたが、ほんの1年でここまで来た事、クラウンドファンディングで100万円近くを集めたこと、そしてこれからも続けたいと思っている人たちがいることに私は驚いたし、感銘した。まだまだ、終わらないのである。

 休みの期間を終えたTake Back the Cityの活動をこれからも定期観測していきたいと思っている。

***

 (津田大介さんのメルマガに掲載されたコラムの転載です。)
# by polimediauk | 2016-07-03 17:59 | 英国事情
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津田大介さんのメルマガに掲載された筆者の記事の転載です。)


 今年5月のロンドン市長選・市議選に向けて、草の根運動を続ける「Take Back the City」の動きを追った連載の第2回です。第1回目はこちらからご覧ください

市議選・市長選がまじかに迫り、マニフェストづくりで意見沸騰


***

 規制の政党には所属せず、市民一人一人を代表する政治を自分たちで実現するために立ち上げられた、英国の草の根政治グループ「Take Back the City」(「都市を取り戻せ」)。ここでの「都市」とは世界的な金融センター「シティ」があるロンドンだ。

 Take Back the Cityの本格的な発足は昨年だ。共同創設者はロンドンに住む公立校の教師ジェイコブ・マカジャー氏と同じく教師のエド・ルイス氏。マカジャー氏は、自らが生活するロンドンが「超富裕層やその利益をかなえるための政治家に乗っ取られた」と感じる市民がたくさんいることを指摘している。

 グループの発足までの経緯や参加者の声については前回のコラムの中で紹介した。ここで若干振り返っておこう。

 ロンドンは世界の中でも貧富の差が激しい都市の一つだ。Take Back the Cityによれば、「富裕度でトップの10%が所有する資産は、最下位の10%の資産の273倍に達」っし、ロンドン市内の住宅の賃貸料は平均で月1500ポンド(1ポンド=160円計算では約24万円)を超えている。住宅価格の高騰が続き、低・中所得者にとって住みにくい都市になっている。生まれ育った地域を出てゆかざるを得なくなった人もいる。

 低・中所得者の声が届かない現状を変えるため、Take Back the Cityは政治の場に市民の代表を送り込むことを1つの目標とした。そこで市民一人一人の声にまず耳を傾け、声を集約した形で選挙に向けたマニフェスト(選挙公約)を作ろうとしている。

 昨年末、筆者が参加者に聞いた時点では、Take Back the Cityは学校、地域の様々な組織、移民を対象にワークショップを開いていた。テーマは、いかに自分たちで政治を変えられるか。参加者から政治についての不満を聞き、政治家に何をしてもらいたいか、要望を集めた。

 今年5月5日に行われるロンドン市長選・市議選に向けて、「ロンドン市長をここから出そう」が掛け声となった。1月にはクラウンドファンディングで資金集めを開始した。

 選挙まで1か月余の3月末から、グループの活動の進展ぶりを追ってみた。

人懐こい笑顔で人々を巻き込む

 3月末の土曜日。ロンドン東部を走るモノレール「ドックランド線」に乗ってキングジョージ5世駅で下車する。

 無人駅の改札口から出ると、キリスト教のパンフレットを抱えた女性が寄ってくる。「ハッピー・イスター(復活祭、おめでとう)」。翌日はイースターとなり、教会では特別のミサが行われることになっている。何人もの女性たちがパンフレット配りに精を出していた。

 女性に「ロイヤル・ドック・コミュニティ・マーケット」の場所を聞くと、「まっすぐ行って右ですよ。神のご加護がありますように」と言われた。

 歩いて数分の場所にあったのは、高層アパートと地域の図書館に囲まれた空き地で、白いテントの中には界隈に住む人がおもちゃや食べ物を売る準備をしていた。テントの外では八百屋が野菜を並べる台を置いており、ラジカセから大音響でロックを流している。Take Back the Cityのストールはテントの隣に設置されていた。

 Take Back the Cityのイベントは昼12時から始まると聞いていたが、猫の額のような空き地には時間が過ぎても、訪問客は誰もいない状態だった。

 こんな小さなところで一体どれだけの支持者を集めることができるのだろう?一瞬、気持ちが縮んだが、近くのカフェで時間をつぶし、改めて広場に戻ってみた。すでに子供と大人の小さな人の輪ができていた。前に会ったことがある、合唱を教えるアミナ・ギチンガ氏、大学院生のサイモン・ソープ氏が輪の中にいた。ソープ氏以外は全員が有色人種だ。ギチンガ氏がアフリカ流ダンスを教え、歌の手ほどきをしている。

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(歌とダンスを教えるギチンガ氏、中央)

 輪の中に入って、子供たちとジャンプしたり、体を思いきり小さくしたり、歌を歌ってみる。子供たちはくすくす笑いながらも、素早いダンスのスピードを十分に楽しんでいるようだった。大人もそんな子供たちの様子を見ながら、体を動かす。寒い風が吹き飛んでゆくようだ。

 しばらくしてストールに行き、番をしていた男性たちに声をかけてみた。二人とも白人男性だ。ともに地域住民への支援サービスに携わってきたという。労組と協力したこともあったが、「上からの指示が多くて、嫌気がさした。ここはみんなが平等だからいい」と「グレン」という名の男性が言う。

 Take Back the Cityは市長候補を出すという目的をあきらめ、市議選に候補者を当選させる方向にシフトしていた。グレン氏は理由を説明しなかったが、候補者を出すための準備金の額が市長選の場合と市議選の場合、大きく異なるのも理由だったのかもしれない。

 1月のクラウドファンディングによって、市議選に候補者を出すための「資金は十分に集めた」という。

 英選挙委員会によると、市長選の候補者になるには1万ポンド(1ポンド=160円計算で160万円)を委員会に預ける必要があるが、市議選の場合はその10分の1の1000ポンドになる。

 Take Back the Cityが推す市議選候補者は、昨年時点では市長選の候補者の一人だった、アミナ・ギチンガ氏だった。

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(ギチンガ氏の宣伝用チラシ)

 風がますます強くなり、広場に響く八百屋のラジカセから流れるロックの音が反響する。

 八百屋の屋台の前にできたダンスの輪を指導するギチンガ氏の一挙一動を子供たちや大人が見つめている。笑い声と歓声でいっぱいだ。

 ダンス教室が終わっても、ギチンガ氏を囲む人は絶えない。子供たちがやってきて「どこでもっとダンスを学べるの?」と聞く。大人たちは教わったばかりのダンスと歌をもう一度再現している。生活の悩み事を話す大人もいる。

 午後3時を回った。大人数人に囲まれて、話を熱心に聞くギチンガ氏。人を引き付けるという意味では、抜群の力を持った女性のようだ。

 この光景がどうやったら票につながるだろう?

 ギチンガ氏が候補者となっているのはロンドンの14に分かれた選挙区の1つで、東部の「シティー&イースト」地区。ここは金融街「シティ」のほかに、「バラ」と呼ばれるロンドンの区域が入る。バラとしてここに入るのがバーキング&ダゲナム、ニューアム、タワー・ハムレッツ。ニューアムやタワー・ハムレッツはロンドンの中でも貧困度が最も高い地域として知られている。裕福なシティと最貧困地域が混在するため、最も不平等感が感じやすい場所だ。

 この選挙区は2000年以来、労働党のジョン・ビッグス氏が市議として当選している(現在4期目)。今年、ビッグス氏は市議選に立候補していない。現在候補者は8人で、全員が今回市議としての初立候補。ほとんどが既存政党が推薦する候補者だ。

 過去のこの地区の選挙傾向を見ると、当選者の得票数は増加している。ビッグス氏は2008年では約6万3000票、前回12年では約10万票を得た。

 どれぐらいの票を集めることができればギチンガ氏は当選できるのか?推測は難しいが、2000年以降の数字を見ると、少なくとも4万票以上が必要なようだ。

 全員が初立候補の場合、知名度が鍵になりそうだ。

 Take Back the Cityのマニフェストづくりはどこまで進んでいるのか、票獲得のためにどんな戦略を持っているのかー。

 核となるメンバーが集まる毎週木曜夜のミーティングに参加してみた。

マニフェストづくりで喧々諤々

 Take Back the Cityの秘書役クレアさんに教えられ、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(通称 SOAS)に向かったのは4月中旬のことだった。

 ロンドン市議選まで、ちょうど3週間となった。

 午後7時のスタートに集まったのは12人ほど。20代とみられる若者たちだ。グループの共同創設者マカジャー氏の顔も見える。椅子を丸く円を描くようにして並べて、座る。ミーティングが進むにつれて、数人がジョインしてゆく。

  出席者は大学生か仕事を持っている人で、人種的には混在していた。白人もいれば有色人種の人も。東アジア系は筆者一人だ。

 「前は20人は必ず来たのだけれどー。うちの子供持つ連れてきたかったけど、今日は行かないと言っていた」とレベッカさん。「参加してゆく意思を持ち続けるのは並大抵ではない」。レベッカさんはこれまで市民デモに参加してきたが、「ここは上下のヒエラレルキーになっていないので、気に入った」という。

 後から入ってきて、隅っこの椅子に座ったのが銀髪で60歳は超えていそうな男性だ。髪をゴムで後ろにまとめ、上下のジャージを着た姿はほかの人と比べるとちょっと異質だった。

 椅子に座った参加者が一通り自己紹介をした後、クレアさんが今日の議題を説明し、マニフェストについて話し始めた。グループの共同創設者エド・ルイス氏が印刷してきた紙を配る。マニフェストの原案だ。裏表に印刷して4ページ分。6つの大きな要求を入れている。

 1つは「空になっている不動産物件を市が引き受け、廉価で提供できるようにする。
 
 2つ目は「収入にかかわらず、ロンドンで学ぶ権利を保障する」

 3つ目は「ロンドンの最低賃金を10ポンドにする」

 4つ目は「政治家よりも市民の権力を拡大する」

 5つ目は「人種差別による警察の捜査を止めさせる」
 
 6つ目は「すべての交通費の20%削減」。

 最初の項目から意見や質問がたくさん出る。「空き家を廉価で提供する方策よりも、既存の賃貸住宅の賃料の上昇を抑えるほうに力を入れるべきではないか?」「誰がこうした廉価の住宅を利用できるのか?」。6つ目の交通費削減の資金源は何にするかでも意見が割れた。

 一つ一つの意見が次の意見を生み出し、一つの項目から次の項目に移るまでにだいぶ時間を要した。クレアさんが丁寧にメモを取る。書き手のルイス氏もそれぞれの意見をメモに書き取っている。マニフェスト原案はこれからもどんどん変わりそうだ。

 しかし、後3週間もない段階で、マニフェストを書き直しているようでは、一体間に合うのだろうか?そんなことを思ったが、ぎりぎりで出すのはそれほど珍しくはないとほかの参加者が言う。

 マニフェストの話の後は、投票日までどこでどんなイベントを開催してゆくのか、細かい話が続く。持ってきたビスケットやブドウの包みをグループで回し、それぞれが少しずつ、とってゆく。食べながら、話しながら、7時過ぎに始まったミーティングは9時過ぎまで続いた。

 最後の方で説明をしたのが、さきほどのジャージ姿の男性だ。ロジャー・ハルム氏は学生だが、選挙運動の戸別訪問のプロだという。「もう30年もやっている」。

 マニフェストづくりで活発に意見を出してきた参加者だったが、実際に有権者の家を訪れ、ドアをノックする戸別訪問となると、多くが及び腰で、不安感がいっぱいのようだった。そこでハルム氏のアドバイスを出す。

 「ポイントは相手に話してもらうようにすることだ。最初の2秒ですべてが決まる。ノックをしたら、すみませんがこんなことをしていますと説明して、相手の状況を聞いてみることだ」。ハルム氏の言葉をじっと聞く参加者たち。

 筆者は保守党の候補者とともに戸別訪問をしたことがあるが、慣れるとそれほど難しいことではない。ここの参加者は戸別訪問をしたことがなく、知らない人に政治行動を聞く、候補者への投票をお願いするという行為をやや怖がっているようにも見えた。

 この日、候補者ギチンガ氏はいなかった。米国で大統領選の選挙運動を見学しに行っていたのである。

 果たして、このメンバーで当選まで行きつけるだろうか?少々の不安感が出てきた。

 ミーティングが終了し、参加者がバラバラと帰ってゆく中、レベッカさんがこう言った。「市長選・市議選の後のことも考えないとね」。そうだ、ギチンガ氏が当選しようとしまいと、Take Back the Cityは続くのである。「この先があるのだからー」。

バルセロナの刺激

 2日後の週末、筆者は労組の関連組織「コンパス」が主催する「Good London」(「良いロンドン」))というイベントに参加してみた。

 将来のロンドンを自分たちが望む方向に作っていくため、意見を出し合うイベントだ。市長選・市議選が近いため、各政党から市長選あるいは市議選への立候補を集め、参加者が意見を述べるコーナーも設けられた。

 ファリンドン駅近くのカフェ「フリー・ワールド」で開催されたイベントで、参加バッジをもらうと、「彼女」として呼ばれたいか、「彼」として呼ばれたいかを聞かれる。男性として生まれてきても女性という自己認識がある、あるいはその逆も含める「トランスジェンダー」の人も歓迎するというメッセージだ。

 最初のセッションの第1部は、車椅子に乗った女優と詩人による詩の朗読で始まった。人は性、年齢、人種、心身の障害のあるなしによって差別されない、イベントはすべての人にオープン――これがイベントの方針なのだ。

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(バルセロナの市民運動について話すシアベアド氏)

 第2部では世界の都市で起きた政治変革の事例が紹介された。登壇者の一人がスペイン・バルセロナ在住のケイト・シアベアド氏。その話は衝撃的だった。

 シアベアド氏はバルセロナの市民政党「バルサローナ・アン・クムー」(意味は「共通のバルセロナ」)の広報担当者の一人。生まれ育ったのはロンドンだ。

 同氏によると、昨年3月の地方選で、スペインではその大部分の都市で市民プラットフォームが政権を取ったという。バルセロナのほかにはマドリードで、「アオーラ・マドリード」 (「マドリード、今」)がその一例だ。社会運動アクティビスト、進歩的な政党、政治運動アクティビストたちが中心になり、政治に市民の声をもっと入れようとした動きが形になったものだという。

 それぞれの運動は文脈や活動の広がりが異なるが、いくつかの共通点もあった。

 まず第1に「地方政治こそが市民参加や民主主義の再生の実験場であるべきという考えがあった」。

 第2として、「参加組織の利害を超え、政治目的を共有した」。

 第3は「マニフェストをオープン形で作り上げた」。

 第4は「政治のプロ化を防ぎ、職務に就いた人の説明責任を果たさせるために、給与や待遇について厳しい倫理観を維持した」。

 イベント終了後、シアベアド氏と話してみた。彼女はTake Back the Cityのことを知っていた。何度かアドバイスをしたこともあったという。「お金もネットワークも、スキルもない、ゼロからのスタートだったわね。まだまだ・・」といってため息をつく。

 なぜスペインで市民運動が次々と政権を担うまでになったのか、なぜロンドンはそうではないのかを聞いてみると、こんな答えが返ってきた。「2008年の世界金融危機以降、スペインは経済がめちゃくちゃになった。若者の失業率は50%近くになった。もうどうしようもなくなって、新しい政治の波ができた。ロンドンはまだそこまで落ちぶれていないから、市民運動の政治化が進まないのではないか」。

 確かに、英国の経済はそれほど悪くなく、失業率も4%ほど。日本とあまり変わらないが、欧州では非常に良いほうに入る。若者の失業率は貧困地区では高くなるが、スペインほどではない。

 5月5日のロンドン市長・市議選で、Take Back the Cityはどこまで票を集められだろうか。直前と直後の様子をレポートしてゆきたい。
# by polimediauk | 2016-07-02 16:48 | 英国事情
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(国会議事堂に面した広場にはコックス議員を追悼するメッセージがたくさん置かれていた)

 23日、英国でEUの国民投票が行われる。離脱か、残留かを問う投票だ。

 これまでに離脱か、残留かでそれぞれの選挙運動が行われ、さまざまな議論が交わされてきた。議論は出尽くした感があって、大騒ぎした後、「振り返ってみると大したことではなかった」ということになる可能性もある。

 ただ一つ、英国内で十分に表に出てこなかったのが「EU自体が将来どうあるべきなのか」という議論だ。EUが将来的には分解あるいは大幅縮小となる可能性は離脱派の反EUの議論の枠組みでは出てきても、EU残留派あるいは中立的な文脈からはクローズアップされなかったことがやや残念だ。

振り返ってみると・・・

 EUはもともと、皆さんも十分にご存知のように、第2次大戦後、欧州内で2度と大きな戦争が起きないようにと言う思いから生まれた共同体だ。当初は経済が主体だったが、欧州連合(EU)と言う形になってからは政治統合の道を進んでゆく。

 単一市場に加入するという経済的目的を主としてEC(後にEUとして発展)に英国が加盟したのは1973年。当時は加盟国は英国を含めて9カ国。人口は約2億5000万人。現在は28カ国、5億人だ。

 当初は西欧の経済状態が似通った国が加盟国だったが、今は加盟国内での所得格差、失業率の差が大きい。経済力の大きな国が全体のためにより大きな拠出金を出し、「域内の加盟国=大きなファミリー」としてやってきたが、だんだんそのモデルがうまく行かなくなってきた。「破たんしている」と言う人もいる。

 英国では2015年、純移民の数が33万人となった。英国から出て行った人と入ってきた人の差だ。そのうちの半分がEU市民だ。英国は多くの人が使う国際語・英語が母語だし、失業率も低い。EU他国から働き手がどんどん入ってくるのも無理はない。人、モノ、サービスの自由化を原則とするEUにいるかぎり、市民がやってくることを止めることはできないのだ。

 日本のメディアの方から、国民投票についていくつかの共通した質問を受けた。その答えを書いておきたい。

なぜわざわざ、国民投票?残留の方がいいのに・・・

 質問の前提として「残留=いいこと」という考えがあるだろうと思う。

 しかし、EUの現状はどうなのかという問いがあるだろうし、かつ「現状維持=良いこと」とは限らない。

 「不満があるから、現状を変える」という動きは1つの選択肢だ。「なんだかよく分からないから、現状維持」というわけにはいかない。

英国とEU

 英国が離脱すると、EUがとんでもないことになる・・・とよく言われるし、私もそういう記事を書いたりする。

 しかし、現時点で、英国民にとっては少なくとも感情的には「EUがとんでもないこと」になってもどうでもいいというか、関係ないという思いがある。

 英国民にとって、ヨーロッパとは「外国」である。ヨーロッパ大陸やEUがどうにかなっても、英仏海峡を隔てた場所の話なのである。

なぜ今、やるのか?

 底流として長い間存在してきたのが、反欧州、あるいは欧州(=EU)への懐疑感情だ。大英帝国としての過去があるし、「一人でもやっていける」という感覚がある。

 社会の中の周辺部分、つまり、英国には階級社会の名残があるが、労働者階級の一部、および中・上流階級の一部に特にそんな感情が強い。

 社会全体では、「他人にあれこれ言われたくない」「自分のことは自分で決めたい」という感情が非常に強い。だから常に、政府でも地方自治体でもいいが、いわゆる統治者・管理者が何かを上から押さえつけようとすると、「反対!」と叫ぶために抗議デモが起きる。

 EUが拡大して、EU合衆国になる・・・というのはまっぴらごめんと言う感覚がある。

 英国の司法、ビジネス、生活に及ぼすEUのさまざまな細かい規定を「干渉」と見なす人も多い。

 今回の国民投票の話以前に、もろもろのこうした底流が存在していた。

政治的な動き

 底流での流れが政治的な動きにつながってゆくきっかけは、2004年の旧東欧諸国のEU加盟と2007-8年からの世界金融危機。

 04年、10か国の新規加盟に対し、各国は人やモノの受け入れのための準備・猶予期間を数年間、導入した。しかし、英国は制限を付けなかった。そこで、最初から自由に人が出入りできるようになった。

 ポーランド人の大工、水道工やハンガリー人のウェイターが目につくようになり、東欧食品の専門店があちこちにできてゆく。若く、仕事熱心な新・移民たちは評判も上々だった。

 しかし、金融危機以降に成立した2010年の保守党・自由民主党新政権は厳しい財政緊縮策を敷いた。公共費が大幅削減され、地方自治体が提供するサービスの一部もカットされた。EU市民については制限を付けない移民策の結果、病院、役所、学校のサービスを受けにくくなった。

 政府統計によれば、人口約6000万人の英国で、2014年時点、300万人のEU市民が在住。その中の200万人が2004年以降にやってきた人である。特に英国南部、そしてロンドンが最も多い。

 「無制限にやってくるEU市民をどうにかしてほしい」-生活上の不便さから、そんなことを言う人が英国各地で増えてきた。

 しかし、人、モノ、サービスの自由な移動を原則とするEUに入っている限り、域内の市民の移動を阻止できない。また、一種の人種差別的発言とも受け取られるから、政治的に絶対にといっていいほど、認められない。

 だから、既存の政党はこんな市民の声をくみ上げられずに何年もが過ぎた。

 ずばり、「EUを脱退するべきだ」と主張してきたのが英国独立党(UKIP)。数年前までは「頭がおかしい人が支持する政党」だった。

潮目が変わった

 しかし、2014年、潮目が変わった。

 この年の欧州議会選挙で、英国に割り当てられた73の議席の中で、UKIPが21議席を取って第1党に躍り出たのである。市民の声が政治を動かした。

 どんなに恰好の悪い本音でも、本音は本音である。

 UKIPは与党・保守党を大きく揺り動かす。もともと、EU懐疑派が多い保守党。この懐疑派が40代半ばにして党首となったキャメロンの足を引っ張る。保守党議員がUKIPに移動する事態が発生し、キャメロンは懐疑派=超右派を黙らせるため、また党の存続のため、EUについて何かをしなければならなくなった。

 「制限がないEUからの移民流入が不都合をきたしている」-そんな思いをくみ取れなかったのは最大野党の労働党も同じ。

 「EUは大切だ」という姿勢を崩さなかった労働党に加え、2015年4月まで連立政権の一部だった自民党も大のEU推進派だ。

 「今度こそ、単一政権を実現させたい」-2015年5月の総選挙で、そう思ったキャメロン首相は「保守党が単一政権になったら、EUの離脱・残留について国民投票を2017年までに行う」と約束して、選挙戦に臨んだ。

 ふたを開けてみると、労働党惨敗で、保守党は単一政権を打ち立てることができた。

 その後、UKIPを中心として国民投票実現へのプレッシャーが高まる。

 キャメロン首相はとうとう、今年6月23日の実施を宣言せざるを得なくなった。

キャメロン首相の父親が関連した会社が「パナマ文書」に出ていた。これがキャメロン首相にとって大きなダメージになったのではないか?

 現在のところ、この問題は解決済み。キャメロン首相は自分の税金の支払い書を公表し、今回の投票には影響を直接は与えていない。

誰が残留をあるいは離脱を支持しているのか?

 残留はキャメロン首相、大部分の内閣、下院議員、労働党、自民党。エコノミストたち。OECD、IMF、イングランド中央銀行。カーン現ロンドン市長、オバマ大統領、ベッカム選手、ハリーポッターシリーズのJKローリングや俳優のベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレーなど。中・上流階級(日本の中流よりは少し上の知識層)、国際的ビジネスに従事する人、若者層。

 離脱はジョンソン元ロンドン市長、ゴーブ司法大臣、ダンカンスミス元年金・福祉大臣、ダイソン社社長、労働者・中低所得者の一部、英連邦出身者の一部、中・上流階級の一部・保守右派で「大英帝国」信奉者、高齢者の一部。

世論調査は?

 ずっと残留派が少し上だったが、最近になって、10ポイントの差で離脱派がリードしたことがある。ポンドは下落。その後、下院議員の殺害事件があり、残留派が勢いを取り戻している。

 しかし、事前予測は不可能と言ってよいと思う。総選挙でも世論調査が大外れだった。

離脱すれば、どうなる?

 オズボーン財務相によれば、GDPが5%下がる。IMF、OECD,中銀などすべてが経済への打撃を予測。

 ただし、中長期的にはどうなるかは分からないだろう。

手続きはどうなる?

 離脱の場合、下院でこの問題を議論する見込み。

 離脱交渉を開始するために、リスボン協定の第50条を発動させると、2年以内に交渉を終了する必要があるという。

 しかし、キャメロン首相がいつこの条項を発動させるのかは不明。事前にEU他国との交渉をしてから、発動させるという見方もある。

EUとの交渉はどうなる?

 離脱の結果が出た後、EUと英国がほぼこれまで通りの規定でビジネスを続けるだろうという見方(離脱派)と英国は外に出ることになるため、一から交渉を行う(残留派)の見方がある。どうなるかは不明だ。

結局のところ

 離脱になった場合、その後どうなるかは予測がつかない。予測したとしても当たるかどうかわからない。

EUへの影響は

 離脱後の影響については、現状はすべてが憶測・推測と言ってよいだろう。

スコットランドは?

 残留派が多いと言われるスコットランド。2014年に住民投票をし、僅差で英国から離脱しないという結果が出たばかり。EUから離脱の結果になれば、スコットランドでは再度住民投票が行われる可能性は否定できない。ただし、これもEUがどう出るかで状況は変わってくるだろう。

首相の座はどうなる?

 今のところ、離脱になっても、キャメロン首相は続投と言うのが内閣の姿勢だ。しかし、おそらく、メディアが徹底的に首相を攻撃し、退陣を迫るだろう。

本当の問題は・・・

 実は、EU自体の方向性が問題視されているのではないか?

 EU域内の主要国なのに、シェンゲン協定に入らず、ユーロも導入せず、「鬼っ子」のような英国。英仏海峡で隔てられていることもあって、大陸にあるEU国を「外国」と見なす英国。欧州よりは米国や英連邦に親近感を持つ英国。

 そんな英国をEUの外に出したら、ドイツの主導の下、EUはさらに統合を進めるだろう・・と思いきや、そうもいかないだろう。

 アイルランド、ギリシャなど、ユーロ圏内で財政問題で苦しんだ国があった・ある。ドイツを中心としたEUのルールを厳格に進めれば、国家破たんの間際に押しやられる国が今後も出てくるかもしれない。何せ、それぞれの国の規模、財政状況に大きな開きがある。一律の規定ではカバーできない。みんなが幸せにはなれない。

 すでに、シリアなどを中心にした国からやってくる難民・移民の流入に対し、ドイツが人道的な見地から100万人を受け入れたのに対し、旧東欧諸国などから反対の声が強まっている。

 社会のリベラル度を測る、同性愛者の市民に対する意識も地域によって異なる。人権として受け止めるドイツ、フランス、オランダ、英国などと一部の東欧諸国では大きな差がある。

 EUは今、方向性を問われる時期に来ているのかもしれない。

 ドイツのショイブレ財務大臣の言葉が光る。もし英国が残留を選んだとしても、これを一つのきっかけとして、これまでのような深化・拡大路線を見直す必要があるのではないか、と発言(21日)しているのである。

ジョー・コックス下院議員殺害はどんな影響が?

 残留を支持していたコックス下院議員が16日、英中部で殺害された。裁判所で、実行容疑者は「英国優先」と答えた。

 まだ解明が続いているが、自分とは異なる意見を持つ人物への憎悪が背後にあったと言われ、「離脱すれば戦争がはじまる」(残留派)、「欧州統合への動きはヒトラーもそうだった」(離脱派)など、強い口調を使っていた選挙戦への反省が始まった。選挙戦は2日間、停止された。

 しかし、いったん選挙戦が再開されると、また熱っぽい発言の応酬となった。

 殺害事件後、残留派が少し支持を増やしているようだが、まだ結果は分からない。

 投票結果に影響を及ぼすのは、殺害事件よりもむしろ、当日の天気ではないかと言われている。

 離脱派は投票への意識が強く、雨になれば、離脱派が強みを持つという。

日本企業への影響は?

NHKによれば、英国は日本への対外直接投資で米国に次いで2番目に大きな国だ。中国よりも大きい。特に、近年、急激に伸びている。

 また、英政府によれば在英の日本企業は1000社を超え、約14万人の雇用を支えているという。

 離脱となれば、まずはポンドが下がる可能性があり、円高と言うことになれば一般的に日本の輸出企業は打撃を受けるだろう。これが長く続かどうかは分からない。

 在英の日本企業が欧州他国とビジネス上の手続きをいちいちやり直す必要があるとすれば(あるとすれば、であるが)これも煩雑だ。ただ、これで英国から日本企業が出ていくかどうかは疑問だ。

 いずれにせよ、まずはあと24時間、あるいは36時間、どうなるかを待ってみるしかないだろう。
# by polimediauk | 2016-06-22 20:57 | 英国事情
 2月末に出たばかりの英国の新しい新聞「ニューデー」。前向きのニュースを明るく伝える、政治的にはニュートラルと言う英国の新聞界では珍しい編集方針でスタートし、私自身も時折買っていたが、明日6日付が最後で、市場から消えてしまうことになった。

なぜ消えることになったのか?

 同じく在英ジャーナリストの木村正人さんがすっきり分かる形で論考を書いている。

 一部始終についてはそちらを拝読いただきたいのだが、「紙はもうだめだから」「デジタルの世界だから」・・・という理由に若干、付け足してみたい。

「紙だから、無理だった」…だけではない

 ニューデー廃刊の理由として、「紙だから、無理だった」と言うのがまあ、普通の理由になるのだろうけれども、それ以上のもろもろがあったように思えてならない。

 と言うのも、数週間前のスタート時からもうすでに、紙はだめ・・・という状況が続いていたからだ。

 では、何がダメだったのだろう?以下は私が考えるいくつかの要因だ。

ライバルが多すぎた

 まず、ライバルが多すぎた。ロンドンの例をとってみよう。朝は無料紙メトロがある。駅構内にうずたかく積まれている。通勤時に電車に乗るとき、これをついつい取る人は多い。

 午後には夕刊紙「ロンドン・イブニング・スタンダード」が出始める。これも無料である。その日に起きたニュースが夕方には読めるので、非常に便利。夕方、ロンドン市内の電車に乗って、スタンダードを手に取ってない人を見ない・・・なんてことは一度もない。

 1日のうちに、メトロ、スタンダードと言う2大無料紙が出ているのである。

 さらに、高級紙「インディペンデント」の簡易版「アイ(i)」がある。これが1部40ペンス。実に読みやすい。かつ、内容はしっかりしている。ということで、今、26万部程出ている。本家のインディペンデントは5万部ぐらいになって(かつては40万部)、とうとう3月末で、紙版を廃止。電子版だけになってしまったのである。

 このほかには大衆紙で手軽に買えるサン、デイリー・メール、デイリー・ミラー、デイリー・スターが20ペンスから40ペンスぐらい。

 高級紙ガーディアン、タイムズ、テレグラフなどはその4倍以上の値段になる。ページ数も多い。さらっと読みたい人が敬遠するのも無理はない…残念ながら。第一、高級紙(日本の全国紙に相当)を読むような人は、教育程度が高く、スマホの利用率も高いから、アプリでニュースを読むのが得意中の得意である。よっぽど家で定期購読している人でないと、スマホでニュースを通勤時に読んでしまうのだ。

値段が高すぎる

 上の「ライバルが多すぎる」にも関連するのだが、値段がニューデーは50ペンスで、これは少々高いのである。つまり、「アイ」のライバルとなるのだから、それより高いなんて・・・それで買ってくれると思ったら…それはやっぱり無理でしょう。

 アイは非常にブランド力が強い。インディペンデントが本家だけれど、紙版を廃止して電子版オンリーになった時、アイだけは別の新聞社=ジョンストンプレス=に買われてしまったぐらいである。

 発行元のトリニティー・ミラー社はアイの大人気を見て、それにあやかろうと思ったらしいけれど、ニューデーの価格をアイより高くするなんて、無謀だろうと思う。これでは勝てない。

諦めが早すぎる

 それにしても、諦めが早すぎるのである。毎日、部数が減って、赤字が出るのはさぞつらかっただろうと思う。

 しかし、ブランドが浸透するには時間がかかる。英国内の地方の隅々にまでその名が知られたとは思えない。

 出版社は、このデジタル時代に紙の新聞を普及させようと思ったら、相当の覚悟、つまりはかなり深いポケット(お金)がないとだめだ。でっかいテレビのコマーシャルをどんどんやり、少なくとも半年間は赤字大覚悟でやらないとー。

 BBCの記事にガーディアンのメディア評論家ロイ・グリーンスレード氏のツイートが載っていたのだけれど、これは最初から最後まで出版社の経営の大失敗であって、決して編集長のせいにはするなと書いている。私もそう思う。

 この記事の中には、紙で読む新聞を楽しんでいた人のコメントも紹介されている。

 新聞は命ある生き物だと思う。あるいは、料理でもいい。心を込めて作っている途中で、「時間がないからやめなさい」と言われたら、どうするだろう。

 命を吹き込んだ何物かを作るとき、そこには作った人のエネルギー、心意気、血と汗と涙が投入されている。新聞の場合は相当な額のお金もだ。

 明日6日が最終号と言うことは、5日の編集作業が最後。最終版を印刷所に送ったら、編集部の仕事は終わりだ。想像だけだが、部内の熱気と沈痛を思うと胸が痛む。

 結局のところ、ニューデーは経営陣の不十分な経営計画の犠牲になったのだと私は思う。
# by polimediauk | 2016-05-06 05:35 | 新聞業界
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(Take Back the City」のウェブサイト)

(以下の記事は、ジャーナリスト/メディア・アクティビストの津田大介氏が発信するメルマガ「津田大介のメディアの現場」Vol 205に掲載された筆者記事の転載です。)

ロンドンを市民の手に取り戻す
(「Take Back the City」)
-5月5日の市長選に向けた草の根運動は成功するか?


***

 自分たちの手で政治を変えるーそんなことが果たして可能なのだろうか?

 政治家になるのでもなければそんなことは無理だし、第一、お金がなければ選挙に立候補さえできない。普通の市民にはとても無理。・・・とあきらめてしまうのは早すぎる。

 少なくとも、ロンドンのあるグループ、その名も「Take Back the City」=「都市を取り戻せ」はあきらめていない。選挙には必要と言われる巨額のお金がなくても、政党のバックアップがなくても、市民の声を拾い、自分たちが望む方向に政治を変えようとしている。

 Take Back the Cityは、元々はロンドン北部の公立校で教える二人の教師の発案による。

 「ロンドンは世界に誇れる、素晴らしい都市だ。しかし、ロンドン市民は自分たちの都市が超富裕層やその利益をかなえるための政治家に乗っ取られてしまったと感じている」(共同創立者ジェイコブ・マカジャー氏。地元ラジオ局の番組にて。2015年12月9日)。

 ロンドンの住宅価格は高騰を続け、家賃も高い。その割に中低所得者の賃金は低く、「ロンドンは普通の人は住めない都市になってきた。中心部に住めるのは、一部の富裕層だけだ」とマカジャー氏。

 共同創立者のもう一人、エド・ルイス氏はロンドン生まれ。大学を卒業後に一人暮らしを始めたものの、高騰する家賃を払えず、ロンドンを出ざるを得なくなった。両親もロンドンの外に出たという。

 Take Back the Cityのウェブサイトによれば、ロンドンは「最も不平等な都市だ。富裕度でトップの10%が所有する資産は、最下位の10%の資産の273倍に達する」、「ロンドン市内の賃貸料は平均で月1500ポンド(1ポンド=155円計算で23-24万円)を超えている」。

 二人とも、政治には幻滅していた。自分たちの声が全く反映されていないと感じたからだ。

 どうやって政治を変えるのか?マカジャー氏は政党のやり方とは別の手法を取ろうと思ったという。それは「市民の声を聞いて、それを元にマニフェスト(選挙に向けた公約文書)を作ってゆく」やり方だ。

 Take Back the Cityというグループでの活動は2015年からだが、2011年から、すでに二人は市民のための政治を実現するために、動き出していた。ボランティア組織、労組、コミュニティの集まり、教育機関などでワークショップを開き、政治が変われば何が変わるのか、政治に何を期待するかについて、参加者の声に耳を傾けてきた。

 若者層向けには、夏休みを利用して政治を学ぶサマースクール「Demand the Impossible」(「不可能なことを要求しろ」)を開催した。こちらは15-25歳が対象で、昼食付きのイベントの参加費は無料だ。

 現在までに、Take Back the Cityには100人ほどが賛同登録し、核になる40人が週に1度はミーティングを開き、今後の活動について議論をする。有給で働くのは事務・連絡係の一人だけだ。

 これまでの活動は無料のボランティアや参加者の募金によって運営されてきたが、1月上旬、クラウンドファンディングを開始した。

 当面の大きな目標は、5月5日のロンドン市長選と市議会選に候補者を送り込むことだ。

 市長選は与党・保守党が推すザック・ゴールドスミス下院議員と野党・労働党のサディク・カーン下院議員の二人の有力候補の一騎打ちとなる見込み。

 ゴールドスミス氏は富豪ゴールドスミス家の御曹司で、名門イートン校で学ぶ。高所得者を代表する人物だ。一方のカーン議員は労働者階級のパキスタン系英国人で、議員になる前は人権問題の弁護士だった。労働者階級を代表する人物という位置づけだ。

 筆者が見るところでは、ロンドン市議選に当選者を出すことについては可能性が全くないとは言えないが、市長選で当選する可能性はどうだろうか。

 Take Back the Cityが活動を維持し、熱心にマニフェストづくりを続けることができる理由は何か。何が参加者を政治運動に駆り立てるのか。

 Take Back the Cityの参加者に会って、話を聞いてみた。

「社会を構成するみんなの声がここにある」

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(左から、ラッセル氏、ソープ氏、ギチンガ氏)

 ロンドン市内のカフェの一角で、Take Back the Cityの核になるメンバー3人から、それぞれの参加理由や体験談を聞いてみた。 

 大学院生のサイモン・ソープ氏、合唱を教えるアミナ・ギチンガ氏、大学進学準備中のカール・ラッセル氏、いずれも共通した答えとなった参加の理由が「ここが一番、自分にとってしっくりきたから」だった。

 ソープ氏がTake Back the Cityのほかのメンバーと知り合ったのは、パレスチナの人権擁護についての運動をしていた時だったという。

 「政治運動の市民グループにはいろいろ行ってみたが、その中心は決まって白人、ミドルクラス(中流階級=日本のいわゆる中流とは少し上の階級)、男性だった。ロンドンの人口構成を反映するよう、若者層や有色人種の取り込みに力を入れるTake Back the Cityは、他と違うと感じた」。

 ちなみに、ソープ氏自身が白人男性で、言葉のアクセントや教育程度から察するとミドルクラスに属するようだった。しかし、同氏は多様な人種がかかわらない政治運動を不自然に思ってきたという。

 ギチンガ氏は共同創立者マカジャー氏のかつての生徒の一人だった。もともと、ロンドン東部にあるシティ空港の拡大への反対運動に参加するなど、コミュニティ・レベルでの政治には関わっていたが、Take Back the Cityのワークショップに行き、やってきた人の顔ぶりの多様性を見て、「ここが自分のいるべき場所だ」と思ったという。同氏は褐色系の肌を持つ女性で、Take Back the Cityが推す、市長選の候補者の一人にもなっている。

 ギチンガ氏は思い出深いワークショップについて話してくれた。ロンドンの旅行ガイドが参加者を市内のツアーに連れて行ったという。ギチンガ氏にとって、自分の住む町ではあっても知らなかったロンドンの歴史が見えてきた。

 ツアーの後は、2012年の五輪が開かれたストラットフォードに足を伸ばし、階級差についてのミニ・ドラマを参加者全員で演じた。最後のしめくくりはショッピングセンターに入り、Take Back the Cityの存在をアピールする歌を歌い、行進した。「忘れられない体験となった」。

 黒人男性のラッセル氏は一昨年の夏、政治を学ぶサマースクール「Demand the Impossible」に初めて参加した。共同創立者マカジャー氏やルイス氏はラッセル氏の高校時代の先生でもあった。サマースクールではロンドンがどのように運営されているか、問題がどう処理されているかを学んだ。

 「中等教育では政治教育がなかった。Demand the Impossibleの存在は自分でネットで見つけた。母が政治学の修士号を持っていたので、政治の重要性については知っていた」(ラッセル氏)。Take Back the Cityのワークショップに行き、政治意識に火が付いたという。

 「人生の大部分をロンドンで生きてきた。ロンドンの将来に自分も関わっていきたい」。

 マカジャー氏やTake Back the Cityが目指すのは、普通の市民の声が反映された政治の実現だ。ここでの「普通の」とは、既存の政党が十分にその声を拾っていない人々、つまりは低所得者層、移民、有色人種、女性などを指している。「自分たちの言うことを、どうせ政治家は聞いてくれない」、「どうせ何を言っても無駄だ」とあきらめがちな人々だ。Take Back the Cityは社会の構成員全員が政治に参加することを目指している。

 ソープ氏によると、政党の後ろ盾がなく、多様なロンドンの人口構成を反映しながら、草の根レベルで政治運動をはぐくむTake Back the Cityは「非常にユニークな存在だ」という。

 筆者は有色人種、移民、女性、低・中所得というカテゴリーに入る。日本円で200円に相当するオレンジジュースを飲みながら、カフェで3人の顔を見て、話を聞いたときに、この3人が「ここなら、自分がいられる」と思った気持、「みんなで政治は変えられる」という信念が初めて理解できるように思った。

 Take Back the Cityが目指すのは、普通の市民が生活し、子供を育てられるロンドンの実現だ。豪華なアパートが乱立するのではなく、適度な賃貸料で住める住居があるロンドン、人種及び文化の多様性を反映し、普通の市民のように考えることができる政治の代表者がいるロンドンだ。

 組織には9つの原則がある。

 1つは「クリエティブ」。社会に変化を起こすためには、創造性や芸術性が必要と考える。

 2つ目は「コミュニティ」。変化はコミュニティから起きる。

 3つ目が「民主的」。現状のようにロンドンが金融サービスや大企業の利によって支配されるのではなく、もっと民主的に運営されるよう要求する。

 4つ目が「平等性」。人種、性、階級、宗教、年齢、障害による差別に反対し、すべての人を平等に扱う。

 5つ目が「インクルーシブ」。全員が共同で行動を起こす。

 6つ目が「オープンマインド」。参加者のアイデアを積極的に取り入れる。

 7つ目が「ラジカル」。革新的な動きであるからこそ、変化を促すことができる。

 8つ目は「自治」。人の個性、特技を生かす。

 そして、9つ目が「反ヒエラレルキー」。参加者全員がそれぞれの役割、責任を持つ。

マニフェストで望むのは住宅と賃金問題

 Take Back the Cityには、「市民のマニフェスト」を作るためにどのような要望が寄せられているのだろうか。

 最も頻繁に挙げられたのは、「ソーシャルハウジングあるいは賃貸料の廉価な住宅の建設」と「生活賃金の導入」だ。

 ソーシャルハウジングとは地元の自治体や非営利組織が提供する、低所得家庭向けの廉価な賃貸料の住宅を指す。

 好景気のロンドンには人もカネも入ってくる。政府統計によれば、人口は第2次世界大戦前のレベルに達し、2015年で約860万人。この1年で約5万2000戸が増えた一方で、新規住宅建設は約2万戸のみ。慢性的な住宅不足の現状がある。

 英国全体で住宅価格は上昇しているが、特に激しいのがロンドンだ。過去7年間でロンドンの住宅価格は平均で44%増えている。

 調査会社「ホームハブ」によれば、ロンドンの住宅価格は全国平均の3倍だ(インディペンデント紙、2015年12月9日付)。

 高騰の理由の1つは、外国人が投資のために一等地の住宅を買うケースが増えているためだ。

 別の調査会社「シビタス」によると、2012年、ロンドンの中心街にある物件の85%が海外からの資金で買われていた。その3分の2は投資用で、実際にはその物件に住んでいなかった。

 生活賃金とは生活水準を維持するために必要な最低限の時間給のこと。最低賃金の支払いは法律上、事業者の義務となるが、生活賃金は義務化されていない。

 現在の最低賃金は21歳以上で6・70ポンド(約1040円)。生活賃金は全国では8・25ポンドだが、ロンドンでは住宅費の高騰など生活費がほかの都市よりはかかるという前提で、9・40ポンドに上昇する。もしロンドンの雇用主が最低賃金の6・70ポンドかこれに若干足しただけの金額を払えば、ロンドンで働く人にとっては、かなり厳しい生活となる。

 運動の共同創立者ルイス氏が「ロンドンから出ざるを得なくなった」と話していたが、まさにそのような状況になっている。

 5日のロンドン市長選・市議選に向けて、マニフェストづくりに向かうTake Back the Cityの動きを、今後も追っていきたい。(連載2回目はメルマガ「メディアの現場」最新号に掲載中です。)
 
Take Back the Cityとは何かを説明する動画
# by polimediauk | 2016-05-01 02:19
 (新聞協会発行「新聞協会報」の筆者原稿「英国メディア動向3」――4月12日発行ーーに補足しました。訂正:ガーディアンの損失額を訂正しました。4月26日

 世界新聞・ニュース発行者協会(WAN-IFRA)が主催した会議「デジタル・メディア欧州」(ウィーン、4月20日―22日)に参加する機会があった。これに合わせ、ウィーン及び独ベルリンの新聞社を視察したが、どこの国でも電子版からいかに収入を得るかで格闘していた。

 会議の前に書いた、英国の状況を紹介してみたい。

 英国のメディアが使う言語は国際語となった英語だ。ネット上には英語の情報があふれている。BBCが無料のニュースサイトを大きく展開している上に、米国の新聞社サイトは英語のニュースサイトとして大きなライバルとなる。そんな中での各紙の闘いである。

紙版廃止、有料化、第3の収入

 ネットでニュースを読む習慣が定着する中、紙の新聞がいつかは消えるのではないかと言われていたが、先を暗示するような動きが英国で3月末にあった。

 英全国紙インディペンデントとその日曜版インディペンデント・オン・サンデーが、それぞれ3月26日と20日、紙版の最終号を発行したのである。今は電子版のみになってしまった。紙の終えんを示す象徴的な出来事だった。

 新聞界は、デジタル時代になってビジネスモデルの転換を迫られている。英国の新聞各紙は積極的に電子版ニュースを拡充してきたが、ここにきて、いよいよ本格的な変貌を遂げる必要がでてきた。

有料化の効果は

 英新聞界の生き残り策の1つは電子版の有料化だった。

 この点で最も成功した新聞は経済紙フィナンシャル・タイムズだろう。経済紙という強みを生かし、一定の本数のみを無料で閲読できるが、それを超えると有料購読者のみが閲読できる「メーター制」を導入し、着実に購読者を増やした。1年前からは1ポンド(約160円)で1か月間記事を閲読できるトライアル制を展開し、2015年末時点で購読者を78万人(紙版と電子版のみの合計)に増加させた(前年比8%増)。電子版のみの購読者は56万6000人で前年比12%増。有料購読者の3分の2が電子版での購読者だ。

 一般紙で電子版有料制を導入したのはタイムズとその日曜版サンデー・タイムズだ。メーター制ではなく、購読者でなければ原則一本も読めない完全購読制を採る。購読者になるとさまざまな文化的イベントに無料あるいは割引価格で参加できるようになる。

 3月から別々だった両紙のウェブサイトを1つにし、平日は午前9時、昼、午後5時の3回のみ更新するように改めた。週末は昼と午後6時のみ更新となった。読者が速さよりも質を求めていることが分かったためだ。

 2010年の導入時は先行きが危ぶまれたが、今年2月時点で、両紙は合計で40万1000の有料購読者を持つ。内訳は17万2000が電子版のみで、22万9000が紙版のみあるいは紙版と電子版のセットでの購読者という(発行元ニューズUK社発表)。前年比で2.2%増だ。タイムズの場合は、紙の部数が38万9051、電子版のみは14万8000で、合計では53万7051部となる。ニューズUK社は電子版が成功したと受け止めている。

タイムズは「高い壁」

 しかし、「有料の壁」を作ったことで、月間読者数(紙版読者、電子版読者の合計)では低い位置にいる(ナショナル・リーダーシップ・サーベイ調べ)。2014年でタイムズの読者は490万人だったが、ほかの高級紙はその倍以上だ。インディペンデントは1040万人、ガーディアンは1630万人、テレグラフは1640万人だった。

 高級紙の中で最も紙の発行部数が多いテレグラフは2013年にメーター制を導入したが、購読者数を公表していない。

 インディペンデント、ガーディアンは過去記事も含め、すべてを無料でウェブサイトに出してきた。

 サン、デイリー・メールなどの大衆紙もサイト上で無料で記事が閲読できるようにしている。サンは一時、有料制を導入したが思うような数の購読者を得ることができず、無料派に戻った。

無料サイトが厳しく

 ガーディアンを発行するガーディアン・ニュース&メディア社は、3月決算で5860万ポンドの営業損失を抱える。今後3年間での黒字化を目指し、大幅な経費削減を実行予定だ。編集部門725人、営業などバックオフィスの150人の中で250-310人程度を削減する。編集部門からは100人程度の削減になる見込みだ。

 紙媒体の広告収入が前年比で25%下落する市場の逆風が吹いた上に、米国版ガーディアンの開設への投資も経費を拡大させた。広告をブロックするトレンドも響いた。営業経費が過去5年で23%増大する一方で収入は10%増となり、追い付かない状態となった。

 ガーディアンは今後も電子版の閲読無料方針を維持するつもりだ。黒字化に向けて期待をかけるのは購読者を増やすことに加えて、「第3の収入源」つまり会員制度だ。会員となって毎月5ポンドから60ポンドを払うと、本社で開催されるイベントに優先的に出席できる。

 業界サイト、プレス・ガゼットの編集長ドミニク・ポンスフォード氏は、無料派ガーディアンが巨額の損失を抱える一方で、完全有料制を導入したタイムズとサンデー・タイムズが「黒字化している」ことに注目し、「約900人のスタッフを無料のウェブサイトから得る収入ではまかなえないことが明確になった」と述べている(1月26日付記事)。

***

 フィナンシャル・タイムズさえも厳しい状態にある…という記事を朝日新聞のデジタルウオッチャー、平和博記者が書かれているので、そちらもご参考に。
# by polimediauk | 2016-04-24 19:25 | 新聞業界
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(チャーチルの自宅チャートウェル邸)

 現ロンドン市長ボリス・ジョンソンが書いたウィンストン・チャーチル(1874年生-1965年没)についての本『チャーチル・ファクター』の翻訳を、英政治家の回顧録の翻訳で豊富な経験を持つ石塚雅彦氏と筆者が担当した。3月末の出版(プレジデント社)にちなみ、チャーチルの自宅チャートウェル邸を訪ねてみた。

***

 第2次世界大戦当時の英国の首相、ウィンストン・チャーチル。ナチス・ドイツによる快進撃に次々と欧州他国が倒れてゆく中、島国英国の運命も危なくなった。ヒトラーとの交渉を拒否し、最後まで戦うことを宣言したチャーチルとともに、英国は戦時を切り抜けた。戦後数十年を経てもその功績の重要さは変わっていない。

 チャーチルは長年、政治家兼作家という2足の草鞋を履いた。膨大な量の演説原稿や草稿を書く(といっても口述筆記である)、驚くほどのエネルギーの持ち主だった。よく飲み、よく食べ、葉巻をふかし、昼夜問わず口述筆記をさせた。今でいえば「ワーカホリック」と言ってもおかしくはなかった。

 『チャーチル・ファクター』によれば、大量の文章を生み出したチャーチルには文章生成のための工場があった。それはチャーチルが妻クレメンティーンや子供たちと暮らした、ケント州にある自宅チャートウェル邸だった。

 1920年代にチャートウェル邸を買ったチャーチルは40年近くをここで過ごした。戦時中の数年間は警備上の問題から別のところで暮らしたが、それでも何度か泊りがけで訪れるほど愛着ある場所だった。

 ロンドンから車で2時間弱で行けるチャートウェル邸を訪ねてみた。

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(邸宅までの道で。上下とも)
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 チャートウェルには邸宅のほかに森、池、複数の庭がある。邸宅の裏には広大な公園が広がる。私が訪れた日は土曜日で、小さな子供連れの訪問客が芝生のあちこちで持ってきた食べ物を広げ、ピクニックを楽しんでいた。

 1921年、初めてここを訪れたチャーチルはケント州の森林地帯からその先まで見渡せる、見晴らしのよさに感銘を受けたという。当時は財政的に余裕がなかったものの、遠縁から遺産が入り、第1次大戦の歴史を書いた『世界の危機』(全4巻)の第1巻目の前払い金が入ってきたことで、購入が可能になった。

 ビジターセンターで入場料を払い、邸宅に入るためのチケットをもらう。時間制になっているのは、入場者が多すぎて、一度に入ってしまうと邸宅がいっぱいになってしまうからだった。

 邸宅までの道を歩くと、左手に広がる公園が大きな解放感を感じさせる。小川があり、小さな池もあった。池の中には赤い鯉が数匹泳いでいる。池の上には向こう側に渡れるように石の板がいくつか並べられていたが、私が訪れた日には手前に縄がかけられ、渡れないようになっていた。チャーチルはこの鯉を見たり、石の道を渡ったのだろうな、と思った(実際に、チャーチルが石の上に立つ写真が邸宅の中にあった)。

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(邸宅の正面)

 入場の時間になったので、列に並んで、邸宅の中に入ってみた。

 1つの1つの部屋は想像していたものよりも、ややこじんまりしていたが、逆にそこが普通の家のようで、実際に人が住んでいた感じがした。世間的にどんな重要な職についていようと、誰にでも家庭があり、生活がある。

 邸宅内での写真撮影は禁じられている。家具や置物、写真などが個人のもので、現在チャートウェルを管理しているナショナル・トラストの手にはないからだという。ナショナル・トラストとは歴史的建築物の保護を目的として英国において設立されたボランティア団体だ。

 部屋の1つに「ライブラリー」(図書室)と呼ばれるものがあった。四方の壁が本でおおわれている。ソファーがいくつか置かれている。ここがチャーチルの文章生成のための「工場」の1部となる。チャーチルはここに数人のリサーチャーを置いていた。口述筆記をするチャーチルが事実を確かめたい時、リサーチャーに命令を下す。見つかり次第、リサーチャーの一人が資料を持って、上階にあるチャーチの書斎に持ってゆく。

 このリサーチャーたちは、『チャーチル・ファクター』によれば、「チャーチルの個人的な検索エンジン、グーグル」だった。図書室に収納されていた本は6万冊に上ったという。

 「スタディー」(書斎)に入った。ここの壁も本でいっぱいだった。座って書き物をするためのデスクのほかに、立ち机が壁の一方に向かう形で置かれてた。資料を持ってこの部屋に入ってきたリサーチャーは、チャーチルがもし立ち机に向かっていればその右半身を真っ先に視界にいれることになる。

 口述筆記をタイピストに打ってもらう形で文章を生み出したチャーチル。本を31冊書き、そのうちの14冊は書下ろしだった。議員としての経歴は64年に及んだが、毎月、何十もの演説、発言、質問を行った。公表された演説だけでも「18巻、8700ページにのぼる。記録や書簡を100万点の文書」になったという(『チャーチル・ファクター』)。

 書斎の右端のドアの先にはチャーチルの寝室がある。ここは公開されていない。「あまりにも小さいので、人が入れない」とガイド役の女性が言う。

 『チャーチル・ファクター』によれば、小さなバスルームと背の低いベッドがあるようだ。西欧では夫婦は1つの寝室を使うのが基本だが、チャーチルと妻クレメンティーンの寝室は別だった。チャーチルは自分の寝室にタイピストを入れ、演説用の文章をタイプしてもらうことがしょっちゅうだった。まさにワーカホリック、仕事中毒である。

 歩を進めて、ダイニング・ルームに入る。窓が大きく、太陽の光がたくさん入ってくる。思ったよりは小ぶりな部屋で、ディナー・パーティーをここで開けば、数人しか入れないだろう。チャーチルはあえてそうしたようだーつまり、家族同士であるいは本当に親しい友人だけの会食の場としてここを使ったのである。

 邸宅を出て先に進み、チャーチルのアトリエ(「スタジオ」)に入る。政治家・作家のチャーチルの趣味はレンガ積みと絵を描くことだった。四方の壁にチャーチルの絵が飾られている(数枚、ほかの人が描いた作品もある)。

 チャーチルは1953年のノーベル文学賞を受賞しているが、絵はどれぐらいのレベルだったのだろうか?

 チャーチルの絵画をほめる人はたくさんいるが、その一方で、あまり高くは評価しない人もいる。いずれにしても、チャーチルは絵を描くことが趣味であったし、スタジオにいる時間を楽しんだーこれが最も重要なことだろう。

 チャーチルが絵画を始めたのは一種の気晴らしだった。第1次大戦時にダーダネルス海峡進攻作戦(1915年、英仏の連合軍がダーダネルス海峡入口のガリポリ要塞を攻撃・占領する作戦を立てた)の失敗が響いて海相を罷免され、閑職に左遷された頃からチャーチルは友人に絵を描くことを勧められる。美術学校に通ったり、絵を正式に習ったりはなかったが、友人たちのなかに絵描きが何人かいた。アドバイスを受けながら、チャーチルは作品を生み出してゆく。多作な画家だった。

 スタジオの中のガイドの説明によると、「チャーチルは自分の作品に対して、常に謙虚な心を持っていた。『大したものではないのです』、と。このため、チャーチルは基本的に自分の作品に名前を入れなかった」という。

 画家としては「特徴がなかった」とガイドは言う。「例えばモネを思い出してください。絵を見れば、ああこれがモネだとわかりますよね。チャーチルにはこれがない」。

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(チャーチルがこの壁の一部を作ったという)
 
 スタジオ出て庭の一つ「キッチン・ガーデン」の方に進むと、赤れんがの壁がある。この壁の一部はチャーチルがレンガ積みを手伝ってできたそうだ。

 4つに分かれたキッチン・ガーデンを縦に区切る形で作られたのが「ゴールデン・ローズ・アベニュー」だ。私はここでどうしても見てみたいものがあった。

 アベニューの真ん中あたりに日時計があり、この下にクレメンティーンがバリ島から持ち帰った鳩が眠っているという。追悼の詩もクレメンティーンが選んだという。

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(日時計は緑のシートで覆われていた)

 行ってみると、日時計の台座には確かに「バリ島の鳩、ここに眠る」と書かれてあった。しかし、日時計の部分が緑色のシートで覆われていた。「寒さ除けだろうね」とそばにいた訪問客が言う。

 この鳩はクレメンティーンにとって、特別の意味を持つ。

 相思相愛が死ぬまで続いたチャーチル夫妻。しかし、ワーカホリックで常に自分の都合が最優先の夫チャーチルに妻は時として耐えられない思いをいただいたようだ。そこで、1934年から35年にかけて、クレメンティーンは長期間の大きな旅に出た。

 旅先のバリでボートに一緒に乗った男性からクレメンティーンは鳩をもらった。その鳩をお土産として持ち帰ったクレメンティーンは鳩が死ぬと、その埋葬場所としてアベニューのど真ん中を選んだのである。

 クレメンティーンとこの男性が不倫関係にあったのどうか。『チャーチル・ファクター』の書き手ボリス・ジョンソンは、何があったにせよ、「チャーチルはこの件について知って」いた、として、「クレメンティーンと夫との愛情には全く影響を与えなかった」と結論付けている。

 鳩の日時計ばかりではなく、邸宅の敷地内には「ペットの埋葬場所」というコーナーがあった。また、「蝶の生育場所」というコーナーも。

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(チャートウェル邸に近い村のパブの壁にあった似顔絵)

 チャートウェル邸の敷地内を歩いていると、緑色の芝生がどこまでも広がる様子が目に入る。遠くに見える森が広大さを実感させてくれる。ところどこにある池、湖、スイミング・プール、ハーブがたくさん植えられているキッチン・ガーデン、木々の配置、アトリエなど、ここで暮らしたチャーチル家の人々がくつろぎ、会話し、食事を楽しんだ様子が想像できた。

 しかし、ある家族が幸せだったかどうかは外から想像するだけではわからない。

 外交官冨田浩司氏による名著『危機の指導者チャーチル』(新潮選書)によると、クレメンティーンと子供たちの関係は「チャーチルが彼らを甘やかす分、難しいものとなった」という。クレメンティーンにとって「一番手がかかる子供はチャーチルであり、彼の面倒を見た後には子供たちにきめ細かな注意を払う時間も気力も残されていなかったのが実情である」。

 夫妻は5人の子供を設けたが、3女のマリーゴールドは旅先でインフルエンザをわずらい、3歳の誕生日を迎える前に命を落とす。末娘のメアリーをのぞき、ほかの子供たちは「少なくとも外見上は」、大人になってからの人生が「幸福なものであったとは言い難い」と富田氏は結論付けている。長女のダイアナは自殺し、長男のランドルフは心臓発作で57歳でこの世を去った。次女のセーラは夫が自殺の憂き目にあう。

 メアリーは政治家のクリストファー・ソームズと結婚し、5子を設けた。母クレメンティーンの伝記を書き、これが高く評価されている。

 チャーチル家の生活ぶりが今でも迫ってくるチャートウェル邸。チャーチルに関心のある人にとっては、実り多い訪問場所だ。
# by polimediauk | 2016-04-07 20:33 | 政治とメディア
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(ニーマン・ラボのサイトから)

 パナマの法律事務所「モサク・フォンセカ」から流出した、金融取引に関する大量の内部文書。これを元に「パナマ文書リーク」の報道記事が続々と出ている。

 いったいどうやって情報がメディアの手に渡り、各社の報道につながったのか。

 ウェブサイト、ニーマン・ラボ(4月4日付)ワイヤード(4月4日付)の記事から、要点をまとめてみたい。

 法律事務所の内部文書は1977年から2015年12月までの期間のもので、1150万点に上る。文書のサイズは2・6テラバイトに及ぶという。ウィキリークスの手によって世に出た米外交文書リーク(「ケーブルゲイト」、2010年)が1.73ギガバイトであったので、これの数千倍になるという。

 1150万の文書ファイルには480万の電子メール、100万の画像、210万のPDFが入っていた。

経緯は

 2014年末、ある人物が南ドイツ新聞の記者に暗号化されたチャットを通じて連絡をつけてきた。記者の名前はバスチアン・オベルマイヤー(Bastian Obermayer)。その人物は「犯罪を公にしたい」と言ったという。実際に顔を合わせず、連絡は暗号化されたチャンネルのみでだった。そうしなければ「命が危なくなる」からだった。

 オベルマイヤー記者とリーク者は常に暗号化されたチャンネルで連絡を取り合い、どのチャンネルを使うかは時々変えた。それまでのコミュニケーションの内容をその都度、削除したという。暗号アプリの「シグナル」、「スリーマ」や、PGPメールなどを使ったというが、オベルマイヤーはどれをどのように使ったかについて、ワイヤードに明らかにしなかった。

 新たなチャンネルで連絡を始める際には一定の質問と答えを用意し、相手がその人物であることを互いに確認した。

 文書の一部を受け取った南ドイツ新聞は非営利組織の「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ、ワシントンにある)に連絡した。ICIJは過去にも大型リークの分析を担当した経験があったからだ。ICIJのスタッフはミュンヘンにある南ドイツ新聞に出かけ、どう処理するかを話し合ったという。

 この間、ファイルは少しずつ南ドイツ新聞に送られていた。メールで送るには大きすぎるが、どうやって送られたのかについて、南ドイツ新聞はワイヤードに明らかにしていない。

 次に、ICIJのデベロパーたちがリーク文書を検索するサーチエンジンと世界の報道機関がアクセスできるURLを作った。サイトには報道機関の記者たちがリアルタイムでチャットできる仕組みも作られていた。記者同士がワシントン、ミュンヘン、ロンドン、ヨハネスバーグなどに集い、情報を交換もした。

 ICIJによると、リーク文書をそのまま公表する予定はないという。ジャーナリストたちが責任を持って記事化するよう、望んでいるからだ。

 リーク者を守るため、南ドイツ新聞のオベルマイヤーはリーク者との連絡用に使った電話やラップトップのハードドライブを破壊した。「念には念を入れたかった」。今でもリーク者が誰であるかは知らない状態だ。

 ワイヤードはメガリークの新たな時代が始まっている、という。

 ニーマン・ラボの記事によると、受け取った情報の分析は南ドイツ新聞ばかりではなく、フランスのルモンド紙、アルゼンチンのラ・ナシオン紙、スイスのゾンタ―グツァイトゥング紙、英国のガーディアンやBBCなどが協力して行った。プロジェクトにかかわった記者は約400人。世界76か国の100以上のメディア組織が協力したという。

 日本では共同通信と朝日新聞がこのプロジェクトに参加した。

 さらに詳しく知りたい方は「マッシャブル」の記事(英語)もご参考に。
# by polimediauk | 2016-04-05 21:34 | 政治とメディア
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(エコノミストの「グローバル・ビジネス・レビュー」紹介サイト)

***「新聞研究」3月号に掲載された筆者原稿に補足しました。***

 日本経済新聞社の傘下に入った英国の高級経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)。FTはデジタル化を成功裏に進めた、グローバルなリーチを持つ媒体だが、英国にはもう1つ、「デジタル化」、「グローバル化」で群を抜く媒体がある。ニュース週刊誌エコノミストだ。

 エコノミストの電子版のみと紙版を合わせた購読者は約155万。拡大のけん引役は電子版だった。読者の大部分が英国外に在住する。

 エコノミストは、昨年春から英語と中国語による新サービス「エコノミストのグローバル・ビジネス・レビュー」(the Economist Global Busines Review, GBR)を展開し、今年1月からは日本発のメッセージアプリLINEにアカウントを設け、チャートや動画を提供するようになった。

 米サイト「ニーマン・ラボ」に掲載された記事を中心に、エコノミストのアジア戦略を見て、その後にソーシャルメディア戦略についての記事も紹介したい。

中国語、英語どちらでも読めるGBR

 中国語、英語のどちらでも記事が読めるアプリGBRは、エコノミストの171年の歴史の中で初めての2か国語サービスだ。

 これまで長年にわたり、外国語版を作る案は構想されてきたが、「コストがかかりすぎる、実用的ではない」という理由で却下されてきたという(エコノミスト誌のデジタル・エディター、トム・スタンデージ氏、サイト「PRニュースワイヤー」、2015年4月7日付)。テクノロジーの発展で電子版での2か国語サービスが容易に実現できるようになった。真っ先に取り上げたのが中国語だった。

 スマートフォンやタブレットでアプリをダウンロードすると、月の最初に10本の記事が配信される。その後は平日に1本配信され、合計で月30本ほどの配信となる。

 記事は1年間保存されるので、オフラインでの閲読に便利だ。英語版か中国語版かに簡単な操作で変更できるほかに、段落でダブル・クリックすると、その部分の翻訳が読める。料金は月ぎめでは5・49ポンド(1ポンド=159円計算で873円)。年間購読では49・99ポンドだ。支払いはアイチューンズを使って行う。

 ニーマン・ラボの記事(2015年4月7日)によれば、エコノミストの購読者の内訳は数が大きい順から北米(876,420)、欧州大陸(248,415)、英国(223,915)、アジア(152,282)、中東及びアフリカ(26,921)、ラテンアメリカ(19,371)となった。

 GBRの想定読者の居住地は主として中国、香港、台湾、マレーシア、シンガポールなど。この地域でのエコノミストの購読部数はそれほど大きくはない―中国は8,000(その64%が電子版のみ)、香港とシンガポールがともに11,000だ。エコノミストの記事が非公式に中国語に翻訳され、ソーシャルメディアで目にすることが多いというスタンデージ氏は「需要はある」と強気だ。

 有料サ―ビスのGBRは、広告収入からの脱却を目指すエコノミストの戦略にも合致する。総収入の中で読者からの購読収入の割合は、2014年で55%。2015年には60%に達したと予想されている。

グローバルな展開には多言語で

 英語は最も有力な国際語だが、世界的にリーチを拡大させることを狙う英語メディアはほかの言語でのサービスも行っている。

 米ウオール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は英語以外に中国語、日本語、スペイン語、ポルトガル語、インドネシア語、韓国語で電子版を展開している。日経傘下のFTも中国語の電子版がある。英BBCのニュースサイトは日本語、アラビア語、ペルシャ語などを含む28言語で閲読できる。

 エコノミスト誌の編集幹部らによると、エコノミストとしては特定の地域を対象にしたサービスを想定するというよりも、「世界中に散在する読者」に向けてコンテンツを作っている。国際情勢に関心がある知識層がエコノミストの読者になるからだ。

 今年1月末、エコノミストは日本発メッセージ・アプリLINEにアカウントを設けてサービスを開始する、と発表した。同様のサービスとしては利用者がはるかに多いWhatsAppあるいはFacebook MessengerよりもLINEを選んだ理由はエコノミストがFacebookやTwitterを通じてつながっている読者とLINEの読者とが「互いを補完する関係になるから」とスタンデージ氏は言う(ニーマン・ラボ、今年1月28日付)。

 LINEは2015年末で2億1500万人の利用者を持つ。その67%が日本、台湾、タイ、インドネシア在住者だ。LINEの専用ステッカー、関連書籍、ゲーム、広告などの販売によって約1200億円の収入を上げた(2015年)ことも魅力だったのかもしれない。

 LINEにはほかにWSJ,BBC,TechCrunch, Mashableなどもアカウントを作っている。エコノミストではチャートのほかに写真、名言、動画などを出してゆく。
 
 「どのプラットフォームにどのようなコンテンツをどう出してゆくか、人材や費用のリソースをどのように割り当てるかに頭を悩ませている」とスタンデージ氏は語っている。

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(エコノミストのウェブサイト)

ソーシャルメディア戦略とは?


 経済や世界情勢について難しいことばかり書いているような、お堅い雑誌のようにも思えるエコノミストだが、実は世界中に3500万人のフォロワーを持つ、ソーシャルメディアでは大きな位置を占める存在でもある。

 なぜそんなことが可能になったのか?面白おかしい話が分かりやすく書かれているわけでもないエコノミストのソーシャル戦略について、英国の新聞業界サイト、プレスガゼットが取材している。

 今年3月29日付の記事を紹介してみたい。

 3500万人のフォロワーと言うのだが、そのうちわけは

 -ツイッターのフォロワーが1570万人
 -フェイスブックの「いいね」が750万
 -グーグルプラスが1010万人
 -リンクトインのメンバーが140万人
 -インスタグラムのフォロワーが39万人
 -タンブラーのフォロワーが21万8000人
 -ユーチューブの購読者が14万2000人

 だという。

 これだけ広がった理由について、エコノミストの副編集長トム・スタンデージ氏はまず、「それぞれのプラットフォームがグローバルにサービスを展開しており、エコノミストのコンテンツもグローバルな視点で書かれているからだ」と説明する。

 英国の新聞だったら、英国で起きていることが報道の中心となる。しかし、エコノミストは世界中をカバーする。そこで、グローバルなプラットフォームではこれが利点になるという。

 また、米テレビアニメ「シンプソンズ」の中で使われたことから、エコノミストのことが広く知られたという。番組の中で登場人物がエコノミストを手にしており、エコノミストを読むほど利口であるという文脈で使われた。そこで、エコノミストのコンテンツをシェアすれば、自分が物知りであることがアピールできることがプラスに働いたという。

 エコノミストの中にはソーシャルメディアの専門チームがいて、どのプラットフォームにどんな見出しでいつ出すかなどを研究し尽くしている。どれぐらいの文章を入れるのか、どんな反応があったのかを細かく分析する。

 コンテンツそのものが簡潔な文章で書かれ、分析力があり、必ずユーモアが入っていることもソーシャルメディアと相性がいいのだそうだ。

 検索エンジンでエコノミストの記事を見つけた人よりも、ソーシャルメディアからやってきた人の方が再度やってくる可能性が高い。この点でもソーシャルメディアに力を入れている。

 将来はメッセージングアプリが最も有力になると見ており、この記事の中でも、スタンデージ氏は特にLINEの可能性を高く評価している。
# by polimediauk | 2016-04-04 23:51 | 新聞業界